ACT.45 運動会と私 (1999.09.29)

 週に2度ほど昼に弁当を買いに外へ出ている。
 私の仕事は基本的に外へ出ることがないので、数少ない昼の外出となる。
 今日はさほど暑くもなく、徐々にいい気候になっているのだなと肌で感じつつ弁当屋までの道を歩いていた。
 職場のすぐ近くには小学校があり、こういう時にその前を通るのだが、何やら運動場が騒がしい。足を止め騒ぎの方へと目を移すと4色の大玉が転がり、子供達がキャーキャーとはしゃいでいるのが見えた。どうやら運動会の練習のようである。よく考えれば既に9月も終わり、本格的な秋である。よく考えるほどのことでもないな。運動の秋というぐらいであるから、この学校もそろそろ運動会が開かれるのであろう。私はうんうんと肯きながら弁当屋へと歩き始めた。一体、何を肯いているのやら。散歩をしている爺さんじゃあるまいし。
 しかし、よく考えてみると私には運動会などでのいい思い出がない。私は長身である。最近は腹の回りの肉が気になり始めたが決してデブではない、と思う。こういう恵まれた体格を持っているので、大体の人は私のことを運動神経がいいと感じているようだ。大きな間違いである。私は運動が大の苦手である。まあ、今でこそスキーだ何やらと多少はスポーツにも接するようにはなったが、昔、特に小学校時代なんぞは全くスポーツと無縁の生活を送っていた。おかげで体育の成績も悪く、通知表で「2」を取った時はさすがにどうしたものかと頭を抱えたものだ。5分ぐらい。
 そんな私が運動会で活躍出来るほど世の中は甘くできてはおらず、肩身の狭い思いをしていたものだ。当然出場する種目も団体競技、それもあまり個人能力を必要としないものになった。玉入れや綱引き、地味なものばかりだ。しかし、当時は今のように目立ちたいという気持ちを微塵も持っていなかったのでそれで全然大丈夫だったのだ。
 ただ、運動会の時には避けて通れないものがあった。徒競走である。
 なぜか小学校の運動会での徒競走は全員参加であった。必ず走らなければいけないのである。全員参加といっても1度に走る人数はたかだか6、7人。1位になれば目立つが、ビリはもっと目立つ。小学校時代の私は超鈍足であった。超をわざわざつけると馬鹿っぽいが本当に遅かったのだから仕方がない。具体的な早さは伏せておくが、50mを2桁台で走っていたとだけ言っておこう。って、それだけでも十分遅いことが分かってしまうな。なぜかこの鈍足は中学に入学すると同時に消えうせてしまったのが未だに不思議で仕方ない。小6まで上記のようなタイムであったのが、中1の最初のスポーツテストでいきなり6秒台にまで上がったのだ。あまりに嬉しかった私は、その時だけ何度でもタイム測定をしてもいいと言われ、いい気になって朝食を採っていない1時間目の授業であったにもかかわらず、7本ぐらい全力で走り、授業が終わると同時に貧血で保健室に運ばれたということがあった。一体、何をやっているんだか。運動会時の徒競走の話については言わずもがななので書かない。というかあまり書きたくはない。なら、始めから書くなよ。
 中学から高校へと進学し、運動会が体育祭に名称が変わっても、やはりいい思い出というのがない。それ以前に、ほとんど記憶に残っていなかったりする。覚えていると言ったら、中学時代にフォークダンスがあり、女子と手がつなげるとウキウキしていたら、男子が余ってしまいクラスで身長の一番高かった私が無条件で女子の列へと並ばされ、ものすごく落胆したことぐらいだ。やはりいい思い出ではない。組体操ではいつも土台部分をやらされていたためおいしくなかったし、ピラミッドの時などは地獄であった。イカン、無理に思い出そうとすると嫌なことしか思い出さないではないか。
 そんなことを考えながら弁当を買い、帰りにもう一度運動場の様子を覗いてみるとおゆうぎというかダンスの練習をしていた。そういえば、学年ごとに発表をするダンスは好きだったような気がする。決してリズム感があったわけではないが踊るのは好きであった。今もゲーセンで息を切らせながらよく踊っているし。だから運動会の最後には必ずといっていいほどあったダンスは活き活きしていた記憶がある。しかし、よく考えてみればこれもあまりいい思い出とは言いづらいな。そんな秋の昼下がりであった。

ACT.44←  TOP  → ACT.46