ACT.59 千年代に想いを寄せてみたりなんかして (1999.12.01)

 いよいよ千年代最後の一月となったようである。
 といってもそんなことを気にしてるのはマスコミぐらいなもので、私のような一般ピーポーには全く無関係だといっても過言ではないと思う。
 まあ、確かに千年という一つの区切りの場に居合わせることが出来たのはある意味幸せだと思う。あくまである意味であるが。
 ところで私達は、この千年代最後であるこの月に何をすればいいのだろうか。
 いや、特別何もする必要はないのである。普段どうり、ゴロゴロしながらスナック菓子でも食べてテレビ見てればいいのである。
 クリスマスは恋人なり家族なり鏡に映る自分となり過ごせばいいのである。
 年越しは紅白を見ながらこたつで蕎麦をすすればいいのである。
 正月は正月で近くの神社で初詣をして、大して面白くもないテレビをつけっぱなしにして寝正月を堪能すればいいのである。
 ただそれだけのことなのだ。
 なんて面白みのない人だと思われるかもしれない。
 しかし、日本中の少なくとも8割の人間はそうやって過ごすに違いない。
 違いないといったら違いない。もしかしたら7割8分ぐらいかもしれないが、その辺りを細かくいうことはない。誤差はお年玉ということにしておいてくれればいいのだから。
 そういえば、お年玉をもらわない年になって久しいが、いまだに誰かにお年玉をあげたことがないのに気付いた。うちは元々親戚づきあいをあまりしなかったのと、今は盆正月モ休みのない今の仕事を理由に全く帰郷しなかったのがその理由であろう。来年もこの作戦で行くこととしよう。
 えーと、まだそんなことをネタにするような時期ではなかった。
 まだ12月になったばかりではないか。その前にもいくらでもネタはある。
 12月といえばやはりクリスマスであろうか。
 そういえば、クリスマスという行事を祝わなくなっても久しいことに気付いた。
 クリスマスが楽しいのはプレゼントをもらえる子供時代までであった。
 それからは、単なる出費のかさむ日という扱いだ。僕の中では。
 特に彼女がいるときなんかは大変だ。
 プレゼントに何を買うかで頭を痛め、デートにどこへ連れていくかで頭を痛め、と頭を痛めっぱなしだ。まあ、数えるほどもない記憶だが、痛めた記憶だけはしっかりと残っているから始末が悪い。女の顔なんかほとんど覚えてないのに。
 ああ、こんな話はクリスマス頃にすればいいじゃないか、私よ。こんなところでネタを食い潰したら後々辛いぞ、私よ。
 12月といえば社会人にとって半年に1回のドリームマンスだ。ってカタカナで書くとなんか間抜けな雰囲気が漂ってくるから不思議だ。
 それはともかく、ボーナスが出るではないか。
 しかし、今年はやはり不景気なのかあまりい話を聞くことがない。
 それでも、出るのだから文句を言うのはいけない。謹んで受け取り、一気に使いきろうではないか。ボーナスの醍醐味。それは、普段できない無駄使いが出来ることにある、と私は考える。
 後先考えずに欲しい物を買いあさるのだ。そうすればボーナスといえども、あっという間に使いきることができる。そして、無くなってから激しく後悔をするのだ。こんなものを買うぐらいならアレを買えばよかった、と。そして次のボーナスにアレを買うことを決意するのだが、次のボーナスは次のボーナスで全く別の物を買ってしまい、同じように後悔するのだ。後はくり返しである。ああ、素晴らしき哉バカ人生!私はこんな人生死んでも歩みたくはない。ただ、書いてみたかっただけだ。
 12月といえば師走である。
 よくこの言葉は「12月は先生も走るというほど忙しいと言われますが」などと言われて使われることが多い。
 なのに、他の月がこういう喩として使われることはほとんどない。これはやはりまずいのではないだろうか。
 例えば。
「3月は弥生と言われるほどですから、昔に目を向けて温故知新の精神でいきたいものですね」
「4月は卯月と言われるほどですから、ウサギのようにニンジンを生でかじるようなワイルドさを持っていきたいものですね」
「6月は水無月と言われるほどですから、節水に気をつけ、丸一月水無しで暮らせるようなタフさを持っていきたいものですね」
「7月は文月と言われるほどですから、文章とつきあい、特に雑文と深くつきあい、他の人から後ろ指を指されても平気でいられるような心意気を持っていきたいものですね」
「9月は長月と言われるほどですから、長いものにはまかれろということで、例えそれが悪者であろうと自分が一番いとおしい、そういう気持ちでいきたいものですね」
「10月は神無月と言われるほどですから、所詮この世には神も仏もないということで、無駄な努力なんかせずに好き勝手し放題、そんな毎日をいきたいものですね」

 どんどん、間違った方向に行っている気もするがまあよかろう。
 で、一体何の話であったか。そうだそうだ、千年代最後という話であった。全くそんな話題に触れずに終わるのもまたよかろう。千年代最後であることだし。

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