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貴方の腕で抱き締めて

【 act5】



自分の立場と言うものがある。
相手との関係性における自分の立場。
それは友達だったり家族だったり恋人だったりするけど、俺と捲簾の場合は恋人同士だ。一応。
今まで本気で他人と付き合ったコトなんて無いから、恋人同士が普通どんな風にしてるのかは良く解らないが、今の俺達の関係は何か違うんじゃないかとは思う。
捲簾のコトは何も知らない。
ほとんど会えない。
好きだと言ってはくれる。
けど、そんなのリップサービスでいくらだって言える。
セックスだって、男に抵抗が無くて本命だけってタイプじゃなきゃいくらでもできる。
俺みたいに。
俺は女だけだったけど。
簡単に好きだと言った。
好みだと思えば言葉遊びのように口説いた。
気が向けばセックスだってした。
こういうのも自業自得ってゆーのかな。
捲簾がしてることはそのまんま俺がしていたことだ。
相手の気持ちなんて考えてなかった。
捲簾に聞きたい。
教えてくれないコトとか、ホントは俺のコトどう思ってるのかとか。
けど聞けない。
怖いんだ。
秘密にされるのも、遊びだって言われるのも、……これで終わりだって言われるのも。
母さんを見て解ってたハズなのにな。
他人を好きになるなんて苦しいだけだって。
ああ、そっか。
本当に自業自得か。
俺が、あの人たちにしたことが、返ってきてるだけ、か。



忙しいと言っていた捲簾の言葉通り、最近捲簾からの連絡は少ない。だけど、天蓬からの連絡は相変わらずだ。二人は同僚だと聞いてはいるけど、同じ部署なのかとか、同じ仕事をしているのかとかそういうことは知らなくて。別の仕事をしているなら捲簾は忙しいけど天蓬は暇なことだってあるのだろうというのは解る。それでも昼はいつも一緒みたいだけど。
スマホを眺めながらぼんやりとしていると不意に頭を殴られて、俺は勢いのまま机に突っ伏してしまった。
「あ、悪ィ!」
「テメッ、何しやがる!?」
勢い良く振り返って頭を殴った相手――悟空を睨み付ける。すると悟空は悪びれもせずに笑って頭を掻いた。
「いやぁ、まさかこんなにキレイに決まるとは思ってなかったからさぁ」
「…………」
確かに普段ならあんなにキレイに殴られることは無い。どんだけぼんやりしてたんだよって話だ。バツが悪くなって黙った俺に拍子抜けした顔をして悟空が隣に座る。
「でもよ、こんなトコでボーッとしてんの珍しくね?」
悟空が言うことは最もだ。何せここは俺の仕事場の待機室だからだ。つか、それよりも。
「なんでオマエここにいんの?」
悟空は三蔵のトコの子だ。いや、三蔵の子供なワケでは無いが。三蔵は確かにこの店のマネージャーだが、コイツはまだ高校生で裏方としてバイトをしているわけでもない。それにまだ20時。三蔵と待ち合わせて帰るにしても早すぎる。
「友達と遊んでたら雨降ってきたんだけど傘持ってなくてさ、ダメ元で三蔵に電話したら、ちょうど話を聞いてて暇だったらしいおばさ……じゃない。店長に連れてこられた」
「げ」
悟空の回答に俺は慌てて立ち上がった。ヤバい、店長にこんなトコ見られたら……。
「どこにいくんだ? なぁ、悟浄」
するりと肩に腕が回り、耳元でやさしぃく囁かれて、俺は完全に硬直した。
「そ、そろそろ店の方に行こうかなっなんて?」
「そうかそうか。そりゃあ良い心掛けだ。で、その前に一つ聞かせてくれないか? オマエ今までここで何してたんだ? ん?」
目が、目が全ッ然笑ってない!
この店長は生物学上女であるが、中身はこれ以上無いほど男らしく気性も激しい。例え客がいなかろうが身内が死のうが勤務時間中に仕事をしていないなんてのは言語道断だ。見逃してくれる時も無い訳じゃないが、客がソコソコ入ってきてる今の時間に無罪放免なんてことはあり得ない。
「えーっと……」
冷や汗が背筋を伝う。ヤバい。誤魔化すどころか言い訳すら浮かばない。沈黙してる俺に焦れたかのように肩に回されてる腕に力が入ってきた。このままじゃ首を絞められてしまう。
と、その沈黙を破るように俺のスマホがメール着信の音を立てた。思わず視線を画面に流すとそこには『捲簾』の文字。鼓動が跳ねて、慌ててスマホに手を伸ばそうとしたが、出来なくて気付いた。店長に拘束されてるといういう事実に。
「いい度胸だなぁ? 悟浄」
思わず悟空も後ずさる程の低音に、目が泳ぐ。もう、頼むから、怒るなら怒ってくれ! 給料減らしてくれてもいい! だからここから解放してくれ! 半泣きになった俺を拘束したまま、店長の視線が俺のスマホに流れた。
「捲簾って、あの捲簾か? いつの間に親しくなったんだ?」
「あのってなんだよ」
「Lunaのホストじゃねぇのか? お前の客と女をかっさらってった男前だろ?」
なんでそこまでバレてんだ。客と女の話は一部の同僚くらいにしか話してな……三蔵だな。あのヤロウ。
と、首に回っていた腕がいきなり襟元からシャツの中に忍び込んできて、俺の胸を撫でた。
「ッ!?」
とっさに身の危険を感じて(店長は女だが、なんか犯されそうな気がする)飛び退こうとした俺を、胸に触れている腕一本で阻止した挙げ句、店長は俺の耳元で愉しそうに囁いた。
「そーいやオマエ最近恋人出来たんだったよなぁ」
なんで知ってんの……。つか、なんで今その話題出たの。まさか……。
「可愛がってもらってんのか? ニャンコちゃん」
……ぜってぇ、全部バレてる!!
捲簾と付き合ってんのも、セックスまでしてるのも、俺が抱かれてんのも全部! なんで!? 恋人が居るのはみんなに言ってるけど、相手が捲簾だなんて八戒にしか言ってねぇのに!
動揺してうろうろと泳いだ目にきょとんとしている悟空が映って更に動揺する。ここはみんなが使える休憩室で、そして今は店長と二人きりじゃあない。つまり、下手なことを言えば悟空にまで全部バレると言うことだ。
「な、なんのこと?」
下手な嘘は承知の上だ。もうこの際悟空にバレなきゃなんでもいい。そんな俺の思考を正確に読み取ってくれたらしい店長は、ニヤリと思わせ振りな笑みを残し、俺から手を離した。
「せいぜいバレねぇように頑張るんだな。一応商売敵だ」
ひらりと手を振って店長は部屋を出ていった。商売敵って、バレねぇようにって、とりあえずは見逃してくれるってことだろうか。うわー、そこまで考えてなかったわ。確かにバレたら店での俺の立場まずくなりそ……。
「悟浄」
店長を見送ってしまった俺に、店長を追おうとした悟空が俺を見て首を傾げた。
「恋人できたの?」
「ああ、まぁ……」
そこだけなら否定することも無くて頷くと、悟空がにぱっと笑った。
「そっか! 良かったな!」
屈託のない笑みと共に告げられた言葉に思わず目を丸くした俺には構わず、悟空はそのまま店長を追って部屋を出ていってしまった。呆然と二人を見送った俺は、しばし立ち尽くしてしまう。
けど、なんか急に笑えてきた。休憩室に俺一人なのを良いことに思わず声を出して笑ってしまう。アイツはホント、なんかもう素直って言うかなんて言うか。あんなだから三蔵と長く付き合えるんだろうな。真っ直ぐで純粋で。
二人が出ていって開いたままのドアに、届かない事は承知で呟いた。
「サンキュ」
少し気分が軽くなって、店に行こうとテーブルのスマホを手に取る。仕事中に鳴らすワケにはいかないからマナーモードにしようと画面を表示させたら、お知らせに新着メール1通のメッセージ。そう言えばさっきの捲簾のメール、なんだったんだろ。それだけ見てから店に行こう。歩きながら片手でスマホに触れてメールを表示させる。
『仕事の関係でしばらく会えない。悪ィ』
いつも通りの用件のみの簡潔なメール。ただ一言、それだけのメール。
思わず足を止めてスマホを見つめた。
「……そっか、ホントに忙しかったんだ」
俺に会う時間も取れないくらい、忙しかったんだ。だからきっとこの間の言葉は嘘じゃなかったんだ。疑う必要なんて無かったんだ。
……けど。
「んなコト言ってなかったクセに」
俺と会う時間は取れるって言ったクセに。
……仕事だから仕方ないって解ってる。急に忙しくなることだってあるって、解ってる。頭では解ってるんだ。それでも、不安でたまらなくて。
もしも距離を置かれたんだったら? 俺に飽きたんだったら? もう、会えなかったら……?
これだけのメールじゃ本当のコトなんて何も解らない。
「おい、悟浄。ここに居たのか」
「三蔵……」
開いたままのドアから姿を現した三蔵が仏頂面のまま俺を見る。
「仕事中は店にいろっつってんだろーが。指名だ」
顎で店の方を示して、俺に説教したくせに自分は休憩する気らしく三蔵は煙草を懐から取りだしながら休憩室に入ってきた。立ち尽くしてる俺の横を抜け、椅子を引く音の後椅子に腰かける音が響く。店に行くことも、振り返ることもできずにスマホを見ている俺に、三蔵が笑った。
「イイ面してんじゃねーか」
三蔵が敢えて言うくらい酷い面をしているんだろうことは解ったが、俺は何も言えずにそのまま休憩室を出た。
頭ん中がぐちゃぐちゃだ。言いたいコトとか聞きたいコトとかが溢れて、今にも喚きだしてしまいそうなくらい苦しくて。
もう何も考えたく無い。
会えない理由も、何も話してくれないことも、……捲簾のコトも。
こんなに苦しいなら、……いっそ捲簾と出会わなければ良かった。
そこまで考えたところで、俺は思わず足を止めた。
…………違う。そうじゃないだろ。
「ダッセェ……」
出会わなければ良かったなんてこと、無いだろ。捲簾に出会わなければ知らなかったことも、捲簾と出逢えて嬉しかったことも、幸せだったことも、無かった方が良かったなんて無い。
「俺ってこんなに弱かったんだなぁ……」
思わず苦笑して、両手で髪をかきあげると、その手で両頬を一つ叩いて気合いを入れる。
「うしっ」
迷うな。ただ信じろ。俺が、捲簾を好きなんだから。
何も無い空間を睨んで、営業用の顔を作って、俺は店への扉を開けた。



「遅かったのね、悟浄」
「ゴメン。ヤボ用が終わんなくてさ。早く会いたかったんだけどな」
なんだっけ、この女の名前。名字は『中島』だったけど、確か下の名前で呼んで欲しいって言ってた。そう、確か……。
「明里さん、いらっしゃい。会えて嬉しいぜ」
女の隣に座りながらテーブルの上を確認する。やっすいボトルが一本と、プリッツの入ったグラスが置かれているだけだ。金で差別する気はあんまねぇけど、少しばかり寂しいテーブル。一人だから余計にそれが目立つのかもしれない。
明里さんは、最近ウチに通い始めたOLだ。最初は友達につれられて嫌そうにしていたのを覚えてる。もう来ないだろうと思っていたところ、すぐ次の日に再来店して驚いた。大人しめの物静かな、ぶっちゃけ少し暗いタイプでナゼか俺を気に入っているらしくいつも俺を指名してくれるのだ。入れるボトルはいつも同じで一番安いヤツ。それを薄く作って飲んでいるところをみると、本人は酒に弱いからだと言ってはいるが本当は稼ぎが少ないんじゃないかと思ってる。実際ただの独り暮らしのOLでホストクラブ通いできる人間なんて稀だろう。そのわりに週2程度の頻度で通ってるところを見ると、少し心配になる。時々いるんだわ。真面目なタイプの女でコロッといってホストクラブ通いしたあげく、貯金を崩すだけじゃ金が足りなくなって借金するヤツが。
「ねぇ、悟浄。新しいの作って貰える?」
「ハイよ。っと」
持ち上げたボトルの軽さに驚くと、彼女はなんだか嬉しそうに笑ってウェイターを呼んだ。え、なんで? 酒を注文するだけなら俺に言えばいいのに。つか、なんで嬉しそうなんだろ。普段なら険しい顔っつーか、少なくとも嬉しそうにはしない。
ウェイターが席に来ると、彼女はニコニコしながらメニューを持ってきて欲しいと頼んだ。
「メニュー?」
「そう。私いつも同じのだったから、何があるのか解らなくて」
珍しい。違うの頼む気なんだ。
ウェイターが持ってきたメニューを開いて見えるようにテーブルに置けば、なんだか楽しそうに覗き込む。その様子だけ見てればかわいいと言えなくも無いが、今はなんだか違和感しか感じない。口を挟むことも無く隣で眺めていると、ページをめくっていた手が止まった。このページのにするんだろうか。けど、そのページって、普段の10倍くらいの価格だ。
「何かイイコトでもあった?」
本人のプライドを傷つけてはいけないので驚きを隠したまま囁けば、彼女は頬を赤らめてはにかんだ。
「ええ。臨時収入があったの。だから、ね。この中で悟浄の好きなのあるかしら?」
臨時収入、ね。頼むモノの金額からいって、きっとボーナスなんかより多いんだろう臨時収入。それでも、それ以上突っ込んで聞けるわけも無い俺は、ページの左中段の酒を指で示した。ページの中でも比較的安目のワイン。
「コレオススメ。白なんだけど、甘めで口当たりいいぜ」
「じゃあそれにするわ」
躊躇もせずにニッコリと笑って彼女はメニューを閉じた。臨時収入はどうやらマジらしい。つか、なんの臨時収入なんだか。宝くじとかならイイんだけど。
ウェイターにワインを頼めばすぐにグラスと共にワインのボトルが運ばれてくる。
「このラベル可愛い」
ニコニコしながら話す明里さんに促されてワインの栓を抜き、グラスに注ぐ。ワインはウイスキーなんかと違って薄めたりはしないから、表示された量がそのまま飲める量だ。なんかスゲェ違和感。今までならワインなんて絶対に選ばなかっただろうに。一応二つのグラスにワインを注ぎ入れれば、明里さんは片方のグラスを手に取りニッコリ笑って俺の方へ少し傾けて見せた。静かにボトルを置いて、俺もグラスを取り軽く明里さんのグラスに触れさせる。
「乾杯」
営業用スマイルで囁いてグラスに口をつけると、同じようにグラスに口をつけた明里さんはすぐにふんわりと笑った。
「美味しいわ」
一応気に入って貰えたようでなによりだ。明里さんみたいに普段金で酒を選んでいる客に酒を選ぶのは、味の好みが解らないから中々難しいから。
「そう言えば、恋人さんは元気?」
「ん? 多分元気よ」
「多分?」
「最近仕事が忙しいみたいで、あんまり会えなくてサ」
客の前で沈んだり悲壮感を漂わせたりましてやグチるなんてことが出来るハズもなく、肩を竦めておどけてみせたが明里さんはあからさまに顔をしかめた。
「酷い恋人ね。寂しく無いの?」
「そりゃ寂しいけどさ。仕事だし仕方ねぇって」
詰め寄らんばかりの勢いに引きぎみになりながらも、身体が下がるのは気合いで堪えて笑えば、明里さんは俺の手を両手で包み込み上目遣いで俺を見た。
「我慢しなくていいのよ? ……ねぇ、悟浄はどうしてそんな人と付き合ってるの?」
「なんでって、そりゃ好」
「私、今の悟浄の恋人は悟浄には合ってないんじゃ無いかと思うの」
なんだそりゃ。
「だって、恋人だったらいつでも一緒に居たいものじゃない? 私だったらそう思うわ。私なら悟浄にこんな寂しい思いなんてさせないし、いつでも貴方の傍に居るわ。仕事なんかより悟浄の方が大事よ、当たり前じゃない」
「…………」
「ね。そんな人とは別れて私と……」
「ゴメンな。でも好きだから」
握られていた手を少しだけ強引にほどいて、次を避けるようにそのままその手でグラスを握る。琥珀色の液体をゆっくりと口に運んで一口飲み込む。どうしたらこの場を切り抜けられる? 彼女の狂ったような恋愛感情から。冷静になろうとする意識の端に、アノヒトの影が浮かぶ。狂った歯車の恋愛感情が、少しだけ怖い。
視線の端で明里さんは触れていたものが無くなった手をきゅっと握り、視線をグラスに流した。
「コイビトサンって、どんな人なの?」
「どんなって……えーと、年上」
「年上のどんな人?」
「優しいヒトだよ」
「本当に優しかったら悟浄を独りぼっちになんてしないわ」
……困ったな。
「俺のコトよりさ、俺は明里さんのコト知りたいんだけどね」
グラスを置いて肩にすりよってみるけど、明里さんは少し表情を緩めただけで視線はグラスに向けたまま話を続ける。
「大人っぽい人? 髪は長いのかしら?」
「……大人な人。髪は短いケド」
「きっとモデルさんみたいな人よね。スラッとした背の高い方かしら?」
「そーね。細身だけどガリガリってワケでも無くて、背は高いな。そんで姿勢がスゲェイイの。なぁ、そんなコトより」
「お仕事は何してるの?」
なんでこんなにシツコイんだろ。しかも取りつく島もない。
「なんでそんなコト知りたいの?」
低い位置にある頭を覗きこんで問えば、明里さんはグラスから俺に視線を向けてひたりと視線を合わせた。
「聞いてるのは私よ?」
真っ直ぐな瞳。けど、どこか狂気を孕んだ色。これは言っても無駄そうだ。
「これ以上はヒミツ。なに? 俺の恋人発言疑ってんの?」
身体を離して座り直し、グラスの中身を飲み干す。
「そうじゃないけど。ねぇ、どうして答えられないの? 私はお客様なのよ?」
「客なら何しても良いわけじゃねぇよな?」
きっぱり言って笑みを消しじっと見れば、彼女は不快そうに眉を寄せ強い口調で言った。
「貴方ホストじゃないの? なによ、その態度! 次からもう指名しないわよ!?」
「別にイイよ。つか、次からじゃなく今から変わるよ」
さっと席を立ち、後ろで何か喚いているのを無視して近くにいたウェイターにヘルプを頼みそのまま奥へ引っ込む。こういう場合相手の目の届く範囲にいたらパフォーマンスの意味がない。その辺は三蔵も解ってくれているので誰に断ることも無く一気に休憩室まで行き、椅子にどっかりと座り込む。折り畳みの柔な椅子が嫌な悲鳴を上げたが気にする余裕は無かった。
イライラする。なんなんだ、一体。
内ポケットから煙草を取りだし煙を思い切り吸い込む。
あーもー、今日はついてない。星占いとか見たら蠍座の貴方は1日家で大人しくしていることとか言われるに違いない。
つか、マジでなんなんだ、あの女。貶すだけならまだ解る。俺の恋人になりたいならそりゃ今の恋人の存在は邪魔だろう。心が貧しいヤツなら貶すくらいするだろう。だから問題はそこじゃない。見た目だとか、仕事だとか、なんでそんなこと気にするんだ。関係ねーんだからほっとけっつの。だいたい仕事なんて……。
机に突っ伏して大きくため息を吐いた。
「俺が知りたいわ」



あれから捲簾からの連絡は無い。一応仕事が終わったトコで返信はしたんだけど、捲簾からその後メールが来ることは無かった。別に気にせずこっちからメールを送ることはできるんだけど、けど……。
ソファーに転がってスマホを見つめる。最後の日付は16日前。短い本文を何度も何度も見返す。会えないっていう、最後のメール。会えないだけじゃなくて、メールすらできないなんてあるんだろうか。…………天蓬に聞いてみようか? ラインでそれとなく、聞いてみようか?
思わず自嘲のカタチに唇が歪む。
そーゆーの、嫌いだったんだけどな、自分がするのもされるのも。直接聞けばいいじゃんって思ってたし、なんか嗅ぎ回られるみたいでイヤだったしウザかった。けど、あの時の女たちはこんな気分だったんだろうなんて、今なら解る。怖いわ。本人になんて、とてもじゃないけど聞けそうもない。
それでも、そういうのをウザいって思う気持ちが解るのと、天蓬を利用するみたいで悪いって思うのとでなんとか聞くのを踏みとどまっている感じ。あとは、ホントのコトを知るのが怖いのと。
……少しでも長く、捲簾のコイビトをしていたいから。
ピコン。
手の中のスマホが音をたてる。表示されていたメールの上に開いたラインの窓。天蓬からのいつものライン。相変わらず昼と夜にマメに来るわけだが、天蓬は恋人とか居ないんだろうか。毎日俺とラインしてるけど。まぁ、俺が仕事中のときは帰宅報告くらいなモンなんだけどさ。今日は仕事が休みだからリアルタイムで見てるけど。
なんて思ってたら俺からのレスは期待してない天蓬の連投。苦笑しながらラインを起動しようとした瞬間その文面が目に入りヤバいって指を止めようとしたけど、その時にはもう画面には会話が表示されていた。
『お仕事終わりました〜』
『今日はみんなで捲簾の家で夕食会です』
『捲簾のご飯、おいしくて好きです〜』
目を見開いてメッセージを見つめる。なのに、うまく理解できない。
ピコンと音がして新規メッセージが追加される。
『悟浄も一緒が良かったんですが、お仕事じゃ仕方ないですよね』
『今度はご一緒しましょうね〜』
なんで、……仕事? 俺そんなこと言ってねぇ……つか、聞かれてもいない。じゃあなんで? いつもこの時間は仕事だから? それとも……、まさか捲簾がそう言った?
表示が既読になってるのは解ってたけど返事なんてできるわけも無く、俺はそのままラインを終了した。
夕食会ってなんだ? 俺に声をかけなかったのは、天蓬とかと会わせたくないから? いや、それよりも……。
捲簾、忙しいんじゃねぇの?
夕食会を何人でしてるのかは知らねぇけど、少なくとも捲簾と天蓬とそれ以外の誰かが居るであろう人数の食事を作る程度の余裕はあるってことで……。
会う時間は取れないまでも、メールも無いのはおかしいんじゃね……? やっぱ俺、避けられてる? いや、でも、仕事の一貫なのかもだし。仕事をやり易くするための飲み会とかみたいな。けど、そういうのって普通暇な時期にやるもんだろ……。メールする暇も無い時期になんてやらないよな。単に俺にメールすんのが面倒くさいだけとか?
……そうかも。
スマホを床に放り投げて、ソファー転がりクッションを抱きしめる。
だって捲簾は俺につきあって恋人ゴッコをしてくれてるだけなんだから。
そりゃ面倒だよな。
なんだか笑えてきた。
……もう、捲簾からメールは来ないかもしれない。もし来たとしても、それはきっと終わりのメールだろう。
変だわ、俺。会えもしない、連絡もないこんな関係なのに、無くしたくないなんて、な。恋人っていう肩書きだけでも、欲しいなんて。必死過ぎだろ。なんつーか、もー、馬鹿みたいだ。解ってんだよ。自分でも解ってる。それでも。
…………別れたくないんだよ。



「なんか用? 明里サン」
指名されたテーブルに行くと、そこにはこの間の女が一人で座っていた。なんでだ? この間の一件以来、彼女から俺への指名はシャットアウトされてたはずなのに。熱意に根負けしてなんてコトがあるような温い世界じゃないし、そもそも三蔵も店長もそういうタイプじゃない。
怪訝そうな顔を隠しもしない俺に申し訳なさそうに笑って、彼女は口を開いた。
「この間のコトを謝りたくて。それだけよ。だから座って」
店の中はソコソコ賑わっている。その空気を壊したくはなくて、警戒しつつ一人分距離を開けて隣に座る。何の気なしに見たテーブルには数本のボトルとツマミが数点。一人で来たワケじゃなさそうだ。
「彼氏と来たの?」
二人って感じの数でもないけど。
「恋人なんて居ないわ。さっきまで親切な人達が一緒にいてくれてただけよ」
「さっきまで?」
「ええ。みんな気を使って二人きりにしてくれたの」
俺を指名出来たから帰ったってコト? なんだそれ。しかも友達とかじゃなく親切な人達って。スゲェ怪しくね? しかも、そこまでして言いたいのが謝罪だけなんてあり得ねぇだろ。保険は掛けとくべきだな。三蔵に今の状況を知らせておきたくて近くのウェイターを探すが、目配せできるほどの距離には誰もいない。自分で何とかするしか無いってことね。
辺りを伺って俺の注意が逸れた瞬間、腕に柔らかいモノが触れる。見れば、明里さんが一人分の隙間を埋めて、俺の腕に抱きつき頬を染めていた。
なんで赤くなんのよ……。
「恋人さんは元気?」
今の俺にそれはわりと禁句だ。
「またソレ聞きに来たワケ?」
ただでさえ低かった声のトーンが更に下がる。明らかに歓迎していない態度なのに、明里さんは全く気にした様子もなく微笑んだ。
「悟浄の事が心配なのよ」
心配ねぇ。善意だ、親切心だって言いてぇの? 悪意が無けりゃ何でも許されるとでも思ってんのか?
「俺、怒ってんだけど?」
「どうして怒るの?」
どうしてと来たもんだ。話しても無駄だわ。
無言で腕を解き席を立とうとすると、明里さんが俺のスーツの裾を掴む。
「謝って欲しいなら謝るわ。ごめんなさい」
「……」
「でも、私の話も聞いて? 私、本当に悟浄のことが心配なのよ」
立ち去りたいのに、スーツを掴んでる指の力が強すぎて離れやしない。
「だって、悟浄の恋人の態度、おかしいと思うの。普通じゃないわ。少なくとも私なら絶対にしない。私ならもっと悟浄を大切にする」
「俺が大切にされてないっつーの?」
「そうよ。だってあまり会えないんでしょ?」
「アンタには関係ない」
「……あれから会えてないんじゃない?」
ギクリと身体が揺れる。なんで、それ……。
「信じられない。それ、本当に恋人なの?」
なんでこんな時だけ察しがいいんだよ。
「それって、遊ばれてるとしか思えない」
うるせぇよ、言うな。
「そんな人やめて、私にし」
「俺が好きなだけなんだからいいんだよ!」
「良くない! 悟浄辛そうじゃない! 全然幸せそうじゃないじゃない! ちっとも会えない、優しくもないヒトのどこがいいの!? 絶対に弄ばれているだけだわ!」
言うなっ……。聞きたく無いっ……!
「騙されて捨てられるだけじゃない! 馬鹿みたい!」
「……ッ」
「カタチだけの恋人なんかに縋ったって意味なんて無い! 大体こんなに連絡無いなんてもう飽きられてるいい証拠だわ! 最初から恋人なんて思われてないのよ! 悟浄なんて要らないんだわ!! 貴方はもう邪魔者なのよ!!!」
『アンタナンカ――』
ヤメロ……。
『アンタナンカイナケレバヨカッタノニ―――』
ヤメロォォォォッ!!!
「お客様」
いきなり目の前に手が突き出された。一瞬それがなんだか解らなくてきょとんとしてしまう。それから人の手だという認識が来て、遅れて誰の手なのかという疑問が湧いてきた。手の主を探せば、いつの間にか立ち上がってた俺と明里さんの間に三蔵が立っていた。見えなくなっていた周りがゆっくりと視界に入ってくる。聞こえなくなっていたBGMも耳に戻ってきたけど、他の音はしなかった。店中の人間が静かにこっちを窺っている。あー、もー、騒ぎにはしたく無かったってのになんて場違いなコトが浮かんだ。
「お客様、申し訳ありませんが御退席願えますか?」
ぐいっと三蔵に身体で後ろに押され、よろけるように数歩後ろにさがる。
「今、話中なのよ。見れば解るでしょう? 邪魔しないでくれるかしら」
「失礼ながらお客様のされたい話は営業妨害です」
「なっ!? 本当に失礼ね! 私は客なのよ!? 店員の教育がなってないわ! 責任者を出しなさいよ!」
激高した明里さんの声だけが聞こえる。俺から見えるのは三蔵の背だけだ。僅かに怒りが漏れる三蔵の立ち方が、接客用のものから変わる。
「私が責任者ですか、何か?」
「もう! 埒が明かないわ! 退いて!」
三蔵の身体で見えなかった明里さんが三蔵を押し退けこちらへ歩き出そうとした。その腕を三蔵が一気に捻り上げる。
「ゲームオーバーだっつってんだよ、バカ女。二度とウチに来んじゃねーよ」
囁くように低音で吐き捨てた三蔵は、相手の苦痛なんて全く無視した雑な動きで彼女を近くのウェイターに放り投げた。すかさずウェイターが二人がかりで彼女を連れて店から出ていく。呆然と立ち尽くす俺の手を別のウェイターが引っ張った。引っ込めってコトだろう。大人しくその手に従う俺の背に、三蔵が店内に騒ぎを詫びる声が聞こえた。
店から出る扉をくぐると、急に明るくなった気がして困る。店内は薄暗くしてあるから、蛍光灯がひどく眩しくて、夢を見ていたような気分になってしまう。休憩室まで来ると、ウェイターは手を離し俺を見た。
「災難でしたね。マネージャーが受付を怒鳴り付けてましたよ。あの女性、最初は居なくて変装した上に数人で途中来店したようです。彼女を除いて7名、内男性2名でした」
「へぇ……」
「今日はもう帰宅して良いそうですが、待ち伏せされていたら困りますので車を呼びますね。乗るまで私が付き添います」
「ん。サンキュ」
どーしよ、愛想笑いの一つもできねぇや。
別にヤな客にムカついてるわけじゃない。ああいうのはたまにいるし、変な因縁つけられるのも絡まれるのも慣れてる。そういうことじゃないんだ。
なんつーか、痛いトコ突かれたってーか……。
明里さんのセリフは、全部俺が思っていたコトだ。なんか、不安なのとか信じきれないこととかを全部一気に引きずり出された気分。目を逸らしていたコトを目の前に突きつけられた感じ。弱いとこ、全部曝け出させられて、突きつけられて、そんで……。
違う女の姿が見える。
俺を見ては泣いていた、女。
違うって言ってくれよ。
抱き締めてキスをして、全部忘れさせてくれよ。
会いたいよ。
――捲簾。



来たタクシーに乗って、行き先を告げる。運転手は一つ返事をしただけで、車を発進させた。疑われることもない。当たり前だ。運転手の仕事は指定された場所に客を連れていくことだけなんだから。やがて大きなマンションの前で車は止まった。捲簾の、マンションの前で。
車を降りて自動ドアを抜ける。
いきなり来て、どうするつもりなんだろう。
自分のことなのに、解らない。
でも止まらない。
なんか、現実がひどく遠くて、何もかもが希薄で。
会いたい。
でも会いたくない。
怖いんだ、何もかもが。
このまま一人でいるのも、捲簾に会うのもどちらも怖い。
もう、どうしたらいいか解らない。
このまままじゃ、俺は――。
受付の人がカウンターの中から俺を見て、人の良さそうな笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ。申し訳ありませんが、家主は現在不在にしております。お待ち会わせでしょうか? 」
どこか遠くにその言葉が聞こえた。
「え……と」
意味が、良く解らない。なんて言われたっけ。……そうだ、捲簾は居ないって。居ない……って、ホントに? 俺に会いたくないとかじゃなくて? どうしよ、もう何を信じたらいいのか、解らない。
「あのさ、天蓬は、居る?」
口が勝手に動いてた。すると、受付の人は表情一つ動かさずに笑顔のままソファーを示した。
「確認致しますのでお掛けになってお待ちください」
示されるままぼんやりとフロアの一画を陣取っているソファーに歩いてく。けど、それ以上頭は動かなくて立ち尽くしていると、背を軽く押された。
「直ぐに参りますとのことです。どうぞ、お掛けください」
エスコートするように背を押されソファーに身体を沈めると、受付の人は一礼してカウンターへ戻っていった。
……俺、なにしてんだろ。
天蓬に会ってどうするって言うんだろ。まだ2回しか会ってない、それもどちらも少し話しただけの相手をいきなり呼び出したりして。捲簾がホントに居ないのか聞くつもりなのか? そんなの誰に聞いたってわかるはずがねぇのに。だって、誰も、捲簾じゃないんだから。
ぼんやり床を見つめていた視界に何かが入ってきた。サンダルをつっかけた男の足。顔を上げると部屋着なのかスウェット姿の天蓬がにっこりと笑いながら立っていた。
「いらっしゃい。僕をご指名なんて初じゃないですか? どうかしましたか?」
ニコニコと聞かれて、考える間もなく言葉が零れ落ちる。
「あの、捲簾……」
なに聞いてるんだろ、俺。呼び出して違うヤツのこと聞くなんて、スッゲェ失礼っつーか、迷惑っつーか……。なのに天蓬は笑顔のままで。
「捲簾ならまだ仕事ですよ。今日は帰ってこれるか怪しいみたいです」
「そっか……」
仕事なのか。天蓬が言うならホントに仕事なんだろうな。
ヤだな、俺。疑ってばっかで。
……こんなんじゃ捲簾に飽きられても仕方ないわな。
思わず苦笑すると天蓬が少し首を傾げた。
「何かあったんですか?」
「や、何でもねぇよ。悪ィな、突然呼び出しちまって」
「構いませんよ、暇人ですから」
天蓬はホントに気にしてない笑みでそう言ってくれたけど、俺の罪悪感は消えなかった。
「ところで、今日はお仕事じゃないんですか? まだ早いですけど」
言われて時計に目をやればまだ10時を回ったトコで、仕事に行くには遅い、帰るには早い時間だった。
「ん……と、早退? みたいな」
原因まではさすがに言えなくてそれだけ言うと、天蓬はフムと呟いて腕を組んだ。
「ホント、ゴメンな。じゃ、また」
もう何も考えられなくて逃げ出すように立ち上がり、天蓬の横をすり抜けようとしたその時、ぼんやりと立っていた天蓬の手が素早く、しかしガッチリと俺の腕を掴んだ。
「そう言わずに。折角来たんですから僕の部屋でお茶でもしましょう。悟浄には聞きたいことが山程あるんです」
どこにそんな力がっていうくらいの強引さで引きずるようにエレベーターホールに連れていかれる。
「あ、あの、天蓬?」
「僕から悟浄にちょっかい出すと怒られるので、丁度良かったですよ〜。あの人、意外と心狭いですよね。ヤキモチやきで」
えと、誰の話だろう? ヤキモチってナニ?
相当オカシナ光景だろうに、受付の人は止めることも無く、……ていうか顔色一つ変えずに俺らを見送ってくれた。ずるずると引きずられて行った先の曇りガラスの暗証番号を手元を隠すこともなく天蓬は打ち込んでそこを開く。天蓬が乗ってきたんだろうエレベーターが1階に止まっていたのでそのまま二人で乗り込み32階へと昇っていく。てか、暗証番号とか良いんだろうか。
「あそこのドアのパス、打ち込むトコ隠さなくていいの?」
思わず聞くと、天蓬はきょとんとした顔で俺を見た。
「もしかして、捲簾、貴方に暗証番号教えて無いんですか?」
「あ、うん」
素直に答えると天蓬があからさまに呆れた顔をした。
「ホント、あの人頭が固いっていうかなんていうか。大丈夫ですよ。悟浄は誰にも言わないって解ってますから」
ナニソレ……。
「それに、あそこは開くのにちょっとコツもいるのであの距離で見てたって解りゃしません」
「コツ?」
「捲簾に聞いてみると良いですよ。大丈夫。絶対教えてくれますから」
「……」
自信満々に天蓬は笑った。でも、俺は返事なんて出来なくてただ床を見つめていた。
やがてエレベーターが止まり、静かに扉が開く。天蓬は相変わらず俺の腕をぐいぐいと引っ張って歩いていく。エントランスを抜け、吹き抜けまで来ると、天蓬は一番左の廊下に足を踏み出した。そこもやっぱり扉は一つしかなかったけど、通路はとても短くて扉までもすぐだった。
「ちょっと散らかってますけど別にいいですよね〜。はい、どうぞ」
扉の前に着くなり鍵を開けるでもなくノブを回した天蓬に目が点になる。え、鍵かけてなかったの? しかし、開かれた扉から中に放り込まれるように押し込まれて、俺は絶句した。
まず、玄関のタタキが狭い。いや、建物の設計上はそうでもないんだろうが、本来タタキであるべき部分にデカイ下駄箱(作り付けも当然あるのに)が置いてある上に靴が大量に散乱している。あと、ゴミ袋。小さいのにすりゃいいのに40リットルのデカイやつが恐らく可燃・不燃・ペットボトル・ビン缶・古紙・プラと各種揃っている。ついでに俺の身長くらいの狸の信楽焼までいる。玄関を上がったトコの壁にはアニメキャラのタペストリーが掛けてあって、その前には同じくアニメキャラの等身大パネルが組み立てて無い袋入りの状態で何枚も立て掛けられてて、さらにその前に段ボールが積まれてて上のは蓋が開けられたままポスターなんかが詰まっているようだ。
「どうぞ、上がってください」
後ろから来た天蓬はポイポイとサンダルを脱いで廊下を歩いていく。って、今天蓬鍵かけた? 見ればやっぱり鍵は開いたまま。
「天蓬、鍵は……?」
「僕いつもしませんけど?」
ちょっと待て。鍵、しねぇってどういうこと!? しかもいつも!? 一昔前の田舎じゃないんだからさ!
何か言おうと天蓬の方へ顔を向けて、でも言葉は出なかった。天蓬は玄関から続く廊下に居た。居たけど、それはいいんだけど、……廊下? 廊下の幅が異様に狭い。てか、一般家庭の廊下の幅なのに、そこに所狭しと本棚が置かれている。
「こっちです」
固まっている俺を置いて奥へと歩き出した天蓬を慌てて追いかける。通過する部屋のドアは全て開いていた。というか、多分締まらなくなってる。どの部屋もモノが散乱してて、廊下まで雪崩れているから……。突き当たりの左側にリビングダイニングがあって、そこのソファーに座るよう言われたのでとりあえず腰を下ろす。同じ建物だけど微妙に捲簾の部屋とは間取りが違う。でもリビングの壁にはやっぱり大きな窓があって、カーテンが開いて……いや、無いせいで暗闇の中、地上の光が良く見える。
「お茶っ葉、お茶っ葉……確かこの辺に」
ゴソゴソと音がして、時々何かが崩れる音とかも聞こえる。……大丈夫なのか?
「悟浄ー。缶ビールとかでもいいですか?」
「いい! むしろそれでお願いします!」
台所とダイニングの魔窟っぷりが怖い。俺も別にキレイ好きでもマメに片付けする方でもねぇけど、これは……。そして、缶ビールを持った天蓬は何故か数分後にソファーまでやって来た。冷蔵庫どうなってんだ……。
「どうぞ〜」
ニコニコと自分のビールのプルタブを開ける天蓬に倣いプルタブを開け、一応缶を触れ合わせる。ぐいっと呷れば慣れた苦味と泡の弾ける刺激が口内に満ちた。
「でも、本当に悟浄が来てくれて嬉しいです。この間駄目だったからしばらく機会が無いかと思ってました」
「この間?」
「仕事で夕食会に来られなかったでしょう?」
すっと血が下がる。ビールを持っている指が冷たくて感覚が無くなってくる。
「それ、捲簾が言った?」
「え?」
「俺、仕事ってヤツ」
天蓬がくっと眉をひそめた。笑顔は浮かべたまま、ビールの缶をテーブルに置いてソファーに身を沈める。
「なにしてんですかね、あの人は」
俺の少ない言葉でも事態を正確に読み取った天蓬は苛立たしげに煙草をくわえた。
「もしかして最近会ってなかったりします?」
ごまかすことも出来なくてこくりと頷くと、天蓬は苦々し気に吐き捨てた。
「あの馬鹿」
それきり沈黙が落ちる。けど、何も言えなくてただビールの缶を弄ぶ。ベコベコという音が静かな室内に時々響く。
「悟浄から会いたいって、言えそうにはないですか?」
またこくりと頷く。言えるわけがない、そんなの。
天蓬はため息をついて煙草を揉み消し、すぐに新しいのに火をつける。
「今はそんなに仕事は忙しく無いんですよ。だから我が儘言っても平気ですよ?」
ふるふると首を横に振る。やっぱり仕事、忙しく無いんだってどこか遠いことのように思う。でも、だから、もうワガママを言うことなんてできない。だってソレ嘘を吐いてまで俺に会いたくないってことだろ。ワガママなんて言ったら、そしたら――。
「悟浄」
天蓬の腕が伸びて俺の頭を撫でようとしてくれた。解ったんだ。撫でようとしただけだって。だけど俺の身体はビクッと硬直した。記憶に刻まれたあの手がフラッシュバックして、その反応を止める間も無かった。
母さんの、手。いつも、俺に伸ばされては……俺を叩いた、手。
天蓬は何も言わずに、手を止めて、そしてもう一度ゆっくりと俺に伸ばし、何も言わずに頭を撫でてくれた。
「本当に悟浄は可愛いですねぇ」
「カワイイ言うなっつーの……」
思わず憎まれ口を叩いたけど、その手を払うことはできなかった。暖かくて、優しいその手を。
……聞いてしまおうか。捲簾には聞けないコトを。甘えてしまおうか、この優しい手に。
「なぁ、天蓬」
「何ですか?」
「捲簾って、何の仕事してんの……?」
答えてもらえなくたって仕方ない、ダメ元の問いだったのに、天蓬は考えることもなく口を開いた。
「そうですねぇ。情報を扱う会社員ですよ」
「情報……って、どんな?」
「平たく言うと、調査員みたいな感じですね」
「ちょうさいん……。天蓬は一緒の仕事してんの?」
「同じ部署で同じ仕事内容ですが、扱う調査は同じだったりそうじゃなかったりですね」
そっか、そうなんだ。
頭を撫でてくれている天蓬の手はずっとそのままで、天蓬が俺の問いに不愉快になってないことを示していて安心する。
「他に知りたいことはありますか?」
びっくりして顔を上げると、天蓬は優しい笑みを浮かべて俺を見ていた。
「ずっと聞きたいのに聞けなかったんでしょ? 僕の答えられる範囲で良ければちゃんと答えますから、何でも聞いて良いですよ」
さらりと俺の髪を撫でて手が離れる。その手に促されるように、口から言葉が零れ落ちてた。
「天蓬は……」
ああ、ダメだ。こんなこと、聞いちゃいけない。いけないのに。
「天蓬は…………捲簾と、ヤったこと、ある?」
ずっと気になってた言葉が、止めることもできずに出ていった。天蓬はその問いにキョトンとした顔をして、それから困ったように笑った。
「僕は捲簾の恋人でも愛人でもありませんよ」
「……」
でも、きっと他人じゃ無い。それは確信に近いカン。だって、二人の間の空気が違う。天蓬は捲簾に全てを許されている気がする。――俺と違って。
1つため息をついて、天蓬は俺を見た。
「嘘は吐きたくないので正直に言うと、ありますね」
ああ、やっぱり。
「でも、僕とあの人は甘い関係だったことは無いです。やむにやまれぬ事情があって仕方なく、ですよ」
やむにやまれぬ事情ってのも気にはなったけど、それ以上に気になってることがあって。
「天蓬は捲簾の恋人じゃない?」
「だから違うって言ってるじゃないですか。気色悪い事言わないでください。僕はそんなに趣味悪くはないです」
ホント、なのかな……。でも、天蓬が嘘を吐く理由がない。それに、嘘は吐きたくないって言ってたし。ホントだとしたら捲簾と天蓬はやむにやまれぬ事情でヤったことがあるだけってことで。けど、捲簾はそれ以上に男に慣れてた気がする。
「もしかして、捲簾って、他の男とも経験あんのかな……? つか、抱かれたこと、とかも、あったりすんのかな……」
ほとんど呟きに近い問いかけだったけど、それは確かに天蓬には届いた。
「本人に直接聞いた方がいいと思いますけどね……」
天蓬の言う通りだ。どんだけ意気地がないんだろ、俺。怖くて本人に聞けないなんて。つか、聞いてどうするってんだ。今の話ならともかく、過去の話なんて。俺だって過去には色々やってるし、みんなそうだろう。それが普通だ。当然言いたくないことだってあるだろうよ。それを本人じゃなく他人に聞いて、……まるで探りを入れるみたいに。過去に何してたって俺がとやかく言えるコトじゃねぇし、それが今の捲簾を形作っているんだからさ。それに、聞くまでもなく答えなんて解ってる。ホントは解ってるんだ。
小さくため息を吐いて、天蓬はもう一度俺の頭を撫でた。
「捲簾だけじゃなく僕もですが、お察しの通り女性だけじゃなく男性とも、抱いたことも抱かれたこともあります」
……だよな。だって捲簾は、慣れてて上手くて、あれは経験に基づいたモノだって、俺にだって解った。それに、あんなイイ男なんだから、相手なんて不自由するわけ無い。
「でもね、悟浄。それは全て仕事でどうしても必要な時にやむなくです。不安かもしれませんが、本当は貴方が不安になることは一つもありませんよ。あの人が貴方を好きで大事にしたいと思っていることは、僕が保証します」
真剣な目で俺を見つめながら、天蓬は優しく俺の頭を撫でた。



捲簾の恋人ゴッコの相手が、俺である必要なんて無い。
そんなこと、はじめから解ってる。
俺が捲簾の恋人になれたのは、ホントに偶然で。
捲簾が俺に興味持ってくれて、ちょっかい出してくれて、家に連れて行ってくれて……。
全部捲簾のおかげなんだ。
捲簾は、俺がずっと知らなかったものを与えてくれた。
恋とか、俺には無理だって思ってた。
本当に欲しかったものが手に入らなくて、絶望して、もう欲しいなんて感情すら持てずに上辺だけの付き合いで生きてた。
だから、今捲簾を本当に好きになることができて、凄く幸せで、愛しくて、そして……辛い。
捲簾は俺を好きだと言ってくれたけど、でも、それは嘘だって解ってる。
俺なんかを、捲簾みたいな人が好きになってくれるわけないじゃん?
捲簾は優しいから、俺に付き合って恋人ゴッコをしてくれた。
俺に、幸せな夢を見せてくれた。
それだけで、十分だから。今、恋人ゴッコしてくれてるだけで十分だから。
真似事でも本当に嬉しくて、幸せで、――だから、これが無くなったら俺は多分生きてなんかいけない。
でも俺はいらない人間だから。
最後は捨てられるって解ってるから。
仕方がないんだ。そう決まってるんだから。
絶望なんて、もうとっくにしてる。こんな世の中に希望なんてない。最初から期待なんてしていない。他人にも、自分にも。
なのになんでかな。
アンタのこと、好きになっちまって。
……アンタだけは違うって思っちまって。
馬鹿だよな。
アンタが違っても、俺が俺である限りどうしようもないのに。
いつか、この恋人ゴッコが終わったら、もう全てを終わらせてもいいだろうか?
どうせならアンタに捨てられる記憶を最後にしたいよ。
これ以上こんな世界にいたって意味なんかないだろ? ただ死ぬのが面倒で生きていただけなんだ。
迷惑にはならないようにするからさ。誰も知らないところで、アンタに気付かれないように、するから。
だから、さ。
もういいだろ?



一晩中ベッドの上にぼんやりと座って、何をするでもなく暗闇を見ていた。
日の出の遅いこの時期は、いつまで経っても朝は来なくて、ずっと暗いまま。
ふと、目の端で何かが光った。
見れば、スマホの画面が表示されていて、続いてメール着信を示す音。
ぼんやりと視線を流しただけで見るとはなしに見ている目に、送信者の名前が止まる。
『捲簾』の表示。
慌ててスマホを掴んでメールを表示させた。
『来てたって聞いた。どうした?』
用なんて無い。
ただ、会いたくて。
会いたくて、会いたくて、捲簾に会いたくて。
顔を見たい、声を聞きたい、触れたい、――抱き締めて欲しい。
もう耐えられねぇよ……。ダメなんだ、感情が溢れて制御なんて出来ない。止められない。
『会いたい』
たった四文字のメール。
初めての、俺から捲簾への、ワガママ。
返事が来るまでの時間がとても長い。暗闇のベッドの上で、スマホをじっと見つめる。
返事が、来なかったらどうしようか。
ウザいって言われたら、別れようって言われたら、――もう、俺なんかいらないって言われたら?
再び思考が沈みかけたその時、捲簾からの返信が来た。
祈るような思いで、画面をタップする。
『おいで』
一言だけだった。
たった一言、それだけのメール。
でも、その一言に俺は泣きたいくらいの幸せを貰ったんだ。
ああ、もうなんだっていい。
嘘でも、騙されてても、遊ばれててもいい。
明日捨てられるんだとしても構わない。
今だけでいい。
幻でいいから、幸せな夢を見せて。
誰も、邪魔しないで。
例え朝になれば消えてしまう夢だったとしても。

――少しでも長く、この夢を見ていたいんだ。




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