ベトナムには独奏琴、インドにはエクタールという風に、一絃琴は世界各地に存在するが、ここでは現在の日本の一絃琴の歴史を簡単に述べる。
  今日の一絃琴は江戸時代初期、寛文年間(1661−1673)に中国より伝えられたようである。
  一絃琴の歴史としてはっきりしているのは、河内の金剛輪寺の僧侶、覚峰阿闍梨(1729−1815)が衰えかけていた一絃琴を復興した、ということである。覚峰の門下には水戸、奈良、大阪の人々が集まり一絃琴が世に広まっていった。幕末には伊予の真鍋豊平(1809−1899)が出て多くの新作を作り、その門下には佐久間象山をはじめ、土佐藩士も多かった。坂本竜馬など幕末の志士たちが、一絃琴の稽古にこと寄せて倒幕の密会を持ったともいう。真鍋豊平は京都を中心に活躍したが、明治になって門下生が高知に帰ったり、東京に出たりしたため、一絃琴は高知、東京、京都などに分かれて伝承されることになった。以下に主なものを記す。

  1、高知

  豊平門下の門田宇平の教えを受けた、島田勝子が明治、大正時代、土佐に一絃琴の黄金時代を築いた。テレビドラマにもなった、宮尾登美子著の「一絃の琴」は、島田勝子をモデルにした物語である。第二次世界大戦後、鳥田勝子の高弟、秋沢久寿栄が復興に努め、「白鷺会」を組織した。秋沢の伝承を稲垣積代が受け継ぎ、現在は森本和子が会長を務めている。

  2、東京

  島田勝子の養女、寿子が伝承に努め、新倉凉子に伝えた。また、豊平門下の徳弘太も普及に努め、二女の山城一水、三女の松崎一水が「一水会」を組織した。現在は峯岸一水が「清虚洞一絃琴」宗家四代として、そのあとを継いでいる。この他に、松崎一水に師事した愛知一紅が主宰している「紅之会」がある。

  3、京都

  大西一叡が京都の伝承を吸収しつつ、東京の松崎一水に師事して「京都山水会」を組織している。

  4、兵庫

  和田玉邦が「あけぼの会」を組織して、活動していたが、そのあとを玉邦の娘、竹村玉葉と玉邦門下の小路玉翠が継いでいた。竹村玉葉の他界後は小路玉翠が、「あけぼの会」を受け継ぎ、小路玉翠の会長引退後は小路玉晴が後を継いでいる。和田玉邦門下の小池美代子は、「あけぼの会」から分離独立して、「須磨琴保存会」を組織している。

            参考文献:日本音楽大事典(1989年 平凡社発行)

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