ACT.82 失われた時間 (2000.05.21)

 アルバイトへと出かける1日の朝は早い。
 前に勤務していた会社へ出勤するよりも早い。
 朝早く起きることが苦手、と言うかへたくそな私にはキツイ日々だ。
 しかし、どういうわけか今のところ全く遅刻の気配もなく、始業時間の15分前以上には仕事場に着いている。とても自分が早起きが苦手だとは我ながら思えないぐらいだ。
 そんなある日。
 唐突に目が覚めた。
 いつものように腕時計を目元に運ぶ。
 もう起きる時間だ。
 手探りで枕もとの目覚まし時計のベルを止める。
 枕もとの目覚し時計は最近全くベルが鳴っていない。鳴る前に目が覚めるのだ。
 だからそれで時間を見るようなこともしない。私の時間を知る術は風呂以外では決してはずさない腕時計だからだ。
 軽い朝食を採り、いつもの時間に家を出る。
 自転車に乗り、駅までは5分。
 いつもと同じ7時54分発の電車に乗れば、今日も始業20分前にはアルバイト先に到着する予定だ。まあ、そんなに早く着いても仕方ないので、アルバイト先のすぐ近所にあるコンビニで1冊本を立ち読みする予定だ。
 これまた予定通りに駅へと到着。切符を買い、ホームへの階段を上る。
 ちょうど登り終えたときにホームへと電車が滑りこんできた。
 これも予定通りである。
 特別乗る車両が決めてないので、適当に空いていそうな車両へと飛び乗る。
 まあ、空いていそうと言っても、朝のラッシュ時の話だ。結果的にどの車両も一歩も動けないほどの混雑になるのだが。
 何かを挟まないかと慎重にドアがしまり、電車はゆっくりと動き出す。
 その時、ホームの天井から吊り下げられた時計に目が行った。
 時計の針は8時10分を差していた。
 え?8時10分?
 慌てて、混んでいる車内の中で時計のしている左腕を動かす。
 横に立っているサラリーマンが明らかに嫌悪の表情でこちらをちらりと見た。
 そんなことを気にしている暇はない。ようやく視線の先へとやってきた腕時計を凝視する。
 時計は8時を差していた。
 その差約10分。
 乗っている電車はいつもと同じ各駅停車のものだ。
 もしかしたら駅の時計が進んでいたのか?
 頭の上にクエスチョンマークをいくつも飛ばしたままで乗り換えの駅で電車を降りる。
 しかし、その駅でも時計は腕時計よりも10分ほど進んでいる。
 そのときに私は初めて自分の腕時計が遅れていたことに気付いた。
 まあ、いつも早く家を出ているので10分ほどの遅れても遅刻をするようなことはない。ただ、コンビニで立ち読みをする時間がなくなっただけのことだ。
 PHSで時報を聞いて腕時計を直す。そして今日もいつもと同じような1日が始まった。

 仕事を終え、駅への帰り道。
 なぜ、10分だけ腕時計が遅れていたのか考えた。
 腕時計はその後遅れるようなこともなく、今も正しい時を刻んでいる。
 ここで私はあることを思い出した。
 突飛な話で恐縮だが、宇宙人にさらわれた人間には失われた時間が存在すると言う。
 確か4分だったと記憶している。もしかしたら5分だったかもしれないし、10分だったかもしれない。
 しまった。あんなに「X-FILE」見たのに、何で覚えてないんだよ。
 ともかく、4分だったということにする。
 私の場合は10分だ。ということは何か?私は2.5人の宇宙人にさらわれたと言うことなのか?しかし、部屋に突然激しい光が現れたこともないし、誰かがやってきたなんていう記憶もない。いや、記憶は消されているはずだから、そんなことを覚えているわけもないか。いや、そうとも言い切れないはずだ。
 だいたい宇宙人にさらわれた人間はほとんどさらわれた記憶を持っているではないか。もしくはUFOを見ているものだ。しかし、私にはそれがない。おまけに後頭部に金属片を埋められた後もなかった。となると、やはり宇宙人にさらわれたわけではないのか。
 も、もしかしたら、寝ている間に私の夢である時間停止でもあったのではないだろうか。私の長年の夢である時間停止の場面に実は出会えていたと言うのか!あー、なんてもったいない。その時に起きていれば、あんなことも、こんなことも、デヘヘヘヘヘ……。いかんいかん、そんなことを考えている場合じゃない。実際に時が止まっていたとしても5分じゃ大した事できないし。あんなことも、こんなことも、グヘヘヘヘ……。いや、だからそうじゃなくて、さすがにそんなことはないだろう。というよりもないと信じたい。だって、そうじゃないと悔やまれて仕方がないではないか。あんなことも、こんなことも、ゲヘヘヘヘヘ……
 このようにくだらないことを考えていると時の経つのは早いもので、あっという間に目的の駅に到着。電車を下り、自転車を置いていた場所へと向かう。でも、一体なんで時計が遅れていたのだろうか。考えてもなかなか結論には至らない。って、あれ?この辺に自転車置いてたはずなのに。もっと向こうに置いてたっけ。ない!ない!どこにもない!謎の5分間と共に私の自転車まで消えてしまった!!どういうことなんだ、一体どういうことなんだ!私の頭の中ではクエスチョンマークとハテナマークと謎謎マークが飛び交う。全部一緒じゃん!  まあ理由はわかっているんだけどね。何せ、ここは駐輪禁止の場所。運悪く撤去されてしまったのであります。ついていないときはトコトンついてないというわけですな。と、腕時計を見ると針が止まっていた。秒針は15秒を差したままピクリとも動かない。なんのことはない、電池が切れているらしい。ということは何か、5分止まっていたのも電池切れが原因なのか?うすうす感じてはいながら、実際に本当にそれが原因だというのは実に切ない気持ちになりますね。私はまだ肌寒い夜の道をとぼとぼと歩いて帰宅するのでありました。

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