あとがき

 子供のころから鉄道は好きだったけれども、乗ること自体を楽しむようになったのは十数年前からだったろうか。特別なきっかけがあったわけではないが、今思うと、大学と業界の大先輩にあたる宮脇俊三氏の数々の著作に刺激を受けたことが、ひとつの要因となったようだ。

 パソコン通信というものを始め、 大手のネットワーク NIFTY-Serve に加入したのは一九九一年の暮れのこと、さっそく「クラシック音楽フォーラム」と「鉄道フォーラム」をのぞいてみて、その賑わいと内容の充実ぶりに驚嘆した。「鉄道フォーラム」は、最初は読むだけだったが、九二年七月に会議室のひとつ「汽車旅コーナー」におそるおそる「投稿」したのが、この本の最初にある「伊香保回り道紀行」だった。これについてシスオペ(フォーラムの運営世話役)の伊藤博康さんから好意的なコメントをいただいて弾みがつき、以後、どこかへ行くたびに報告・紀行の雑文を書いたり、身近な電車のちょっとした変化をレポートしたりするようになった。

 ふつうならまったく記録が残らないような旅の様子を書きとめる機会が得られるばかりでなく、それについて感想を述べあったり、ときには事前に行き先の最新情報を得たりすることができるのは、まったくパソコン通信という新しいコミュニケーション手段ならではのことである。

 こうした次第で、この本の中身はすべて上記「鉄道フォーラム」の会議室「汽車旅コーナー」およびその後身の「汽車旅クロスシート」に掲出したものを元にしている。第II部の「京浜急行 四季の私記」だけは当時の「さろん私鉄」に発表したものだが、これも今の会議室編成なら「汽車旅クロスシート」がふさわしいということになろう。

 第II部は、私の生まれ育った横須賀に関わる2つの鉄道についての私記である。「京浜急行 四季の私記」を書いたのは九二年九月だったが、そのときから、これと対になるものとして横須賀線について書きたいと思っていた。いつのまにか2年半近く過ぎてしまい、今年になってようやく書きあげたのが「横須賀線私記」である。

 なお、本書に登場する鉄道のうち、野上電鉄は一九九四年三月末で残念ながら廃止になった。深名線も、遠からず廃止になることが確定的である。また、神戸電鉄は、本年一月の阪神大震災で大きな被害を受け、大部分は開通したが、新開地・長田間が依然として不通である(三月末現在)。 一日も早い復興を祈る。

 昨年秋、今までに書いたものを眺めていたら、旅行記だけでもかなりの分量になることに気づき、懸案の「横須賀線私記」を書いたら小さな本にまとめようと思い立った。本の編集は商売だから、作るならある程度きちんとした本にしたい。しかし、本格的なDTPに手を出すのは億劫だし、金もかかる。そこで試しにワープロソフト「一太郎」のウィンドウズ版に読み込んでみたところ、縦組もなかなかそれらしくできるし、ルビもきれいに入る。レーザープリンタを使うと、この程度の版下が自宅で作れる時代になった。手軽な本といえばタイプ印刷しかなかった時代を知るものとしては、いささかの感慨がある。

 中学のときの国語の教科書に、丸山薫の「汽車にのつて」という詩がのっていた。「あいるらんどのやうな田舎へ行かう」というリフレインが印象的な詩で、私はこれに曲をつけようとしたこともあった。本書のタイトルは、この詩の中の「窓に映つた自分の顔を道づれにして」という行のイメージを基にした造語である。

 鉄道フォーラムのシスオペ伊藤博康さん、関係会議室の歴代の車掌さん(各会議室のコーディネーターを鉄道フォーラムでは「車掌」と呼ぶ)、 および、その時々に私の発言に対してコメントや貴重な情報をくださった方々にはたいへんお世話になった。また、鉄道ジャーナリズムとの縁も深い井之上聖子さんには、美しい装丁をしていただいた。ともに、あつく御礼申しあげる。

    一九九五年早春

飯 塚 利 昭