ACT.90 いつもの車窓から (2000.10.25)

 あなたは電車に乗るときどの車両に乗るだろうか?
 ほとんどの方は決まっていないと答えられるだろう。
 そりゃそうだ。私だってそんなのは決めていない。
 しかし、乗るのが好きな車両は存在する。
 それは最後尾の車両である。

 私が今の勤務先から帰るときには必ず最後尾に乗っている。
 その一番の理由は、降りる駅の改札口に一番近いのが最後尾であるからなのだが、もう1つの理由がある。
 それは最後尾の窓から流れる景色が好きなのだ。
 当然これは車両の横についている窓を流れる景色のことを言っているのではない。
 車両の一番後ろ、つまり車掌さんがいる場所についている窓のことである。
 ちょうど車両の真中に立って景色を眺めると、線路の中心と自分の位置がきれいに重なって、自分の目線の先の一番奥へと景色が収縮していくように見ることができる。
 これは夜に見る方が格段にいい。
 それはまるでブラックホールからの脱出を図っている銀河鉄道のような……

 ただ、この景色に気づいたのは本当につい最近のことであった。
 基本的に私はかなり眠いか、かなり疲れているときにしか座席に座ることはない。まあ、さすがに車両内にほとんど人がいなくて、立っている方がおかしいような状況は除くが。
 で、立っている間は、文庫本を読んでいるか、音楽を聴いていることが多い。つまり、だいたい意識は別の場所に向いているというわけだ。だから、窓の外の景色を眺めるだなんて、旅行をしているときか、着いた駅がどこなのか調べるときぐらいである。
 しかし、会社帰り時の電車は言うまでもなくものすごく混んでいる。ひどい時は本どころか、身動きすらとれない。そんな状態であるから、普段のように意識を別の場所へと移すことが難しくなる。となると、目線はどこへ移せばいいのか?
 一番良くある方法は、車両内の広告などを読むというものだ。しかし、自分の視覚に入る広告量など高が知れている。特に物を読むことに慣れている私は、ものの数分しか持たない。
 次なる方法は目をつぶるというものだ。しかし、これはあまり気が進まない。なぜかとたずねられると困るのだが、寝ているならともかく、ただ目をつぶるという行為は、そのまま空想の世界へ出かけてしまいそうで、現実の世界に戻れなくなってしまうのだ。なんて書いたらただの危ない人ではないか。実際の私は目をつぶって空想することはないので、あしからず。話がずれたが、まあ嫌なものは嫌だということだ。
 仕方なく私は窓の外へと目線を向けるようになった。わざわざ文として起こすほどのものでもない。よくある流れだ。
 最初は普通に車両の横についている窓から景色を眺めていた。しかし、闇に包まれ始めた窓の外の景色は、想像していたよりも単調で、意外と早く飽きがきてしまう。それでも、他に見るものがないから、仕方なく目線は窓へと向けたままでいた。やがて徐々に乗客が減り始め、ふと列車の最後部に目が行った。そこには車掌室があり、中の様子もよく見える。2回しかしたことはないが、某電車運転ゲームの経験もある。窓からの景色に完全に飽きていた私は新たな暇つぶしの材料として運転室の様子を眺めることにしたのだ。
 最後部といえども、ちゃんと運転するためのものは準備されている。当たり前のことだ。しかし、例え運転に使われていなくても、速度計と圧力計はリンクされているらしく、今この電車が時速何キロで走っているのか、いつどれぐらいの強さのブレーキをかけたかはちゃんとメーターという形で表示されている。その動きにまず、意識が移る。しかし、その程度のものであれば、簡単に飽きてしまう。
 で、次に車掌が行うアナウンスやドアの開閉などを見始める。そうすると、ドアの開閉ボタンは箱の上下部分についていて、開けるときが下のボタン、閉めるときには上のボタンを使うんだなぁとか、閉めたドアを改めて開けるときには再始動ボタンという別のボタンを使うんだなぁとか、運行の目安となる到着時間などの調整は大きないくつかの駅で確認するだけなんだなぁとか、やっぱし駅の順番はきちんと頭に入っているんだなぁとか、行き交う別の電車の車掌さんに手を挙げて挨拶する車掌さんもいるんだけど、それは大型トラックの運転手さんがやるのと同じ意味なのかなぁだとか、色々と分かったり考えることが出来たりするので、なかなか面白いのだが、たまにその車掌さんなんかと目が合ってしまったりすると妙に気まずい気分になってしまったりするので、マジマジと凝視することは出来なかったりする。ちなみにそれは車掌さんがアナウンスで噛んでしまった後だったりするとますます気まずくなるので注意が必要だ。
 ともかく、結果的に最後部の窓から眺める景色を見ることに落ち着いたわけだ。

 そんなある日。いつものように後ろへ後ろへと流れていく景色をぼんやりと眺めていたところ、視界の右下のほうで、たくさんの白い紙が風に舞って飛んでいく様子が見えた。
 私はそれを見て、「あぁ、まるで誰かがたくさんの書類を落としたところに突風が吹いたようだな」などと、ドラマでしか見たことのない風景にダブらせて、バラバラと飛んでいく紙を見つめていたのだが、どうやらそれは本当にホームから書類を落としたところに電車の動きで風が起きたのが原因であったらしく、慌ててホームへと飛び降り、書類をかき集めるサラリーマンの姿が暗い風景の中に小さく見えた。その様子に気づいたのはどうやら私と車掌さんだけであったらしく、2人してそのサラリーマンの姿が見えなくなるまで同じ所をじーっと眺めていた。で、やっぱりその後、その車掌さんと目が合ったのだが、その時ばかりはお互いに気まずくなることもなく、その車掌さんと妙な親近感を覚えたりしたのだった。
 え?オチ?
 多分、サラリーマンの書類と一緒に飛んでいったのよ。多分。

ACT.89←  TOP  →ACT.91