6.現在(side:捲簾)
残業を終えて会社をでたら、外はもう真っ暗だった。
コートの襟を立てて首を寒さから守ろうとしてみたが、首筋に当たる襟の感触にイライラしたので結局やめて、コートの袷も開いたまま歩き始める。
俺の部屋は会社から歩いて5分程のところにあるマンションの一室だ。
会社の所有物件で、社員なら家賃が安くなる上に会社に近いというお得な物件。
お得なだけに希望者は多く競争率も高かったが、俺は三蔵というパイプを持っていたおかげで難なく入居することができた。
持つべきものは友だ。言ったら殴られそうだから言わないけど。
会社の表が閉まっていたので裏から出たわけだが、表通りは混んでいるだろうと思い裏通りを歩いている。
偶にはこういう世の中の汚い部分を見て歩くのもそれはそれで楽しいもんだ。
壁のらくがきを眺めながら歩いていたら、なぜか人が転がっていた。数人。
うーん、この寒いのに路上でお昼寝たぁ、変わった趣味だなぁ。
なんつって。
ケンカでもしたんだろう。まだ赤い痣とか鼻血とかが見えるから。そんで負けて伸びちゃったのね〜。かわいそぉに。
さらに踏んだりしたらさすがにかわいそうだから、またいで路地から通りに出ると、そこに見慣れた男を見つけた。
珍しいことに女づれで。
彼女か? それともセフレ?
普段から、面倒くさいから抱かれるほうが楽でいいですとか言ってるヤツだから、女づれは本当に珍しい。
と思って見ていたら俺の予想は外れていたようて、その女はヤツにお礼を言っていた。
ということは、先ほどのお昼寝している人たちはコイツの仕業か。
女を暴漢から助けて…ってカンジ?
コイツの腕っぷしなら、朝飯前だろうしな。
何度も頭を下げて駅の方へ消えた女に、笑顔で手を振ってる姿に、俺は思わず苦笑した。
「天蓬」
声をかけると、ソイツはゆっくり振り返って花が咲くように笑った。
天蓬の現在の家は、俺と同じマンションだ。
アイツが8階で俺は6階。
元々ここに住んでいたわけではなく、俺と同じように大学卒業と同時にここに引っ越してきた。
俺はともかく、天蓬は完全に三蔵による特別扱いだ。
だってコイツ、ウチの会社の社員じゃねぇもん。
時々バイトをしているだけの、部外者。
なのに家賃はタダらしい。納得いかない。
そうやって周りが甘やかすからコイツは働きもしないんじゃなかろうか。
まぁ、そんなワケだから、結局俺は天蓬の前の住まいも住所も知らない。
大学2年の春に出会ったから、丸々3年くらいの間、天蓬は俺に家を隠していたことになる。
変なヤツだと思う。
家なんて、隠す意味が俺には良く解らない。
親と住んでいてってワケでもなさそうだし。
っつか、家族の事は今でも話さないから知らねえんだけどな。
親の事、兄弟のこと、地元のこと、何一つ話しゃしねぇ。
余りに話さないから逆に不自然で、だから多分、親や兄弟は居ないんじゃなかろうかと思っている。
死んだのか、もともと居ないのか、仲がとてつもなく悪いのか、その変は解らないが。
天蓬が隠す情報が、深い意味のあるものばかりではないことを俺は知っていた。
といっても、最初は気付かなかったけどな。
あるとき、ずっと隠していた情報をコイツがポロリとこぼしたことがあった。
けれど、それはずっと隠してきたにしてはたわいもないことで。
天蓬がそれにとても執着していて、とかいうんじゃないことはすぐにわかったけれど、それが何故かはしばらく解らなくて。
かなり経ってからその理由に気づいた。
見せたくない、本当に重要な秘密だけを隠しているのでは、あからさまに不自然であるし、隠している部分が重要なのだと告げているようなものだと。
だから、たわいもない、どうでもいい情報と、本当に隠したい情報と、そしてそれにつながる可能性のある情報の全てを天蓬は隠している。
どれだけ付き合っても決して晒されることのない部分。
だから飢えるんだろう。コイツの存在に。
もっと知りたいと思う。
俺の前に全てを曝け出させたい、と、思う。
これは征服欲に似ている気がする。
そんなことを思っていても、だからどうするってワケでもないが。
そんなことを考えつつ、俺はフライパンを揺らし、炒めた野菜を皿に移した。
本日の夕食完成。
皿を持ってダイニングに移動すると、天蓬はソファの上に転がって本を読んでいた。
つか、この部屋って俺の部屋より全然広いんだよな。
現在俺が居るのは天蓬の部屋だ。
引っ越した事実を教えられた時にもびっくりしたが、そのまま家に引き摺ってかれて、あげくに部屋の片づけを手伝わされたときは、唖然として言葉が出なかった。
部屋にあげるのが嫌で家を教えなかったとか言うわけじゃなかったのかとか、普通他人が自分の物を触ったり弄ったりするのは嫌なんじゃないかとか、そもそも引越しの片づけ手伝わせるってどういう状況なのとか、頭ん中をぐるぐる回って。いや、手伝ったけど。
その時段ボールから出てきたものは、もちろん本だけじゃなくて、卒業アルバムとか預金通帳とかも無造作に入ってて。
それをこっそり見ることはできたけれど、俺はしなかった。
だって俺は暴きたいんじゃない、曝け出させたいんだ。
コイツが俺に知ってほしいと思わなきゃ意味がない。
「おい、メシできたぞ」
声をかけても返事が無い。どうやらまた本の世界へ旅立っているようだ。人にメシ作らせといていい身分だな、おい。
イラッとしたので、本を奪ってやろうとソファへ近づく。
傍に他人が居るというのに無防備に本の世界へ旅立っている。帰ってくる気配もない。
少しは警戒心を持った方がいいんじゃないんだろうか。それとも俺ってそこまで信用されちゃってる?
ちょっと心の中でだけおどけてみせる。
せっかくなのでソファの脇にしゃがんで、天蓬を観察してみた。
相変わらず綺麗なツラしてんなぁ。この顔なら抱いてくれる相手には困らないだろうな。
天蓬に恋人は居ない。
俺が知らないわけではなく、本人談だ。
なので、性欲発散の為にセフレが何人か居る。
俺がそれを知ったのは単なる偶然だったが、天蓬の方もそのことを隠したりする気は全く無かったらしく、聞けば素直に教えてくれた。
ってか、年上のオジサマと歩いてるのを偶然発見して、親なのかと聞いたら違ったってだけだが。
何故か天蓬はその時俺に親切に、そのオジサマは僕のセフレですと説明してくれた。
セフレが居るって暴露するより、親って誤解されんのの方が、そんなに嫌なのか、オイ、と俺は思わずそっちに飽きれた。
んで、それ以来天蓬が見知らぬ誰かと歩いていたり、知らない匂いをつけていたり、キスマークなんぞを付けていたりする度に聞いてみた。ちなみに単なる興味本位だ。
そしたら、セフレが何人か居たり、適当に会った人をひっかけたりして性欲発散していることを知った。ちなみに男女比は男9:女1。男多いなと思うより、女抱けたんだコイツって驚いてしまった自分にちょっと黄昏た。イヤ、天蓬の面倒くさがりな性格知ってたからさー、女抱くの面倒くさいとか思ってそうだなって思っちゃったんだよ。
天蓬が男とヤったことがあるってのは結構最初の方から聞いてたけど、実は初めはあんまり信じてなかった。
その言葉が出た経緯が経緯だっただけに、売り言葉に買い言葉っぽかったからさ。
それにコイツは俺に妙な告白もかましてくれたから、男とマジでヤってたとして、その上で俺に告って来たっつーことはだ、オマエ俺に何求めてんの?って話だ。
だから危ない綱渡りはしたくなかった俺は、天蓬の告白は冗談で、ついでに男とヤってんのも言葉のアヤだと思い込んでみた。
まぁ、男とヤってんのは本当だったわけだが。
だからといって、それで俺らの関係が変わるということもなく。
もし天蓬が俺を誘ったとしたら、関係がどうにかなった可能性も無くはないが、コイツはそれをしなかったし。
性欲発散の対象に自分が入ってないなら、別に天蓬が男とヤろうがかまわない。
俺も結構遊んでるから(女限定だけど)セフレが居たっていいと思うしな。
しっかし、コイツ本の世界に旅立ちすぎじゃねぇか?
これだけ至近距離で顔見つめてるのに気づく気配すらねぇ。
オマエの俺の事好き好き言う気持ちはその程度のモンなのか。
と、変な逆切れをしつつ俺は立ち上がって、今度は天蓬の本を奪い取った。
「へ…?」
間の抜けた声を上げて目をしばたたかせて、天蓬はこちらの世界に無事帰ってきた。
「メシ出来たっつってんの。この俺が熱い視線送ってんだから気づけよ、馬鹿」
「え、熱い視線送ってくれてたんですか?」
「おーよ。至近距離で見つめてたっつの」
「すみません、全然気づきませんでした」
「……」
こういうヤツだよ…。
ため息をついて、本を天蓬へと返し、俺は夕食をとるべく椅子に座った。
天蓬もすぐに本をソファに置くと、俺の向かいに座った。
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