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自分にとって問題とは何なのか。はまってしまった状態をみつめると、そこに問題の本質である、自分の目標(目的)と現実世界とのずれがみえてくる。

■自分にとって「問題」とは何か

 私たちは、それにはまってしまって、にっちもさっちもいかなくなってしまった状態の時、「問題」というものを特に強く意識し、その解決を迫られる。
 その状態を突き詰めていくと、「目標(目的)と現実とのずれ」を示すものが「問題」であるであることがわかる。それは、自分にとっての「困った事柄や厄介な事件」なのであって、通常何らかの「方法」で「答え」と呼ばれる結果を出す必要があるものだ。私たちが忘れがちなのは、それが自分にとっての「問題」であるがゆえに、その本質が、実は私たち自身にあるということだ。

■「問題を解く」とはどういうことか

 自分の直面する問題は、とにもかくにも自分にとっての問題なので、「問題を解く」とは、すなわち自分を表現することである。したがって、マニュアルとは見方をかえればある人の「方法」についての、その人なりの自己表現の体系なのだ。そうであるなら、いかに膨大なマニュアルの類が利用できるようになってきても、私たちが漠然とそれらに従う限り、私たちは自分自身を十分に表現することはできず、結局自分のものとして「問題」を解き、そこに本当の満足を得ることはできない。
 「自分は本当にその問題を解きたいか」、この問いかけがイエスであるなら、何よりも「問題を解く」ために必要なのは、自分で考えて表現し、行動することである。

■「方法」とは何か

 「問題を解く」手だてが「方法」である。それは、私たちが生きていくためのハウ・ツー情報なのだ。人間が時空を超えて積み上げてきた、マニュアルをはじめとしたこれらの情報は、膨大な量に達する。しかし私たちはそれらを持たず、真っ白な状態で生まれてくる。私たちはそうした情報を、外部から取り込んでいかなければならないのだ。


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