FATE


9.現在(side:捲簾)


腕の中に閉じ込めておけば、少しは不安が減るかと思ったんだ。天蓬が死んでいるようなあの不安が多少なりとも軽減されるんじゃないかと、思ったんだ。
けれど、その考えは甘いって直ぐに思い知らされた。
腕の中の天蓬の身体から力が抜けて、気配が遠のいていく。ゆっくり天蓬が居なくなる感覚。不安が消えるどころじゃない。むしろ逆だ。まるで俺の腕の中で天蓬が死んでいくような感覚……。
邪魔になるとか考え付かずに抱いた腕に力がこもる。
もうこんなことは止めてくれ……。
俺にそんなことを言う権利なんて無いのは解っているが、そう思う。だってそうだろ? お前がこうすることによって助かる人は確かに居るのかもしれない。けど俺は、それよりお前にこんな危険なことはして欲しくないよ。お前が自ら選んでやっているのは解っているから言わないけど。言えないけど。
黙ってじっと待つ。待つ時間が長く感じる。前回は動揺しまくっていたから実際どのくらいの時間だったか解らなくて比較のしようがないけど、それでも前回よりも長い気がする。早く帰ってこい、天蓬。この状態でお前に何かあっても、俺には何も出来ないから。だから早く帰ってきていつもの顔を見せてくれ。憎まれ口でも皮肉でもいいから、声を聞かせてくれ。
祈るような気持ちでいた俺の腕の中の、天蓬の目蓋がゆっくりと持ち上がった。
俺はすげぇほっとして、天蓬を閉じ込めていた腕から力を抜いた。
「学校、定期、刺青……」
「え?」
小さな声で天蓬が呟いた。けどその目はまだぼんやりしていて正気かどうかの判別が難しい。少しの間沈黙のままだった天蓬の目に光が少しずつ戻ってくる。そして顔を上げて机の上の写真を見た。
「すみません。この中には犯人はいません」
まだ何処かぼんやりしたまま天蓬は言った。
「確か、容疑者から外した人の写真もありましたよね。それを見せてもらってもいいですか?」
「ああ、構わないが……」
担当者の指示で部下が…宋公って言ったっけ…が部屋を出て行く。天蓬はそれ以上何も話さない。沈黙が落ちる。話が出来る雰囲気じゃないから、俺は取り敢えず天蓬の隣の椅子に戻った。しばらく経って、煙草を吸いたくなった頃、ようやく宋公が戻って来た。
「お待たせしました」
それだけ言うと机の上に持って来た写真を置いた。さっきまでのより全然多い。ってか、これ多すぎじゃね? まぁそうか、さっきのは容疑者で今回のは関係者全てだ。そりゃ多いだろう。被害者の関係者だけでも相当居そうだ。なんせ被害者二桁だもんな。
天蓬は無造作に写真に手を伸ばすと、良く見る事もなく写真を右にスライドさせていく。しばらくそうしていたが、時々写真を左にスライドさせた。そうして写真を全て見終わると、左に分けた写真を今度は全て見えるように広げた。残った写真は7枚。どれも似たような雰囲気の男。それをじっと見て、1枚ずつ選んでは右の山に加えていく。そして最後に残った1枚を、警察の前にスライドさせた。
「この方です」
ふっと息を吐いてようやく天蓬のぼんやりした雰囲気が消えた。けれど、警察の担当者は顔をしかめた。
「コイツにはアリバイがあって、容疑者から外れたんだが……」
容疑者の中に入っていなかったと言うことはそうだろうな。多分今見た関係者達はみんなアリバイがあるんだろう。と言うことは今回は犯人を探すだけじゃなく、アリバイ崩しまでが仕事と言うことになる。
もう一度アレをやるんだろうか……。
窺うように天蓬を見ると、ちょうど天蓬も俺を見たところだった。
「捲簾」
「ナ、ナニ?」
「さっき僕が言った言葉、覚えてます?」
「へ?」
さっき…って、ああ、アレか。起きざまに呟いたヤツか。ってかアレを覚えてろって言うのかオマエは…。まぁ覚えてるけどよ……。
「ん…と、学校、定期、あと確か刺青」
俺がそう言うと、天蓬は顔を正面に戻した。
「だ、そうです。アリバイはそこから崩してください」
「って、それだけなのかよ?」
思わず言ってしまった俺に、天蓬が肩を竦めた。
「言った筈です。情報全てを持ち出す事は出来ないと。僕にはこれが限界なんです」
そういえば確かにそう言ってた。だけどあのキーワードだけで一度立証されたアリバイを崩せって言うのか? 尚もいい募ろうとした俺を止めたのは天蓬じゃなく、警察の担当者だった。
「十分だ。今回も協力感謝する」
そう言われてしまえば俺は黙るしか無い。仕事は終わったとばかりに部屋を出る天蓬に俺は不承不承ついていった。

駅に着いて、来た電車に乗る。しかし、家の最寄り駅につく前に天蓬は電車を降りた。理由が解らなくて思わず俺も降りると、天蓬は乗り換えホームに足を向けた。
「まだなんかあんの?」
俺の声に振り向きもせずに、天蓬は歩き出す。
「今日はもう何も有りませんよ。僕は少し遊んでから帰ります」
別に遊んで帰るのは構わないが、その普段とは全く違う態度に面食らって思わず呆然と見送ってしまう。階段に姿が消えてからようやく俺も動き出した。まだ時間も早いからスーパーにでも寄って帰ろう。今日の夕飯は何にしようか。
そんな普段通りのことを考えつつも、頭のどこかで天蓬のことを考えている。
そもそも今日は最初から様子がおかしかった。いや、今日だけじゃない。正確にはこの前の三蔵の部屋での会話の後からだ。あの日から天蓬は俺から距離を取っている気がする。ほぼ毎日一緒に食べていた夕食も、あの後は一度も一緒に食べてはいない。そりゃ都合だってあるんだろうが、ここ数年でこんなの初めてだった。マンションの近くでバッタリ会うことも無いし、部屋を訪ねても出てこない。多分部屋には居るのに、だ。明かりも点いているし、電気のメーターだってぐるぐる回っている。にも関わらず開かない扉。今日だってそうだ。天蓬は仕事上必要な時以外、俺の目を見なかった。そして、夕食どころか一緒に居ることすら拒絶した。たまたまが重なっているわけじゃないのは明白だった。明らかに避けられている。
思わず溜め息がこぼれた。
天蓬の望まない事を仕出かした自覚はある。あれだけひたむきに隠していたことを無理矢理さらけ出させた。俺の我が儘だったし、俺が悪いのは明白だ。その結果がこれなら俺はこの結果を受け入れるのが当然なのだろう。そう思っても納得は出来ない。嫌がることをしたって言っても、それ自体には、まぁ感激はしちゃいなかったが、隠すのを諦めたようだった。その証拠にあの後から三蔵の部屋での会話までの態度は普段通りだった。だとしたら、おかしくないか? 俺を避け始めるタイミングが。
スーパーの籠に野菜を放り込んでいく。が、どれくらい買って良いのかが解らない。一人分か二人分か…。天蓬はしばらくは俺と飯を食う気はないだろうな。とりあえず一人分より少し多目にして、もし足りなくなったとしたらまた買いにくればいいや。レジで会計をして、マイバックに買った物を詰めて店を出る。
しばらくならいいけどな……。
夕暮れ時はなんとなく物悲しさを連れてきて弱気になる。もう天蓬と飯を食うことができなかったらどうしよう、なんて考えまで浮かんで来て苦笑した。
料理は嫌いじゃないが、特別好きでも無い。なのに毎日作っていたのは、作る方が安上がりだからってだけじゃない。食べてくれる人が居たからだ。天蓬はさ、放っておくと飯なんか食べやしねぇし、家だって散らかり放題だ。だから俺が面倒みてやらなきゃって思ってた。俺が世話をやくとアイツは嬉しそうに笑っていつも俺を好きだと言ってくれた。俺はそれが嬉しくて、余計に天蓬を甘やかしてたんだ。
まぁ、もうそれも無いかもしれないけどな。
今のアイツの態度から見るに、今回のことは天蓬に取って本当にされたら嫌な事だったんだろう。誰かに何か嫌な事をされた場合、アイツがする反応は2パターンある。一つはストレートに怒ること。した相手に直接ぶつかる。怒って、何がどう嫌なのか、何をされたのが嫌なのか、とにかく相手とケンカなり話なりをする。そしてもう一つは……、相手の存在ごと無かった事にする。話どころか接点すら絶つ。仮に何かで必要があって話したりすることがあっても、もう相手には期待もしなければ感情すら動かさないため、その他大勢と同じように愛想笑いをし、世間話をする。空気と同じだ、そこに存在していないことにされる。
……今回の場合、後者に近い気がする。だとしたら、天蓬の中で俺はもう存在していないことになっているんだろう。
覚悟はしていたが、結構辛いな……。
マンションのエレベーターの上のボタンを押して、すぐに開いた扉をくぐると、俺は無意識に8階のボタンを押していた。8階は天蓬の部屋じゃねぇかよ。食材持ってる時は基本そうだったこともあるし、天蓬のことを考えてぼんやりしていたのもあるし……。
ため息を吐いて自分の部屋のある6階のボタンを押して、8階のボタンをダブルクリックして明かりを消した。
天蓬ちゃんと夕飯食うかな…? 遊んで来るって言ってたけど、やっぱそういう遊びなんだろうな。セフレか適当に引っ掛けるのかはわかんねぇけど、誰か俺の知らないヤツにまた抱かれるんだろう。
ってか、アイツは俺に好きだと言うことはあっても抱いて欲しいとかその類いの事は言ったことが無かったな。だから本気じゃ無いんだろうなんて安心していた部分もあったわけで。
おかしいな、なんかもやもやする。これは嫉妬なんだろうか? 俺の事を好きだとか言ってくれていたから、自分が天蓬に取って特別な存在であるような自惚れでも持っていたのかな。……そうかも。こんな風に壊れてしまうとは思ってもいないくらい、自惚れていたのかもしれない。
実際は簡単に壊れてしまったわけだけど。
ああ、でも、友達としての接点は無くなったとしても、三蔵に頼んで仕事の付き添いだけはさせてもらおうかな。どうせ俺か三蔵が行くしかないんだから三蔵は断らないだろう。天蓬と友達でいられなくなってしまうのは残念だが仕方ない。けど、やっぱあの仕事はちょっと気になるんだ。いつか俺の知らないトコでお前があのまま居なくなるような気がして、いつかあのまま死んで行くような気がして……。
お前が死ぬのは嫌なんだよ。例え友達じゃなくなったとしても、それでも嫌なんだ。
本当はさ、友達でいたいさ。俺がお前の特別であればいいと思う。お前が俺にセックスを望まなかったから俺たちの関係は変わらなかったって思ってたけど、それは確かにそうなんだけど、変わるって悪い方だけだったのかな? お前に求められたら俺は困ると思っていたけど、それはどういう意味でだったんだろう。変だな、俺何考えているんだろう。別にお前が俺にセックスを望まなかったのは、俺をそういう意味で好きだった訳じゃないからだけなんだろうに。
……なんか、辛い、な。
お前が傍に居ないことが、こんなに辛いのはなぜだろう。もう、俺を見てくれないことが解っているからだろうか。
「天蓬……」
掌を握りしめると、あの時の感覚がふとよみがえった。俺の腕の中で、お前が死んで行くような感覚。もうあんなことさせたくないんだ。そう言われるのが解っていたから、お前は俺に秘密にしていたのか? ……お前は怖くないのか? あんなに死に近い場所にいるのに。俺は怖いよ。お前が死ぬことが、お前が居なくなることが、お前に嫌われるよりもずっと怖い。
……それって……、そっか、俺はお前の事が、好き、なんだ。
不意に自覚したら、すごく切なくなって俺は思わず目をぎゅっと閉じた。
……なのに、俺はこんなにも何も出来ない。





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