ACT.10 アメリカ旅行記 その2 (1999.07.05)

 前回の続きである。
 まだ読んでいない人は先に読んでおくように。

 モニュメントバレーを出発した飛行機は無事グランドキャニンオンそばの飛行場へと戻ってきたようだ。ようだ、というのは記憶が全くないからである。ちなみにその後、陸からもグランドキャニオン観光をしたのだがその記憶もほとんどない。ただあるのは、トイレでやたら苦しんだことだけである。
 当然のようにラスベガスへと帰る機内でも僕は苦しんでいた。同伴者の話では、上空から見たラスベガスの夜景がきれいだったそうだ。そして、僕はホテルへ戻るなりダウンした。その日の夕食はショーを見ながらのディナーだったのだが僕はキャンセル。行ってきた同伴者の話ではショーは最高に楽しく、料理は最高においしかったのだそうだ。ああ、今思い出しても腹が立つ。あの時、僕はもう二度とインディアン料理は食べないと心に誓ったのであった。
 翌日は他のツアー客、当然ほとんどが外人、と一緒にバスに乗りヨセミテ国立公園へと向かった。のどかな風景を車窓からのぞみながら、僕はお腹を必死にさすっていた。依然体調は芳しくない。4時間ほど揺られてバスは目的地へと着いた。
 2月という時期もあってか、辺りにはまだ雪が残っていた。
 針葉樹が生い茂る公園内は、同じ自然といえども昨日のモニュメントバレーとは180度趣が違う。
 途中何ヵ所かでバスは停まり、そのたびに観光客は記念撮影に勤しむ。
 そして僕は自分に対しての救命活動を勤しむのだ。
 とまあ、その日の記憶はそんなものだ。
 しかし、雄大な自然と出会うという意味ではここも十分おすすめな場所である。
 ぜひお腹の調子が悪くない時は行ってみて欲しい。
 翌日は最終目的地であるサンフランシスコへと向かった。
 現地へ着くなりすぐ観光のスタート。
 ここでは1人のおじさんと同行することになった。このおじさんかなり旅行慣れしているようだが、年の差が大きい僕らと話が合うわけもなく、変にきまずい空気が観光中の車内にあったの妙に覚えている。あの、おじさんは元気でやっているだろうか……
 ゴールデンゲートブリッジ、フィッシャーマンズワーフ、リトルチャイナといった定番の観光地を回り、最後にお土産物やさんへと連れてってもらう。その日まで一切の土産を買っていなかった僕は、といっても友人への土産を買っていなかったのであり僕自身の土産は当然買っていた、そこで一気に買いあさる。
 そうそう、フィッシャーマンズワーフで昼食にカニを食べたのだがはっきり言ってイマイチであった。同行していたおじさんの話ではかなり店で当たりはずれが大きいらしい。もし、行かれる際は十分に吟味されることをおすすめしておく。
 その他の観光地については実にシンプルな感想しか持たなかったためここでは割愛することにする。<これでどこが旅行記だ!
 その日の夕食は2、3種類のオプショナルツアーを選択するような形になっていたが、カジノで大敗し、土産物屋で見境なく買物をした我らにすでに余裕はなく、素直にホテルへと戻ることにする。
 軽く仮眠を取った後、体調が多少よくなった僕は同伴者を連れて買い物に出ることにした。既に外は暗くなりはじめていた。
 近くにあるスーパーマーケットへと入り、飲み物を買う。スーパーを出ると目の前にハンバーガーショップがあることに気付く。聞いたこともないその店は地下にあり、実に怪しげな雰囲気。少しくらい店内に客の姿はほとんど見えない。ただ一人、黒人の老人がカウンター近くのイスに腰掛け、軽く船をこいでいた。
 カウンターには一人の長身の黒人。明らかに場違いな二人組に鋭い視線を投げつけてくる。今思えば我ながらよく入店したものだ。モニュメントバレーでの食事は腹の調子だけでなく、恐怖心も麻痺させていたのかもしれない。
 あのときの僕は至って冷静に注文をし、支払を済ませた。ハンバーガーが無造作に投げ込まれた紙袋を受け取り、軽くサンキューと言葉を返す。紙袋を片手に白い蒸気が吐き出される通風孔の上を歩いて行く。いつか見た映画の主人公のように。
 そうだ、あの時の僕は恐怖感といった感情など関係のない映画の主人公になっていたんだ。サンフランシスコはそんな夢を見せてくれる街だった。

 こうして4泊6日の僕の最初の海外旅行は終わった。
 2度目のアメリカ旅行はその翌年にハワイへと行ったものだ。
 その話はまた別の機会にでも……

ACT.9← TOP →ACT.11