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Eco week / SIMOON〜熱波〜02


「どないしたん、暗い顔して」
 休憩室で、手の中のコーヒーをぼんやり覗き込んでいたマリノに、中年の客室係が声をかけた。もれなく詮索好きな年代の主婦だ。
「もともと暗い顔なんですけど」
 苦笑したマリノに、彼女は好奇心と親切心が入り混じった口調で言った。
「いつもはそんな顔違うえ。何か有ったん?」

 ……言われませんやん。お客様に襲われやたなんて。それも、男同士やなんて。

 マリノの左手は無意識に、制服の上から右の鎖骨をなぞってしまう。自分が嫌がってるのを面白がり、麗が強引にキスマークを付けた場所だ。

 ……着替える時、バレへんかったらええけど。

「お先ぃです」
 壁に掛かった時計を見て部屋を出たとたん、入れ代わりにやってきた先輩ベルボーイの言葉に、マリノは顔色を変えた。
「スイートのお客さんのご指名だってよ。早く行った方がいいぜ」

 ……また、佐倉様の呼び出し!? まさか、また。

 マリノの不安は的中し、麗は再び抱かせろと迫ってきた。
「良い返事がきけるまで、何回でも呼び付ける。用件は、同じだ」
 カーテンを閉じながらの麗の台詞に、マリノは、やや早口で答えを返す。
「申し訳ございませんが、ここを辞める意思はございません。何回されようが同じ返事です。そうなりますと、佐倉様のお身体が心配です。体力が持たないと思われますが。私は、今の職場が気に入っています。いくら、良い条件を出して下さっても…」
「お前の体力と、俺の体力と、どっちが先に尽きると思う?」
 きっぱりと断り文句を並べ立てるマリノに全く動じることなく、麗は台詞を割り込ませた。
「いい身体をしてるが、何かの原因で食い潰したな? 筋肉の付き方を見りゃ分かる。きちんと鍛えてあるのに、乱れた生活でラインが崩れかけてるぜ。学生時代やってた柔道も、最近はやってないとみえる。俺はお前より8つも年上だが、体力勝負じゃ今のお前に負ける気はしねえ」
 一気に言うと、麗は片手で、マリノの制服の胸ボタンを弾いた。そして、一定のリズムで、上から順に開けてゆく。
「特に、ベッドの上じゃな」



「兄貴、今から店、行ってええか?」
 勤務先から少し歩いた電話ボックスの中は、初夏だというのに蒸し暑過ぎて、マリノは目眩を起こしそうになった。ドアに足先を挟んで換気に努めながら、星でも見えないかと空を仰いでみる。西日本の日暮れは遅いので、ようやく空の色が藍色に変わろうとしている時刻だった。
「そんで、また泊めてくれっていうんやろ?」
 電話の向こうのミラノは不機嫌に返してきたが、断る意志は無いようだった。夜の世界から足を洗い、25歳にして初めてのサラリーマン生活を送る実の弟を、少し見直したところなのだ。
「もうちょっと早う電話くれたら、香織ちゃんと会えたのに」
「うそ。彼女、来てたんか」
 離婚した妻の名前に、マリノは複雑な思いだ。
『あなたの事が嫌いになったんじゃ、ないの。多分、一生好きよ。でももう、私、一緒に暮らしてゆけない』
 妻の最後の台詞は、一言一句正確に覚えている。
 …『お前が嫌いだ』て、言うてくれたら諦めもつくのに。

 マリノはぼんやりと、祇園方面行きのバス停留所を目指した。



「ほんで、どないなったん?」
 接客中もひっきりなしに喫煙するミラノに、ヘビースモーカーの麗の姿がダブって、マリノはげんなりと答えた。今日の出来事をひと言で括るとこうだった。
「今日一日で、5回やられた」
 雑居ビルの一角に有る小さなバーは、早い時間から常連客で6割方埋まっている。ミラノが店長を務めるその店は、そこそこ繁盛しているらしい。
「男が5回くらいで、何をぬかす。カラばっかりでかい癖に」
「ネコの方がしんどい気がする」
 ミラノがカウンターの中から、空きかけたグラスをマリノから奪った。マリノのキープしているI.W.ハーパーのボトルから勢いよくバーボン・ウィスキーを注ぎ足し、申し訳程度のソーダを注ぐ。酒の濃度からいって、トリプル・ハーフロックといったところだろうか。
「しんどい、ねぇ。笑かしてくれるわ。お前がどれ位しんどがってるんか見てみたいわ。どや、いっぺん、俺と寝てみるか?」
 ミラノがグラスを置きながら言った。反対の手にヴォーグのスリムメンソールが、煙を細くたなびかせている。
「それ近親相姦やん。それに、どっちがどっちやるねん、ややこしい」
 ミラノはマリノに「兄貴」と呼ばれているが、性別は女性だ。男の格好をして仕事をしている時はそう呼べとミラノが命令したからだ。
「悪いけど俺、もう今はタチしかでけへんよ」
 かつては男と寝たこともあるが、ミラノは基本的に女が好きだった。年々ビアンの気が強くなっていると、弟・マリノの目から見ても明らかだ。
「知ってる。けど、道具使てまで、突っ込みたいか? 俺のケツに」
 マリノの台詞に、ミラノは眉間に皺を寄せた。前髪を後ろに撫で付けているので、額が露になって、怒りの縦皺がくっきり浮かび上がっている。
「男にゃ分からへんよ、最初から付いてる奴には。ご立派みたいやからねぇ、お前のは」
「……香織ちゃんから聞いたんやないやろな」
「彼女がそんなこと、ぺらぺら喋ると思うか? こっちはお前が大学入って家、出るまで、襖一枚隔てた部屋におったんやで。ナンボでも目撃してるがな」
「いつ見てん…」
「夏場は見放題やったな。恥ずかしい男や、お前は」
「ほっといてんか」
 二人がカウンターを隔てて、身内にしか分からないディープな会話を楽しんでいると、カウベルが鳴った。同時に『いらっしゃいませ』の声が響く。その直後に、副店長の困り声が聞こえた。

「お客様、当店は…」
「会員制が建前の、実はレズビアン・バーだろ。知ってる」

 客のはっきりした声に聞き覚えが有り、マリノは思わず聞き耳を立てる。
「よろしいでしょうか? あの…」
「ああ、見ての通り、俺は男だが、もう一人店にも正真正銘の男が居るだろう?」

 そこへ絶妙の呼吸で、ミラノが声を飛ばした。

「用心棒、ですよ。彼は。女ばかりの店ですから」
 女にしてはかなり低くドスのきいた声だ。彼女はカウンターを出て、客の前に進み出る。新しい客は目を見張った。
「さすがに良く似てるな。奴の縮小版だ。店長の瀬戸内未来乃さん?」
 客の言葉に、ミラノは胸から店用の名刺を出した。
「源氏名は『ミラノ』と申します。『みきの』はプライベート・ネームですので」
「弟に合わせて、イタリア風、という訳ですか」
「そうかもしれません。弟にご用でしょうか?」
 マリノと同じタイプのきつい目を、ミラノは意図的に、女性的に細めて微笑み掛けた。男装のバーテンダー姿に妖しい色気が醸し出される。
「察しがいい。会わせてもらえるかな」
「結構ですが。ただ、店内での本番行為は、ご遠慮願います」
「こいつはいい。もう、ご存知らしいな」
 店の入り口で、麗は愉快でたまらないというように、声を立てて笑った。

 …調べたのか。
 止まり木に座ったマリノは、肘を突いた姿勢で頭を抱えこんだ。


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