貴方の腕で抱き締めて
【 act3】
「ただいま〜」
なんとなくクセでそう言いながら玄関をくぐると、そこには誰も居なかった。どうやら八戒はまだ実家らしい。今回は長いな。そろそろ10日になる。まあ、過去にはもっと長かったこともあるけど。帰ってきたはいいが、八戒が居ないと朝飯が無い。どうせ朝帰りすんならメシ食ってくりゃ良かった。
部屋に行くより先にジャケットを脱いでダイニングの椅子にかけると、とりあえず食器棚からグラスを取り出した。水を飲もうと水道を捻ると、玄関からガチャガチャという音がして八戒が帰ってきた。
「ただいま戻りました。おはようございます、悟浄。この時間に起きてるってことは朝帰りですか?」
「おかえり、オハヨ。そのとーり」
「じゃあもしかして朝御飯いります?」
「欲しい!」
勢い良く言うと八戒は苦笑して、ちょっと待っててくださいと言いながら自分の部屋に行った。ちょうど良かったなーなんて思いながらダイニングの椅子に座って俺はスマホを弄り始める。画面を表示させるとメールが何件かきてた。店のヤツからとさっきまで会ってた女と三蔵から。
「八戒。三蔵が冬休みのバイト時間を相談したいって」
「おや、そっちに連絡が来ましたか?」
「うん。今日の仕事の連絡とセットで来た」
「ありがとうございます。後で連絡入れておきますね」
「おー」
ちなみに三蔵と八戒は知り合いだ。つか、俺が紹介した。三蔵のトコのガキ――悟空の家庭教師を三蔵が探してたから教師になりたかった八戒を紹介してみた。ら、なりたかっただけあって面倒見も教え方も上手かった八戒を悟空がとても気に入り、三蔵は八戒の黒い部分に反応したらしく地味に付き合いが深い。そんな八戒は教育学部ではなく経済学部に通っているわけだが。実家を継ぐことが決まっているから進路にも将来にも自由なんて無い。家庭教師は八戒のささやかな夢の実現なのだ。
戻ってきた八戒はとりあえず手を洗うと冷蔵庫を開けた。しばらく居なかったから中身の把握をするんだろう。
「ご飯、麺、パンのどれがいいですか?」
「軽くて柔らかいの」
「ハイハイ」
八戒は朝起きてから来たんだろうが俺は朝帰りだ。寝てない上にもう抜けてはいるが酒も飲んでたしスナックばっか摘まんでいたから胃がイマイチ気持ち悪い。普段はこうはならないんだけどなぁ。
「調子悪いんですか? 恋人のところから帰ってきたわりに元気ないですけど」
「昨夜は捲簾じゃなくて客の女」
「おや。捲簾さんとは別れたんですか? それとも浮気です?」
「どっちもハズレ〜。捲簾にちゃんと女ともヤれって言われたの」
「……それはまた」
大した用でも無いメールに適当に返信をして、俺はテーブルに頬をつけた。
「捲簾オススメのゴム使ってみたんだけど、かなりヨかったわ。着けるとき手がベタベタになるけど」
ゼリー付はそれが難点だ。あと、着けるとき滑る。慣れてないと手を滑らせてるうちに巻きがほどけてきて使い物にならなくなる。今さらそんなこたぁしねぇけど。
「なんでコンドームなんて貰ってんですか?」
「ソレ俺も謎。しかもゴムと一緒に女ともヤれって言われてさぁ」
「それは……」
複雑そうな顔をした八戒に気付いて慌てて言葉を付け足す。
「別れる気もねぇし、ちゃんとラブラブよ? ただ、男と女は別だしホストなんだしって言われただけ」
「ああ。仕事として女性も抱きましょうってことですか」
一応八戒は納得した顔をしてくれたので、俺はホッと胸を撫で下ろした。コイツは怒ると怖い。そりゃもう、恐ろしい。俺の不用意な一言で捲簾の評価をあんま下げたくはない。好きな人のことはコイツも高く評価してくれた方が当然嬉しいし、それにいつか、コイツに捲簾を紹介したいとも思っているから。
「捲簾さんとも会ってはいるんでしょ?」
「ん〜、前回会ったのはお前が実家に帰った日だな」
「……もう10日程経ってますけど」
「だな」
思い切り八戒はため息を吐く。
「会いたいって言えばいいじゃないですか」
その言葉に俺は目を丸くしてしまった。そういや言ったことねぇかも。会うのはいつも捲簾から誘ってくれるからだ。そうだな、たまには俺から言ってみようかな。メールでなら邪魔にならないだろうし。早速スマホで捲簾からのメールを呼び出し、返信画面に移る。なんて書こう。会いたいって、それだけじゃそっけないかな? でも長文だとウザいかもしんねぇし。
しばらくスマホの画面を睨み付けてああだこうだと考えていたけど、結局俺はそのメールを削除した。ため息を吐いて髪をかきあげ、煙草に火を点ける。
「言えないんでしょう?」
キレイな灰皿を俺の前に置きながらさりげなく言われた言葉に、思わず唇を歪めた。
「貴方はいつもそうですよね。未だに僕にだって何も言わない」
「んなこと無くね? 結構ワガママ言ってんじゃん」
「貴方の言う我が儘はどうでもいいことばかりでしょう? 本当に望む事は冗談でも言わないから」
そんなことは無いと思う。けど。何とも言えなくてぼんやりと視線を灰皿に移し、煙を燻らせる。
「捲簾さんと恋人になったっていうのに、変わりませんね」
「生き方なんざそう簡単に変わらねえよ」
「貴方のそう言う所を変えてくれる人でないと、僕は認めませんから」
びっくりして八戒を見てしまった。認めないって。オマエは俺の保護者かなんかか。湯気をたてた白いボウルを俺の前に置いて、八戒は少し目を細めた。
「捲簾さんだって、たまには我が儘を言って欲しいと思っていると思いますよ」
そうかな……。
ボウルな中の少し色づいた粥を見つめる。
ワガママなんてウザいだけじゃん。好きな相手にならともかく、どうでもいい相手になんて。会いたいなんて、言えない。少しでも迷惑になったりとか、ウザがられたりとかしたくはない。捲簾の邪魔にはなりたくないんだ。だから、捲簾が暇なときにたまにでも俺のこと思い出してくれて、遊んでくれればそれでいい。ワガママなんて言わないから、少しでいいから……。
俺はのろのろとレンゲでボウルの中身をかき混ぜた。
「コレ何?」
「アワビのお粥ですよ」
「アワビ……。ああ、あのエロいの」
「…………貴方の頭の中にはそれしかないんですか?」
八戒は心底呆れたような声で言った。
朝帰りをすると、昼に起きるのは正直ツラい。それでも八戒がしつこくネチネチと起こしてくれるので何とか起き上がりはするのだが、だからといって脳内まで起きられるハズもなく、ソファーでゴロゴロしてるうちにうとうとしてしまい、気付いたらもう夕方になっていて、夕飯の支度をしようとした八戒に改めて起こされた。
「悟浄、そろそろ仕事に行く時間じゃないんですか?」
「今日は休み〜」
欠伸しながら身体を起こす。
「あれ、そうでしたっけ?」
「おー。次の休みに予約入ったみてぇで、そことチェンジされた」
三蔵に、勝手に。つか、せめて一言くらい聞けよ、本人に。
「じゃ、夕御飯食べます?」
「食べる〜。久々だな、八戒の夕飯。今日何?」
「肉じゃがと茄子の煮物と春菊のおひたしですが、足ります?」
「唐揚げも食べたいなー」
「じゃあそれも作りますか」
「やりぃ!」
キッチンに行って冷蔵庫を漁り始めた八戒を見ながら、俺は煙草に火を点けた。何をするでもなく、ソファーに座りぼーっと今度は天井を見つめる。なんか最近よくこうしてる気がすんな。ガサガサという音がして、それから水の音がして、そのうち包丁のトントンという小気味良い音が響いてきた。俺がやってもこんな音は出ない。
「オマエ良い嫁サンになれるよな」
「アハハ。悟浄の御墨付きですか。けど、貰ってくれる人なんていますかねぇ?」
「良く言うぜ、モテまくってるクセによ」
「イヤですねぇ、そんなことありませんよ。あれは僕の地位に寄ってきてるだけです」
笑いながら鍋を火にかけている八戒を眺めてみる。コイツは出会った頃とは変わったと思う。あの頃はもっと、なんつーか、ガラスでできたナイフみたいな感じだった。触れるもの総てに刃をたてて、けれど少しでも力をいれれば砕けそうなくらい脆くて。精神的にギリギリのトコで踏ん張ってた。けど、今は違う。鋭い切れ味はそのままに、でも相手は選んで、精神的にも余裕を持って、自分の立ち位置から何ができるかを考えている。
……俺は何か変われたのかな。コイツみたいに、成長と呼べる何かがあるだろうか。
ジュワッと、良い音が上がる。次々に上がる音。そのうち油が跳ねる音だけになって、八戒は冷蔵庫からレタスを取りだし千切って皿に敷いた。そろそろ出来上がって来そうな気配に煙草を揉み消し灰皿とスマホを持って、食卓へ向かう。
「テーブル拭いてください」
濡れた布巾が有無を言わさず飛んできた。仕方なくテーブルを適当に拭いて灰皿と一緒に持っていけば、揚げたての唐揚げと箸を変わりに渡される。
「へいへい」
「つまみ食いしてても良いですから」
ため息まじりの俺の返事に八戒は苦笑しながら鍋の茄子を皿に盛り付けた。俺はテーブルに唐揚げを置くと、一足先に食べ始めた。口に入れればカリッと音をたてて中からアツアツの肉汁が溢れ出す。
「あふっ!」
「揚げたてですからねぇ」
「けどウマイ!」
「それは良かった」
肉もやらけーし、いきなり言ったのに味も染み込んでて、やっぱ八戒の料理はウマイ。ヤバい、全部食べちまいそう。俺が夢中でモグモグやってると今度は茄子とおひたしがやってくる。それから肉じゃが、味噌汁、白米、んで更に唐揚げ。
「二回に分けて揚げて正解でしたね。どうぞ、好きなだけ食べてください」
「おー」
最初の皿の唐揚げのラスト2個をまとめて口に入れると、その皿を下げてからようやく八戒はテーブルにつき、両手を合わせてから食べ始めた。しばらく二人無言のまま食べることに集中していたが、不意に俺のスマホが鳴った。ポーンという電子音。メールだと思い画面を見ると件名は『Re:』、差出人は『捲簾』の表示。慌てて箸をくわえたままスマホを手に取る。食事中にスマホ弄ると八戒に怒られるなんつーことは完全に頭から吹っ飛んでた。即行タップしてメールを表示すると『今日ヒマ?』の文字が表れて、動揺しすぎて俺の口から箸が落ちた。ヒマだよ! ヒマっつーか、今から平気だよ! 返信画面を呼び出して『今日仕事休みだから何時でもOK』と送り返し、びっくりしすぎて詰めていた息を吐き出すと、カタンと八戒が立ち上がった。やべ、存在忘れてた。絶対怒られるって硬直した俺の目の前で、八戒は静かに身体を屈めた。
「貴方のそんな顔、初めて見ましたよ」
「へ?」
床に転がっていた箸を拾い、簡単に水で流すとそれを俺に返してくれた八戒は怒っている訳ではなさそうだ。きょとんとしている俺にソレ以上説明することもなく食事を再開してしまう。と、再びメールが届く。
「捲簾さんからでしょう? 見ないんですか?」
「ん。ワリ」
今度は箸を置いてメールを表示させると『20時30分に下でどう?』と来ていた。画面端の時計を見れば現在時刻は19時23分。食べてから支度をしても余裕で間に合う。『了解』とだけ送り返して、俺はスマホを置いて箸を取った。
「食ったら出てくるわ」
「はい。良かったですね」
「…………ん」
なんでだろ。ちょっと泣きそうかもしんね。
捲簾のマンションに着いたのは約束の10分くらい前だった。いつものように自動ドアをくぐると、受付の人が俺に頭を下げた。
「いらっしゃいませ。お客様、誠に申し訳ありませんが家主は只今不在にしております」
「あら、そうなんだ。半にここで待ち合わせしてんだけど」
「左様ですか。では戻られるかと思いますので、お掛けになってお待ちください」
「ん。サンキュ」
フロアの一画にあるソファーに腰を下ろすと、とりあえずスマホをチェックする。特に連絡は来ていない所を見ると、そのうち帰って来るんだろう。まだ時間になってないしな。帰って来るって事は、下からかな? 少し移動して、エレベーターホールが見えるトコに座り直し、俺は煙草をくわえた。ぼんやりふかしていると、低階層用のエレベーターが開いて、一人の男が出てきた。なんだ、捲簾じゃねーや。わりと長身のソイツは肩くらいの長さの黒髪にメガネで猫背の男だった。明るい色のコートを羽織ってはいるが、無造作に羽織り過ぎててなんかみすぼらしい感じ。そしてソイツはそのままエレベーターを乗り継ぐでもなく、フラフラとコンビニに吸い込まれて行った。そういや、ここで捲簾以外の住人って初めて見たような気がすんなー。デカイタワーマンションなんだから、住んでる人も多そうなのに。てか、いつも時間が午前様とかだからか。こんなマトモな時間に来たの初めてだわ。短くなった煙草を灰皿に押し付け、もう一本取り出す。煙を燻らせながらぼんやりと眺めているとまたエレベーターが開いた。今度姿を表したのは黒いコートに短い黒髪の男。
「悪ィ、待ったか?」
「んや、今来たトコ」
「んなことねーだろ。ホントお前かわいいなぁ」
ちらりと灰皿の吸い殻を確認した捲簾は呆れたように言ってから、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ヤメロよッ、髪絡むだろ!」
「スゲーサラサラストレート。キレイな赤だしな」
ビクッと肩が震えた。すっと血が下がったのが解る。
『キレイな――血の色』
アノヒトの声が耳の奥でこだまする。視線がさまよった瞬間、その言葉が捲簾の言葉で上書きされた。
「俺は好きだぜ」
くしゃっと撫でて離れた手が、俺のくわえていた煙草を奪って一口吸ってから灰皿へそれを押し付けた。捲簾が、ちらりと俺を見て優しく目を細めた。
好きって、言った。この赤い髪を、好きだって。
「サンキュ」
うつむいて、笑って言ったつもりだったけど、声が震えた。
「んじゃ、部屋行こう」
捲簾が立ち上がった俺の頭を撫でて、そのまま自分の方へ引き寄せる。その肩に触れたままコクンと頷くと、そのまま二人でエレベーターホールへと向かった。
赤い血の色。捲簾がキレイだって言ってくれた、赤。……けど、コレは染めてるわけじゃないって知っても、捲簾は同じことを言ってくれるだろうか。この赤は生まれつきで、誰かの血を吸っているんだと知っても、捲簾はキレイだと言ってくれるだろうか。
奥のエレベーターホールで珍しくエレベーターが来るのを待っていると、不意に暗証番号付きのすりガラスの自動ドアが開いて、さっきの男が入ってきた。
「おや、捲簾」
「おう」
親しそうなその様子にどういう関係なんだろうかと見つめていると、その男も俺を見た。
「こんばんは」
「コンバンハ」
にっこり笑って挨拶されて、慌てて挨拶し返す。みすぼらしいメガネの男、だけど近くで見たらスッゲェキレイな顔だった。八戒も美人だけど、負けないくらいの美人。なんつーか、コイツの方が色気垂れ流しな感じの美人。男だけど。ってか、あれ……? この顔、どっかで見たことある、ような? どこで? こんな美人、一度見たら忘れないと思うんだけど。そんな俺の視線の先で、その美人はニヤリと笑ってその分厚いメガネを外した。
「先日はどうも」
「え?」
まじまじとその顔を見つめる。どこかで見たことのある顔。どこで? わりと最近だったような? 最近会った美人。美人っつーと…店……?
「あ! もしかしてこの間の!!?」
「正解です。また会えましたね、悟浄」
髪の長さも服装も姿勢も、性別すら違うソイツは、メガネをかけ直して俺に笑った。この間ウチの店に来て俺を指名した、天ちゃんは。
「ナニ、お前ら知り合いなの?」
びっくりした顔をして聞く捲簾に天ちゃんはニコニコしていて答えない。ので俺が仕方なく口を開いた。
「この間ウチの店に来た」
「はぁ!? テメッ」
「だって、捲簾があんまりにもかわいいかわいいって言うから気になっちゃって」
「え」
びっくりして捲簾を見ると、捲簾は慌てて口元を手で覆って顔ごと目を逸らした。その頬が心なしか赤くなってる気がする。見たことないその反応にポカンと口を開けてしまった。なんか、スゲーかわいい、かも? 天ちゃんはクスクスおかしそうに笑っている。と、ようやくエレベーターの扉が開いたので妙な仏頂面の捲簾を先頭に箱に乗り込む。パネルの前に立った捲簾が即行閉めるを押して天ちゃんを閉め出そうとしていたが、それはあえなく阻止されてた。おかしくて思わず吹き出すと、仏頂面の捲簾と唇を尖らせて拗ねた天ちゃんを乗せてエレベーターは32階へと上昇を始める。
「捲簾、ひどいですぅ〜」
「勝手に人のに接触しといて何がひどいだ。そりゃコッチのセリフだっつーの」
「だって気になるじゃないですかぁ」
「つか、しゃべり方気持ち悪ィ」
「ひどいですねぇ」
二人の会話にびっくりしすぎて呆然としてしまう。なんか、本当にスゲェ親しいんだな。捲簾の親しい、友人? じゃれてる二人をポカンと眺めているうちにエレベーターは32階に着いて、俺と捲簾だけじゃなく天ちゃんもそこで降りた。同じ階なのか。と、くるりと振り返って天ちゃんが俺に笑った。
「改めまして、僕は天蓬といいます。捲簾とは、そうですねぇ……。悟浄が恋人さんなんで、……うん、捲簾の愛人です。2号さんなんです」
一瞬頭が真っ白になった。あまりに普通に言われ過ぎてああそうなんだ〜なんて思わず納得しかけた。ら、隣から捲簾が大慌てで天蓬を殴りつけて、怒鳴った。
「何いってんだ馬鹿! ちげーよ!! 悟浄、誤解すんなよ!?」
余りの慌てっぷりにびっくりして後ずさる。そんな俺に構わず天蓬は頭を捻った。
「えー、じゃあ、大切な人?」
「お前なんかを大切に思ったことなんてねぇ! ただの同僚だ! 仕事仲間! ちょっと付き合いが長いだけ!」
なんか、捲簾スゲェ必死なんだけど……。ええと、俺はどこに反応すればいいんだ。捲簾の恋人が俺ってトコか、愛人が天蓬ってトコか、捲簾のこの慌てっぷりか、大切な人発言か、同僚ってトコなのか。……ん? 同僚?
「え、同じ仕事場の人?」
「そう! 愛人でも恋人でも大切な人でも無い!」
「えぇ〜、捲簾酷いですぅ」
「うっせぇ! お前が馬鹿な事言うからだ!」
捲簾はもう一度思い切り天蓬の頭を殴ると、さっさと部屋に向かって行ってしまった。今の、結構すごい音したんだけど、天蓬大丈夫なのかよ。置いて行くのも忍びなくてきょろきょろしてたら、天蓬が頭をさすりながら呟いた。
「捲簾、本当に本気なんですねぇ。珍しい」
「へ?」
「ああ、いえ、こっちの話です」
きょとんとしている俺をしげしげと眺めてから、ふんわりと天蓬は微笑んだ。
「そんな訳で、ただの同僚の天蓬です。よろしくお願いします。捲簾相手じゃ付き合うの大変でしょ? 何か困ったことがあったら相談にのりますからね」
やっぱ美人だわ。思わず見とれちまう。そんな俺に天蓬が何か紙を差し出した。
「僕の連絡先なんかです。仲良くしてくださいね」
「あ、うん。サンキュ。俺のは……えっと、紙」
「気が向いたときにラインででも教えてくれればいいですよ。それより捲簾が不貞腐れてますけど良いんですか?」
「へ? あ!」
言われて捲簾の姿を探すと自分の部屋のドアの前ですごい顔してこっちを睨んでた。思わず口の端がひきつる。
「ほら、早く行かないと」
クスクス笑いながら天蓬が言う。俺は慌ててそっちに足を向けて走り出した。
「天蓬! これサンキュ! 後で絶対連絡入れるから!」
握った紙を示して天蓬に言うと、天蓬もニコニコしながら手を振ってくれた。
「楽しみに待ってます」
その言葉に手を振り返して捲簾のトコへ辿り着くと、捲簾は無言で玄関を開けた。あー、なんかスゲェ不機嫌そう。やたら重い空気に何も言えず大人しく部屋に入ると、玄関の鍵を締めてこちらを見もせずに捲簾が口を開いた。
「何貰ったの?」
「天蓬の連絡先……」
話の内容までは聞こえてなかったらしい捲簾に、コレだと貰った紙を手渡す。まだ良く見てなかったけど、どうやら名刺らしい。もしかしてコレ貰ってたから不機嫌なんだろうか。捲簾が言わない仕事なんかの部分に踏み込まれるのがイヤなのかもしれない。捲簾のプライベートな人間関係だとか。だとすると、俺と天蓬が連絡を取るのは捲簾がイヤなんじゃなかろーか。捲簾は名刺を手に取りしげしげと眺めている。
「え……と、捲簾がイヤならそのまま捨てる」
おずおずとそう言うと、捲簾は俺を一瞥してから大きくため息を吐いた。
「馬ァ鹿。ちげーよ。そんなこと、俺を気にせず自由にしていい」
捲簾は天蓬の名刺を俺に押し付ける。けど、また逸らされた視線のせいで、その言葉が本当かどうかが俺には解らない。別に俺はいいんだ。そりゃ天蓬にも興味はあるし、捲簾のコトとか聞けたら嬉しいけど、けど、捲簾がイヤならそんなことどうでもいいんだ。天蓬との約束破って怒られても全然平気だから、本音を言って欲しい。
なかなか名刺を受け取らない俺に、捲簾はようやくちゃんと俺を見てくれた。
「なぁ、悟浄。コレ要らねぇの?」
「捲簾が、イヤなら俺も要らない」
捲簾がまたため息を吐いて、俺の手を取り無理矢理名刺を握らせた。
「好きにしろっつったろ?」
「けど……、捲簾怒ってんじゃん」
「あー……」
名刺を見つめて立ち尽くす俺の頭に、捲簾の手のひらが乗った。
「悪ィ。誤解させるつもりじゃなかったんだケド」
「え?」
「怒ってんじゃなくてだな。その、……ヤキモチだ」
「は?」
「まぁ、誤解されるような事を言われたのには怒ってるけどそれは天蓬にだし。それよりさ、天蓬がお前と仲良くしてんのがヤだったんだよ」
天蓬と俺が仲良くしてるのがヤだって、それってつまり。
「天蓬は捲簾の愛人じゃなく恋人?」
「……なんでそうなるんだ。つか、キメェ。あんなヤツを恋人なり愛人なりにするほど俺は人生捨ててねぇ。俺はお前にちょっかい出されんのがイヤなの! お前は俺のなんだからよ」
えっと、それってなんだか。
「捲簾が俺のコト好きみたいに聞こえるんだけど?」
思わず首を傾げて聞くと、深いため息を吐いて、捲簾は俺の頭を撫でた。
「『好きみたい』じゃなくて『好き』なの。いい加減信用しろよ」
「別に捲簾の言葉を疑ってるワケじゃねぇけど……」
捲簾は嘘はつかない。それは俺にだって解る。秘密にすることはあっても嘘は言わない。ましてやこんな質の悪い冗談なんかは絶対に言わない。それは解ってるけど、……信じられないんだ。捲簾をじゃない。そうじゃなくて、…………だって、俺だから。他の人に向けられるモノじゃなく、俺に向けられた言葉だからどうしても信じられない。だって、俺がそんな言葉貰えるなんておかしいじゃないか。俺にそんな価値なんて無い。捲簾みたいなヤツが俺を好きになるなんておかしいだろ。だって、俺は――。
「悟浄、好きだよ」
そっと唇が重なった。捲簾は優しい。とても、優しい。そっと頭を撫でていた手が滑って、俺の左頬を撫でた。
「お前が信じられるまで、傍にいる」
澄んだ捲簾の目を見ていられなくて、俺は手のひらの名刺に目を逸らした。
アノ声が、聞こえる。
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