俺とスーパージョー |
第2章 マスターD復活計画 『バイオニック コマンドー』に先立ち、『ヒットラーの復活』をリメイクした『バイオニック コマンドー マスターD復活計画』が発売された。おおむねファミコン版に忠実ではあるのだが、エンディングに微妙な違和感があった。 『ヒットラーの復活』では、スーパージョーを助けるため、ラッドは基地内に引き返す。しかし『マスターD復活計画』では、脱出地点に行くと、普通にジョーが待っている。 また、ジョーの「その時は……行け」の通信も存在しない。それでも最後、助けに戻るラッドが胸熱く拳握るのだが、リメイク版はそのへんの話がバッサリない。 このアッサリ感はいかがなものなのだろうか。 まぁ、何もかも原作通りじゃなくてもいいんだが……。 その後の脱出シーンにも、奇妙な違いがある。『ヒットラーの復活』では、ラッドがワイヤーでヘリにつかまり、ジョーはそのラッドに支えられている。しかし『マスターD復活計画』では、ラッドもジョーも素手でヘリにつかまっている。 「ワイヤーアクション」のゲームだからこそ、最後ワイヤーで間一髪ヘリにつかまっているのが熱いのであって、それが何で“ワイヤーじゃない方の手で”つかまってるんだよ……とか、細かいようだがいろいろ言いたい。 ただ、一応このへんの演出の違いを考えるに、『ヒットラーの復活』では、一応ジョーも活躍するが、最終的にはラッドに助けられて何とか生還する。そして、最後は老いた自分と、新しい英雄(ラッド)の誕生を語るジョーの回想という形でゲームは終わる。 一方の『マスターD復活計画』では、ジョーは依然として頼れる先輩というか、ラッドと対等の立場として描かれているように感じる。これはこの後に控えている『バイオニック コマンドー』との絡みで、意図的にやってるのかなぁ、違うのかなぁ、とか深読みをすることもできるのだが……。 第3章 バイオニック コマンドー に続く (※注意! この続きには、『バイオニック コマンドー』の重大なネタバレがあります) |
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