轍  −わだち−  ◇15◇

「最近悟浄つれないわね」
肩に手を乗せていた女が唐突に言った。
「そうよ、昨日も早かったじゃない」
「今日だって、もう帰るの?」
矢継ぎ早にまくし立てる女達。
うざいと、いつもなら感じるはずのない感情が悟浄を苛立たせた。
彼女たちが、母と同じ女なのだと思い知るときはこんな時。
誰も本気でオレなんて見ていないくせに。
皮肉気に浮かんだ笑みを無理矢理いつもの笑顔に作り替え、悟浄は口を開いた。
「わりぃ。なーんか、気分じゃねぇんだわ」
昨日と同じ言い訳に、不服を言う者は無かった。
毎日同じ言い訳。
一人、赤茶の髪をした女が一歩悟浄を追った。
「悟浄、変」
まっすぐに悟浄の目を見て言った。
「美春がああなってから、変」
目を合わせない悟浄に、返事など期待してない口調で言う。
「美春をあんな風にした人、ひょっとして悟浄は知ってる?」
ぴく。
僅かに動いた気配。
「なんで、そう思うわけ?」
無理に茶化した台詞。
彼女がため息をついた。
「墓穴掘るなんて、悟浄らしくないね。バイバイ」
あっさりと身を翻し酒場に戻っていく彼女を見送ってから、悟浄は舌打ちをした。
どうやら、自分は相当参っているらしい。

暗い夜道を歩いていると、小雨が降り出した。
思い出したく無いときほど、思い出させる要因が現れる。
いつかの時も、こんな気分でこの道を歩いていた。
それはあの同居人を拾った日。
やっぱりこんな雨の日で。
あのときは、赤い髪のことでブルーんなってたんだっけ?
もう、遠い昔のことでよく思い出せないけれど。
これはやっぱり、オレはまたおいていかれたんだろうか。
ふと思う。
好きだと言った。
彼は自分を好きだと言った。
けれど、出ていった。
自分をおいていった。
捨てられたんだろうな、やっぱり。
嫌いじゃなかった。
どちらかといえば、好きな方ではなかっただろうか。
それでは彼は不満だったのだろうか。
恋愛感情の好き?
彼の好きは、それだったのか?
わからない。
自分の好きはそれなのか?
多分違う。
それではダメなのだろうか?
ぐるぐる回り始めた思考を捨てるように頭を振ると、暗い視界に僅かな明かりが見えた。
それは多分家の方向。
同居人の彼が出てから、また自分一人で住んでいる場所。
電気をつけたまま家を出てしまったらしい。
「まいってんな…」
自嘲気味に呟く。
あの家には、いい思い出も悪い思い出もある。
いいことなんて、いくらでもあったはずなのに思い出せるのは最後の夜で。
帰ることは痛みを伴うけれど、離れることすら出来なくて。
毎日酒場へは出かけるものの、行っただけですぐに戻ってきてしまう。
何故かはわからない。
彼を待っている訳ではないと思う。
彼を失うのも嫌だと思う。
けれど、迎えになど行けない。
それは、多分。
彼が理由をはっきり言わなかったから。
最後まで笑顔でごまかして、嘘だけを自分に見せていたから。
それは。
「オレを信用してねぇってことだろ?」
わかってるさ。
オレが信用するほどの人間じゃねぇって事くらい。
アイツがオレを頼るわけがないって事くらい。
自嘲気味の笑みが浮かぶ。
取り繕う必要もない。
初めに本気を隠したのはオレだ。
ずぶぬれのまま、床が濡れるのを気にもせずに悟浄は家の扉を開いた。

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花吹雪 二次創作 最遊記