10.現在(side:天蓬)
捲簾と知り合ってから、こんなに長く会わないのは初めてかもしれない。
寒さも大分緩んで、日中はコート無しでも平気になってきた。一人で食事を取ることにも、大分慣れた。
あれから三蔵の依頼は無い。もともと、有る時はあるが無い時はとことん無いものなので気にはならないが。だから捲簾はおろか、三蔵とも会ってはいなかった。
彼らから手を離して貰おうとしてからそろそろ2ヶ月になる。もう彼らの日常から僕の姿は消えただろうか。僕の事など思い出さずに済んでいるだろうか。……僕が居なくても、気付きもしないだろうか。
そうなればいいんだけど。
最近良く行くようになった定食屋に入ると、とりあえず日替わりランチを頼んで新聞を広げた。特に興味も無いけれど、手持ち無沙汰だから。事件や事故のニュースは最近あまり無い。政治関係のニュースが一面を占めている。どうやら世の中は平和らしい。
日替わりが出てきたので箸を取って食べ始める。昼は大抵ここで食べている。それからあちこちぶらぶらして、夜は今度は最近良く行くバーで何か軽く摘まみながら呑んで、適当にその辺で声をかけたりかけられたりしてその人とセックスして、明け方家に帰る。そんな毎日。何人かいたセフレはもういない。みんな、ちゃんと別れた。割り切れる相手ばかりだったから面倒は無かった。
捲簾と会わなくなって出来た時間は全て身辺整理に当てている。人間関係、家の片付け、契約の解除だとか、そういった、今まで生きている時に必要だったモノ。もちろん全てではないけれど、どうせそんなに長い時間じゃないんだから、最低限でいい。物が減ったからだろう、捲簾が片付けをしていないにも関わらず僕の部屋は綺麗なままだった。
携帯はいつ解約しよう……。
僕の唯一の連絡手段。基本的にかけてくる人はいない。唯一三蔵からの仕事が入る可能性が有るくらいだ。それだって、繋がらなければ諦めるだろう。あっても無くても同じならもう必要無い。知らせる必要も……無いだろう。ああ、でも、最近公衆電話が少ないから少しは不便かな。だったらプリペイド携帯にでもしようか。あれなら解約の手間が無い。
日替わりを食べ終わり、長居するでもなく立ち上がる。会計を済ませて店を出て、携帯ショップに行こうか悩んでいると、背後から何かがぶつかった。て言うか、タックル?
「天ちゃん、久しぶり〜!」
振り返ると目をキラキラ輝かせた悟空が、僕に抱きついていた。
「お久しぶりです。今からバイトですか?」
「ううん、終わったトコ! これから遊びに行こうかなーって思ってたら天ちゃんがいるの見つけたからさ!」
屈託の無い顔で僕に笑いかけてくれる悟空は、三蔵の家の子供だ。そして僕の親しい人間の最後の一人でもある。出会った頃は僕の腰くらいしか身長が無かったのに、今では頭ひとつ分くらいしか変わらない。大きくなったものです。
「最近天ちゃん、バイト先に遊びに来てくれないじゃん。忙しいの?」
「そうなんですよ、すみません」
にっこり笑って答えれば、悟空はじゃあ仕方ないやと言って笑った。
悟空のバイト先は喫茶店だ。数年前にオープンした時から働いていて、僕も良く行っていた。そういえば最近行ってなかったな。
悟空は三蔵と一緒に暮らしてはいるが、基本的に二人はお互いを個人としてちゃんと認識していて、馴れ合いはしない。だから、今回のように三蔵と距離を取っていても、悟空はそのことを基本知らない。知っていたとしても、それはそれ、あくまでも物事を判断する基準は自分自身だ。もちろん三蔵も、悟空の行動にまで口出しはしない。
「そう言えば捲兄ちゃんは元気?」
「多分元気だと思います。すみません、最近会ってないんですよ」
「そうなんだ〜。俺も全然会ってなくてさ」
悟空を張り付けたまま、二人で駅に向かって歩き出す。
「なんか最近捲兄ちゃんの様子がおかしいって三蔵が言ってたからさぁ、天ちゃんなら知ってるかと思ったんだけど」
「え?」
捲簾が?
どういう事なのかすごく聞きたい。けれど、僕は今それをして良い立場じゃない。だから咄嗟に嘘を吐く。
「三蔵が他人の事を気にかけるなんて珍しいですね」
「やっぱ天ちゃんもそう思う?」
悟空は可笑しそうに大きな声で笑うと、少しだけ真剣な目をした。
「まぁ、そのくらい様子がおかしいのかなーって思って」
「…………」
「でも、天ちゃんが知らないなら大したことないかも! あ、でも、逆なのかな?」
「逆?」
「天ちゃんと会えなくておかしいのかも? 捲兄ちゃん、天ちゃんのこと大好きだもんな!」
ニカッと笑って言われた言葉に僕は目を丸くしてしまった。
「それは無いですよ」
苦笑して悟空の頭を撫でてあげると、悟空は唇を尖らせた。
「えー、絶対そうだと思うんだけどなぁ」
絶対の確信を持った推理を否定されて悟空は不満そうに僕の背中にぐりぐりと顔を押し付けた。そう見えていたのなら嬉しいが、実際そんなことは無いんですよ。もしかしたら、余りに僕が捲簾のプライベート部分に張り付きすぎていたから少し調子が狂っているくらいは有るかもしれませんが。まぁ、それにしたって直ぐに慣れるでしょうしね。
「そう言えば、天ちゃんはどっか行くトコだったの?」
「どうしようかなぁと思ってました」
正直に答えると、悟空は首を傾げて僕に聞いた。
「へー? じゃあ暇なの?」
「そうですね。折角ですし、お茶でもします?」
「うん! 久々に遊ぼーぜ!」
「いいですよ〜」
嬉しそうな悟空に微笑み返し、僕らは駅に吸い込まれて行った。
悟空と遊んで、夕食も食べて、彼と別れ思い出したようにスマホを見ると三蔵からの着信が入っていた。もう5時間以上前。その後、メールも1通届いている。用件は仕事以外は無いだろうと思いながらメールを開くと、何時も通りの用件のみの三蔵からのメールには『19時30分に来い。』とだけ書かれていた。というか、何時も通りの暴虐無人ぶりがすごいなぁと思わず呆れてしまった。だから、僕の都合もあるんですけどと何時も言っているのだが、こんなところですれ違いが発揮されるとは思わなかった。なにせ現在時刻は21時を回ったところだ。取り敢えず三蔵に電話をしてみよう。
リダイアルしてスマホを耳に当てればコール音が入ってきた。一回、二回……目の途中で音が途切れた。
「今、何処でしょう?」
色々すっ飛ばして聞きたいことを簡潔に聞いてみたら、呪い殺すかのような低音な声が返ってきた。
『遅ェ』
どうやら待っているらしい。
「だから何時も言ってるじゃないですか。僕の都合もあるって」
『知るか。早く来い』
「来いと言われても……ここからだと、30分くらいですかねぇ」
『……』
おおよその到着時刻を告げると、三蔵が沈黙した。さすがに時間が遅すぎですよね。まぁ、そんなに急ぎでも無いんだろうし、明日でもいいでしょ。と、思った途端、三蔵の言葉が耳に飛び込んできた。
『仕方ねぇから捲簾に届けさせるか』
「…………」
卑怯だ。卑怯過ぎる。僕が貴方だけでなく捲簾も避けている事は解っている癖に、敢えて。
「解りました……」
思い切り顔をしかめて言葉を吐く。
「でも、本当に30分はかかりますからね」
『解りゃいいんだよ』
うわ、腹立つ。しかもそのまま通話切れたし。暫しスマホの画面をうろんげな表情で眺めていたが、僕は大きな溜め息を吐いてスマホを閉まった。三蔵のあの態度が何時もの事なのは解っていても、腹が立つ時は腹が立つのだ。ああ、もう面倒くさい。僕はもう一度溜め息を吐くと、タクシーを拾うべく駅の出口へ向かった。
少し緊張して扉を開けると、中には三蔵一人だけだった。緊張し損というか、別にいいんだけど、何か損した気分だ。いや、良かったんですけどね。
「来ましたよ。なんだってそんなに急なんです? 急ぎの用なんですか?」
「依頼日は一週間後だ」
「……何故僕は今日呼び出されたんでしょうか」
「俺が明日から出張だからだな」
……この唯我独尊。思わず睨み付けたが、三蔵がそんなことに動じる訳もなく。バサッとテーブルに書類が置かれた。厚さ3pはあろうかという紙の束。
「分厚くないですか?」
「厚いな」
ソファーに座って煙草をくわえつつパラパラと捲ると、概要が目に入った。
「医療ミス?」
「ああ」
「禅奥病院って、かなり大きい病院ですよね。でもそんな話聞いたこと無いですけど」
「隠蔽されたらしい」
「そんな……」
医療ミスがどんなものか解らないが、ミスがあって良いものではない上に、それを隠蔽するなんて。
「禅奥病院の剛内院長とは旧知の仲でな。俺もあの方にはとても世話になっているんだが、彼は人格者でそういう行いを良しとはしない」
「病院が、隠した訳では無いと?」
「ああ。ちなみに今回の依頼は剛内院長からの内密のものだ。先日あの方の元へ無記名の投書が届いたそうだ」
パラリと三蔵が資料を開いた。そこには殴り書きの『殺してしまった』という文字があった。
「これだけ、ですか?」
「それだけだ」
誰が書いたか解らない殴り書き。誰が書いたかだけじゃない。真実か、イタズラかすら解らないルーズリーフへの文字。
「それだけだがあの方は調べたそうだ。人の命を扱う人間として、万が一にもあってはならないことだというのも勿論あるが、あの方はそれを書いた人間の事も非常に気にしておられてな」
「書いた人……?」
この書き方から予測するなら医師か看護師か、恐らく隠蔽工作の共犯者。
「あってはならないが、人間は悲しいことに必ずミスをする生き物だ。もちろん、そういうことの無いよう最善は尽くしているが、それでも事故が起きることはある。そして誤って人を死なせてしまった上に、その事実を隠し、背負う重荷は想像できないほど重く苦しいだろう、とあの方は仰っていた」
殺してしまった罪悪感と、隠蔽してしまった罪とを抱えてしまった人の苦しみ。そして医療ということは、一人ではない。同じ苦しみを全員が背負っているのか、それともこのメモを書いた人物だけが苦しんでいるのか。また、真実を告げることによって、その罪を背負った全員を明るみに出してしまうことになる枷と。
「けれど、病院としてではなく内密の依頼なんですよね?」
「そうだ」
「それは、何故ですか?」
その院長を疑うわけではないが、直接は知らない人物であるため猜疑してしまう。内密ということは調べて真実が分かったとしても、今度は彼がそれを隠蔽するのではないかと。
「あったかどうかが解らないというのがまず一点」
「……え?」
あったかどうか解らない?
「さっきお前も言ったが、禅奥病院はデカイ病院でな、理由を問わなければ人が死ぬことも当然多い」
それはそうだろう。規模の大きい病院ということは患者数も多いという事だ。しかもあの病院は救急救命センターもあった気がする上に、建物も大きく入院の床数も相当だった筈だ。
「資料にも書いてあるが、あの病院の組織体制は大雑把に言って院長の下に副院長が3人、その下に幾つかの科を纏める部長みたいな医師数人、その下に各科を纏める医師、更に下に他の医師が居る構成だ。その他に同列に並ぶ審査会なんかもあるし、看護師や技師もいるからはっきりこうだとは言えねぇがな。で、原因の明らかな死亡―――病気やら怪我やら色々あるが、はっきりしていて問題ないものは基本的に部長クラスの医師までしか報告が行かねぇんだ。それだって把握レベルの報告らしい。原因不明な物やイマイチはっきりしねぇケースなんかでも副院長止まりだそうだ。院長まで報告が行くのははっきり言ってレアケースだけだな。だが、それをあの方はすべて調べたそうだ」
三蔵はそこで一旦言葉を切ると、煙草を咥えて火をつけた。
「何も見つからなかったそうだ」
「見つからない……?」
「死亡ケースはあったが、あの方がカルテを読んだ限りでは疑わしいと思われるケースが無かったんだ」
「……それは、医療ミスが無かったという事ではないんですか?」
「そうかもしれん。だが、上手く隠蔽されているだけかもしれん」
結局当事者でも無ければ現場に立ち会ったわけでも無い彼は、書類で知ることしかできない。そして書類は後から作り上げる物だ。
「本当に何も無ければそれでいい。あの手紙が悪戯ならそれが一番良いと院長も言っている」
「つまり、その確証が欲しいと?」
「そういう事だ」
それは、かなり難しい。何か探すべきものがあってそれを探すのは簡単だが、何もなかったという事実を証明するのは極めて難しい事だ。いや、今回の様なケースではほぼ不可能だろう。
「そんな依頼を、受けたんですか?」
僕にも出来ることと出来ないことがある。それは僕の力のタネを知っている三蔵は解っているだろうに。情に流されて不可能な依頼を受けるなんて三蔵らしくないというか。
じっと見つめる僕の視線の先で、三蔵が重々しく煙草の煙を吐き出す。
「まだ受けてねぇ」
「え?」
「テメェの占いが何でも出来るなんざ思っちゃいねぇよ。この依頼は難しいだろうことも解っている。だが、俺個人としては受けたいとも思っている」
「…………」
「あの方にもその旨伝えてある。その上で依頼を受けるかどうかを回答すると」
「……無理ですよ」
思いだけでは、どうにもならないこともあるのだ。
「無茶は承知だ。だから、あの方にも譲歩案を出してもらった」
「譲歩案?」
「調べて貰いたい部分を絞って貰った。死亡ケース7件だけだ。これだけを調べればいい。問題が有っても無くても、謝礼は払う」
「7件……」
「だが、お前は医師じゃねぇからな。例え現場を見ても、解らない可能性も有るだろうよ」
「解っていて何故……」
「……気に入らねぇだけだ」
三蔵は何がとは言わなかったが、なんとなく解った。事実を隠すその性根やそれを良しとしている人、そして投書だけして後は丸投げしている人たちの事だと。それぞれ苦しんでいるんだろうし、事情もあるんだろうが、それは結局お互い様なのだ。丸投げされた方だって、絶対に苦しむのだから。特に今回のように見つからなかった場合。自分の捜し方が悪いのではないか、何か見落としているのではないか、見付けてしまって良いのだろうか、そもそも本当に存在するのか―――。
「それから、もう1つな」
咄嗟にその言葉の意味が解らなかったが、直ぐにそれが、さっき僕が聞いた理由の二点目だと気付いた。
「本当に医療ミスが有りその隠蔽があった場合、公表はするそうだ。どちらの件についても、然るべき対応はすると。ただ、まず公表ではなく、先に遺族へ謝罪すべきだとあの方は考えているんだ」
「…………成程」
まず原因究明、そして遺族への謝罪、それから公表と院長は考えているのだろう。確かに、その通りである。遺族が後から、自分達の事なのにマスコミの報道なんかで事実を知るなんて最低だ。それではただの保身か義務に従った事務的な物に他ならない。
「返事は当日までで良い。テメェにも出来ないことはあるからな。……だが、俺個人として、俺からも頼みたい」
頭こそ下げなかったが、三蔵が僕に頼み事をするのは初めてで、驚きに目を丸くしてしまった。
静かな空間に紫煙がゆっくりと流れる。
「……解りましたよ」
溜め息を吐きつつ言った言葉に三蔵は嬉しそうな顔ではなく厳しい顔をした。この人は自分がどれだけ無茶を言っているのか解っているのだ。
「さすがに努力しますとしか言えませんがね。見つかるかもしれないし、ミスが無かったことが解るかもしれない。でも、僕がそれに気付かず見逃すかもしれません」
「承知している。あの方も、自分が見つけられなかった事だと解っている」
だから例え気付かず見逃したとしても僕のせいではないと、言いたいのだろう。その気遣いがありがたい、のだが。
「気を使う三蔵ってレアでちょっと気持ち悪いですよね」
思わず茶化してしまった。当然三蔵は苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨んだが、何故か直ぐに煙草を灰皿に押し付けると新しいものをくわえ、火をつけた。
「ちなみに内密の依頼だからな、当然場所も病院じゃない」
「でしょうね。院長の自宅とかですか?」
「ああ。一週間後の19時半に現地だ。夕食に招かれている体だが、残念ながら俺の出張は2週間でな」
「…………後出しは汚いでしょ」
「確認不足を俺のせいにすんじゃねぇ」
しれっとしている三蔵が人の悪そうな笑みを浮かべた。
「立ち合いは捲簾だ。19時にここに集合。謝礼は出るが通常の仕事じゃねぇからな」
「……解り…ました」
絶対僕の確認不足じゃなく、三蔵が条件提示を怠っていると思いますけどね。
指定された時間の少し前に三蔵の部屋に到着すると、三蔵の秘書だと言う方が鍵を開けてくれた。いや、それよりも三蔵に秘書が居たことが驚きだ。いや、驚きでもないのかな? 当たり前と言えば当たり前か。三蔵は代表取締役であると同時にこの会社の会長の甥なんだから。しかし、そんな役職なんかからは当たり前だと思えてもあの三蔵なだけになんとも意外で……。思わずその人にその辺を伝えたら、胃を擦りながら苦笑された。お仕事大変そうです。ちなみに三蔵の秘書ではなく、重役達全員のスケジュールを調整したりする秘書課の所属だそうだ。僕には絶対に出来ない仕事です。
車を回しますから出掛けるときに声を掛けてくださいと言って彼は戻っていったので、いつものソファーに座って煙草に火をつける。
あ、そう言えば捲簾と会うのは前回の依頼以来だな。
「…………」
ふっと煙を吐き出す。と、扉をノックする音が響いた。
「開いてますよ」
そう告げると扉が開いて捲簾が中に入ってきた。
「悪ィ、遅れた」
「いえ。じゃ、行きましょうか」
「ああ」
二人で連れだって部屋を出て歩く。……なんか気まずいです。会話が無いと言うより、話題が無いです。何を話していいか解らないというか、話しかけていいのかも分かりません。捲簾と居てこんなに居心地悪いの、初めてですっ。
途中で秘書課に寄って配車をお願いしてエレベーターへ乗る。捲簾がロビーのボタンを押してパネルの前に立つ。こういうときに限って誰も乗ってこないという。ていうか、どうして捲簾も何も言わないんだろうか。僕にはもう愛想が尽きたのか、怒りのあまり言葉が詰まっているのか、二ヶ月会わないうちにどうでも良くなったか。
チラリとパネルを見ている捲簾を伺う。いつも表情豊かな人なのに、今日はずっと無表情だ。こんな捲簾は初めて見る。いつもなら初対面の相手にでもフレンドリーなスキンシップ大精な人なのに。顔立ちが整っているせいで、その印象は酷く冷たく感じる。そう言えば悟空が捲簾の様子がおかしいって言ってましたね。確かにおかしいかもしれません。
静かにエレベーターが止まる。開いた扉を出てそのままセキュリティを通過して来客用カードを受付に返すと、正面玄関を出る。既に横付けされていた車の扉を運転手が開けてくれたので、無言のまま二人で乗り込んだ。
直ぐに走り出した車の中でもお互いやっぱり無言で、後部座席に隙間を挟み並んで座り捲簾は窓の外を見詰めている。20分程走ると、車は閑静な住宅街の大きめな家の前で停車した。車を降りて門柱の住居表示を見れば、どうやら世田谷区らしい。道理で高そうな家が多いワケです。
「帰りは送ってくれるらしいから戻ってて」
捲簾が運転手にそう告げドアを閉めた。ので、取り敢えず目の前のチャイムを押してみた。個人の家の前で話してても仕方ない。
「ようこそ二人とも。いらっしゃい」
インターホンでは無く玄関の扉が開いて長身の男性がにこやかに姿を見せた。とてもガッチリした体型をしている上に髪を長くしていて、とても病院の院長には見えないが、この人が剛内院長なんだろうか?
「本日はお招き有り難うございます」
「堅苦しい挨拶は無しだ! さ、入ってくれ」
なんというか、体育会系の豪快な人物ですねぇ……。さすが、あの三蔵が世話になっているなんて言うワケです。促されるまま家に上がり、リビングへ通される。座り心地の良いソファーです。彼は僕らを案内すると部屋を出ていき、直ぐに飲み物を乗せたトレイを持って戻ってきた。
「大したものは無くてすまない。普段他の者に任せているのでな」
「今日は居ないんですか?」
「ああ。旧知の友とゆっくり語りたいと全員に休暇を取って貰った」
グラスをテーブルに置くと、彼は僕らの正面に座った。
「改めて、剛内だ。今日はよろしく頼む」
「捲簾です」
「天蓬です。お力になれるかは解りませんが、微力を尽くさせていただきます」
なんというか、貫禄はあるのだけど偉ぶったところの無い人物だ。経験や年月によるオーラは感じるが、権力を振りかざしたり上から押し付けたり決めつけたりするような圧迫感は無い。この人の前に立つと、良い緊張感がある。
「改めて説明をした方が良いか?」
「いえ。確認だけさせていただいても良ろしいでしょうか?」
「構わない」
「まず、僕には医学の知識はありません。ですから、さりげなくそれが行われている場合、気付かない可能性があります」
「ああ」
「それから、調べるのはリストアップされていた7件だけです。宜しいですね?」
「間違いない。よろしく頼む」
そう言って彼は深く頭を下げた。普通、こんな若造に、しかも胡散臭い占いをするという相手に、潔く頭を下げて頼み事なんて出来ないんじゃないだろうか。しかも、今回の依頼の場合、なにもせずに見つかりませんでしたと回答することも出来るのだ。騙される可能性を理解して尚相手を信じる事ができる。この人は信用できる人だ。
「ではお調べしますが、多分時間がかなりかかると思います。ご心配も気遣いも不要ですので、仕事なんかをしていて頂いても構いません」
「了承した。一応玄奘から占い方は聞いているが、申し訳ないが俺には良く解らなくてな。至らない点があったら遠慮無く言ってくれ。それから、そのソファーに寝てくれて構わない。捲簾君は他のソファーでも椅子でも好きに使ってくれ。移動させて済まないな」
「いえ。俺は単なる付き添いですから」
捲簾はそう言ってグラスを取ると窓際のソファーに移った。
「では、ちょっと横にならせて貰いますね」
コロンとソファーに転がってクッションを頭の下に挟む。あ、このソファー寝心地も最高です。家の主の雰囲気と相まってとてもリラックスできる。これなら心置きなく潜れます。
「では、行ってきます」
すっと目を閉じたその時、捲簾が口を開いた。
「天蓬。長いってどんくらい?」
「……解りませんが、一時間も二時間もはかかりませんよ」
捲簾の声の感じが、なんだか普段と違った。心配させてるんだろうか。捲簾は確かに霊感は有るんだろうが、そんなに強いわけでも無い。見えるだけで、霊をどうこうしたりする力は無い。生まれ持った個人の意志なんかの生きる力が強いから、捲簾自身が彼等から影響を受けることは無いようだが、逆もまた然りだ。だから心配するのだろうか。僕が居ない事だけしか解らず、何も出来ないから。そんなに心配要らないんですけどね。三蔵に何か言われたんだろうか。ぶっちゃけ三蔵は気にしすぎなんですよ。やだな。貴方に心配なんてして欲しくないのに。だから貴方に知られたく無かったし、貴方を同行もさせたくもなかったのに。
ゆっくり意識が沈んでいく。今は色々考えている場合じゃない。まずは仕事をして、早く帰って来ることを考えよう。すっと広がっていく視界が整然と並ぶ本で埋め尽くされた。
依頼をこなして剛内院長の家を出た時にはもう、てっぺんを大幅に回っていた。結局あの後一度では調べられず何度か出直した挙げ句、どれが重要なのか解らず、院長に聞きながら医療ミスと隠蔽工作を見付けられたものの、その情報自体が持ち出しにくくて手こずって、結局今日だけで何回あそこを訪ねたのか。取り敢えず二桁に乗っている事だけは確かだ。さすがに疲れました。潜るのは難しくは無いけど、集中力がかなり必要なんです。
でもある意味スッキリしました。事故も見つかりましたし関わった人も解りましたし、状況も大体解りましたから。本当は無かったことが解るのがベストなんですけど、でも僕の仕事的にはね、どうしても何も見つからないと、何か見落としているんじゃないかってずっと気になってしまうので。
タクシーが僕らの住むマンションの前で止まった。剛内院長は自分が送ると申し出てくれたのだが、さすがに時間が遅すぎて気が引けたので代わりにタクシーをお願いしたのだ。料金は後で言ってくれれば払うと言ってくれたので、一応領収書を貰っておく。二人で小さなエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。捲簾は6階、僕は8階。と、ずっと無言だった捲簾が僕を見ないまま掠れた声で言った。
「お前もうあのバイト止めろ」
「……藪から棒に何です?」
前後の脈絡もなにもあったもんじゃ無い。怪訝そうな顔をした僕を相変わらず見もしないまま、捲簾は淡々と言葉を紡ぐ。
「いいから止めろ」
「そう言われてもね……」
「仕事なら他にいくらでもあるだろーが」
「どんな仕事をしようと僕の自由でしょ」
「けど、あんなッ」
声を荒げた捲簾が僕を睨んだ。
「お前が心配なんだよッ! あんな死と紙一重の場所で何かあったらッ……!」
どうしてこの人はこんなに僕を心配してくれるんだろう。優しい人だから、他の人と同じなんだろうけど、けれど今はそれが少し困る。
僕のことなんて、気にしなくていいんですよ?
「貴方は知らないから危険だと思うだけです。僕は昔からこの力を使っているんですから、そんなに危険じゃないのは解っています。だからそんなに心配しなくても平気ですよ」
「お前は調べてる最中の自分の状態を知らないからそんなことが言えるんだ!」
……この人がこんなに感情的になるなんて初めてだ。僕の事情も聞かずに一方的にとか、誰に対してもそんなこと滅多にしない人なのに。
「……どうしてそんなに僕のことを心配してくれるんですか?」
意外と理性的で常に精神状態はフラットな、好戦的に、ノリに乗って面白がっている時でさえ、どこか計算してそう振る舞っている貴方が思わず激昂する理由が解らない。僕が知らないだけで、友達には普段からそこまでするんだろうか。
……友達だと、まだ思ってくれてたんだろうか。僕のことなんて早く忘れて欲しかったのに。
「大丈夫ですよ。貴方が心配することは何一つ無いんです。もしも気になるなら、今後同行を断ればいいんです」
「そうじゃねぇだろ! そうじゃなくて……いいから止めろっつーの!」
止めろってそんな。
「貴方に指図される理由が解りません」
静かに見つめ返すと、言葉に詰まった捲簾が俯いた。
「だから、心配だっつってんだろーが……」
確かに、捲簾の様子がおかしい。こんな捲簾は見たことがない。どう言ったら、安心してくれるのだろう。どう言えば捲簾に届くのだろう。
「本当に、大丈夫なんですよ?」
解らないまま同じ言葉を繰り返す僕に、捲簾はゆっくり顔を上げて、僕をひたりと見つめた。
「頼む。もうあの仕事はしないでくれ」
平行線で全く話が通じない。
「だから、どうして―――」
言葉は最後まで言えなかった。
「お前が好きだ」
耳に届いた信じられない言葉に、目を見開く。
捲簾は僕を見据えたまま、はっきりと言った。
「お前が好きだ。だから、あんな死に近い仕事はもうして欲しくない」
ちょっと待て。今、なんて言った?
「お前が俺を好きじゃなくても、お前が死ぬのは嫌なんだ。だから―――」
今、捲簾は、何て言った……?
『オマエガスキダ』?
貴方が、僕を、……好き?
「天蓬?」
僕は、してはならないことをしたんじゃないだろうか。
―――だってまさか貴方が僕を好きになるなんて思っていなかった。
僕は貴方に好きだと伝えるべきでは無かったんじゃないか?
―――だって貴方は冗談だと思ってくれてたから。
僕は、貴方の近くに居るべきじゃ無かったんじゃないか?
―――せめて、顔を見たくて。声を聞きたくて。貴方に会いたくて、だから。
……僕らは、出会うべきじゃなかったのかもしれない。
ああ、捲簾、ごめんなさい。
僕は、貴方が好きです。
好きです。大好きなんです。
―――だから。
「天蓬?」
「サヨナラ……です」
好きだから、貴方の気持ちには応えられない。
「天蓬?」
伸ばされた貴方の手から逃げる。
どうして貴方みたいな人が、僕なんかを好きになってしまったんだろう。
未来なんて無い僕なんかを。
ごめんなさい。
最初から貴方に出会わなければ良かった。
僕がくだらない期待なんかして、占いなんて真似事していたせいで、貴方まで巻き込んでしまった。
ごめんなさい。
悪いのは僕だ。
―――もう、貴方には会えない。
|