ACT.33 死者からのメール (1999.08.22)

 先日、同僚と仕事の後に喫茶店なんぞでちょっとした話をしていた時、その同僚がこの間面白いメールが来たと、はやってんだかどうかは謎の文字電話なる代物を取出した。
 液晶画面に表示されたそのメールは何のことはない不幸の手紙ならぬ不幸のメールであった。そういえば、ちょっと前に某日本テレビ系の番組を騙ったチェーンメールが来てたことを思い出し、相変わらずコイツもしぶとく生きていやがるのだなぁと感じたわけである。まあ、それだけならわざわざここにネタとして書くこともないのだが、その不幸のメールは私が今まで見て来たようなものとは少々内容が違っている実に恐ろしいメールであったのだ。
 冒頭から中盤にかけての文面はそれこそハガキの時代から、まあ今も十分ハガキの時代であるが、流通して来たものと大差はない。要は同内容の文を幾人かに送らないと不幸があなたに降りかかりますよというものだ。ただ、一通りの文句を並べた後に書かれていたのが実に恐ろしい。なんとこのメールを最初に出した人間は既に去年自殺しているというのだ。ちょっと詳細な文章までは覚えていないが、要約するとこういった感じだ。このままだと普通の不幸の手紙なので恐くもないでしょうが、私は平成10年○月○日に自殺をしました。ですから、止めると本当に私が不幸をもたらしますよ、と。もたらされてもこまるが、不幸の手紙の信憑性を高めるためだけに自殺だなんてなんと意味のない自殺であろうか。まあ、自殺などというものに意味を求めるのも本当はどうかと思うのが持論であるが、その辺はまた別の機会にでもお話することとして、そのように書かれているのである。それも悲壮さのかけらも感じられない文章で。何と恐ろしいことであろうか。そしてこれも定番の文句であるが既にこのメールを止めた人で16人が亡くなっているのだと手紙はいう。死因は全て事故なのでこのメールのせいだとは誰も気付いていないが、間違いなく私が殺したのだと手紙は訴えているのである。これも実に恐ろしい。このくだらない文章を読んでいらっしゃる懸命な読者であれば当然お分かりのことと思うが、この不幸のメールの内容は一番最初に書かれた文章と同一の内容でなければいけないはずなのだ。つまり、メールの作者が一番最初に書いた時点で16人もの人間が止められるはずのないメールを止めて死んでいることになっているわけだ。何ということだ、恐ろしすぎる。もしかしたら、霊となった作者が流通している全ての手紙を死者が出るたびにこっそり書き換えているのかもしれない。そうだとすればそれはそれで実に暇な霊である。少なくとも私はそんな霊にはなりたくもない。ああ、恐ろしい。更にメールは続けてこう訴えかけてくる。そういう訳だから本当に止めると不幸なことが起こるよ、と。学校でみんなに嫌われちゃうようにしちゃうよ、と。何だそれは。メールを止めると学校でみんなに嫌われてしまうのである。じゃあ、死んだ16人は何だったのだ。とてつもなく恐ろしい話ではないか。そして、最後にメールはこのような文章で締めくくられている。私に会いたいのなら○○県の日本海へと遊びに来て下さい。水中で私と出会えますから、と。なんということであろうか。この平成の時代に入水自殺である。お前は太宰治なのか。恐ろしい、何と恐ろしいメールであろうか。
 ここまで読まれたあなたならもう次に私の書くことはお分かりであろう。この文章は不幸の文章なのである。これと同じ内容の文章を1週間以内に5つのサイトの掲示板へ書き込みをしないとあなたに不幸が訪れるである。既に書き込みをしなかった24万4516人の人が亡くなっていたりするのだ。さあ、急いでこの文章をコピーするのだ!ちなみに当然亡くなった人の死因のほとんどは老衰である。

ACT.32← TOP →ACT.34