ACT.49 避けらんない運命 (1999.10.10)

 ある日、私は無性に筋子が食べたくなった。
 説明するまでのこともないが、筋子というのはいくらが卵巣に入った状態のもののことである。
 こういう風に突然無性に何かが食べたくなるとう事は割とよくあることであろう。
 例えばテレビで見て、雑誌で読んで、ボーッとしてたら何となくなど、色々な刺激によって脳の何かしらの中枢神経がどうにかなるのであろう。よく分からずに書いているので説明も実に適当である。大体、ボーッとしている時に受ける刺激ってなんなんだよ。

 で、筋子が食べたくなったわけである。
 筋子が食べたくなるというのも実に久しぶりだ。高知に来てからは確か食べた記憶がないから、かれこれ2、3年振りぐらいであろうか。
 私は筋子さえあればご飯が何杯でも食べられてしまうのだ。ちなみに、納豆でも何杯も食べられるし、卵かけご飯でもいける。なら、特筆するようなことでもないじゃん。
 さて、筋子を買おうと近くのスーパーへ。ちなみにこのスーパーは私の務めている会社が経営しているものだ。だからといって愛社精神でもなんでもなくて、近所にあるし、品数もそこそこあるというのが理由だ。消費者に立ち返ればそんな愛社精神なんて関係ないし。
 うちの会社のスーパーは水産物に力を入れている。当然、筋子もあるであろう。…………ない。いくらは山ほど積んであるのに筋子が全くないのだ。一体どういうことだ。このままでは頭の中の筋子食べたい欲が満たされず体に悪い結果を及ぼすことも十分考えられる。こうなったらとことん探すしかない。私は別のスーパーへと向かった。しかし、ここにもない。仕方がないのでまた移動。またない。移動。ない。移動。ない。移動……
 結果的に無駄なガソリンとエネルギーを消費してしまい、疲労がたまるというやっぱし体に悪い結果を残して自宅へと戻って来た。
 どうして、どこにも売っていないのだ。いくらがあるのに筋子がないだなんてどういう訳なのだ。その日の夕食は仕方なく買って来たいくらで我慢することとなった。

 翌日、会社での昼休み。
 事務員さんであるTさんに聞いてみることとした。
「昨日、筋子が欲しくて色々と探したんですけどどこにも売ってなかったんですよ」
「そういえば、筋子は最近売ってないわねぇ」
「でも、いくらは山ほどあるのに筋子がないってのも変な話じゃないですか」
「そう?」
「そりゃそうでしょ」
「でも、筋子は面倒じゃない」
「面倒?」
「結果的に自分でいくら作らなきゃいけないわけだし」
「?」
「なら、はじめからいくら買っておけばいいから売ってないんじゃない?」
「ちょっと待って下さいよ。なんでわざわざいくら作んなきゃいけないんですか」
「だって、筋子からいくら作るんでしょ」
「まあ、それはそうですけど。わざわざいくらになんてする必要ないじゃないですか。いくらが食べたきゃ、いくらを買いますよ」
「いくらにしないで筋子なんてどうするの?」
「どうするも何も食べるに決まってるじゃないですか」
「食べる?筋子を?」
「そうですよ」
「どうやって?」
「ど、どうやってってご飯と一緒に食べるんじゃないですか」
「味付けは?」
「味ついてるじゃないですか」
「嘘ぉ?」

 以下、平行線の状態で話が続いていったのだが、どうやら高知では筋子自体を食べる習慣がないようなのである。まあ、Tさんにしか聞いていないから実際のところはどうかは分からないが、高知で全く手に入らない事実を見る限りそのように考えるしかない。高知人にとって筋子はあくまでいくらの材料でしかないのだ。
 筋子ごときでカルチャーショックを受けるとは夢にも思わなかった。あんなおいしいものを食べない地域があっただなんて。いくらよりも塩辛く味付けされた筋子は酒の肴としても一級品であると私は思っていたのだが、酒飲み王国では食されていないのである。実にもったいない話である。
 なんてことを思い出して書いていたら、また無性に筋子が食べたくなってしまったではないか。自分で自分の首を絞めるとはこのことを言うのであるな。勉強になるぞ。なんて悠長なことを言っている場合ではないのだ。もう私の脳の中は筋子を食べさせろ欲でいっぱいである。しかし、高知で手に入る可能性は非常に薄い。例え手に入ったとしてもそれは塩漬けなどされていない状態のものである可能性が高い。私はあのしょっぱい筋子が食べたいのだ。しかし、今から県外まで出て行く元気もない。それ以前に今は夜中である。八方塞がりではないか。筋子だけにタイトル通りこういう運命は鮭卵ないのだろうか。

ACT.48←  TOP  → ACT.50