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読書記録2000年12月


『くつやのまるちん』
トルストイ,訳:渡洋子,絵:かすや昌宏(至光社)/絵本・キリスト教/★★

聖書を読んで心の平安を得ていた孤独な靴屋のまるちんは、寒い冬のある晩、キリストが会いに来る、という夢を見る…。幼児向けの、他者へ対する優しさが学べそうな絵本。ストーリーも絵もほのぼの。

心が安らぐとき神を身近に感じられる、そしてその態度で他者に接すればさらに神と近づける、そうされた他者も心が安らぎ神を身近に感じる、それはどんどん拡がっていく…無条件の他者への、そして神の愛。こういうことを語っているのだろう。

幼児向けだから当然だが、私にはあまりにアッサリすぎた。でもホッとさせてくれた一冊だった。


『反哲学史』
木田元(講談社)/哲学・哲学史/★★★

「反哲学」の立場から、過去の哲学を相対化して眺める、という本。

メモりながらの雑感。

半分くらいが古代ギリシア哲学。ソクラテスのアイロニーの概念や処刑裁判、プラトンとアリストテレスの対立などを教科書的視点とは違った視点で説いてくれる。特に印象に残ったのは「第二章アイロニーとしての哲学」。ソクラテスのスタイルは私には到底無理だが、自分自身へ向ける皮肉は常に持ち続けていたい。

後はデカルトから後の有名哲学者達の思想。

デカルト…神的理性の後見のもと、人間理性を形而上学的原理、と定める。いつか、なにかの本で「神を手段として扱った」というのはこういうことか、とより納得。

カント…物自体は別として、形式を通じて現象界に限り、神の後見なしに認識しうる。認識できるものとできないものを区別して、いきすぎた理性主義と経験主義を批判し統一。など、カント哲学の簡単な復習ができた。

理性では説明できない現実を前に、シェリングから始まる実存主義…サルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉、これはまさに『嘔吐』のテーマだ。今の私に一番しっくりくる、もっと詳しく知りたいと思った。

マルクス…機械論的唯物論と観念論を統合した自然主義すなわち人間主義。ヘーゲルの労働の概念を、私有制ではなく共産制でこそ生きる、とする史的唯物論。本当に夢のような思想だが、人間はそんなキレイなものではなかった…。

ニーチェ…本当には存在しない形而上学で創られてきた文化は、追っても追っても真の存在を見出せない。こうして哲学史を振り返って見ると、ヨーロッパのニヒリズム、と否定したニーチェの言うことはもっともだ。生きた自然の復権、か…やっぱりニーチェは偉大な哲学者だ、と考えを改めさせられた。

その後、実証主義の台頭、それへの反逆、とサラッと触れて、続きは筆者の『現代の哲学』を読め、ということで。いずれ是非挑戦したい。

あれが立てばこれが立たず、の繰り返し。絶対の真理なんてない気がしてくる本だった。それにしても相変わらず人が読むに耐える文章が書けない…はぁ。


『金持ち父さん貧乏父さん』
ロバート・キヨサキ+シャロン・レクター,訳:白根美保子(筑摩書房)/エッセイ・ビジネス/★★

金持ちになる方法だけにとどまらない、お金そのものへの著者の哲学。前半が「教えの書」で後半が「実践の書」。お金に対するあらゆる常識を覆し、成功するためには発想の大転換が必要、ということを楽しくわかりやすく説いてくれる。カネを儲けることを軸に、精神の豊かさ(チャレンジ精神や実行力、向上心、自制心など)も説かれる。

ベストセラーになるのがよくわかる。大多数の「貧乏父さん」がこの本を読んで驚愕し、しかし「オレもまだ間に合う」と勇気づけられたことだろう。そういう中の一人に勧められて読んだ。

私には微妙な本だった。ど〜も、結局は搾取されるよりする側にまわろう、ってことを語っているように思えてしまう。人のことはお構いなし、勝てばとにかくハッピー、みたいな。「カネの奴隷になるな」とか「与えるために与えること」などの重要性を様々な形で強調してくれているが、他のインパクトが強いため、こんなことあまり目に入らない読者も多いのでは…。そういう金儲けを「ゲーム」と呼ぶことにも抵抗を感じるが、「楽しめ、執着するな」ということか。

税金に関しては酷いこというなぁ、とゲンナリしたが、今の政府、社会が著者の言うとおりであることも事実。政府、しっかりしてくれ!…などと言うと「他人じゃない、君がどうするか、だろ?」と著者に叱られそうだ。

ひねくれ者で悪いが、結局は「勝者の論理」のように思えてならなかった。はは、私は根っからの「貧乏父さん」だ。悪いことばかり書いたが、硬くなりつつある頭にゲンコツをくれた、常識を覆してくれた、という点でとてもいい本だった。

経済、ビジネスなどカネに関すること…好きではないが、知らないよりは知っていた方が面白そうだ。背を向けずにちょっとカジッてみようかな、と思わせてくれた。「なぜファイナンシャル・インテリジェンスを高めるのか?」この著者の問いに対する私の答えは、知らないより知っているほうが「得をするから」ではなく「楽しそうだから」だ。

私からはあまり人に勧めたくない本だが、あえて勧めるとすれば、全てのサラリーマン、クレジットや住宅ローンに苦しむ方、高級車やクルーザーが欲しい方、などだろうか。

* * * * * * * * * * * *

2002/1 追記
「金持ち父さん」のように自分だけ労働から解放され消費を大いに謳歌し勝者をきどれば、その分他人に「ラットレース」を強いることになる。まぁそううまくはいかないし、いっても私には楽しく感じられない。そんなマネーゲーム、消費ゲームは降りてしまうことだ。降りないまでも、重きを置きすぎないことだ。振り回されがちなこのゲームが相対化できるとかなり楽だよ。


『モリー先生の最終講義』
モリス・シュワルツ,訳:松田銑(飛鳥新社)/エッセイ・人生/★★★

筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹った社会心理学者の、優しくわかりやすい「生と死」に関する提言。人生の苦難や最期をいかに前向きに受け入れるか、そしていかに生きるべきか。

いきなり感想。なんてことだ、こんなことがあるのか!モリー先生の語ることは、ひとつひとつなにからなにまで、私が日々考え、思い巡らし、こうありたい、と心構えにしている(実践が伴っていないのが情けないが)ことばかりじゃないか!恥ずかしくて、あまり公言できない(オマエは弱者だからそんなことを、と思われるのが恐い)のだけれど。それに頻繁に、この心構えはあやふやになり、矛盾を感じ、破綻する。

健康な、特に弱肉強食論を好む人(障害を負う以前の私がそうだった)にはあまり共感できる内容ではないかもしれない。困難なんて、所詮実際体験しなければ本当には理解できない。でもそういう方々は、努力してもどうしようもない困難(例えば難病、不治の病、老化、死)に直面したとき、価値観の大転換の必要に迫られる。それができないと自己否定に陥り、自己を維持できなくなる。絶望、それが深刻になれば崩壊が待っている。失ったものにとらわれず、切り替えなければいけない。たとえ多少の反発を感じても、できるだけ素直な気持ちでこの本を読んでおけば、自分や家族が突然回避不能の困難に陥ったとき「ああ、あんな考え方もあったな」と少しはショックが和らぐだろう。その次のステップへ進むのが少しは楽だろう。ここで語られる提言全て、自分には真実味、現実味がある。

う〜ん、共感どころか、こうも自分の考えと一致しているとかえって気味が悪い。いいのか悪いのかよくわからないが…。ふと…柳田邦夫著『「死の医学」への序章』を読んだときよりは、私もちょっぴり成長できているかも、と思った。


『サド侯爵の生涯』
澁澤龍彦(河出書房・澁澤龍彦全集5)/伝記/★★★

タイトルどおり、ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サドの生涯。ノーマルな方は気分を害するかもしれない内容。

まとめながら雑感を。

現在の常識を超えた、十八世紀フランス貴族の環境に育ったサド。本気の恋愛が失恋に終わった直後、親同士が決めた相手と結婚するが、その四ヶ月後「妾宅での度外れな乱行」で初収監。性的異常者であること自覚し、罪の意識に苛まれるが、真の自己の存在をそれによってしか確かめられない…。

ここからリベルタンの道を突っ走る。乱交によって、それを見る自己、見られる自己を認識。知的領域の探求、空想的空間での自己確認、同時に社会への反抗。その後の事件の数々、義妹との関係…逮捕、逃亡の繰り返し。ここまでなんの共感もなし。

その後十一年の獄中生活…そこでもその考えを変えるどころか、文学へと昇華させる。離婚まで夫に尽くす、美徳の鏡のような妻、しかしある意味精神的にマゾ。どちらも私には理解しがたい。

革命後(〜1789年〜、フランス革命の大変な混乱ぶりはこの本で初めて知った)、それまでのサドと一変して一時期活躍もするが、その姿はある意味哀れだ…。最期も。

全て読み終え…はっきり言って共感できるものはほとんど見出せなかった(晩年の精神病院でのひととき、遺言書には共感)。しかし彼はそんなにとんでもない、酷い悪いことをしたろうか?してない。サドの行為は、現代のいわゆるSM愛好者、性的変質者を見ればどうということはない。これが重罪というのも酷い話だ。

獄中で開花させた思想…それがどんなものだろうが、思想自体がこうも理不尽に裁かれるのはどうかと思う。彼自身も異常だが、周囲の反応も異常だ。

悪徳、自由(結局彼の言う自由とはなんだったのだろう?)を追求し、後の文学に裏で最も大きい影響与えた人物…。私には理解できない…が、作品をたったひとつしか、しかも浅〜く、でそう決めつけるのは良くないだろう。今後の課題。なんとも言い難い本だった。こんな人生もあるのか…。

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2002/1 追記
既存の価値観がある程度相対化可能になり、安易なキレイゴト志向がかなり失せた今読み返せば、理解、共感できる面をたくさん発見できるかもしれない。けれど私はサドほど反動的になろうとは思わないな。


『棚から哲学』
土屋賢二(文藝春秋)/ユーモアエッセイ/★★★★★

この本の説明は非常に難しい…人によって、受け取り方がまるで変わってくるだろう。身近なくだらないことをネチネチ考える、笑えないお笑い(私は爆笑)エッセイ。大袈裟に言えば、哲学的に現代社会の問題に鋭く切り込むエッセイ。どちらとも言える。

いつかNHKの番組『ようこそ先輩』に出演されて、「言葉ってのは当てにならない」と語っていた。この本を読めば、言葉がいかに信用できないものかよくわかる。言葉の持つ意味をよく知り駆使すれば、どんな結論も導ける、ということ。妻や学生の言動など身近なものを例に、おもしろ可笑しくそれを実感させてくれる。無駄とは一体なんなのか、病院は恐いか恐くないか、不満足=満足、楽観的=悲観的、などなどの考察(?)。これが爆笑もの。

これを読んで、なんだか新しい思考回路が身に付いたような気がする。裏の裏の裏の…と読み出せばキリがない、迷路のような内容(もある)。それにしても著者の笑いのセンスはツボにハマッた。まえがきから一番最後の著者紹介まで、ほぼ全ページ笑いっぱなしだ。

著者の著書は是非他のものも読んでみたい。

ユーモアのある屁理屈のスペシャリストになりたい方(いるのだろうか?)には超お勧め。


『庭仕事の愉しみ』
ヘルマン・ヘッセ,編:フォルカー・ミフェルス,訳:岡田朝雄(草思社)/詩文集/★★★★

小説、詩、エッセイ、友人への手紙、スケッチ、写真など盛りだくさん。キーワードは自然、それを最も敏感に感じられる、幼少期の心と眼。

苦労しながら楽しみながら造る庭の小さな自然を中心に、時に優しく、時に厳しい大きな自然への愛情や畏敬の念が伝わってくる…。それを通して、大切にしている幼少期をふと思い出し、失ってしまったその頃の気持ちを感じて哀しくなる…こういうところは感傷的になったときの自分と見事に一致していて嬉しくなる。自然からその他多くのものを、永遠を読みとるヘッセ…。

小説はふたつ。ひとつめは『夢の家』未完の物語。
三十七歳にして晩年の生活を確信しているかのよう(願望かも?)に思える。この小説の登場人物、次男のハンスは『車輪の下に』のハイルナーと重なって見える。年齢は違うが、パラレルのようでドキドキした。

そして『イーリス』童話だが奥が深い。
幼少期の、大人になると忘れてしまう、大切なものが語られる。主人公アムンセンの生きる姿勢はまさにヘッセ自身。

全編通じて植物や四季、場景の描写がとにかく美しい!こんなに素晴らしい自然の描写には今まで出会ったことがない。光、色、匂い、その瞬間の空気…鮮やかに浮かび上がってくる。これは訳者の力も大きいだろう。全面的に共感できる、読み進むのが勿体ないような、素晴らしい本だっだ。

残念だったのは私自身の植物の知識不足。語られる植物の半分程度しかわからず、もっと知識があればさらに楽しめたろうに、と悔やまれる。

ガーデニングや家庭菜園が趣味の方には最高に楽しめると思う。ただ、ヘッセの語るものはとても大きい…。


『まるごとわかる20世紀ブック』
池上彰+週間こどもニュース・プロジェクト(NHK出版)/歴史・近代史・児童書/★★★★

児童対象、とはいえ大人にもためになる近代史の本。
「情報の」
「科学の」
「戦争の」
「スポーツの」
「幸せを求めた」世紀、
そして「宇宙船地球号」「21世紀への希望」の七章。20世紀の様々な出来事を、優しくわかりやすく、楽しく解説してくれる。

子供向けだから物足りないかと思いきや、これがどうして楽しい楽しい。年号もバンバン出てくる(私は頭に入れてやろう、と気合い入れて読んだが、別に逐一覚えなくとも流れは掴める、それこそ重要)し。そうして教えてくれた後、一方的に「だからこうするべきだ」と決めつけの答えは出さずに、「どうやらこんな方向が見えてくるね。さあ、これから君はどうする?」こう問いかけてくるとこがまたいい感じ。

今、小学校低学年では、社会と理科を一緒にして「生活」という科目で授業をしてるそうで。これは上級生向けの、その「生活」の本だ。この、科目の統合には「意味あるのかよ」と疑問を感じていたが、この本を読んで考えが変わった。分けて考えることが今あるような様々な問題(特に環境問題)が生まれる原因。トータルで考える重要性…この科目を考えた人は凄い!

今まで「歴史」というと、どうしても政治や戦争の歴史が大部分を占めていた。「生活」としての歴史…縦でしか考えていなかったことが横にもつながった気がする。あぁ、そうか、なるほど、そうだったのか、と、もやもやしていた雑多な情報をまとめるのに非常に良い本だった。…児童向けの本がこんなに楽しめるのは、やっぱり自分もそのレベルなのかも。

小学校高学年の子に超お勧め。広い視野で物事考えてみようよ、楽しいよ、と気付かせてくれる一冊だ。


『聖書のことば』
犬養道子(新潮社)/キリスト教/★★★★

多くの先人のキリスト教思想に精通する、そして現実的に実践する筆者の、聖書の手引書。

手引書というと簡単そうだが…難しく複雑なことを順序立てて優しく解説してくれる、それでも私には難しかった、深い内容。著者のように現実的に、具体的に説いてくれれば、拒絶反応も起きない。

なぜ私が聖書を理解できなかったのか、そのまま中途半端でドロップアウトしてしまったのか。それは社会、時代背景も全く知らず、言葉どおり文字どおりに、頭に入れず、つまみ食いするように読んでいたから。木を見て森を見ず、いや、木すら見ていない、全く意味のない読み方だった。そこには隠れた深い深い意味があった。

犬養さんの講釈、理解できない部分も多かったが、最も重要ないくつかの概念「神、イエス、聖霊、の三位一体」「神のことば」「祈り」「イスラエル人とエクレシア、神の国」その他少々、はなんとなくでも把握できたと思う。著者の「神の国」の解釈はかなり少数派になるんじゃないかと思うが、私は非常に納得いった。真摯な信仰を持つ人は強くなれる…自分もそうなろう、とは思えない(なろうと思っても到底無理だ)が尊敬する。

キリスト教への認識を大きく変えてくれた。聖書を一生かけて読む意味、多くの本に引用されるわけ、もよくわかった。多くの本、とくに欧米の本を読むうえで、聖書への理解はどうしても必要。要再挑戦。

日本の宗教…どんなものだろう…?仏教や神道にもいずれ触れてみたい。


『北の国の誇り高き人々』
横山孝雄(かのう書房)/歴史・民族・アイヌ/★★★

江戸、明治時代のアイヌの歴史。

軽くまとめて感想を。

前半は北海道の名付け親、松浦武四郎の伝記。
江戸時代末期、松前藩の統治下、植民地化した蝦夷地を旅し、和人の非人道的な支配に憤りを覚える。明治維新後、アイヌを皇民化する立場に就きながら、誇り高きアイヌ民族の文化も賞賛する。彼の死後、同化政策、開拓による森林破壊によってアイヌの生活は崩壊してゆく…。

中盤から後は松浦武四郎の記した近世蝦夷人物史。
江戸時代のアイヌ庶民の姿が描かれる。かなり悲惨なエピソードの数々。量が多くて途中で飽きてきてしまった。

平和な、悠々とした、アイヌの生活や風習、信仰を知りたくて読んだのだが…あまりに酷い傍若無人な和人と、虐げられるアイヌの印象が強烈すぎて、それどころではなかった。それにしても、自国の少数民族のことなのに情報がなさすぎるような…。教科書には…シャクシャインの名前はあった気がするが、アイヌ関連のことは数行程度だったと思う。こういう歴史があった、そして私は全然知らなかった…ショックを受けた。アメリカ大陸での白人の行いは知っていても、自国のこの歴史を知る人はそれより少ないのでは?

現在、北方領土返還問題があるが、本来そこは和人のものでもロシアのものでもない…。沖縄同様、北海道への認識が変化した。


『「世間体」の構造−社会心理史への試み』
井上忠司(NHK出版)/社会学・社会心理学/★★★★

世間、世間体…よく耳にする言葉だが、それは一体なんなのか。世間体についての考察。

簡単にまとめてみる。

「世」が時間で「間」が空間。世間は流れゆくもの…。もともとは「世間無常」を表す梵語、仏教用語だった。それが江戸時代「人間の関係、社会」を指す意味で日常的に使われるようになり、「家」制度と密接に関係しながら明治以後より強化されるが、戦後それが崩れ世間の概念が曖昧になってくる。現在ではかつての世間観が残りつつ、マスコミや世論という形でも表れている…。「世間」の歴史を知ることができた。

世間とは?ウチのソト、ソトのウチ。身内以外他人以内。なるほど、確かに自分と全く接点のない、例えばアフリカの少数部族はまず世間の範囲に入れない。かなり狭い世間しか考えられない人もいるだろう。

世間体…人間は誰しも帰属願望を持ち、所属集団から準拠集団を見出し、この中で超自我(罪)、自我理想(恥)を形成していく。他者と自己、自己を見つめる自己と本来の自己、ふたつの眼差しが同時に両立しないことによって自我の危機が生じる。この時の「恥」を公恥、私恥、羞恥、そして普遍的罪、個別的罪に分類しての考察は興味深い。世間の眼を気にすることで、必要以上に自分を抑制してしまうという欠点もあるが、日本人特有のやさしさとつつましさはここから生まれる。他者を見て他者を知り、そして他者の眼で自己自身を知る…。

感想。

…自分は世間知らずなくせに、いかに世間体に縛られていることか!嫌悪していた世間体、しかし、この本を読むと一概に悪いものではない。世間体へ偏見を持っていたということか。所詮人間一人では、物質的のみならず、精神的にも生きられない。世間、世間体を意識するのは、信仰を持たない日本人には重要なことのようだ。ただし、狭い、閉じた世間に縛られてはダメだ、とある。自分が嫌悪を感じていたのもこれ。世間、世間体…自分なりに、もっときちんと考えなければいけないようだ。

* * * * * * * * * * * *

2002/1 追記
なんだかんだ…狭かろうが広かろうが、やはり世間、世間体は私にとって悪い要素の方が強い。「他者は地獄だ」「他者の視線は無を分泌する」これはサルトルの言葉だ。世間とは強力な力、同調圧力を持った見えざる他者だ。

同調する気もないし、反抗してやろうという気は多少あるが、どうでもいい。私にとっては、いかにして世間体がもたらす苦しみから、孤独感、疎外感から解放されるかが重要だ。世間体への恐れや、世間の存在など意識もしないくらいそれから解放され、自由になることだ。

許容という精神とは相容れない、最大多数への無意味な同調を迫るような世間なんぞダメだ。安易な排除によって成り立つ、空疎な仲よしこよしなんかダメだ。


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