5−1:ブハラ旧市街

5−2:ウルグ・ベクのメドレセ

5−3:アブドゥール・アジズ汗の
メドレセ

5:ブハラ-2

5−1:ブハラ旧市街


ブハラ旧市街はまるまる遺跡が保存され、世界遺産として認定されている。キジルクム(赤い砂漠)の砂の侵入を防ぐためと、外敵の侵入を防ぐために、町は城壁で囲まれている。

ブハラはロシアの植民が進まなかったためにソ連時代にも社会主義が浸透せず、メドレセなどのイスラム教教育制度が残った貴重なな町だ。ソ連のイスラム系人民共和国の中で、いまだにメドレセがきちんと機能している町は数少ない。(メドレセという言葉に「?」と来たら、こちら!)

さて。ブハラの旧市街の入り口には丸いドーム状の固まりがぼこぼこくっついた建物があるのだが(写真はまた後で……)、これは旧市街に入るための門で、「タキ(=ドーム)」と呼ばれる。このタキ、昔はシルクロード中に沢山あったらしいが、今はかなり数が少なくなっている。このタキの入り口はとても高く、これはラクダに乗ったまま門をくぐれるように、という配慮だ。タキの中は商店になっており、今も昔も多くの商品が並んでいる。ブハラもまたシルクロードの拠点の一つなのだ。


5−2:ウルグ・ベクのメドレセ

ブハラの町 奥にある正面を向いているのがウルグベクのメドレセで、手前にある横を向いてるのがアブドゥル・アジス汗のメドレセ。

メドレセという言葉に「?」と来たらここをクリック!

ウルグ・ベグはティムールの孫で、1349年の生まれ。彼は統治者としてよりも天文学者として有名で、サマルカンドには彼が建てた有名な六分儀がある。ブハラにあるウルグ・ベクゆかりの建物はここだけだが、ここは彼が「真の教育施設を作りたい」と1418年に創設したメドレセで、現存する中央アジアのメドレセとしては最古の物だ。当時は中央アジア中の学生がここに集まって勉強していた。入り口には「男性も女性も、ムスリムなら知識を研磨しなさい」という言葉が書かれ、女性がモスクに立ち入ることすら制限を設けているイスラム社会にあって、驚くべき先進的なウルグ・ベクの考えが読みとれる。

さて、上の絵を見ていただけると分かると思うが、ブハラの建物は青くない。元々ヒワの建物もこういう日干し煉瓦の上に彩色モザイクタイルを張り巡らせて青く美しい模様を見せているのだが、どうもブハラでは修復作業が遅れているらしい。このままでも十分美しいのであんまりガシガシ修復されてもイヤだなぁ、などとつい思ってしまう……。

中庭に入るとそれでも青いタイルが残っていて、美しい模様を見せている。このメドレセは現在、おみやげ物やさんに使われている……。


5−3:アブドゥール・アジズ汗のメドレセ


アブドゥール・アジズ汗のメドレセは、ウルグ・ベクのメドレセの真ん前にある。時代的にはウルグ・ベクのメドレセより200年も後(17世紀)に建てられたのだが、なにしろウルグ・ベクの方は少しは直してあるが、アブドゥール・アジズ汗のメドレセの方は手つかずなので、とにかく古く見える。

メドレセの上には奇妙な丸い物が乗っかっていて、あれも何か意味があるのかと思って訊いてみると、「コウノトリの巣」だという。昔、まだこの近辺に湖があった頃、コウノトリが沢山いたそうだ。そのコウノトリが作った巣がまだ撤去されずにいるらしい。何とも微笑ましい話だ。

さて、このメドレセ。メジャーなウルグ・ベクが建てた物よりも何となく軽く見られがちなのだがとんでもない。このメドレセは建築史の上でとても興味深い物なのだ。

このメドレセが建てられた頃、ブハラではジャーン朝が衰え、イランでサファビー朝が栄えると、ブハラはアラブの中心であ西アジアから切り離された形になる。そして、兼ねてから交易のあったインドの影響が随所に見られる様になった。

この後出てくるナディール・ディヴァンベキ・メドレセは、同じ17世紀に建てられたのだが、インドではなくイスラム以前のゾロアスター教のモチーフで装飾されている。この辺の文化意識というか、宗教意識が大変面白い。

話が少し横道にそれたが、そうそう、インドの影響である。まず、花模様のモザイクが使われている。偶像崇拝を厳しく禁じているイスラム教では、モザイクには幾何学模様が使用され、花といえども具象模様が使われている物は禁じられているのだ。

アブドゥル・アジズ汗のメドレセの人影にっびっくり
更にびっくりした「インドの影響」はメドレセ内のモスクにある。(モスクというお言葉に「?」と来たら、ここをクリック!)

モスクに入ろうとすると、人がぼんやり立っている。人気のないメドレセの中にぼんやりと人が立っている。これは怖い……。しかもその人影、微動だにしないのだ……。こわ〜〜〜と思って中にはいると、更にびっくりだ。なんと、さっき立っていた人影がいなくなっているのだ。

よく見ると、モスクの奥にあるミヒラブの辺りに人が立っていたような気がする。(ミヒラブというお言葉に「?」と来たら、ここをクリック!)

……ミヒラブ……?

一歩でもモスク内に入るとまるで分からなくなるのだが、実はさっきの人影は、このミヒラブだったのだ。

ミヒラブの中央の模様が、薄暗いモスク内で、扉の外という遠距離から見た時、ぼ〜〜っとした人影のように見えるよう、設計されている。

アブドゥール・アジズ汗のメドレセのモスクの真実。

これがそのミヒラブ。
全く普通のミヒラブにしか見えない……。
これも実はインドの影響なのだ。

インドでは、神様の絵が自由に描かれて建物の中に飾られている。どうもブハラ人はこれが羨ましかったらしい。しかし、イスラム教の教義では、人物像は禁止されている。そこで、「どこからどう見てもただの建物。でも実はイマーム(宗教的指導者)の姿を飾る」ということを実現させた。それが、このミヒラブだ。

……なんというか、さすが文化レベルの高いイスラム世界である。(イスラム世界は近代にはいるまで、ヨーロッパ世界よりも高い文化水準を誇っていた)

……それにしても、怖いよ……。マジで……。




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