韓国編

Chapter.6 Sightseeing 〜観光〜

1999年10月24日(月)

 朝食をとった店から歩いて約10分。
 一番最寄りの地下鉄の駅、市庁駅へと到着。
 韓国の地下鉄のシステムは実に分かりやすい。切符はソウル市内であれば、ほぼ全て500ウォンの切符で行ける。改札さえ出なければ乗り換えも自由だ。また、路線は全部で8路線あるのだが、それぞれが全て色で分かれており、その色だけを頼りにしていれば目的の路線に乗ることができる。まあ、日本で言うなら山手線は緑で中央線がオレンジといった感じだ。駅の判断もしやすくなっている。どの駅名も舌を噛みそうなぐらいややこしい名前だが、全て数字がふられている。つまり目的の駅名ではなく、番号を覚えておけばいいということである。これなら初めて乗る外国人でも大丈夫というわけだ。ただ一つの例外を除いてだ。その例外については後で書くこととする。
 さて、切符を買い、自動改札を抜け、ホームへと向かう。やがて地下鉄がやって来て乗り込む。何の問題もない。今回の目的地である景福宮駅に行くには一度乗り換えをしなければならない。このようにわざと障害を増やすあたりに、私の冒険魂がお分かり頂けることだろう。何を言っておるのだ、私は。
 話を戻す。ともかく、東京なんかで乗る地下鉄と全く感覚は同じだ。違うのは中吊り広告が韓国語なのと、乗っている人間が韓国人なのと、店内で物売りが始まることぐらいだ。この一番最後のだが、韓国ではポピュラーなものらしい。物売りは普通に地下鉄へと乗り込んで来て、車内で大声で商品の説明を始める。一通りの説明が終わると商品を抱えながら、車内を回るのだ。私としては売るのは一向に構わないのだが、説明がうるさくて耳障りであった。
 市庁駅から2つ、乙支路3街駅で乗り換えのため下車。2号線から3号線への乗り換えとなるのだが、ただ単に緑のラインからオレンジのラインに目印を変えてやるだけのことである。冒険魂もへったくれもありゃしない。ということで、何の問題もなく目的地である景福宮駅へと到着。
 ここはその名の通り景福宮がある場所である。簡単に説明すると、ここは1395年に建造。壬申の乱で本殿が全焼。その後不吉な王宮であるとされ、約300年にわたり放置。1865年に修復工事が開始。1868年に再び王宮となるが、1910年日韓併合により、200余りの殿閣が破壊される。という、波乱万丈の人生を送った王宮である。
 地下鉄の駅から地下通路を通り地上に出るとちょうどそこは公園のように開けている。どうやら、目的地に着いたらしい。しかし、そこには忌々しい看板があったのだ!!
 何と、工事中である。中に入れないのである。仕方がないので、その辺りで数枚の写真を撮る。それにしても、なぜに私はこんなにも工事中の現場に出くわすのであろうか。何か悪いものに憑かれているのかもしれない。この辺りの詳細はヨーロッパ旅行気を読んでもらいたい。にしても、なぜかやたらと景福宮に着いてから警察官のパトロールが多い。パトロールは二人一組で行われているらしく、同じ格好をした二人組と5分おきにすれ違うのだ。こうも立て続けにすれ違うのもいい気分ではないな。かといって決して私がやましいことをしているわけではないので勘違いのないように。
 次に私は曹溪寺(チョゲサ)へと向かう。ここはかなり古くからある寺らしく、ソウルの人のほとんどが初詣に行く場所なのだそうだ。少々時期は早いが、軽く願い事でもしていくこととしよう。
 地図に従い進んで行く。道はやがて裏道へと続く。何となく、寂しくなって来た。そして、目的地。…………もう何も言いたくはない。門は見ることが出来たとだけ言っておこう。傷心を抱えて、私はまた歩き始めた。
 次の目的地は仁寺洞(インサドン)だ。ここは民芸品が売られている通りだ。何かしら土産になるようなものでもあればという気持ちで覗いてみることとした。まあ、曹溪寺からすぐのところにあったからというのも理由であるが。
 やたらゴツゴツとした車道とやたら狭い歩道が印象的な仁寺洞は、観光地なんかによくある土産物店通りのようだった。陶磁器、絵画、古書といった個人的に全く興味がないものからキーホルダー、置物といった土産物の定番まで色々な店が軒を連ねている。しかし、私の食指を動かすものは全くなく、ただ通りを先へと歩むのみ。いったい私は何しに来てるんだ。だから、食べるためだよ。
 仁寺洞を抜けて、再び景福宮の見える大通りへと出て来た。ここでさすがにお腹が減り出す。時計は2時を回っていた。しかし、どういうわけかこの辺りにはあまり飲食店が多くない。しかも、私は昼に参鶏湯(サムゲタン)を食べたいのだ。
 ベンチへと腰掛け、本を開く。探すこと数分。参鶏湯を扱っているのはほとんどが専門店であり、その数も少ないことが判明。今いるところの近くにも1軒あるが、来た道をかなり引き返さなければならない。一応、目で見る観光も合わせて行っているので、戻るというのはちょっとお気に召さないのである。となると他にこの辺りに店はない。どうしても食べるとなると明洞まで戻ることになる。まあいい。もう少し観光をして戻ることにすればいいだろう。私は再び歩き始めた。
 次は昌景宮へと向かう。向かうと言っても、実際に中に入るわけではない。あくまでお腹を減らすことが重要なのである。って、もうかなり減ってきてはいるのだが。
 歩くこと5分。大きなT字路にその門はあった。完全に閉じられているこの門こそ昌景宮の門の一つ。ただ、ここからでは中に入ることができない。どうしても中に入りたければ、さらに10分ほど奥へ向かって歩かなければならない。行き倒れになる可能性が0だと言い切れなかった私はそのままその前を通り過ぎ、逆の方向へと歩みを進めた。
 その通りは対向2車線程度のよくある道。通りには飲食店らしき建物も見えるが、客はほとんど見えず、従業員らしき人達がテレビを見ながら食事をしている姿が見えた。鼻腔をくすぐる匂いは、腹の虫の暴れを増幅させてゆく。しかし、朝から続くムカムカ感も完全に消え去ったわけではなく、空腹とムカツキの時間無制限1本勝負のリング上はかなり混沌としているのであった。
 この通りの近くにはもう一つ宗廟(ジョンミョ)という古宮があるので、そちらも一応覗いていくこととする。ここは世界文化遺産にもなっているかなり由緒正しき美しい建物であるらしい。しかし、何度も言うようであるが、今の私には食えない世界文化遺産よりも食える参鶏湯の方が重要なのである。
 ちょうど正面にあたるであろう門の前はちょっとした広場になっていて、昼過ぎの穏やかな時間帯ということもあってか、色々な人がくつろいでいる。私もそばの花壇の端に腰掛け一息ついた。ひとまず、ここまでで観光スポットらしきものは一通り回ったことになる。あとは、最寄の地下鉄から明洞をめざし、麗しの参鶏湯を食するだけである。
 休憩もそこそこに再び歩き出す。広場を抜けるとまた大きな道路にぶつかる。周りには近代的なビルが立ち並び、後ろの古宮とのアンバランスなコントラストが印象的だ。ふと、周りを見回すといたるところで人だかりができている。一体何事かと、野次馬根性を剥き出しにして人だかりの隙間から中を覗き込む。そこに見えたのは実演販売の姿。皆さんも見たことあるでしょう。テレビショッピングや秋葉原駅前なんかで。あれです。実に口のうまそうなおじちゃんが、売りたい商品の良さを次々と披露していく。ただ、その売りたい商品が一体難なのかさっぱり分からなかったので、欲しい!という衝動は全く駆られること無く通りすぎることができたのでありました。
 そこから歩くこと約5分。目的の地下鉄の駅、鍾路3街駅に到着。ここから目的地である明洞には先ほどと同じように1回乗換えをしなくてはならない。しかし、既に地下鉄経験者である私に死角などはないのだ。まあ、そういう風に油断している時に限って何かが起こるものなのだが。
 地下鉄はやがて乙支路3街駅へと到着。ここで3号線から2号線への乗り換えが発生する。色で言えばオレンジから緑への乗り換えだ。私はスムーズに乗り換えの流れに乗り、すんなりと2号線のホームへとたどり着く。やはり楽勝であった。そこに電車が滑り込んでくる。この時、私は何とも言えない違和感に襲われた。何となく、この電車に乗ってはいけないそう感じたのだ。やがて電車はゆっくりと走り出し、暗いトンネルの彼方へと消えていく。ここで、私は地下鉄の向かっていった方向に書いてある駅名を見てみる。しかし、これはハングル文字で読取ることができない。そこで、路線図と照らし合わせてみてみる。やはりそうであった。このホームは反対方向へのホームである。つまり、私が乗らなければいけないのは線路を挟んで向こう側にあるホームなのだ。自分の動物的勘ともいえる冴えに口元をほころばせながら私はいまし方降りてきた階段を再び上っていった。
 ここで、私は先程の笑みもどこかへ吹き飛ぶこととなる。見事に迷ってしまったのだ。ここでの案内は全てハングル文字のためさっぱり分からない。どれくらいの時間、さまよったかは定かではないが、少なくとも階段を5、6回上り降りしたのは間違いない。それも同じホームへと出る階段を。
 そんなアクシデントもあったが、やがて目的の地下鉄へと乗り、無事乙支路入口駅へと到着。ここは明洞の繁華街に一番近い駅だ。ここから目的の店である百済参鶏湯までは歩いて5分ほど。時計は既に3時を回っている。やや足早に目的地へと向かった。

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