韓国編

Chapter.5 Nightmare 〜悪夢〜

1999年10月24日(月)

 最初に目が覚めたのは深夜1時頃だっただろうか。
 突如強烈な吐き気に襲われ、トイレへと駆け込んだ。
 しかし、食べ物はほとんど消化されており、吐いても出てくるのは胃液だけ。
 ここにきて、焼酎のがぶ飲みが原因と思われる酒酔いに襲われたのである。
 床に座り込み、脂汗を流しながら、荒い息を吐く。時折くる急激な吐き気との戦いであった。20分ほどそこで苦しんだであろうか、ようやく立ち上がれるところまで回復した。だからと言って油断をしてはいけない。こういうものは波があるものだ。私はあらかじめ買っておいたミネラルウォーターをがぶ飲みし、ベッドへと戻った。これはまた吐き気が襲ってきた時の対処法である。そして10分後、予想通り再び吐気に襲われ、同じ事を繰り返す。一体それを何回繰り返しただろう。ようやく吐気が治まった時には、時計の針は3時を回っていた。

 10時起床。
 吐き気はないが、かなり胃の辺りがムカムカしている。
 せっかく食事を楽しみに来たのにこの有り様だ。あまりの情けなさに薄ら笑いすら浮かんでくる。
 ともかく、重い頭と体を動かし、外出の準備を始める。なんにせよ朝食をどうするかだ。いくら腹の調子が悪いと言っても当初の目的は完遂せねばならない。パラパラと雑誌をめくり、何かないかと目を走らせる。
 その時ある一軒の店が目にとまった。「ソゴン・チュクチプ」というお粥の専門店だ。うん、お粥ならば胃にも優しいであろう。取り合えず朝食は決まった。出かけの準備もそこそこに私はホテルを出た。

 今日は月曜日。
 昨日とはうって変わって、地下の商店も開店準備を始めている。
 サラリーマンらしき姿の人も見える。この辺りは日本も韓国も大差はない。
 昨日歩いた道を通り、中央郵便局前に出てきた。
 ここで私はちょっと寄道をすることとした。記念切手を購入しようと思ったのだ。実はヨーロッパ旅行の際にも記念切手を購入している。
 私が思うに、切手は一番安く手に入るその国の芸術品である。その中でも記念切手はその国独特の文化を映す鏡だと思うのだ。
 重いガラス扉を通り抜け、構内へと入る。
 中は中央郵便局と言うだけあってかなり広い。L字型のカウンターには20近い窓口が並んでいる。ここで私は困ってしまった。窓口に書かれている言葉は当然ハングル文字なのである。全く読めないのだ。おまけに外国語らしき言葉は一切見当たらない。日本語どころか英語すらないのだ。これではどこに行ったらいいものか。客らしき人間はたくさんいるが、日本人の姿も全くない。ちょっと途方にくれながら辺りをきょろきょろと見渡す。かなり挙動不審な男である。そこで幸いにも、窓口から少々離れたところに今年発行された記念切手の一覧と思われるポスターを発見した。さらに、天井に近いところに英語らしき言葉で書かれている案内板も発見。ただ、かなり高いので近眼の私には読みづらい。大きく口を開けて、天井方面を眺める私。挙動不審を通りこしてかなり危ない人間と思われているかもしれない。しかし、その時の私にはそんなことを考える余裕などはなかった。
 何とか案内板を読み終え、切手を取り扱っている窓口がどこかを確認。ちょうど記念切手のポスターから一番近い窓口であった。L字の角の部分である。窓口へと一歩一歩近づいて行く。変な緊張感が体を包む。カウンターへと両手をのせ、体を少々前へとのり出す。窓口の女性が私に気付き、顔を上げた。
「ア、アニョンハセヨ」
「アニョハセヨ」
 挨拶は成功だ。いよいよここからが勝負だ。
「あ、あの、き、切手を……」
 女性は小首を傾げる。やはり日本語では通じないか。じゃあこれならどうだ。
「I want a stamp」
 やはり女性の首は傾いたままだ。英語でもダメか。かなりの動揺が私の身体を走る。その時思わぬところから助け船が出た。
「Stamp?」
 隣で別の客を相手していた女性が英語で聞き返してくれたのだ。
「Yes! I want a special stamp」
 スペシャルスタンプという単語が正しいのかは分からない。気付いた時には口から出ていたのだ。
「Upstairs」
 アップステアーズ?あぁ、上の階か。
 よくよく話を聞くと、どうやら5階にあるそうだ。
 韓国語で礼を述べ、2階へと続くエスカレーターへと飛び乗った。
 そういえば、パリの郵便局でも記念切手は2階で販売していた。同じような仕組みなのであろう。
 エスカレーターを降り、今度は2階から3階へと向かう。
 おや?エスカレーターが止まっている。
 このまま上に行ってもいいのだろうか。しかし、販売は5階だと言われている。まあいいや。止まっているエスカレータを上る。3階以上は普通の階段だ。4階は郵便博物館となっているようであり、小学生らしき子供が多数たむろしている。一斉に見つめられて少々びびる。やがて、息を切らせながらも5階へとたどり着いた。
 パリの時と同じようだ。何枚もの回転式のパネルにたくさんの記念切手が掲示されている。切手のそばには番号がふられており、近くのテーブルに置いてある用紙に希望の番号を書き込むタイプだ。しかし、筆記用具がないではないか。ボールペンを連れに借りて、さっそく吟味開始。5分ほど悩み、3種類の記念切手を購入することとした。いかにも韓国っぽいデザインのものであり、結構気に入っている。といっても、文章ではよく分からないか。
 悪戦苦闘した郵便局を後にして、一路向かうは粥専門店。
 地図は頭に入っている。途中までは昨日も通った道だ。迷うはずがない。私は自信があった。そして、20分後。…………迷った。予想通りのオチで恥ずかしい限りだが、あるべき場所に目当ての店がないのだ。通りが違うのかと、ジグザクに歩くがやはり見当たらない。最終的に最初の場所へと戻って来てしまい、途方に暮れた目線の先に目当ての店の看板があった。えてしてそんなものだとは分かっていても、やはり納得がいかない。昨日の酔いと空腹でしっちゃかめっちゃかになっている腹をさすりながら、硝子戸を開けた。 店内はこじんまりとしている。
 既に2組の客が何やら談笑しながら食事をしていたが、聞こえる言葉はどちらも日本語である。どうやら、ここは日本人観光客の利用の方が多いようだ。たった一目でこの判断である。我ながら見事な憶測である。
 ともかく、入口に一番近い座席へと座り前もって考えておいたメニューを告げる。ちなみにそれはアワビのお粥である。腹の調子が悪いとか言っておきながらアワビであるから、私の腹も現金なものだ。
 一体何のお茶なのか、得体の知れない液体を飲みながら料理が運ばれてくるのを待つ。その間に今後の予定を考えてみることにした。ともかくは腹を減らさなくてはならない。となると、やはり歩いた方がいいのだろう。しかし、せっかく韓国まで来たのだから一度地下鉄なんぞにも乗ってみたい。そこで、まず最寄りの駅から地下鉄を使い、・・・まで移動、軽く観光をして、そこからは徒歩で行動することとした。ちなみに既に今日の昼食のメニューは決まっている。朝食を食べる前から何を考えているのだ、私は。
 そんなこんなしているうちにお目当ての料理が運ばれて来た。ここでも御多分に漏れず、キムチやもやしなどの添え物がサービスとして出て来ている。とりあえずキムチを食べたが、あまりのニンニクのきつさに二口目とまではいかなかった。一応腹の調子は悪いようだ。
 お粥はかなり熱い。ハフハフ言いつつ、胃へと送り込んで行く。味は胡麻油がよく効いており、なかなか美味。かなり小さく切られたアワビがアクセントとなって、触感も楽しい。そのアワビは小さいながらもきちんと味まで主張しているのが嬉しい。ほとんど話しもせずに一気に完食。余は満足である。ちなみに料金は9000ウォン。日本に比べればちょっと高いが、それを感じさせない旨さであった。

 とりあえず満腹となった腹をさすりながら、私は地下鉄の駅へと歩き始めた。

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