轍  −わだち−  ◇2◇

ドアの閉まる音で目が覚めた。
時計を見ると7時30分。
少し寝過ぎてしまったらしい。
八戒は、ベッドから抜け出るとリビングへ続くドアを開けた。
「おはようございます」
「はよ。起こしちまったか?」
悪びれもせずに悟浄がいう。
「いえ、ちょっと寝坊しました」
笑った八戒に、時計を見て納得したらしい悟浄も笑った。
「コーヒーでもいれますか?」
「ああ、頼む」
悟浄の脇を通り抜けた瞬間、彼の煙草以外の匂いがした。
女物の香水。
同じ……。
いつもと同じ匂い。
やかんを火にかける。
「今日は、朝帰りのわりに眠くなさそうですね」
「ああ、夕べ女の家に行ったとたんねちまってさ…」
「なにもしないでですか?」
「そ。もう最悪」
ふてくされたように言う悟浄に、思わず八戒も笑いを漏らす。
「それは怒るでしょう、普通」
「だよなー。それで今日買い物つきあえとか言われるしよー」
ずきっと、どこかが痛んだ気がした。
でも、変わらぬ笑顔で気付かないフリをする。
「そのくらいは当然でしょう。女性には優しくしないと」
「うあ、八戒ちゃんってば、冷てー…」
「はい、コーヒーです」
こと。
湯気を立てたマグカップが置かれる。
それをずずっとすすりながら、悟浄がしみじみと呟いた。
「八戒さ、イイ嫁さんになれるぜ」
「亭主関白ですねぇ」
あえて、突っ込まずに流すことにした。
貴方が貰ってくれますかと、言葉にしようかとも考えたけれど、それはあまりにも洒落にならない。
八戒と悟浄の今の関係はただの同居人。
恋人同士でもなければ、まして親友でもない。もしかすると友達ですらないかもしれない。
男女の仲でも、一夜の相手は望みこそすれ本気の相手はつくらない。まして、真剣になりそうな相手には手すら出さない。それは、男とも同じ。
悟浄という男は、本気の関係を嫌う。
ただ、同じ時間を共有して、楽しければそれでいい。
重い関係も深いつき合いも、望まない。
だから。
僕との関係だって、どちらかが本気になれば、手を引くくせに。
笑う。
「恋人、なんですか?」
「あ?」
「このところ、毎晩同じ人でしょ」
「ああ、あいつね」
朝帰りの相手を示していることに気付く。
「ちげーよ」
否定して、八戒をじっと見た。
「珍しいこと聞くのね」
不審気な悟浄に、八戒は用意していた答えを出す。
「気になるでしょ、居候としては」
とたんに悟浄の顔が苦虫を噛み潰したようになる。
「あのなぁ……」
悟浄の言いたい事がわかって、八戒は笑った。
もともと、そういう効果をわかって口に出した言葉だ。
悟浄が肯定なんて、するわけがない。
「冗談ですよ」
笑う八戒に、悟浄は怪訝そうな顔を崩さず、何事か言いかけた。
が、言葉にはならず。
「悪趣味だな、相変わらず」
「大分マシになったつもりですが?」
にっこり笑って嘘をついた。
きっと悟浄は気が付いているだろう。
八戒の心の奥底の自虐癖。それが、依然と何ら変わりがないまま彼の内に潜み続けていることに。
だから。
「やめとけ」
それだけ。
本当は、八戒が言った本当の理由には気付かぬまま。
そうしてまた彼を縛り付けていく。
嬉しそうに八戒が笑う、その理由すら勘違いして。

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花吹雪 二次創作 最遊記