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4/22
 セメントの街から本日は炭坑の街・九州飯塚へ。九州に来るのは殆ど初めて!何で殆どなのかというと前に仕事で来た時は、小倉の駅を降りてすぐ会場に入り夜中まで仕込んで一寸ホテルで仮眠を取って早朝からリハーサルをして終わったら名古屋から来たスタッフだけで一寸呑んで、朝起きたらすぐ帰ったので九州に来た、という実感が全くなかったからだ。
 今度は確かに九州であると云う事を実感する為にも九州に入る時には起きていたかったが昨日遅くまで呑んでいたので寝てしまった。嗚呼残念至極、睡眠不足、後悔先に立たず、愚民目覚めず、安眠健民、四川辛味美味、意味不明!と云う訳で未だに九州にいる実感がない。哀号哀号!

 処で今、九州・飯塚と云えば舞台関係者としては、「嘉穂劇場」である。これはもう何と言っても誰が考えても「嘉穂劇場」で仕様があるまい。どの位仕様がないかと云えばATOK16では何の不自由もなく「kahogekijou」とタイピングすれば「嘉穂劇場」と変換される事からも明らかである。こういう事を「明白」と日本語では言う。早く改修工事を終えて元気に復活して頂きたいものである。

 「嘉穂劇場」が使用不可なので、と云う訳ではないらしいが本日の会場は「コスモスコモン」という新しくて綺麗な劇場であった。飯塚市では「コスモス」を売り出したい、もしくは「コスモス」のイメージの街にしたいらしくタクシーにも「コスモス」と書いてあった。何故「コスモス」かと云うと、街の方達もその辺りあまり明確ではなかった。

 嘉穂劇場以外の話題としては、呑みに出た沖縄料理&居酒屋の料理は結構美味い!と云う訳で泡盛を少々呑み過ぎた、かも知れない、最後は古酒迄呑んでいたし。

 昨年の水害で大変な被害を被った為に今改修工事中の嘉穂劇場。まあ主に大衆演劇を上演してきた劇場であるが、以前むすび座もお世話になっている、との事。

 結構大きな劇場であった。こういう劇場は何とかいつまでも続けて頂きたい。本当に「がんばれ嘉穂劇場」
 改修工事中の内部。
 写真ではよく分からないが結構大きな盆がある。
 左の写真は、今回の数ある人形達の中で私が最も気に入っている「猪八戒」!口は勿論鼻も動くし、目も瞬きする、しかも耳が動きに伴ってピクピク動く所も楽しい。

 こんな可愛らしい八戒ながら実は、天上界で女の尻ばかり追っかけていて天上界を追放され豚の腹の中におとされ、其の豚の腹を食い破って誕生するという結構エロくもグロい過去を持つ。


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4/23
 炭坑の街・飯塚で「嘉穂劇場」の復活を祈念しつつ明太子とラーメンで出来ている街・福岡へ来た。

 福岡では、Special 3days である。但し会場は日替わりで、仕込みバラシで楽が出来る訳ではないが、移動は圧倒的に楽である。本日は13時入りの18:30開演だが、明日の土曜日と明後日の日曜日は15:00,14:00とマチネである。マチネでソワレなし、つまり呑む時間が長く取れるので要注意なのでもある。しかも本日は名古屋から照明デザイナーのF井先生がお越しになるとの由、この照明の巨匠は、翌日退院に決まっていたと雖も入院中にしかも血を吐いて入院したにも拘わらず奥さんと呑みに行った豪の者である。本日は、遅くまで呑む事になるんだろうなあ、少なくとも劇団の酒好き数名とF井先生の弟子というか、会社の若者は。私は昨日の泡盛で少々疲れ気味なので早々に退散居たそうと存ずる。まずはソロリソロリと参ろう、やあっとな。

 昼食は西鉄大橋駅のガード下でラーメン(370円)を食べた。福岡に来たらラーメンしか有るまい。別に美味くなかったが。

 エー芝居の内容というか、キント雲の成績を一寸ご報告。ほぼ毎日3勝1敗、と云うか75点というか、誰かが惜しい所でミスが出す。萩での観客直撃1,宇部での客席落下1,が主な大失敗と云った所である。本日は舞台には届いたが、大きく上手にそれ大臣直撃寸前が1,客席から「嗚呼、惜しかったねえ」の声有り、一寸悔しいかな。

 ホテルに到着後、F井先生の駄目出し有り。色々ご意見を頂き、劇団員はメモを取りつつ拝聴していた。この一軒目で私は退散致しました(それでも1時過ぎ)。劇団員数名との駄目出し&反省会はその後も続いたらしい。

 チビ三蔵と現世三蔵のVサイン。
輸送兼スタンバイ用の箱に収まった羅刹女と白骨精。実際の輸送では顔に傷が付かないように頭巾が被せられる。その姿は、中国の犯罪者が銃殺される時の様子に似ていなくもない。
 出番を控え、思索に耽る三蔵。
 出番待ちの悟空。花を愛でる余裕の姿。流石主役貫禄である。


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4/24
 福岡2日目。
 熱心な劇団員と熱き照明デザイナーの駄目出し&反省会は、何と午前4時まで続いたとの事だ。それで9時から仕込んで15時には本番開始、よく体が持つなあ。偉い!凄い!元気!でもみんな眠そうであった。当たり前である。

 本日のキント雲状況は75点。1発目が遙か上手に飛んでいった。然し今日まで一番率の悪かったラストのキント雲が成功!良かったね。矢張り芝居のラストで成功すると盛り上がり方が違う。

 今日の夕食は洗濯物を乾燥機に放り込んで急ぎ足で屋台のラーメンを食べに行った。福岡と云えばラーメン以外にあるまい、でも美味いとは限らない。嗚呼悔しい!

 修理中の庄屋の娘の首で遊ぶ三蔵。結構残酷なお方なのかも知れない。
 幕の修繕をする白骨精の現世の姿。そろそろ色んな処に綻びが出てきつつある。
 何処の劇場に行っても美味しくて立派な小夜食や昼食が出るが特にこの日は特に豪華だった。
 イチゴと美味しいカレーに浮かれる観音の現世における仮の姿。観音と雖も美味しいものの前ではだらしが無くなるらしい。
 現世における悟空と三蔵のツーショット。物語の通り揉めながらも楽しく旅を続ける仲間(多分)。

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4/25
 Fukuoka Special 3days 最終日!福岡市立少年科学文化会館は溢れんばかりの観客で埋め尽くされた(本当に満席)。その満席の観客を前に本日キント雲は、見事全員成功であった。良カッタネ、良カッタネ、本当ニ良カッタネ。子ドモタチモ本当ニ嬉シソウデ良カッタネ。

 バラシ終了後は福岡市子ども劇場の方々と交流会があった。そんな訳で今日はラーメンは無し!福岡では美味いラーメンに出会えなかった。嗚呼悔シイ!本当ニ悔シイネ。本当ニ残念ダネ。デモイツカキット出会エルヨ。其ノ日ヲ楽シミニシテイヨウネ。

 本日も又、豪華な昼食に三蔵も悟空もお釈迦様までもが大喜びの図。
 八戒、食後の一服。
 (この会館は全面禁煙だぞ!)
 沙悟浄は口も目も動かないが眉が動く。

 宇部で夕食(呑み屋)に行った時幾らラストオーダーとは云えいきなり大盛り2杯のご飯を頼んでわしわし食べていた。何かの呪いに違いない。若しくは、その大食いの為に天上界から落とされたのではあるまいか?(実際はコップを割ったのが地上に落とされた原因らしい。天上界は心が狭い!)
 福岡市子ども劇場の方々との交流会。
スクープ!!!!

 牛魔王と羅刹女の熱愛発覚!当初2人は否定していたが、この写真が動かぬ証拠となり結婚に至ったらしい。物語の裏には色々な物語が又あるものである。
 戦士の休息。休む暇のない連夜の連戦、戦士は静かに休息を取っていた。
 ホテルに帰って寝た方が正しいと思うけど。


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4/26
 ラーメンと明太子で出来た街・福岡から一万円札の街・大分県中津市へ来た。と云っても中津に着いてから知ったんだけどね。

 ここに来て知った事・其の一
 福沢諭吉は大阪の中津藩蔵屋敷で生まれて、1歳6ヶ月の時に中津へ来た。(慶應義塾の第二代塾長・小畑篤次郎も中津の出身)

 中津の街並みは、古い家などが多く残されていて落ち着いた佇まいである。ある意味高度経済成長やバブルの悪しき開発などに取り残されてきた所なのかも知れない。それは住んでいる人たちにとって良かったかどうかは分からないが旅の者には嬉しい。特に寺町辺りは素晴らしい。

 ここに来て知った事・其の二
 中津藩主奥平家は、愛知県新城城、岐阜県加納城、栃木県宇都宮城、京都府宮津城を経て1717年中津に入った、との事。私が住んでいる岐阜とは結構関係が深いのであった。

 左は福沢諭吉先生旧宅。
 左下は中津城。
 下は中津城にある「独立自尊」の碑。
 会館のロビーにある福沢先生の肖像。
 寺町・円応寺にある河童の墓。
 中津文化会館の不思議な客席。背もたれの位置がずれているが、各列の両端は揃っていてしかも一列の座席数は同じ。座席の幅を計ってみたら1cm位ずつ違っていて5種類位の座席が有り、それらを実に巧く組み合わせて作ってある。まるでトリックのようでもあり、舞台から見ると若干幻惑される。素晴らしい!


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4/27
 本日で私の旅も終わり。劇団員と照明さんは、奄美大島に向けて8時に宿を出て行った。頑張ッテネ。身体ヤ事故二気ヲ付ケテネ。

 処で中津市は何処までも福沢諭吉の街であった。街の至る所に亡霊の様にとも神の様にとも取れるほど福沢先生は立っていた。又立っている許りか案の定中津の名菓は一万円札絡みで「壱萬円札煎餅」とか「壱萬円の里」と云ったものであった。この街から早稲田大学に進学する人は居ないんだろうなあ、早稲田なんかに入ると一族郎党村八分に合うんだろうなあ、とボンヤリ思った。

 後この街の特産というか、美味しいものと云えば「鱧」らしい。それは是非食してみたい。又お肉屋さんの店先には「キジ肉有ります」の札がぶら下がっていた。それも是非食べてみたいものである。

 私は10時頃宿を出て、帰路についた。

 新幹線で岐阜羽島の駅に降り立って驚いた。と云うか「馬鹿野郎!」と声を大にして云いたい!新幹線の駅とも有ろうものに下りのエスカレーターが無いとは何事か!各駅停車「こだま」程度しか止まらないとは言え、それでも日本を代表する列車の停車駅か!新幹線を利用する乗客と云えばそれなりに遠くへ行く事を前提としていて、荷物だってそこそこ有るはずだ。多くの乗客はそこで乗れば、又その駅に帰ってくる筈である。旅行客の不便をJR東海は如何様にお考えなのか?以前も知り合いのアメリカ人が来て、家人が迎えに行った時も怒っていた。そのアメリカ人は糖尿で足が悪く一寸した距離すら歩くことが困難であるにも拘わらず、エスカレーターもなければ勿論エレベーターもない。バリアフリーを声高に叫ばれる時代にこの体たらくである。早急に対処すべきであろう。

 私が帰る、と云う事で送別会をやって頂き、昨夜は遅くまでシコタマ呑んだというのにみんな朝早くからフェリーと飛行機に乗る為に鹿児島を目指していった。みんな本当に気を付けて行ってね。ハブを咬んだりしてはいけないよ。

 正直な処一緒に行きたかった。名残は尽きぬのであった。
 ホテルのロビーでは、福沢諭吉の銅像を売っていた。因みに3万円と20万円!
 然し「天は人の上に人を造らず」と言った本人が客の上に立っていた。夜はチャンとライトアップだってされているのである。

 左下は、駅前ロータリーに立つ福沢先生。
 下は、駅ホームの乗車位置案内板に描かれた福沢先生。
 
 本当に何処に行っても「福沢諭吉」先生なのであった。
 むすび座ご推薦「椒房庵」の明太子。
 中津とは関係ないが福岡で購入してから口にする機会がなかったものを三蔵法師が慈悲の心で餞別として私に御下賜下さったもの。
 有り難う御座います。三蔵法師様!


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