ACT.67 親バカさん、いらっしゃい (2000.01.15)

 先日、愛媛で勤務している同僚と酒を飲みに行く機会があった。この人とは僕がまだアルバイト時代からのつきあいとなるので、かれこれ9年ほど付き合っていることになる。さすがに9年も経てば、時の流れを感じないわけにもいかない。
 彼も既に結婚をして、1児のパパとなっていた。
 それにしても、なぜ娘を持った父親はこれほどまでに親バカとなるのであろうか。
 この男も御多分に漏れず、ものすごい親バカである。
 本人は頑なに否定をするが、アンケートを取る時に答えが一つしか必要のないくらいの親バカである。

 私の回りに存在する親バカにはいくつかの共通点がある。
 まず一つ目に、子供を持つまでは子供に全く興味が無かったと言うこと。そして、それは自分の子供が生まれてからもあまり変わらないと言うこと。自分の子供を除いて。
 二つ目に、子供の話をする時の顔が何とも言えないしまりのない表情になっていること。
 三つ目に、自分の子供の可愛さを表現する時に、なぜか「客観的に見ても」などという言葉を言うこと。
 思い当たる節のある親バカもたくさんいるはずだ。
 ここで一つずつ、細かく説明してみよう。

 まず、子供に対する興味なのだが、もともと男で子供が好きだという存在は少ないのではないだろうか。ギャーギャーと叫び暴れる子供を見て、可愛いという感想を持つ男は皆無と言っても言い過ぎではないと思う。
 本来、男は仕事などの厳しい社会に身を置くものである。こういう社会はある意味弱肉強食。強いものが出世をし、弱いものがリストラに脅える。つまり、いつも誰かしらと戦っているわけだ。あいつは自分より優れているか劣っているか、そういう判断をしながら仕事をしていると言ってもいいに違いない。となると、やはり子供という存在は邪魔でしかない。何せ明らかに自分より知識も経験も劣っている存在なのだから、相手にする価値もないのだ。と、ここまで書いてみて我ながらものすごい決めつけた文章であることに気がついた。いつものことである。軽く聞き流すように。
 しかし、自分の子供となるとそうはいかない。やはり教育は重要だ。よって、興味をなくすわけにはいかない。親として当たり前のことであるな。
 まあともかく、そういう背景があるのだ。

 次に表情についてだが、これについては細かい説明は不要であろう。説明を書いているうちに、言葉尻がきつくなることが明確だからだ。勝手にニヤついててくれ。

 最後の箇所こそ、親バカである一番のポイントであろう。自分の子供を客観的に見ることの出来る親などいるのだろうか。絶対にいないはずだ。それが出来るという貴方は、父親ではない。早急に奥さんに本当の父親が誰だか口を割らせることが重要だ。
 父親から見て可愛いと思うなら、客観的に見ようが、遠目に見ようが、目を凝らして見ようが、羨望の眼差しで見ようが、奴隷として見ようが、ヒッチハイクの車を探すように見ようが、見たくもない婆さんのストリップを見ようが可愛く見えるのだ。いや、最後のが可愛く見えたらかなりのマニアックだ。

 まあ、かくいう私もよく親バカと言われる。といっても、私に子供はいないのでもっぱらペットの猫について言われるのだ。しかし、私は上記のどれにもあてはまらない。昔から猫に対しての興味はあったし、ペットのことを話す時にわざわざ表情を変えるようなことはしない。当然、客観的に見てもなんて言葉は絶対に使わない。これらのことから、私が実際は親バカではないということが分かってもらえることであろう。
 ペットのことで思い出したが、先日ビールのつまみにキビナゴのフライを食べていると、ペットの猫であるイチゴがもの欲しそうにこちらを見つめているのに気付いた。私は冗談で「ここまで来て、ニャーと鳴いたらやるぞ」と言った。
 すると、こともあろうにイチゴは私のそばまでやって来て「ニャー」と一鳴きしたのである。普段は滅多なことで鳴かないのにだ。
 ということで、うちのイチゴは人間の言葉を理解するという素晴らしい猫なのである。
 これは客観的に見ても、ものすごいことだと思うのだがいかがなものだろうか。

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