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4/18
 8時前に朝食を頂いて、出発まで時間があったし天気も良かったので散歩に出た。歩き出してみたたら街並み保存地区までは5分ほどの距離だった。昨日が駆け足だったので少しはゆっくり見られたが、出発前のひととき、それほどのんびりもしていられない、それなりに早足での散策であった。
 9時半に宿を出て、会場のある山口県下松市に向かった。途中宮島PAによって霞の中に微かに見える厳島神社も見た。

 山口県下松(くだまつ)は松に星が降った(下った)という伝説があり、そこからの命名だそうだ。街のキャッチフレーズは「星の降る街」、そして本日の会場も「スターピアくだまつ」!そこの大ホールでCapacityは1007名。客席のスロープも役者達に言わせるとキントウ雲には良い角度らしい。

 「星降る街」の夜空を楽しみにしていたが、終演後外に出たら雨が降っていた。残念!実際に結構綺麗らしい。天気予報によれば明日も雨、しかも「大雨に気を付けろ」と言っている。嗚呼全く残念至極!笠岡の朝を除いてずっと好天に恵まれていたのに本当に残念である。しかも明日は公演のない、お休みである。これ又残念!

街並み保存地区にある由緒正しきお寺の掲示板に西遊記のポスターが貼ってあった。

 因みにこのお寺には国の重要文化財に指定されている「銅鐘」があり、竹原小早川家子弟の学問所であった。歴史は古く、文献では1361年の書状にその名が見えると有った。

 出発後すぐに立ち寄った給油所で、若干の車両修理の時間も惜しんでガチャガチャで出したドラゴンボールのフィギアで立廻りの形などを研究する劇団員!全くその研究熱心さには頭が下がる思いである。


 などという事はない。暇潰しに遊んでいるだけである。ある意味「子供のように純真無垢」と言えば言えない事もない。
 車両の修理というのは、ハイエースのラジエターランプ点き放しを見て貰う事であったが。こちらは単純に水を入れて解決!

 問題はこちらの写真。通称小トラ(小さい方のトラック)の後輪に刺さっていた螺旋!高速に乗る前で良かった!大惨事は見事に事前に回避された。むすび座は見事に危機管理されている。
 
ラジエターについては如何なものかとも思うが、螺旋については何処で刺さったかは不明なので早めに見つかって良かったね。ガソリンスタンドのおじさんは、ほっといてもタイヤがしぼむまでは大丈夫、と云った様な内容の事を言ったらしい。呑気である。
 キント雲の稽古。毎日変わる会場では、当然条件・状況も変わるので、仕込み・準備運動・芝居の稽古が終了すると役者達はそれぞれが納得するまでキント雲を投げる稽古をする。勿論時間切れで納得できない場合もある、と思う。
 若干下手よりに飛んで来たキント雲を見事股の間でキャッチスルの図。


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4/19
 旅に出て初めての休み!私と致しましては3月1日以来の休み!現地休みでしかも実は編集作業があるので本当は休みとは言えない。しかし折角それなりにのんびり出来る日なのだから晴れて欲しかった。外は結構強い雨が降っている。
 ホテルの窓から眺めた風景。
 昨夜から続いている悲しき雨音は現実なのである。そんな事もあって午前中はホテルのコインランドリーで洗濯をしていた。ジーパンが仲々乾かなくて午後1時まで掛かってしまった。
 洗濯が終わる頃に雨が上がったので取り敢えず昨日の会場の隣というか、同じ建物内のモールに出掛けた。そこの2階にあったベンチ。「ヒラメが美味しい」街らしくベンチもヒラメ。但し3階は山口と云えばという事で「ふく」のベンチだった。
 伝説の星が降った松の地とされる所にある碑。ここは金輪神社として社も建立されている。この碑のすぐ隣に問題の松が有るが見た目が余りにもショボイのでここでは控えさせて頂きました。

 伝説と地名の由来は、大体こうである。
「西暦595年、推古天皇の頃、鷲頭庄青柳浦(わしずのしょうあおやぎうら)の松の木に大星が降り、七日七夜光り輝き、『百済の皇子がやがて来朝する』と云うお告げがあり、3年後百済の琳聖太子が渡来してきた。
 人々は社を建て、この星を祭ったのが金輪神社で、青柳浦の名を『降松』と改めた。これが後に『下松』と書き替えられた。」
 下松公園にある「星の塔」。正直な所この街に観光施設と呼べるようなものはない、らしい。町の方もそう言っていたらしい(沙悟浄の現世の姿が書店のご婦人に言われた)。人を呼べるというか誘い込めるのは、言ってしまえば地名の由来位である。それに因んで建てられた塔。

 星の塔に行く事は困難を極める(但し下松公園南入口からの場合だけかも知れない)。氷の海を渡り、火焔山を抜けて行かなくてはならない、とは言わないが、舗装がしてあるのは途中まででその先は細いただの山道である。雨上がりの今日は滑って大変だったし、舗装してある所も含めて坂は結構急である。シェルパなしで登山できるような所でない。
 狭いとは言え下松の街を東西南北縦横無尽に歩き回った(約4時間)後、明日の本番の為にしておかなくてはならない事をする為にホテルに戻った。

 写真はベッドサイドに組み上げた下松臨時スタジオである。


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4/20
 8時半に下松を出た。一寸早めの出発だが、これは今回ナビゲーターを勤める牛魔王の現世の仮の姿の配慮で、萩には11時に着いて少し市内観光が出来た。市内観光と云っても昼食時間を含めて2時間では大して廻れる訳ではない。増して徒歩である。目的地を定めてピンポイントで観光するしかない。
 然し萩と云えば高校の修学旅行以来実に29年振りである。“光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し”全くその通りである。懐かしいような恥ずかしいような・・・・。松陰先生や高杉晋ちゃん、旧千円札君、山形君、小五郎ちゃんの様な歴史に名の残る立派な大人にはなれませんでした。この先の人生でも品を残すとすると飛んでもない事件に巻き込まれ且つどういう訳か私の力で解決できてしまうとか、飛んでもない事件を引き起こすとか、まあ碌でもない事しか無さそうなので、今更歴史に名が残るような事にはなりたくない。これもまあ運命といえば運命だが学成らずの為である。

 さて私は的を「吉田松陰」先生に絞った。萩市民館の隣、市役所で萩観光Mapを頂戴して、道を確認し早歩きで歩き出した。松陰先生のお墓まで約3Km、しかも途中からは上り坂!途中松陰神社を左目に見て、旧千円札の旧宅・別邸を覗き見しつつ、30分足らずで到着。朝は冷え込んでいたが歩き出した11時過ぎにはすっかり初夏のような暑さとなっていたので一汗どころか二汗も三汗もかいた。そこから東光寺(今東光とは関係ない、と思う)の総門を眺めつつ、桜並木の川端の道を松陰神社に向かって行き、松陰神社を29年振りに一通り見物して、市民館に戻った。途中で食べ終わった後口中に化学調味料の豊かな香りが広がる大変美味しくて、美味しすぎて二度と食べたくないような「長崎ちゃんめん」を食べて、しめてピッタリ2時間の市内観光終了である。実に忙しい市内観光であった。

 市民館・市役所の正面にある萩藩縁の由緒正しき明倫小学校に保存されている門。
 (もしかしたら現代っ子には好かれていないかも知れないが)校舎も卒業生・萩市民には大変誇りとされていると思う様な立派なものであった。
 吉田松陰先生誕生の地。墓所のすぐ隣にある。
 松陰先生のお墓。南無阿弥陀仏、合掌!
 吉田松陰というと昔NHK大河ドラマで篠田三郎が演じたものが結構私の印象に残っている。
 松陰先生のお墓の殆ど正面に向かい合ってある高杉晋ちゃんのお墓。幕末は、清元が大変流行った時代で、晋作さんもその粋な所に惹かれ、自分で三味線を弾いて語ったりもした。結構粋人であった。
 多分同じ大河ドラマだったと思うが晋作さんの役は中村雅俊が演じていてこちらは違和感があった。中村雅俊は、私には病弱には全く見えなかったし、「粋」と云うものとは縁遠く感じられてならない。
 左は萩市民館の天を突く形の屋根を持つ搬入口。

 左下は、同じく市民館の星ともイルミネーションとも見える客電。

 下は、会館とは全く関係なく途中の道の駅で見つけた「イノシシカレー」のレトルトパック。

 実物を見られなかったが途中の看板に「ちょんまげビール」というのがあった。是非一度見てみたいものである。
 客席からは殆ど分からないと思うので、ここに写真を初公開致します。

 これが「悟空蜂」である!結構顔が怖い!


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4/21
 9時の出発前に少し昨日行けなかった城下町の方に行ってきた。余り時間はないので木戸孝允と高杉晋作の家だけ見てホテルに戻った。木戸孝允の家はナンと午前8時から公開されていて、無料!晋作さんちはこの日、お休みでした。

 9時に萩を出発、ナビのお計らいで秋吉台の迫力のある風景を抜けて宇部市に向かった。牛魔王は結構観光スポットにご配慮のある方なのである。

 11時過ぎに会場の宇部市文化会館に到着、午後1時の搬入開始まで休憩&昼食。会場は新川という駅のすぐ裏で駅側に出て、Station・Mallに行って驚き!殆どの店が閉まっていた。どーやら呑み屋街のようである。そのまま路地を抜けて「銀天街」という商店街に行ったが矢張り殆どの店が閉まっていた。非常に寂しい、うらぶれた感じの商店街であった。その裏ぶれたアーケードの中に質流れ品の楽器とアクセサリーを売っている店があり、そこでナンとMartinのD-35を18万円、グレッチのランチャーを10万円、FenderのJeff・Beckモデルも10万円、GibsonのJ-200を24万円で売っていた。持ち合わせどころか何処をはたいてもそんなお金は持ってないので諦めたがD-35とランチャーについては本気で買おうか、と悩んだ。
 嗚呼、悔しいー!欲しかったようー!裏ぶれた何もないような商店街でこんな楽器達にお会いできるとは思わなかった。

 木戸孝允(桂小五郎)9歳の書!素晴らしい!栴檀は双葉より芳しで有る。
 晋作さんちの前の説明書き。
 「セメントの街・宇部の父」とも云うべき渡辺祐策翁の銅像。
 この方が炭坑で得た利益でセメント業を始め、宇部の工業都市としての基礎を築いた。他にも電気や水道、公園などの都市整備なども進めた偉人!宇部でこの方の悪口を言う事は出来ない。
 会場の入口にあった今日の立て看板、ロープを使って一筆書きで「西遊記」と有る。仲々立派!
 搬入時間までの寸暇を惜しんで三線の稽古をする沙悟浄の現世の姿。


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