11.現在(side:捲簾)
天蓬がいなくなった。
伸ばした手は空を切った。
エレベーターから逃げるように降りた天蓬は、そのまま自分の部屋に消えた。
それきり、天蓬は姿を消した。
それも、今までとは違うカタチで。
何度か部屋までは行ったんだ。けど、扉が開かないだけじゃなく、明かりもついていない。電気のメーターも殆ど動いていない。郵便受けには手紙やチラシがたまっている。携帯も、かけてみたけど通じなかった。着信拒否や電源が切られているワケじゃない。……解約されていた。
そこで俺は初めて気付いた。自分が天蓬のことを何も知らないっていう事実に。
……イマサラ。遅すぎる。
この間までのように、避けられてるだけならまだ良かったんだ。例え会えなくても、アイツが生きてることは確認できるし、偶然会うこともあるかもしれない。もしかしたらその内、何かのきっかけでまた前みたいな関係に戻れるかもしれないなんて夢を見ることだって出来た。
けど、これじゃ……。夢どころか、アイツが何処かで死んだとしても、俺にはそれを知ることすら出来ない。
アイツを探したくても天蓬の居場所を探す心当たりも無ければ、アイツの友人すら知らない。実家も地元も知らなけりゃ、今の行動範囲も知らない。アイツは俺が行く時はいつも家に居たから。俺が家に行けばいつでも扉を開けてくれたから。セフレが居るのも、相手を適当に引っかけたりしてんのも知ってる。けど、相手どころか、何処で相手に会っていたかも、何処で相手を見つけていたのかも解らない。アイツの行きつけの店すら知らない。それどころか、普段何をしていたのかすら知らなかった。俺が居ない時間にアイツが一人で何をしていたかも、何処に居たのかも、何を考えて居たのかも、何も知らないんだ。
だから、何故居なくなったのかも解らなくて。俺に仕事の事を口出しされて嫌だったのか、それとも俺に好きだと言われて嫌だったのかも解らない。気持ち悪いと思ったのか? だから俺の前から居なくなったのか? これがお前の答えなのか?
受け入れられるなんて思って無かった。それでも、同性のセフレもいるアイツは拒絶はしないと思ってたんだ。友人関係は続くと、無条件に信じてたんだ。
何を思い上がってたんだろうな。
その前から天蓬は俺を避けていた。アイツの嫌がることをしておいて、もう友人では無いと思われていただろう俺に告白なんて、な。そんなん迷惑以外のナニモノでもねーわ。
こうして会いたいと思ってアイツを探すのだって、ただの俺の自己満足だ。アイツは俺に会いたくないから姿を消したんだろうから。
……解ってんだよ、ンな事は。
それでも、理屈じゃないんだよ。どんなに筋の通った理屈や理由を見つけても、心が納得しない。感情が、諦められない。会いたい。声が聞きたい。アイツに触れたい。
迷惑だなんて、解ってるのに、それでも止められなくて。
どうやったら諦められるかなんて解らないけど、ただ、もう一度お前に会いたいんだ。会えば全てうまくいくなんて思っちゃいねぇけど、それでも、きっと何か解る。だから、今はお前に会いたい。後の事はその後考えるから、頼むから、もう一度だけ、お前に会わせてくれ。あんなサヨナラで、すべてを終わらせないでくれ。
仕事が終わるとそのまま天蓬の部屋の前へ直行する。あの日以来の俺の日課だ。買い物どころか残業すらせずに、ここに来る。もしかしたら今日は扉が開くんじゃないかなんて心の何処かで期待しながら、けれどどうせ開くことはないと心を守るために諦めながら、呼び鈴を押す。待つ間にドアの郵便受けと電気のメーターを確認する。そして、やっぱり今日も扉は開かず、郵便受けからはみ出したチラシを横目に自分の部屋へと戻る。暗い部屋に鞄を放って私服に着替え、もう一度外へ出る。探すあてなんか無い。それでもじっとなんてしていられない。毎日、アイツが居そうな場所へ足を運ぶ。まるで、何かに追い立てられるように。
マンションを出て天蓬の部屋の窓を見る。誰もいない部屋は当然真っ暗で。何度確認しても変わりはしないのに、それでも何度も確認する。まるで諦めたら全てが終わってしまうとでもいうように。
今日は何処へ行こうか。大学近辺はもう行ったし、会社の周りは何度も回っている。駅前も昨日探したし……あぁ、そうだ。悟空のトコでも行ってみるかな。アイツのバイト先には天蓬と何度か行ったことがある。
電車に乗り三つ先の駅で降りて少し歩いたところにある喫茶店で悟空はバイトしている。悟空は三蔵の義理の弟だ。天蓬とは結構昔からの知り合いらしいが、天蓬はもとより三蔵も紹介なんてしてくれるはずもなく、以前三蔵の所へ訪ねてきた悟空が建物を間違えて受付のオネーサンに門前払いされたところに、昼飯後の俺が偶然居合わせ三蔵と連絡を取ってやったトコからの縁だ。その時丁度携帯を忘れた悟空は三蔵に連絡を取ることも出来なかった為、俺のお陰で殴られずに済むと心底ホッとした顔で笑った。その後悟空とは普通に親しくなって、後で三蔵の弟だとか天蓬と知り合いだとかってのを知ったのだ。だから、もしかしたら何か知ってるかもしれない。俺が知ってる天蓬の知り合いは悟空と三蔵しか居ない。天蓬の事は知らなかったとしても、三蔵の帰宅日くらいは聞けるだろう。三蔵は三蔵で、現在出張中で連絡がとれやしねぇ。留守電にはなるが、折り返しもメールも返ってこない。つか、二週間とか聞いたけど何処行ってんのか。まさか国外じゃねぇだろうな。
駅を出て歩いていて気付いたが、今日悟空はバイトなんだろうか。高校生の時とは違ってフリーターな今、アイツのバイト時間はバラバラだった気がする。学生バイトの薄い時間を埋めているとか言ってたな。まぁ、居なかったら呼び出せばイイか。アイツも天蓬に関わる事なら早く知りてぇだろうし。
喫茶店の扉を開くとベルが軽い音をたてた。
「イラッシャイマセーって、捲兄ちゃんじゃん! 久しぶりー!」
カウンターに寄りかかってマスターと話していた悟空は、そう言って笑った。
「久しぶり……」
ぼんやりと挨拶を返しカウンターに向かうと、悟空が怪訝そうな顔をした。
「どしたの? 具合でも悪い?」
「イヤ……」
椅子に座りながらも隠しきれない落胆に表情を取り繕えない。いつも通りの悟空。それは悟空が、天蓬が居なくなったのを知らないってことだ。まさか悟空のトコに居るなんて無いだろうし、もしそれだとしたらもう少し違う反応があるだろう。
注文も出来ずに無言のままカウンターに座りテーブルを見つめていると、不意に目の前に紅茶が差し出された。顔を上げると穏やかな笑みを浮かべた翠の瞳のマスターが俺を見ていた。
「どうぞ。少しは落ち着きますよ」
「……アリガト」
そのまま何を聞くでもなく仕事に戻ったマスターの気遣いに、凍りついてた心が少しだけ温かくなる。そっとカップを持ち上げて澄んだ茶色の液体を一口口に含む。ただの紅茶ではなく、ハーブブレンドらしいそれに彼の優しさを感じた。
何か、疲れたな……。
と、直ぐにバイト用のエプロンを外した悟空が俺の隣に座る。
「なぁ、捲兄ちゃん、どうしたの?」
「……お前バイト中じゃねぇの?」
この店は席数は少ないが、店員は今マスターとコイツしか居ない。他に客も居るのにコイツが俺の相手なんかしてたらマスターの負担が増えちまうんじゃねぇか? けど、そう聞いた俺に悟空は真剣な目を向けた。
「八戒が今日はもう上がっていいって。マジで、何かあったの? 捲兄ちゃん、スゴイ顔してる」
あぁ、何か心配かけてんなぁ……。悟空だけじゃなくマスターにも。俺そんなスゲェ顔してんのかな。一目見て解る程に。
……ホンット、なにしてンだろーな、俺は。
一人で行き詰まって、勝手に絶望して、不幸に酔って。
心配ですって顔をしてる悟空を見つめ返す。
そうだ、俺は一人じゃない。
「…………改めて言うほど俺の顔は変な顔か?」
「え? あ、違! 顔じゃなくて表情! いつもと違って真面目そうってか」
「ほほー、普段は不真面目な顔をしてると」
「〜〜〜〜だから、そうじゃなくてッ!」
「なんてな。冗談だ」
「捲兄!!!」
「悪ィ。……サンキュな」
自然に口許に笑みが浮かんだ。
まだ終わって無い。アイツはまだ何処かで生きてる。
もう一度会いたいんだ。
アイツはもう俺になんて会いたくは無いだろうが、それでも、俺がアイツに会いたいんだ。
だから、絶対に探し出してやるさ。
結論から言うと、悟空は天蓬の居場所も天蓬が居なくなったことも知らなかった。アイツが最後に天蓬に会ったのは一週間以上前で、その後はメールもしてなかったらしい。そもそも普段からマメに連絡を取り合っていたワケでは無いらしいので、それは仕方の無い事なのだろう。念のために悟空にも天蓬に電話をしてもらったが、流れるメッセージは変わらなかった。
「お前、天蓬の実家とか地元とか知らねぇ?」
悟空と天蓬が以前からの知り合いと言っても、具体的にいつからの知り合いなのかは知らないが、大学の時にはもうバイトをしていたことから、俺よりはコイツの方が付き合いは長そうだ。それに、コイツなら天蓬に聞いたりしてそうな気もする。じっと見詰める視線の先で、悟空は難しい顔をしてポツリポツリと話し始めた。
「地元は、多分ココじゃないかな……」
「此処?」
「うん。俺と初めて会ったのって、俺の家の近くの公園だったし」
「それ、いつの話?」
「俺が三蔵の家に引き取られたくらいだから、小学校一年とか二年とかその辺」
悟空は今19だ。ということは天蓬は高校生くらいか。つか、コイツそんなに天蓬との付き合い長かったのか……。
「なら、実家とか知ってんじゃねぇの?」
「……天ちゃんの家に遊びに行ったことはあるけど……」
やっぱり。コイツなら無駄な気を回して遠慮したりしねぇで、普通の友達みたいに天蓬と接してるんじゃないかと思ったんだ。けど、悟空は言いにくそうに俺を見た。
「あのさ、こういうことって俺が勝手に話して良いことか解んねぇからさ」
……悟空にそう断られるとは思ってなかったわ。三蔵の教育が行き届いてるって事か。けど、確かにプライバシーは大切だが、今はそんな場合でも……。
「だから、俺が言ったって天ちゃんには秘密にしてくれよな?」
前言撤回。悟空はやっぱり悟空だった。素直で優しくて、そんで時々オットコマエで。
「ん。約束する」
そう答えると、悟空は少し微笑んでからまた険しい顔になった。
「天ちゃんには、実家は無いんだ」
「……無い?」
「うん。天ちゃんが中学の頃、事故で両親二人とも死んでるんだ」
「へぇ……」
「兄弟も居なくて、親戚も仲が悪い……つーか、親が駆け落ちだったから連絡取ってないみたい」
本当に家族が居なかったのか。てことは、実家も無くて当然か。多分ずっと借家暮らしなんだろう。
「なら、高校の頃の友人とか、知らねぇか?」
「……ゴメン」
「そっか」
まぁ、そうだよな。俺も天蓬の大学の友人を教えろと言われても答えられない。プライバシーなんかじゃなくて、知らないからだ。
「天ちゃんさ、友達居ないんだよね」
「変わり者だからなぁ……」
「じゃなくて、それもあるけど、作らないようにしてたんじゃないかな」
「作らないように?」
「うん。天ちゃんから直接聞いたわけじゃねぇけど、なんかそんな気がするなーって、ずっと思ってた」
コイツ、良く見てんな。思わず素直に感心した。俺もそうなんじゃないかなと思った事がある。そのくらい天蓬には友人が居ない。愛想が悪いわけでも他人を拒絶しているわけでも無いのにだ。だから、それが何故かは解らないが、アイツは友達を作らないように敢えてしているのだろうと思ったんだ。
つか、悟空が知らないとなると友達から探すのは無理だな。けど、家族、友達以外の人間関係なんて。仕事関係ってのが存在しないのがかなり痛い。天蓬の人間関係で後残っている可能性と言えばセフレ関係だけど、いくらなんでもそれを悟空に聞くのはなぁ……。とは思うが、藁にでもすがりたい今、んな事言ってらんねぇわ。
「友人じゃなくても、誰でも良いから知ってるヤツいねぇか? 例えば夜の遊び友達とか」
「それって天ちゃんのセフレってこと?」
「あ? あぁ、まぁ。他でも良いけど」
悟空の口からサラリとそういう言葉が出てくると、なんか衝撃を受けるな……。子供じゃねぇのは解ってんだけどさ。
「一人だけ知ってるヤツいるけど、天ちゃんの行方なんて知らないんじゃないかな……」
「念のため、聞いてみる事は出来るか?」
「イイケド……」
悟空が携帯のアドレスを探してから、携帯を耳に当てた。
「出るかなぁ……」
出たとしても有力な情報なんて得られない可能性の方が高い。それでも出て欲しいと思っていると、通話が繋がったようで悟空が相手と話し始めた。
「ん、久しぶり。……違うって。ちょっと聞きたいことあってさ。天ちゃんの事なんだけど。今何処に居るか知らないかなって。……は? 別れた? なんで? ……そうなんだ。……え? なにそれ……。全員? ……違う、と思う。……そっか。アリガト」
呟くような声で感情のこもっていない礼を言って悟空が通話を切る。
「ゴメン、捲兄ちゃん。やっぱり解んなかった……」
泣き出す寸前みたいな顔で悟空がそう言った。
「イヤ、それはしょうがねぇけど、……何か言われたのか?」
通話の途中で声のトーンが一気に下がっていた気がしたのは俺の気のせいなんかじゃないだろう。チラリと俺を見た悟空はそのまま視線をテーブルに落とした。
「別れたんだって」
「誰が?」
「天ちゃんと一色さん。あ、今の電話の人だけど」
「うん。そっか、別れてたのか」
セフレも別れるって言うんだろうか。まあ、フェードじゃないなら別れるになるのか。それじゃ知らないのも当然か。そう思った俺に、悟空が首を横に振った。
「違うんだ。半月くらい前に、一色さんも、一色さんが知ってるセフレの人もみんな別れてるんだって」
「え……?」
「天ちゃんから、終わりにしましょうって言われたって」
何人居たのかは解らないが、全員と別れたってなんだそれ。
「誰も理由を聞いて無いのか?」
「あんま詳しくは聞いてないみたいだけど、天ちゃんは『身辺整理』って言ってたみたい。だからてっきり結婚でもするんじゃないかってみんな思ってたらしいんだけど……」
悟空が言葉を切った。単に話すことが終わったとも取れる切り方だったけど、明らかに違う。何かを言おうとして躊躇って、口を開いたり閉じたりしている。
「けど?」
促してやると、悟空はびくりと肩を跳ねさせた。そして、すがるような目で俺を見た。
「一色さんが、居なくなる為の『身辺整理』だったんだって。最初からそのつもりで準備してたんだろうって……! 違うよな? ンなこと無いよな? 帰って来るよな!? また会えるよなッ!?」
泣きそうな顔で訴える悟空に、咄嗟に答えを返せない。だってまさか、そんな事になっているなんて思っていなかった。会えない2ヶ月の間に、アイツが何してたかなんて。
つか、『身辺整理』?
タイミングはともかく、そもそも居なくなる準備をしていた……ってこと? なんで? 何のために?
……そんなに俺と会いたくなかったって事か。
「…すぐ帰って来るに決まってんだろ?」
口から勝手に言葉が零れてた。
「帰ってきたら、心配かけんじゃねーよって、怒ってやろうぜ!」
多分俺は今、イイ笑みを浮かべてるんだろう。不安になってる悟空を笑顔で励ましてやる。けど、これは意図してやっている訳じゃない。単に俺の意識とは遠いトコで誰かが勝手に俺の身体を動かしているだけだ。
なんだろ、これ。
悲しいのかどうかすら良く解らない。
酷くぼんやりして、全てが遠くて、まるで映画でも見ているみたいだ。あぁ、もう何もかもどうでもいい。アイツが今傍に居ないことも、もう二度と会えないことも、アイツが……死んだとしても―――。
ピピピピピピピピ。
突然の音に思考が止められる。けれど、何の音か解らなくて暫く呆然としてから、音の元を探ると、俺の携帯が鳴っていた。けど、出なきゃいけないってトコまで思考が働かなくてぼんやりと携帯を見ていたら、悟空がまた不安そうな顔で俺を見ていた。
「出ねぇの?」
「……ん? あぁ……」
言われるがままに通話ボタンを押して携帯を耳に押し当てると、不機嫌そうな低い声が流れてきた。
『遅ェ』
「………………三蔵?」
出張中で連絡が取れなかったアイツがどうして。
『連絡寄越せっつったのはテメェだろうが。何ボケてんだ』
「あー……」
そういえば留守電にそう残した気がする。というか、連絡を寄越したということは出張から帰ってきたのだろうか。ぼんやりとしたまま携帯を握っていると、電話の向こうで舌打ちが聞こえた。
『何かあったのか?』
「あー…、その、あったっつーか」
『はっきり言え!』
相変わらずの早さで切れた三蔵の怒鳴り声に、思わず笑ってしまう。
「天蓬が居なくなっただけ」
『は?』
「だから、天蓬が居なくなったの」
『それは解った。そこじゃなくて』
「ナニ?」
『いや、いい。死んだのか? 行方不明なのか?』
「行方不明の方だな」
『そうか』
真っ先に死んだという選択肢が浮かぶあたり三蔵も相当だなと思いつつ、何を言おうとして止めたのか考えてみるがさっぱり解らない。
『テメェは今どこにいるんだ?』
「俺? 悟空のバイト先」
『そうか。なら近くのウチのホテルに今すぐ来い』
「は?」
『最上階にバーがあるのは知ってんだろ。そこだ』
「え、ちょ」
言うだけ言うと、通話は一方的に切れた。呆然と携帯を見つめていると、悟空が首を傾げた。
「三蔵なんだって?」
「今すぐ来いって……」
「そっか。じゃあいってらっしゃい」
「イヤでも」
「待たせると三蔵に殴られるよ? 早く行かねーと!」
「あ? まぁそうだけど……」
今更会って何を言えというのか。俺に会いたくない天蓬の居場所を知りたい? ンなこと言えねぇし、一緒に探そうとでも言えって? 確かに三蔵と連絡を取りたかったが、それはさっきまでの話だ。結論が出た今会っても何の意味も無い。なのに、渋る俺を悟空は店から追い出す勢いで押してくれる。
「おい悟空……」
「行って」
悟空が真剣な顔で俺を見た。
「行かなきゃ絶対に後悔する。捲兄ちゃんも……天ちゃんも」
バーに入ってバーテンに待ち合わせだと告げたが、三蔵はまだ来ていなかった。というか、アイツはどこから電話をかけてきたのか。空港だったりなんかしたら、しばらく来なそうだ。カウンターの端から二番目に座り、ギブソンを頼んでから気付いた。このホテルはウチの会社の系列だけど、ランクが高めだってことに。今の俺みたいな格好で入っていい場所じゃない。けど、帰るわけにも着替えるわけにもいかないのだから、せめて奥のテーブルに移動しようかと顔を上げた時、三蔵がおや? という顔をしながら店に入ってきた。
「早かったな」
「ああ。悟空に追い出された」
「そうか。マティーニを」
さっさと注文を済ませた三蔵は俺の隣に座りすぐに煙草を咥えた。何も話す事が浮かばないまま透明な酒を見つめていると、しばらく沈黙が落ちる。
「なんで居なくなったのが解った?」
こちらを見もせずにサラリと言われ、一瞬反応が遅れた。
「そりゃ、本人がサヨナラっつったからな」
「ほぅ……。何かしたのか?」
暗に、原因はお前だろうと断定されていっそ清々しい。
「したっちゃした」
「へぇ?」
「告った」
重みも無い言葉を投げると、三蔵は少しだけ動きを止めて、そして煙を吐き出した。
「成程な」
再び沈黙が落ちる。俺も三蔵も何も言わないまま、何杯目かを呷った時、三蔵がまた話始めた。
「アイツの占いはよく当たるだろ?」
「……ああ」
脈絡が見えなくて三蔵を見たが、三蔵は相変わらずグラスを見つめたまま話を続ける。
「アイツの占いがどのくらいの精度か解るか?」
よく当たるという占いが。
……いくらよく当たるっつっても占いはあくまで占いだ。当たるも八卦当たらぬも八卦。だが、アイツのは違う。占いと銘打ってはいるが、あれは実質は占いじゃない。
「アカシックレコード……だっけ?」
「そうだ。あそこには過去現在未来の全ての事象が記されている。つっても、俺は見たこたねーがな」
全てが記されている巨大図書館。
「解るか? 記されているんだ」
「……?」
不意に三蔵がこっちを見て言ったが、意味が良く解らない。いや、解らないというか、簡単過ぎて何が言いたいのかが解らないというのが正しい。すると、三蔵は手元のグラスを持ち上げて見せた。
「例えば俺がこのグラスを落としたとする。そしたらどうなる?」
テーブルの上ではなく、床に落ちる位置でそう聞かれたが、どうなるかなんて決まっている。
「割れる」
「ああ、割れるな。俺が手を離した時点でその未来が決定するだろう」
そして三蔵はグラスを口元に寄せ一口飲んだ。
「割れるのが嫌なら落とさなければいいだけのことだが、この時点で未来が分岐しているのは解るか?」
「……落とすか落とさないかってコト?」
「そうだ。未来を変えたければ……つまり、グラスをどうしたいかで選択を変えればいいんだ」
未来なんて沢山の人間の無数の選択が複雑に絡み合って、刻一刻と変化していくものだ。占いはその指針でしかない。未来が解ったとして、それを変えたいと思うなら、選択を変えればいいだけのことだ。そう三蔵は言いたいのだろうか。
「だが、俺がこの手を離すか離さないかが予め決まっていたとしたらどうなる?」
「決まっていたら……」
そもそもの分岐が決まっていたのなら、その後の未来も一つしかありえない。グラスが割れるのが未来だとしたら、三蔵が手を離すのも決定された未来だと予め決まっていたという事で―――。
「あの場所には、全てが記されているんだ」
俺達が何を考え何をし、どんな選択をし、その結果何が起こるかの全てが記されている……?
それはつまり、あの場所の情報が100%の精度だと言うこと。
「……ンな馬鹿な…」
未来が予め決まっているなんて、有り得ないだろ。
けど、頭では否定しながらも、心の何処かでまさかという思いが消しきれない。
良く当たる占いだと言われていた天蓬の占いが、ハズレたことは一度も無い。
言葉を失った俺に、三蔵が言葉を続けた。
「アイツがお前に教えていない情報が一つある」
「……何?」
「アイツの昔の占いの結果だ。不可抗力だったらしいがな」
占いの、結果?
「アイツはもうすぐ死ぬ」
「…………?」
意味が、解らなかった。
死ぬって、何だ? 誰が? アイツがって、天蓬が?
てか、それより、その前に三蔵は何て言った?
アイツの占いの結果って言ったか?
アイツのって、それ―――。
『過去現在未来の全てが記された』
変えようのない、決められた未来が、それだと……?
「何で……」
「理由なんざ知らねぇよ」
「…………いつ?」
「詳しい日時までは解らねぇが、そろそろだっつーのは確かだ」
アイツが、死ぬ?
近い未来、居なくなる?
それが、変えることの出来ない定められた未来だと?
「死因は絞殺だそうだ」
「……絞殺?」
「ああ。アイツは近い未来に、誰かに首を絞められて殺される」
殺される……?
アイツは、ずっと自分が殺される未来を見ながら生きていたのか?
それは、悲しすぎるだろ……。
そんなんじゃマトモな人間関係なんて……。
不意にパズルが嵌ったかのように、天蓬の行動の理由が解った。
友達を作らない理由。仕事をしない理由。違う未来を試すための占い。身辺整理。そして、俺の前から姿を消した理由。
俺の為にじゃねぇか……。
俺が悲しまないようにって、だからだろ?
だから好きだけど好きになって欲しくなかったんだろ?
自分はもうすぐ死んでしまうから―――。
溢れそうなどうにもならない感情を堪らえようと、爪が手のひらに食い込むほど強く手を握りしめる。
と、テーブルの上を一本の鍵が滑ってきた。鈍く光を反射する、鍵。
「天蓬は、多分そこに居る」
「ぇ?」
びっくりする俺を気にもせずに、三蔵は立ち上がって出口へと歩き出した。
「車を回させる。早く来い」
「…………サンキュ」
鍵を握りしめて三蔵を追う。と、三蔵は前を見据えたまま吐き捨てるように言った。
「礼なんざいらん。俺も、定められた未来に逆らいたくなっただけだ」
定められた未来に。
そうだ。未来なんざ勝手に決められてたまるかよ。
俺の未来は俺が切り開いてやる。
アイツの占いなんざ知るか。
このまま終わりになんて絶対にしない。
神が決めた未来があるのならば、神にだってケンカを売ってやんよ。
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