「一絃琴あけぼの会」の創立者である、和田玉邦(1896−1977)は高知に生まれ、島田勝子門下の上村万寿代に一絃琴を師事した。昭和31年(1956)夫に死別し、娘の竹村玉葉をたよって西宮に移る。昭和35年(1960)新聞で倉知素風(しん)が無形文化財に指定されたことを知り、素風に師事して一絃琴を復習している。 時期は前後するが、昭和33年、高知の一絃琴無形文化財保持者 ・ 秋沢久寿栄の演奏会が神戸で催された。その後、昭和36年5月に先賢追慕一絃琴献奏会が須磨寺で催された際、病気の秋沢久寿栄に代わって、和田玉邦が一絃琴を演奏した。 これを機縁に勧められて、一絃琴を教えることになり、昭和36年6月 「あけぼの会」 を発足させた。その後、昭和40年に稽古場を自宅に加えて、須磨寺にも設けた。 これから7年後の昭和47年、須磨寺関係者は 「須磨琴保存会」 として 「あけぼの会」 から、分離独立した。 創立者の和田玉邦の他界後、玉邦の娘、竹村玉葉が 「 西宮あけぼの会 」 をまた、玉邦門下の小路玉翠が 「神戸あけぼの会」 をそれぞれ引き継いでいたが、竹村玉葉の他界後は、小路玉翠が 「あけぼの会」 を受け継いでいた。平成20年、小路玉翠が会長を引退して、現在は小路玉晴が後を受け継いでいる。小路玉翠は和田玉邦と同様高知生まれで、幼いころに玉邦と同じ、上村万寿代のもとに通い一絃琴の稽古をしていた。したがって、阪神の一絃琴の源流は高知の一絃琴とも言える。 参考文献:兵庫県大百科事典(1983年 神戸新聞出版センター) |
1961年 (昭和36年) | 和田玉邦により創立。 |
1965年 (昭和40年) | 須磨寺を稽古場に加え、会名を「あけぼの会」と命名。 |
1972年 (昭和47年) | 須磨寺の関係者が「須磨琴保存会」として「あけぼの会」から 分離独立。 |
1977年 (昭和52年) | 年一回の定期演奏会を始める。 創立者の和田玉邦 永眠。 竹村玉葉(玉邦の娘)と門下の小路玉翠が後を受け継ぐ。 |
1981年 (昭和56年) | 創立20周年記念演奏会開催。ギターとの2重奏曲「眉月」を演奏。 竹村玉葉が和田玉邦追悼集 『潮騒はとこしえに』を出版。 |
1982年 (昭和57年) | 小路玉翠が「一絃琴あけぼの会」20年史 『藻汐のしらべ』を出版。 |
1983年 (昭和58年) | 一絃琴に重音奏法を最初に用いた新曲「春雷」を発表。 |
1984年 (昭和59年) | フルートと共演。以後、洋楽器などとの共演に積極的に取り組む。 |
1985年 (昭和60年) | 重音奏法を用いた新曲「白絲の詩」を発表。 |
1987年 (昭和62年) | 「日中国際婦人の集い」に参加。北京にて演奏。 |
1990年 (平成2年) | 神戸市混声合唱団のメンバーと共演。 |
1991年 (平成3年) | 創立30周年記念演奏会開催。神戸フィルのメンバーと共演。 |
1993年 (平成5年) | イタリア親善使節団に参加。アッシジにて演奏。 |
〃 | 頌栄短期大学ハンドベルクワイアと共演。 |
1996年 (平成8年) | 創立35周年記念演奏会開催。ハープと共演。 |
2001年 (平成13年) | 創立40周年記念第25回演奏会開催。 竹村玉葉 永眠 |
2006年 (平成18年) | 第30回演奏会開催。ハープと共演。 |
2008年 (平成20年) | 小路玉翠が会長を引退して小路玉晴が後を受け継ぐ | 2011年 (平成23年) | 創立50周年記念第35回演奏会開催。 | 2016年 (平成28年) | 小路玉翠 永眠 |
・1977年に第一回演奏会を開いて以後、毎年演奏会を開催し 2011年には創立50周年記念第35回演奏会を開催した。 2011年の第35回演奏会以降は、隔年の開催を目安に活動している。 演奏会の他に、福祉施設、各種行事等で訪問演奏を行っている。 ・小路玉翠の作曲選集として「千曲川」「坤は大地」「小夜の灯火」「茫洋の海」 「兵庫旅情」があり、全部で五十二曲の作品がおさめられている。 ・古典の演奏法を伝えるだけでなく、重音奏法の開発等、一絃琴の 可能性を追求して新曲にも積極的に取り組んでいる。また、フルート、 ハープ、マリンバ、シンセサイザー等洋楽器との共演に取り組み、 現代の人々に一絃琴をより親しみやすいものにするよう努力している。 |
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稽古は、小路玉晴の自宅で個人指導を中心に行っています。
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