ACT.83 禁煙という流行 (2000.06.04)

 私はここで何度も書いているとおり、根っからの嫌煙家である。だからといって、これも何度か書いているとおり、私は喫煙者を攻めるようなことはしないし、考えていない。煙草という物が世間に広く流通している以上、個人の嗜好だけで、他人の嗜好にまで口を出す権限はないと思うからだ。ただ、喫煙者も嫌煙者もお互いのテリトリーに侵入しないよう気をつけることは大事だと思う。
 なのに、今日(これを書いている時点での話なので、実際には5月31日)は世界禁煙デーであったらしい。いつの間にこんな日ができたのだろう。こんな勝手な日を作っていいのだろうか、それも世界規模で。
 何せ禁煙デーなのだ。誰も煙草は吸ってはいけないのだ。禁煙と明言している以上は。まあ、実際にそれを守った人など皆無だと思うが、なんて言うと煙草を吸ったことが悪いかのようだが別にそんなつもりはないので深読みしないように、一応そんな日ができているということである。それを流していたニュース番組ではまんま煙草の姿をしたキャラクターが禁煙を呼びかけるビラを配っていた。これまたおかしな話だ。そもそも吸われるために生まれてきた煙草がなぜ吸われないようにキャンペーンをしなければならないのだ。これは言い換えれば自動車が自動車に乗るなとキャンペーンしたり、アメリカ人が英語を使うなとキャンペーンしたり、アダルトビデオがいやらしい目で見ないでとキャンペーンするような物だ。なんと意味のない!特に最後のは男の性としてどうしようもないものではないか。お願いだからそんなキャンペーンはしないでほしい。当然、本も最近流行のDVDもだ。って、そんな話がメインじゃなくて、煙草の話だ。
 そんな世界禁煙デーだが、京都ではそれに合わせて禁煙にピッタリくる造語のコンクールがあったようだ。それでグランプリを受賞したのは「卒煙」。そつえんと読むそうだ。まあ、読んで字のごとく、煙草を卒業するとういう意味があるのだそうだ。って説明されんでもそれぐらい分かるわ!ともかく、この造語も変な話だ。そもそも「卒業」という言葉には規定の学業を無事終えるという意味があるが、「卒」という字にはそんな大層な意味はない。ただ単に終わるという意味しか持っていない。つまり本当の「卒業」の意味は小学校や中学校といった学校生活が終わるという意味でしかないのだ。「卒煙」という言葉には喫煙ということをただ終わるだけではなく、貴重な経験を得たという意味を持たせたいところだろうが、ただ単に煙草を吸うのを止めたという意味しか持たせようがない。これで喫煙者の方は納得がいくのだろうか?もし、私が喫煙者であったなら納得がいかない。その辺りをコンテストの審査員は考えていたのだろうかと思う。多分語呂だけで選んだような気がするのだ。単なる、話題稼ぎ程度のコンテストならその開催自体を考えてほしいものだ。
 あと煙草に関することでは、イギリスのとある会社は喫煙者に毎日30分の無条件残業を命じたそうだ。というのは、喫煙者はつい一服と言いながら煙草を吸う。これはそのまま仕事をさぼっていることと同じであるという理論らしい。しかもご苦労なことに、この一服時間を計算すると年間で約2週間にもなるという。で、それを日割りすると1日当たり30分の残業という結果が導き出されるそうだ。そんな計算をしている方がよっぽど仕事をさぼっているような気がするが、そうか、年間を通すとそんなに喫煙者は休憩を取っているのか。このような結果だけを見せられると、喫煙者はちょっと得だなとか考えてしまう。まあ、実際のところはその働いていない分だけ煙草代で飛んでいっていると考えればイーブンなのだろうと思う。その辺のところも考えてあげなきゃイギリスも。
 このように、ただでさえその名の通り、煙たがられている煙草だが、決してなくなることはないだろう。たとえ将来、煙草が発禁処分となって、喫煙が違法になっても。
 そのあたりは麻薬やアダルト商品と同じもの。政府が必死になって禁止をしても、同じ大人である消費者はありとあらゆる手を使って手に入れることができる。同じ人間同士がイエスだノーだと言っている以上、この勝負に決着は一生つかないのだ。だから、煙草を吸うことによって体に害があるかもしれないし、世間の流れという存在を無視できないのも分かるが、国が専売公社という名目で日本中にばらまいた以上、無碍に煙草は悪だと決めつけるのはいかがなものだろうか。
 煙草を全く吸わない私は最近の風潮にそう感じている。
 だからといって、わざわざ私の方に向かって煙草の煙を吐き出すのだけはやめてくれって。吐き出される煙草の煙も発ガン性があるって発表されたじゃないかよ!

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