「A.I.」についての補足ネタバレ

この映画、SF方面からはとても評判が悪いようなので、おれがなにを指して「あざやかなSF的詩情」などと言ってるのか、もうすこし補足しておく(映画のラストについて触れているので未見の人は読まないよーに)

この映画の主人公である少年型ロボットは最新型のプロトタイプで(その時点では)世界に1体しかないユニーク(=唯一無比)な存在である。第1部で、かれは“失われた”息子の代用物としてモニカとヘンリーの夫婦に貸与され「母親」の愛情を独り占めにするユニークでスペシャルな存在となる。だが失われたはずの息子が帰還し、かれの家庭内におけるユニークでスペシャルな地位はあっけなく奪われてしまう。不要品となり捨てられたかれは、第2部で地獄巡りにも似た冒険の旅に出るが、そこでもかれの支えとなっているのは「自分はユニークでスペシャルな他のガラクタロボットとは違う存在なのだ」という自負である。だが、第3部で自分もまた大量生産型ロボットの最初の1体に過ぎず“ユニークな”存在ではありえないのだという残酷な真実を知る。…そして2,000年の時が流れる。かれはそこで再び「ユニークな存在」となる。なぜなら地球上の他の存在がすべて死に絶えたから。かれは今やこの世に1人だけなのである。ラストシーンでかれは甘美な夢を見る。「未来世紀ブラジル」のサム・ラウリーがそうであったように。だが、それは「一日だけの夢」だ。かれはその夢に終わりが来ることを知っている。その想い出を糧として、その後にやってくる「永遠の孤独」を生きていくには、あまりにも短い夢。あたたかい母親のぬくもり。幼い頃の幸福な記憶。…それは「ブレードランナー」のロイ・バッティが(空洞の)心の底から欲してついに得ることが出来なかったものだ。人類の記憶をそのメモリーチップに閉じ込めて、デイビッドはついに人間になれたのかもしれない・・・喜びや悲しみを分かち合う相手の誰ひとりいない死の惑星で。



キューブリックによる「A.I.」原案ネタバレ

スタンリー・キューブリックが書いた80ページのスクリプトを掲載しているサイト(http://www.guerilla-film.com/ai/scriptment.htm)を見つけたので翻訳しておく(ただし真偽のほどは不明

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荒廃した未来のNY。地球温暖化の影響によりNYもまた(他の大都市と同様に)水没した。人口は爆発し、人々は「各家庭1人」という産児制限を受けていた。デイビッドは「感情」を持つように設計された新世代ロボットの1つである。これらのロボットは「両親」のみに対して愛情を持つようにプログラムされていた。子どもを持つことが出来ない夫婦の空虚感を埋めるための商品であったから。

デイビッドはスウィントン夫妻に“もらわれて”くる。夫妻のひとり娘が病気になり、治療法が発見されるまで冷凍睡眠されることになったからである。モニカ・スウィントンはこの少年型ロボットを愛そうとつとめるが、体温の温もりを持たぬ機械をどうしても愛することが出来ず、その虚しさからアルコール中毒へと逃避する。デイビッドは「お母さん」であるモニカから拒否されたことをすぐさま感じとり「苦悩」する。少しでも愛されようと「お母さん」にお酒を作って持って行ったりするが、余計に嫌われるばかりであった(映画のこの部分では、デイビッドの母親がエモーショナルな中心人物である)

何年かして、治療法が発見され、スウィントン夫妻のひとり娘は完全治癒して家に戻ってくる。本物の子どもが帰って来た以上、デイビッドは「不用品」である。悲しい別れ。モニカはドアを開けてデイビッドに出ていくように命令する。本物の子どもになれたら戻ってきても良い…と(キューブリックがこの作品を「ピノキオ」と称していた由縁である)

デイビッドは水没したマンハッタンに辿りつく。そこでジゴロ・ジョーと出会う ジョーもまた感情を持ったロボットであり、身体を変形させられる新型であった。ジョーはデイビッドの旅の水先案内人となる(「ピノキオ」的に言えば「青い妖精」の役割である) 2人はティン・シティ(ブリキの街)を見つける。そこはロボットが“死ぬまで”働かされる強制収容所のような場所で、ジョーの身体変形機能は危険と見做され、剥奪されてしまう。

デイビッドもまた捕らえられバッテリーが切れるまで働かされる。力尽きて停止するデイビッド。しかし街の支配者にとってロボットは消耗品であり、デイビッドはそのまま捨て置かれる。・・・ここで数千年が経過する・・・人類はとうの昔に死滅し、新たな地球の支配者となった者たち=ロボットのメモリーチップにわずかに残る記憶でしかない。かつて「ティン・シティ」と呼ばれていた場所を発掘していたロボットたちはデイビッドを発見する。バッテリーが交換されデイビッドは生き返る。ロボットたちにとってデイビッドは失われた過去との貴重なリンクなのだった。

ロボットたちのテクノロジーとデイビッドのメモリーチップに残るデータによって、かつてのNYのスウィントン夫妻のアパートメントが再現される。しかしこのヴィジョンはデイビッドの記憶に基づいているため…もっと言えば、デイビッドが「こうあって欲しい」と願った通りに“再現”されているため、デイビッドにとってあまり重要な存在ではなかった「お父さん」などは、顔が薄ぼんやりとして判然としない。ひとり娘の部屋に至ってはただの壁の空虚でしかない。これはデイビッドの幸福像に沿って作られたヴィジョンなのである。

エンディングは2通りある。最初のバージョン:アパートメントの椅子にお母さんが座っている。こちらに背中を向けて。デイビッドはブラディ・マリーを作って愛するお母さんのところにグラスを持っていく。…顔には満面の笑みを浮かべて。

よりダークな2番目のエンディング:技術の限界ゆえにデイビッドのファンタジーを維持することが出来ず、少年はお母さんが眼前で“消えていく”のを為す術もなく見守るしかない…。


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