餓流禍(ガルカ)
アーケード / コナミ / 1988年9月
ストーリー
遊び方
敵キャラクター
基礎知識
MISSION 1
MISSION 2
MISSION 3
MISSION 4
MISSION 5
MISSION 6
MISSION 7
使用曲一覧
エミュレーションの不具合



迫りくる猛者たち

 『餓流禍(ガルカ)』は、1988年にコナミから発売された戦場アクションシューティングだ。奇妙なタイトルはネパールの「グルカ兵」が由来と思われ、1986年の『沙羅曼蛇(サラマンダ)』、1987年の『魂斗羅(コントラ)』に続く、コナミ第3の当て字タイトルである。
 『餓流禍』の最大の特徴は、プレイヤーを背中から見た視点で、画面奥へと進んでいく擬似3D画面だ。まさに『魂斗羅』の3Dステージだけを取り出したようなゲームだが、1987年の『A-JAX(エー・ジャックス)』で搭載されたVRAM回転・拡大・縮小機能を使用することで、画面奥から敵や背景がぐんぐん迫ってくるグラフィックを実現している。
 ストーリーは、「某途上国」に対する「超大国」の侵略を阻止するため、「対立するもう一方の超大国」が、2人の戦争のプロフェッショナル「餓流禍」を送り込む、というもの。明らかにソ連のアフガニスタン侵攻、もっといえば本作の3ヵ月前に公開された映画『ランボー3/怒りのアフガン』を意識した設定だ。プレイヤーキャラクターの「ジョー」と「ジェリー」も、シルベスター・スタローンが演じる「ランボー」にそっくりである。
 1980年代、この手の『ランボー』をモチーフにしたゲームは各社から乱発されていたが、中でも有名なものは、同じコナミの『魂斗羅』だろう。ただし、『魂斗羅』が映画『エイリアン』のSF要素も採り入れていたのに対し、『餓流禍』は純粋な『ランボー』路線の戦争物で、エイリアンやUFOといった非現実的な要素は一切登場しない。『魂斗羅』に比べると地味ともいえるし、より硬派でリアリズムを重視した、渋い内容ともいえる。
 『餓流禍』が当時のコナミらしい、男らしさに満ちた熱い作品であることは間違いないが、結論から言って、このゲームはまったくヒットしなかった。不当に過小評価された、隠れた名作というわけでもない。クセのある仕様や、調整の甘い部分があまりにも多く、ほとんどのプレイヤーが楽しさを見出すことなく投げ出してしまったのである。
 まず驚くのが、3Dゲームにもかかわらず、自機のショットに射程距離があるという点だ。これがまるで前方2〜3メートルの地面に向かって撃っているかのようで、目の前に敵が見えているのに弾が当たらないのである。反対に、敵はどんな遠くからでも容赦なくプレイヤーを攻撃してくる。そのため、敵が近づいてくるのを待つのではなく、こちらからどんどん前進して、敵を撃ちにいかなければならない。
 この「自分でレバーを上に入れて前進する」という点も、この手の3Dゲームでは非常に珍しいのだが、これがまた曲者だ。本作は各ステージに制限時間が設定されており、タイムがなくなると、残機がいくらあっても即ゲームオーバーになってしまう。この制限時間が激烈に厳しく、ほとんど立ち止まらずに進んでも大抵ギリギリなのである。敵を倒すだけでも大変なのに、時間とも戦わなければならないわけだ。
 グラフィック的な問題点もある。拡大・縮小を駆使した3D視点は当時としてはなかなかの迫力だったのだが、いかんせん遠近感がつかみにくく、何でもない敵弾をかわすのにも神経を使う。また半透明処理など行われていないので、ド派手な爆発が起こったり、巨大なボスが現れたりすると、後ろにいる敵や弾が隠れて見えなくなってしまう。ボス戦などは画面中が爆発だらけになり、何が何だかわからないうちに理不尽な死を迎えることもよくある。
 敵の攻撃にもクセがあり、所構わずやみくもに投げ込まれる手榴弾、意思を持っているかのように曲がるホーミング弾など、基本的な対処法を知らないとゴロゴロと死んでいく。プレイヤーは強力なバズーカを発射できるのだが、発射時に特大の硬直があり、うかつに使うと棒立ちのまま敵弾を食らってやられてしまう。かなりの場面でアドリブが要求され、1周するのも困難なゲームだが、どういうわけか3周クリアしないとエンディングは見られない。実際にエンディングまで到達できたプレイヤーはごくわずかだろう。

体の中に獣がいる

 とはいえ、『餓流禍』がいたずらにプレイヤーを苦しめることだけを考えた、意味不明なゲームというわけではない。このゲームが目指したコンセプトは明らかだ。「立ち止まることなく前進し、ひたすら攻め続けるシューティング」である。厳しい制限時間も、射程距離の短いショットも、プレイヤーを否応なく前に進ませるための誘導なのだ。実際、ある程度ゲームをやり込み、基本的なセオリーがわかってくると、銃を撃ちまくりながら戦場を駆け抜けていく、疾走感や高揚感が感じられるようになる。その「ラン・アンド・ガン」こそが開発者の想定したプレイスタイルだったのだが、そこへ到達するまでのハードルがあまりにも高過ぎ、ほとんどのプレイヤーは快感を感じる以前に、ストレスの方が上回ってしまったのである。
 『餓流禍』の「自力で前に進む」というシステムには、慣れてしまえばほかのゲームにはない独特の面白さがある。レースゲームのように限られたタイムの中で、思い切って強行突破するか、立ち止まって敵をさばくかを判断する戦略性。バズーカを発射したり、切り返しで弾をかわしたりといった行為でさえ、微妙なタイムロスになる。そして何より、必死に自分で足を動かし、敵地に向かって前進しているという感覚。
 確かにグラフィックは荒い。3D表現もあくまで擬似的なもので、実際の空間や距離感に照らし合わせればウソだらけだ。しかし、ガタガタのドットむき出しで、ムキムキと迫ってくるキャラクターには、今の3Dポリゴンでは再現できない、独特の迫力がある。それに、ちょっとくらい弾が見にくくても、爆発はド派手な方がいい。
 サウンドの素晴らしさについては、異論の余地はないだろう。全編を通じて、『魂斗羅』シリーズを思わせる、バリバリの攻撃的BGMで構成されている。効果音も迫力があり、リアルな銃声、爆発音、そしてジープ、ヘリ、戦車といったさまざまな兵器の音が、戦場の臨場感を盛り上げる。さらに、敵兵を倒すたびに「ウァー」「グァー」と野太い悲鳴が響き渡り、一瞬でも立ち止まれば「うべらー! うべらー!!」と謎のボイスに急き立てられ、自機が被弾すれば「アッーーーーーー!!!!」
 やればやるほど、『餓流禍』は奇妙なゲームだ。右手に持つライフルはプレイヤーの右方向、左手に持つ手榴弾はプレイヤーの左方向に発射されるという謎のこだわり。基本的に、敵を倒したときの得点は一律「1点」で、「スコア=殺した人数」という生々しさ。ステージ1のBGMは、なぜか1987年のマイナーゲーム『フラックアタック』最終ステージのアレンジ。『ランボー』丸パクリの上、「餓」の漢字を間違えている恥ずかしいタイトル画面。そして、必死の思いで3周クリアした後のエンディングが、「実は映画だった」というふざけたオチ。
 『餓流禍』は一般的には失敗作と見なされており、移植もシリーズ化もされていない。ただし、1992年にコナミから発売された『G.I.ジョー』は、明らかに『餓流禍』の流れを汲む作品だ。『餓流禍』と同じ擬似3Dだが、グラフィック面の向上に加え、ショットの射程制限、任意スクロールといった、『餓流禍』でストレス要因となっていた要素を徹底的に廃除し、遊びやすさを追求した内容となっている。当時はすでに格闘ゲーム全盛だったため、やはり知名度が高い作品とは言いがたいが、今日でも爽快感あふれる良作として評価されている。
 このことも示しているように、『餓流禍』の基本的なコンセプトは、決して悪くはなかった。しかし、当時としては技術が不足していたこともあり、さまざまな面で荒削りなゲームとなってしまった。万人が楽しめる作品とはとても言えないだろう。
 はっきり言って、『餓流禍』はクソゲーだ。だがこのゲームには、わけの分からない魅力がある。ゲームとしては破綻しているかもしれないが、遊んでいると理屈ではない面白さがある。そして、いかにも80年代のコナミゲームらしい、ほとばしるような熱気と男臭さがある。あらゆる意味で荒々しいゲーム。それが『餓流禍』だ。

(追記)『餓流禍』は家庭用には一切移植されていなかったが、2010年12月、Xbox 360、Windows PC用の配信サービス『Game Room』で、海外版の『Devastators』をプレイできるようになった。国内版の『餓流禍』とは仕様が異なり、火炎放射器、グレネードランチャー、ナパーム手榴弾といった武器が出現しないほか、1周クリアでエンディングとなっている。また、残念ながらエミュレーションの精度が低く、プレイヤーの挙動や、敵のアルゴリズムなどに不具合が多く見られる。ただし、基本的なゲーム性や各ステージの演出、そしてサウンドなど、本作の熱い雰囲気を感じることは十分にできるだろう。



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