花に嵐、舞い散れ祷(いのり)

第八話


例によって、今日も朝からノックもなくドアが開いた。
「おっはよー! 捲簾!」
「ハヨ」
悟空に笑って挨拶を返した捲簾は、既に身支度を整え今日は椅子に座って本を読んでいた。
「何読んでんの?」
「八戒に借りたテキスト」
「テキスト?」
「通信講座『催眠術(初級)〜他人の操り方〜』」
「…………」
八戒はどこに向かっているのだろうと悟空がなんとも言えない表情になる。それに苦笑して、捲簾はテキストを閉じ机の上に置いた。
「朝飯はまだだろ? どしたよ」
「ん〜? 別に何も無いんだけどさ」
「うん?」
「なんか、捲簾と話したいなって」
「そっか」
「うん!」
ニコニコ笑う悟空に、無条件に懐かれているのを感じ、捲簾もふんわりと微笑んだ。まるで捲簾がよく知っている悟空のようなそれは、この悟空が何も覚えていないとしても、どこかに自分の……自分達の存在が刻まれているのだということの証のようだと感じて。そしてそれが、決して悪いことでは無かったのだと言っているようで。
「なぁ、捲簾。昨日三蔵と何話したの?」
「んー? 特に何も。何で?」
「上手く言えないんだけどさ、なんか三蔵変わったなーって思って」
「変わった?」
「昨日部屋に戻って来てから、なんか違うなってカンジして?」
「えーと……そうなんだ?」
「うん。そうなんだよ」
話が漠然とし過ぎていて良く解らない捲簾が適当な相づちを打つと、悟空は大きく頷いた。解らないまま話が進んでしまいどうしようかと捲簾が思ったとき、盛り上がってるベッドからはっきりしない声が響いた。
「だから……っせぇっつーに……」
すっかりその存在を忘れていた二人が同時にそちらを見ると、不機嫌そうに顔をしかめた悟浄がちょうどベッドの上に起き上がったところだった。そう言えばと思って捲簾が時計を見ると、時刻は相変わらずまだ7時前だ。と、今日は引く気の無いらしい悟空が捲簾の向かいの椅子に座りながら、悟浄に言った。
「いい加減慣れろよなー。ってか、ねーちゃんと遊べなくてたまってんじゃねーの?」
「うっせ」
悟空の言葉に不貞腐れたような顔で悟浄はそのまま黙ってしまう。それを良いことに、悟空がテーブルに肘を着いて、捲簾の方へと身を乗り出した。
「さっきの八戒のテキスト、捲簾読めんの?」
「そりゃ読めるさ」
「結構難しい字とか出てこねぇ? 捲簾学校とか行ってんの?」
「昔な。読み書きは普通に出来るぜ」
「昔?」
「あ……。えーと、お前はどうなんだ?」
つい素で答えてしまい、しまったと思いつつ、捲簾は質問を反らそうと逆に悟空のことを聞いてみた。どうにも、悟空相手だと誤魔化しにくい。
「俺? 俺は学校とかは行ったことないんだけどさ。前は三蔵とか八戒が教えてくれてた!」
「八戒が?」
「うん。家庭教師みたいな感じで、三蔵のとこに来るついでに俺に勉強を教えてくれたんだ」
「アイツがねぇ」
八戒がと言われれば違和感は無いが、八戒は天蓬であると考えると違和感があり、捲簾は怪訝そうな声を出した。が、そういえば天蓬もひらがなは教えていた気がするなと思い出す。
「てか、お前らってどういう関係なのよ?」
「友達!」
「そりゃ解るわ。共通点とか無さそうなのに、どうやって知り合ったんだ?」
「ん〜、三蔵がうるせぇっつって俺を見つけてくれて、悟浄が八戒を拾って、んで三蔵の仕事で二人と会ったんだ」
「へぇ」
良くは解らないが、偶然か必然か、見えない糸に導かれているのかどこか不思議な気がして捲簾は目を細めた。
「三蔵は坊主だよな?」
「うん! さいこーそーって言って桃源郷で一番偉い坊さんなんだって」
どこか自慢気に、嬉しそうに悟空が言う。それに苦笑して、捲簾は更に質問を重ねた。誤魔化しにくいなら、最初からこちらの話題にしなければいい。
「八戒は多趣味っぽいけど何か仕事してんの? 旅に出る前とか。お前のカテキョしてたってこと教師とかしてたり?」
「アルバイトで塾の先生とかはしてたよ。あとは悟浄の世話とか」
「世話って……」
複雑な気持ちになりながら反芻すると、悟空は何でもないことのように言葉を続けた。
「悟浄ゴミの日も知らなくてさー、だから八戒は悟浄のトコに住むことにしたんだって三蔵か言ってた!」
「なんだそりゃ」
いったい来世の自分は何をしているのかと、捲簾の目が半目になる。が、もしかしたら仕事が忙しくて家事をやる時間が無かったのかもしれないと思い直し質問してみた。
「悟浄は何の仕事してたの?」
「なんもしてない」
「は?」
「悟浄は毎日賭場で女の人と遊んでた!」
それは良く言えば賭博師、悪く言えばただのクズなんじゃ……と捲簾がなんとも言えない表情になる。二人とも自分より若いとは言え良い歳であることに変わりはない。他人の生き方に口を出す気は無いが、それでもそれが来世の自分だと思うとなんとも言えない。女遊びについては捲簾も言える立場でもないが。まぁ、それで生計を立てられてるならそれもアリか? 楽しいのは最初だけで直ぐに飽きちまいそうだけどなぁ。
と、悟空がちらりと視線を流して首を傾げた。
「へんなの」
「?」
悟空の視線の先にはベッドベッドに凭れ無言で不機嫌そうに煙草をふかす悟浄の姿がある。先程の会話で拗ねていたので捲簾はその光景に特に違和感を感じていなかったのだが、悟空は違ったようだ。
「なんかあったの?」
コッソリと身を乗り出して悟空が捲簾に聞いた。しかし、特に心当たりも無い捲簾は肩を竦める。
「なんもねーと思うんだけどな」
「ふーん」
捲簾の言葉を疑うでもなく悟空は首を傾げている。その様子に捲簾も首を傾げた。
「なんで?」
「んー」
少しだけ思案した悟空が、机に張り付きながら捲簾に言った。
「悟浄さ、普段は隠し事とかしねーんだけど、本当に大事な事は誰にも言わないんだ」
意外なその言葉に捲簾が目を丸くする。
「そんで、黙って一人で居なくなったりさ。あれでスゲェ優しいっつーか……。ま、今は不機嫌そうだからイイケド」
「不機嫌でイイのか?」
「悟浄は、思い詰めてるのを気付かせないように普通にしてる時の方が危ないから。つかさ、水臭いよなー。何のために俺らが一緒にいると思ってんだか」
「……仲イイんだな」
眩しそうに目をすがめた捲簾に、悟空はキョトンとする。そして笑った。
「だって仲間じゃん!」
―――ああ……。
涙を堪えて捲簾は笑った。言葉にならない感情が胸に溢れて、手を伸ばし悟空の髪をかき混ぜるように撫でると、悟空は一瞬驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに笑った。
そうして二人で少し笑いあった時、それがふっと捲簾の頭に浮かんだ。
あれ、もしかして……?
確認しようとチラリと視線を流せば、不機嫌そうな悟浄が睨み付けるようにこちらを見ている。
ちゃんと見ているのを確認した捲簾は、手を伸ばして悟空を引き寄せ、そのまま抱き締めてみた。その瞬間悟浄が弾かれたように顔を上げる。
「ッにしてんだテメェ!!」
力任せに引き剥がされて、捲簾の身体が宙に浮いた。
「バッ……!」
目を見開いた悟空が叫んだ瞬間、捲簾の身体が部屋の隅にあった棚に激突して床に転がる。
「何してんだよ悟浄!!」
慌てて悟空が捲簾に駆け寄った。投げた悟浄の方もカッとなっていたとはいえ、そこまで力を込めたつもりも無かったのだが、捲簾の体重が思いの外軽かった為に吹っ飛んでしまい咄嗟に声が出ない。
「ぅ……」
「捲簾ッ! 大丈夫!?」
「ん、ヘーキ。大丈夫」
さすがに衝撃が強くてすぐに動き出すことは出来ないが、ぶつけた痛み程度でどこか折れたり痛めたりはしていない感触に、捲簾は悟空に笑って見せた。その様子に悟空は深く安堵の息を吐くと、勢い良く悟浄を睨み付けた。
「何してんだよ! バカ河童!」
「あ……いや、そんなつもりじゃなくてな?」
「そんなつもりもこんなつもりもあるかよ! 捲簾が怪我してたらどうするつもりだったんだよ!?」
その言葉に狼狽えていた悟浄の顔色が変わる。
「ンだよ、捲簾捲簾って! そんな胡散臭ェガキなんざ知るか!」
「ふざけんな! 捲簾は胡散臭くねぇし、ただの子供じゃねぇか!」
「ただの子供だぁ!? 敵かもしれねぇヤツに懐いてんじゃねぇよ!!」
「敵じゃねーっつーの! 何で信じねぇんだよ!」
「コイツのどこが信じられるってんだよ!」
「全部だッ! 捲簾は嘘なんか吐かない!」
「〜〜〜〜ああそうかよッ! 悪かったな!」
叫ぶと同時に悟浄が部屋の扉を破壊する勢いで部屋を出ていく。
開いたままの扉をしばらく睨んでいた悟空は、一度大きく息を吐くと、打って変わった心配そうな顔で捲簾を見た。
「本当に平気? 痛いとことか無ぇ?」
「折れてる感じはねぇから大丈夫だよ」
耳が有ればぺたんとしているだろうくらいしゅんとしている悟空に笑って見せると、捲簾は悟空の頭を撫でた。
「まぁ、全身ぶつけて痛ェけど直ぐ治るんじゃね?」
その証拠に先程までより身体は言うことを聞くようになっている。棚に掴まりつつ自力で立ち上がると、もう一度悟空が言った。
「ゴメンな。悟浄もいつもは子供に手ェ挙げるようなヤツじゃねーんだけど……」
「だーかーら、平気だっつってんだろ!」
悟空の髪をグシャグシャと思い切りかき混ぜると悟空が驚いたようにジタバタする。抵抗したいのだろうが捲簾を気遣ってか、押し退けたりはしない悟空の優しさに優しい笑みが浮かんだ。
「―――ま、ある意味自業自得だしな」
「へ?」
「イヤ、こっちの話」
きょとんとした悟空が口を開こうとした時、開いていた扉から八戒が顔を覗かせた。
「凄い音がしましたけど、何かあったんですか?」
「聞いてよ、八戒! 悟浄が―――」
「ふざけてたら足がもつれてコケちまってよ」
「捲簾ッ?」
反論したそうな悟空を視線で黙らせて捲簾はまた椅子に腰掛けた。そんな二人の様子に八戒が怪訝そうに眉をひそめる。
「それにしては大きな音でしたが?」
「丁度そこの棚にぶつかっちまったからそのせいじゃね?」
「……ところで悟浄はどうしました? 姿が見えませんけど」
「えっと……」
馬鹿正直に狼狽える悟空はそのままに、捲簾はしれっとして嘘を吐いた。
「俺が使いっぱしりにした。アイス食いてーっつって」
その嘘にのっていいのか悪いのか解らない悟空がキョロキョロしてるのも気にせず捲簾がのんびり八戒を見ていると、彼は諦めたように溜め息を吐いた。
「……そうですか。もう朝御飯なんですから間食は程々にしてくださいね。それと、宿の迷惑になりますから余り騒がないように」
「ヘーイ」
「じゃ、そこを片付けたら下の食堂に来てくださいね」
「リョーカイ」
深くは追求すること無く去っていった八戒に、悟空が心底ホッとしたような声を出した。
「はーっ、ビビったぁ。悟浄いねーし、絶対八戒キレると思った」
「ハハ」
切れちゃいねーが、全部バレバレだとは思うけどな。
八戒が敢えて追求せずにいてくれた事に捲簾は気付いていた。だからといって折角騙されたフリをしてくれているのに何で?なんて聞いてやぶ蛇するつもりもないのでそのまましらをきり通したが。それに本気で気付いてないのは悟空くらいなものである。単純と言うか素直と言うかは難しいところだが。
「ま、片付けて飯行くか」
「おー!」
棚にぶつかったせいで、飛び散っていた中身を悟空が拾い棚へ戻していく。割れるような物がなかったのは幸いである。
悟浄の過剰な反応は捲簾の読みを肯定してるようなものだ。
自分がやったわけでもないのに捲簾を気遣って手伝えとも言わず素直に片付けている悟空を見ながら捲簾は肩を竦めた。
多分、悟浄はコイツが―――悟空の事が好きなのだ。



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