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m @ s t e r v i s i o n
Archives 2001 part 5
★★★★★=すばらしい ★★★★=とてもおもしろい ★★★=おもしろい ★★=つまらない ★=どうしようもない

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ファイナルファンタジー(坂口博信)[DLP上映]

というわけでデジタル上映を観にディズニーランドのAMCイクスピアリまで越境してきた(※) いや確かに素晴らしい出来ばえである──背景に関しては。自然の「実景」などもはや実写と見紛うほど。メカや爆発の質感など最新の「スター・トレック」より上である。これならハリウッドのメジャー・スタジオから発注が殺到してILMやソニー・ピクチャーズ・イメージワークスを脅かす存在になるのも夢ではないかもしれない──このクォリティを半年で作れるならば。だがその素晴らしさも、人間が登場したとたんに霧散してしまう。(こう思ったのはおれだけではないようだが)こ…こ…これは「サンダーバード」!? モーション・キャプチャーかなんか知らんが、このカクカクした不自然な動きはまさにマリオネットそのもの。100億超ともいわれる破産の…じゃなかった破格の製作費を投じて、髪の毛の1本1本をCGで描いたんだそうだが、おれの目にはヒロインの髪はいぜんとしてカタマリとして動いてるようにしか見えなかった。(これは演出/振り付けの問題もあるのだが)人間キャラが登場するシーンで「実写映画」と見紛うシーンはひとつもないし、かといって「アニメとして魅力的」なわけでもない。スクウェアの連中はハリウッドのフルCG映画がなぜオモチャの人形だの虫だのアリだの能なしジャージャーだの御伽噺の登場人物だのモンスターだのといった「デフォルメされたキャラクター」のみを扱っているのかをよおく考えてみるよーに。その代わり…というか、それを裏付けるようにというか、電子顕微鏡で見たダニのような半透明クリーチャーや巨大触手生命体の動きは迫力満点で、これは「淫獣教室」以来の美少女エロアニメで鍛えた日本のアニメーターたちの実力が遺憾なく発揮されている。 ● あと「映画」としては照明が致命的に下手だな。ちょっと絵柄がゴチャゴチャすると、とたんに観客の視線を一点に集めることが(=画面で何が行われているか観客に理解させることが)出来なくなってしまう。おそらくアニメーター諸君は「光源がこことここだから光がこうあたって…」とか、綿密な計算と気の遠くなるようなレンダリングを行ってるんだろうが、「見た目の光源」と「実際の照明の当て方」が必ずしも一致しないのが映画の照明ってものなのだよ。 ● え、ストーリー? ストーリーはまあ…ガイア思想系のトンデモSFである。感動的なクライマックスでは場内に「な〜に言ってんだか」という思念が充満していた。よくこれで(共同提供の)コロムビア映画がOK出したなあ。100億のうちせめて1億でもストーリーの熟成(ディベロップ)に向けていたなら、このような惨状は避けられたと思うんだが…。CG関係の業界人の皆様にお勧めする。

※本来ならば「ファイナルファンタジー」のメイン劇場である日本劇場は、日本で最初のDLP映写機設置館(日劇プラザ)であり、今までに「トイ・ストーリー2」「ミッション・トゥ・マーズ」「ダイナソー」といったDLP作品の上映実績があるのだから、本作も(「ミッション…」同様に劇場を日劇プラザに振り替えて)DLPで上映してしかるべきなのだが、東宝は2001年 夏の日比谷スカラ座における「千と千尋の神隠し」DLP上映に際して(翌年には「スター・ウォーズ エピソード2」で本格的なデジタルシネマ時代が到来するのは解かりきっているのに)新規でDLP映写機を購入せず日劇プラザのものを貸し出すという驚くべきその場しのぎを行い、それがために(「千と千尋…」が大ヒットしてしまったので)9月15日の「ファイナルファンタジー」の初日にDLP映写機を日劇プラザに戻せないという事態が生じてしまった。もちろんこうなることは「千と千尋…」のフタを明けた時点で予測できたことなので、東宝=日本劇場としては(この時点ですでにプロトタイプを脱し通常の製品として数社から発売されている)DLP映写機を新規に購入してデジタルシネマ「ファイナルファンタジー」を最良の状態でデジタル上映し、みずから自負する〈日本最高最大の映画チェーンの旗艦〉としての責任を果たすべきなのだが、またもや驚くべきことに(「千と千尋…」が日本映画歴代最高の売上げを記録し、東宝株式会社は2001年8月期中間決算で売上高が前年比24.5%増の487億円、経常利益が15.9%増の79億円[9/26付 新聞各紙]という史上空前の大儲けをしてるにもかかわらず)たかが映写機1台の購入をケチり、日本劇場では「ファイナルファンタジー」は通常のフィルム上映。(東京近郊で)DLPで観たい者は千葉県の舞浜にあるAMCイクスピアリ16まで足を運ばねばならない…ということになってしまった。事実の記録としてここに附記する。


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すべての美しい馬(ビリー・ボブ・ソーントン)

原作:コーマック・マッカーシー 脚色:テッド・タリー 撮影:バリー・マーコヴィッツ
ビリー・ボブ・ソーントンの監督第3作。全米ベストセラーの原作小説を「羊たちの沈黙」のテッド・タリーが脚色した。 ● 「ここは別の国なの。評判だけが女の持ちもの。女に赦しは与えられない」とか、「大丈夫、失恋の痛手はいつか消える。生きてる間には無理でも、…死ぬときに」とか、あるいは「誇りに代えた約束よ。それを捨ててしまったら私には何もない」といった、大時代的な台詞が違和感なく喋られる世界で、♪義理と人情を秤にかけりゃあ 義理が重たぁ〜い 生き方をしていた男たちと、情熱的な別嬪さん(ボニータ)についての映画である。 ● 舞台は第2次大戦直後の1949年。テキサスの2人の青年が、かつて「西部」と呼ばれた地方で尊ばれていた「今では失われた価値観」を求めて国境の南の国へと河を渡る。いわゆる「西部劇」のドラマツルギーではなく、主人公の成長を描くビルドゥングスロマン。いわば尾崎士郎の「人生劇場」である。テキサス人のビリー・ボブ・ソーントンは丁寧に往年の西部劇の「素振り」や「手触り」を拾っている。すべての俳優たちが不自然さを感じさせることなく、それぞれのキャラクターにハマっており、(主人公の障壁となる人物も含めて)すべてのキャラクターが不当に歪められることなくまっとうに物語を生きている。この清々しさこそが近年の映画から失われた価値観そのものだろう。 ● キャスティングも素晴らしい。主人公の青成瓢吉にマット・デイモン。やはりこの人はこういう役がいちばん活きる。 その相棒に「主人公の内気で寡黙な親友」として完璧な演技を見せたヘンリー・トーマス。 そして芸者…ではなくてメキシコの大牧場主の令嬢にわが愛しのペネロペ・クルス様。いやあ、いい女だなあ、…女優も役も。 その頑迷な大叔母を演じる(「グロリア」やジョン・セイルズ「真実の囁き LONE STAR」「希望の街」の)ミリアム・コロンが素晴らしい。前掲の最初の2つの台詞はこの人の台詞である。 ほかにもルーベン・ブラデス、ロバート・パトリック、サム・シェパード、ブルース・ダーンといった面々が飛車角吉良常を演じている。 ビリー・ボブはセックス大好きの新妻色ボケすることなく良い映画を撮ったと思う(←大きなお世話

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ブロウ(テッド・デミ)

吸うのに「吹く」とはこれ如何に。ちんぽじゃないよ。白い粉のほうだ。「ブロウ」とはコカインの別名。これは伝説的な麻薬売人「ボストン・ジョージ」の栄枯盛衰一代記である。実話の映画化にもかかわらず劇中に年代が表示されないので判り難いが、およそ1967年(25才)から1983年(41才)までの話。ちなみに「アメリカ麻薬史」としては1981年にノーマンズ・キー島の空輸ルートが閉鎖され、以後はメキシコ陸送ルートに移行。「ドラッグ・ウォーズ 麻薬戦争」のモデルとなった事件が1985年。そして「トラフィック」へと続くわけである。 ● 冒頭。ローリング・ストーンズのナンバーに載せてコロンビアからの麻薬密輸が軽快なテンポでモンタージュされる。ん? これはマーチン・スコセッシの「グッドフェローズ」では!?…と思う間もなく、画面には子供時代の主人公の父親としてレイ・リオッタその人が登場してくるのである。そう臆面もなく「これからお見せするのは『グッドフェローズ』ですよ」と宣言されてしまっては何も言えんでしょーが。だが「悲劇は高低差があるほど効果的」という大原則からすると、この作品はトップが低すぎる。メディジン・カルテルのコカインの“独占供給元”として一時期はアメリカのコカイン流通の85%を牛耳ったという「栄光」がちっともグラマラスに描かれないから、その後にやってくる「没落」の惨めさが身に沁みてこない。オリジナル・ポスターから漂ってくる魅力的な退廃は一度として描かれないのだ。でまた、演じるジョニー・デップが最初っから最後まで「聡明ないい人」でしかなくて、「グッドフェローズ」のレイ・リオッタにあったような「人間のどうしようもなさ」も、「スカーフェイス」のアル・パチーノが放っていた「悪の魅力」も感じられない。だから終盤の主人公の「過ち」に観客は同情もカタルシスも覚えず、“愛すべき”という形容詞の付かないただの愚か者に見えてしまうのだ。あれじゃせいぜい農家からの産地直送方式で大儲けしたのも束の間、大手商社に潰されたファミレス・チェーンの社長ぐらいにしか見えんよ。まあ、きっとテッド・デミ(「ビューティフル・ガールズ」)自身がファミレスの店長のような人なんだろう。つまりマニュアルの範囲内では、どこまでも誠実…というタイプの。最後まで退屈はしなかったが、ちょっと期待はずれだった。 ● わが愛しのヒロイン=ペネロペ・クルス様におかれては「カジノ」のシャロン・ストーンの役まわりなわけだが、主人公との出逢いこそ艶やかに登場したと思ったらアッという間にビッチになっちゃって欲求不満なり。 やはり1番の儲け役は「ウエストコーストのオカマの美容師 兼 ドラッグディーラー」を怪演するピーウィー・ハーマンことポール・ルーベンスだってのは衆目の一致するところだろう(←紋切り型の表現) あと、えーと、おれ よく判んなかったんだけど、主人公の属してる「ファミリー」ってそもそも何の組織? メディジン・カルテル? ここにはマフィアは出て来ないの? それと、主人公の母親を演じたレイチェル・グリフィスのことを最後までずっとジュリエット・ルイスだと思ってたのは内緒だ。特に観てるあいだ「ふふん『ケープ・フィアー』繋がりね」とか判ったよーな気になってたのは絶対に秘密(火暴)

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ロンドン・ドッグス(ドミニク・アンシアーノ&レイ・バーディス)

「ファイナル・カット」の内輪受けお友だちコンビの新作。もちろんジュード・ロウ主演。今度は露骨にガイ・リッチーをパクッてるロンドンの裏社会を舞台にしたオフビート・コメディで、ざっくり言うとコメディ版の「用心棒」だな(←そーとー違います) でも、それがけっこう面白かったりするってんだから、まったく「映画の出来と秋の空」たぁ、昔の人はよく言ったもんだぜ(←それも間違ってます) ● いちおう物語上の主役は、冴えない宅急便の兄ちゃんをやってるジョニー・リー・ミラー。退屈な日常(と退屈な未来)に嫌気が差したこの兄ちゃんが、歌舞伎町一の武闘派親分レイ・ウィンストンの甥っ子であるジュード・ロウ@同級生に頼み込んで、組員見習いにしてもらうってとこから話が始まる。さあ、おれも今日から立派なやくざ者!と勇んでみたものの、組員のやつらはすっかり腑抜けちまってて、肝心の親分までが昼メロ女優の西川峰子のケツを追っかけてる始末。こーなったら抗争だ!ってんで池袋の縄張(シマ)を荒らして血気っ早い朝鮮人のリス・エヴァンスを挑発してみるものの、なかなか戦争は始まらず…。 ● …というようなストーリーを語るのは二の次で、この お友だちコンビは、カラオケで熱唱したり、急性インポの克服に奮戦したりする やくざ者たちのトボけた日常のスケッチを律儀にフェイド・イン/フェイド・アウトで並べていく。サスペンスやアクションの残酷描写はおそらく作者が思ったほどには効果的に作用していないが、キャラの立ったやくざ者たちのバカ話に付きあう気で観れば「スナッチ」の七掛けていどには楽しめるだろう。

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ザ・ミッション 非情の掟(ジョニー・トー)

まただ まただ またジョニー・トーだ! 1955年生まれの46才。「ロンゲストナイト 暗花」、そして「ヒーロー・ネバー・ダイ 眞心英雄」「暗戦 デッドエンド」と、1990年代も後半になってから突如としてエイリアンにでも取り憑かれたかのようにハードな傑作を量産しはじめたジョニー・トーがまたも新たな大傑作を放った。これで2000年の香港アカデミー賞の監督賞を獲得。その後もアンディ・ラウ×サミー・チェンのラブコメ「痩身男女」、アンディ・ラウ×反町隆史のアクション「全職殺手」と大ヒット作を連発。断言しよう、現在の香港映画はジョニー・トーとともに在る。 ● 勇ましいテナーサックス(?)のテーマ曲が高鳴る。殴り書きの筆文字で、縦書きの漢字クレジットがスクリーンの左右いっぱいにズラリと並ぶ。ナイトクラブで広域暴力団組長の暗殺未遂事件が勃発。血のように赤い文字で「導演:杜棋峰」そして「鎗火 THE MISSION」とタイトル。おお、この感触はまぎれもなく「仁義なき戦い」ではないか!・・・と書いたのは昨年の香港映画祭のレビュウだが、今回、再見したら、なんかその時と冒頭部の編集が違うような気がすんだけど、おれが耄碌して記憶を捏造してるだけか? あと捏造といえば、この映画を劇場公開してくれたことは感謝するけど、頭尻(アタマケツ)に言わずもがなの解説字幕を入れんのは「野暮」ってもんでしょ。あれはつまり「客をバカだと思ってる」ってこったぜ>ヤン・エンタープライズ。 ● さて、組長の警護のためにフリーランスのプロフェッショナルが5人 集められる。すなわち「鬼」という名のリーダー格 宍戸錠こと アンソニー・ウォン。萩原流行こと ン・ジャンユー、金子賢ことロイ・チョン(張耀揚)、坂上忍ことジャッキー・ロイ(呂頌賢)、そして肥(でぶ)と呼ばれるラム・シュー(林雪) 今回は朋友ラウ・チンワンこそ出ていないものの、いかにも地味で通ごのみなキャストである(なかでもケント・チェンの衣鉢を継げそうなラム・シューが素晴らしい) 映画は事件の背後にある陰謀や駆け引きにはほとんど時間をさかず、ただひたすら組長への襲撃と5人の必死の警護を、スタイリッシュにドライに黙々と描きだす。男、男、男の世界。ここにはロマンスもおまんこもない。ダレ場を作らず一気に魅せる81分。ハード・アクションの金字塔。必見。 ● キネマ旬報に載ってた監督インタビューによると、この映画、香港映画としてもかなりの低予算で、しかも18日間で撮り上げたそうだ。つまり日本のVシネマとたいして変わらん製作規模なのである。日本の監督たちよ、口惜しかったらアンタらもこーゆー傑作を撮ってみんかい! …てゆーか、マジで上に挙げたキャスト(ラム・シューの役は六平直政で)&きうちかずひろ監督・脚色でリメイク希望だ。ぜひ検討されたし>東映ビデオ。

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シャドウ・オブ・ヴァンパイア(E.イライアス・マーハイジ)

…笑えないんだよ。メル・ブルックスの「ヤング・フランケンシュタイン」を期待してた おれがお門違いだってこと? だけど「ノスフェラトゥを演じる〈本物の吸血鬼〉」を演じるウィレム・デフォーの演技は完全にコメディのノリじゃんか。なんで演出がこんなにもったらもったらしてるわけ? いや作者の意図が「吸血鬼よりも恐ろしい〈もうひとつの魔〉」を描くことにあるってのは判るよ。だけどそれならなおさら中盤までをコメディとして演出したほうが、終盤の、映画監督ムルナウを演じるジョン・マルコヴィッチの「映画を完成させるためなら…」という取り憑かれた恐ろしさが際立ったと思うけどね。 ● 「主演女優の役」に「テイラー・オブ・パナマ」のキャサリン・マコーマック@やっぱり脱いでる。 あと、撮影監督とは別に「カメラ・ワーク」ってクレジットが出るけど何のこと? ● この稿を書くためにヘラルドのHPを読みに行ったら次のような記述があった>[スティーヴン・カッツ(脚本):本作で映画脚本家デビューを飾った。他に「インタビュー・ウィズ・吸血鬼('94年)の準備稿も手がけている]…いや、まあたぶん他の文章と一緒に一括変換かけちゃったんだろうけどさあ。

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ヴァージン・ハンド(アルフォンソ・アラウ)

尻軽な浮気妻をブチ殺してバラバラに切り刻んで埋めた…はずが、途中で手首を落っことしちゃって、それを拾った盲の老婆の目が(なぜか)見えるようになっちゃったもんだから、中指おっ立てて「ファッキュー!」の形に固まった尻軽妻の手が、奇蹟を呼ぶ「マリア様の手」だと大評判になって・・・という死体始末コメディのバリエーション。 ● 原題は「PICKING UP THE PIECES(破片を拾い集めて)」。監督はなんと「雲の中で散歩」以来、6年ぶりののアルフォンソ・アラウ。べつにコカしたわけじゃないのに何でこんなに間(あいだ)が開いちゃったんだ? いやしかも、その6年ぶりの本作もやたらと豪華キャストを揃えてるわりにはクシュナー=ロック・カンパニーという聞いたことのないプロダクションだし、アメリカでは劇場公開された形跡もないし、いったい何があったのだろう? ● ま、もっともアメリカで劇場未公開なのは単に出来が悪いからだろうけど。風土も文化もほとんどメキシコなニュー・メキシコ州はエル・ニーニョという町を舞台にした法螺話…というか、メキシコ人監督にとっちゃ自家薬籠中のマジック・リアリズムの世界のはずなんだが、大らかな笑いがまったくハジけない。あんましゆるゆるのぐずぐずなので、おれは眠気と闘うのがひと苦労だったぜ。 ● NYのユダヤ肉屋…のはずが、妻が知り合い全員とヤッちゃうので人気のないテキサスの田舎町に移って来た「冴えない亭主」に世界1テンガロン・ハットの似合わない男=ウディ・アレン。主役なんだし、ほんとはもっとウロタエて右往左往しなきゃいかんキャラなんだが、さすがに今のウディに肉体アクションを求めるのはキツかったか。 尻軽妻に(あんまり変わり果ててるんで途中までそれと気付かなかった)シャロン・ストーン@ノンクレジット。こんなんでほんとに「氷の微笑」の続篇をやるつもりだったんか!? 信心が薄れかけてる田舎町の教会の神父に「フレンズ」のデビッド・シュワイマー。 神父といい仲の娼婦に「イル・ポスティーノ」「デイ・オブ・ザ・ビースト」「ワールド・イズ・ノット・イナフ」のイタリアの名花=マリア・グラツィア・クノチッタ。 シャロン・ストーンに横恋慕してたので執拗にウディを追ってくるテキサスの州警官にキーファー・サザーランド。 「奇蹟の手」でひとヤマ当てようと目論む田舎町の町長にチーチ・マリン。 ニューメキシコの警官役でルー・ダイアモンド・フィリップスがカメオ出演。 ● 撮影は「赤い薔薇ソースの伝説」「雲の中で散歩」の名匠エマニュエル・ルベツキ(ほかにも「大いなる遺産」「スリーピー・ホロウ」など)ではなく、だけどアッと驚くヴィットリオ・ストラーロ(…ほんとに? これで?) アナモレンズを使ったシネスコ映写(1:2.4)だが、実際の画面サイズはシネスコの左右に黒味を残した ほぼビスタサイズ(1:2.0)というヘンテコな方式。ヴィットリオ・ストラーロがローマのテクニカラーとやってるなんたらいう新方式だってどこやらで読んだ気がするけど、なにせ近頃めっきり記憶力が…。

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魚と寝る女(キム・ギドク)

韓国映画…というタグなど必要のないグローバルな傑作。 ● どことも知れぬ大きな湖。そこは釣り場として有名で、4畳半ぐらいの小さな小屋が乗った釣り筏(いかだ)がいくつも湖上に浮かんでいて(こんな感じ)釣り人たちは独りで、仲間たちと、あるいは愛人を連れてやって来ては、何日も泊りがけで釣りに興じる。岸から筏までボートで釣り人を送り届けるのは無愛想な若い女。彼女は湖畔の小屋に住んでいて釣り人たちにと食料とかコーヒーとか釣餌とかバッテリーとかトイレットペーパーとかを、そして求められれば自分の躯を売って生計を立てている。ある日、理由ありで自ら命を絶とうと湖に逃げてきた男がひとり。だが、女に自殺を止められ、とあるきっかけで彼女と肉体関係を持つ。そうしていつしか男は女に絡み取られていくのだった…という「砂の女」タイプの美しき恐怖奇譚。 ● ちょうど90分の映画で最初の20分ほどは主人公2人とも台詞がなく、ヒロインに至っては──べつに唖(おし)という設定ではないのだが──最後まで一言も喋らない。2人の過去やバックグラウンドは(多少の暗示のみで)最後まで説明されない。安易に饒舌な映画が横行するなかで、語りすぎないことで多くを語る演出が光る。霧に煙る湖上にぽつりぽつりと浮かぶ釣り筏。霧のなかから不意に現れる、女の操る小船。水平線が靄に溶けている、人の背ほどの葦(?)の茂み・・・といった幻想的な画づくりも忘れがたい。監督・脚本のキム・ギドク(金基徳)は本作が4本目。難しい題材を見事に描ききっているだけに、陳腐な絵解きをやってしまったラストの2カットは痛恨の蛇足だな。チラシによると「常に人間の性、極限の感情をクールに描写するアート系として一目置かれる気鋭の若手」だそうだから、ぜひ他の作品も観てみたい。 ● ヒロインの造型が素晴らしい。まだ20代なかばだろうか、孤独な人生を生きてきて孤独であることに痛痒を感じないように見える、喋らない女。漁師のように海女のように黙々と仕事をこなし水と共に在る女。まさに、往年の梶芽衣子に演らせてみたい役である。演じるのは「ペパーミント・キャンディー」で有薗芳記の浮気相手のOLをやったソ・ジョン。台詞なし&すべてを目で語る…という難役を全裸ヌードも辞さぬ熱演で乗り切った。 岡田英次の役にはキム・ヨソク。 ちなみに2人が結ばれるきっかけとなる出来事が「マラソン・マン」の歯科治療拷問にも匹敵しようというイタイイタイイタイイタイイタイ行為なので覚悟して観ること。もう、とりみきの「愛のさかあがり」の全エピソードを足したよりもイタイってくらい痛そうなのだ。いやマイッた。 ● 原題は「島」(…てことはあれ、湖じゃなくて入り江なのか!?)

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チアーズ!(ペイトン・リード)

チアリーディングと恋に青春を完全燃焼させる17才、元気いっぱいのヒロインのおはなし。こういう映画を観るのは随分と久しぶりのような気がする。この映画にはドラッグや銃は出て来ない。教育現場の荒廃はどこか別の星の話。青春のネガティブな面を強調するのではなく、若さの素晴らしい面をとりあげて賞讃する。斜に構えるほうがカッコイイといった風潮や(当サイトも含めて)ヒネった映画ばかりが褒められがちな傾向に はっきりと異を唱える。一生懸命でなにが悪いの? 頑張った分だけ報われるのがほんとでしょ?──まさに青春映画の王道である。若い観客は彼女たちの姿にきっと励まされるに違いないし、若くない人たちもこの映画から元気を貰えるだろう。そしてもちろん「1時間40分のあいだピチピチの女子高生たちがミニスカ姿でハネまわる映画が観たい」という諸兄のピュアな希望も裏切られることはない。「がんばっていきまっしょい」のひたむきさを愛する人と「チャーリーズ・エンジェル」にノックアウトされた人の、どちらにもお勧めできる。 ● 出てくるコたちがちゃんと16、7の「子ども」なのが良い。なかでもヒロインのキルステン・ダンストが素晴らしい。素直で明るくて(陳腐な比喩と承知で使うけど)太陽みたいな女のコ。ちょっと丸いお鼻で、典型的な美人じゃないのが親しみやすくて良いねえ。全米最強のチアリーディング部の新キャプテンに選ばれて大ハリキリだったのに、前キャプテンから引き継いだ振り付け(ルーティン)が、じつは別の黒人高校からのパクりと知って大ショック。友だちに「くよくよすることないよ。たかがチアリーディングじゃない(It's only cheerleading.)」と言われて、「わたしにはそのチアリーディングしかないのよ(I am only cheerleading!)」 過ちを犯すことだってあるし、人生にはなかなか上手く行かないこともあるって判りかけてるけど、でも、まだまだポンポンを持って何もかも忘れて踊れば辛いことなんか吹き飛ばせる──そんな若さゆえの特権を活き活きと行使する完璧なガール・ネクスト・ドア。 運動神経バツグンの体操選手という「頼りになる転校生」にエリーザ・ダシュク。なんとまあ「トゥルー・ライズ」のお嬢ちゃんがこんなに成長して美人になって。 騙されて雇うことになるどう見てもボブ・フォッシーなゴーマン&インチキな爆笑振付師にイアン・ロバーツ。 ヒロインのチームの好敵手となる黒人高校チームのキャプテンにガブリエル・ユニオン。 その子分ども…違った部員たちに(3人組R&Bグループの)ブラック・アイヴォリー。 こっちの高校はLAの(たぶん)貧民地区にあって、それこそ入口に赤外線セキュリティ・ゲートがあるような、生徒の99%が黒人という高校で、生徒たちの気持ちも(たぶん)荒廃していて、でもだからこそチアリーディング部が全国大会で活躍するってのはチアガールズにとってだけじゃなく、生徒たち全員にとって…いや地域の人たちにとって特別な意味を持っていて、でも学校には資金がなくて、家も貧乏人ばかりだから寄付も集まらなくて出場すら危ぶまれて…と、ある意味ではヒロインのチームよりもドラマチックな事情を抱えている。こっちの黒人チームをメインにしたバージョンも観てみたいと思った。 ● しかしチアって、せいぜいポンポン持って脚あげたりするだけかと思ったら、競技としてのチアリーディングってスゴイのな。ダイナミックかつアクロバティック。人間なんて平気で3mぐらいポーンと放り投げちゃうんだぜ(いや、ほんとだって) ジャニーズJr.やJACも真っ青というレベル。いやビックリした。キルステン・ダンストを含めて出演者たちがかなりの部分を自分たちで実際にやっているのも好感が持てるし、最後の全国大会で見せる演技は見応えのあるもので、ドラマに充分な説得力をもたらしている。監督はこれが劇場映画デビューとなるペイトン・リード。エンドクレジットの最後に「ペイトン・リードはコンバースのテニス・シューズを愛用して、クリスピー・クリームのドーナッツがお気に入り」って出るのは何ざんしょ?

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焼け石に水(フランソワ・オゾン)

かつてニュー・ジャーマン・シネマの旗手の1人として勇名を馳せながら1982年に36才で急逝した変態ホモ監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが19才のとき(=1965年)に書いた若書きの四幕戯曲を、フランスの若手変態ホモ監督フランソワ・オゾンが映画化した。舞台はアパートの一室。登場人物は4人。やたらセックスの上手い中年プレイボーイ、そのテクニックにみごと骨抜きにされる美しい青年、青年を愛してるがあんまりセックスは好きじゃない純真な若い娘、そして中年男に捨てられた かつての愛人。いかにも1960年代に書かれた脚本らしく「セックス=政治」の話。恋愛における力関係(=政治)を描いたコメディである。てゆーか、オゾンだからコメディに感じられるのであって、ファスビンダーが自分で撮ってたらもっと辛気臭いドロドロした話になってたと思うが。フランス映画だから台詞はフランス語だが、舞台設定はドイツのまま(これはパリに移しても良かったのでは?) でもって登場人物が読み上げる詩だけが(たぶん)ドイツ語のままなんだけど、フランス人 絶対にドイツ語なんか解からんだろうに。なお、風変わりな邦題はじつは原題直訳である。 ● 釣った魚に餌はやらない主義の、アクの強い中年プレイボーイにベテラン、ベルナール・ジロドー。 ナイーブな青年に新人マリック・ジディ。 娘さんに「レンブラントへの贈り物」のリュディヴィーヌ・サニエ@脱ぎまくり。てゆーか、おお、スッゲー完璧な造形美の巨乳だあ。 昔の愛人に「ファストフード・ファストウーマン」のアナゴさんことアンナ・トムソン。 印象に残った台詞をひとつ「ぼくらは幸福を知らない。あれはただ夢見てたんだ。それは幸福とは違う。ここでは幸福だった。…でも、それも夢だった」

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キス・オブ・ザ・ドラゴン(クリス・ナオン)

原案&製作&主演&武術指導:リー・リンチェイ 武術指導:ユン・ケイ
製作&脚本:リュック・ベッソン 撮影:ティエリー・アルボガスト
リー・リンチェイがついに「ワンス・アポン・ア・タイム 天地大乱」(1992)以来の最高傑作を撮った。気高く高潔で、ユーモアが通じなくて(でもそこがユーモラスで)女性に対してはからきし弱い・・・というリンチェイの基本キャラを忠実に踏襲して、誰よりも強く誰よりも美しい格闘アクションを思うぞんぶん魅せてくれる。アクションのなかにも笑いを忘れないジャッキーとは対照的に、悲壮感が高まれば高まるほど技が冴えるというブルース・リー直系の特質を充分に活かした悲劇的なストーリー展開。燃え上がる怒りを隠そうともせず、敵のアジトたるパリ警視庁へおのれの身体ひとつで乗り込んでいくリー・リンチェイの勇姿には(リンチェイ本人が告白するとおり)外道やくざの事務所に単身、死ぬ覚悟で殴りこんで行く「日本侠客伝」シリーズの高倉健の姿がダブる。そういえばマンガ的ともいえる極悪非道な悪役を嬉々として演じているチェッキー・カリョはどことなく天津敏に似てるかも。 ● ドラマに出来るだけ高低差を付ける(悪役は出来るだけ悪く。“薄倖の”ヒロインは考え得るかぎり非道い目に。ヒーローは信じられないぐらい強く)、そして余計なものは省く・・・というのが90分クラスの娯楽アクションの基本。「TAXi(2)」同様、製作のリュック・ベッソンが書いた脚本はおそらく30ページ程度しかないだろう。さあ、リアリティなどという野暮なものにはお帰りねがおう。ここは香港映画的現実が律する世界。すべてが JET LI RULES. なのだ! ● フランス人同士の会話も含めてほぼ9割の台詞が英語。リュック・ベッソンの新たなる世界戦略スタジオであるヨーロッパ・コープ(製作・配給)+デジタル・ファクトリー(SFX工房)の第1弾。リンチェイがハリウッドで作ろうとして「完成は3年先になるよ」と言われた企画を「ウチなら半年で公開してみせる」というリュック・ベッソンのノリもまさに香港的。思えばいまや「正調・香港映画」を作れるのは、色々と政府が口出しをしてくる中華人民共和国・香港や、倫理規制だらけのハリウッドではなく、バイオレンスと残酷描写に寛容な(というか規制を極端に嫌う)フランスなのかもしれない。正調・香港映画である証拠にちゃんとヒロインがゲロを吐く(火暴) そういや(この映画で話されてるのは北京語だけど)広東語とフランス語ってちょっと響きが似てることない? おれフランス映画で「モウシ」とか言うたびに頭の中に「無事」という漢字が浮かぶんだけど(←馬鹿) ● 武術指導はリンチェイと「格闘飛龍 方世玉(レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 格闘飛龍)」「方世玉II(レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 電光飛龍)」「ターゲット・ブルー」「D&D 完全黙秘」「リーサル・ウェポン4」「ロミオ・マスト・ダイ」などでタッグを組んできた盟友ユン・ケイ(元奎) ほとんどワイヤーワークなんぞに頼らないゴリゴリの格闘系アクションで持ち味を充分に発揮。 チェッキー・カリョの乾分…てゆーか部下の刑事たちも「演技よりも格闘技の出来る奴」で選んだらしくおそろしく頭の悪そうな面構え素晴らしい。あと「ソング」なんて名前の中国人はいないと思うぞ(「宋 ソン」じゃないの?)

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エレベーター(ムスタファ・アルトゥノクラル)

トルコ映画。過激報道がウリのニュース番組の男性キャスターが、スケベ心を逆手に取られて妙齢の金髪美女にエレベーターに監禁される。いつしか男は自分を弄ぶ女に愛情をおぼえはじめ、外界への興味を失っていく・・・と要約すれば瞭然のとおり男女を逆転させた団鬼六のSM監禁ものである。その周りを螺旋階段がぐるりとまわる(フランス映画とかによく出てくる式の)格子扉の素通しエレベーターは文字どおりの「檻」である。この映画の男女はセックスをしないがSMものに於いて「おまんこをするしない」は大した問題ではない。モデル出身だという新人女優アルズ・ヤナルダーもキレイだし、この2人の関係に絞ってじっくりと描けばなかなかユニークな力作にもなったと思われるのだが、作者の眼目は明らかにメディア批判にあり、物語がそちらへシフトした途端に陳腐になってしまった。 ● これ、そのままピンク映画になりますな。ニュース番組の振りをした低俗ワイドショーのキャスターを務める人気女子アナを拉致監禁。その飼育の模様を収めたビデオテープを番組に送りつける。テレビ局は逡巡する振りをしつつも大喜びで(モザイクをかけて)オンエア。全国放送されるみずからの痴態をテレビで見つつ女子アナは股間を濡らしてしまうのだった…。エレベーターだと撮影が大変そうだから廃工場かなんかで、タイトルは「女子アナ淫獄飼育 見られて濡らす」でどうよ・・・って、それじゃ普通のSM監禁ものじゃんか!


ボディドロップアスファルト(和田淳子)[ビデオ上映]

「閉所嗜好症」「アイスクリーム38℃」「桃色ベビーオイル」「アスレチックNo.3」「パパイヤココナツ激情」「SHOCKING PEACH」といったイメージフォーラム系の自主映画で頭角をあらわした和田淳子が、過去に天野天街「トワイライツ」や園子温「うつしみ」などを送り出した愛知芸術文化センターのスポンサーシップを得て、初めての長篇を撮った。この人の映画は典型的な〈女の子映画〉で、言ってることはただ1つ。それは「わたしはわたしが大好きっ!」ってこと。やたらと裸が出てくるのも「こんなあたしが好きっ!」っていう自己愛の表現なんである(註:「ボディドロップ…」には裸はありません) ● ヒロインは下北沢あたりに在住の、独り暮らし無職22才の女の子。誰よりも自分が好きで、引きこもり気味の生活をしてるのも、他人と居るより自分と居るほうが好きだから。「わたしが好きなもの以外は絶対、容け入れたりなんかしないから」 冒頭30分は、そんな彼女の日常風景に(囁きポップス系とゆーか裕木奈江 系とゆーか)一人称のナレーションがベタで入っていて、これがちょっと圧巻。30分 途切れなく喋って、やっぱり言ってることは「わたしはわたしが大好きっ!」ってことだけ。なにしろ30分で「わたし」って言葉が200万回は出てくるんだから(いやマジマジ) ● まさかこのまま90分持たせるつもりか…と心配になったところで、ヒロインがじつは小説家志望であることを表明して、以下の1時間は〈処女小説「ソフトクリームLOVE」がバカ売れして、周りからチヤホヤされてる自分〉という妄想と、その〈妄想内小説の映像化〉が描かれる。で、この部分が突如として松梨智子「毒婦マチルダ」のような底の浅いバカ映画に転じてしまうのである。それもぜんぜん芸になってないクズ同然の代物。まだ松梨智子のほうが覚悟があるだけマシかも。ほんと観てて苦痛だった。なんか橋本治とか好きそう。 ● ヒロインには(緒川たまき系の)小山田サユリ。妄想内小説の主人公に田中要次。妄想内でヒロインをチヤホヤする取り巻きの編集者/評論家役で手塚眞、鈴木慶一、あがた森魚、そして映画評論家の大久保賢一がバカ面を晒している。なんか場内にイメージフォーラムの客筋とは違うオシャレな女子が目立ったのは「音楽:コモエスタ八重樫」とか「チラシイラスト:ナオミレモン」とかの関係か。 ● しかしまあ、女の子ってのはなんであんなに自分が好きかね? …おれ? おれは劇中で「とんでもないデートの待合せ場所」のギャグとして出てくる〈初台の吉野屋〉が「ああ、あの角っこの」とスグ判ってしまった自分が嫌だよ。

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王は踊る(ジェラール・コルビオ)

冒頭。年老いた音楽家に医師が迫る「もはや足を切断しませぬと。さもなくば壊疽が心臓にまで達しますぞ」「ええい ならば心臓を切れ! 足を切ったら踊れなくなる。これは…王と踊った足じゃ」 くぅー。歌舞伎ならここで大向こうから「伴天連家ぁ!」と声がかかるところだ。そして物語は老音楽家の回想へ──。 ● これは、ダンスとミュージックを愛するフランスの若者と、輝くばかりに美しい若者を全身全霊で愛し抜いたイタリアの若きミュージシャンの話。若者の名は太陽王ルイ14世、イタリア人は宮廷音楽家ジャン=バティスト・リュリ。「音楽は王妃だ。王と結婚できる」 17世紀はフランスの物語である。 ● 「カストラート」のベルギー人監督ジェラール・コルビオの新作は、やはり耽美なやおい的世界を描く、絢爛たる宮廷愛欲絵巻。ルイ14世その人が、何もない沼地に建設した、広大な、空気までが黄金色に染まっているヴェルサイユ宮を始めとする華美なる世界。実際に画で見せて初めてリアリティが生まれるそうした「別世界」を見事に画面に出現させたフランス映画界の底力。まさしく目の贅沢。撮影は「葡萄酒色の人生 ロートレック」のジェラール・シモン。音楽には実際のリュリの作曲したものを使っている。これ、宝塚歌劇に翻案したら素晴らしい当たり狂言になるんじゃないか? ● ルイ14世には「年下の人」やカンヌ制覇「ピアニスト」の〈ジュリエット・ビノシュを孕ませた男〉ブノワ・マジメル。 リュリを演じるのは新鋭ボリス・テラル。 同時代の天才劇作家モリエールに「キス・オブ・ザ・ドラゴン」のチェッキー・カリョ。文字どおり板の上で血反吐を吐いて死ぬ最期の演技が凄まじい。 女優さんもキレイどころが揃っているが(やおいなので)相対的に扱いは軽い。 上映時間1時間55分。ストーリーが説明不足な箇所がいくつかあるので(撮影した尺から)かなりカットされてるのかな?

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彼女を見ればわかること(ロドリゴ・ガルシア)

モーテルの一室で中年女がガス自殺を遂げる。警察が検屍に訪れる。たった独りで死んだ女の顔。そのアップにタイトル「彼女を見ればわかること」 これは「女の孤独」…いや「女であることの孤独」をテーマにした5話のオムニバス。近年、流行りの「マグノリア」に代表されるぐすぐすグランドホテル形式ではなく、きっちりと1話ずつに独立した掌篇小説の味わいがある。 ● おれは(世の大半の男性と同じように)こうした問題に気付かないフリをして生きているので、ここに描かれている彼女たちの悩みはしょせん他人事である。その幾つかは男性にとっても変換可能な問題だという事実も敢えて考えない。スターの競演を楽しむ類の映画でもないし、おれ同様にいい加減な人生を送っておられる同輩諸氏にはあまりお勧めできないが、これが大人の女性にとって大変に佳い映画だということは、中高年女性観客が大半を占める渋谷の東急文化村ル・シネマでかれこれもう4ヶ月も上映しているという事実がなにより雄弁に物語っていよう。ちなみに監督はなんとガルシア・マルケスの息子なんだそうだ(「百年の孤独ね」という台詞があったりする) ●  出演者を(2000年時点での)年齢つきで列記する。グレン・クローズ53才。「サイダー・ハウス・ルール」のキャシー・ベイカー50才。ホリー・ハンター42才(一瞬、胸チラあり) カリスタ・フロックハート36才(いよいよ痩せ過ぎでキモチ悪い) 「デイライト」のエイミー・ブレンマン36才。ヴァレリア・ゴリノ34才。そしていちばん若いキャメロン・ディアスが28才。 ● 第3話のヒロインの相手役として小人(こびと)の男優が登場するんだが、ヒロインの息子の「だってあいつ小人だぜ」といった台詞は、日本語字幕ではすべて「チビ」と不当に言い換えられている。ま、それは近頃ではよくある事例なのだが、いっぽう同じ映画の第4話では「(お伽噺の)ランプルスティルツキンの仮装で」という台詞が(たぶん字数の関係で)「小人の仮装で」と訳されている。それってどゆこと? ひょっとしてアレか、小人に小人と言うと怒るけど、ランプルスティルツキンは実在しないから(訴えられる心配もないので)小人と言っても平気…ってこと? なんだかなあ。 あと、ときたま画面上部に帯状にかかる黒いフィルターがすっげーウザッたいんすけど。

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A.I.(スティーブン・スピルバーグ)

An AMBLIN/Stanley Kubrick Production, A Steven Spielberg Film
スタンリー・キューブリックの遺したストーリー原案を基に、スピルバーグが「未知との遭遇」以来はじめて自分で脚本を書いて監督したSFフェアリーテイル。どーせ話は「ピノキオ」なんだろ?…というヒネクれた観客(>おれ)の解かったようなフリを嘲笑うかのように、スピルバーグは劇中で堂々と「ピノキオ」の絵本を引用して「奇蹟の力で“本当の人間”になれた木偶の男の子」にあこがれる「人工知性(A.I.)を有する少年型ロボット」を主人公に据えて、いけしゃあしゃあと「ピノキオ」(あるいは「ダンボ」)をやってしまうのだ。第1部「ピノキオとゼペット爺さんの幸せなひととき」が1時間、第2部「人買いサーカスの悪夢」が40分、そして感動のクライマックス「鯨の腹を抜けて」が40分。元ネタを超えるウェルメイドなストーリーテリングで観客の涙をしぼりとる。も、おれなんか「スパゲティのシーン」から泣いてたぞ。間違いなく この夏 最強のファミリー映画である。かつて母親の子どもだったすべての人は必見。ワーナー映画は突貫作業で「日本語吹替版」を製作して(お盆からでも)追加上映するよーに。 ● 嬉しかったのは、「不思議の国のアリス」というか「オズの魔法使い」というかフェアリーテイルとSFの際どい境界線を巧みに行きつ戻りつしつつ、「でもどーせ最後はファンタジーに落とすんだろ」というヒネクれた観客(>おれ)の浅はかな予測を気持ちよく裏切って、あざやかなSF的詩情でこの類まれな愛の説話を締めくくってくれること。そう、言うまでもなくこの監督は「大空の彼方へのあこがれ」や「太古の時間の生物への畏れ」を誰よりもうまく映画にしてきた根っからのSF少年なのだ。 ● キャストについてはハーレイ君の独壇場である。なにしろアカデミー男優ケビン・スペイシーを鼻であしらったつわものだ。演技力には定評のあるウィリアム・ハートですら歯が立たない。2度の(今回の「A.I.」で早くも3度目の)来日キャンペーンでみせた「ほんとはコビトの大人なんじゃねーか」と噂されるほどの「良く出来た子」ぶりが、今回の「本物の子どもとまったく見分けがつかないほど精巧に仕上げられたロボットで、あまりに完璧に“可愛い良い子”なのでかえって薄気味わるい」という役柄にピタリと合っているのだ。いやそれはもう、おそろしいほどに。来年のアカデミー賞で主演男優賞のノミネートは確実だろう(それどころか「最優秀主演男優」を獲っても驚かないね) ハーレイ君が全身全霊で愛をつらぬく「お母さん」に(「キス・オア・キル」「悪いことしましョ!」の)オーストラリア女優 フランシス・オコナー。 「愛のジゴロボット」ジュード・ロウは「ドロシーを案内するブリキ男」の役まわりで好サポート。 ● もちろんキューブリック本人が監督していたならば(たとえストーリーラインが同じでも)スピルバーグのエモーション過多とはまったく違うクールな作品に仕上がっただろうが、稀代の完全主義者も本作の、未来社会を丸ごと造型したリック・カーターのプロダクション・デザインと、デニス・ミューラー率いるILM(のA班)とスタン・ウィンストンによる安っぽさの微塵もない芸術的SFXの完成度にはきっと満足したに違いない。なんでもキューブリックは生前から「自分が撮ったら(完全主義で時間がかかりすぎて)子役が大人になってしまう」から自分は製作にまわってスピルバーグに監督させる腹だったらしいが、それにしてもこの映画をわずか9千万ドルの予算とたったの68日間で撮りあげてしまったスピルバーグの現場掌握能力には驚くしかない。なお、旦那のフランク・マーシャルとアンブリンから独立して「シックス・センス」を製作したキャスリーン・ケネディが、スピルバーグ組に戻ってプロデュースを手掛けている。 ● ちなみに、主人公の家のデザインが(木の窓枠とか薄い窓ガラスの感じとか)昔の日本の民家みたいなのは偶然? それと、じつを言うと本作最大のミステリーは、主人公が製造される以前の出来事からラストシーンまでを語りとおすナレーター氏の正体だったりする。あれはいったい何処の誰だったんだ? ● [追記]ラストシーンの解釈についてのネタバレによる補足と、スタンリー・キューブリックが書いた80ページのスクリプトの翻訳>別ファイル ● [後日、再見しての追記]第3部に登場するアレはやはり[エイリアン]ではなく[A.I.の進化した者]のようだ。おれは前者だと思っていて、いくらスピルバーグ本人が後者だと力説しても「いやいや作者の言うことが常に正しいとは限らない」と頑迷に主張していたのだけれど、再見してみると彼らは[2,000年後の氷河期の地球]で文明を築いているようなので、後者と考えるほうが自然だろう。口惜しいけど。 初見時には判らなかった語り部(ベン・キングズレー)の正体も[A.I.]であるようだ。[デイビッドに語りかける声]が同じだから。でもそれだと、地球の歴史はデータベースに残ってたとしても、冒頭のウィリアム・ハートの場面や、デイビッドが貰われてくる前の両親の会話を誰が記憶してたんだ?
for Stanley Kubrick

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ドリヴン(レニー・ハーリン)

というわけで以下、THXシアターで観賞した場合の感想である。音のショボい映画館でご覧になる場合は多少わり引いて聞いてくれ。 ● スタローン念願の「F1映画」だが、FIAからバカ高い権利料を吹っかけられてケンカ別れ(←推定)、結局はアメリカのCART()を舞台として陽の目を見た。もともとスタローンがF1を念頭において書いた脚本だから、登場するのも「赤いマシンを駆るドイツ人チャンプ」とか「彗星のごとく登場したブルーのユニフォームの、北米出身のルーキー」とか「チームを率いる車椅子の闘将」といった、どこかで聞いたようなキャラクターばかり。スタローンが演じている「ルーキーをサポートするために呼び戻されたかつての暴れん坊将軍」という役柄だけがオリジナルだが、これはつまりスタローン本人のことである。いちどはトップを獲った男。いまは疎まれて忘れられかけた元チャンプ。慣れぬ稼業に手を出して悪あがきを続けた時期もあったが、やっと判ったんだ…「おれの居る場所」は此処しかないと。チャンプの座への未練も吹っ切れた。少しばかりの見せ場を貰えれば おれは2番手・3番手でもオーケーだぜ・・・とでも言いたげにリラックスして楽しそうに演じている。「追撃者」に続き本作と、どうやらスタローン復活の気配。…なぁんて思ってんのはおれだけかな。 ● そうしたスタローン側の事情などお構いなく、演出のレニー“作ったらブチ壊せ!”ハーリンは、ひたすら派手な画ヅラを作ることと、クルマをブッ壊すことに専念する。「追撃者」「ロスト・ソウルズ」のマウロ・フィオーレ撮影によるアメフトのテレビ中継のような目まぐるしいカット切り替え。CGも使いまくりで、宙に飛んだタイヤのアップがあったり、時速400キロでトバすドライバーの顔に平気でカメラが回りこんだりと実写ではありえないカットがバンバン出てくる。日本の「ツインリンクもてぎ」にもちゃんとB班が撮影に来てる。派手な色彩と音響のかたわら、物語はシチュエーションを提示するのみでドラマはすべて観客の想像力に委ねられる。じつに夏の夜の花火のような映画である。 ● 一方で、この北欧の蛮人はレースのリアリティなんてものには一顧だにしない。もうなにしろCARTの燃料はメタノールなのにクラッシュしたクルマからは派手な炎が吹き上がるし、おまけにあの大爆発。ニトログリセリンでも積んでんのか? CARTは雨天中止のはずなのにバケツをひっくり返したみたいな豪雨でもレースが強行されるし、シカゴ市内をインディ・カーで公道レースしても(チームメイトの命を救うために他のすべてのドライバーの命を平気で危険に晒して)サーキットを逆走してもCART本部からは何のお咎めもなし。それほどの大事故でも黄旗のみで黒旗にはならない…とか、もうムチャクチャ。いやあ面白かったあ(「デイズ・オブ・サンダー」よりは) ● スタローンの薫陶を受けるルーキーにキップ・パルデュー。そうであるべき輝きがまったく感じられないのが痛い。まあこの映画はこーゆー映画だからいいとして、この演技力でよく(おれは未見だけど)「タイタンズを忘れない」の主演とかこなせたなあ。 本来の主役が目立たないぶん得をしているのが「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」のティル・シュヴァイガー。シューマッハの役なんだからもっと冷徹に演じたほうが、さらにカッコ良かったのに。 この2人の間を行ったり来たりする女に「猿の惑星」のエステラ・ウォーレン。恐ろしいほどの「演技力の無さ」が逆に「ドライバーから次のドライバーへと本人にはまったく悪意なく乗り換えていくレース・グルーピー」としてリアリティあるかも。なぜか日の丸はためくプールで(元の本職の)シンクロナイズド・スイミングの美技をたっぶりと魅せてくれる。てゆーか、出番はここだけで良かった気が…。 スタローンの元妻にジーナ・ガーション。このキャラはビッチ過ぎるでしょ。映画の主役が「いちどは愛した女」なんだから それなりの魅力を示さないと。 ゆいいつ安心して観ていられるのがチーム監督を演じる(同じく復活組の)バート・レイノルズ。

CART=Championship Auto Racing Teams。アメリカン・オートレースの代名詞であるインディ・カー シリーズを主宰する団体。日テレでやってるほうのカー・レース。ノアと全日本プロレスみたいな事情があって現在は本家「インディ500マイル・レース」を開催するインディアナポリス・スピードウェイが(劣勢の)別団体になってしまっている。


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パール・ハーバー(マイケル・ベイ)

製作:ジェリー・ブラッカイマー&マイケル・ベイ
いや、だってこの映画にレビュウは必要ないっしょ。一から十まで皆さんの想像されてるとおりだもの。少なくとも当サイトを読んでるような人(…あ、失礼)なら、10人が10人とも同じ感想を口にすると思うぞ。 ● CG時代になって何が嬉しいって、やっぱ「グラディエーター」みたいな映画とか、「スター・ウォーズ」ばりのゼロ戦の空中戦なんてものが(再び)スクリーンで観られるようになった…ってことですな。その意味では望みどおりのものが観られて一応は満足である。だけど長げーよ。…いや、3時間3分という上映時間の話じゃなくてさ。この映画、真珠湾攻撃に至るまでの時間がなんと1時間半もあるんだぜ。映画1本分の前フリ…。3曲踊ってもまだ脱がないストリッパーみたいなもんだな。詐欺でしょそれは。作劇としても登場人物たちの「悲劇的なクライマックス」を真珠湾攻撃に持ってこないってのは頭が悪すぎる。ここを30分ぐらいにカットして全部で2時間の映画なら ★ ★ ★ を付けてたかも。 ● え、なに? ドラマの評価? まあ、いいじゃないの、カタいことは。ジェリー・ブラッカイマーの映画にドラマを期待して来るような野暮な客はいないっしょ。21世紀になっても、いまだ帝国海軍の描写がトンデモなのは「アメリカ人観客向けのサービス」と笑って済ませば良いことなのだが、ある意味でこれはブラッカイマーの重大な計算ミスでもある。かつて数々の第二次大戦もの映画において「ナチス将校の憎々しさ」がどれほど我々の心を燃え立たせたか。「ドイツ陸軍下士官のしたたかな闘志」に、ときにヒーローたるべき連合軍兵士以上の敬意を抱いたことを忘れたのか。それなのに、なぜ相も変わらずマコ・イワマツなのか。たとえば高倉健を起用してきちんとした台詞を与えていたならば「戦争映画」として百倍も素晴らしいものになったのに。それと、百歩譲って〈ニイタカヤマノボレ〉の暗号を割愛したことは赦すとして、真珠湾攻撃の映画で〈トラトラトラ!〉をカットしちゃ絶対に駄目でしょーが。 ● ベン・アフレックとジョシュ・ハートネットは可もなく不可もなく。 問題はヒロインに抜擢されたケイト・ベッキンセールで、黙ってるとクラシックな雰囲気の美人に見えるアングルもあるんだが、この女優さん、悲しいかなジェラルディン・チャップリン級の出っ歯なのだ。大作メロドラマのヒロインとしちゃあちょっと品位に欠けるよな。 また、戦争映画大作で本当に映画を輝かせるのは、アレック・ボールドウィン、トム・サイズモア、ダン・エイクロイド、キューバ・グッディング Jr.といった脇を固める面々のはずなんだが、そうした役割がまったく機能していないのは、無能な脚本とマイケル・ベイの凡庸な演出の責が大。車椅子のルーズベルト大統領を怪演したジョン・ヴォイトがかろうじて合格点か。 ● ちなみに本作は映画の冒頭にカンパニー・ロゴが出ないという珍しい映画である。タイトルが最後に出る映画は たまにあるけど、本作の場合はおそらく「黒味に音楽先行」で静かに始まるオープニングを活かすために、タッチストーンのロゴと「ジェリー・ブラッカイマー・フィルムズ」のド派手なロゴを最後だけにしたのだろう(おれなんか黒味に音楽だけ始まったときにゃこんな映画で10分も「序曲」なんぞを聞かされたらどうしよう!?と焦ったぜ。…ま、けっきょく黒味はほんの数秒だけだったんだけどさ) もっとも、目立ちたがり屋ブラッカイマーのめずらしく殊勝な配慮も鈍感なブエナ・ビスタ・インターナショナル日本支社が「てめえんとこのロゴ」をアタマにくっ付けちゃってるので台なしなんだがね。

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PLANET OF THE APES 猿の惑星(ティム・バートン)

…ちぇっ、がっかりだ。評価の定まった名作SFをリメイクするにあたって20世紀フォックスが選択したのは「異形の支配民族に虐げられている未開の民を〈別の世界〉から来たヒーローが解放する」という「キャプテン・スーパーマーケット」から「バトルフィールド・アース」にいたるまで、数々のSFアクションで多用されている至極ベーシックなプロットだった。…なに、もっとマシな例が思い浮かばんかって? いやいやこれでいいのだ。なにしろFOXが命運を賭ける超大作なのに嫌んなっちゃうくらいB級臭いんだから。猿がヒトの文化日常生活所作を猿真似してる描写など(バックでシリアスな音楽が鳴ってるのに)客席からは失笑がもれる。猿の生活様式がやたらと人間ぽかったオリジナル版に対して、本作では「猿らしさ」を強調していて、それがかえって猿まわしの猿のごとき「猿真似のあさましさ」を感じさせてしまうのだ。なかには明らかに笑いを意図して演出してる部分もあるが──コメディ・リリーフとして設定されている奴隷商猿(ポール・ジアマッティ)を除いては──猿はあくまでも「ヒトの恐ろしい敵」でなくてはならぬはず。道化に貶めてどうするのだ。それとか、猿顔のマーク・ウォルバーグがヒトにも猿にもモテモテで、メス猿とイチャイチャする男を見て人間のネエチャンが嫉妬する…なんて、ありゃマジでやってんのか? ● だいたいあの予告篇を観たら、おお、今度は「エイリアン2」か!今度は戦争だ!って思うよな。ところがオリジナルシリーズの「人種が違っても仲良くしましょ」というテーマを中途半端に引き摺ってるもんだから一方を全滅させるわけにもいかず、戦闘場面がいまひとつ盛り上がらない。まあ、ティム・バートンにストレートなアクション大作をふるほうが間違ってるんだろうが。ここはいっそ(猿の外見をした)残虐非道なエイリアンと割り切って「スターシップ・トゥルーパーズ」なみの大殺戮アクションを繰り広げてほしかった。主人公の助力で苦境を脱したヒト・レジスタンス軍団が猿どもを虫けらのように大殺戮する描写から「人間の残酷性」が浮き彫りになる…と(なんとなくそれらしいでしょ?) ● その場の思いつきで設定したと思しき「猿は泳げない。水を怖がる」という無理のある設定(しかもその後の展開でまったく活かされない) 海岸で別の大陸から流れ着いたビン入りの手紙を見つけて「返事をビンに入れてもういちど海に流せば、発信者に届くに違いない!」と考えるに等しいラストの主人公の行動の無謀さ。辻褄というものを端から無視した陳腐なオチ。オリジナル版と同じネタでロッド・サーリングを超えろってのが無理な注文だってのは解かるが、それにしても、もう少しなんとかならなかったものか。ちなみに脚本クレジットに残っているのは、過去に「アポロ13」や「キャスト・アウェイ」といった〈遭難もの〉を手掛けているウィリアム・ブロイルズ Jr.と、やはり「猿もの」の「マイティ・ジョー」を書いたローレンス・コナー&マーク・ローゼンタールのコンビ。 ● マーク・ウォルバーグは悪くはないが「主演スターの格で映画をA級に見せる」ところまでは行っていない。そもそもこの役にはキャラクターが設定されていないので演りようがないのだ。 対してこの映画の救いになっているのが(ティム・ロス演じる)セード将軍のキャラである。短期で凶暴な武闘派の軍人。忍者のように空を飛んで相手の喉首をかっ切る最強最恐のチンパンジー。素晴らしい。ティム・バートン好みの屈折も苦悩もあるキャラクターだ。いっそ、こっちを主役にすれば良かったのに。同じFOXの「スター・ウォーズ」シリーズの悪役として輸出希望。 「未開人もの」のお約束「半裸のネエチャン」にエステラ・ウォーレン。水泳選手出身らしいガタイの良さが役にあってるが、コラ!「捕らえられて檻に入れられ看守猿に『汚い人間め消毒してやる!』とホースで水をかけられて濡れたTシャツ状態になる」と「逃亡の合間の水浴で主人公に美しい全裸を見せる」という2つのシーン無くしてなんのための半裸のネエチャンぞ! あと「猿の惑星」といえばあの人である。ちょっと見、解かりにくいけど、あの朗々とした台詞まわしを聞けばすぐ解かるはず。 …それにしても、なんであんなとこに焼きゴテがあったんだ?

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釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇(本木克英)

「西田敏行や武田鉄矢が主演するような映画は観ない」というのが当サイトのポリシーである。だから本シリーズも寅さんの併映で仕方なく観た「釣りバカ日誌5」以来まったく観ていない。…まあ、だけど前作から監督も若返ったことだし、ゲスト主役が「サラリーマンもの」の大先輩 青島幸男というので、じつに7年半ぶりに観に行ってみた。 前作は「釣りバカ日誌イレブン」だったけど、今回は「つりばかにっし・じゅうに」というのが松竹の定めたオフィシャルな呼称である。ま、たしかにこのまま行ったら「釣りバカ日誌・ワンハンドレッドトウェンティシックス」とかになっちゃうもんな<生きちゃいねえよ! 「12」と謳ってはいるが「花のお江戸の…」と、森崎東 版の「…スペシャル」があるので実質はこれで14本目となる。また「史上最大の有給休暇」というサブタイトルは後付けらしくフィルム上には表示されない。 ● ゼネコンの社長である“スーさん”にとっては(お気楽な釣り友だちは居ても)会社の後継者が居ないのが悩みの種。今日も今日とて、ひそかに「次の社長に」と願っていた常務に「引退して郷土に戻って好きな釣りをして暮らす」と宣言されて大ショック。諦めきれないスーさんはC調社員ハマサキを誘って、常務の実家である山口県・萩市の旧家を訪ねるのだが…。 ● 男ひとり郷里に戻って(晴耕雨読ならぬ)晴釣雨読の日々を…と目論む江戸っ子口調の長州人を演じる青島幸男がイイ。昔から役者としては上手い人ではないが、妻に先立たれた初老の男の侘しさ、老後のささやかな夢…といったものがきちんと伝わってくる。そしてそこはそれ青島幸男だからそんな役を演らせても決して湿っぽくはならない。 スーさんを演じる三国連太郎も、何十年と共に戦ってきた“戦友”に裏切られた思い、と同時に、重責から逃れて気楽な老後を送る友への羨望、かたやこの歳になっても働きつづけなければならぬ自らの人生への疑問…といった心情を(映画のトーンに合わせつつ)丁寧に表現している。 萩に住む青島の姪っ子に宮沢りえ。この人は若いうちに色んな目に遭って本人が望みもしない付加情報をまとう破目になってしまったわけだが、ようやくそうした余計な飾りが取れて「普通の女優さん」に成ってきたように思う。 (萩の人だからつまり長州人の)彼女と恋仲になる会津出身の若者に、「北の国から」に続いて恋人同士を演じる吉岡秀隆。 ● …って、おいおい「ロミオとジュリエット」じゃあるまいし、長州と会津っていまだに遺恨があるのか!? まあ、監督は若返っても、脚本を書いてるのが相変わらず山田洋次と朝間義隆なので、時代錯誤なのはある程度しかたないか。てゆーか「人間いかに生くべきか」というテーマ自体も、それぞれのエピソードもすべて「男はつらいよ」の使いまわし/焼き直しの切り貼りではあるのだが、それでもカメラが萩にいる間は安心して観ていられる。問題は、テキ屋の寅さんと違って、本シリーズの主人公は建設会社のサラリーマンなのでいつまでもゲスト主役と行動を共にすることが出来ず、どうしても話の流れが東京と萩とに分断してしまうのである。で、無理やり「谷啓の課長の失態を部下の河馬がカバーする」といったエピソードをでっちあげる必要が出てくる。おれは、この河馬が出てくるたんびに虫唾が走るのだ。比喩じゃないぞ。マジで顔をしかめながら観てんだから。本来ならば、徹底的に調子が良くて周囲もなんとなく誤魔化されちゃう。でも不思議と「騙された」としいう気はしない…という、つまり植木等でなければいけない役なのに、この品性下劣な河馬野郎ときたら芸にもなってない悪フザケに終始するばかり。実人生では金輪際、仕事をしたくないタイプだな(…え、寅さんはどうかって? 「あんな親戚じっさいに居たら嫌だろう」って? そんなことないよ。半年に一遍くらいならテキ屋の伯父さんに振り回されんのもいいかな、と思うよ) 河馬の出番をなかったことにして、青島幸男の話だけで評価しての星3つである。たぶん次に観るのは「釣りバカ日誌20」あたり<だから生きちゃいねえって…三国連太郎が(火暴) ● 舞台が山口県ということで製作段階から「山口きらら博」という(おれはこの映画を観るまで知らなかった)イベントとタイアップしていて、博覧会のパヴィリオンを鈴木建設が受注したという設定になっている。それに留まらず商品提供タイアップがそーとーに露骨。谷啓がいっつも太田胃散を服んでるなんてのは可愛いほうで、「引越のサカイ」にいたっては引越シーンも無いのに、道を歩いていた河馬がたまたまオフィス街の引越し荷物に行く手を遮られて「引越のサカイ」と大書きされた段ボール箱に意味もなくもたれかかるというシーンが設定され、更には後のシーンで河馬が「ウチは仕事しっかりだから」と“ギャグ”を言うという大盤振舞いである。いったいいくら貰ったんだ!? なお、松竹・大船撮影所の廃止に伴ってスタジオ撮影部分は大泉の東映東京撮影所で行われている。また、ちゃっかり青島幸男にシリーズ主題歌を作詞・作曲させて、エンドロールで河馬が嬉々として歌っている。

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恋戦。れんせん(ゴードン・チャン)

「日本のテレビドラマ」ブームに乗って全篇、沖縄ロケをおこなった香港映画。1.大泥棒レスリー・チャン、2.日本人やくざの金を持ち逃げした情婦フェイ・ウォン、3.功を焦る香港警察の警部レオン・カーフェイ、4.日本人やくざ・加藤雅也、5.警部の内気なガールフレンド(「欲望の街(古惑仔)」シリーズの)ジジ・ライ(黎姿)をひとつところに集めて さあどうなるでしょう!?…という一席。たぶん脚本は現地執筆の、ルーズな恋の鞘当て合戦。つまり、あたしはカレが好きなんだけどカレはどうやらカノジョのことが、でもカノジョはカノジョで別のカレが…というようなぐずぐずした、まさしく「日本のテレビドラマ」みたいな映画であった。笑いは一向にハジけず、まったくアクションもない。そんな香港映画に何の価値が? 製作・監督の「フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳」「デッドヒート」「公元2000」のゴードン・チャン(陳嘉上)は、おそらくキャスティングをして、ANAの万座ビーチホテルとタイアップを決めた段階で、もう仕事の9割を終えた気になっちゃったんだろう。 「ゴージャス」などの監督でもあるヴィンセント・コック(谷徳昭)がレスリーの「デブの相棒」役で出演している。原題は「戀戰。沖縄 Okinawa Rendez-vous

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RED SHADOW 赤影(中野裕之)

皆様先刻御承知のとおり、往年の人気テレビシリーズ「仮面の忍者 赤影」とはタイトルが一緒というだけでリメイクでもなんでもない。ある意味コスチューム・プレイではあるが時代劇ではない。ニンジャ・ムービーではあっても活劇映画とは言えない。これはドリフのコント形式を援用した青春映画なのである。期待値ゼロの状態で接したせいか、じつは思ったほど酷くなかった。いちおうストーリーの残滓らしきものが存在するし、今様の「脚の長い若者たち」による現代的忍者装束は悪くない。そればかりかこの監督は、麻生久美子のオチャメなくノ一と、奥菜恵のオテンバなお姫さまを可愛く魅力的に撮ることに関しては尋常でない情熱を漂わせる。アクション映画であることを諦めさえすれば観られなくはないレベルである。 ● だが、もちろん夏休みに全国東映系で拡大公開される「RED SHADOW 赤影」という映画においては「アクション映画」であることが最優先事項なのである。幸福の科学のシンパだろうと「ピースデリック」なる怪しいエコ運動家であろうと、面白い映画を作ってくれるんなら、おれは一向に構わん。論議を呼んでいる「敵を殺さない正義のヒーロー」という設定だってべつに中野裕之の独創じゃない。赤胴鈴之助を例に挙げればお判りいただけようが、少なくとも1960年代までは娯楽活劇の典型的ヒーロー像は「悪人を懲らしめはするが決して殺さない明朗快活な主人公」というものだったはずだ。錦ちゃんだって裕次郎だってアキラだって無闇に相手を殺したりはしなかった。いまの時代に「敵を殺すことだけが解決ではない」と提示するのは意義のあることだとも思う。だからこそ肝心のアクション演出の稚拙さが余計に目立つのだ。中野は自作を「マトリックス」や「グリーン・デスティニー」よりもカッコイイと言い張ってるようだが、そりゃ気が狂ってるとしか思えんだろ。 ● もっともこんな映画を劇場にかけてしまった罪は、東映のプロデューサーのほうが大。自分の会社の社運を賭けた大作映画だろ? なぜ監督の好きにさせておく? どうしてもっと真剣にコミットしないのだ!? てゆーか、何もこんなビデオクリップ屋風情に頼まんでも、東映には「脱力ギャグ」と「カッコ悪い青春」と「甘酸っぱい恋愛」と「辛抱たまらんエロ」と、そして「血沸き肉踊る活劇」を1本の映画に詰め込むという難題を難なくクリアできる鈴木則文という天才がいるではないか! そろいもそろって明き盲か?>東映重役陣。


けものがれ、俺らの猿と(須永秀明)

変わってりゃなんでもいいと思ってるだろ? まあ猿は可愛かった。あとの奴らはみんなサル以下だ。特に永瀬クンは自分の思ってることをぜんぶ口に出して言う癖、治したほうがいいぞ。予告篇だけ並べると上の「ELECTRIC DRAGON 80000V」と本作は(どっちも永瀬正敏だし渋谷のあっちとこっちで同時に上映してるし)似たようなバカ映画に見えるかもしらんが、この2本は天と地ほども違う。石井聰亙には(腐っても)映画の魂がある。このビデオクリップ屋の作った代物は映画じゃない評価外。

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ジュラシック・パーク III(ジョー・ジョンストン)

待望のシリーズ第3作。今度は1作目のサム・ニール博士が2作目の「養竜場」のある島を訪れる羽目になる。あの「島」が映って、おなじみのメロディが高鳴るだけで、もう胸がドキドキしてくるなあ:) なんでも製作が遅れに遅れて3日後にどんなシーンを撮るのか現場でみんなで考えながら撮影した…というほどの香港式撮影だったそうで、必然的に、ややこしい枝葉をすべてカットした「恐竜の島に不時着した人たちが海岸めざして逃げる」というだけのシンプルなストーリーラインになり、それが怪我の功名でジェットコースター・ムービーの快作になったようだ。「ジェットコースター」とは言っても、スピルバーグからメガホンを渡されたジョー・ジョンストンは、「ハムナプトラ2」のスティーブン・ソマーズと違ってちゃんと緩急を使い分けた演出をしてくれるので、カタカタカタと坂を登っていく緊張も、直線の静けさも味わえて、そしてもちろんモノスゴイ高低差の急坂を突き落とされたり、ループをぐるんぐるん廻されたり、超音速でスクリューコースターに放り込まれたりして、合間には息抜きとなる適度のユーモアも取り混ぜてアッという間の93分。間違っても恐竜が英語を喋ったり、シェーのポーズでおどけたりしないので、どなた様にも安心してお勧めできる軽娯楽映画の傑作である。…あ、だけど(1作目のヴェロキラプトルの場面ほどではないにせよ)かなりマジ怖いので、ちいさい子どもは泣いちゃうかも。 ● スタン・ウィンストン・スタジオ+ILMのSFXは今回も完璧。出し惜しみなんて一切せずに太古の巨大生物たちの勇姿を堪能させてくれる。ただ視覚的な「巨大さ」では1作目のティラノサウルスのほうが上だったかな。ジョー・ジョンストンは空飛ぶ恐竜が撮りたくて監督に立候補しただけあって大空に悠然と羽ばたくプテラノドンのCGは芸術品の域。うっとりと見惚れてしまったよ。かれは言うまでもなく「遠い空の向こうに」の監督だから、1作目の あの人もちゃんと友情出演している。なおテーマ以外の音楽は「マトリックス」のドン・デイビスが担当している。さあ、次は2005年かぁ<勝手に決めてる。そろそろデッカイお猿さんとか出てきてもいいかも:)

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ファイターズ・ブルース(ダニエル・リー)

ワーナーマイカルシネマズの1,000円興行の第3弾(5月中旬〜6月中旬)として公開された香港映画。監督は「もういちど逢いたくて 星月童話」のダニエル・リー(李仁港) やはり常盤貴子がヒロインを務めているが、今回は主演者アンディ・ラウの会社「天幕(チームワーク)電影有限公司」の製作なので(日本サイドの企画ではなく)純粋に香港映画にヒロインとして招かれたのだろう。 ● タイに全篇ロケ。八百長に巻き込まれて失墜した香港人ムエタイ王者・孟虎(マンフー)が15年ぶりに訪れたタイで、かつて愛した女の忘れ形見である「14才の非行少女」に出会い、失われた誇りと親子の絆を取り戻すため、いま再びリングに立つ・・・という、完全に「アンディ・ラウの映画」である。なにしろナル度においてはレスリー・チャンとタメを張るアンディだけに、本来なら「昔日の面影は感じられない」という役作りをすべき…つまりラウ・チンワン的キャラなのに、アンディが演るとちっとも「落ちぶれた」ようには見えないのだ。だいたい「リングを降りて15年も経つロートル」が6回連続防衛中の世界チャンピオンに適うわきゃあないんだが、アンディの場合は「暴風雨のなかの野外スパーリング」とか「ランニングで併走してるトラックを追い抜く」といった超人的特訓によって見事に闘い抜いてしまうのである。ロマンスがいちばん盛り上がる場面にはもちろん自分の歌が流れるし、もうアンディさまったらカッコ良すぎ。…まあ、すべてがアンディのカッコ良さを描くために奉仕している映画なので「香港映画の雑さ」に慣れてない人にはお勧めできないが。 ● 常盤貴子は「スラムで孤児たちの面倒を看ている日本人シスター」の役で、アンデイに好意を抱きつつも蔭から応援する役まわり。演技は相変わらずヘタレだが、日本語・英語・広東語の3ヶ国語の台詞を覚えて(巧拙は別にしても)自分で喋ってるのには好感を持った。 アンディを「金に転んだ」と非難して別れた昔の恋人に「ナンナーク」の女優さん、インティラー・ジャルンプラ。「ナンナーク」ではちっとも感心しなかったが、本作ではアンディのオールウェイズ・オン・マイ・マインドなヒロインとして強い印象を残している。…しかし、プロのムエタイ選手が金めあてで何がイカンのだ?

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ロマンスX(カトリーヌ・ブレイヤ)

女性向けのポルノグラフィ。かつて「微笑」とか「女性自身」とかに載ってた性体験告白劇画のよーなもんである(てゆーか、今なら「レディコミみたい」と言うべきなんだろうけど、おれ、レディコミは読まんのでね) 手コキ&フェラありのハードコアだが男性向けのポルノとしては機能していない。ちなみに修正場面における「画質の荒れ」がないのはひょっとしてデジタル修正なのか? ヒロインのキャロリーヌ・デュセイは、ロマーヌ・ボーランジェとシャルロット・ゲンズブールを混ぜ合わせてワンランク美人にした感じ。終盤で妊娠するシーンのお腹は詰め物だと思うけど、心なしか乳輪が張って充血してたみたいな気が。あと、ヒロインの淫乱女教師が勤める小学校のSM校長(なんちゅう学校や…)は、女体の縛りかたがまったくなってない。日本で修行しなおすべし。…っておい、書くたぁそれだけかい!>おれ。

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ザ・トレンチ 塹壕(ウィリアム・ボイド)

第1次大戦におけるイギリス軍最悪の愚行といわれる2時間で6万人の死者を出した「ソンムの戦い」の映画化。いや正確には、95分のうち「ソンムの戦い」が描かれるのは最後の5分だけで、それまでの90分は、狭くてじめじめとした塹壕の中で攻撃命令を待つ若い兵士たちの、48時間のスケッチである。監督・脚本のウィリアム・ボイド(「グッドマン・イン・アフリカ」「チャーリー」の脚本家)は、おっかないけど情に篤い下士官がいて、兵のことなど考えない貴族将校がいて、兵士たちにはひと通りのキャラが揃っていて…という定型を手堅くまとめてはいるが、戦争の愚かさ・悲惨さ・滑稽さ…どれひとつとっても実際の「ソンムの戦い」の2年後に作られた「チャップリンの 兵隊さん(旧邦題:担え銃 になえつつ)」が成し得たことに比肩するべくもない。軍曹に(「ホテル・スプレンディド」のしかめ面コック)ダニエル・クレイグ。


S T A C Y(友松直之)[ビデオ上映]

「エコエコアザラク」の加藤夏希をヒロインに迎えたギャガのビデオ撮り美少女ホラー。完成した映画を観た原作者・大槻ケンヂのコメントからご紹介しよう>「『漂流教室』が映画化されたときの楳図かずおは、こんな気持ちだったんだなぁ」(映画秘宝24号より) いやあケンちゃん、きみの気持ちは良くわかる。なにしろこの映画のヒロインと来たら、常にセーラー服姿で指からガラスの風鈴をぶら下げており、その風鈴に付いている短冊には「ありがとう。ごめんね。大好きだよ。と記されているのである。さ、寒。しかも相手役は「おおぉぉい、さびしんぼぉぉぉうの尾美としのり。セーラー服ゾンビ退治組織の名がロメロ再殺隊、ハンディ・チェーンソーの商品名がブルース・キャンベルの右手2、ゾンビに詳しい筒井康隆博士の役名が犬神助清・・・そういう世界なのである。たまたまおれが観に行った日は、上映前に監督の舞台挨拶があった。友松直之はこの映画(てゆーかビデオ)の撮影中に女房と離婚。その原因となったカノジョからも捨てられた…なんてのはプライベートな事柄だから内緒だが、「だからこの作品に込められた切な〜い気持ちを汲み取ってください」…って、友松クン、残念ながらきみの辛い人生経験は映画の出来にまったく寄与してないよ。そのあと続けてオールナイトを観る都合で仕方なく最後まで座っていたが気持ちとしては10分で途中退出である。「さびしんぼう」に涙した多感な貴方にお勧めする。

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いちばん美しい夏(ジョン・ウィリアムズ)

偉大なる映画音楽家と同姓同名の在日(?)ガイジンが撮った日本映画。名古屋に住んでる不良女子高生が家庭の事情で田舎に預けられ、半分ボケかかった老婆との交流を通じて素直な心を取り戻していく…という話。まあ「不良」たってこの娘、高校3年生にもなって精神年齢がぜんぜんコドモなだけで、変にヒネくれてるわけじゃなく、けっこう「素直な良い子」なのである。だって、ぶつぶつ言いながらも預けられた(父方の実家である)旅館の手伝いもするし、頼まれれば嫌々でも自転車で小1時間はかかりそうな老婆の家まで相手をしに通うのだ。ドラマとしては「高低差」がまったく物足りないのだが、それがまた本作の持ち味でもある。ことさらにドラマチックなエピソードを避け、抑制された演出で淡い物語を連ねていく。撮影は平凡だが、愛知県山間部の鳳来町にロケしたという風景は目に心地好い。 ● そんな「地味な佳い映画」のなかで唯一の仕掛けが、この老婆がかつては女優だったらしいという(淡い)サスペンス。ヒロインが三河屋のアンちゃんと潰れた映画館でデートするなどという思わせぶりなシーンがあるので、てっきりラストは、老婆が死んで遺品から若かりし頃の彼女の主演作のフィルムが見つかって、ただのスケベ爺いだと思われてた爺さんがじつは元・映写技師で、老婆の追悼上映会が開かれる・・・てな展開になるんだとばかり思ってたら「ヒロインが名古屋でビデオを見つけて部屋で独り観る」などという腰砕けでがっかり。ビデオはねえだろビデオはよ。なに、リアリティ? 遺品にフィルムなんて変だって? そんなもん大須の古物屋の軒先に戦前の白黒映画のビデオが偶然、放り出されてるほうがよっぽどリアリティないだろが。それと致命的なのがキャスティング。南美江はたしかに良い女優さんかもしらんが、この人は映画初出演が35才という地味な舞台女優で映画では脇役専門だった人。戦前の大女優には見えないのだ。 ● オリジナル・タイトルは「FIREFLY DREAMS(蛍の夢)」

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息もできない長いKISS(キム・テグワン)

在日韓国人監督による自主映画。いくつくかの映画祭をまわった後に中野武蔵野ホールでレイトショー公開。 ● 恩義ある兄貴分から敵対組織の幹部やくざの抹殺を命じられた「鉄砲玉」が、死ぬ前の最後のイッパツと思って招んだ「ホテトル嬢」と〈運命の出逢い〉をする。翌朝、生きて還ったらキスをして。息もできない長いキスを…と言って別れた2人は思いもよらないシチュエーションで再会することになる…。 ● 途中で時制を前後させてヒーローとヒロインそれぞれの視点からの物語が交錯する。基本的な演出力や演技力よりも「突拍子もないシチュエーション」や「気の利いた台詞」が優先されるタイプの映画。〈運命の出逢い〉に天から羽毛が降ってきたりする(そーとーになり切って観ないと恥ずかしい)スタイリッシュな世界観と、とーとつに「出演者インタビュー」が差し挟まれたりする何でもあり。キム・テグワン監督は、まだまだ自分の車幅感覚を把握しきれてなくて、ときどき壁をコスッたりしてる状態だが、それでも果敢にコーナーを攻める姿勢には好感を持った。 ● 鉄砲玉に椎名結平のNGみたいな中松俊哉。 ホテトル嬢に「バブルと寝た女たち」「サソリ 女囚701号」「サソリ 殺す天使」の(ちょっと小林ひとみ似の)Vシネマ女優 かとうあつき(ホテトル嬢の役だからとうぜんヌードあり) 撮影は「歯科医」「ブギーポップは笑わない」の前田智。 なお、フィルム上ではハングル表記タイトルと英訳「KISS ME SO LONG I CAN'T BREATH」のみで日本語タイトルは出ない。

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反則王(キム・ジウン)

おれは迷っている。映画ファンとしてはたいへんに楽しんだのである。ノルマに追われる弱虫C調の銀行員が、ひょんなことから場末のプロレス道場に入門。あれよあれよというまに悪役覆面レスラー「ウルトラタイガーマスク」として大人気に…という堺正章がやるような映画である。主演の「シュリ」のハン・ソッキュじゃないほうはコミカルなアクションが達者だし、「カル」の高品格ことチャン・ハンソンが演じる貧乏プロレス・ジムの会長にはもちろん美人で勝気な娘さんがいたりと、コメディ映画のルーティンをきちんと踏んでいるし ★ ★ ★ ★ をつけてもいい出来だ。 ● だが、この映画、チーマーに苛められてた主人公がスーツの上からウルトラタイガーマスクを被ってチーマーどもをやっつける…という場内爆笑のシーンで1人、感動の涙を流していたようなプロレス・ファン(おれおれ)としてはちょっと容認しがたいのである。キム・イルこと大木金太郎が独りで興こしたと言ってもよい韓国プロレスは、一時期は幸福な時代もあったようだが、キム・イルの山師的な性格が災いして、いまや新日も全日もなく、ただFMWや大日本プロレスがあるだけという現状なのだ。わかりやすく言うと「スポーツ/格闘技としてのプロレス」が廃れて「いかがわしい見世物としてのプロレス」が残った、と。とうぜん本作もそうしたプロレス観に基づいている。それが証拠に主人公は最後にあっさりプロレスを捨てて(おまけにヒロインもフッて)サラリーマンに戻っていくのだ。しょせんプロレスは「大人が人生を賭けるに価しないくだらない代物」だってことか。絶対に納得できん。 ● 監督は「クワイエット・ファミリー」のキム・ジウン(金知雲) 敵役レスラーとしてニセ高山やら偽ベイダーやらが出てくるのが笑える。あと、サスガは力道山、「空手チョップ」は韓国語でも「カラテチョップ」なのだな。なぜかエンディング曲がもろムーンライダーズだった。[2000年12月、TOKYO FILMeXで観賞]

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真夜中まで(和田誠)

1999年の東京国際映画祭(コンペ部門)で観た。和田誠の第4作。本人が舞台挨拶で「もうアマチュアとは言えなくなりましたが…」と言っていたが、プロと呼ぶには下手過ぎる。意地の悪い見方をすれば、これだけ公開が決まらなかったのも出来の悪い証拠だろう。 ● 「ジャズ・トランペッターがライブハウスの出演時間の合間に、殺人を目撃してしまった中国人ホステスと夜の銀座(?)を逃げまわる羽目になる」という話。だが、映画が始まって20分後にようやく殺人が起きるまで、観客は真田博之のトランペットを延々と聞かされる(←そんな描写はタイトルバックで簡潔に処理すべき) ゆらゆらと移動を続けるカメラは労多くして効果なし。ミシェル・リーの登場場面(=観客にヒロインの顔を刻み込むべき大切なショット)の処理もあまりにも平凡かつ無神経。監督の人脈によると思われる大竹しのぶや唐沢敏明のカメオ出演はサスペンスたるべき物語から緊迫感を削ぐだけ。ようやく逃亡劇が始まっても演出/編集のリズムが弛緩しきっていてイライラ。コンバーチブルのスポーツカーでの撮影は「香港の2階建てバスか!」ってほど視線が高くて、トラックの荷台にクルマを乗せての撮影だとバレバレ。どれも皆、和田誠が愛してやまない娯楽映画の、疎かにしてはいけない基本的な作法である。始まってわずか30分でこれだけ思いつくのだから、後は推して知るべしであろう。途中退出。

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サイコ・ビーチ・パーティー(ロバート・リー・キング)

舞台となるのは(まだまだ1950年代の価値観を引きずっている)1962年の、サーファー・ボーイとビキニ・ガールがたむろするマリブ・ビーチ@カリフォルニア。いまいちオール・アメリカン・ガールに成りきれない赤毛のポニーテールの17才のヒロイン(ペチャパイ。ただし多重人格)が、おぞましい連続殺人事件に巻き込まれる。彼女は「自分が犯人なのでは?」と思い悩むが、よくよく見れば彼女のまわりは「B級SF怪獣映画の人気女優」とか「浜の掘っ立て小屋に住んでる伝説のサーファー」とか「完璧主義コンプレックスのドロップアウト医学生」とか「ヒロインがサーファーとばかりツルむのでヒガんでる映画マニアのメガネっ娘」とか「スウェーデンからの留学生ラース君」とか「美人だけど果てしなく底意地の悪い車椅子ガール」とか「堅物の戦争未亡人ママ」とか怪しい人物ばかり…。 ● 本作にもロス市警の「女性警部」として出演しているチャールズ・ブッシュという男性が作・主演した当たり狂言の映画化。つまり元は(たぶん)「ロッキー・ホラー・ショー」とかの流れを汲むキッチュなゲイ芝居なのである(ミュージカルには非ず) さすがにそのまんまのキャストじゃディヴァインの映画みたいになって売上げが見込めないので、ヒロインには本物の若い女優を起用しての映画化。ただサーファーに隠れホモがいたりとか、作者自身の脚色だけあってかなり原作舞台のテイストは生かされてるのではないか。ちっとも可愛くないところが愛らしい「ヒヨコ」というニックネームのヒロインに(「待ちきれなくて…」でジェニファー・ラブ・ヒューイットと共演してた)ローレン・アンブローズ。伝説のサーファー、グレート・カナカ役に「ふたりは最高 ダーマ&グレッグ」のグレッグことトーマス・ギブソン。キャストB級・製作規模C級の安っぽい代物だが、メインストリームから外れたコメディをお望みの方にお勧めする。 ● ちなみに本作は、サーフショップのタイアップをとりつけて新宿シネマ・カリテで開催された「サーフ・フィルム・フェスティバル」のトリを飾る1本として公開されているんだけど、この映画のサーフィン場面はすべて「上半身しか映さない、露骨なブルーバック合成」+「ありもののアーカイブリール」だぞ。てゆーか、そもそもこれって(たぶんニューヨーカーが)サーフィンに象徴される西海岸文化を徹底的に小バカにして作った映画だぞ。サーファーのお客さんは怒っちゃうんじゃないか!?(まあ、気付かないか…バカだから)

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こころの湯(チャン・ヤン)

中国映画。垢抜けた都会派コメディ「スパイシー・ラブスープ」で29才の鮮烈デビューを飾ったチャン・ヤン(張揚)監督の第2作。前作とはうって変わって伝統的な人情コメディにチャレンジした。舞台となるのは北京近郊の旧街区にある銭湯「清水池」(日本風に言えば「清水湯」) 脱衣場の代わりに日本のサウナにあるような休息室がついていて、垢すり・マッサージ・吸出し・床屋と至れり尽せり。湯からあがった年寄りたちが将棋を指したりコオロギ相撲をしたり。「變瞼(へんめん) この櫂に手をそえて」の老優が演じる風呂屋の大将は、番台に座ってるだけじゃなく垢すり三助から床屋の親父まで大忙し。これを手伝うのが刈り上げ&半ズボンの薄ら馬鹿、まるで松村邦洋みたいな下の息子。そこへ、家を出て深[土川]の経済特区で新妻と暮らす、一重瞼と薄い唇がジャイアンツの桑田真澄に似てる上の息子が帰郷してくる。(そもそも広東の方には大衆浴場ってものが無いらしく)シャワーの方が能率的だなんて考えてる彼は、いわば「人情浮世風呂」とでも言うべき実家の風景を馬鹿にしてる。だが、親父が倒れて否応なく家業を手伝うはめに。そんなとき旧街区の再開発の話が持ち上がって…。 ● と、まあ容易に展開が予想できる類の映画だが、この手の話の定番である風呂屋の客のキャラクター/エピソードなどが豊かに描かれているため、楽しめるプログラム・ピクチャーとなった。しかしこれ個人単位で使用する「シャワー」を否定して、大人数で入る「大衆浴場」に価値を見出す映画なのに、なんで原題が「洗澡 SHOWER」なんだろ?[2000年7月、ぴあフィルムフェスティバルで観賞]

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美脚迷路(廣木隆一)

おっ、どーせ低予算のビデオ撮りだろうと思ってたらフィルム撮りだ。嬉しいかも。てゆーか、いつのまにかそこまで基準を下げてる自分が悲しいよ。 ● ディズニーランドよりデッカい遊園地を作るという夢がどこをどう間違ったのか美脚マニアの秘密倶楽部を作ってしまった男の話。てゆーか、ちっとも美脚フェチじゃねーじゃんか こいつら。男の肉体を痛めつけて喜んだり、フィジカルな痛みが快感に繋がったりすんのはハードSMと言うのだよ。百歩ゆずってヌードやカラミがないのを許容するとしても、美しい脚をカメラが舐めるように写したり、むっちりとした太腿にうっすらとかいた汗が光ったりといったフェティッシュな描写が皆無なのはタイトルに偽りありだ。この映画はまずそこで失格 ● メインとなるのは幼なじみの2人の男と1人の女。小学生のときに彼らを襲った「悲劇」が男2人を性的不能にし、女を「男を痛めつけることで辛うじて精神のバランスを保つサディスティン」にした・・・という設定で、つまり「昔の疵を共有するもう若くはない男女の三角関係」という良くある話なのだが、彼らを深く傷つけ、同時に強く結びつけてもいる「小学生の時の悲劇」が倫理的な問題から映像化できないので、どうしても物語の説得力が弱いのだ。いや、誤解してくれるな。なんでもかんでも「画にしろ」と言ってるのではない。そんな時に観客の想像力を補うのが役者の演技力である。ところが肝心の俳優陣は、低予算ゆえの二流キャストの限界が無残に露呈してしまっている。 ● “美脚迷路”に獲り込まれていく主人公の刑事を演じるのは迫英雄。この役は過去に、蟹江敬三、下元史朗、大杉漣、火野正平、奥田瑛二…らが演じてきた「無精ヒゲの情けない男」の系譜であり、その「情けなさ」が魅力的に見えなくてはいけないのだが、この俳優がやるとただ情けないだけ。本来なら(廣木の「不貞の季節」にも出ており、本作でもカメオ出演している)村上淳の役でしょう。 “美脚迷路”の影のオーナーであるネット長者に大浦龍宇一。すでにもうどんな顔してたか忘れてる存在感の薄さ。 女性陣も酷い。“美脚迷路”の美しきミストレス…つまり夏樹陽子がやるような役に「M/OTHER」「ISOLA」の渡辺真起子じゃぜんぜん貫目不足。 もう1人、主人公が好意を寄せている"美脚迷路"で働く売れないシンガー…つまり可憐なヒロインたるべき役に ひふみかおり。てゆーか「ひふみ」というより「ひらめ」に似てるぞ。 新宿ジョイシネマに行ったら、その日はたまたま上映前に監督&キャストのトークショーがあったんだけど、出演してる女優さんたちよりゲストで来てた新藤風のほうが可愛いってのは問題あるでしょうやっぱ。まあ、やりたいことは判んないでもないんだけどねえ…。

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バーシャ! 踊る夕日のビッグボス(スレーシュ・クリシュナ)

インド映画オールナイトなどでのみ特別上映されてきたラジニカーントの旧作が、大阪・新世界は動物園前シネフェスタでの先行公開に次いで、夏休みに銀座シネパトスで公開された。どうもこれ、配給会社によるものではなく個人配給(!)のようである。 ● 舞台は南インドのマドラス。冒頭。花嫁の持参金が足りないから結婚式をキャンセルすると言われて大弱りの花嫁の父。と、そこへ使いがやって来て大金をポン! こ、これは!? マニカムからです。 場面 変わってここは病院。2万ルピーの手術代が出せなくて泣いている庶民のもとにも2万ルピー耳をそろえてポーンッ! ここ、これは!? マニカムからです。マニカムは弱いものの味方なのです。 マママ、マニカムって誰? マニカムはマドラスのリクシャーの運転手。母親と歳の離れた弟妹3人を養っている。仁あつく皆から慕われるイイ男。だけどリクシャーの運ちゃんがなんでそんな大金を持ってるの? それはマニカムというのは本名なれど、かれにはかつて「ボンベイの密輸王バーシャ」という別の名前があったのだ! そしてマドラスでリクシャーの運ちゃんをやってる者やアイスキャンディー売ってる者は全員バーシャの乾分たちなのだぁ!<んなアホな。 ● 前半は、4年前に死んだ父の「堅気になれ」という遺言に従って運ちゃんをやってるラジニの成らぬ堪忍するが堪忍のお話。どんな嫌がらせにも屈辱にも笑って堪えてるラジニだったが、妹を手にかけられては堪忍袋の緒も切れた。目つきが変わる! 背筋が伸びる! ビシュッ!バシャッ!ド派手な擬音つきで上着の前を広げてポケットに手を突っ込む! 高鳴るテーマ曲! ♪ダダッダッダッダダッ ダダッダッダッダダッ チャララー、ラーラーラ〜〜って、あのう、それ「ターミネーター2」の音楽なんですけどぉ。 ● というわけで前半は大変におもしろい。今回の決め台詞は、人差し指をピシッ!と立てて(←もちろん擬音つき)「おれが1回言えば100回 言ったのと同じだ」 だが正体が割れてインターミッションが終わると、突如として物語がボンベイ時代のギャング抗争になってしまって、それまでの流れが分断されてしまうのだ。ヒロインとの恋もそこで中断してしまうし、変則的な構成ゆえにダブル・ヒロイン制が取れずキレイどころは1人だけ。まあ、そういつもいつも傑作ばかり作れるものではないが、今回はちょっと物足りなかった。 ● 今回のヒロインはお金持ちのお嬢さん。貧乏なれど気高きラジニ(←ほんとは金持ち)にひと目惚れ。道行く男が全員ラジニの顔に見えるというベタなギャグもあったり。演じるナグマは(インド映画にしては)ちょっと美人度が低いかな。

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ラッチョ・ドローム(トニー・ガトリフ)

放浪の旅に出たインド人の一行がジプシーになるまでの過程を、特定の物語や主人公を設けず、さまざまな国での歌とスケッチで綴った映像詩。いわばエットーレ・スコラ「ル・バル」のジプシー版である。そもそもの理由は定かではないけれど印度の地を後にし、ひたすら西へ!西へ!西へ! 槌打つリズムから石臼の響きから踊りが生まれる。サリーはスカーフに代わり、ターバンは つば付きの帽子に。東欧でオッペケペー節と出逢いバイオリンを手にし、スペインではギターと出逢いフラメンコが生まれる。旅の過程で人種的混血が進み、肌の色は少しずつ薄くなるけれど、かれらの血が薄まることはない。歌とともに歩き、踊りとともに生きる。かれらは昔からそのように生きてきたし、これからもそうして生きていくのだろう。…たとえどのような迫害を受けようとも。 ● 「ラッチョ・ドローム」は「よい旅を」という意味(たぶん「ボン・ボヤージュ」とかと同じニュアンス) ジプシーの音楽が好きな人には絶対のお勧め。 おれ?おれは「ヴィデオドローム」のほうが好みだな(意味不明)

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山の郵便配達(フォ・ジェンチイ)

けしきがとてもきれいでした。やまのむすめさんがとてもきれいでした。…あ、ついひらがなになってしまったが、感想としてはこれしか浮かばなかった。だめだぁ、こーゆー映画にはすっかり不感症になってる。お…、お…、おらぁ東京さ来てすっかり汚れちまっただよ おっ母さん。 ● 中国の険しい山村。長年のあいだ1匹のシェパード犬だけを友連れに、手紙をリュックに詰めて徒歩で郵便配達をしていた老人が引退を勧告され、その後を継ぐ1人息子と最後の3日間の旅に出る。あまりにも岩波ホールの客層に合致した良心作で「文部省特薦」の冠もうなずけるが、これがチャン・イーモウの「あの子を探して」をさしおいて金鶏賞(中国アカデミー賞)の最優秀作品賞ってのは、ずぇーったいに納得できんぞ。あと、良心的な映画に対して恐縮なんすが、ひとつツッコマせてもらうと、この爺さん、地元の人も遠回りをするほどの「水の冷たい川」を時間的な理由からジャプジャブと横断してて、その為に脚を悪くしてしまって(痛風かなんか?)それが引退を勧告された原因でもある。で、川を渡りきると主人思いの忠実な犬が薪にする木切れを咥えては集めてくる。それで爺さんは焚き火をして脚を暖める…というじつに泣かせる場面なんだが、あのう…焚き火をして休息する時間があるんなら最初っから遠回りしてりゃ良かったんじゃ? ● 湖南省の瀟湘撮影所&湖南省郵便局と北京撮影所の共同製作。監督のフォ・ジェンチイ(霍建起)はティエン・チュアンチュアン(田壯壯)の美術監督をしてた人だそうだ。撮影はジャオ・レイ(趙[金雷]) 高地部落の美しい娘にチェン・ハオ(陳好) 原題は「那山 那人 那狗(あの山 あの人 あの犬)」

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DENGEKI 電撃(アンジェイ・バートコウィアク)

製作:ジョエル・シルバー
なるほど全米ナンバー・ワンをゲットしたのも頷ける。これはB級の筋立てを「火薬」と「スクラップにした車両」の量でA級に見せる類の娯楽映画である。さすがは名伯楽ジョエル・シルバー、金の使いどころがよく判ってる。脚本の出来としては酷いもの(※)なのだが、キャラの立った脇役を要領よく配してセガール独りが浮いてしまうのを抑えている。セガール自身のキャラも初期の刑事アクションに立ち返った「仏頂面のユーモア」を漂わせるもので、「非常識なまでに強い」という いつもの特性も「おいおい、んなワケねえだろ!」とツッコミを入れながら観られる楽しさをもたらしている。「ロミオ・マスト・ダイ」でミソを付けたアンジェイ・バートコウィアクだが、まずは2作目を無難に乗り切った。 ● 警察組織の汚職に「喰えない警官」セガールが立ち向かう…という話で、デトロイトが舞台なんだけど、劇中の街の描写がまんま「ロボコップ」で、もう荒廃しきって犯罪に溢れかえっていて、よくデトロイト市からクレームがつかなかったなあ。 若きヘロインの帝王にヒップホップ・アーティストDMX。自身のカッコイイ音楽(すまんね語彙が貧弱で)も何曲か提供している。 分署の美人署長に「コモド」のジル・ヘネシー。 セガールとコンビを組む若い黒人警官にイザイア・ワシントン。 コミック・リリーフとしてギャングの右腕役アンソニー・アンダーソン(=「ふたりの男とひとりの女」のデブ黒人)と、キレやすいモーニング・ショー司会者トム・アーノルド。 武術指導は「風雲 ストームライダーズ」「中華英雄」のディオン・ラム(林迪安)で、青龍刀まがいの格闘シーンもある。 ※杜撰な脚本の一例を挙げるなら[汚職組織の長である署長が、セガールをなぜよりにもよって自身の犯罪の現場である15分署へ転勤させたのか?]とか

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セイブ・ザ・ラストダンス(トーマス・カーター)

全米ティーンの間で絶大な人気を誇るというジュリア・スタイルズの主演作。現にこの映画も(製作に絡んでいるMTVの長期宣伝に負うところ大とはいえ)全米で2週連続ナンバー・ワンになった由。だけど、こんなソラマメ顔の仏頂面女のどこが良いんだ? シカゴ在住の、バレリーナ志望の女子高生が母親の死で一時は夢をあきらめるが、スラム地区の転校先の高校で知り合った黒人高校生との恋で立ち直るまで。あのなあ。世界中どこを捜したってバレリーナにあんなデブはいねえよ。しかもダンスがメインの映画なのにダンスシーンの90%はボディダブル。クライマックスには、NYの名門・ジュリアード音楽院のオーディションにヒップホップ仕立ての創作ダンスで挑むんだが、これがまた死ぬほどダッセーの。で、このオーディション場面が、黒人のカレシ…じゃなくて「黒人のカレシの親友」がライバルのギャングに殴りこむ場面とカットバックされるんだけど、それじゃ2つの場面に感情的なリンクが成立しないじゃねえか! なんでもカットバックにすりゃいいってもんじゃないぞ。今ごろきっと草葉の蔭でエイゼンシュタイン先生は泣いておられよう。もいっかいD.W.グリフィスから勉強しなおして来んかい!>「スウィング・キッズ」「ネゴシエーター」の黒人監督トーマス・カーター。ラブ・ストーリーとしても中途半端な白黒問題をやるよりは、もっと2人の感情の変化を丁寧にフォローすべき。この手の映画としては「フラッシュダンス」はおろか「コヨーテ・アグリー」にも遥かに及ばない。どこの映画館も混んでる この時期、ガラッガラに空いてる劇場でゆったりと映画を観たいというカップルにお勧めする。

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デュカネ 小さな潜水夫(オーケ・サンドグレン)

デンマーク映画。夏休みでお爺ちゃんのとこへ遊びに来たティーンエイジャーの兄弟。サルベージ・ダイバーだったお爺ちゃんの船に乗って海底の宝捜しと洒落こんだまでは良かったが、海底に沈むUボートを見つけてしまったことから…。「莫大な金塊を積んだまま海底に眠るナチスの潜水艦」という伝説をネタにした夏休み向けファミリー・アドベンチャー。…のはずなんだが、それにしちゃ妙にシリアスで話に夢がないのだ。かといって大人向けのサスペンスとしては子ども騙し。だいたいこの映画でいちばん悪いのは「人工呼吸のやりかたすら知らない子どもたちだけで海底までのアクアラング潜水をさせたお爺ちゃん」じゃねーか。そんな良い人ぶったって駄目だい。

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ジーザスの日々/ユマニテ(ブリュノ・デュモン)

三軒茶屋中央での2本立て。もともとはBOX東中野とユーロスペースで同時期にロードショー公開されたんだけど、どっちも同じ配給会社(ビターズ・エンド)だし、そのうち2番館で2本立てされるに違いないとニラんで待っていたのだ。 ● 1作目の「ジーザスの日々」では不良少年、2作目の「ユマニテ」では刑事…と主人公の設定こそ異なるものの、やってる事は基本的に同じ。作者の出身地たる北フランスの田舎町を舞台に、不毛の大地で無為に生きる無力な人間たちの姿を見据える。それは映画的情熱とも演劇的情熱とも違う、いわば純文学的情熱とも言うべきものである。おれはこーゆーのを有り難がる時期は過ぎてしまったのでもういいや。将来にわたってこの人の作る映画を好きになることはないだろう。クシシュトフ・キシュロフスキとか好きな人には向いてると思う。

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バッド・スパイラル 運命の罠(アンソニー・ウォラー)

いや、おれ自分で言うのもなんだけど有能な弁護士でさ。事務所の社長もやってんのよ。そのうえ今度、栄えある連邦判事に任命されてねえ。いやハッハッハッ。で、ある日のこと。深夜残業を終えて女房んトコに帰ろうとしたら、今度あたらしく入ったアシスタントがこれ見よがしにミニスカの脚を組替えたりすんのよ。ま、おれもキライじゃねえから「こりゃ脈ありかな」と思って飲みに誘ったらホイホイ付いて来てさ。色っぽい目で「センセあたしを酔わせる気ぃ?」だって。こっちが「いや、どうかな」とか口ごもったら「あ〜らガッカリ」だって。でもってカノジョのアパートに連れ込まれてさ。ちょっと調子に乗って飲みすぎちゃって足元がフラついてたら「アタシを酔わせる算段じゃなかったのん?」なんつって抱きついて来るわけさ。もうこっちは無我夢中でむしゃぶりついたら、カノジョ、壁に後頭部でも打ったらしくて突如としてシラフになって「やっぱり嫌」とか言い出すのよ。ジョーダンじゃねえよここまで来てそりゃ殺生だろなあ頼むよ先っぽだけとかなんとか言って、もうこっちも止まるもんじゃねえからヤルこたぁヤッちまったのよ。それがおれの運の尽き。あのアマ、言うにこと欠いておれに無理やりレイプされたとか騒ぎ出しやがって、バラされたくなかったらせっかく拝命した連邦判事の職を辞せだとぉ!? ちょと待てゴラァ! どこがレイプやねん このど腐れおめこが、ブチ殺したろか!・・・なんてこと、おれは思いませんよ。そりゃもー紳士たるもの、それまでどれだけ女のほうから誘っていたとしても、ちんぽ突っ込む瞬間に一言「No」と言われたらそこで止めなきゃいけません。そりゃそーですとも。もちろんおれはヤリませんよ。ヤリませんとも。ま、だけど、この映画のビル・プルマンはヤッちゃって酷い目に遭うのである。 ● ちなみに映画は(どっちかというと)「可哀想なレイプの犠牲者」に感情移入して描いていて、ガブリエル・アンウォーも明らかに そのつもりで演じているのだが、それにしちゃこの女、雨の中、傘もささずにビル・プルマンの屋敷の窓灯りを木立の影からじっと見てたりするのだ。被害者なんかキチガイなんか、どっちやねん? 「ミュート・ウィットネス」「ファングルフ 月と心臓」のアンソニー・ウォラーの演出意図がいまひとつ判らんなあ。その他にも、前半部でヒロインが「電話のくるくるくるっと丸まって絡まったコードを直している」という物語進行上なんの意味もない描写があるので「?」と思っていると、終盤になって「とある人物がヒロインに危険を報らせる電話をかけた瞬間に、たまたま電話のそばを通りかかったヒロインがくるくるくるっと丸まったコードに気付いて──もちろんこのカットの構図は、垂れ下がって絡まったコードを手前にナメて、向こう側を横切るヒロインが、ふとこちらを向く──受話器を取り上げてぐるぐるぐるっと絡みを解きはじめたので、電話が話し中となり危機を報らせる電話が繋がらない」という驚天動地の大がかりな伏線があったりする。なんだかなあ。 ● さて、映画のストーリーは「危険な情事」の二番煎じというより、もう少し混みいってる。窮地を脱するべく企んだことが裏目裏目に出て事態がどんどん複雑に、悪いほうへ転がっていく…という、よくあるパターンで「殺人依頼とその予期せぬ結果」とか、そーゆー類の話である。 青春スターのデヴォン・サワ演じる「今日になるまで大金持ちの弁護士が自分の実の父親だとは知らなかった不良少年」が重要な役割を担う。かれがヒロインに顔を近づけると(親子だから面影が似てるので)脳裏にビル・プルマンの顔がフラッシュバックして、ヒロインが怯える…という爆笑演出もあるぞ。 ガブリエル・アンウォーは枯れたブスになっちゃっててビックリ。「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」(1992)で注目されて「デンバーに死す時」(1995)までだから、わずか3年。えらい短い花の盛りやったなあ。なにしろ「ルームメイトのアンウォーばかりがモテるので心中フクザツな親友」という役割のはずのアンジェラ・フェザーストーン(「200本のたばこ」)のほうがずっとキレイで魅力的なんだから。 ビル・プルマンの妻にジョアンヌ・ウォリー。こちらもアンウォーよりずっとキレイ。 観客に感情移入されるべきヒロインにチャームがないのが致命的でしたな。原題は「THE GUILTY(罪ある者)」。アメリカではテレビ放映のみ。いかにも典型的な「未公開ビデオ」レベルの作品である。

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Maelstrom(デニ・ヴィルヌーヴ)

ケベック(フランス語圏カナダ)から登場した新人監督の映画。冒頭、半身を裂かれたグロテスクな深海魚が「こと切れる前に、諸君にこれだけは話しておきたい」と観客に向かって語りはじめる。ヒロインが画面に映ると、いきなり堕胎手術の真っ最中。実らなかった生命が掻き出され、地下の焼却炉に放り込まれる。そこに被る音楽は「グッドモーニング・スターシャイン」てなキャンディ・ポップス。おお、いったいどのような悪趣味な物語が始まるのか…と思ってワクワクしていたら、内容はよくある「癒し乞食のヒロイン」ものだった。なぁんだ。深海魚が説話者である必然性も最後までうやむやのまま。まあフォトジェニックではあるがそれだけの、羊頭狗肉(てゆーか、この場合は狗頭羊肉?) これではファンタ系観客にはお勧めできない。…まあ、勝手にイザベル・アジャーニの「ポゼッション」を期待してるほうが筋違いという気もするけど(火暴) ● 人生絶不調だったヒロインが泥酔運転で老人を轢き逃げてしまう。しかしその「災難」がきっかけとなって数奇な縁で、自分をサイテーの人生から救い出してくれる白馬の王子様と出会う…という轢き逃げ推奨映画。全篇をおおう低血圧そうなブルートーン。主演は、不満そうに突き出した口と、太い眉が、若い頃のジェニファー・ジェイソン・リーを思わせるマリ=ジョゼ・クローズ。ちなみにヘアヌードは豊富だが、たぶん欲情は不能なので。

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ヴィクトール 小さな恋人(サンドリーヌ・ヴェッセ)

おお新作なのに1,000円だ。偉いぞ!>オンリーハーツ&俳優座。 ● 母親と義父に性的慰みものにされていた男の子が家出して(やはり子どもの頃に父親に性的虐待を受けていた)街娼に拾われて安息を得る…という話。いや、ほんとそれだけの話なのだ。細かいサブ・プロットとか、親元に連れ戻されるサスペンスなんてものには目もくれない。劇伴は無し。極端に彩度を下げた画面。暗い冬の夜に、移動式カーニバルのメリーゴーラウンドのネオンが映える。はかなげな風情の金髪の男の子が着ている赤いダッフルコート。「クリスマスに雪はふるの?」(おれは未見)の監督&脚本家サンドリーヌ・ヴェッセはこれを、お伽噺として撮っている。その雰囲気を味わう作品。フォトジェニックではある。ただ、ふつうのお伽噺だと2人が出会うまでがもうちょっと長くて、さまざまな苦難が描かれるものだけれど。おれはてっきり「マッチ売りの少女」をやってるんだと思ってたけどなあ…。 街娼を演じてるのはキャリー・アン・モス系のリディア・アンドレイ。 原題は「ヴィクトール…だってもう手遅れだから」

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OVER SUMMER(ウィルソン・イップ)

香港映画の萩原流行こと、ン・ジャンユー(呉鎮宇)主演の「張り込み」もの。市井の人々の生活を描いたいくつかのエピソードが織りなされてメインストーリーとなる、つまりエド・マクベイン「87分署」タイプの刑事ドラマである。孤児院育ちの破滅型刑事が、相棒の女好きの遊び人刑事と2人で、とあるボロ・アパートの一室を借りて張り込みを始めるが、その部屋の住人の婆さんがそーとー惚けていて、2人の刑事を長いこと会ってない息子兄弟だと思い込んだことから奇妙な擬似家族が形成される…。婆さんを演じたロー・ラン(羅蘭)がこの役で今年の香港アカデミー賞の主演女優賞を獲得した。シネシティ出身の脚本・演出ウィルソン・イップ(葉偉信)は、予定調和に落とさない話の作り方が巧いし、ドラマ部分の出来があれほど素晴らしいのに、なんでアクション・シーンの演出/編集がこれほど下手かねえ。これでアクションが締ってたら満点を付けるんだけど。 ● エキセントリックな悪人役でブレイクしたン・ジャンユーであるが(萩原流行がそうであるように)目尻を下げてニヤけたり、目をシロクロさせて困ったり、無防備に破顔一笑したりという、人の善いちょっとバカな男をやらせても抜群に巧い。チャン・シウチョン(陳小春)的キャラの相棒を演じるルー・ティンロク(古天楽)は、見た目も小春を男前にした感じで「チャラチャラしてるけどじつは熱血」なヒーローを好演。彼がアパートに連れこむ不良女子高生に、小野みゆき似のキツメ美人 ミッシェル(莫雅倫) ン・ジャンユーが惚れるクリーニング屋の未婚妊婦に、ドゥドウ・チェン/ビビアン・スー系のやわらか美人 ステファニー・ラム(林美貞) 原題は「爆裂刑警 BULLETS OVER SUMMER」で、訳すと「あぶない刑事 夏の日の銃弾」て感じか?[2000年10月の香港映画祭で観賞]

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レクイエム・フォー・ドリーム(ダーレン・アロノフスキー)

監督自身のコメントが適切に映画の内容を表わしてると思うので、まず引用する>「この映画は地面がぐんぐん近づいてからパラシュートがないことに気付くスカイダイビングだ。さらにヒドいことに地面に激突してからも容赦なく映画は続くんだ」 ● (おれはけっきょく観なかったんだけど)「π」で評判を取ったダーレン・アロノフスキーの新作は、確実にあなたを不快にする映画である。観客に絶え間ない緊張と苦痛を強いる度合いでは「アギーレ 神の怒り」以来か。これが、卑語と薬莢を撒き散らすキューバン・ギャングが自滅する話だったなら、観客は枕を高くして眠れただろう。ギリシャ悲劇や歌舞伎十八番のひとつであったなら、登場人物の悲惨な末路に観客は心おきなく涙を流せただろう。だがこれは、もしかしたらドラッグという触媒すら必要としないかもしれない「日常生活の地獄」の話なのだ。「夢への鎮魂曲」というタイトルに偽りなく、登場人物にも観客にも最後まで癒しや救いは訪れない。夢はもうとっくに在庫切れなのだ。グロテスクに誇張された悲惨さは「未来世紀ブラジル」を思わせもするが、ここには「SFだから」という言い逃れは用意されていない。観客に逃げ場を用意しない確信犯の演出は、もはや「娯楽映画」とは言えないだろう。じつは星の数もにすべきかと迷ったのだ。力作だし、ある意味では映画史に残る作品ではあるが、これは映画を観ていや〜な気持ちになりたい方にしかお勧めしない(いいかい、おれはちゃんと警告したからね) ● スプリット・スクリーンや早廻し/コマ落としを多用する異様なカット数の映像は、いっそチェコのアート・アニメーションあたりに近いかもしれない。おそらく演出家も俳優を人形ぐらいにしか思っていないだろうし。 マイケル・ナイマン+石川忠な音楽(クリント・マンセル)が凄絶に素晴らしい。 ダイエット・ピルと信じて覚醒剤中毒に堕ちていくエレン・バースティンの演技もまた凄まじいものだが、おれは世の中の美しいものだけを見て生きて行きたいのでこういうものは見たくないんだよほんと。 ジェニファー・コネリーなら1日見ていても飽きないが、なにもこんな悲惨な役をしなくったって…(ブラ着用のヘアヌードあり) なんとアロノフスキーは企画進行中の大作「BATMAN: YEAR ONE」の監督に決定してるんだが、この調子でやられたら「バットマン・リターンズ」以上にダークな代物になるのは必定だぞ。いいのか?>ワーナー首脳部。

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白夜の時を越えて(ピルヨ・ホンカサロ)

フィンランド映画。数奇な運命をたどるサーカスの双子姉妹。美しく運動神経の良い姉はサーカスの花形「空中ブランコ乗り」になり、不器用で不美人の妹は不味い石油を口にふくんで火を噴く「火喰い女」(=原題)となる。1944年〜1958年の姉妹の有為転変を描いたメインストーリーに、時おり、1980年前後の妹の「現在」であるモノクロ場面が挿入される。おそらくは背後に(おれには読み取れない)フィンランド現代史の政治的寓意が敷かれているのだろうが、おれは単純にファンタ観客向けの「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」として観た。まあフォトジェニックではあるが、もう少し淫靡な雰囲気があると なお良かった。 ● ちなみにシアター・イメージフォーラムでは、この映画のみに適用される いろいろな割引があって、「携帯&ネット割引券提示で1,200円」とか「双子割引:双子は2人で1,000円」は解かるけど、ペア割引の「2人で1,800円」は割り引きすぎじゃねーの!?(だっていきなり半額だぞ)←おれが入ってるイメージフォーラム会員料金の1,000円より安いんで根に持ってる。

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マンボ!マンボ!マンボ!(ジョン・フォルト)

しかし「マンボ!マンボ!マンボ!」って字面で見てるとわかんないけど口に出してみると「カエルぴょこぴょこ3ぴょこぴょこ」並みに言いにくいタイトルだぞ。てゆーか、窓口で「マンボマンボマンボ1枚」と言おうとして舌がもつれて恥ずかしい思いをしたのはおれだ(火暴) てゆーか、日本のどこかには絶対に恥ずかしくて このタイトルを人前で口に出せない地方があるとみた。<いいから早く本題に入れよ。 ● 舞台は北アイルランドのベルファスト。主人公は、貧乏人のカソリックばかりが住む西ベルファストの、カソリック男子校に通うボンクラ高校生。何の因果か(イギリス人のスポーツである)サッカーが大好きで、夢は「ベルファスト・ユナイテッド」に入団すること(…いや、もちろんプロテスタントのチームなんだけども) ブラジルから出稼ぎに来てるスター選手が「サッカーはリズムだ」と断じるのを聞いて「そんじゃおいらもリズムの練習すっぺ」ってんで、何を思ったかソシアル・ダンス教室に突撃。そこで会ったのがお金持ちのプロテスタント共学校に通う巻き毛も麗しいお嬢さま。ボンクラもちろんひと目惚れ。ところが彼女には(プロテスタント高校のサッカー部の主将もしてる)ダンス・パートナーのカレがいた…。 ● というストーリーからもお分かりのように(北アイルランドを舞台にしたイギリス映画にも関わらず)典型的なハリウッド映画スタイルの青春ラブコメである。イギリス映画では往々にして、たいして可愛くもない女優がへーきで主役を務めたりするが、本作のヒロインは、アメリカのTVドラマ「フェリシティの青春」のケリ・ラッセル。若い頃のニコール・キッドマンを思わせる王道 美人女優である。この映画にはイギリス映画独特の「ほろ苦い挫折の味。…でもそれが人生さ」みたいな結末は やって来ない。それでいいのだもちろん。おれは「人生」が観たいんじゃなくて「映画」が観たいんだから。陰気なイギリス映画よりも幸福なハリウッド・コメディを愛する同好の士にお勧めする。 ● 監督・脚本のジョン・フォルトは新人。 主役のボンクラ君には(青春スター時代のパトリック・デンプシーって感じの)ウィリアム・アッシュ。 Kマートの社長をしてる叩き上げ成金カソリックの、ヒロインの親父さんにブライアン・コックス(こちらはアルバート・フィニーか) ちなみにタイトルは「マンボ!マンボ!マンボ!」だけど、実際にフィーチャーされてるのはブラジルのリズム、サンバ。それがなんで「MAD ABOUT MAMBO」という原題になったかいうと、…単に語呂がいいからでしょうな。

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ゴシップ(コリン・ナトリー)

「太陽の誘い」のコリン・ナトリーが製作・監督・脚本した新作。スウェーデン出身であるグレタ・ガルボの主演映画が、ハリウッドでリメイクされることになり、スウェーデンを代表する9人の女優がオーディションを受ける。抜擢されれば当然「第2のガルボ」で、華々しく「ハリウッド進出」だ。で、今夜いよいよハリウッドから電話が入るという日。極度のプレッシャーから やること成すこと裏目に出てしまう9人の女優と、その相手役/演出家の男たちの右往左往を描くバックステージ・コメディにしてグランドホテル・コメディ・・・の、はずなんだがクスリとも可笑しくない。ハリウッド映画の文法に毒された おれには、この田舎芝居は(物語の進行に寄与しない)非能率的な場面が多すぎて、どこが面白いんだかさっぱり判らん(コリン・ナトリーはイギリス人なんだそうだが…) 思いっきり肥大化したエゴでわがまま放題の女優たちだが、最後には「演技への情熱」にオトすんだと思ってたらそうもならないし。そもそもこれを演じてる9人が──なかには「スター・ウォーズ エピソード1」の“お母さん”とか「太陽の誘い」の女優とか知った顔もいるんだけど──揃いも揃って文学座の舞台女優みたいに華がないので、観てて楽しくないのだ。それと悪いけど、ハリウッドに「ロクに英語も話せない四十がらみの非・美人女優」の居場所なんてないと思うぞ。 ● これ、日本映画でリメイク希望。「007の新作を日本で撮ることになり、プロデューサーがボンド・ガールのオーディションに来日してるらしい」…という噂が芸能界を駆けめぐり、藤原紀香とか水野美紀とか菊川怜とか元CCガールズとか元シェイプアップ・ガールズとかが一斉に色めきたつ。肉弾攻勢に出る者、事務所の力で札束攻撃する者、しまいにゃ引退した志保美の悦ちゃんまでカムバックすると言い出すし、ザ・ゲイノーカイは上へ下への大騒ぎ。だけどそのプロデューサー氏、じつは偽者で、めでたくオーディションに合格した藤原紀香は香港でワイヤー吊りされてるのでした…というラストシーン<それじゃ実話じゃん。脚本は三谷幸喜か一色伸幸、監督は滝田洋二郎でよろしく。

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CLUB ファンダンゴ.(マティアス・グラスナー)

ドイツ映画。原題はただの「ファンダンゴ(=キチガイ騒ぎ)」。モデルにしちゃ背が低いのでなかなか芽が出ない上昇志向のシャーリー。その愛人で入口番からクラブ・オーナーにまで登りつめた(今ではドラッグ・ディーラーもしてる)ヤクザまがいのルポ。そして、盲牌ならぬ「盲盤」で皿をまわす盲のDJサニー・サンシャイン・・・ベルリンのクラブシーンに棲息する3人の男女がかわるがわるモノローグをくっ喋る。生の実感がない夜型人間たちが、幸せになりたくてもがくうち、状況はどんどん悪化していく…というその手の映画。こういう奴らには心底、興味が持てないので1時間弱で途中退出。色が汚いのでもしかしたらビデオ撮りかも。

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極道の妻たち 地獄の道づれ(関本郁夫)

製作:日下部五朗 製作・脚本:高田宏治 撮影:水巻裕介 音楽:大島ミチル 東映京都作品
高島礼子 とよた真帆|宅麻伸 草刈正雄|北村和夫 石橋蓮司 中尾彬|江波杏子
雛形あきこ 六平直政 尾美としのり 西岡徳馬 石倉三郎 山本竜二 竹中直人
通算14作目、高島礼子版になってから4作目となる「極妻」。緋牡丹お竜の血を今に引く正統派の仁侠映画であり、戦う女の映画である。そして、これはまた(岩下志麻時代にはやれなかった/やっても無理があった)愛に命を賭けられる女と男の話であり、高田宏治 脚本の情念がほとばしる激しい愛のドラマである。先代組長の令代としてゲスト出演している江波杏子は「妻(おんな)は家を守るのが仕事や」などと心にもないことを言うが、もちろんそんなことでは「極妻」の主役にはなれないのである。女たちは意地のために歯を食いしばって屈辱に耐え、必要とあらば小指(エンコ)も飛ばし、命をかけて愛する男の仇を討つ。「極道の妻(おんな)に墓場はないのや!」とか、もう、どっちが侠(おとこ)なんだかよくワカンナイ事態になってる。「極妻」世界において男どもは枕を並べて討ち死にするしかないのだ。今回はめずらしく高島礼子の亭主が最後まで生き残るんだが、クライマックス以降は画面に写りゃしない。高島版1本目からずっと撮りつづけている関本郁夫は、ドラマのテンションを最大限に振り切って「気持ちよく泣ける悲劇」を演出した。撮影は東映京都。独立独歩の大阪極道の姐さんは、極道の全国統一を企む関東の姦計を粉々に粉砕して大阪の勝利を高らかに宣言するのである。やくざ映画がお好きなら必見。 ● 高島礼子に噛みつく「野望の女」に とよた真帆。自分が儲け役であることをよく自覚した熱演で場をさらう。亭主を殺される若い妻に雛形あきこ。なぜか近頃の「極妻」には「脱ぎ」がないんだが、ここは無名でもいいから脱げる女優を配して欲しかったね。ピンク映画出身の山本竜二が敵方のわりと目立つ組長役で出演してる。不思議だったのは竹中直人で「カメオ出演」ではなく「所轄のヒラ警官」というエキストラみたいなほんとの端役をひっそりとこなしている(たまたま撮影現場に居合わせた…とかなのかな?) ※念のため書いておくと、本作は実在する映画であり、ほんとうに映画館で上映されている。

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悪名(和泉聖治)

原作:今東光 脚本:高田宏治 松竹京都作品
言わずと知れた勝新太郎+田宮二郎の名作「悪名」(大映京都1961/田中徳三)のリメイク。つまりこれは、始めっから勝ち目のない戦いなのである。田宮二郎が軽妙に演じた洒落者のやくざ「モートルの貞」ならば もしかしたら東幹久 程度の俳優にも「真似事らしきこと」は出来るかもしれない。だが、喧嘩っ早い熱血漢で、威張り腐る野郎がでえっ嫌えで、でも女にゃからきし弱い、馬鹿の付くお人好し、男から見ても女から見ても惚れ惚れするようなイイ男=「八尾(やお)の朝吉」そのものだったカツシンの代わりになるような役者など何処を捜したって居っこないのだから。…いや、もしかしたら世界中で「岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説」の竹内力と、南インドの男伊達ラジニカーント兄貴だけは──演出との奇跡的な出会いがあれば──八尾の朝吉をスクリーンに蘇らせることが出来るかもしらんが(可哀想だが)的場浩司には任が重すぎた。 ● 負け軍と知っての戦いに、だがしかし仁侠映画のベテラン脚本家・高田宏治と、時代劇の拠点・松竹京都映画の職人たちは、愚直なまでに正面から挑んでいく。下手にモダナイズしたり、縄張(シマ)争いのやくざ映画に改変することなく、昭和の始めを舞台にカツシン版「悪名」のストーリーを素直になぞっていく。そんなことしたら観てるこっちはついつい前作のキャストと比較して嘆息してしまうと判ってて、なおエキストラにいたるまで丁寧に結髪・着付けをして、当時の衣裳を着せ、ちゃんとしたセットを組み、あるいは因島(もしくはそれらしき場所)のロケまで行っている。「新宿東映パラス3(48席)と銀座シネパトス3(81席)で2週間」という形ばかりの公開のVシネマの製作費で、そうした「当たり前の時代劇」を作ることがどれだけ大変なことかは想像に難くない。だからそうした作り手の誠意と、前作への敬意を評価して、和泉聖治の変わり映えのしない演出には目をつぶろうと思う。だけどいくら「昭和は遠くなりにけり」とはいえ、さとう珠緒や遠藤久美子までレベルを落とさずとももう少しズラが似合って台詞の喋れる女優はいるだろうに(中村玉緒と「タマオ繋がり」とか言うなよ) あと「傘付の裸電球を地上1mの位置に吊ってある賭場」が天井まで煌々と明るいのは明らかに照明ミスだろ。

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ウルトラマンコ
スモス THE FIRST CONTACT(飯島敏宏)[キネコ作品]

円谷プロダクション制作 特技監督:佐川和夫 脚本:千束北男(=飯島敏宏)
あれ なんでこんなところに改行タグが? 円谷少年少女合唱団が歌う♪ウルトラマンの子ども 子ども 子ども ウルトラマンの子ども ウ〜ルト〜ラマンコ♪という、爽やかな歌声で幕を開けるウルトラマン・シリーズの最新作<だから嘘はやめなさい嘘は。 ● 「ウルトラマンティガ」「…ダイナ」「…ガイア」と続いた、新解釈による〈平成ウルトラマン3部作〉をいったんリセットして、この7月から新たにテレビと連動して開始されたシリーズ。この映画版は、テレビシリーズの主人公が小学生時代に初めてウルトラマンコスモスと遭遇したときの話。つまり「エピソード1」という体裁を採っている。「原点に還る」というのがキーワードのようで、監督・脚本の飯島敏宏はなんと初代ウルトラマンからこのシリーズを手掛けているという大ベテラン。ナレーションを石坂浩二が担当し、初代・地球防衛隊のメンバーがカメオ出演、しかも悪役怪獣は(飯島が創造した)バルタン星人! なんか付き添いのお父さんに向けてマーケティングしてませんか? ● さて、この新シリーズ、設定がおそろしく大胆である。今度のウルトラマンの使命は「怪獣退治」ならぬ「怪獣保護」! 主人公が所属するのは「地球防衛隊」ではなくて「科学調査サークル」、その目的は地球/地上に迷い出てきてしまった宇宙人/怪獣をやさしく宇宙/地下に追い返すこと。だから専用機には武器を積んでなくて、代わりに出てくるのが(怪獣の戦闘意欲を削ぐための)巨大なボクシング・グローブだったり、巨大スピーカーから(怪獣の気を鎮めるために)子守唄を流したりするんである。この世界での真の悪役は「怪獣/宇宙人はすべて敵である」として見境なく攻撃をしかける「防衛庁特殊部隊シャーク」で、あろうことかウルトラマンは人間の攻撃から怪獣を守ったりするのだ。それじゃウルトラマンコスモスじゃなくてウルトラマンPKFだ。 ● バルタン星人が「自分たちの愚かさゆえに故郷の星を滅亡させてしまった宇宙難民」という設定は昔と一緒だけど、今回の来訪の目的は地球侵略じゃなくて「友好的に同居させてもらえないか」とお願いに来るんである。もちろん「人類はバルタン星人と末永く幸せに暮らしました。メデタシメデタシ」じゃ話が成立しないから、自衛隊…じゃなかった特殊部隊が平和交渉を無視して攻撃して、バルタン星人が怒って大あばれ。ウルトラマンがしかたなく戦うという展開になるわけだが、負けたバルタン星人が涙を流しちゃったりして(劇中の)見てる子どもが「かわいそう…」とか言ったりして、ウルトラマンが怪獣やっつけることに罪悪感を感じさせてどーすんだよ! しまいにゃバルタン星人の子どもに「地球の子どもたちよ、夢を捨てないで」とか言われちゃったりして。…なんか子ども番組でずいぶんとむっずかしいことをやってんなあ。何が何でも「政治的に正し」けりゃいいってもんじゃないでしょう。「外なる者をむやみに攻撃することの誤り」を描くと同時に「怪獣をやっつけるカタルシス」を得られる脚本なんて、書くのは至難の技だぞ(現にこの映画版では失敗している) そりゃ初代「ウルトラマン」とか「ウルトラセブン」にも可哀想な怪獣のエピソードはあったけど、あれはあくまでも番外篇であって、ほんとにこの設定でTVをワンクールやるつもりか!? ● いまやCGの使用率は向こうのTV版「スター・トレック」と同程度に達してると思われる。CGの使用で格闘スタイルのバリエーションが素晴らしく豊かになった(だけどこのコスモスは宇宙人なのに、なんで鶴拳を使うんだ?) CGを大量に使う関係でビデオ撮りだが、最良の品質でキネコされているので画質はまったく気にならない。ただ、バルタン星人のデザインが多少モダナイズされてたり「戦闘モード」に変身したりすんのは構わないけど、声が例の「フォッフォッフォッ」じゃないのはガッカリだな。 ● 主人公のお父さんに赤井英和。お母さんに高橋ひとみ。科学調査サークルの博士に藤村俊二。女性隊員に中山エミリ。憎まれ役の特殊部隊長に渡辺いっけい。台詞なしの副長に格闘家・安生洋二<おまえ何やってんだこんなとこで!?

「ハイブリッド・ムービー2001」

TBS系のデジタルBS放送「BS-i」での放映用にハイビジョン・カメラで撮影されたテレビドラマが「ハイブリッド・ムービー2001」と題してBOX東中野で上映された。上映に際しては劇場常設のRGB三灯式プロジェクターではなく、特別にソニーのDLPビデオ・プロジェクターを設置している。今回のような、デジタル・ハイビジョン・カメラ→デジタル編集→デジタルHDテープ・マスター→DLPプロジェクターという方式だと「巨大なCRT画面でDVDを見る」のとほぼ同等の高品質画面で楽しむことが出来る(しかもDLPだから走査線は出ない) もちろんこの場合のルック(画調)はどこまで行ってもハッキリ&クッキリ&ドギツイ発色のビデオ/DVDのそれでしかなくて、フィルムの瑞々しく繊細なルックとも、フィルム的ルックの再現を目的とするDLPシネマとも別物なのだが、ここまでのクォリティならばフィルム上映と同額料金を取る価値はあるだろう(念を押しておくと、おれは「このクォリティならビデオ撮りでも良い」と言ってるのではないぞ。以下の3本にしても、製作環境がフィルム撮りを許すならそれに勝るものはないのだから) ● なお、チラシに載っている4本のうち大森一樹の「最悪」が上映中止になった。原作の「ビデオ化権」に基づいて製作された大森作品の劇場上映に対して「映画化権」を保有している会社からクレームがついたんだそうだThanx>逢初氏) なら、中止にせず無料で観せてくれりゃいいのになあ←法律音痴。

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柔らかな頬(長崎俊一)[ビデオ上映]

BS-i/オフィス・シロウズ製作 原作:桐野夏生 脚本・編集:長崎俊一 撮影:本田茂
天海祐希 松岡俊介|渡辺いっけい 中村久美 室田日出男 諏訪太朗 水島かおり|三浦友和
ハードボイルドな原作と、それを活かすことの出来るタフな演出家、そして硬質な美しさを持った女優の、幸福な出会いが生んだ傑作。 ● ヒロインは北海道のド田舎から親を捨てて東京に出て来て、小さな写植屋に就職。そこの典型的小市民の社長と結婚。もちろん共働きで、5つになる娘がひとり。いつでも「負けるもんか」と気を張って生きている。自分の緊張を周囲にまで強いてしまう、そんな女だ。ふとしたきっかけで得意先の電通の広告局の営業と不倫関係に。相手が北海道に買った別荘に、互いの家族同士で旅行して、亭主の目を盗んで夜中に密会。ひさびさに満たされた躯に気持ちが昂ぶっての睦言。駆け落ちの相談。「子どもはどうする?」との問いに、つい「…捨ててもいい」と答えてしまう。その翌朝──、娘が忽然と姿を消す。 ● まるで自分を罰するかのように行方不明になった幼い娘を捜しての、ヒロインの魂の彷徨・・・番組2枠分、3時間21分の長篇である。周囲の者が1人また1人と、帰って来ぬ娘を内心であきらめて日常生活に復帰していくなかで、ヒロインだけは、そうすることが自分の存在証明であるかのように、「ここで止めたら負けだ」とでもいうように、娘を捜しつづける…。いくらでも「お涙頂戴」に振れる素材を、最後までハードボイルドに描ききった長崎俊一、久方ぶりの本領発揮である。撮影は「ロマンス」「ドッグス」に続いての長崎作品登板となる本田茂。 ● 天海祐希が「連弾」に続いて、とても良い。「理不尽な現実」に納得できず全身で嫌だ嫌だと叫びつづけてるような女。それでいて「じとっとした怨み節」にならないのは稀有な特質だろう。 その夫に渡辺いっけい。 不倫相手の電通マンに三浦友和。この人ほど晩成型の俳優もめずらしいと思うが、誠実な演技が素晴らしい。終盤に180度違うキャラで登場して、それが不自然にならないのは力量のある証拠。 後半、ヒロインの道行の供となる、癌で余命幾ばくもない元・刑事に松岡俊介。 

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女学生の友(篠原哲雄)[ビデオ上映]

BS-i/東宝 製作 原作:柳美里 脚本:加藤正人 撮影:高瀬比呂志
前田亜季 山崎努|野村佑香 山崎一 毬谷友子 水木薫|山田辰夫 中村久美|青木富夫
タイトルが「女学生の友」で、高校生になってますます可愛くなった前田亜季ちゃんがエンコーするジョシコーセーの役ぅ? デヘヘヘェ…と邪まな期待むんむんのむさ苦し率の異常に高い場内(含む>おれ)の前にいきなり映し出されるのは、薄暗い室内で、墨で遺言状をしたためる山崎努老人の姿なのだった(火暴) ● 山崎努はかつてはモーレツ・サラリーマンだったが今は隠居の身。同居している息子(山崎一)や、息子の嫁(毬谷友子)や、嫁に行った娘(水木薫)からは「土地の権利書だけ遺して早いとこ逝ってくんないかしら」とか言われてて、唯一の理解者は女子高生の孫・野村佑香。親たちの世代を軽蔑してる女子高生と仲良くやれるのは、老人がすでにそうした世界からリタイアしてるからなのだが、かつて自分がその一員であっただけに、老人は息子たちの世代を苦々しい思いで見ている。ある日、渋谷の街をデートしていた老人と孫は、野村佑香の中学時代の同級生たちと出くわす。誘われるままに皆でカラオケ・ボックスへ。若いコたちのハシャギぶりを圧倒されて見ていた山崎努は、ふとそのうちの1人(前田亜季)が自分のことを軽蔑の視線で見ていることに気付く。次の日、そのコから電話がかかってくる。それが2人の秘密のデートの始まりだった…。 ● 脚本はピンク映画時代からVシネマ「痴漢日記 尻を撫でまわしつづけた男」シリーズに至るまで、セックス絡みの青春映画を十八番(おはこ)とする加藤正人。家族に疎んじられ世間からはお荷物あつかいされ三界に身の置き所のない「老人」と、世知辛い親の世代が大嫌いで でも同級生との「なんでも一緒」という生き方にも馴染めず世界に違和感を感じている「女子高生」…という2つの孤独な魂の「逢瀬」をキレイにまとめてみせた。撮影は「失楽園」「アナザヘヴン」の名手・高瀬比呂志。とりあえず(いつの間にかお姉ちゃんよりずっと美人に成長してた)前田亜季ちゃん(まだ高校1年生)を眺めてるだけでもフォッフォッフォッ白髭の老人のような幸せな気持ちになれるので男性諸氏にお勧め。 前田亜季の離婚した親父(倒産目前の町工場経営)に扮した山田辰夫がひさびさに演り甲斐のある役で嬉しい。河原のホームレス老人に青木富夫。 しかし山崎努がやたらビールを飲んでるのはギャグなのか?

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告別(大林宣彦)[ビデオ上映]

BS-i/国際放映 製作 原作:赤川次郎 脚本:石森史朗&大林宣彦 撮影:稲垣桶三
峰岸徹|清水美砂 裕木奈江 勝野雅奈恵|津島恵子 小林桂樹
本篇の主人公は、山間の地方都市で家庭用ソーラーシステムのセールスをしているくたびれた中年男。その日も契約ゼロで、山ひとつ隣りの町まで足を伸ばそうとして迷い込んだ山中で古びた電話ボックスを見つける。クリーム色の外壁で、電話は青緑色。傍らには昭和44年(1969年)発行のボロボロの電話帳。懐かしさに駆られて10円玉を放りこみダイアルするのも もどかしく、男の耳に聞こえて来たのは、高校時代の親友の若々しい声。そう、その電話はボックスは30年前の「あの日」と繋がっていたのだった…。 ● 大林宣彦お得意のノスタルジア・ドラマである。話が「オーロラの彼方に」のパクリっぽいが原作は赤川次郎の10年前の短篇だそうだから偶然の符号だろう。長野県上田市でオール・ロケーション。一人称による感傷ベタベタのナレーション(「ぼくは高校生だった。きみはサチ。幸せの一文字だ」とか) バックにはもちろん(學草太郎こと)大林宣彦みずから演奏する感傷的なピアノ曲が高鳴る。今回もまた思いっきり自分に酔っちゃってる宣彦ちゃんだが、不器用な役者である峰岸徹を主演に据えたことでだいぶん臭みが抜けている(峰岸徹が学生服 着て出てきたりはしないので御安心を) 想い出のヒロインに“大林組専属”の勝野雅奈恵。 その厳父に小林桂樹。 親友の母に津島恵子。 主人公の妻に清水美砂。 職場の事務員に裕木奈江。脚本にはそう書かれてないんだが、この人が演じると「誰にでも気のある素振りを見せる性質の悪い独身女」に見えてしまうのが凄いっちゃ凄い。 ● 宣彦ちゃんたら[近頃はフィルムの撮影でもモニターを見ながら、というのが流行りのようだが、ぼくはあれが嫌で役者は肉眼で見ていたい。だからこの「告別」でも現場でのモニターを禁止。撮影も照明もファインダーとメーター頼りだったから、型破りのようだがハイビジョンの画面に黒を基調とした陰影が出せ、撮影監督協会の撮影賞を貰った]とチラシで自慢してるが、やたらと白い部分の黄浮きが目立ったり、今回の3作品で黒がいちばん甘かった(=黒い部分が寝惚けたグレーに見える)のは「告別」だったぞ。

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