ACT.9 アメリカ旅行記 その1 (1999.07.04)

 今日はアメリカの独立記念日だそうだ。
 僕は過去に2度ほどアメリカに行ったことがある。
 細かいことはさすがに何年も前の話なので忘れてしまった。
 だから旅行記としてここにアップすることは出来ない。写真もないし。
 ただ、こういう話になったのも何かの縁(自分でこういう話にしているのだが)アメリカ旅行について思い出せる範囲内で色々と書いてみることにしよう。一向にアップされる気配のない旅行記の代わりということで。

 僕が初めてアメリカに行ったのは確か4年ほど前だったと記憶している。
 それは僕の初の海外旅行でもあったのだがいきなり、同伴者1人という2人旅に挑戦してしまった。一応、旅行会社のパックツアーを使ったのだが、オフシーズンだったこともあってか最低興行人数2人のところに僕達2人しか集まらなかったらしく、添乗員なし、現地ガイドのみという実にシンプルなツアーとなった。
 飛行機に乗ること約12時間、ロサンゼルスへと到着。しかし、ここですぐさま飛行機の乗り換えを行う。今回の目的地はロスではないのだ、ラスベガスなのである。
 更に飛行機に乗ること約2時間。無事ラスベガスへと到着。
 今のところ英語での問題はない。機内でも検査場でも大した会話などしていないからだ。
 飛行場で現地ガイドさんと合流し、車でホテルへと向かった。
 ちなみに宿泊したホテルは「ルクソール」、と言われてもピンと来ないかもしれないが、ピラミッドの形をしたホテルといえば分かる人には分かるであろう。我ながら贅沢な旅行をしたものだ。
 部屋へと荷物を置き一休みをすれば時間は既に夕方。
 再びガイドさんの車に乗り、夜の観光へと出かける。
 今でこそたくさんのアミューズメント施設があるラスベガスだが、当時はまだそんなにはなく、メインはショーであった。中でも海賊達の戦いをテーマにしたショーはものすごい迫力でスケールのでかさに開いた口が塞がらなかった。もちろん大砲の着弾シーンなどでは本物の火薬を使っているのであるが、その熱が感じられるほど距離なのである。そりゃ、迫力も桁違いなのである。
 ショーであと面白いと思ったのはアーケードの天井で繰り広げられる音楽と映像のショーである。数百メートルにおよぶアーケードで上映される映像は、映画館などの巨大なスクリーンとはまた少し違った感動を与えてくれる。ただ、少々首が痛いのが難点ではあった。
 ちなみにラスベガスでは教会がやたらめったら存在し24時間いつでも結婚式が出来るそうだ。ので、長く付き合ってはいるが結婚の意識があまりない男性は彼女と行くのをあまりお薦めしない。だが、逆の立場の女性から見れば実にチャンスの多い場所である。その場の雰囲気と酒で男を酔わせた後は好きにしてもらいたい。幸い、ラスベガスは市街地であれば夜でも治安は実にいい。夜にライトアップされた街を背景に結婚式をあげるなんていうのもロマンチックでいいのではないだろうか。酔っ払っている男からすればロマンチックどころの騒ぎはないかもしれないが。

 夕食は宿泊先である「リクソール」内のレストランで採った。このホテル、外装だけでなく内装にも凝っており、地上3、4階部分が吹きぬになっておりちょうど1つの街のような作りになっている。何せレストランは売店のほかに映画館まであるとはどういうことだ。下手に陳腐な遊び場に行くより楽しめるのである。遊び場がパチンコと競馬と飲み屋しかない高知市も見習って欲しいものだ。
 その晩は当然のようにカジノにはまった。根っからのギャンブル好きである僕にはそれが今回の旅行の目的だといっても過言ではない。
 スロットマシーン、ポーカー、ルーレット。気づけば既に夜は開けていた。外に出てみると夜明けの太陽がまぶしかった。僕の財布は軽かった。

 翌日はモニュメントバレーとグランドキャニオン観光がメインである。
 ラスベガスから飛行機で1時間弱のところにある、地球の雄大さを感じることのできるスポットだ。モニュメントバレーは映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」でデロリアンを馬に引っ張らせて走らせた場所と言えば分かる人には分かるだろう。年配の方であれば西部劇の舞台のようなところといえば分かってもらえるかもしれない。
 現地ガイドさんに言われた通りホテルのロビーで待っていると一人の黒人が現れた。
 これが今日の試練のスタートなのである。
 当然のように話される英語。語尾のグランドキャニオンンという単語のおかげでその人が迎えに来てくれた人間だと分かる。小さなバンへと乗り込み、ホテルから割と近いところにある飛行場へと連れていかれる。そこからどういう経緯でモニュメントバレーまで行ったのかはあまり覚えていない。ただ、グランドキャニオンそばの飛行場からモニュメントバレーへと向かう乗り換えの飛行機のサイズがいきなり小さくなって、確か8人乗りぐらいのやつだ、着陸のときにドキドキしたことを覚えている。

 モニュメントバレーでは1台のジープで観光をした。運転手さんがガイドを兼ねているのだが、当然のように日本語は全く分からない。つまり英語のみで会話をしなければならないのだ。同伴者の英語力は正直ゼロに近い。単語なら多少わかるが文となると全く駄目。また英語独特の発音も苦手なもんだから、レストランでご飯を頼むと「しらみ」が出てきたりするのだ。当然、嘘である。分かる人だけ笑ってくれ。
 ともかく、僕は無条件で同時通訳することになった。といっても、僕の英語力なども高が知れているので、大したことは出来なかった。今更ながらきちんと英語の勉強しておけばよかったと後悔をした。とまあガイドの方はイマイチの結果となったのだが、今までの旅行の中でもこのモニュメントバレーという所は深く印象に残った場所になった。人生観を大きく変えた場所といってもいだろう。それぐらい感動した場所である。
 とある場所で、といっても見渡す限り砂と岩ばかりでそこがどこかも分からなかったが、車を降りてしばらくその辺りを歩いてみた。
 そこにあるのは空と大地だけであり、耳に入るのは風の音だけ。僕はゆっくりと目を閉じて自然に身を任せてみる。自分が自然に抱かれている、そんな感じだった。あのときの感覚と風の音、一筋だけこぼした涙は5年近く経った今でも鮮明に覚えている。きっと一生忘れないだろう。余談ではあるが、そこで取った砂は今でも記念に置いてある。

 やたらと感動した観光の後に昼食をとった。一応インディアン料理らしい。野菜と豆がふんだんに使われたパイ包みだったと記憶している。記憶が曖昧なのは、早く忘れたい記憶だからだ。なぜならこれがあとで不幸を招くことになる。
 その後、僕の乏しい英語力でも優しく答えてくれたガイドさんと別れて再び飛行機でグランドキャニオンへと戻ることになったのだが、その時の飛行機がすごい。何せ4人乗りなのである。乗客は僕らとパイロットのみ。完全な貸切状態である。本当に我ながら贅沢な旅行である。
 飛行機はグランドキャニオンの雄大な渓谷の上を飛んでいく。ここでパイロットさんが気を利かせてくれて、渓谷ギリギリを飛んでくれたり、色々と珍しいスポットをめぐってくれるのだ。しつこいが本当に贅沢な話である。とまあ、ここまでは別に問題はない。しかし、その後僕の体調は急変する。原因は昼食であった。食べたときは感じなかったのだが、どうやら僕にはあわない食事だったらしい。腹痛こそなかったものの気分が悪くなってしまったのだ。そこに飛行機の旋回飛行。酔いの回りは一気に速くなり、あっという間にグロッキー状態。かすかに横で同伴者が拙い英語で飛行場へ向かってくれと言っているのが聞こえた。そこで僕の記憶はとぎれた。

 つづく(続くのか!?)

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