花に嵐、舞い散れ祷(いのり)

第七話


八戒が捲簾を夕食に呼びに来たとき、部屋には捲簾と悟空と三蔵しか居なかった。雨で三蔵が居るのでちょうど良いとばかりに悟浄は外に遊びに行ってしまったようだ。悟浄が居ない事にやはりと思いながらも溜め息を吐いた八戒が後でお説教ですねと呟いたので、他人事ながら捲簾がビクッとしてしまった。
四人なら一テーブルで食事を取れると思い階下に降りると、食堂の入り口に悟浄が居た。どうやら律儀に見張りの交代時間だと思って戻って来たらしい。八戒が入り口で五人であることと2テーブルで構わない旨を伝えていると、悟空が三蔵を見た。
「なぁ、三蔵。捲簾と一緒に喰おうぜ!」
悟空が笑ってそう言うと三蔵は面倒くさそうに煙草をくわえなおす。
「ああ」
「やりぃ!」
アッサリとした承諾に八戒が驚いて三蔵を見ると、丁度店員が一行を呼んだ。
「お待たせいたしましたー! 二名様はこちら、三名様はこちらになります」
疑問を挟む間もなく席に案内されてしまい、八戒は不思議そうな顔をしたまま悟浄と二名用のテーブルに座る。
「珍しいですね」
視線の先では楽しそうにはしゃぐ悟空とおなじく楽しそうな捲簾、そして一言も喋らない三蔵がメニューを開いている。
「三蔵は一言も喋らないのに、どうしてあっちのテーブルに行ったんでしょう?」
「知らね」
八戒の疑問に簡潔かつ適当に答えて、悟浄がメニューを置いた。
注文が決まったということなのだろう仕草に八戒が慌ててメニューを覗き込む。何にしようかと真剣に悩みつつ、それでも三蔵の様子がどこかで気になってたまらない。普段の彼は騒がしいテーブルで怒りもせずに静かに座っているような人間ではない。それが、今は不機嫌そうな素振りすら見せずにテーブルについているのだ。まぁ、一言も喋らなければ話に入る気配も無く我関せずだが。
「……まだかよ」
「あ、スミマセン。どれも美味しそうで」
呆れた様な声に、メニューを眺めながら考えに耽ってしまっていたのを笑顔で誤魔化すと、そんなことはお見通しな悟浄は溜め息を吐いただけだった。
「イイケドさー。お前ホンットこういうとき優柔不断だよな」
誤魔化したのが気に入らなかったようで、悟浄はメニューを指で叩きながらそう言うと、店員に手を挙げた。
「スンマセーン」
「はーい! 少々お待ちください!」
「あッ! 僕まだ考えてるのに!」
「来るまでに決めろよー」
「恨みますよッ悟浄!」
「お待たせいたしましたー!」
こういう時だけ素早い店員に歯噛みしつつ、八戒はメニューに視線を走らせた。



楽しい夕食を終えて捲簾が部屋に戻ろうとすると、何故か三蔵が着いてきた。しかも悟空は連れずに。さっきの夕食でも結局「ああ」とか「そうか」くらいしか喋っていなかったのに、どういう風の吹き回しだろうかと捲簾が気配だけで意識を向けていると、悟浄が先に口を開いた。
「あンれ、三蔵サマが居るなら久々に賭場……」
「暫く夜遊びは控えてくださいね、悟浄」
悟空を連れて自分達の部屋へと姿を消しかけた八戒が、数歩戻ってワザワザ釘を刺す。それに嫌そうに顔をしかめた悟浄は、部屋に戻るとさっさとバスルームへと消えた。
特に話すことがあるわけでもない捲簾はコーヒーでも淹れようとポットへと手を伸ばす。と、椅子にどっかりと座った三蔵が煙草を取り出しつつ捲簾を見もせずに言った。
「ブラック。いや、砂糖を少しだ」
「………………へいへい」
余りに俺様な態度に呆れながらも、そんな態度には免疫のある捲簾はポットに多目の水を入れた。
「アイツとは全然違ェなぁ」
同じ金糸の髪を持つ二人は外見的には一番似ていると言えなくもないが、性格は全然違うようだ。金蝉もマイペースで態度が大きいことは大きいが、彼はお坊っちゃまな上に観世音菩薩という振り回してくれる存在が近くに居るため、意外と神経質で主張をしない。一方三蔵は明らかに上に立っている人間特有の尊大さが有り、人に命令することに慣れている。胡座をかいている訳では無いが、気後れも無い。まぁ、それでも、二人とも常に不機嫌そうな顔で仏頂面をしてるところは全く変わらないが。
苦笑しながらコーヒーを淹れ、三蔵の分には砂糖も入れた捲簾は、マグをテーブルに置くと三蔵の向かいの椅子に座った。それきり部屋に沈黙が落ちる。三蔵は必要も無いのに話をするような人間ではないし、捲簾も普段は場を盛り上げるために騒がしくしているだけなので、沈黙は意外と苦では無かった。良く驚かれるのだが、捲簾は実は静かに花を愛でつつ酒を楽しむのも好きだった。そして今も、テーブルに肘を付いて酒の変わりにコーヒーを飲みつつ、雨が窓に打ち付ける様子をぼんやりと眺めていた。
と、不意にテーブルを何かが滑ったのが捲簾の視界を掠めた。意識をこちらに戻してテーブルに視線をやると、捲簾の肘の直ぐ側にマルボロのソフトケースが転がっている。先ほどまでは無かったそれに首を傾げていると、三蔵は捲簾を見もせずに新しくくわえた煙草に火を点けた。煙草を置こうとして手が滑ったのかと疑問に思いながらも煙草を三蔵に渡そうと手に取ったその時、三蔵が火を捲簾に差し出した。
……これは吸えってことか?
どう見てもそういう態度だが、今の自分は見た目は完全に子供である。まさかな、と、思いつつ捲簾が笑った。
「ガキに煙草か?」
しかし、その言葉に三蔵は表情一つ動かさずに言った。
「ガキなのか?」
驚きに捲簾が目を見開く。昼間のチャクラの話から何かを感じていたような気はしたものの、よしんば天界人だと判断するくらいで、まさかそれが年齢にまで及ぶとは思っていなかった。しかし、三蔵は正しく捲簾が見た目通りの歳では無いと判断したらしい。
へぇ……。
感心しつつ苦笑すると、捲簾は慣れた手つきで煙草を一本くわえ、火へと顔を寄せた。すうっと空気を吸い込んで火を移す。そして、紫煙を薄暗い天井へと吐き出し、目を閉じた。
「うめぇな」



悟浄が風呂から部屋へのドアを開けるのと、三蔵が席を立つのはほぼ同時だった。
「あ?」
間の抜けた声で聞いた悟浄の前をスタスタと三蔵が歩いて部屋を出ていく。悟浄が風呂から上がったのならもう自分はお役御免だと言わんばかりの態度に、悟浄は思わずぽかんと扉が閉まるのを見守ってしまう。そして、パタンという乾いた音を聞いてようやく、捲簾の面倒を見るのを放棄されたことに気付いた悟浄は、舌打ちするとタオルを首にかけたまま部屋へと戻ってきた。そして、冷たい水でも飲もうと冷蔵庫に向かう途中テーブルの上の吸い殻の量に怪訝そうな顔をし、捲簾がくわえている煙草に気付く。
「…………風呂入れよ」
「おー」
吸うなとも言わないまま、早く寝ろとでも言うような冷蔵庫を開けつつの悟浄の台詞に適当な返事を返し、捲簾は最後にもう一度煙を吸い込んでから煙草を灰皿に押し付けた。そして、久々なせいか身体が小さいせいか、何時もよりクルなぁと思いながら、悟浄と交代で風呂へ向かった。



外に出ていなくても風呂に入るとさっぱりして気持ちがいい。普段は公衆浴場で大人数だったり、軍の寄宿舎のシャワーだったりする捲簾は、狭いながらも部屋付きのしかも浴槽付きの風呂にご満悦だった。先に悟浄が入っているので気兼ねすること無くのんびり浸かれる。と言っても実際はそんなに長くは入っていなかったりするが、のんびり出来ると思うだけで気分が違うのだ。上機嫌で思わず風呂掃除まできっちりして風呂から上がると、先程まで捲簾が座っていた椅子に座った悟浄は酒を飲みながら窓の外をぼんやり見ていた。何を考えているのか何も考えてないのかは解らないが、その表情はとても不機嫌そうである。普通なら無表情になる場面だろうにと考えた捲簾はふと思った。
そーいや、コイツの無表情な顔って見てねぇな。……感情表現豊かなヤツ。
声を出さないまま笑うと、捲簾のことなど見ていなかった悟浄が気配を感じてジロリと捲簾に視線を向けた。
「ンだよ」
疑問の台詞なのに、疑問形ではない言い方で吐き捨てた悟浄に、堪えきれず捲簾が肩を震わせて笑う。
「いや、見張りなのに酒飲んで良いのかよ?」
あからさまに違う言葉を紡げば、悟浄は無言で捲簾を睨み付けた後視線を酒瓶に向けた。その反応に捲簾が笑いながら冷蔵庫を開ける。水でも飲もうと冷えたペットボトルを掴むと、捲簾を見ないまま悟浄が口を開いた。
「保護者様まで手懐けたってか?」
「……保護者?」
誰のことか解らず捲簾が悟浄を見たが、悟浄は相変わらず捲簾に視線を向けもしない。
保護者って誰のことだ? 八戒? いや、それにしちゃ言い出すタイミングが。てか、誰の保護者だ? ひょって悟空の? てことは、三蔵のことか?
と、悟浄が自分の煙草をくわえて火を点けた。
「ガキが煙草なんざ早ェんだよ」
「……」
ガキね。
捲簾は肩を竦めると、ペットボトルを開けて飲みながら自分のベッドに座った。
悟浄の言葉はもっともだ。普通の大人ならそう言うだろう。けれど、捲簾には腑に落ちなかった。
そういうことを気にするタイプにゃ見えねぇけどな。
悟浄は、子供だからとか、女だからとか、そういう理由で煙草はダメだとか酒は止めとけなんて言うタイプには見えない。自分がそうだからと言う訳ではなく、今までの会話からそう思う。むしろ、秘密だとか言いながら勧めそうだ。だとしたら、何か他に理由でもあるのだろうか。
そこまで考えてふと、先程の悟浄の言葉を思い出した。『保護者まで』という言葉。『まで』と言うことは三蔵だけでは無く悟空もと言うことになる。
悟空、か。
てかコイツ、悟空に対する態度と他の二人に対する態度が全然違うよな。
チロリと視線だけで不機嫌そうに酒を飲んでいる悟浄を見る。三蔵や八戒と話しているときは年相応で、落ち着いてる一面や一歩引いて眺めているような時もあるのに、悟空の前では同じレベルと言うか、妙に子供っぽい。悟空に合わせているとも考えられるが、それともどこか違う気がする。
首を捻ってみても解らないものは解らないので、捲簾はもう一口水を飲んでから、立ち上がって悟浄が放置していたタオルを拾って脱衣場に持って行った。捲簾の事を本当に嫌いだとか嫌だとかならそういう行動にも口を挟みそうなのに、こういう時悟浄は無言で勝手にさせておく。
同じ魂のハズなのに、意外と考えてることが解んねぇモンだな。
同じ魂と言うことは、自分だと言っても良いくらいなのだろうに、捲簾には悟浄の考えていることがサッパリ解らなかった。正直、天蓬の方が解りやすいくらいだ。結局は同じ人間では無いということなのだろう。
脱衣場を出ると、窓に向かって飲んでいる悟浄の背中が目に入った。古ぼけた照明のせいでぼんやりと発光してるような髪に、捲簾が目を細めた。
「何?」
振り向きもせずに悟浄に問われて、捲簾は内心感心した。気配は消していなかったものの、足音なんて立ててはいない。同じ室内に居たのだから、というか脱衣場と今立っている場所は1メートル程しか違わないのに、視線に気付いたらしい。
捲簾は楽しそうに口元を笑みの形にすると、室内に戻ってきてベッドに座った。
「キレイな赤だと思ってよ」
その言葉に、顔をしかめた悟浄が視線だけで捲簾を見る。その反応だけで捲簾には何となく解ってしまった。悟浄にとって、その髪の色が決して良いものでは無かった事に。
……そりゃそうか。
人間と妖怪のハーフだとして、親が大恋愛の末の待望の子だなんてこの桃源郷でも余り無いだろう。基本的に人間より妖怪の方が強い。禁忌の子は大抵は妖怪が人間を弄んだ結果な事が多いと聞いたことがある。それでも、出来にくいことは確実で、滅多に産まれる事は無いが。悟浄がどんな状況で産まれ、育ったかは解らないが、先程の反応で少なくとも望まれ、愛された子供で無かった事は明らかだった。
と、悟浄が身体を捲簾の方に向けた。
「何に見える?」
背凭れに身体を預けた悟浄が捲簾を威圧するように笑う。返答によってはただでは済まさない態度だが、捲簾は全く気にした様子も無くペットボトルのキャップを捻った。
「そうだなぁ。炎にも見えるケド」
その言葉に悟浄が驚いたように目を見開いた。けれど、その反応にも興味を示さないまま捲簾は言葉を続けた。
「けど、やっぱ酒かな」
「は?」
「だから酒。赤ワインに似てね?」
「…………ワイン」
何とも言えない顔で思わず半目になった悟浄に、捲簾が吹き出した。それにますます何とも言えない表情になる悟浄に、声を出して笑ってしまう。
嘘だよ、酒なんかなワケが無い。教えてなんかやらねーけど。
不貞腐れる悟浄を見ながら捲簾は目を細めた。
キレイな鮮やかな赤。その赤はまるで―――。



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