ACT.28 煙草嫌いと納豆好き (1999.08.14)

 私にはこの世の中でどうしても好きになれないものがいくつかある。
 その中に「煙草」というものがある。
 私は生まれてこのかた煙草というものを吸ったことがない。フィルターを口に咥えたことすらないのである。確かに煙草を吸っている男の姿をカッコイイなと感じたことはあるのだが、自分で吸ってみようとは全く思わないのである。
 煙草は百害あって一利なしなどという。まあ喫煙者に言わせればリラックス効果があるとか、痩せられるという利があるそうであるが、この際そんなことはどうでもいいのである。私には害でしかないのであるから。煙草というものはどうしても、回りの人間に被害と言えば大袈裟かもしれないが、及ぶものである。煙というものが。これが実にいただけない。まず、目に来るし、喉に来る。服なんかには簡単に匂いがついてしまう。あと、最近の若いもんは煙草の吸い方を知らないのか堂々と火の付いた方を顔に向けてくる。危ないったらありゃしない。歩いている時なんか体に当たりそうになったことなど何回あるか考えるのも腹立たしいぐらいである。この辺りは年配者の方が吸い方を心得ているものである。
 さて話はちょっと飛ぶが、私は納豆が好きである。関西の人間としては珍しい部類に入るであろう。どういう訳か関西には納豆嫌いが多い。実際にうちの職場でも納豆好きは1割にも満たなかったりするのが現状である。
 納豆はたくさんの栄養分が含まれている健康食品である。「発掘!あるある大辞典」でもそう言っているから多分間違いない。しかし、どうしてもダメな人にはダメな食べ物であるらしい。理由を聞いてみると、一番多いのがあの匂いがダメなのだそうだ。腐った匂いがするという。そりゃそうだ、腐っているのだから当然である。そんな事言ったらチーズなんかも十分臭いではないか。チーズはいいと言う。どこが違うのだ。チーズはあんなに臭くないと言う。そんなもん主観の問題じゃないかぁ!

 そうなのである。人の好みなどというものは自分で勝手に決めているものである。当然私の煙草嫌いや納豆好きも私が勝手に決めていることである。であるから、いくら他人がどうこう言ったところで変える気持ちはないし、そんな人の意見ごときで変えたくもない。その辺は分かっているつもりであるから、煙草を吸っている人に対して私は決して辞めろなどとは言わないし、そんなことを言える権利もない。ただ、煙草というものにはさっきも言った通り、煙という非常に厄介なものがついてまわる。ここで煙草の吸い方が分からないやつは縦横無尽に煙を吐くのだ。いきなり知らない人間に煙草の煙を吐かれたらどんな気分になるだろうか。それに気付いていないのか、わざわざ煙草を吸っていない人間に向かって煙草の煙が吐かれるのである。これ以上の屈辱があるであろうか。私は声を大にして言いたい。煙草は思う存分吸え。しかし、回りをよく見ろ!と。しかし、元々小心者である私がそんなことを声に出せるわけもなく、今日も両隣からの煙に耐えながら黙々とパチスロをやるのであった。ゲホゲホ。

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