5.現在(side:天蓬)
静かに意識が沈んでいく。
深く深く沈んで、どこまでも沈んで。
やがて辿り着くその場所。
何処までも続く無数の本がある図書館。
まぁ、図書館に見えるのは単に僕のインターフェース的な問題なんだけど。
とりあえず用を済ませないと。
手近なところの本を一冊取り出して開く。
知りたいのは最後の記憶だから、後ろから開いて。
現実世界で得てきた知識と事実とを照合して、そして犯人の顔を脳内…というか、魂?に記憶する。
絶対に忘れないように、大事に心に落とし込む。
ここに来るのは簡単だけれど、ここから情報を持ち出すのは大変だ。
いつからここに来られるようになったかは解らない程昔から、僕はここに来ていた。
何度か来たら、ここの司書だという男に来館カードを渡された。
その人は、唯一ここで見ることができた人だった。彼以外の人に出会ったことはまだ無い。
来館カードを貰ってからは、ここに来ることがとても容易くなった。
以前のように、偶然に紛れ込むのではなく、行こうと思うだけで、潜ってこれた。
けれど、それと情報を持ち帰るのとは別の問題で。
ここから帰るときに、情報は劣化する。
忘れるという形で劣化する。
ここにはどんな情報も、知識も、それこそこの世界の全てが記録として残っている。
そんな場所だからなんだろう。
ここで情報を見るのは自由だけれど、それを持ち帰ろうとすると、その情報は劣化してしまうのだ。
まるで夢の中の出来事のように、おぼろげで曖昧な、そして思い出そうとしても思い出せない。
だから、僕は、知りたいことをしっかりと握りしめるようにして帰る。
たくさんは持ち帰れないから、僅かな重要な情報を、魂でくるむようにして、現実へと帰るのだ。
戻る感覚は、目覚めの感覚とよく似ている。
意識がどこからか浮上する。
最初は僅かに、身体と中身がズレているかのような違和感を感じるので、それが馴染むまで身体を動かすのは待っておく。
中身と身体がうっかり分かれてしまいそうな気がして少し怖いからだ。
それが収まって来たら、ゆっくり目蓋を上げる。
ぼやける視界がだんだんとクリアになってゆく。
僅かに息を吐いて、僕は三蔵にもたれていた身体を起こす。
情報を無くさないように、そっと。
まだ覚えている。
その情報が消えないうちに、机の上の写真を眺めて、同じ顔を探す。そして見つける。
あの図書館で見た記録の顔と、同じ顔の写った写真を手に取り、相手に示す。
「この人が犯人です」
言葉を聞いた警察の人は、明らかに信じていない瞳をしていた。
それから数日後、新聞で連続誘拐殺人事件の犯人が捕まったことを知った。
この間僕が、出向いた仕事の結果だ。
その記事の顔写真を見たけれど、もう記憶の彼方に忘れ去ってしまったようで、初めて見る顔のような気がする。
あの時僕を疑っていた警察の人も、一応キチンと調べたんだろうな。
まぁ、その人の一存で僕のところに話が来たわけじゃないから、当然なんだろうけど。
警察からの依頼は偶にある。
ちょっとしたツテがあるのだと三蔵は言っていた。
警察から三蔵のところへ、三蔵から僕のところへと依頼は来る。
そして僕は三蔵と二人で出かけて行って、詳細な依頼の説明を受け、調べて、犯人のヒントを告げる。
もう10年以上になる僕のアルバイトだ。
別に一人で行ってもいいのだが、それを前に三蔵に伝えたら、彼はものすごく嫌そうな顔をして、お前を野放しにできるかと言った。失礼極まりない。
仕事の前後の話があるというのも理由だったそうだが、それは後付けのような気がしないでもない。
多分三蔵が同伴してくれる一番の理由は、僕の身の安全のためだろう。
意識があるときは問題ない。多少襲われたとしても、自分の身くらい自分で守れる。それは三蔵も知っている。
問題なのは、意識の無いときだ。
すなわち、調べている最中。もっと言うならば、潜っている最中の、僕の身体の方。
その時、僕の身体は色んな意味で無防備になる。
意識がほぼ無いわけだから、座った状態を保つことも無理だし、心は潜ってしまっているせいで中身もほぼ居ないから、空っぽの身体だけがそこにある状態になる。
三蔵が気にしているのはそこだろう。あの人も霊感があるから。
僕にとっては自分の意識の無い部分なわけで、しかも突然という状況でもないので、全く気にもしていなかったのだが、そんな僕の認識に三蔵はひどく不機嫌そうな顔をして、仕事中に何かあったらこっちの迷惑になるんだと、至極もっともな言葉をくださった。
なので、仕事に行くときはいつも三蔵と一緒だ。アルバイトを始めた当初からそれは変わらない。ということは、三蔵との付き合いも10年超えていることになるわけで。
嫌だな、三蔵とそんなに長い付き合いになってたのか。びっくりだ。
まぁ、それもあと少しのことだけど。
何故なら僕はもうすぐ死ぬからだ。
病気とかではない。身体も精神もとても健康で、病気とは無縁です。
だったらなぜそれが解るかと問われれば、それはあの場所で見てしまったからだとしか言いようがない。
昔、たまたま持ち帰ってしまった情報が、それだったのだ。
自分が死ぬ瞬間の事。
それはそれとして、今僕には好きな人がいる。
名を捲簾という。
大学時代からの友人で、とても魅力的な人間だ。ちなみに男性だ。
まぁ、もともと僕は性別を重要視していなかったから、捲簾が男だということはどうでも良かった。
捲簾は、最初交友関係すら作ろうとしなかった僕にもとても優しかった。
無理に心を開かせようとはせずに、時間をかけて、ゆっくりと僕の傍まで来た。
いつでも少し意地の悪い笑顔で、煙草をふかして隣に立っている彼を、僕は気が付いたら好きになっていた。
それからもう、7年、かな。
結構長い付き合いになったもんだ。
と言っても恋人同士というわけじゃない。
僕らはずっと友人のままだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
親友であるのならばそれはそれで嬉しいが、多分違う。
僕らは親友と呼べるほど近くない。
捲簾は僕に隠し事をしないが、僕は基本隠し事だらけだし。
捲簾は多分僕の事を余り知らない。それは僕が情報を与えないからだ。
つまり僕らの関係は、捲簾の優しさの上に成り立っているのだ。
僕はそれに甘えているだけ。
一方的に与えられるだけの関係を親友とは呼べないだろう。
そして多分そのことに捲簾も気づいていて、同じように思っているだろう。
それでも僕を問いただすことをしないで、ただ友達をやってくれている。
あの人は本当に優しいのだ。
そんな捲簾の事を考えると、僕はテンションが上がる。
彼の事をもっと知りたいと思う。
些細なしぐさも、意地悪く笑う顔も、冷たく睨みつける時のその瞳も、全て愛おしいと思う。
告白は、したことがある。
というか、良くしている。
好きだなぁと思うたびに口にしている。もちろん本人に。
その度貴方は嬉しそうに笑うから、僕はとても幸せな気持ちになる。
僕が好きだと言うと、貴方はいつも俺も好きだと冗談で返してくれる。
そんなやり取りが僕は大好きだった。
恋人同士になりたいなんて、一度も思ったことは無かった。
本当に、ただの一度も、貴方の言葉が真実だったらいいのにと思ったりしたことは無かった。
僕は本当に貴方が大好きだったから、ただただ貴方の幸せを願っていた。
貴方の幸せは僕の隣にはない。
悲観的になっているわけではない。
ただの事実だ。
そしてそれでいいと僕は思う。
だって僕が勝手に貴方を好きなだけだから。
そして、その気持ちだけで僕はとても幸せだから。
これ以上の幸せなんて望む事も無いくらい、とても満ち足りていて。
ああ、本当に。
捲簾、貴方が大好きです。
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