ACT.13 酒と涙と男と返杯 (1999.07.09)

 久しぶりに酒をのみに行った。
 会社の同僚である人達と行ったのである。
 ちなみに、そのうちの一人はこのサイトを毎日チェックしているという、奇特というか、変わっているというか、ともかくそういう人である。多分、この文章を読んで喜んでいるに違いない。そういう人なのである。
 それはともかく、私は酒が好きだ。
 突然何を言い出すかと思われるかもしれないが、好きなのだからしょうがない。
 これでも香川に住んでいた頃は強い方であった。もちろん酒の話であって、喧嘩やジャンケン、ましてや女などの話ではない。シクシク。
 しかし、それはある人種によってもろくも崩壊させられた。
 それが高知人である。
 私はいまだかつて本気で酔っ払ったという記憶が2回しかない。
 翌日が二日酔いというのは何度もあるが、その場で酒に負けるということは2回しかないのだ。内1回は酒が悪かった。つい勢いに任せて安い酒をガブ飲みしてしまった。気付いた時はトイレで寝ていた。いわゆる悪酔いというやつだ。それはまあいい。問題はもう1回の方である。
 それはバイト先での慰安会でのことである。当時僕はまだ20才そこそこのペーペーであった。バイト先で務めている社員はほとんどが高知人であり、酒に対する思いというか感情にはなみなみならぬものがあった。おまけに高知人は人に酒を飲ませるのがうまい。特に返杯という儀式があるのだがこれが曲者である。例えば上司のグラスが空いている。こういうのを発見した場合は即座に部下は酒を注がなければいけない。絶対にである。これは決まりなのである。すると上司は注がれた酒を軽く飲みこう言うのだ。

「じゃあ、ご返杯」

 右手にはいつの間にやら徳利が握られており、拒否する権利はない。絶対にない。決まりなのである。もちろん注がれた酒は飲まなくてはいけない。絶対である。決まりなのである。そんなことをしている内に別の人間のグラスが開く。当然、それには酒を注がなくてはいけない。絶対にである。決まりなんだってば。注がれた側は当然のようにこう言ってくれることだろう。

「はい、返杯」

 この時、お猪口に酒が残っていてはいけない。酒を継ぎ足すような真似は酒の味を落とすことになり、酒を崇拝している高知人が最も嫌う行為なのである。一気に飲めないからといってチビチビ飲んでいると「ああ、右手が重い、早く楽にしてくれないかなぁ」などと煽ってくるのである。ここで「じゃあ、徳利置いたらいいでしょう」とは死んでも言ってはならない。言ったが最後、その日は吐くどころか5日酔いぐらいになるまでは帰してもらえない。もちろん財布の中身はカラになる。下手すれば知らない内に借金が出来ていたりするのだ。おそるべし返杯。
 私はその攻撃に見事にはまった。その飲み会では僕は一番下っ端であり、気付いた時には5人を相手に返杯攻撃が5〜6巡以上続いたのである。結果は言わずもがなであるが、その時初めて自分は酔っ払うと声がでかくなるのだということを知った。しかし、そこまで真剣に酔っ払ったのは後にも先にもその時だけである。
 その一件以来、僕の酒に対する付き合い方が大きく変わった。酒は好きになったのだが、自分の限度量以上に酒を体が受け付けなくなってきたのだ。おまけに酔うということがなくなってしまった。たまに無理して限度量以上飲むのだが、少しも酔わない。ほろ酔いもないのだ。しかし翌日はものの見事に二日酔いになる。面白くもなんともないではないか。
 しかし、私は酒が好きだ。また飲むこと以上に酒のある場が好きだ。
 それは高知へやってきて初めて分かったことである。高知人は実に気さくである。特に酒場での気さくさは馴れ馴れしいを通り越して呆れるほどだ。しかし、人と付き合うことは楽しい。初対面であってもその垣根を取り払ってくれる酒という飲み物は実に素晴らしい物ではないか。さあ、今宵も杯を掲げよう。
 しかし、誰か私でもほろ酔いになれる酒を教えてくれないだろうか。

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