ACT.25 時間よ止まれ (1999.07.29)

 オスカルだかラスカルだかが言った有名な言葉がある。
「人間は考える足である」いや「人間は考える鯵である」だったかもしれない。
 ともかく、人間は考える生き物だということを言っているわけだ。
 私もよく考える。色々と考える。ちなみに考える内の9割5分まではなんの得にも為にもならない無駄なことである。あれこれと考えている内にどうでもいいことがどんどん膨らんで行く。そんなことを小説などにしているわけだ。まあ大体において想像力は豊かな方である。
 私が想像することというのは大体がエヘエヘなことであったり、グホホなことであったりするのは今更言うことでもないのだが、特に超能力というものに関して色々と想像することが多い。その中でも特に時間を止める能力というものに対しての思いがとりわけ強いように感じる。
 何せ時間を止められるのである。時間を止めてしまえばそれこそエヘエヘなこともグホホなこともワーイワーイという感じなわけであるから、想像はやめられない。かの名作「Dr.スランプ」というマンガの中で則巻千兵衛博士は2度ほど時間を止めてしまうという素晴らしい発明をなさっている。まあ1回目は自分自身の時間をも止めてしまうという大失敗であり、2回目も息子が完成させた代物なのであるが。にしても、どうやって止めた時を元に戻したのであろうか?
 まあ、それはまた別の時にでも考えるとして、ともかく千兵衛博士は時を止める機械を手に入れたのである。時を止めた後はもうパラダイス。私とそう変わりのない思想を持っておられる千兵衛博士は色々な女の人のスカートをめくってはエヘエヘ、グホホとするのである。まあ、掲載誌が少年誌であったのでここまでの描写しか出来なかったのであろう。ぜひ青年誌でもう1回やってもらいたいところだ。細かい描写付きで。いや、そういう話ではなくて。
 上記の作品のオチは千兵衛博士が年寄りになってもエヘエヘ、グホホしているというものであった。これは実に重要なポイントを表現している。それは例え回りの時間を止めても自分の時間は止まっていないということである。まあよくよく考えればそんな爺さんになるまでエヘエヘ、グホホしている方がおかしいのだが、もし自分が同じ立場であってそんな偉そうなことが言えるかどうか自信がないので取り合えず目をつぶることにする。
 自分自身の時間の流れは止まらない。これは由々しき事態である。回りは若いままで自分だけが年老いて行く。いわゆる逆ウラシマ現象を体現してしまうのである。これはつらい。いくらエヘエヘ、グホホでもちょっと考えてしまう。ならば時を止めるのではなく時の流れの隙間に入ってしまえばいいのではないだろうか。そうすればすべての時間は止まっているはずだ。自分の回りも含めて。これなら年寄りになる心配もなくエヘエヘ、グホホなわけである。

 昨日から降り続く雨は台風が過ぎ去った今も止む気配はなく、密閉された仕事場という空間にうるさい雨音を響かせている。仕事に煮詰まった私の午後はこんな想像の下を過ぎていくのであった。

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