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Be... Act.4 「夢(ゆめ)」 |
痛モノご注意!苦手な人は読まれないほうがよろしいかと。 |
『……』 『辛いことが、多すぎたね…』 『……マナ…』 『…でも…もういいんだね…』 『………ごめん』 『あはは…』 『何で泣いてるの?』 『出来れば…このままで居たかったな』 『心地いいから?楽だから?』 『分からないよ…でも、シンジのこと、大好きだから』 『そう、だから…僕は辛いんだ』 でも思い出したんだ。 君は、『マナ』じゃない。 僕が僕の中に創り上げた僕の罪のイメージだ…。 そして、もう一つ…。 何かが少し、寂しいとは感じていた。 シンジの気持が曖昧なのも、苛立った。 でも、考えてみると変な気分だった。 あたしはシンジが好き…。 でも、あたしはシンジの何が好きだったんだろう? 「分からなくなっちゃった…」 アスカは虚ろな瞳でぽつりと呟いていた…。 この殺風景な空間が恐ろしい。 昨日の夜には気付けなかったけれど、良く見ればここには何も無い。 一通りの家具は揃っている。 でも、そのどれもに何の生活の匂いも感じられなかった。 アスカはレイの去った後、シンジの部屋を訪れていた。 具体的に何かを期待したわけじゃない。 ここに来て何が解決するとも思えない。 それでもそうせざるを得なかったわけも、はっきりとは分からない。 助けを求めに来たのだろうか? シンジに何を言ってもらいたかったのか? それも分からない。 そもそもここにシンジがいるはずもない。 でも…それでも。 「いつも確かめられずに居られない。シンジが側にいないだけでアタシは…ダメになってしまうの? この夢のような現実が嘘じゃないって…どうしてこんな事が信じられないのよ…」 自分がこんなに感傷的な人間だとは思っても見なかった。 下らないロマンチシズムに逃げるしかない人間になるなんて…。 アスカは酷く投げやりな気分になって溜息をついた。 それから静かにベッドに腰を下ろす。 昨日の印象と違って、この部屋は恐ろしかった。 白一色で統一された内装が、殺風景さを際立たせている。 採光の良い大きな窓が却って寒々しい。 夏だというのにこの部屋を包み込む静寂が、訳の分からない寂寥感を連れて来る。 何も無い。 まるでドラマを撮るためだけに取り揃えられたセットのように…。 無難なものを選んで並べてあるだけ。 昔からこの部屋の主人はシンジだったけれど、彼がここに来てからも何も変わっていない。 だからこそ怖い。 今この時も幻のように思える。 昨日の出来事も、何もかもが全ては…。 夢を見ているみたいで…。 シンジが自分を拒まないことは知っている。 でも、求められることも無い。 気持を肯定してくれる存在がいない…。 何もかもが空回りして、今もこの自分は一人ぼっち。 あの男はいつもそうだ。 肝心なときにいつも他の女と…。 「誤魔化しでもいいから…好きだと言ってよ… アタシはそんなに強くない…」 自分のものを殆ど持とうとしなかったシンジが、ただ一つ大切にしていた一枚の写真。 大切といってもどれほどの物なのかは知らない。 肌身離さず持ち歩いている訳でもなく、自分の部屋の机の引出しに無造作に放りこんであるだけのものだ。 ただ、彼が時々この写真を眺めては、例えようも無いほど哀しげな目をしているのを知っている。 或いはやりきれない怒りを抑えているようにも見えた。 それが何であるのか興味はあったけど、アスカにはそれを確かめようというほどの勇気は無かった。 怖かったのだ。 その答えはきっと、自分に耐えられそうに無いものだったから。 大体の予想はつく。 でも…。 「いつまでもこのままじゃいけないのよ…」 それがシンジにとって大切であればあるほど、彼をがんじがらめにする呪縛になるのだとしたら…。 それはきっともっと恐ろしいことだから…。 知ってしまえば後悔をするかもしれない。 取り返しのつかない事になるかも知れない。 でも今のままでいるよりはずっといい。 「でないとアタシ…」 今日はデート。 結局あの二人はお互いを傷つけあっているだけ。 自分をすら救えはしないのに、でも互いを互いにしか救えないことを知っているから…。 ハリネズミのように、身を寄せ合えば寄せ合うほどに傷は深くなっていく。 なのに自分にはそれを救ってやることも出来ない。 むしろ二人の傷を広げただけかもしれない…。 それに…。 「アタシだって…こんなの耐えられないわよ…」 シンジが自分だけを見てくれると勝手に思い込んでいた。 安っぽい女のように抱かれて、それだけで舞い上がっていた。 心の底ではそんなはずは無いと気付いていたのに、シンジが自分を好きになってくれると思っていた…。 でも結局はシンジは何も変われはしない。 愛される恐ろしさが彼を凄まじい力で縛り付けるだけ…。 一度それで失敗した彼にとっては、愛は恐ろしい狂気に過ぎないだろうに…。 自分はなんと残酷なことをしたのだろう? その馬鹿さ加減に酷く腹が立つ。 どうしようもない…。救いも無い。 自分はシンジに何を強制した? そう…とても…とても残酷なことを…。 「全て忘れて…"アタシだけを"好きになれなんて…そんな…」 できるわけが無い。 何もかもを否定しろと? アタシはシンジがアタシを嫌う権利も…好きになる権利も否定したのかも知れない。 これが愛だと、都合のいいものを押し付けて…分かるはずなんて無いのに。 人の持ち出した愛のかたちなんて…愛し方を知らないシンジには、それが分からなければアタシを傷つけると思って…がんじがらめになって。 結局アタシは傲慢だったのよ…レイのことも救ってやれるはずは無いのに…一人で勝手に姉さん面をして。 もっと自分を大切にしなさい? 「ばっかみたい…アタシだって同じじゃない」 自分は体を売ってシンジを買う積りだったのか…? 責任取りなさいよ、なんて言って…シンジに『好きだ』と言う言葉だけ要求して…。 今もこうやって自分勝手に嫉妬して…。 いやな女…。 「でも…イヤ…シンジがアタシを好きで居てくれなきゃ…イヤ」 耐えられないのよ! 理屈では自分が何もかも正しいわけじゃないことも良く分かる。 シンジにとってはむしろ居ない方がいい人間なのかもしれない…。 本当はシンジが自分を好きにならなければならない必然性なんてない…。 卑怯な女。 全てに捨てられたと思い込んでいるシンジに、好きだなんて甘い声を掛けて…。 レイのことも考えてなかった。 でも…あたしはずっと…あんたのこと…。 ずっと…好きだったのよ…。 何時からそうなのかは、忘れちゃったけど。 写真に写っていたのは、暗い、濁った瞳でこちらを見詰め返す少年と、屈託の無い少女。 ただ、その写真は何かどす黒いもので塗れていた。 「血…」 誰のものなのかは一目瞭然だった。 写真の入った引出しと一緒に、無造作に放り込んであった、剥き出しの刃の伸びるカッターナイフ。 錆付いた表面にはまだ新しい鮮血がこびり付いている。 何度も血を塗りたくってはっきりとは分からなかったけど、でも、アスカはその写真の少年をよく知っていた。 少女の方はよく知らない。 彼女が誰であるのか、アスカにとってそれは重要なことではない。 それよりも…。 「…これはシンジ…?まさか…」 日付はちょうど二年前になっている…。 それを見るまでもないことだが、しかし、間違いなく、シンジの飛び出していった後の写真だろう。 アスカはそのシンジをよく知っていた…。 この濁った瞳のシンジを…。 それは五年前までのシンジそのものだったから…。 「分からなくなっちゃった…」 考えれば考えるほど、分からなくなる。 「でも…」 でも、一つだけ知ってる…。 それでもあたしは…。 「シンジの事、好きなんだと思う…理由は、分からないけど」 「…何故…?」 レイは彼女をただ強引に抱きしめて、何も言おうとしない僕の瞳を覗き込んでそう問い掛けてきた。 鮮血を落としたように赤い神秘的な彼女の瞳の色が、僕の視界に映っている。 僕はそれでも何も言わずに彼女を抱きしめる力を強めた。 違う。 何も言えなかったんだ。 この今の気持は、とても複雑で…言葉にしてしまえば何処かへ消え去ってしまいそうで…。 それに…。 「…僕は君をもう離さない…。僕は…『レイ』を、二度と…」 離せるはずがない。 もう失いたくないんだ。 同じ過ちを繰り返したくはないんだ…。 マナみたいに…もう二度と人を傷つけたくない。 僕を求めてくれる気持を否定したり出来ない…。 それは僕への言い訳に過ぎないのかもしれないけど…僕は間違いなく『レイ』のことが好きなんだ。 誰かの身代わりでも、勝手な偶像にもしたくない。 この気持ちはきっと恋とか、そう言うものじゃないと思うけど…でも。 「大切なんだよ…『レイ』が…君が」 ”君”が…。 そう誇張して叫ぶように言った僕の方をはっとしたような表情でレイが見返してくる。 僅かに動揺を孕んだ瞳が、大きく見開かれていた。 僕は何も言わずに彼女を抱きしめる力を強くした。 世界中の誰にも今だけはレイを渡したくない気分だった。 「あなた…自分勝手な人ね…」 「…知ってるよ…」 「嘘…あなた…結局何も分かってないのよ…」 知ってる。 それも知ってる…。 僕が身勝手なのも、分かってるんだ。 僕は独り善がりで、結局何も分かってないのかも知れない。 でも…。 「僕が『レイ』のこと大好きだって言うのは…嘘じゃない…」 「……」 レイが僕の方を見ている。 ひどく怪訝な眼差しで。 そして憎々しげな眼差しで…。 その気持はよく分かる気がする。 僕はとても身勝手な人間だから…。 だから彼女は僕の双眸を睨みつけて…。 吐き捨てるように言ったんだ。 「わたしはあなたのこと…大嫌いよ…」 あぁ、そうだ…。 そうなんだ…。 でも僕はとても嬉しくて…。 「…有難う…」 場違いなセリフに、レイが驚いたように目を開いた。 僕はその視線を真直ぐに受け止めて、もう一度繰り返すように呟いていた。 「…有難う…僕を見てくれて…」 レイを抱き締める腕では小刻みに震えている。 怖くて仕方ないから、彼女にしがみ付いている。 僕は何気なく空を見上げて。 「…空っぽな空だ…」 誰にともなく呟いた。 足元にはかなりの数の人だかりが出来て、ここまで届くくらいの喧騒が辺りを支配している。 レイは僕の視線を追うように細い首を持ち上げる。 「…あなたなんて…大嫌い…だってあなたは違うもの…」 そうだ、僕は『違う』…。 僕は少しだけ悲しそうに微笑んでいた…。 「君の知ってる碇シンジは、多分あの時、マナと一緒に死んでしまったけど…」 いつからこうなってるのかは分からない。 でも僕は知っている。 記憶が曖昧で途切れ途切れなワケ…。 「でも、『僕』は君を好きなんだ」 僕の中に僕でない僕が居る。 そして僕はその、僕でない僕の一人に過ぎないんだ…。 バラバラに壊れてしまったんだね、僕は。 母さんの「自殺した」あの夜から…。 |
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