デンマーク1986
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クライフのオランダと比肩する、北欧のダイナマイト

1986年において、デンマーク代表が採用した3-1-4-2フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、1986年当時のデンマーク代表について想定予想のスターティングメンバーです。
ベルデンセンではなく、アンデルセンをセンターバックに入れて、オルセンが上がり気味になる3-2-3-2なシステムを採用することもあるようですが、基本線としては左図のようになるようです。

2トップのFWは、パワフルなエルケーアと欧州屈指のドリブラーであるM・ラウドルップ。
これに加えて、右サイドにこれまたドリブルが得意のウインガーJ・オルセンが前係かりに位置取り、左サイドはウインガーと言うよりも、リバウドや中村俊輔のようにサイドと中央をしきりにポジションチェンジしつつ、パスだしのタイミングを計るレアビー。

攻撃的な中盤中央の2人は、勝負どころで前線のスペースに顔を出してくるベルデンセンと、パサーとしてもドリブラーとしても高い能力を持つアルネセン。

と言ったように、実に攻撃的な布陣が組めるのですが、中盤の底のベアグリーンはハードマーカーであり、相手エースの潰し屋である一方で、そんなに広い範囲をカバーするタイプではなく、中盤の底のケアーをするのは主にリベロのM・オルセン。

このリベロはかなり高い能力を持ち、EURO1984や1986年メキシコW杯でも、ベストイレブンの候補に挙げられるような人ではあるのですが、いかんせんシステムの都合上、サイドの裏を狙われだすと守備陣はモロい部分も多々あります。

派手な攻撃陣の割には守備陣はモロい、とよく言われる1980年代の「ダニッシュ・ダイナマイト」ですが、守備のメンバーのせいというよりも、そのシステムが常にダイナマイトを抱えていたというジレンマが同居しているからとも言えましょう。

1986年当時のデンマーク代表

元々、デンマークという国はそんなにサッカーが盛んな国でもなく、北欧国家にありがちなアマチュアリズム優先の風潮により、国外でプロとして活躍する選手よりも、国内のプロ化されていないクラブチームの選手たちを多く代表選手に選出するなどしていたこともあり、当時アマしか出場できなかった五輪以外はともかく、W杯や欧州選手権では大した成績どころか、本選出場すらままならないという年が続きます。

そのような中、数少ない国外選手であるアラン・シモンセンが1977年にバロンドールを取るという偉業を成し遂げると、その風潮も揺らぎ始め、若い選手が数多く国外に出て行くようになります。

そうしたグローバリゼーション化が進む中、1979年に代表監督にはドイツ人のゼップ・ピオンテックを招聘します。ブレーメンなどブンデスリーガのクラブチームの他ハイチ代表を率いた経験を持つ監督でした。

国外に出て行く事で、個人プレーに走りがちだった選手たちを上手くまとめたピオンテック監督は、海外選手たちが国外から得てきた戦術知識などにも耳を傾けつつ、中盤のショートパスを多様することでポゼッションをあげて素早いドリブルを組み合わせる、トータルフットボール的なチームを作り上げます。

こうして出来上がったチームは、まず1984年の欧州選手権でベスト4進出という快挙を成し遂げ、1986年のメキシコW杯も欧州予選を1位で突破し、初出場ながら大会のダークホース的存在と目されます。

W杯の予選グループは、西ドイツ・ウルグアイ・スコットランドと同組で、当時の実力から考えるといわゆる「死の組」と言われるようなグループに入ってしまいます。

ところが、この「死の組」を、スコットランドに1−0、ウルグアイには6−1で圧勝して早々と予選通過を決め、一躍優勝候補と言われるようになります。

この後、ピオンテック監督の母国西ドイツ戦も2−0で快勝し、3戦全勝でグループリーグを突破。陽気でフェアなサポーター達の応援ともどもデンマークはメキシコW杯を大いに盛り上げてくれました。

しかし、そんなデンマークも決勝トーナメント1回戦のスペイン戦で1−5と惨敗して姿を消すことになります。

前半33分に先制点を挙げて、やはりデンマーク強しの印象を強くさせたのですが、後半開始直後、右ウイングのイェスパー・オルセンがノールックでDFへのバックパスをすると、ボールを待ち受けていたのはスペインのエースストライカーであるプトラゲーニョ。呆然とするDFを1人交わして、GKとの1vs1を制しスペイン同点のゴール。

これに気落ちしたか、この後、立て続けにスペインに点を入れられ終わってみれば、上記のスコアとなってしまいました。

このオルセンの大チョンボは、デンマーク国内で今でも「まるでイェスパーのようだ」という大きなミスをした時に使われる慣用句として末永く語り継がれることになってしまうのでした。

クライフとダニッシュ・ダイナマイト

1980年代の攻撃的なデンマーク代表チームを評して、「1970年代にサッカー界を震撼させたクライフのオランダ代表に比肩するようなチーム」と言われる事がしばしばあります。

曰く、中盤でのショートパスを多用することで、ボールポゼッションを上げること、各ポジションの選手が激しく動き回ることで、お互いをカバーリングしあい、攻守の切り替えをスムーズに行えるようにしているなど、正にトータルフットボールを体現するかのようなチームであると。

このようなチームになったのは、ピオンテック監督の指導もさることながら、若いころに、現役晩年の頃のクライフのいたアヤックスに移籍したレアビーとアルネセンの存在が大きかったと言われています。

また、M・ラウドルップは後に、クライフの強い要望により「ドリーム・バルサ」に移籍し、中心を担う選手となるのでありました。
そして、バルサからレアルへの禁断の移籍を断行した理由が、クライフの過剰な期待に押し潰されそうになったかららしいというのも、又、クライフとダニッシュ・ダイナマイトの奇妙な因縁なのかもしれません。



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