クラシック演奏会 (2011年)


2011.12.25 Nationaltheater, Bayerisches Staatsoper (Munich)
Asher Fisch / Bayerisches Staatsorchester
Kinderchor der Bayerischen Staatsoper
Herbert List (Director)
Martin Gantner (Peter, broom-maker), Irmgard Vilsmaier (Gertrud)
Okka von der Damerau (Hänsel), Laura Tatulescu (Gretel)
Heike Grötzinger (Gingerbread Witch), Silvia Hauer (Sleep Fairy)
Iulia Maria Dan (Dew Fairy)
1. Humperdinck: Hänsel und Gretel

 初見参のバイエルン州立歌劇場です。クリスマスに「ヘンゼルとグレーテル」という演目で、マチネとは言えないものの午後4時という早めの開始だったので会場は子供が多かったです。ヨーロッパ最高峰の一つなのでもっとゴージャスな内装を想像していたのですが、意外と質素。カフェやクロークは機能重視のモダンなものでした。ボックス席は舞台すぐ横以外にはなく、上のほうの階はどの席でも鑑賞しやすく設計されているように見えました。
 まず感じたのは、この劇場の音響の素晴らしさです。今回はストール最前列左端で、反対側からトランペットがまっすぐこちらを向いているような席だったのですが、さしづめロイヤルオペラハウスなら汚い生音が直接差し込んで来るところ、非常にまろやかに響いて来て、至近距離だったホルンも、弦楽器も、どの楽器もワンクッション置いて角の取れた音で耳に届き、たいへん心地が良い。また、音響の助けがなくともオケの集中力は高く、特にこれぞビロードの肌触りと思える弦は久々に聴きました。これはオケだけでも一流です。対する歌手陣も、スターはいないもののドイツ人歌手を中心に劇場レギュラーの実力者揃いで、音楽的には非の打ち所のない好演でした。
 難があったのは演出。モダンで過激な演出ばかりのドイツの歌劇場でも「ヘンゼルとグレーテル」だけは伝統的なスタイルを守るという話を聞いたことはあるのですが、オーソドックスと工夫がないのとは違います。おそらく100年前の舞台はこうであったろう、おとぎ話そのものの大道具、衣装に、歌を邪魔しない最小限の動き。今の感覚では全体的にヌルく、イケてません。もちろん、楽しい劇ではあるのですが。第1幕から第2幕は連続ではなく、珍しくいったん休止を入れたので「あれっ」と思ったのですが、後でスコアを確認すると、演出によってどちらでもかまわないんですね。第2幕以降は舞台にずっと半透明のスクリーンがかかっていて、第2幕だけなら夕暮れの森の中のもやがかかった情景を演出したいのかと解釈できるのですが、第3幕の最後まで引きずるのは意味不明で、はっきり言って余計でした。工夫が全くなかったわけではなくて、眠りの精や魔女はワイヤで空を飛ぶし、第2幕最後には天使が多数出て来て癒し系の踊りを踊り、魔女のオーブンからは本物の火が出ますが、緩和な雰囲気は最後まで拭えず、緊張感も目を引く特異性も何もありませんでした。子供向けと言ってもあれでは退屈するのではないでしょうか?
 この劇場で一番新鮮だったのは、ピットの中にも観客席側壁沿いに一列分ベンチシートの席があったことでした。見ると子供とその保護者ばかりでしたので、この演目に限って特別に子供にだけ解放しているのでしょうか。これはしかし、指揮者の真横、奏者の目の前まで子供が座って視線を送っているということで、これだと奏者も張り切らざるを得ませんね。あとは、休憩時間になると聴衆は全員いったん外に出され、次の開演ギリギリまで入れないのも初めての体験でした。どうしてそんなシステムになっているのか、ロビーにそんなに広いスペースがあるわけではないので混み合って、これはいただけませんでした。
 さらに、劇場に置いてあったシーズンプログラムを見ていて凄いと思ったのは、そのレパートリーのとっても保守的なこと。今シーズンの演目を列挙すると、ボエーム、カルメン、ホフマン物語(新演出)、コシ・ファン・トゥッテ、愛の妙薬、子供と魔法/こびと、フィデリオ、こうもり、ヘンゼルとグレーテル、ばらの騎士、トスカ、トゥーランドット(新演出)、魔笛、セビリアの理髪師、ドン・カルロ、後宮からの逃走、エフゲニ・オネーギン、さまよえるオランダ人、マクベス、蝶々夫人、オテロ、ラインの黄金(新演出)、ロベルト・デヴリュー、椿姫、ワルキューレ(新演出)、カプレーティとモンテッキ、チェネレントラ、ルイザ・ミラー、フィガロの結婚、パルジファル、ジークフリート(新演出)、ヴォツェック、利口な牝狐の物語(新演出)、神々の黄昏(新演出)、先斗の王ミトリダーテ、と、書き写していてため息が出るくらいに超定番アイテムのオンパレード。これらをワンシーズンにやるのだから驚きです。ちょっと集客に苦労しそうな「ロベルト・デヴリュー」はグルベローヴァ、「カプレーティとモンテッキ」はカサロヴァとネトレプコを配置する布陣ですから、穴のない鉄壁のプログラムです。時々旅行に行くのなら、何時行ってもメジャーな演目が見れてよいですが、もしミュンヘンに住んで通うとなると数年で飽きて、刺激に飢えるようになる気がします。新プロダクションが多数あるのが救いですが、こうやってドイツの歌劇場はますます過激な読み替えに走って行くんですかね。


2011.12.21 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Boris Gruzin / Orchestra of the Royal Opera House
Marius Petipa (Choreography)
Frederick Ashton, Anthony Dowell, Christopher Wheeldon (Additional Choreography)
Roberta Marquez (Princess Aurora), Steven McRae (Prince Florimund)
Gary Avis (King Florestan XXIV), Genesia Rosato (His Queen)
Alastair Marriott (Cattalabutte), Kristen McNally (Carabosse)
Itziar Mendizabal (Lilac Fairy), Ryoichi Hirano (Lilac Fairy's Cavalier)
Lara Turk (Crystal Fountain Fairy), Emma Maguire (Enchanted Garden Fairy)
Fumi Kaneko (Woodland Glade Fairy), Elizabeth Harrod (Song Bird Fairy)
Bennet Gartside (English Prince), Johannes Stepanek (French Prince)
Kenta Kura (Indian Prince), Thomas Whitehead (Russian Prince)
Sian Murphy (The Countess), Philip Mosley (Gallison)
Kenta Kura, Elizabeth Harrod, Lara Turk (Florestan and his sisters)
Liam Scarlett (Puss-In-Boots), Elsa Godard (The White Cat)
Yuhui Choe (Princess Florine), Alexander Campbell (The Bluebird)
Romany Pajdak (Red Riding Hood), Thomas Whitehead (The Wolf)
1. Tchaikovsky: The Sleeping Beauty

 我が家の今年最後のオペラハウスは「眠れる森の美女」最終日。今回は前から興味のあったストール最前列ど真ん中の席で見てみました。確かに足ワザが見えにくかったり、指揮者が振り向くと目の前に顔があり驚きますが、舞台を見る上では指揮者はほとんど邪魔にならず、ダンサーに最も近い距離で見れるということで、マクレー様ファンの妻はいたく気に入った様子でした。
 ロイヤルバレエの「眠れる森の美女」はけっこう古いプロダクションで、これが858回目の公演だそうです。パリあたりだと「田舎臭い」と一蹴されそうなオーソドックスな舞台でしたが、我々にはこういう古き良き香りのほうが好みです。原色を大胆にあしらったダンサーの衣装はカフラフルでたいへん華やか、これは田舎臭いどころかデザイナーの尖ったセンスを感じました。実は生まれて初めて見たバレエの舞台は「眠れる森の美女」だったのですが、たいしたストーリーじゃないのに延々と踊りが続く長丁場が苦痛で、音楽的にも同時期に作曲していた交響曲第5番からのメロディーやアイデア借用がいちいち鼻について、正直好きではないバレエでした。しかし今日は間近で見るダンサーの一挙手一投足、テンポのよい場面転換、盛りだくさんのキャラクター、ロイヤルらしく隅々で繰り広げられる小芝居と、飽きるヒマもなく最後まで楽しめました。オケの演奏もビロードの響きとまではいきませんがいつになくしっかりしており、コンマスAnia Safonovaさんの実に艶やかなソロが華を添えていました。
 オーロラ姫のマルケスは今回2公演しかキャスティングされてなかったうち1回を怪我でキャンセルしたはずなので、これが今シーズンで唯1度のオーロラでしょうか。小柄でプリティ系のお顔立ちは無垢なお姫様役にうってつけです。第1幕のローズ・アダージョ、他と見比べてないので何とも言えませんが、最初にポアントで王子の手を次々と取っていく場面で、バランスがヤバかったのか、さっと手を触るだけで早く次ぎに行ってよ、みたいに焦っている箇所がありましたが、他は文句のつけようもなく、パーフェクトに可憐なオーロラ姫でした。パートナーのマクレーとの息も変わらずぴったりで、うちの妻は「あの二人は絶対に愛し合っている!」といつも主張しております。私生活のパートナーシップまで私は知りませんが。
 妖精が出てきて姫を祝福するプロローグでは、緑の妖精(Woodland Glade、どう訳すんですか)に金子扶生さんが抜擢されていました。お顔立ちは吉田都さんを思わせる和風作りですが、恵まれた体格は本当に舞台映えしますね。ベテランのごとく堂々と成熟した技術も見ていて安心感があり、度胸もありそうなので、引き続き注目して応援したいと思います。あとは青い鳥のユフィちゃんは相変わらず美人でした。ちょっとよく判別できなかったのですが、最後の群舞では高田茜さんがいたように見えました。小林ひかるさんはマチネのほうでオーロラを踊っていたのでこちらには出演してませんでしたが、男性陣は平野さん、蔵さんとも元気に出ていて、特に平野さんのほうは、こんなにキレのあるダイナミックな踊りをする人だったのかと、不見識ながら初めて気付きました。
 今日の席は舞台を見るには良かったんですが、娘の隣席に座った(多分)中国系のおばさんがノイジーでぶち切れ寸前でした。最初、指揮者が出てきて指揮台に上り指揮棒を構えるギリギリまで携帯で通話をしていました。ただスイッチを切らなかったんじゃないんです、通話です。演奏が始まってからも、バッグに携帯をしまい、手に抱えたスーパーのビニール袋からガサガサと大きい音を立てつつペットボトルの水を取り出して堂々と飲んでいました。じっとしていられないたちなのか、終始何かごそごそとしてはスーパーの袋をガサガサと探り、うるさいことこの上ない。周りの人々がじっと見て無言で抗議をするも、気にする様子ゼロでした。反対側、妻の隣席の白人女性が休憩時間に娘の年齢を聞いてきたので10歳と答えると、「10歳の子がこんなに行儀よく聴いているのに、(その隣りのノイジーおばさんを指して)あの30過ぎの女性は(私が見たところ50くらいでしたが)とってもうるさいわね」とブツブツ文句を言ってました。続くようなら文句を言ってやろうと思って娘と席を代わってもらいましたが、水は飲み切ったのか、スーパー袋をガサガサ開けることはもうありませんでした。結局文句を言うタイミングを逸しましたが、とにかく終始ごそごそと動かずにはおれないようで、横に座られると鬱陶しいたらありゃしない。オペラ座やコンサートホールでは二度と接近遭遇したくないですなー。


2011.12.15 Barbican Hall (London)
Sir John Eliot Gardiner / London Symphony Orchestra
Rebecca Evans (S-2), Wilke te Brummelstroete (Ms-2)
Michael Spyres (T-2), Vuyani Mlinde (Bs-2)
Monteverdi Choir
1. Beethoven: Symphony No. 1
2. Beethoven: Symphony No. 9 (‘Choral’)

 去年の2月ですからほぼ2年近く前に、テナーを除き全く同じ取り合わせの演奏会を聴いています。選曲まで全く同じなので、どうしようかと思ったのですが、せっかく12月に「第九」をやるのだから、日本人的にはやっぱり聴いておこうと。前回は高速テンポの中でも透明ながらも芳醇という一見背反する特質がちゃんと同居していたので、さすがはLSO世界の超一流、と感心したものでした。コーラスも少人数で十分な声量と完璧なアンサンブル、日本ではめったに聴けないであろう少数精鋭の「第九」でした。
 しかしながら今回は、ずいぶんと贅肉がつき、魂のない演奏になっていたのでがっかりしました。ピリオド系演奏であることは変わりがなく、基本ノンビブラートの弦に速いテンポで突き進みますが、上辺だけ取り繕ってがちゃがちゃ弾いている印象が拭えず、前のようにきっちり丁寧に積み上げたところがなくなっていました。ピッコロは他の木管から離れてトランペットの隣りで、しかも立って演奏していましたが、ぴーぴーとうるさく、何もそこまで強調せんでもと。弦は気が抜けていて、木管はうるさく、金管は音が濁ったうえに雑、演奏しているのはいつものLSOの人々に見えますが、人知れず侵略してきた宇宙人が成り済ましているんじゃないかと思ってしまったくらいでした。そんな中でもいつもの質を保っていたのは打楽器パート。ティンパニは前回同様硬質のバチで鋭いアクセントをつけ、第1番ではバロックティンパニ2台、第9番はモダンティンパニ4台と使い分けながらも、さすがにチャイコフスキーのときのような勝手な音程変更は一切なく、黙々と仕事をこなしていました。オケがピリッとしないのはコーラスにも伝染し、前聴いたようなドライな清涼感はなく、ハーモニーに濁りが目立ちました。あまりにもおかしいなと思ってメンバー表を2年前のと見比べてみたら、コーラスは半分近くが入れ替わっているんですね。さらには独唱もパッとせず、特にソプラノ、バリトンはよれよれでした。
 この演奏会はいったい何だったのでしょう。前日忘年会でもやって皆さん二日酔いなんですかね。どこをとってもあからさまにリハ不足に見えました。聴いた席も前回とほぼ同じあたりですので、席のせいではないでしょう。最初、今シーズンのプログラムでこの演奏会を見つけたとき、何も全く同じ選曲でやらなくてもよいものをと思ったのですが、日程的にリハの時間が取れないことがあらかじめわかっていたのであえて同じ曲にしたのか、と考えればいろいろと腑に落ちます。2シーズンぶりとは言え同じメンバーで前にもやったのだから、とナメてかかっていたのがこの報いです。LSOはたまにこういうのがあるからなー。後になって一歩引いて思い起こせば、そこまでひどい演奏でもなかったのかもしれませんが、こちらは2年前と同様の感動を期待していた落差がありましたので、辛い評価しか出てきません。それとも、こちらの耳が肥えてしまったのかな…。


2011.12.08 Queen Elizabeth Hall (London)
Sir Mark Elder / Britten Sinfonia
Sarah Connolly (Ms), Allan Clayton (T)
Roderick Williams (Br), Neal Davies (Bs)
Britten Sinfonia Voices
1. Berlioz: L'enfance du Christ, Op.25

 初めて聴くブリテン・シンフォニアは、BritainではなくBrittenです。つまり作曲家ブリテンの名を冠したアンサンブルで、本拠地はケンブリッジだそうです。シーズンプログラムをざっと見るとバロック、古典から現代まで幅広いレパートリーを持っていますが、やはりブリテン周辺の20世紀の音楽を得意としている様子。
 ベルリオーズを特に好んで聴く人でもない私が(嫌いというわけではないのですが、結局「幻想交響曲」以外、よく知らないのです)何故この「キリストの幼時」という苦手ジャンルの声楽曲を聴きに行ったかと言うと、終盤に出てくる有名な「2本のフルートとハープの3重奏」には訳あってノスタルジーがあり、一度実演で聴いてみたいと思っていたところ、たまたまこの演奏会を見つけたのでした。生で聴く機会はなかなかない曲と思っていたのですが、イギリスだとそうでもないみたいですね。今日はフェスティヴァル・ホールのほうではアシュケナージ/フィルハーモニア管がほかでもない幻想交響曲を演奏していたのでそちらもたくさん人がいたのですが、渋いプログラムのこちらもほぼ満員。ただし客層は見事にシニア一色でした。
 この曲を通しで聴くのはほとんど初めてのようなものです。ベルリオーズが自分の名を伏せ、17世紀に作曲された宮廷礼拝堂のオラトリオの断片として紹介した「悪戯」が、この作品の誕生したきっかけですので、全編ベルリオーズらしからぬ古雅で敬虔な雰囲気で統一され、確かに、予備知識がなければ私もバロック時代の作品と信じたでしょう。ということで、「ベツレヘムの嬰児虐殺」をテーマに含んでいるわりにはやけに落ち着いて、派手な音響、えげつない表現は一切ない心地良いヒーリング音楽に、第一部はすっかり夢の彼方。
 休憩で気を取り直して第二部。最初に作曲され、出所を偽って発表されたのはこの部分ですが、何という美しい旋律とハーモニー。誰の作曲であろうと、この比類ない美しさは賞賛されたと思います。ブリテン・シンフォニアの弦とコーラスが、これまた非常に澄み切った極上サウンドなので驚きました。第三部の「2本のフルートとハープの3重奏」も人智を超えた天上の響き。開演が15分も遅れたので規律の弱いオケだなと最初は悪印象だったのですが、完璧なアンサンブルにすっかり感心してしまいました。この透明感は、まさにピリオド系の古楽器集団のものです。ピリオド専門じゃない楽団がここまでの音を作れるとは、ブリテン・シンフォニア、侮れじ。独唱も粒ぞろいで穴がなく、ホールが広すぎない分よく声が通って、素晴らしい出来でした。ただ、演出にはちょっと難ありです。上手下手の端に独唱者を分けて配置し、歌う場面になると指揮者の近くまでそろりと歩いてくるのですが、この美しく静かな音楽に足音は全く邪魔でした。最後など、コーラスが消え入るように歌っている最中に独唱者を歩かせたりするのはいかがなもんかと。単純に、指揮者の左右に座って出番が来たら立つのではなぜいけなかったのか。また、ハープは第2ヴァイオリンの後ろに置かれていてフルートと相当距離があり、どうするんだろうと思っていたら、3重奏のときにフルートが端まで移動してきて、ついでに指揮者まで移動してきて丁寧に3重奏を指揮していました。舞台上フルートの横あたりはスペースがあったので、なぜ最初からそこにハープを置かないのか。理解できないことだらけでした。


2011.12.03 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Barry Wordsworth / BBC Concert Orchestra
Peter Wright & Lev Ivanov (Choreography)
Marianela Nuñez (The Sugar Plum Fairy), Thiago Soares (The Prince)
Iohna Loots (Clara), Ricardo Cervera (Hans Peter/The Nutcracker)
William Tuckett (Herr Drosselmeyer), Laura Morera (Rose Fairy)
1. Tchaikovsky: The Nutcracker

 ちょうど2年前のロイヤルバレエ「くるみ割り人形」が我々のROHデビューでした。数えてみるとこの2年でROHにはオペラ、バレエ合わせて都合23回来ており、ほぼ月一のペース。ロンドンはチケットが高いので何でもかんでも見に行けないなと思っていたのですが、ブダペストのころの4年で60回というペースよりは落ちるものの、振り返ると結局そんなにセーブできてないんですなー。
 今シーズンの「くるみ」はいつものオペラハウスのオケだけでなく、公演の約半分、26回中12回をBBCコンサートオーケストラが担当します。ここはクロスオーヴァー、ライトミュージックを専業とする軽めの楽団のようで、なぜ今回の伴奏を、全部ではなく中途半端に半分以下を担当することになったのか(しかも大事な初日を含む)、経緯はよくわかりませんが、今シーズンの「くるみ」は公演数が多いので劇場付きのオケのみでは規定労働時間を超えてしまうとか、そういう問題なのではないかいな。初めて聴くオケでしたが、一聴して音が平板、いかにも「お仕事お仕事」という感じの演奏で面白みがありませんでした。レスポンスの鈍いオケで、ただの裏打ちがはねてシャフルのリズムになってしまっているところもありました。ティンパニも何だかヘタクソ。今日は席の選択をミスったか、舞台向かって右側の最前列だったのでブラスの音がまともに耳に入ってきて、ブカブカとうるさいトロンボーンにチューバ、荒いトランペットが耳に障って仕方ありませんでした。一番良かったのはハープの男性二人です(笑)。指揮者のワーズワースは以前トリプルビルで聴いています。正直オケの統率力には疑問符を感じたのですが、今日は自身が桂冠指揮者を勤める手兵だったのでリラックスし、大崩れなくまとめていました。
 第一幕はテンポの良い場面転換でパーティーのシーンまで持っていき、のっけからワクワクさせます。細部まで凝りに凝った、ゴージャスなプロダクション。真ん中で踊っている人々のかたわら、舞台の隅のほうでも各々小芝居が繰り広げられ、見ていて飽きません。クララ役のアイオーナ・ルーツは芝居が細かいんですがわざとらしくならない節度があって、ナチュラルな表現力に長けた人ですね。相手役のセルヴェラはもっと素朴で実直な感じ。ドロッセルマイヤー役のトゥケットも落ち着いた渋い演技でした。第一幕だと、最初に見て擦り込まれているのがワイノーネン版なので、プレゼントは最後に黒塗りのムーア人人形が飛び出してきてクルクル回るのが自分の中ではデフォルトなのですが、顔黒塗りはやっぱり表現方法としてマズいのか、ライト版では男女ペアの兵士人形(今日は蔵健太さんでした)が銃を構えて子供たちを脅します。銃で子供を脅すのは教育上問題ないんですかねえ。イギリス人の理屈はようわからん。
 第二幕が開く直前、バレエ芸術監督のモニカ・メイソンが突然マイクを持って登場したので、もしやと思いましたがそのもしやでした。シュガープラムを踊る予定だったセイラ・ラムが急病のため踊れなくなり、幸いオペラハウスに別のシュガープラムがいたので(と言うと笑いが起こりました。そりゃそうだ、今日の出演メンバーの中にも踊れる人が何人もいましたから)、急きょ代役としてマリアネラ・ヌニェスが踊ります、というようなアナウンス。今シーズンの「くるみ」では、ヌニェスはキシュとのペアでエントリーされているので、予定外の夫婦競演が見れてラッキーと言うか何と言うか。逆に、長年のパートナーだからこそ、こんな急な代役でも引き受けることができたんでしょう。予定外の出演でリハ無し(でしょう、多分)をモノともせず、ダイナミックで思い切りがよく、キメのポーズがまたいちいち美しい、完成されたパ・ドゥ・ドゥでした。
 それにしても、万が一の事態のために代役のできるプリンシパルは常に誰か劇場で待機しなければならないとしたら、今更ながらプリンシパルってのは過酷な職業ですね。実は前回、2年前に見たときも、カスバートソンの代役でヌニェスの金平糖を見ていたのでした(このときは当日の配役表ですでに代わっていたので、それほど急な降板ではなかったけれど)。逆にセイラ・ラムはトリプルビルでしかまだ見たことがなかったので今回楽しみだったのですが、その点はちょっと残念。第二幕では他に、葦笛の踊りで高田茜さんが元気そうに復活されてました。花のワルツでは、2年前はバラの精だったユフィちゃんが今回は取り巻きの花に一歩下がっていました。ユフィちゃん、来年の分では金平糖の精を踊ったりもするので、ファーストソリストは忙しいですね。怪我だけは気をつけてください。
 毎年12月は家族揃って「くるみ割り人形」を見に行くと決めてから今年で8年目。来年はどこで見ているかわかりませんが、もしまだロンドンにいて、ロイヤルが来シーズンもやってくれていたら、是非是非また見に行きたいものです。


2011.11.25 Royal Festival Hall (London)
Eduardo Portal / London Philharmonic Orchestra
Craig Ogden (Guitar-2)
1. Antonio José: Suite from 'El mozo de mulas' (The Muleteer)
2. Rodrigo: Concierto de Aranjuez for guitar & orchestra
3. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 1
4. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 2
5. Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (orch. Ravel)

 連夜の演奏会。未だ時差ぼけ抜け切らぬ体調のためけっこう辛いです。今夜の目当ては「三角帽子」ほぼオンリー。昔から大好きな曲なのですが実演で聴ける機会が少ないので、目に止まれば極力聴きに行くことにしています。
 1曲目はアントニオ・ホセの歌劇「らば飼いの少年」からの組曲。ホセは名前からして初めて聴く作曲家でした。Wikipediaで調べるとラヴェルやダリと親交があり、次世代のスペイン楽壇を担う逸材として期待されていたにもかかわらず、スペイン内戦に巻き込まれて何と34歳の若さで処刑されてしまったそうです。指揮者のポルタルは見た目さらに若そうなハンサムボーイで、今年LPOの副指揮者をやっているようで、やせぎすの長身と鬼のような形相から巧みな棒さばきでオケをリードする、と思いきや、オケの反応がイマイチ。慣れない曲なので練習不足なんでしょうか。
 気を取り直して2曲目は、第2楽章だけ超有名な「アランフェス協奏曲」。独奏は、名前だけは聞いたことがある人気ギタリスト、クレイグ・オグデン。この演奏会、最終的にはほぼ満員だったのですが、なるほど理由がわかりました(オグデンが出ると知らずにチケット買いました)。オケは中編成ながら音を刈り込んだ室内楽的アプローチだったので、脇の席でしたがギターはよく聴こえました。しゃらんしゃらんとメタリックな音は華やかでいいな、コールアングレのソロはいい音でがんばってるな、などと考えながら、意識は睡魔に飲まれていってました。すいません。
 待望の「三角帽子」は小気味よいティンパニのリズムで景気よく始まりました。指揮者はオケに「スペインの旋律」を歌わせ、「スペインのリズム」を刻ませるべく孤軍奮闘し、オケ側もできる限りこの若者のリードに応えようと温かく接していたように見えましたが、どうもギクシャクしていたのはリハ不足と指揮者の経験不足なんでしょう。第1組曲の「粉屋の女房の踊り」で極端に粘ったファンダンゴのリズムに最初は「おおっ」と思わせたものの、フレーズを繰り返すに従い粘りは薄れていき、やりたいことはわかるがとにかくオケが着いていってない印象でした。他にも、第1組曲が終わったところで間をおいたので拍手が起き、一旦オケを立たせるような素振りを見せたのに誰も立たなかったり(そりゃそうだ、と思いました)、チグハグなことをやっていたのがいかにも手慣れていない感じで、初々しいやら、痛々しいやら。終曲のラスト、盛大なカスタネットに続く最後の一撃も前のめりで終わってしまって、だいぶ消化不良感が残りました。
 ここでようやく休憩。短い曲が多いとは言え、前半にちょっと詰め込みすぎではないかなあ。休憩後の「展覧会の絵」は、バスク系のラヴェル編曲ということで辛うじてスペイン繋がりのプログラムと言えますが、やっぱりちょっと無理がある。これをやめて、むしろ「三角帽子」を全曲版でやったほうがすっきりとしたプログラムになったのではないかと。それはともかく、この「展覧会」でもギクシャク感は消えず、どうにも思い切りの悪い演奏になっていました。やっぱり慣れの問題でしょうか、曲の間にいちいち休止を入れるから、この季節はすかさず咳のオンパレードになってしまい、間合いも開くし、集中力が殺がれる結果になります。棒振りそのものは長身もあってずいぶんとさまになっているので、後は何とか場数を踏んで、先発投手が「試合を作る」技量をもっと磨いてくれれば、ですかなー。


2011.11.24 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Geir Draugsvoll (Bayan-2)
1. Prokofiev: Symphony No. 1 (‘Classical’)
2. Gubaidulina: Fachwerk (concerto for bayan, percussion and strings)
3. Tchaikovsky: Symphony No. 5

 10月は結局10回演奏会を聴いて、11月序盤にもバルトークが立て続けに3回という、私としてはいつになくハイペースだったのでちょっと疲れましたが、出張のため2週間ブランクがあいてしまったら、もうずいぶんと久しぶりに音楽を聴く気がするから不思議なものです。
 1曲目の「古典交響曲」は今年のプロムスでも同じ組み合わせで聴きました。フル編成、モダン配置のオケを遅めのテンポでぎこちなく操り、全然「古典」らしくないアプローチです。プロコフィエフはあくまでプロコフィエフ、と言うのでしょう。個性的な演奏でした。時差ぼけがまだ抜け切らず、この短い曲でも途中少し寝てしまいましたが、プロムスのときも眠くなったので、時差ぼけよりも好みに合わなかったのが多分眠気の要因でしょう。
 2曲目はロシア式アコーディオンのバヤンを独奏にした35分ほどの協奏曲。2009年に発表されたばかりの新作ほやほやです。グバイドゥーリナという女流作曲家は名前からして初めて聴きましたが、現代音楽の作法に寄らず、どちらかというと調性音楽寄りの作風ながら、極めて自由奔放で開放感のある音楽と感じました。バヤンは視覚的にも実にダイナミックな動きのある楽器で、弾き方によってテープ逆回しのような効果もあり、さらにいろいろと特殊奏法を駆使して、単なるアコーディオンの枠を大きくはみ出した不思議な世界でした。バックのオケは先ほどの古典交響曲よりもさらに小さな編成で、決して音がよく通るわけではないバヤンをフィーチャーするにはちょうど良いバランスでしたが、打楽器、特にタムタム(銅鑼)のロールは遠慮のかけらもなく響きまくって、カタストロフィーが全てを洗い流してしまうような終り方でした。まあ、長いし、一回聴いたくらいではようわからん曲です。
 メインの「チャイ5」は部活のオケで演奏したことがあり、それこそ聴き飽きるにもほどがあるというくらい繰り返し聴いた曲なので、反動で蛇蝎のごとく敬遠するようになってしまいました。今回は、我らがLSOが先シーズンから連続してチャイコフスキーの交響曲を取り上げてきており、5番も久しく聴いてないなあとふと思って、珍しく聴いてみる気になりました。この曲がゲルギエフの十八番であり、ウィーンフィルを相手にこの曲を振ったライブCDが彼の出世作でもあることから、ゲルギーのチャイ5はさてどんなもんかのう、という興味も大いにありました。
 弦楽器は対向配置に変わっていて、ちょうどコントラバスの反対にティンパニが位置します。冒頭、クラリネットが極端に暗く沈んだ音色で、すぐに弦楽器に埋もれて行くので逆に意識がそこに集中し、なかなか巧いやり方です。第1主題が始まってからは、楽譜の指示を大きく踏み外し、テンポを最大限に揺さぶるまるでマーラーのような演奏。9月のチャイ4のときも同様な感じの演奏でしたが、より激しく、イロモノ度はさらに磨きがかかっています。よくオケが振り落とされないものだと感心しましたが、それだけゲルギーとLSOは今密接な関係にあるということでしょう。しかし、そうでなくともチャイ5は甘ったるく感傷的な演奏になりがちな曲で、実際そうなっていたので、少なくとも私の好みではありませんでした。演奏上は楽譜に忠実、質実剛健に、その中でほのかに香ってくるロマンチシズムが特にチャイ5の醍醐味と考えてますので(昔レコードでよく聴いたムラヴィンスキーとか、タイプは違うけどベーム/LSOなんかは好きだったなー)。
 デヴィッド・パイアットのホルンソロ(第2楽章)が素晴らしく、後で何度も指揮者に立たされていましたが、他の管楽器、特にオーボエも何気に凄かったです。アンサンブルの妙のみならず、こういった個人芸でも超一流の仕事を見せてくれるのがLSOのニクいところ。個人芸と言えばティンパニのナイジェル・トーマスさんがチャイ4同様チャイ5でも、勝手に音を変え、フレーズを変えのやりたい放題。ちょっと節操ない演奏でしたが、個人的には面白いので今後も注視していきます。


2011.11.09 Barbican Hall (London)
Xian Zhang / London Symphony Orchestra
Gareth Davies (Fl-2)
1. Bartók: The Miraculous Mandarin - Suite
2. Nielsen: Flute Concerto
3. Zemlinsky: Die Seejungfrau (The Mermaid)

 ブダペスト旅行から帰ってきても、やっぱりバルトーク。とりあえずこれで一段落ですが。この演奏会のチケットを買ったのも、ひとえにバルトークが目当てでした。「中国の不思議な役人」は何度も聴いて(見て)いるお気に入りの演目ですが、そこそこ人気があるはずの組曲版を何故か実演で聴いたことがなかったのです。今日の指揮者は中国人のチャン・シエン(張弦)、女性の若手です。中国人名のカタカナ化はけっこう難しく、PMFのWebサイトでは「シャン・ザン」となっていました。小柄な身体ながら非常にわかりやすそうな指揮をする人で、変拍子も極めて明解に振っていました。ならず者たちに客を取らされている少女が道ゆく男を誘う場面のクラリネットのカデンツ風ソロまで細かく棒を操っているのには、そこまでせんでも、と思ってしまいました。しかし、この場面を含めて全体的にいかがわしさがよく出ていたし、リズムにもキレがあり、なかなか変態チックな好演でした。
 2曲目のニールセンは全く初めて聴く曲でした。ちょっと変わった雰囲気の曲で、金管はトランペットを欠いてホルン2本にトロンボーン1本。クラリネットやトロンボーンがソロイスティックに活躍し、フルートにしつこく絡んでいきます。ティンパニもドカドカとうるさく、フルートの主役の座は常に脅かされており、むしろ影が薄いと言ってもよい状態。張さんはこの小編成の曲をふわりと軽めにまとめて、さっきとは違う面を見せていました。
 メインはツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」という、これまたドマイナーと言ってよい選曲。冒頭はドビュッシーのように見せかけといて、実はリストからリヒャルト・シュトラウスへと繋がるドイツ交響詩の王道に乗った、聴き応え十分の力作でした。途中チャイコフスキーのような旋律も聴かれ、かなりロマンチックな曲です。アンデルセンの童話をベースにしていますが、メルヘンチックではなく複雑な響きをすっきりと整理した、見通しのよい直線道路のような演奏でした。ただ、先のニールセンもそうですが、ここまで馴染みのない曲だと演奏を論評するのもはばかられますので、どうかこのへんでご勘弁。
 客入りは今までLSOを聴きにきた中でも極端に悪く、上階の席は本当にお寒かったです。このマニアックなプログラムではいたしかたなしですか。指揮者はなかなか器用な人で、将来有望な若手であることは間違いないと感じました。調べるといつもこんな感じのマイナーなプログラム路線を猪突猛進している人みたいで、これが出来てしまうのはある意味LSOの懐の深さも凄いわけですが、ニッチ市場向けで終わってしまってはもったいない、どこかで殻を破る必要があるんじゃないかと僭越ながら思ってしまいました。


2011.11.06 Béla Bartók National Concert Hall (Budapest)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Zoltán Fejérvári (P-2)
1. Bartók: Hungarian Peasant Songs
2. Bartók: Piano Concerto No. 1
3. Schubert: Symphony No. 5 in B-flat major
4. Tchaikovsky: Romeo and Juliet - Fantasy-Overture

 3日前に「青ひげ公」を聴いた後、休暇で1年ぶりのブダペストに行ってバルトークコンサートホールでまたまたバルトークを聴く、我ながら「バルトーク三昧」してます。
 このホールに来るのは実に4年半ぶり。悪かったアクセスが改善されていないのは最初からわかっていたので、お出かけはレンタカーで。地下駐車場の夜の無料開放がまだ続いていたのは嬉しかったです。ホールの中はカフェバーとインフォメーションが場所を交換していたり、ボックスオフィスがCDショップになっていたり、また外壁の原色ピカピカ照明がなくなっていたりと、微妙にいろいろと変わっていました。ホール内の内装は変わらず赤青の原色パネルが目を引き、座席はちょっと高めの背もたれに少々圧迫感がありますが、このあたりは懐かしいもんです。
 開演前、オケの練習風景とソリストのインタビューを収録した宣伝用ビデオが上映されていました。その中で別の日のソリストが「コチシュとフィッシャー/ブダペスト祝祭管のバルトークが自分の目標だった」というようなことを話しており、祝祭管の演奏会でコチシュの名前を聞いたのが新鮮でした(コチシュはこのオケの創設者の一人でありながらフィッシャーと対立して飛び出し、それ以降客演していないのはもちろん、何かと言えば目の敵にしています)。
 フィッシャーとブダペスト祝祭管はロンドンに来てから何度か聴いていますが、じっくりと丹念に音楽を作り込んで行くタイプのオケなので、やはりホームで聴くのが吉です。1曲目の「ハンガリーの農民歌」は実に骨太の弦アンサンブルが歌わせ方の隅々までハンガリーのイントネーションで首尾一貫して奏で、木管・金管は非常に素朴な音色で田舎の香り付けをし、のっけからその彫りの深さに参りました。ホールの程よく長い残響も健在で、故郷に戻ってきたような懐かしさを感じました。
 ピアノ協奏曲、元々は3回ある定期演奏会のうちコンチェルトだけ日替わりで全3曲をシフ・アンドラーシュが演奏するという、今シーズンの目玉企画だったわけですが、1月にシフが政治的理由で祖国との決別宣言をしたためにキャンセルとなってしまい(決別と言ってもオケとは良好な関係が続いているので、これに先立つ米国ツアーでは予定通りシフが帯同して3曲とも弾いていたようですが)、結局3曲各々に別の代役ソリストを立てました。この日のコンチェルトは第1番、ソリストはフェイェールヴァーリ・ゾルターンというハンガリー人の若者だったのですが、この抜擢は彼にはちょっと荷が重過ぎたようでした。音がスカスカに軽く、まるでシューベルトでも弾くかのようになめらかなのは良いとしても、オケに着いていくのが精一杯の平板なピアノでした。いかにもこの曲を(もしかしたらバルトーク自体を)弾き慣れていないのがありあり。一方のオケは、打楽器群を指揮者の目の前に置くという、これはフィッシャーのみならず誰でもやっている定番の配置ですが、さすがに十八番でアクセントの付けどころ、リズムの強調しどころを知り尽くした濃厚な伴奏。最後のコーダではピアノが半ば脱落していたし、まだ若いとはいえ、ちょっと気の毒に感じる飲まれっぷりでした。曲名はわかりませんが、アンコールで弾いていた穏やかなピースを聴くに、この人は元々デリケートで叙情的な演奏が持ち味で、ならばせめて1番ではなく3番を当ててあげればよかったのになあ主催者も人が悪い、と思ってしまいました。まあ何事も経験あってのキャリアですから、彼もハンガリー人ならばこうやってある意味贅沢な洗礼を受けたのは、今後の成長に必ずプラスとなることでしょう。
 休憩後のシューベルト第5番は、ミニマルで端正な古典交響曲の外見を保ちながらもロマン派の優美さがそこはかと漂ってくる、品のある佳曲です。さすがは「仕掛けのイヴァーン」、よく見るとチェロとコントラバスは定位置におらず、他の弦楽器の中に混ざって分散しています。低音が程よく分散する他に、お互いの音が聴きやすくなるというメリットがあるようですが、効果はあくまで微妙なものでした。それよりも一呼吸一呼吸がいちいちよく練り込まれたフレージングはまさにこのコンビならではの完成度で、たいへん歌心のある演奏でした。
 最後のチャイコフスキー「ロメジュリ」では、今度はハープ奏者(美人!)が指揮者の目の前に置かれ、メリハリの利いた展開でぐいぐいと押し進めます。とは言え第二主題では速めのテンポでホルンを強調しない淡白さを維持し、甘ったるいチャイコフスキーに陥るのを食い止めていました。音が太くて適度に華美な好演だったのですが、米国ツアーの直後でお疲れモードだったのか、シンバルが派手にリズムを外して脱落したのはプロにしては珍しい事故でした。
 やはりこのオケとホールは相乗効果で素晴らしいものであることを再認識できました。またこのホールで聴く機会があればと思いますが、旅行ベースだとなかなかタイミングが合わなくて…。次は3月のロンドン・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、曲目はスペイン交響曲とシェエラザードです。


2011.11.03 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-2)
Nick Hillel (Director-3), Juliet Stevenson (Narrator-3)
Sir John Tomlinson (Bluebeard-3), Michelle DeYoung (Judith-3)
1. Debussy: Prélude à l'après-midi d'un faune
2. Bartók: Piano Concerto No. 3
3. Bartók: Duke Bluebeard's Castle (semi-staged)

 早いものでフィルハーモニア管のバルトークシリーズもロンドンではこれが最終日。気合いを入れて1年半前に買ったこのチケットも無事日の目をみることができて、よかったです。
 1曲目はバルトークではなくドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。サロネンは指揮棒を使わず、重心の低いフルートを軸としてカラフルな粘土でやさしく肉付けしていくような幻想的な演奏でした。手馴れた感があったのでこのコンビの十八番なんでしょうね。まずはお洒落なアペリティフで軽くジャブ、といったところです。
 ピアノ協奏曲第3番は、1番2番とはがらっと曲想の違うこの曲をブロンフマンがどう料理するか興味津々だったのですが、くっきりと切り立ったピアノがカツカツと前面に突出し、ここでもやはり妥協のない即物的な演奏に終始していました。バルトークなのでこういう解釈はありですが、コチシュほどの硬質さもなくちょっと中途半端なピアノ。展開がギクシャクとしていて乗りきれず、あまり好きな曲じゃないのかも。もちろんめちゃめちゃ上手いのですが、こういうテクニカル的には平易な曲だとかえってミスタッチが耳についたり、我らがアンディさんもティンパニのリズムを間違えたりして、面白いもんです。我らが全体の流れと起伏をうまく彫りだす説得力では、夏のプロムスで聴いたシフのほうが何枚か上手であるなあと感じました。
 メインの「青ひげ公」はstaged performanceということで、実は演奏会の最初から、ビデオを投影するためのスクリーンと何だかよくわからないオブジェが設置されていました。団員が出てくるのと一緒に、よく見るとすでにサロネンもヴァイオリンの中に座って談笑しています。照明が落ち、ナレーターが静々と出てきて「Once upon a time...」と英語で前口上を語り始めました。息子ペーター・バルトークによる完全版スコアに新版英訳が付いてから英語の前口上は珍しくないですが、これは吟遊詩人という役どころなので女性のナレーターはたいへん珍しく、「青ひげ公」のCDは目に付けば手当たり次第買い集めている私も、初めて聴きました。本編の歌は原語なんだし、やっぱり私はハンガリー語でテンション高く「Hay rego reitem...」と始まってくれないと、どうも調子が狂ってしまいます。
 前口上が終わると歌手の二人も左からそろりそろりと登場。トムリンソンは英国人なのに「青ひげ公」を得意としていて、CDも何種類か出ていますが、良く響く低音はさすがに貫禄十分。ただし、調子が万全ではなかったのか歌が多少粗っぽかったのと、演技過多なのはいただけません。また、外見があまりに「老人」なのもマイナスでした。青ひげ公はユディットを愛し、絶望し、血の涙を流し、最後は冷徹に葬るのですが、感情を表に出さず凛とした抑制がキャラの命です。やけにはしゃいだような演出、やたらに芝居がかった歌は基本的にNGと私は主張します。しかし、粗いとは言え、ポルガール・ラースロー亡き後、これだけの自信と貫禄で青ひげ公を歌える人は他にいないのも事実。ハンガリーから誰か若手が奮起して出てくれることを期待します。
 ユディット役は当初ミーシャ・ブルガーゴーズマンというクロスオーヴァー系の米国人黒人歌手が歌う予定でしたが(それはそれでどんなものになるか想像もつかず、是非聴きたかったですが)、妊娠が発覚したとのことでツアーはキャンセル。代役はマーラーシリーズで何度か登場したミシェル・デヤング。正直期待はしてなかったですが、意外とハンガリー語の発音もがんばって、よく歌っていました。トムリンソンが突出していた分、かえってバランスは良かったと思います。二人に共通するのは、歌のフレーズの立ち上がりにはもちろん気を使っているんでしょうが、時々アタックが弱くハンガリー語のリズムとして違和感のある箇所がいくつもありました。
 ビデオはシンプルでシンボリックなものでしたが、正直、あまり出来が良くないと感じました。歌手を邪魔しないという意味ではよかったですが、もっと多数のアイデアをぶちこんでもよかったのではないかなあ。真ん中の意味不明オブジェは途中で動いて形を変えるのですが、モーター音がうるさく、こっちは明らかに邪魔になっていました。
 サロネンのテンポは終始、極端に遅めで、歌手はさぞ歌いにくかったのでは。一方でサロネンの芸風らしからぬ粘りとポルタメント多用で、だいぶ濃厚な表現になっていたのは、歌手の熱気に引きずられたところもあったのかもしれません。そのわりには、この曲で私の一番好きな箇所、最後の扉を開けて「一人目の妻は」「二人目の妻は」と歌ううちに二人の間に流れる空気がさっと変わっていく心理表現が、重苦しいだけで機微に乏しかったのはちょっと残念でした。
 いろいろ文句も言いましたが、バルトークの最高傑作にして20世紀を代表するオペラ(は言い過ぎか)、「青ひげ公の城」を実演で聴く機会はそう多くないので、今年は2回も聴けて、もうそれだけで満足感いっぱいなのです。


2011.10.29 Royal Opera House (London)
Jeffrey Tate / Orchestra of the Royal Opera House
Tim Albery (Director)
Egils Silins (The Dutchman), Anja Kampe (Senta), Stephen Milling (Daland)
John Tessier (Steersman), Clare Shearer (Mary), Endrik Wottrich (Erik)
Royal Opera Chorus
1. Wagner: Der fliegende Holländer

 「さまよえるオランダ人」、劇場で見るのは初めてです。指揮者のテイトは最初から指揮台の椅子に座っており、場内が暗くなって拍手なしにいきなり序曲が始まりました。白いスクリーンを舞台袖から人力で揺らしていて、ぴちゃぴちゃと水の音がするのでよく見ると、本当にスクリーンの内側から水をかけて、ステージに水が見る見る溜まっていきます。舞台で水を使うのは、火を使う以上にいろいろと面倒だとは思いますが、ピット内のオケの人も、水が漏れてきて楽器を濡らさないかと気が気じゃなかったでしょう。序曲が終わってスクリーンが上がると、ステージ手前側にしっかりと水溜りが。もちろんこの水を要所要所で使っていく演出になるわけです。
 パッパーノじゃないのでオケにはあまり期待してませんでしたが、どうしてどうして、いつになく力のこもった演奏で、集中力も切れずに、たいへん良かったです。オケメンバーの指揮者に対する敬意が伝わってきました。タイトルロールのオランダ人は当初ファルク・シュトルックマンの予定でしたが、10月に入って急に病気のためキャンセル、代役はラトヴィア出身のエギルス・シリンスというアナウンスがありました。そのシリンスですが、彼もワーグナーはお手の物らしく「指輪」のヴォータンや「パルシファル」のクリングゾルなどがレパートリーに入っています。痩せぎすの身体ながら歌唱はどっしりと安定していて、青ざめた顔色のメイクも映えて、異形の者の雰囲気は十分に出ていました。ゼンタ役のアニャ・カンペもワーグナー歌手で、恰幅はよいもののよく見ればけっこう美人です。時折張り上げる金切り声がインパクト絶大で、ゼンタの狂気を余すところなく表現した心に残る歌唱でした。他の歌手陣も総じてハイレベルで、コーラスも適度に荒れて迫力があり、音楽的にはなかなか充実した公演でした。
 演出にはちょっと難ありです。舞台装置はシンボリックで、船と言えばミニチュアの帆船が出てくるだけで、しかも最後にゼンタは身投げする代わりにその帆船模型を抱えて倒れ込むという、何だかよくわからない結末でした。とは言えドイツの歌劇場と比べたら、ぶっ飛び具合は全然ましなんでしょうけど。オランダ人とゼンタが愛を確かめ合う場面も、変化のないバックに二人とも椅子に座ったまま歌うと言う何とも面白みのない展開。終幕に現れる船のタラップはまるで宇宙船のようで、各々演出家の意図が何かありそうですが、わざわざ謎解きするほど興味を湧き立てられたわけでもなく。もっとトラディショナルな演出で見たくなりました。
 一応全3幕のオペラですが1幕ものとして休憩なしで上演されるのが慣例となっています。今回もそれに従い約2時間半ぶっ通しの上演で、ちと疲れました。演出がラストの30分までは正直退屈だったので、実時間以上に長く感じてしまいました。これでもワーグナーのオペラでは最短なのだから、参りました。


2011.10.27 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-1,4)
Zsolt-Tihamer Visontay (Vn-1), Mark van de Wiel (Cl-1)
1. Bartók: Contrasts (violin, clarinet and piano)
2. Bartók: Suite, The Wooden Prince
3. Bartók: Dance Suite
4. Bartók: Piano Concerto No. 2

 またまたバルトークシリーズです。1曲目のコントラスツはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットの三重奏曲で、ジャズクラリネットの巨匠ベニー・グッドマンのために書かれた曲です。なので、私はてっきりアメリカ移住後の作品と思い込んでいたのですが、調べてみたら1938年、渡米前の作曲でした。バルトークとベニー・グッドマンという全く接点がなさそうな取り合わせが刺激的ですが、この二人を繋いだヨーゼフ・シゲティを加えて残した記念碑的録音が有名です(といいつつ実はまだ聴いたことがないんですが)。一種の変奏曲ですが、なかなかつかみ所がわからない曲です。特にピアノは地味〜に下支えするのみですが、対照にクラリネットは大暴れ。おどけた民謡調、激しいスケールの上昇下降、ジャジーでハスキーなロングトーンなど、色彩豊かに吹きまくります。オケの首席奏者マーク・ファン・デ・ヴィールが渾身のヴィルトゥオーソを聴かせてくれました。一方お馴染みのコンマス、ジョルトさんはハンガリー人なのに意外と控えめなバルトークへの取り組み方。調弦を変えた楽器を持ち替えつつも、でしゃばらず他の二人を引き立てることに徹していました。
 続く「かかし王子」、ハンガリーではバレエの定番メニューとしてよく上演されていましたが、組曲版は初めて聴きます。CDでも多分Hungarotonくらいからしか出ていない珍しいバージョンです。組曲は全部で35分くらいのバレエを半分の20分に抜粋したもので、実際聞いてみると、あれがない、これがない、と面食らう箇所もあったものの、コンパクトに上手く仕上がっているという印象です。多分聴き込みが足らないせいでしょう、私は「かかし王子」の音楽は冗長に感じることが多かったのですが、これは飽きませんでした。カラフルなオーケストレーションはラヴェルというよりリヒャルト・シュトラウスを連想させ、指揮者のドライブやオケの力量が量れる佳曲と感じました。「かかし王子」組曲のスコアは息子ペーター・バルトーク氏による決定版編集作業の一環として、数年前ようやく初出版されたそうです。「中国の不思議な役人」の組曲同様に、今後フルオケのレパートリーとしてもっと普及すればよいなと思います。
 休憩後の「舞踏組曲」はブダペスト市成立50周年記念祭で、コダーイの「ハンガリー詩篇」と共に初演された祝典音楽です。比較的初期の作品になりますが、バルトークらしいメタモルフォーゼされた民謡調スタイルはすでに確立されており、聴き手にストレスを強いる舞曲集です。演奏は先の「かかし王子」と比べると演奏頻度が高い分、変に手馴れているのか、どうも集中力がなくてリズムのキレも悪かったです。それとこの曲を聴いていてあらためて思ったのは、サロネンさん、昔からライフワークのようにバルトークをよく取り上げてきていますが、何か別世界からのアプローチのように感じてなりません。いったいバルトークの何に共感して取り上げるのかというと、純粋にスコアに書き込まれたアヴァンギャルドな作曲技法のみであって、ハンガリー民謡の歌わせ方とかにはまるで関心がないようにも見えます。ハンガリーとフィンランドは言語的には同族と言われているので音楽でも根底の部分で共振するものがあるのかもしれませんが、それにしてもサロネンは、多分ハンガリーの素朴な自然を歩いたり、ハンガリーの田舎料理をこよなく愛するような人ではないんだろうなと思いました。最後、コーダの前のブレークは異常に長く、エンターテインメント性に長けた解釈ではありましたが。
 最後はブロンフマン再登場でピアノ協奏曲の第2番。第1楽章は私も初めて実演で聴いたとき「なるほどそうだったのか」と瞠目したのですが、弦楽器が一切出てこない、ピアノと金管、木管だけのファンファーレ的音楽です。待ちくたびれた鬱憤を晴らすかのように、体重増殖中ブロンフマンのピアノはよくまあ激しく叩きつけること。打楽器奏者もかなわないくらいに手首がよく回ってます。しかも音がシャープで、打鍵は機械仕掛けのように正確。相変わらず硬質の切れ味鋭いピアノでした。これを聴けただけで今日は大満足。終楽章、せっかくのティンパニ連打でスミスさんが大見得を切ってくれなかったのと、全体的にオケの音(特に金管)が荒れていたのがちょっと残念。しかしラストの畳み掛けは最初からトップギアで爆走し、凄いの一言。来週の第3番もどう料理してくれるのか、とっても楽しみになりました。
 バルトークシリーズはマーラーとはやっぱり違って、客入りはまあまあ。コーラス席には客を入れず、なお空席が目立ちました。ところで今日は第2ヴァイオリンのゲストプリンシパルとして船津たかねさんが、フィオナちゃんの隣りに座っていました。20年前にバーンスタイン指揮の第1回PMFオーケストラでコンミスを勤めたことで、若手美人奏者として一躍人気を博した人だそうです。今はさすがに年齢なりの落ち着きでしたが、今なお笑顔がかわいらしい小柄でチャーミングな女性でした。


2011.10.25 Queen Elizabeth Hall (London)
Mikk Murdvee / Royal College of Music Symphony Orchestra
Meng Yang Pan (P-2)
1. Bartók: Divertimento
2. Szymanowski: Symphony No. 4 (Symphonie concertante for piano & orchestra)
3. Bartók: Two Portraits
4. Bartók: Four Orchestral Pieces

 王立音楽大学の学生オーケストラによる、バルトークの比較的マイナーな作品を揃えたマニアックなプログラム。先週のタカーチ・カルテットと同様、フィルハーモニア管の主催するバルトークシリーズ“Infernal Dance: Inside the world of Béla Bartók”の一環になっています。いくら音楽のプロの卵とは言え、アマチュアオケでこの選曲は渋過ぎます。まあおかげでブダペストでもめったに聴けなかった曲をこうやってロンドンで聴けるのだから感謝です。ただ、客入りはせいぜい半分に満たない程度で、しかも出演者の家族・友人など多分内輪ばっかり。さながら私はシブい選曲に釣られて紛れ込んだ部外者のヘンなオジサンでありました。
 今回クイーン・エリザベス・ホールで初めてフルオーケストラを聴きましたが、ステージは以外と奥行きがあり、もしかしたらウィーン楽友教会より広いかも。ただ、ろくな反響板はなく、そこかしらに照明がつり下がっていて、音楽ホールとしてはベストと言えませんね。
 1曲目は「弦楽のためのディヴェルティメント」。「弦チェレ」と並んでパウル・ザッハー/バーゼル室内管のために作られた最盛期の傑作とされていますが、フルオーケストラの演目にはめったに乗りません。王立音楽大学オケの弦楽アンサンブルは、もちろん若い奏者ばかりですが、幅広いニュアンスが表現できていて、驚くほど上手かったです。そんじょそこらの日本のプロオケじゃあ、かなわないかもしれません。コンマスはErzsebet Raczというモロにハンガリー系の名前のちょっと恰幅の良いお嬢さんで、この人も十分にプロのソリストの音を出していました。指揮者はエストニア出身の若手で、今年からフィルハーモニア管でサロネンのアシスタントをしているそうです。師の指導をどのくらい受けたのか、構造の見通しの良い、手堅くまとまった演奏になっていました。もしかしたらこの渋い選曲もサロネンの意向だったのかも。
 次はシマノフスキの交響曲第4番(あるいは協奏交響曲)。一応うちのiTunesにも入ってましたが、ほとんど初めて聴く曲です。パーカッシヴなピアノがバルトークに通じる作品とも言えるでしょうか。ピアノ独奏はパン・メンヤンという26歳の、いかにも中国のベッピンさんという感じの華奢な女性でした。しかしその細い腕から想像つかないパワフルな打鍵が意表をつき、技術的にはこの人も相当上手かったです。曲が曲だけにこれだけで判断するのも何ですが、テク命でガンガン弾きまくるところばかりが印象に残りました。フル編成になったオケは、ブラスがちょっと弱い感じ。一方木管のソロはたいへん達者でプロ顔負け。指揮者はここでもバランスをうまくまとめ、盛り上げる山場を心得ていました。職人肌かもしれません。
 休憩後の「2つの肖像」の1曲目は、作曲者の生前はお蔵入りしていたヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章ほぼそのもので、コンマス嬢がふくよかなソロを奏でます。もちろん非常に上手いのですが、テクニック以外は何も考えずに弾いている感もちょっとありました。最後の「4つの小品」だけは以前にブダペストでも聴いたことがありましたが、演奏会のメインに持ってくるにはあまりに渋い曲。華々しく終るわけでもないので、さすがにこの長丁場ではちょっと盛り下がり感もありました。音楽を志す集団の気骨は評価し、これらの曲を素晴らしい演奏で聴けたことに感謝もしていますが、アマチュアオケの演奏会なんだから、指導の先生はもうちょっと空気読まんかい、とは思いました。


2011.10.18 Queen Elizabeth Hall (London)
Takács Quartet: The Complete Bartók String Quartets I
Edward Dusinberre (1st Vn), Károly Schranz (2nd Vn)
Geraldine Walther (Va), András Fejér (Vc)
1. Bartók: String Quartet No. 1
2. Bartók: String Quartet No. 3
3. Bartók: String Quartet No. 5

2011.10.19 Queen Elizabeth Hall (London)
Takács Quartet: The Complete Bartók String Quartets II
1. Bartók: String Quartet No. 2
2. Bartók: String Quartet No. 4
3. Bartók: String Quartet No. 6

 マーラーシリーズが一段落し、しばらくバルトーク続きになります。私としては珍しく、弦楽四重奏の演奏会。他ならぬタカーチSQがバルトークの全曲演奏会をやるというせっかくの機会なので、ぬかりなく全部聴きに行くことにしました。
 断るまでもなく弦四は全く私の守備範囲外なのですが、にわか座学でちょいと楽団の歴史をば。タカーチSQは1975年にブダペストで結成、メンバーは当時全員がリスト音楽院の学生でした。楽団名は第1ヴァイオリンのタカーチ=ナジ・ガーボルが由来ですが、そのタカーチさんは1993年に脱退、英国人のエドワード・ドゥシンベルが代わりに加入します。翌94年にはヴィオラのオルマイ・ガーボルが健康上の理由(95年死去)でやはり英国人のロジャー・タッピングと交代、英洪半々の楽団となってからメジャーレーベルへの録音が増えていきます(それ以前もハンガリーのHungarotonレーベルへ多数の録音がありますが)。特にバルトークとベートーヴェンの全集は高い評価を得て、世界トップクラスのカルテットとして一躍名声を馳せました。2005年に引退したタッピングと入れ代わったのは、サンフランシスコ響のヴィオラ主席を30年勤めていた米国人女性奏者、ジェラルディン・ウォルサー。さらにインターナショナルになったタカーチSQは活動拠点を米国コロラドに移し、タカーチさんはすでにおらず、ハンガリー人率は半分になり、ハンガリーで演奏することすらめったになくなったので、もはやハンガリーの団体とは本人たちも思ってないかもしれません。
 バルトークの弦楽四重奏曲は全部で6曲あり、初日は奇数番号、二日目は偶数番号を、各々番号の順に演奏していきます。DECCA盤(2枚組)も同じ分け方ですね。余談ですが、オリジナルメンバーによるHungarotonの旧盤は3枚組で、ブダペストのCD屋ではかつてよく見かけました。私もコンパクトなDECCA盤のほうをつい買ってしまったのですが、今や稀少価値となった旧盤のほうを買っておけばよかったと少し後悔しています。
 初日、登場したメンバーを見て、第2ヴァイオリンのシュランツ・カーロイとチェロのフェイェール・アンドラーシの二人がいかにも「ハンガリー人顔」なので、思わずニンマリ。4人並べてどれがハンガリー人かと聞かれたら、予備知識なしでも楽勝でわかるでしょう。一方のリーダーのドゥシンベルは長身ですがあまりイングリッシュ然としてなく、ちょっと国籍不明ぽい。むさい男どもに挟まれて紅一点のウォルサーは、こちらはいかにもアングロサクソンで、身のこなしがとっても女性らしいチャーミングな人でした。しかし、見た感じからはそう思わなかったのですが、一番新しいメンバーのウォルサーさんが実は一番年上だったんですね。
 演奏が始まると、民族だの性別だのは全く関係なく、評判通り完成度の高過ぎるアンサンブルを聴かせてくれました。DECCA盤CDとはメンバーも変わっているので多少アプローチが違うかなと思う箇所もありましたが、女性が入ったからメロウになったとかカラーが変わったということはなさそうで、一貫してストイックでスポーティな演奏でした。皆さん身振りが大きいわりには熱気で上ずることなく、演奏は至ってクール。音色もリズムもバルトークだからといって無理な民謡テイストの味付けをすることなく、第5番のブルガリアン・リズムも極めて純化されたものでした。バルトークの弦四はさながら特殊奏法のデパートですが、オハコだけあって皆さんさすがに上手い!いちいちお手本のような完璧さで、舌を巻きました。
 印象に残ったのは二日目の第4番。以前ブダペストでこの曲を聴いたミクロコスモスSQは、他ならぬタカーチ=ナジ・ガーボルがペレーニ・ミクローシュと結成した楽団ですが(言うなれば「元祖タカーチ」?)、一体のアンサンブルというよりは、やはりこの二人の突出したソロを楽しむという聴き方になってしまっていました。一方こちらの「本家タカーチ」は、誰が突出することなくハイレベルで横並びのメンバーが絶妙のバランスで完璧な演奏を聴かせ、そうでありながらもチェロのフェイェールは、普段は地味に弾いているのに見せ場にソロになるとちゃんとソリストの音に切り替えてメリハリを見せ、総合的には一枚も二枚も上手の演奏に感銘を受けました。さすがー。二日目は初日よりも多少高揚して熱くなったところも見られたのが良かったです。
 普段はあまり聴かないバルトークの弦四をこうやって連続して聴くのは、エキサイティングな体験です。音楽はどれもやっぱりハードボイルド。バルトークが管弦楽を書く時のエンターテインメント性は影をひそめ、贅肉をそぎ落とした凝縮度の高い音楽になっています。二昔くらい前の所謂「頭痛のする現代音楽」のイメージそのもの、かもしれません。そうはいっても、第6番などでは凝縮度と聴き易さが同居する、ちょうどヴァイオリン協奏曲第2番のような「円熟」が感じられたのが新たな発見でした。


2011.10.15 Barbican Hall (London)
Steve Reich at 75
Kristjan Järvi / London Symphony Orchestra
Neil Percy, Steve Reich (Handclap-1)
Synergy Vocals (Chorus-4)
1. Reich: Clapping Music (1972)
2. Reich: The Four Sections (1986-87)
3. Reich: Three Movements (1985-86)
4. Reich: The Desert Music (1982-83)

 ミニマルミュージックの雄にしてテクノにも多大な影響を与えたスティーヴ・ライヒの75歳を記念した演奏会。氏の曲を実演で聴いたことがなかったのと、大管弦楽用作品をずらっと集めた演奏会も日本に帰ったらまず聴けまいと思い、家族で出かけてみました。
 1曲目はLSOの首席パーカッショニスト、ニール・パーシーにライヒ自らも演奏に加わった「手拍子の音楽」。まあ露払いの余興みたいなもんです。スポットライトを浴びつつ野球帽を被ったライヒが登場。手拍子はマイクで集音しており、正直、歯切れの良い音ではなかったので正に「拍子抜け」でした。二人とも打楽器のスペシャリストではあっても、手拍子にさほどこだわりはなかったということでしょうか。
 次の「4つのセクション」はもちろん4部構成で、第1部は弦、第2部は打楽器、第3部は管楽器、第4部はフルオーケストラが主体ですが、各々切れ目なく連続で演奏されます。「セクション」には「楽器群」と曲の「部分」両方の意味が込められているようです。見るからに大編成の管弦楽で、弦楽器は各パート各々が分割され左右対称に振り分けられており、指揮者の両脇にはこれまた対象に2台のピアノ、各々の上にはシンセサイザーの往年の名器YAMAHA DX7(オリジナルではなく多分7S)が置いてあります。指揮者の目の前にマリンバが4台配置され、各々譜面台を3つも並べて横長の楽譜を置いています。確かにこういったミニマル音楽は繰り返しパターンが少しずつ変化していくので音符の数や小節数はやたらと多いはずで、実際、普段は音を出す箇所が限られているトロンボーンやティンパニまで、演奏中に忙しく楽譜をめくっている姿が非常に新鮮でした。LSOはさすがに名手揃いで、木管のソロなどミニマル音楽にはオーバースペックなほど素晴らしい音色(決してミニマル音楽をくさすわけではありませんが…)。不協和音がないので曲調は一貫して耳に優しく、フルオーケストラで盛り上がる壮大な第4曲がとりわけ感動的でした。
 続く「3つの楽章」ではDX7が引っ込められた代わりにエレキベースが2本登場、左右のチェロの後方であまり目立たないように弾いておりました。同じミニマルとは言っても先の曲と比べると和音のテンションがずっと多くなり、テクノ風にもジャズ風にも聴こえる複雑な曲調になっていきます。より抽象度が増し、「テクノデリック」とか、ハードテクノの頃のYMOを少し連想しました。どっぷりと身を任せ、全身で体感するしかない音楽。さらりと聴き流してしまうと本当に何も残らないが、一旦捕らわれると麻薬のようにハマって抜けられない音楽に思えました。
 休憩で気を取り直して、最後のメインは「砂漠の音楽」。切れ目のない5つの楽章から成り、全部で50分もかかる大曲です。オケはまた配置が変わり、ピアノ2台が横に寄せられてその横にDX7が復活しています。弦楽器はヴァイオリン、ヴィオラが今度は各々3群に分けられて配置、ティンパニは10台を2人で演奏し、各奏者メロタム3個のオマケ付きです。他に深胴の大太鼓が2台に、指揮者の目前には相変わらずマリンバ群。さらに舞台奥にはSynergy Vocalsという10名の合唱隊が陣取り、大編成オケフェチには垂涎ものでした。前半の曲とは違って構造が全体でABCBAのアーチ形式になっています。マリンバ群による繰り返しリズムが基底にあることは変わりありませんが、曲調はまたさらに変化し、シェイカーや拍子木が活躍するせいでラテンアメリカの空気が漂ってきます。合唱は各人がマイクを持って「ダダダダダ」などのスキャットっぽい声を出し、一部意味のある歌詞の箇所もありましたが、基本的には「歌」というよりはこれも他の楽器と同じくミニマル音楽の構成要素として扱われていました。マリンバの楽譜の頁数はさらに増え、終わったものから床にばさばさと落として行ってもなかなかゴールが見えないエンドレス。奏者にとっては怖い曲です。第5楽章で最初のリズムに回帰するあたりには弦楽器にも相当疲れが見えてきて、辛うじてリズムキープをしているような、抜け殻の音楽になって行きましたが、それも含めての作曲者の狙いだったのかもしれません。
 ほとんど初めて聴くライヒの音楽は、古いような新しいような不思議な感覚で、あまりに長いと寝るのは必至かなと最初は思ったのですが、意外と飽きずに楽しめるものでした。ところであらためて考え込んでしまったのは、こういう曲での指揮者の役割です。クリスチャン・ヤルヴィは、ただひたすら四分音符で棒を振っていただけにも見えました。交通整理とメトロノームの役目以外に、例えば楽曲の解釈とか精神性(笑)とか、指揮者の個性を盛り込める余地はあったんでしょうか。しかしながら、交通整理とタイムキープこそがライヒの曲のキモかもしれず、気を抜けばあっという間に道を見失いかねませんので、普通の管弦楽曲以上に神経をすり減らしたのは想像に難くありません。これだけのクオリティで最後まで走りきったというのは、実は凄い演奏だったのかも。


2011.10.10 Royal Festival Hall (London)
Claudio Abbado / Lucerne Festival Orchestra
Mitsuko Uchida (P-1)
1. Schumann: Piano Concerto in A minor
2. Bruckner: Symphony No. 5

 この演奏会、元々は11日のほうの安い席のチケットを買っていたんですが、その日から出張が入ってしまったため行けなくなり、がっかりしていたある夜、完売だった10日のほうにフロントストールで1枚だけポコッとリターンが出ているのを発見。チケット発売の時は70ポンドは高い、絶対買えねえと思いましたが、めったに聴けないしオケだしこれも何かの啓示だろうと割り切って、すかさずポチっと購入しました。ただしおかげで3日連続の演奏会通いとなってしまいましたが。
 1曲目のシューマン、最初はソリストがエレーヌ・グリモーだったはずですが、いつの間にか内田光子に代わっていました。まあグリモーのシューマンは以前聴いたので変更は歓迎ですが、今日の席はピアニストを背中から見る方向だったので、光子さんの顔芸を堪能できなかったのが残念でした。そのシューマンですが、力が抜けてたいへん軽やかな演奏に、ある意味拍子抜けしました。冒頭のオーボエを筆頭に管楽器のソロは皆素晴らしく上手く、相当の名手が揃っているのは間違いありません。ルツェルン音楽祭のときだけ特別編成される臨時オケという性格から、個性的なソリストが各々勝手に名人芸を披露するような演奏を勝手に想像したのですが、あにはからんや、オケの音が非常に澄み切っていて、全体で一つの上等・上質な楽器のような、極めてまとまりの良いオケだったのが意外でした。各楽器の音はしっかりと芯があるにもかかわらず、徹底的に角が取れた、透明感の高いサウンドです。もっと重々しくも演奏できる曲ですが、アバドはあえて重心を高く構えてさらりと駆け抜けていました。内田光子のピアノは、オケが完璧だった分多少のミスタッチが目についてしまいましたが、同様に肩の力が抜けたリリカルなピアノで、オケと巧みに絡み合い、溶け合いながら一緒に天まで上って行きました。何だかモーツァルトの協奏曲を聴いているような感触でした。
 さて休憩後のメインはさらに凄いことになっていました。私が初めてブルックナーなるものの音楽を聴いたのはこの交響曲第5番からでしたが(忘れもしない、ショルティ/シカゴ響の当時の新譜でした)、生演で聴くのは実は初めてです。プログラムにブルックナーが入っているとそれだけで優先順位を下げてしまうので。この演奏会も本当は、ルツェルンならやっぱりマーラー聴きてえよなあ、と内心思っておりました。しかし、そんなことはもう問題ではないくらい衝撃的な音響空間に包まれることになろうとは。まず冒頭の低弦のピチカートにヴァイオリン、ヴィオラの和音がかぶさって来るところですにでただならぬ繊細さと緊張感が漂い、さっきのシューマンとは空気が変わっているのに気付きます。次に来る金管のコラールは力みがなく、濁り澱みの一切ない清らかな音ながら、腹の底から痺れるような威圧感に寒気が走りました。これぞ天上のコラールというのを一発かまされた後は、これ以上ないくらいデリケートなヴァイオリンのトレモロに導かれてヴィオラとチェロ、それにクラリネットが寸分もずれぬ呼吸で第一主題を奏で始めたあたりでもう、これはタダモノではない演奏だということを認識し、一音たりとも聴き逃してなるものかと集中して耳を傾けました。高レベルで粒揃いの演奏者が集い、さらには気持ちが一つとなって、「人類補完計画」もかくやと、お互いの音が有機的に絡み合って文字通り境目なく一体に溶け合った音が響いてきます。至高の管弦楽とはまさにこのことかと瞠目しました。私に取っては初めてコンセルトヘボウ管を生で聴いたとき以来の衝撃ですが、所詮イベントの非常勤オケがここまでハイレベルとは思ってなかったので、二重に衝撃でした。
 アバドも、今までニアミスはあったものの、生演は初めて聴きます。昔から好きな指揮者で、初期の頃DGから連発していたシカゴ響とのマーラーシリーズなどは熱狂的に聴いたものです。スルメのように脂の抜け切った風貌と、無駄のないローカロリーな指揮ぶりは、エネルギーに溢れていた壮年期のイメージとは全く合いませんが、しかしながら導かれる音楽はさらに数段スケールアップし、雑味を排除して純粋な音楽の高みをひたすら目指す、そのような演奏でした。出張で断念せず、聴けて良かったと本当に心から思います。終演後はまさに文字通りの場内総立ちで、十分その値打ちがあった演奏会でした。


2011.10.09 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Sally Matthews (S), Ailish Tynan (S), Sarah Tynan (S), Sarah Connolly (Ms)
Anne-Marie Owens (Ms), Stefan Vinke (T), Mark Stone (Br), Stephen Gadd (Br)
Philharmonia Chorus, Philharmonia Voices, BBC Symphony Chorus
Boys from the Chapel Choirs of Eton College
1. Mahler: Symphony No. 8 (Symphony of a Thousand)

 「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行くつもりが結局全部聴いてしまった」シリーズもついに最終回。前日のロイヤルバレエに続き連チャンで家族揃って出かけました。さすがに娘はお疲れ気味、マーラーにさして興味があるわけではもちろんないので、しょうがないからつき合ってあげるよモード。彼女が、ヨーロッパで自分が聴いてきたものの値打ちを認識するのは、もっと後のことになるのでしょう。
 本日の「千人の交響曲」、メンバー表から人数を数えてみると、オケ121、ソプラノ75、アルト59、テナー46、バス59、少年合唱34、独唱8、指揮者1の総勢403名でした。ちょうど、Loon Fungで800gの豆腐パックを買って家で実際測ってみたら400gしかなかった(ほぼ実話)、みたいな感じでしょうか。冗談はさておき、この曲を昨年のプロムスや2007年にブダペストで聴いた時はどちらも600人くらいだったので、それと比べてもずいぶんと少数精鋭ですが、響きの良いコンサートホールなので音量的にはこれで十分おつりが来るくらいです。
 このシリーズを一貫してマゼールは遅めのテンポ設定で、チラシには演奏時間約80分と書いてありましたが、今日も実際には100分近くかかっておりました。第一部は冒頭からオルガンと合唱がまさに風圧が顔を直撃する迫力で、場内に上昇気流が巻き上がっているんじゃないかと思うほどの空気のうねりを感じました。今回は早めにF列のチケットを取ったので、この距離だと少年が合唱もよく聴こえ、圧倒的な音量の中にただただ漂っておりました。音の洪水とは言ってもロイヤルアルバートホールのひどい音響と比べると音の分離は至ってクリア、オケの緻密なアンサンブルも十分に楽しめました。やっぱりちゃんとしたホールで聴く良質の大管弦楽は、格別に快感を刺激します。
 力技で押し切った第一部から一転、第二部は繊細過ぎる弦から始まって精緻の極みの音楽が続きます。第一部では海に飲み込まれるしかなかった独唱陣も、各々待ってましたと見せ場を作ります。特にテナーのフィンケは先日の「大地の歌」では正直がっかりしましたが、どうにか調子を取り戻したようでしっかり声は出ていました。依然として一本調子で、好きにはなれない歌い手ですが。舞台上のソプラノ2人とメゾのコノリー、バリトンのストーンも各々前に出る歌唱で良かったですが、もう一人のメゾのオーウェンスと、急きょ代役で呼ばれたバリトンのスティーヴ・ガッド(カリスマドラマーとはもちろん別人ですね)は、ちょっと影が薄く印象に残りませんでした。歌の部分は各歌手の力量にまかせつつ、マゼール御大は今まで以上に広過ぎるダイナミックレンジで濃厚にえげつない表現を繰り広げ、変態指揮者の面目躍如でした。指揮棒を腰のあたりに構えて真横に突き刺すような仕草も相変わらずチャーミング。
 終盤、最後のソプラノ(セイラ・タイナン)が最上段37番のボックス席から栄光の聖母の歌を歌っている最中、舞台から突然何かが滑り落ちるような音がしたので目を向けると、コントラバス奏者の女性が床に倒れて伏しており、楽器が舞台の下まで落ちていました。すぐに周りの奏者が助け起こし、近くの聴衆も何人か手助けをして、その奏者は担ぎ抱えられて舞台袖に引き上げていきました。担がれているとき意識はありそうに見えたので、貧血か何かだったのでしょうか。ちょうどコントラバスの出番がない箇所だったので、かえって気力が切れてしまったのかもしれません。終盤ますます遅くなったテンポが余計に奏者に負担をかけてしまった気もします。最後のクライマックスの前には倒れた女性奏者と付き添いで残った一人を除いて皆舞台に戻ってきて、何事もなかったかのように流れに入って行きました。指揮者はもちろん気付いていたでしょうが、演奏に集中していた他の楽器の奏者は多分何が起こったのかよくわからなかったでしょう。不運な事故ですが、マゼールはおそらく継続可能と咄嗟に状況判断するや、自ら動じることなく、また奏者に動揺を与えることなく、最後まで集中力を切らさずそのまま突き進んでいくことにしたのだと思います。倒れた奏者のその後の状況がわからないのですが(何事もなかったことを祈っております)、この演奏会、そしてこのシリーズの集大成が傷つくことなく何とか終われたのは不幸中の幸いでした。このロングランを走り切った指揮者と奏者、歌手、合唱団全員へ向けて、満場の大拍手喝采とブラヴォーはいつまでも止みそうにありませんでした。
 このシリーズを通しての感想は、変態かと思わせておいてやけに真っ当に切り込んできたり、毎回先の読めないマゼール先生の変幻自在ぶりに、たっぷり楽しませてもらいました。一人の指揮者、一つのオケ(しかもどちらも世界の一流)で連続してマーラーの全交響曲を聴くという機会はもう二度とないかもしれないので、一生の宝として胸に刻んでおきます。ところでこのシリーズは全てレコーディングするとの話でしたが、一発勝負ではキズの多い演奏もあったし、本当に出るのかなあ…。


2011.10.08 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet: Limen / Marguerite and Armand / Requiem
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House

 本日はトリプルビルの初日。マチネもありましたが、カルロス・アコスタをまだ見たことがなかったので、彼が出るソアレのほうを取りました。

1. Limen (Kaija Saariaho: Cello Concerto "Notes on Light")
Wayne McGregor (Choreography), Tatsuo Miyajima (Set and Video Designs)
Anssi Karttunen (Solo Cello)
Leanne Benjamin, Yuhui Choe, Olivia Cowley, Melissa Hamilton
Sarah Lamb, Marianela Nuñez, Letica Stock, Fumi Kaneko
Tristan Dyer, Paul Kay, Ryoichi Hirano, Steven McRae
Fernando Montaño, Eric Underwood, Edward Watson

 1つ目はフィンランドの作曲家サーリアホのチェロ協奏曲に合わせて、ロイヤルバレエの常任振付師ウェイン・マクレガーが振りを付けたモダンダンス。幕が開くと半透明のスクリーンにデジタル数字がうねうね動く映像が投影され、奥では闇からダンサーが浮かび上がってくねくねとよくわからないダンスを踊ります。サーリアホという作曲家は初めて聴きますが、調べると女性なんですね。初期は電子楽器を多用した作品が多かったものの、徐々にクラシカルで解りやすい作風に転じていったとのことで、2007年作曲のこの曲は確かに現代音楽と入っても技巧に縛られた窮屈なものではなく、北欧の厳しい大自然に通じるようなおおらかさを持っています。とは言え決して聴きやすい曲ではなく、舞台の上で繰り広げられる極めてフィジカルなダンスも私には肉体の限界を見極める連続実験のように見えてしまい、モダンダンスはやっぱりわからんなあ、という印象だけが残ってあえなく討ち死に。
 この蒼々たるメンバーに交じって見慣れない日本人の名前が。今年ロイヤルバレエに入団したばかりの金子扶生さんという人で、女性らしからぬ長身でボーイッシュな体格がたいへん舞台映えしていました。まだ高校を出たてくらいの年齢のようですが、若いのにそのがっしりと線の太いダンスは大物を予感させました。今後が楽しみな人ですね。

2. Marguerite and Armand (Liszt: Piano Sonata in B minor)
Frederick Ashton (Choreography), Dudley Simpson (Orchestration)
Robert Clark (Solo Piano)
Tamara Rojo (Marguerite), Sergei Polunin (Armand)
Christopher Saunders (Armand's Father), Gary Avis (Duke)

 次はエースのタマラ・ロホ登場。ROH歴2年にして実は初めて見ます。バレエは妻の好みでいつもマクレーさんの出る日を選ぶので、なかなか巡り合わせがありませんでした。
 このバレエはフォンテインとヌレエフの黄金コンビのために1963年に作られたフレデリック・アシュトンの代表作で、音楽はリストのロ短調ピアノソナタをオーケストラ伴奏付きに編曲したもの。プロットはデュマの「椿姫」で、30分程度に圧縮されていますので、「ラ・トラヴィアータ」のダイジェストを早送り再生で見ているような感覚でした。ロホはカーテンコールで並ぶと意外と小柄なので驚きましたが、手足が長いんでしょうか、踊っている間はブレのないダイナミックな動きもあってか、ポルーニンと並んでも小柄と言う感じは全くしませんでした。ふっくらとした頬と黒髪のエキゾチックな美貌のおかげで、実年齢よりずっと若く見えますね。早変わりで着替えていった赤・黒・白の衣装も各々よく似合っていて(美人は得だなあ)、このバレエが彼女のために作られたと言われても信じたでしょう。フォンテインとヌレエフは19歳の「年の差ペア」ですが、ロホとポルーニンの年齢差も15歳あり、伝説のペアとイメージが重なります。ロホは鬼気迫る感情移入でこの悲劇を表現し切っていたと感じましたが、もう一つのめり込んで見れなかったのは、ひとえに演奏にキレがなかったせいです。管弦楽にも協奏曲にもなりきれない中途半端なアレンジに加え、やる気のないオケはピアノの邪魔にしかなっていません。リストは元々好きでもないので、なおさらげんなりしました。

3. Requiem (Fauré: Requiem)
Kenneth MacMillan (Choreography)
Anna Devin (Soprano), Daniel Grice (Baritone)
Leanne Benjamin, Rupert Pennefather, Carlos Acosta
Marianela Nuñez, Ricardo Cervera

 最後はフォーレのレクイエム。これもやっぱり意味がよくわからない、シンボリックなダンスでした。振り付けは静的で、躍動感はない代わりに人海戦術でこれでもかというくらい超高いリフトが圧巻でした。初めて見るアコスタは思ったほど全身バネの筋骨隆々ではなく、わりと細身で華奢だったのが意外でした。体脂肪率は低そうですなー。何にせよこの演目を見ただけでは何もわかるはずもなく、来年の「ロメオとジュリエット」に期待します。
 バリトンのグライスは先日の「ファウスト」でもスター歌手陣に交じってきっちり存在感を出していましたが、今日もピットの中から核のある声を響かせていました。一方ソプラノのデヴァンも最近のROHで「ピーター・グライムズ」やプッチーニ三部作に端役で出ていましたが、あいまいな音程がお世辞にもプロのソリストとは思えませんでした。
 ストーリー性のない舞台、何だかよくわからない踊り、気が抜けたオケと、難点のほうもトリプルで揃ってしまうので、トリプルビルは私にはどうも鬼門です。まだまだバレエ鑑賞の素養が足りませんです。


2011.10.01 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 9

 ロンドン的には真夏が戻ってきたのかと思うほどの陽気の中、「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズ第9弾はそのものズバリ、第9番。一昨日同様、昨シーズンとはヴィオラとチェロを入れ替えた弦楽器の配置に変わっています。今日も譜面台は出ていました。
 重そうな足取りでマエストロ・マゼール登場。チェロがいつにも増してデリケートなAの音で入って、弱音器のホルンが続くと、のっけから、これはちょっと今までとは違うぞという気合いと緊張感が漂ってきました。テンポが今にも止まりそうに遅いです。なかなか加速せず、じっくりじっくり〜と攻めます。ティンパニの暴走男、我らがアンディさんも今日は道を外れて暴れることができず、歯がゆさが伝わってきました。かといって禁欲的な演奏という風ではなく、鳴らすところは金管が最大限に咆哮し、ダイナミックレンジの広さは純粋器楽にもかかわらずこのシリーズ中でピカ一でした。時間は第1楽章だけで40分近くかかっていたでしょうか。奇をてらったところの一切ない、真摯にスコアと向き合った切実な演奏に心打たれましたが、聴いてるほうの疲労も相当でした(やってるほうはもっとでしょうが)。
 第2楽章は、その前が遅かった分若干速めに聴こえましたが、多分これは至って普通のテンポです。わざとらしいアゴーギグも入れないし、マゼール先生はここでも変態の本性を隠し正攻法で行ってます。今年聴いたドゥダメルやゲルギエフの指揮のほうがよっぽどいびつな演奏でした。第3楽章はそもそも音楽が元々変態的なので、これ見よがしにアチェレランドでオケを追い込んだりしないマゼールのアプローチは、意外にもまともな音楽に聴こえさせる効果がありました。
 ようやく到達した終楽章は、冒頭から弦のアンサンブルがあまりに美しい。もちろん鮮麗な美しさではなく、言うなればモノクロームな書道の美。それに色を添えるホルンはケイティ嬢が力強いソロをほぼ完璧に吹き奏でます。この人は見かけによらず凄みのある奏者ですね。ここに来てもオケの鳴りはすさまじく、集中力の賜物でしょう、金管のミス・コケも少なく、トロンボーンがまたベルアップでこれでもかと迫力の力演。最後はまたデリケートな表情に戻って、消え入りそうで消えないギリギリのところを保ったまま、音の微粒子の一つまた一つと空中に溶けていくまで十分に余韻をのばして終りました。終楽章も長くて、結局30分はかかったでしょうか、全体で100分かけての超スロー第9はしかし、非常に心を揺さぶるものでした。これが正統派のマーラーかというとちょっと違うのかもしれませんが、老境のマエストロ・マゼールがあらためてスコアと対峙し、達した境地なのでしょう。
 実は今日のチケットは、買ったころに金欠だったこともあって最初はコーラス席にしていたんですが、その後、別の演奏会チケットをリターンした際のヴァウチャーを使ってストール真ん中の席にアップグレードしていました。個人的にはこのシリーズで一番のヒットでしたので、アップグレードしたのは大正解でした。
 ところで余談ですが、マーラーの交響曲で人気投票をすると、いつどこでやっても1位は第9番になるという話を以前どこかで聞きました。確かに、例えばmixiのマーラーコミュニティの人気投票でも9がダントツ1位、後は5-2-6-3と続きます。演奏会のプログラムに上がるのは1番が圧倒的に多いように感じるんですが、けっこう人気ないんですねえ。しかし、素朴な疑問ですが、第9がダントツ一番人気というのは日本だけの現象なんでしょうか?例えばイギリス、ドイツ、アメリカで各々同様の投票をやったらどんな順位になるんですかねえ。ネットで調べてもそういうものの結果は見つけられませんでした。どなたかご存知の方、教えてくださいまし。


2011.09.29 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Alice Coote (Ms-2), Stefan Vinke (T-2)
1. Mahler: Adagio from Symphony No. 10
2. Mahler: Das Lied von der Erde

 久々の「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズは通算で第8弾になります。新シーズンになって、弦楽器の配置をヴィオラとチェロを入れ替えたものに変えてきました。お目当て(?)のフィオナ嬢、ケイティ嬢も揃ってステージに上がっていて、一安心。今日は2ndヴァイオリンと反対側の端のほうに座ったのでフィオナちゃんは遠くなったのですが、彼女の序列が3番目に下がったおかげでむしろ私の席からもよく見えるようになり、ラッキーでした。
 マゼール御大も相変わらずお元気そうで何よりです。今日は最初から譜面台が置いてありました。まず未完の第10番「アダージョ」ですが、おごそかな冒頭のヴィオラの後、ヴァイオリンに加わってくると何となく思い切りの悪そうなフレージングが散発してあれれと思いました。アンサンブルも微妙に怪しかったけど、音は徐々に求心力を帯びてきてスコアを進むにつれて起伏が大きく雄弁な合奏になっていきました。マゼール先生、的確にしてスタイリッシュな指揮ぶりは変わりなく、全然枯れてないのはさすが。奇をてらうことのない正攻法の「アダージョ」でしたが、これが終わりじゃないよとばかりに最後はぷつっとあっさり切ってまとめました。
 メインの「大地の歌」は交響曲とは言っても中身はほとんど連作歌曲ですし、ティンパニ・打楽器の活躍もあまりないので(スミス氏もいつになくヒマそうで)、あまり得意な曲じゃありません。今日はまず、テナーのシュテファン・フィンケがダメでした。風邪でもひいて喉の調子が悪かったのかもしれませんが、真っ赤な顔で声を張り上げるだけのあまりにも単調な歌、しかも声が出ていません。第1楽章はちょっと耳を閉じたくなるレベルでした。第3、第5楽章は軽めの曲調もあってまだ聴いていられましたが、やっぱり声はでてないし、苦しい歌唱でした。一方のメゾソプラノのアリス・クートはぶれることなくしっかりとした歌唱で、声も出ていて良かったです。この曲に苦手意識があるためか、心を揺さぶられるというほどの歌には感じられませんでしたが、テナーが悪かった分引き立っていました。オケは冒頭から引き締まった演奏で、マゼールのコントロールは今日も冴えていました。ただテンポはだいぶゆっくりめで、全部で70分以上かかっていたでしょうか。10番ではなかった「老い」を少し感じてしまいました。もちろん、最初からそれを狙ったのかもしれません。終楽章の中間部は私には退屈で、いつもうとうと寝てしまうのですが、今日も途中で意識が飛んでいました。すいません。
 さて、マゼールのマーラーチクルスもあと8番、9番を残すのみ。どちらも週末なので急な仕事で涙をのむ可能性は低く、やっとゴールが見えてきました。


2011.09.25 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Nelson Freire (P-1)
1. Brahms: Piano Concerto No. 2
2. Tchaikovsky: Symphony No. 4

 オーケストラのシーズンもいよいよ本格的に開幕です。LSOは昨年のシチェドリンと「展覧会の絵」という派手なオープニングプログラムと比べて、今年はずいぶん渋いと言うか、スタンダードにシンフォニックな取り合わせで攻めてきました。
 1曲目は最初ピアノ協奏曲第1番とアナウンスされていたのですが、最近になって「ソリストの好みにより」2番に変更されていました。私はどちらもあまり聴かないし、正直どちらでもよかったのですが、1番は昨年ポリーニで聴いているので、この変更はウェルカムでした。しかし、フレイレを聴くのは初めてでしたが、何だか杓子定規の普通の演奏で、取り立ててひきつけるものがありませんでした。多分玄人好みの人なんでしょう、残念ながら私にはどこをポイントに耳をかたむければよいのか、よくわからず。一方オケはのっけから分厚い響きで地を這うようにホールを駆け巡り、重心の低い重めの演奏でした。重厚とはいえドイツ風という感じはしなくて、もっと乾いた北の大地のような響きです。第3楽章のチェロのソロは「これはチェロコンチェルトだっけ?」と思うほど、艶やかで官能的な一流ソリストの音でした。ここまでピアノはずっと食われっぱなしです。終楽章になると突如協奏曲らしい軽さが前面に出て、ようやくピアノに活力が宿ってきましたが、それまでの粘りが嘘のようにさらさらと終わってしまい、うーむ、こんなもんかな。そもそも、曲自体が尻すぼみという印象をぬぐえません。フレイレはラヴェルとか、もっと軽めの曲で聴いてみたいです。
 メインのチャイ4は、昨シーズンから続いているゲルギー/LSOのチャイコフスキーシリーズ後半戦の初戦になります。前半戦の1〜3番を結局一つも聴けなかったので、さてゲルギーのチャイコフスキーはどんなもんかのう、と期待半ばで聴いたのですが、予想以上に面白い演奏でたいへん楽しめました。第1楽章はゆったりとしたテンポで始まり、マーラーのようにこまめにゆらし、操りながら造形を掘り出していきます。劇的ですがかなりゴツゴツして個性的なチャイコフスキー。第2楽章もさらっと流さず、木管の呼吸をあえて他とずらしてギクシャクとした進行にし、聞き手の心をその場に留めます。ちゃんと計算ずくで組み立てていましたね、これは。だいたい、指揮台の前に一応スコアは置いてありましたが、表紙が上になったままゲルギーは結局一度も触らず。
 よく考えるとこの曲を前回4年前に聴いたのもLSOで、場所はブダペストのバルトークホール、指揮はコリン・デイヴィスでした。第3楽章を指揮せず弾かせるなどという洒落たマネをしていながら、全体的に「お前ら二日酔いか」と思うほどのヨレヨレ演奏に、ブダペストをなめとんかと当時は憤慨したものですが、本拠地のLSOはさすがにそんなことはなく、ゲルギーは第3楽章でもきっちり指揮をして精緻なアンサンブルを聴かせてくれました。終楽章はムラヴィンスキーばりに速い!思わず笑みがこぼれてきました。打楽器に注目すると、いつになく薄胴の大太鼓は重低音よりもくっきりしたインパクト重視でアクセントをきりっと引き締め、ティンパニはよく聴くとペダルワークを駆使して楽譜を逸脱した「旋律」を勝手に叩いています。フィルハーモニアのスミス氏だったら暴走に歯止めがかからないような気がしますが、そこはLSOのトーマス氏、お遊びはさりげない範囲にとどめ、第1楽章冒頭の再現が来た後は生真面目なスタイルに戻っていました。オケが一体となって有無を言わせず高速で畳み掛けるフィナーレは脱帽もので、LSOの超高い機能性はさすがに素晴らしかったです。それにしても、あの4年前のチャイ4はいったい何だったんだろうかなー。
 最後に愚痴を。風邪の季節到来、あちこちで咳や鼻かみのうるさいこと。ブダペストに住んでたころから毎年冬になるとこぼしていますが、ヨーロッパ人てやつは本当にバカでジコチュー。どうしても咳がでるならハンカチを口に当てるという遠慮もなければ(だいたい持ち歩いてない人の多いことよ)、せめて音が大きくなるまで待ってさりげなく鼻をかむという知恵もない。そもそも、演奏中に鼻かむやつぁ始めからティッシュを鼻に詰めとけ!


2011.09.21 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
XIV International Tchaikovsky Competition Winners Concert
Sun-Young Seo (S-2), Narek Hakhnazaryan (Vc-3), Daniil Trifonov (P-4)
1. Tchaikovsky: Polonaise from' Eugene Onegin'
2. Tchaikovsky: Letter Scene from 'Eugene Onegin'
3. Tchaikovsky: Roccoco Variations
4. Tchaikovsky: Piano Concerto No. 1

 チャイコフスキー国際コンクールは4年に1度開催される世界最高峰の音楽コンクールと言われていますが、近年は外国スポンサーの意向(カネ)と審査員との師弟関係(コネ)が入賞者の選出に大きく影響しているという批判がなされてきました。そこで第14回の今回はゲルギエフがコンクールの総裁に就任し、演奏者が師事する音楽教師を審査員から排除するなど、より公正で透明性の高い審査を実現しコンクールの権威を復活させるという意気込みのもと、6月に開催されました。その結果、ほぼ毎回日本人の優勝者を輩出していたこのコンクールが、今回は日本人の入賞者ゼロ(それどころか本選進出すらいない)という事態になったのは、何とも淋しいというか、ビターな思いがします。
 LSOの今シーズンのプレオープニングでもあるこのコンサートは、コンクール優勝者による国外では最初のお披露目演奏会のはずだったように思うのですが、調べると「チャイコフスキー国際コンクール優勝者ガラ・コンサート」なるものが今月初旬すにで日本で行われていて、さすが日本におけるこのコンクールの集客力は、日本人が出なくても健在なんですね。
 今日出演のソリストは、声楽女声、チェロ、ピアノ各部門の優勝者で、元々は声楽男声の優勝者(パク・ジョンミン)も名を連ねていたのですが、理由はわかりませんが後になってキャンセルになっていました。なお、ヴァイオリンは今回優勝者なしだったので最初から出演予定はなしでした。
 声楽女声の優勝者、ソ・スニョン(と読むのでしょうか?)は27歳と相対的には年齢が高いです。プログラムの経歴を読むと、実際にどのくらいの実キャリアがあるのかはよくわかりませんが、すでにオペラ経験豊富で、今年からバーゼル劇場のアンサンブルになって活動の拠点を欧州に移しているようで、そのふくよかな容姿も相まってまさにベテランの貫禄を醸し出していました。声量が抜群にあり、ソプラノらしからぬ芯の太い声質は、全くオペラ向きです。表現力はちょっと一本調子だなと感じたのと、27歳にしてすでに貫禄のマダム然としたその見た目は役を選んでしまうだろうな、このタチアナ役は回って来ないんじゃ、と失礼ながら思ってしまいましたが、確かに良い声は持っているので、スイスでも存分に活躍してもらいたいです。
 続いてチェロ優勝者、ナレク・アフナジャリャンはアルメニア出身の23歳。12歳からモスクワで勉強をしている、ロシアの教育システムの中で上がってきた人のようです。ひょろっとした長身と神経質そうであどけない顔から、いったいどんな演奏をするのか予測がつかなかったのですが、音がどこか枯れていて、老かいな演奏だったのが意外でした。ほとんど目を閉じて演奏に没頭し、目を開けたと思ったら指揮者よりもコンマスとのアイコンタクトが多く、何があっても動じることのない完成されたスタイルです。もちろん上手いのはめちゃめちゃ上手いですが、この若さで妙に枯れた感が強いのはちょっと問題かも。しかし聴衆のハートはがっちりつかんだようで、休憩時間の終わりごろ客席に出ると、瞬く間に囲まれてサイン攻めにあっておりました。
 最後はピアノ部門の優勝、弱冠20歳のダニール・トリフォノフです。さらにあどけない顔のロシア美少年ですが、弾いているときの表情がかなり個性的。きつい猫背でピアノにかぶりつき、鋭い眼光はしかしピントが鍵盤よりももっと先にあっているような感じです。要は「いっちゃってる目」で、弾いてないときも一点見つめで別世界に飛んでいます。タフな箇所では見る見る顔が赤らみ、半泣き状態になるのが面白かったです。弾き終わったら瞬時にあどけない美少年顔に戻るのもなかなかキュート。もちろん技術的には申し分なく、アタックは力強くて常に正確。アンコールで弾いた「ラ・カンパネッラ」がまた凄すぎで、さすがこのコンクールの優勝者の上手さは半端じゃありません。それでいて、先のナレク君と比べると何というか音が暴れており、落ち着くまでにまだまだ伸びしろがある感じです。先行きの楽しみなピアニストだと思いました。


2011.09.18 Royal Opera House (London)
Evelino Pidò / Orchestra of the Royal Opera House
David McVicar (Original Director), Lee Blakeley (Revival Director)
Vittorio Grigolo (Faust), Angela Gheorghiu (Marguerite)
René Pape (Méphistophélès), Dmitri Hvorostovsky (Valentin)
Michèle Losier (Siébel), Daniel Grice (Wagner)
Carole Wilson (Marthe Schwertlein)
Royal Opera Chorus
1. Gounod: Faust

 シーズンオープニングのプッチーニ「三部作」はパスし、今日の「ファウスト」初日が我が家のROHシーズン開幕です。この作品はおろか、グノーのオペラ自体が初めてでした。
 先日の「トスカ」をも上回る豪華布陣の歌手陣は、皆さんさすがに期待を裏切らない素晴らしい歌唱で、これぞロイヤルオペラの真骨頂とたいへん満足できるステージでした。
 ルネ・パーペは初めて見ますが、精悍なお顔立ちのプロモ写真のころからずいぶんと太られたようで、貫禄十分。地響きのような低音は長丁場出ずっぱりでも一向にヘタることなく、演技も含めて完璧な仕事ぶりでした。第4幕の女装は意外と中性的で、品があってよかった。もう一方の「低音組」ホロストフスキーも、ロンドンではお馴染みの顔みたいですが私は初めて。この人も今日は絶好調に見え、芯のある低音に、力を込めた誠実な歌唱が、カタブツお兄ちゃん役にぴったりハマっていました。芸幅はあまり広くなさそうだけど、良い声です。この二人は、原発事故後、多くの歌手・演奏家があれやこれやの口実で訪日をキャンセルする中、6月のMET日本公演にちゃんと出てくれたそうな。まさに漢の中の漢、かっきいー。
 タイトルロールのグリゴーロは昨年の「マノン」でROHデビューして以来、待望の再登場でした。一人だけ突出して若いこともあって、とにかくこの人は元気がよい。相変わらずよく通るシャープな大声と軽い身のこなしは、若返ってはしゃぐファウスト博士にうってつけで、彼が登場するとそれだけで舞台が躍動感に満ちていました。ただ、「ファウスト」のテナーのアリアは、ハイトーンを取ってつけたように張り上げる曲ばかりで、正直出来が良くないと思うので、その分ちょっと割を食ってしまったような。また、ネトレプコとのからみがほぼ全てだった「マノン」と違い、「ファウスト」では相手役のゲオルギュー以外に、パーぺやホロストフスキーとのからみがむしろキモだったりするので、さすがに一番美味しいところを食ってしまうとはいかなかった様子です。アリアやカーテンコールではもちろん大きなブラヴォーをもらっていましたが、最大級とまでは言えず。今回は周囲の先輩達からとことん吸収させてもらうくらいの謙虚さでいたほうが良いのでは、と、カーテンコールでの大げさな彼の立ち振る舞いを見て、少し心配してしまいました。
 さすがのゲオルギューも、この声のでかいメンバーに入ると繊細さが際立ちます。最初はちょっとか細すぎやしないかと思いましたが、要所はしっかりと締めて、エネルギーを温存しつつベテランの表現力で勝負していました。ちょっと頬がこけたように見えましたが、清楚な金髪のゲオルギューはまだまだ十二分にイケる美貌で、特に第1幕でスクリーン越しに幻影として現れ、ノンスリーブで身体を拭く姿は妖艶の一言。最終幕、髪を短く切られてみすぼらしい衣装のままでカーテンコールに出なければならなかったのは、ちょっと気の毒ではあります。
 あとはズボン役ジーベルのミシェル・ロジエ、ロイヤルオペラは初登場だそうですが、非常に綺麗な透き通る声がいかにもうぶな少年っぽくて役によく合っていました。この人も声がでかかった。男役でも女役でもまた是非聴いてみたいと思ったメゾ・ソプラノです。
 今日はオケにも一貫して集中力があり、たいへん良かったです。開幕前、上着を脱いでいる団員数人を見つけたときは嫌な予感がしたのですが、幸い杞憂でした。初日だということもあったんでしょうが、パッパーノ大将がいなくても俺たちゃやるときはやるぜ、というプライドを垣間見た気がしました。
 演出については、このマクヴィカーのアイデア満載で見所たくさん、凝集度の高いプロダクションは、シンプルに楽しめるものと私は肯定的に捉えましたが、妻は気に入らず、まあ賛否両論でしょうね。この人はやっぱり問題児、要注意人物です。第2幕のキャバレーダンスはまだ微笑ましくても、第5幕のワルプルギスの夜のバレエは、臨月の妊婦を振り回したり、バレリーナに乱交させたり、ちょっと悪趣味が過ぎると言われても仕方がないでしょうね。先日帰国した際、予習用にと買ってみたディゴスティーニ「DVDオペラ・コレクション」の「ファウスト」(ケン・ラッセル演出、ウィーン国立歌劇場)ではこのバレエ・シーンはまるまるカットされていましたし、もう一つ見たNHKの「伝説のイタリアオペラ・ライブ」シリーズでは極々常識的なバレエだったので、油断していました。子供に見せるものではなかったです。侮れじ、マクヴィカー。
 今回は我が家は右側のバルコニーボックスに陣取ったので、ラストの老紳士の天使は角度の関係上よく見えませんでした。あまり「救われた」感のない野たれ死にのような倒れ方で絶命したマルグリートは、果たして神に召されたのでしょうか?第2幕でもキリスト十字架像の脇腹から赤ワインを流したり、その像をあられもなくうつぶせに倒してみたり、相当罰当たりなアンチクライスト系の演出。一方で悪魔のメフィストフェレスは常に冷静沈着、剣で十字を切られても、大天使が現れても、弱ったり動じたりすることなく、ただし逃げ足だけは速くて確実(笑)。うーむ、現世の売れっ子マクヴィカーは、もしかしたら悪魔に魂を売った人かも。


2011.09.13 Queen Elizabeth Hall (London)
John Cage Night
performed by Apartment House:
Nancy Ruffer (Fl), Andrew Sparling (Cl)
Gordon Mackay (Vn), Hilary Sturt (Vn)
Bridget Carey (Va), Anton Lukoszevieze (Vc)
Philip Thomas (P), Simon Limbrick (Perc)
1. Cage: 4' 33" (1952)
2. Cage: Radio music for eight performers (1956)
3. Cage: Child of tree for solo percussion (1975)
4. Cage: Concert for piano & orchestra/Fontana mix (1957-58)
5. Cage: String Quartet in four parts (1949-50)
6. Cage: Music for eight (1984-87)
7. Cage: 0' 00" (4' 33" No. 2) (1962)

 実はワタクシ、「4分33秒」のCDなるものを持っております。ハンガリーのアマディンダ・パーカッショングループのCDを買ったら他のケージの曲と一緒に入っていたのですが、当然ながら収録されているのは4分33秒分の「無音」で、そのCDを聴くときは結局そのトラックはスキップしてしまいます…。やはりこの曲は実演を体験してこそナンボ。遠い将来、孫に「その昔、“4分33秒”という風変わりな曲があってのう…」と昔話を語ってやりたいと、ほとんどそれだけのために足を運びました。
 ジョン・ケージ・ナイトと題したこの演奏会は、International Chamber Music Festival 2011/12の開幕でもあります。文字通りケージの作品(「曲」とか「音楽」とはもはや言えないものもあります)だけを初期から晩年まで網羅するプログラムで、全くの変化球とはいえ、室内楽でシーズンを開けるとは私として非常に珍しいことです。チケットはソールドアウトで、リターン待ちの行列ができていました。最初に司会の人が出てきて、シーズン開幕の挨拶と共に、この著名な作品の上演にあたって、くれぐれも携帯の電源を切るように、と念押しをして笑いを取っていました。
 「4分33秒」はプログラムによると初演時の演奏時間に倣って第1楽章30秒、第2楽章2分40秒、第3楽章1分20秒とおおよその演奏時間が規定されております。ピアニストが一人で登場し、ピアノの前に座って、鍵盤にすっと手を伸ばし、音を出さずに指を軽く鍵盤に置いたままの姿勢でじっと30秒待ちます。ストップウォッチか何かで正確な時間を計っている風には見えませんでした。第1楽章が終わると一旦手を引っ込め、再び手を出して、今度は2分40秒じっと動きません。第3楽章も同様です。自分の腕時計を見ていた限り、概ねその通りの時間を守った「忠実な演奏」でした。まず感じたのは、この居心地の悪さは他にないなあ、ということ。普段の演奏会場と比べたらこれ以上はないというほどの静寂がありましたが(普段もこのくらい静かだったらなあ!)、当然のことながら完全な無音状態は実世界ではほとんどあり得ず、小さな咳の音、衣服や紙のこすれる音、ヒソヒソ声に加えて、キーンという軽い耳鳴りも絶えず体内に鳴っており、かのように世界はノイズに溢れているのに、奏者の発する音だけが何も聴こえないというこの不条理。子供のころのかくれんぼ遊びで、暗がりで声をひそめ、音も一切出さないように隠れていると、何故だか笑いがこみ上げてきてしまうあの懐かしい感覚も少し思い出しました。私は修行が足らないのでしょう、そんなこんなの邪念だらけで、静寂を無心に享受するには程遠く、気持ちの落ち着かないことと言ったらありませんでした。逆説的な意味で、近年これほど心を動かされた「演奏」もそうそうありません。ただ、また聴きたいかと言うと微妙なところ。一度体験したらもういいや、という思いと、でもちょっと病みつきになってしまいそうな麻薬性も半分感じます。これがもし「14分33秒」だったら二度と御免ですが、5分弱という時間がなかなか絶妙ではあります。
 2曲目の「ラジオ音楽」は8人各々が大小さまざまなラジオを持って出てきて、(多分)楽譜の指示に従いつつチューニングを動かします。聴こえてくるのはノイズだったり、ニュースだったり、音楽だったり、演奏中にオンエアされている放送プログラムによって内容が変わる「不確定性の音楽」ですが、果たしてこれは「音楽」と言えるのかと素朴な疑問が。それを突き詰めて考えるのがすなわちケージの「音楽」なんでしょうけど。
 3曲目、ソロ打楽器のための「木の子供」は、全て植物が原材料の、伝統的な楽器とはとても見なせないような様々なオブジェクトを叩いたりこすったり折ったり破いたりして、出た音をマイクで拾い拡声します。鉢植えのサボテンがチャカポコとけっこういい音がしていました。これも、いい年したおっさんが道端に落ちている木の切れ端を適当に叩いて遊んでいるのと何が違うのか、よくわかりません。
 4曲目の「ピアノ協奏曲/フォンタナ・ミックス」はプリペアード・ピアノに弦楽四重奏、フルート、クラリネットという編成で、ようやく普通の楽器が出てきてほっとしました。このような曲でも(失礼!)、演奏前にちゃんとチューニングをやるんですねえ。しかし曲はやっぱり実験的要素の強い「不確定性の音楽」で、フルスコアはなく、各パートの断片をアトランダムに繋げてぶつけていくというもの。ただ楽器を演奏するだけでなく、ピアニストは横に置いたペンキ缶のようなものを叩き、他の奏者も時々掛け声のような声を出したり、足を踏み鳴らしたりと賑やかです。演奏時間は20分近くもあり、とにかく長かった。
 休憩後の最初は弦楽四重奏曲。初期の作品で、これははっきりと調性・旋律の明確な音楽をベースにメタモルフォーゼしていった感じで、不協和音は多いものの、不安定さや不確定さはなく、格段に聴きやすい音楽でした。むしろ不安定だったのは音程で、ただこれも含めて楽譜に忠実だったのか、あるいはただ単に奏者の力量不足かは判断つきませんでした。
 続く「8人のための音楽」は逆に最晩年の作品で、先の「ピアノ協奏曲/フォンタナ・ミックス」とコンセプトはよく似ています。ただし受ける印象はずいぶんと違っていて、多数の小物打楽器と銅鑼代わりの鉄板、床に置いたチャイナシンバル等に囲まれた打楽器奏者が絶えず何か音を出し続け、時にはうるさく叩きまくって、それが20分という長丁場で曲全体の包絡線を形作るのに役立っていました。ピアノはプリペアードではなさそうでしたが、馬のタテガミを弦に通し、引いて音を出すという、相変わらずの飛びっぷりでした。皆さん、一所懸命楽譜を見ながら演奏しておりましたが、いったいそこには何が書いてあるのか興味あります(実は何も書いてないんじゃないのか、何て…)。
 最後は「0分00秒」という、「4分33秒」の第2番という位置づけの作品。Wikipediaで調べると、初演は日本で行われたようです。ここでは演奏者が何か「日常的な行為」を行い、その音がマイクとアンプを通して拡声されるというコンセプトだそうですが、この日彼らが選んだ「日常的な行為」は何と「後片付け」。前の曲が終わって一旦引っ込み、またすぐ出てきていそいそと楽器や譜面台を片付けていくものだから、一部の人はもう演奏会が終わったものと勘違いし、席を立ってどやどや帰っていきました。しかし、片付けのノイズがちゃんとピックアップされてスピーカーで流れていましたので、これがまさに今日の「0分00秒」なのでした。一石二鳥のよいアイデアですが、一つ気になったのは、この作品では「すでに行ったことのある行為を採用してはならない」そうなので、果たしてこのアイデアは過去に一切誰もやらなかったのかな、と。まあ、演奏機会がそんなにあったとも思えないし、多分大丈夫なんでしょう。
 私はケージの芸術にも、モダンアート一般にも、造詣はほとんどありませんし、お前は今日のパフォーマンスが理解できたのかと聞かれたら、多分さっぱり理解してないと答えるしかないでしょう。ただ、昨年ヴァレーズをまとめて聴いた際にはその突き放したような前衛音楽の前にあえなく討ち死にしましたが、今日も前衛ぶりではひけをとらないプログラムだったにもかかわらず、不思議と心にすんなり溶け込んでくるような「身に馴染む」感覚がありました。ケージが禅に傾倒していて、東洋的(または非西洋的)なものを探求し続けていたことが、もしかすると関係あるのかもしれません。


2011.09.08 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2011 PROM 72
Charles Dutoit / Philadelphia Orchestra
Janine Jansen (Vn-2)
1. Sibelius: Finlandia
2. Tchaikovsky: Violin Concerto
3. Rachmaninov: Symphonic Dances
4. Ravel: La valse

 私もけっこういろんなオケを聴いてきましたが、フィラデルフィア管は自分にとって「まだ見ぬ強豪」の筆頭でした。プロムスは毎年世界中から一流の楽団が客演しに来るお祭りですので(チケットは決して安いとは言えませんが)、私のようにコレクター気質で広く浅く聴き漁るタイプのリスナーには重宝です。そのプロムスも今年はこれが最後のチケット。開場前にアルバート記念碑の前でばったり会ったかんとくさんと、我々駐在員はしょせんそのうち日本に帰る運命、これが生涯のプロムス見納めかもなどと話しつつ、しみじみとしてしまいました。
 フィラデルフィア管はまずざっと見て、アジア系団員の多さが目に付きました。コンマスを筆頭に各パートのトップもアジア人率が高い。男女比は男性中心、年齢は若くもなく年寄りでもなく、中年〜壮年の層が厚い感じでした。そう言えば、今年4月に破産法の適用になったとのニュースがあり、演奏会ツアーのキャンセルなどをちょっと心配していたのですが、見たところそんな事情は全く匂わせず、いたって普通でした。
 1曲目の「フィンランディア」は、部活のオーケストラで初めて出番をもらい(トライアングルと大太鼓ですが)舞台に立った記念すべき曲で、後年再び演奏した際には美味しいティンパニも叩きました。練習でいやになるほど繰り返し聴きこんでいますので、初めて聴くオケの力量を推し量るにちょうどよい曲ではあります。重く冷徹に始まったブラスは想像よりも硬質でモノクロームな音で、かつて「華麗なるフィラデルフィアサウンド」と賞賛された派手派手なイメージとはちょっと違いました。デュトワも「音の魔術師」との異名を欲しいままにする仕事人ですが、このコンビでは指揮者が完全にオケを掌握しコントロールしている印象です。金管はちょっと抑え目で、木管と弦の質が非常に高いのがヨーロッパ的バランス。冒頭はとことん粘って重くしておきながら、中間部の有名なメロディを軽くさらりと流してしまうのも、何となくフランス的エスプリに思えました。ティンパニは叩き方がスマートではなく個性的ですが、音は非常にしっかりしてオケの引き締め役になっていました。
 続いてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。初めて見るヤンセンはプロモーション用の華奢美人の写真とはだいぶイメージが違い、大柄長身の姐御肌な女性。お腹周りや二の腕にちょっとお肉も付いてきた感じですが、今でも美人には違いないのだから、写真をそろそろ成熟した大人の色気バージョンに変えてはどうでしょうか、って大きなお世話か。軽口はともかく、その大柄な外見とはうらはらに、極めて繊細に整えられたヴァイオリンでした。透き通る高音は一筋の曇りもなく、速いパッセージは淀みなくメカニカルに駆け抜け、スタイリッシュに洗練されています。しかしまあ、このホールのサークル席だと舞台との距離はいかんともしがたく、ヴァイオリンの音も耳に届く間にだいぶ痩せてしまっているのはしょうがないので、本当はかぶりつきで聴きたかったところです。あの体格と弾き方から見るに、出ている生音はもっと力強いものだったに違いない。アンコールはバッハのパルティータ第2番から「サラバンド」。あまりにアクロバティックな曲より、こういったしっとり系のほうが本来の持ち味かなと感じました。
 休憩後はラフマニノフの最後の作品、シンフォニック・ダンス。実は、ほとんど初めて聴く曲です。フィラデルフィア管は70年前にこの曲の初演をやった楽団なんですね。ここでもデュトワの統率は冴えていて、語り口の引出しが多い、よくドライブされた演奏でした。最後のラ・ヴァルスも、これまた徹底的にオケを振り回した異形のダンス。最後の追い込みは圧巻で、満場の拍手喝采となりました。アンコールでは普通と逆でデュトワが花束を持って出てきたので何かアニヴァーサリーでもあるのかと思いましたら、その通り、勤続50年(!)の団員を祝福するためでした。そのままベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」を演奏。
 デュトワはこれまでモントリオール響、NHK響、ブダペスト祝祭管を振ったのを聴きましたが、トータルの印象では、どこを振ろうとも徹底的に「自分のオケ」にしちゃう人なんですね。フィラデルフィアにしても「華麗なる」と枕詞が付いた時代の後、サヴァリッシュ、エッシェンバッハというドイツ系指揮者の時代が長く続くうちにも徐々に変質してきたんでしょうけど、アメリカ的な明るさと馬力で押す突進力は影をひそめ、今やすっかり垢抜けたフレンチテイストを色濃く感じました(まあ、デュトワはスイス人ですが、ローザンヌだから文化的背景は全くフランス圏)。弦と木管の音色を磨き上げ、打楽器はどこまでもリズミカルに、でも金管はわりとおまけ、みたいな。実はまだ聴いてないのですが、現在芸術監督をやってるロイヤルフィルも、そんな感じの音に仕上がっているに違いあるまい。フィラデルフィアは来年から、ロンドンではお馴染みのネゼ=セガンが(こちらも実は未聴なんですが)音楽監督に就任するとのことで、フランス系が続きますね。是非早く経営不振から立ち直って、華麗なるサウンドを世界中に振る舞ってもらいたいものです。
 プロムス終了までをシーズンの区切りと定義すれば、2010-2011シーズンは結局66の演奏会・観劇に行った勘定になりました。自分としては新記録です。東京圏でもやってるコンサートの数自体はロンドンにひけをとらないでしょうが、時間の融通や会場へのアクセスといった環境面の違いは決定的で、このような演奏会通いができるのも本当に今のうちだけです。私はゴルフはやらないし、特にスポーツもしないし、サッカーを見に行くわけでもなし、バンド仲間はこちらにはいないし、今はこれくらいしか趣味がありませんので、日々生きていくための最大の滋養源として欠かせないものです、はい。


2011.09.01 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2011 PROM 62
Zubin Mehta / Israel Philharmonic Orchestra
Gil Shaham (Vn-2)
1. Webern: Passacaglia, Op. 1
2. Bruch: Violin Concerto No. 1 in G minor
3. Albéniz: Iberia - Fête-Dieu à Séville; El Puerto; Triana
4. Rimsky Korsakov: Capriccio espagnol

 1985年の来日公演を大阪で聴いて以来、超久しぶりのイスラエルフィルです。このときは、敬愛して止まないバーンスタインの生演奏を聴けた最初で最後の機会でもありました。
 ホールに着くと、外では何かデモをやっている様子。イスラエルの国旗がはためいている傍らではパレスチナ問題のチラシを配っている人々がいて、いつもとちょっと雰囲気が違います。入場の際には手荷物の検査があり、物々しい空気です。
 本日は上のサークル席。ステージが遠いし気温が暑いです。ホール内は別段普段と変わった様子はなく、時間通りにオケが登場し、オーボエがこの日の演目である「スペイン奇想曲」のフレーズを吹いてAで伸ばすというお茶目なチューニングをやって笑かしてくれました。そして仏頂面のメータが登場。私がちょうどクラシックを深く聴き始めたころ、メータはNYフィルの音楽監督に就任し、毎月のように新譜をリリースして絶好調の時期でした。レコードやFMを通して非常によく聴いた指揮者ではありましたが、生で見るのは今日が初めて。今ごろになって巡り会えるとは、何とも感慨深いものがあります。
 1曲目の「パッサカリア」は、大編成とはいえ後の作風を先取りするかのようにどこかミニマルで繊細な味のある曲なので、この巨大なホールにはやっぱりそぐわないのかな、などと考えながら聴いておりましたら、突然あるはずのない合唱の声が被さってきたので驚いたというか、何が起こったのかすぐには頭が理解できませんでした。声の方向を見てみると、コーラス席にいた10数人が立ち上がって「FREE PALESTINA」と一文字ずつ書かれた布を掲げつつ、演奏中にもかかわらずベートーヴェンの「歓喜の歌」を高らかに歌っているではありませんか。聴衆の中には「シーッ!」と注意を促す人もいましたが、多くは息を呑んで成り行きを見守り、オケも中断することなくそのままクールに演奏を続けて、駆けつけた警備員にデモ隊はほどなく引っ張り出されました。妨害にもめげずに演奏を敢行した指揮者とオケには満場の拍手喝采でした。
 気を取り直して2曲目のブルッフ。笑顔のシャハムとメータが登場し、さあ演奏開始となったときに、今度は右方のサークル席で突如立ち上がって「フリー!フリー!パレスチナ!」と叫び出す数人が。聴衆からブーイングと怒号が飛び交う中、デモ野郎は周囲の客と小競り合いしながらも、警備員によって速やかに排除されました。メータとオケは「こんなことは慣れっこだぜ」とでも言わんばかりに平静を保ち、デモ野郎がまだ抵抗して騒いでいる中、ティンパニに指示を出してさっさと演奏を始めていました。
 シャハムは昨年聴いたときは調子が悪そうだったのですが、今日はこのような逆境にもかかわらず絶好調に見えました。終始笑顔を絶やさず、演奏に喜びが溢れています。ブルッフの1番は今まで五嶋みどり、諏訪内晶子という日系女流奏者で立て続けに聴きましたが、そのどちらとも違ってシャハムはさっぱり明るく、粘着した情念など何もない非常にスポーティな演奏でした。上機嫌のシャハムは1回のコールで早速アンコールのバッハ(無伴奏パルティータ第3番のプレリューディオ)を余裕で演奏。心無い者の妨害行為はありましたが、このサービスで心洗われる気分でした。
 そうそう、ブルッフだけはティンパニが一見して日本人の奏者に交代しており、後で調べたら神戸光徳(かんべみつのり)さんという昨年入団したばかりの若者だそうです。逆ハの字でロールを叩くのが個性的ですが、シャープな打ち込みが頼もしい、雄弁なティンパニでした。オケ全体では、ちょっと響きとリズムが重たいという印象はありましたが、定評のある弦はさすがに美しいものでした。
 さて休憩後はスペイン特集。アルベニスの「イベリア」は初めて聴く曲です。指揮者が棒を振りかぶったその瞬間、またしても、今度は左方ボックス席から大声で「フリー!フリー!パレスチナ!」。満場のブーイングと「出て行け」コールが湧き上がり、犯人は即座に警備員に排除されましたが、この人などは見たところ会場のどこでも普通にいそうな白人の老紳士で全然デモ隊っぽくなく、これではどこに仲間が紛れているのかさっぱりわかりません。今度はメータも騒ぎが収まるまで手を下ろしてじっと待ち、さて気を取り直して手を再び上げたとたんに、サークル席後方で立ち上がって叫びだす別の集団。警備員が駆けつけて排除したら、またサークルの別の席から男女が立ち上がってシュプレヒコール。明らかに組織的で計画的な行動でした。もういい加減にしてくれという飽きれの感情が交じったブーイングが続き、いかにも狂信者っぽい顔立ちの男女が外に連れ出されて、やっとこさ演奏が始まりました。しかしもはや音楽に無心で耳を傾けるという気分ではなく、興を殺がれたとはまさにこのことです。
 最後は「スペイン奇想曲」。まだしつこく迷惑野郎は潜んでいたみたいで、数人が立ち上がりかけましたが、拍手が鳴り止まないうちにさっさと演奏を始めたためにタイミングを失い、そのまま静かに退場させられていました。妨害も何とせず、オケはいたって冷静に演奏を進めていました。やっぱり重い音にはなっていましたが、野太い木管、渋い弦と、軽やかなカスタネットの対比が面白かったです。金管はちょっと陰が薄かったです。困難の中、何とか演奏をやり遂げた奏者に対するひときわ盛大な拍手に答えて、アンコールはプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」から定番の「ティボルトの死」。早めのテンポで無骨に突き進むのが何とも格好いい演奏でした。
 メータは全てを暗譜で指揮し、軽めの選曲ながら重厚で彫りの深い演奏に終始していましたが、ずっと仏頂面で(いつもそうなのかもしれませんが)ちょっとテンションは低く見えました。このようにしつこい妨害行為を食らったのではそれもいたしかたないのかも。
 それにしても卑劣な妨害を執拗に行った迷惑連中は、全くけしからんやつらですな。ホロコーストやその他無数の迫害を受けてきたユダヤ人の受難の歴史があるとは言え、現在の中東情勢の中でパレスチナ問題に対するイスラエルの罪も大きいことは否定しません。しかし、自らの政治的主張のためには何をやってもよいのだ、と考えるのはただのテロリズムです。音楽を生業とするイスラエルフィルを攻撃するのは全くのナンセンス。ただ、普段慣れ親しんできたコンサート会場にこのようなテロリストが数十人もまんまと潜入し、組織的なテロ行為が起こってしまったという事実には、空恐ろしくて憂鬱になってしまいます。先日の暴動騒ぎを見るに、イギリス人はいとも簡単に暴徒化するし、今後政治的にきな臭そうな演奏会があったら、近づかないほうが無難なのかも。そういう意味では、デモ隊と一般聴衆の小競り合いが大喧嘩、フーリガニズムに発展しなかったのは、サッカーとは客層が違うとはいえ奇跡だったのかもしれません。


2011.08.29 Cadgan Hall (London)
BBC Proms 2011 Chamber Music 7
Yo-Yo Ma (Vc), Kathryn Stott (P)
1. Graham Fitkin: L (London Premiere)
2. Egberto Gismonti/Geraldo Carneiro: Bodas de prata and Quatro cantos
3. Rachmaninov: Cello Sonata in G minor

 珍しく室内楽でも聴いてみようかと思ったのは、もちろんヨーヨー・マが目当てです。ロイヤルアルバートホールの演奏会でもよかったのですが、曲目がフィトキンの新作チェロ協奏曲(初演)というちょっと得体が知れないものだったのと、あのホールでは距離がありすぎて多分不満が残るだろうなとの予測の下、カドガンホールの室内楽マチネのほうを狙いました。ラフな服装のストットに、お堅いスーツ姿ながらも出てくるなり人目をはばかることなく客席の知り合いに笑顔で手を振るヨーヨー、非常にリラックスした雰囲気です。
 1曲目の「L」はローマ数字で50を意味します。長年の伴奏パートナーであるストットがヨーヨー50歳の誕生日プレゼントとしてグラハム・フィトキンに委託した曲で、ストットが50歳を迎えるのを待って、もちろん二人によって初演されたそうです。変拍子バリバリでユニゾンが多い、プログレロックを思わせる曲で、呼吸ぴったりな疾走感が際立っていました。
 2曲目は、ジャンルを超えたコラボを積極的に行ってきたヨーヨーが2003年に発表した「オブリガード・ブラジル」からのピース。サンバやボサノバとはまた一味違った癒し系ブラジル音楽は、美しいの一言。ヨーヨーのチェロは輝かしいばかりに華のある音で、全くブレない高音が特に素晴らしいです。
 メインはラフマニノフのソナタ。チェロソナタなどほとんど聴くことがない私にはもちろん馴染みのない曲ですが、チェロもピアノも難しいので有名だそう。浪花節、もといラフマニノフ節が解放されたという感じはなく、私的にはロマンチシズムを抑えたストイックな曲に思えました。ストットの硬質なピアノは曲想によくマッチしていましたが、ヨーヨーの明るくこぶしのよく回るチェロはまた全然個性が違い、この異質な二人の演奏が息はぴったりと合っているのだから面白いものです。終演後、お互いを称え合う二人はたいへん仲良さそうで、終始リラックスした空気がとても心地よかった昼下がりのひと時でした。


2011.08.26 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2011 PROM 56
Semyon Bychkov / BBC Symphony Orchestra
Kirill Gerstein (P-1)
1. R. Strauss: Burleske
2. Mahler: Symphony No. 6 in A minor

 時差ボケがいまだに抜け切らず、夕方になると目と頭がお眠りモードに引き寄せられて行ってしまいますが、そんな中の本日はビシュコフ/BBC響のプロムス。前回のLSOと同じく、本拠地バービカンでは体験できないコーラス席での鑑賞です。
 1曲目のブルレスケは初めて聴く曲でした。リヒャルト・シュトラウスらしからぬストレートにロマンチックなピアノ・ヴィルトゥオーソですが、主題を導くメロディアスなティンパニから始まって、最後はまたティンパニの一音で締めくくられるのが特徴的です。キリル・ゲルシュタインは、かのバークリー音楽院のジャズ科出身で、その後クラシックに転向したという異色のキャリアを持つロシア人ピアニストですが、ここに限らずどのホールでも、コーラス席はピアノが聴こえにくいのが最大の難点ですね。今日も残念ながらピアノがどうのこうのという以前の問題で、どんな奏者なのかあまりよくわかりませんでした。BBCのサイトでじっくり聴き直したいです。
 メインのマーラー6番は、今年2月にビエロフラーヴェクの指揮で聴いた、同じくBBC響の好演が記憶に新しいところですが、やはり指揮者が違うと趣きが相当変わります。ビシュコフはとことん歌を歌わせ、大仰なタメを作って壮大に盛り上げるのが得意な人という印象なのですが、果たして今日も早めのテンポで行進曲がキビキビと開始され、第2主題の「アルマのテーマ」もたっぷりとベルカントでとっても感傷的。ドラマ性重視のロマンチックな演奏です。管楽器のベルアップとか、カウベルや鐘を叩く位置とか、細かいところはスコアに忠実でしたが、全体的なフレームはビシュコフ独自のものでした。オケはさすがに堅実、堅牢で、トランペットやホルンも1カ所音がつぶれた以外はほぼ完璧な演奏。ティンパニの音が軽いのがちょっと気に食わなかったですが。ハープが4本立っていたのは音的にもビジュアル的にも圧巻でした。
 ビシュコフは過不足ない的確な棒振りで、音楽をドラマチックに盛り上げるのがやっぱり非常に上手い。20年前の私だったら熱狂した演奏でしょう。しかし何故か、2月に聴いたビエロフラーヴェクの丁寧に積み上げられた節度ある演奏が、むしろしみじみと思い出されました。私も年を取ったのかな…。
 なお、中間楽章はスケルツォ→アンダンテの順、終楽章のハンマーは現行のスコア通り2回のみでした。3回目を叩く実演にはなかなか巡り会えないので今日は期待したのですが、ちょっと残念。そのハンマー、見かけは特大ながら、打ち付ける台に重みがなかったのか、台ごと跳ね上がっていて、音は見かけほど重厚ではありませんでした。


2011.08.23 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2011 PROM 52
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Leonidas Kavakos (Vn-2)
1. Prokofiev: Symphony No. 1 in D major ('Classical')
2. Dutilleux: L'arbre des songes
3. Dutilleux: Slava’s fanfare
4. Prokofiev: Symphony No. 5 in B-flat major

 今年はまだ2つめのプロムスです。本日は舞台後方のコーラス席。上のサークル席よりずっと音響が良いのに昨年気付きました。本日のアーティストはゲルギエフ/LSOのお馴染みコンビですが、本拠地バービカンホールにはコーラス席がないため、LSOをこうやって後ろから眺めるのはプロムスならではの楽しみです。
 演目はプロコフィエフとデュティユーというプログラム。1曲目の「古典交響曲」、有名曲のわりにはフル編成オーケストラのプログラムに載ることは意外と少ないような気がします。私も実演で聴くのは多分3回目、前回は確か10年前に初めてブダペストに行ったときでした。ロシア人だけあってゲルギエフはプロコフィエフを得意としているはずですが、予想外にぎくしゃくしたテンポで始まり、アンサンブルがぎこちなかったので、あれっと思いました。今どきの古典風アプローチではなく、フレージングやダイナミクスをいじくり倒した、飾り気の多い演奏。縦の線が緩めだったのもむべなるかな。正面から見るゲルギエフの指揮は素人にはますますわかりにくく、あれでよく合わせられるものだと少し感心しました。
 2曲目はデュティユーの「夢の樹」と題されたヴァイオリン協奏曲。カヴァコスはすっかりプロムス常連で、私も気がつけば3年連続で聴いています。髪が伸びて怪しいオタク系の風貌になっていたので、一瞬別人かと思いました。初めて聴く曲ですが(デュティユー自体初めてかも)、二昔前の現代音楽といった趣きのとっつきにくい曲で、琴線に触れるものではありませんでした。お手上げのためパスです、すいません。
 休憩を挟んで最初は、同じくデュティユーの「スラヴァのファンファーレ」というブラスのみの2分しない小曲。タイトルの通り「スラヴァ」ことロストロポーヴィチのために書かれた曲で、最後にトランペットがドヴォルザークのチェロ協奏曲をフレーズを短く吹きます。こちらは一転して楽しい曲でした。
 間を置かず、メインのプロコフィエフ5番に突入。これは非常に好きな曲でして、このためにチケット取ったようなものですが、力作でありながらどこか人を食ったような気の抜け方がえも言われず魅力的だったりします。相当な難曲なのか、立派な実演にはなかなかめぐり合えませんが、今日のLSOは期待通りほぼ完璧な演奏を聴かせてくれました。コーラス席だと至近距離のため金管とティンパニの生音がビンビン耳に入ってきましたが、バランスが多少悪いのは仕方ないにせよ、全然耳障りにならないのはさすが磨き上げられた音のおかげです。官能的な第1楽章は、ところどころで鋭く決まるアタックが強烈なアクセントになって、相当綿密にリハを積み上げていってる様子がうかがえました。さては、1曲目の「古典」はノーリハだったのかな。第2楽章は軽快なリズムに乗った小太鼓の音の粒が見事に揃っていて思わずニヤリとさせられました。短調で重苦しい曲調の第3楽章もどこか軽やかさを残しながら、強奏では大げさに盛り上げてゲルギーもなかなかの役者ぶりを発揮します。終楽章はもう混沌の極致で、そのまま押すのかと思いきや、ラストはインテンポのヴァイオリンソロでぐっとテンションを下げ、最後の一瞬で思いっきり急峻に音量を上げて、ハイ、おしまい。最後まで肩の力が抜けた好演で、やんやの大歓声も納得でした。時差ボケがまだ完全に取れておらず、体調はもう一つだったのが残念ではありました。


2011.07.29 Royal Opera House (London)
Mariinsky Ballet: Homage to Fokine
Boris Gruzin / Orchestra of the Mariinsky Theatre
Mikhail Fokine (Choreography)

 マリインスキー劇場バレエのロンドン公演、2つめの演目は「フォーキンへのオマージュ」と題したトリプルビル。ミハイル・フォーキンがバレエ・リュスのために振り付けた代表作をまとめて見れるおトクなプログラムです。舞台で見るのはどれも初めてでした。

1. Chopin (arr. Glazunov & Keller): Chopaniana
 1) Polonaise No. 3 in A major ("Military"), Op. 40/1
 2) Nocturne No. 10 in A-flat major, Op. 32/2
 3) Waltz No. 11 in G-flat major, Op. 70/1
 4) Mazurka No. 23 in D major, Op. 33/2
 5) Mazurka No. 44 in C major, Op. 67/3
 6) Prelude No. 7 in A major, Op. 28/7
 7) Waltz No. 7 in C-sharp minor, Op. 64/2
 8) The Brilliant Grand Waltz in E-flat major, Op. 18
Agrippina Vaganova (Revived Choreography)
Yana Selina (Waltz #11), Ksenia Ostreikovskaya (Prelude)
Alexander Parish, Maria Shirinkina (Mazurka, Waltz #7)

 最初の「ショパニアーナ」は、ショパンのピアノ曲をグラズノフが編曲した管弦楽組曲にバレエの振り付けをしたもので、「レ・シルフィード」というタイトルで上演されるほうが多いようです。言い訳から入りますと、私はショパンの音楽に何も思い入れはなく、正直、好きなほうではありません。編曲は、ただオーケストラにしてみました、というだけで鮮烈さのかけらもないもの。オケの演奏も先日の「白鳥」初日からさらにヌルくなっており、舞曲らしいシャッキリ感がまるでなく。退屈な音楽、退屈な編曲、退屈な演奏と、見事な「トリプルビル」のおかげで、昼間の仕事の疲れも重なり、とても目を開けておられませんでした。ストーリーは特になく、ひたすら踊りの美しさを見せるバレエだったのも敗因で、あーやっぱり上手だなあと感心はしたのですが、睡魔には勝てず。ということで、これはごめんなさいです。

2. Stravinsky: The Firebird (1910)
Isabelle Fokine / Andris Leipa (Reconstructed Choreography)
Ekaterina Kondaurova (The Firebird), Andrei Ermakov (Ivan-Tsarevich)
Evgeniya Dolmatova (The Beautiful Tsarevna), Soslan Kulaev (Kostchei the Immortal)

 気を取り直して、個人的な本日のお目当て「火の鳥」です。トリプルビルなので組曲かなと思っていたら、全曲版でした。先ほどと一転して、これは見応えのあるプロダクションでした。火の鳥を踊ったエカテリーナ・コンダウローワは、背が高く、凛としていて、めちゃかっこ良かったです。ジャンプは高く躍動的で、身体能力は非常に優れてそう。欲を言えば、あまり軽々と飛ばないで、ジャンプの滞空時間にあと少しだけタメがあれば、せっかくの長身なんだからもっとスケール感が出るんじゃないかなとは思いましたが、何にせよ抜群に光っていました。カーテンコールではひときわ大きい拍手をもらっていましたが、一貫して冷徹な表情を緩めず、火の鳥になり切っていたのが、またクール。火の鳥の前にかすんでしまいましたが、若者イワンとお姫様も穴のない奇麗な踊りで、安心して見ていられました。魔王カスチェイはよたよたした演技のみで踊りらしい踊りはなし。クライマックス「魔王カスチェイの凶悪な踊り」では音楽に合わせてズンズンと足を踏み鳴らす群舞が、所謂クラシックバレエにはないプリミティブな迫力で、新鮮でした。残念ながら、オケは相変わらず調子上がらず。私の席は特にトランペットの音が直接向かってくる位置だったので、バアバアと耳に触る音がとっても不愉快。褒めるところは木管の音くらいで、こんだけキレのない火の鳥は聴いててつらかったです。2008年グラモフォン誌選出の世界のオーケストラ・ベスト20ではマリインスキー劇場管は14位で、サンクトペテルブルグフィルやメトロポリタン歌劇場よりも上位に着けていましたが、この目の前のオケはいったいなんなのでしょう?主力がごそっと抜けてるんですか?

3. Rimsky-Korsakov: Schéhérazade
Isabelle Fokine / Andris Leipa (Reconstructed Choreography)
Diana Vishneva (Zobeide), Igor Zelensky (The Golden Slave)
Vladimir Ponomarev (Sultan Shakhriar)
Karen Ioanissiyan (Shah Zemen), Stanislav Burov (The Chief Eunuch)
Evgenia Dolmatova, Yulia Stepanova, Alisa Sodoleva (Odelisques)

 最後は看板プリンシパルのヴィシニョーワ、ゼレンスキーがいよいよ登場する「シェヘラザード」。これも基本的には全曲演奏でした。第1楽章がまるまる幕前の序奏に当てられており、相当間延びしました。目の覚めるような演奏だったらまだよかったのですが、もう期待してなかったとは言え、予想通りアップアップのアマチュア級ヴァイオリンソロに、早く幕を開けてダンサーを出さんかい、とイライラしました。ストーリーはアラビアンナイトの序章から取っていて、サルタン王の愛妾ゾベイダが不貞をしているという弟の密告を確かめるため、狩りに出るフリをしてあえて留守にしたところ、早速ゾベイダは愛人である金の奴隷を解放して快楽の時を過ごすが、ほどなく戻ってきたサルタン王に一同皆殺しにされ、一人残ったゾベイダは短剣で自害する、というお話です。これもなかなか見応えのあるバレエでした。最初のオダリスクの艶かしい大人向け踊りが、うちの子供にはちょっと早かったかもしれませんが、オジサン的には何とも目の覚めるものでした。その後に出てきた真打ちのヴィシニョーワは、さらに輪をかけてしなやかな身体のくねりと(いったいどんな関節をしてんだ?)、色気抜群の腰の動きに、参りました。逞しいゼレンスキーとのパ・ド・ドゥも実に官能的。踊りは全体的に素晴らしいパフォーマンスでしたが、これでオケがもっとしっかりしてくれていれば…。
 初日もそうでしたが、開演時間になってもなかなか演奏が始まらず、休憩を経るごとにどんどん時間が押して行きました。終演は10時30分の予定が、ハウスを出たらもう11時、長い公演でした。今回のマリインスキーは、うちはここまでです。後の演目は別の指揮者も出てくるようなので、手綱を引き直してくれたらよいのですが。


2011.07.25 Royal Opera House (London)
Mariinsky Ballet: Swan Lake
Boris Gruzin / Orchestra of the Mariinsky Theatre
Marius Petipa, Lev Ivanov (Choreography)
Konstantin Sergeyev (Revised Choreography)
Uliana Lopatkina (Odette/Odile), Daniil Korsuntsev (Prince Siegfried)
Elena Bazhenova (The Princess Regent), Soslan Kulaev (The Tutor)
Alexei Nedviga (The Jester), Andrei Yermakov (Von Rothbart)
Yana Selina, Valeria Martinyuk, Maxim Zyuzin (The Prince's Friends)
1. Tchaikovsky: Swan Lake

 昨年夏はボリショイ劇場(バレエとオペラ)のロンドン公演がありましたが、今年の夏はマリインスキー(キーロフ)バレエの来英です。初のロンドン公演から50周年の記念シリーズだそうです。初日の「白鳥の湖」は立ち見も出るほどの満員大盛況でした。
 指揮者のボリス・グルージンはロイヤルバレエでも指揮をしている人ですね。全体的にスローペースで、しかもテンポを揺さぶる揺さぶる。ロイヤルとはちょっとスタイルが違うようです。マリインスキー劇場のオケは、オーボエを筆頭に木管は良い音を出していましたが、金管、特にトランペットとトロンボーンははっきり言ってイマイチ。指揮者の性向もあるのか、ちょっとパンチ不足感のある演奏でした。
 あえて初日の「白鳥の湖」を狙ったのは、噂のロパートキナを見たかったから。しかし、正直な感想としては(的外れでしたら素人の戯言とお笑いください)、キレがないし、バネがない、ところてんのような印象でした。確かに、きめ細かい手先の表現とかポワントの軽さは飛び抜けており、ゆるぎなく完成された白鳥であったと思います。これは、例えるならピンと立った新鮮なイカ刺しよりも、かめばかむほど味が出てくるスルメの美味しさになりますでしょうか。って、私は実はイカ食べられないのでよくわからないんですが。贅肉の一切ないやせぎすな体格と無表情さが、近寄りがたい感じです。うーむ、黒鳥になったらガラっと転換して驚かせる作戦か、と思ったのですが、オディールでは確かにツンとした表情になり、仕草も違ったものの、踊りでは白と黒のキャラクター分けをあまり感じ取ることができませんでした。今まで何度となく見てきたオディット/オディールの中でも、コントラストの付け方は最も控えめな部類です。オディールのフェッテは多分30回も回っておらず、何かひっかかった感がありました。
 他に、第1幕のパ・ド・トロワは回転が乱れたり、よろけたり、足を痛めたんじゃなかろうかと思うくらい変な音を立てて着地していたりして、バタバタとした印象。道化師もよく見ると高くは飛んでいるんですが、どこか黄昏れていて、ハツラツとしてない。魔王は、いちいち決めるポーズがブツ切れで流れるような運動感がない。最後に白鳥をリフトするときは一瞬手が滑ってハラハラさせました。うちにあるキーロフバレエの古い映像(1968年)のDVDで出てくる魔王のほうが、相当にはじけていて小気味よかったです。とにかく、全体的に躍動感が薄かったし、踊り以外の例えば歩く動作が緩慢で、スローテンポの伴奏と相まって、初日なのに何だかお疲れモード。王子を筆頭にみんな落ち着き払ってのっしりと歩いて登場してくるのが、昔日本で見たレニングラード国立バレエを思い出しました。ロシアのバレエ団の「白鳥の湖」はそういう伝統なんでしょうか。一方で群舞はさすが旧ソ連のバレエ、完成度の高いマスゲームでした。四羽の白鳥の踊りは感動的に上手かったです。
 ラストで王子様が魔王からもぎ取った片方の羽で他ならぬ魔王をバシバシしばき倒すのがなかなかシュールな展開。魔王があっさり倒されたあとは、オディットも王子も天に召された様子もなく、魔法が解けてハッピーエンド。そんなのありかー、と思いましたが、そういう版もあることを後で思い出しました。ハッピーエンド版も、ロシアの伝統ですかね。


2011.07.21 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2011 PROM 9
Sir Mark Elder / The Hallé
András Schiff (P-3)
1. Sibelius: Scènes Historiques - Suite No. 2
2. Sibelius: Symphony No. 7 in C major
3. Bartók: Piano Concerto No. 3
4. Janáček: Sinfonietta

 今年もプロムスの季節がやって来ました。先週15日のPROM1開幕、17日のギネスブック級超大曲「ゴシック交響曲」を共に別件のため聴き逃してしまったので、今日が自身のPROMS開幕です。開演前、Voyage2Artさんとばったり、久々にお会いしましたが、以前よりさらにお元気そうだったのが何よりでした。
 マンチェスターに本拠地を置くハレ管弦楽団は現存するイギリス最古のオーケストラ。英語の正式名称は単に「The Hallé」だけなんですね。名前は昔からよく聞いていましたが、イギリスのオーケストラとは実は全然意識しておりませんでした。バルビローリ指揮によるレコードを何枚か聴いたことがありますが、生は初めて。ついでに、マーク・エルダー卿も、シフ・アンドラーシュさえも、実演は初めてだったりします。
 前半はシベリウス、正直苦手分野です。オケはざっと見たところ、女性比率がかなり高いです。ホルン以外の全パートに女性がいて、団員の半分以上が女性という構成。ティンパニも細身の美女でした。エルダーはサーの称号を持つ現役指揮者では多分唯一人、まだ聴いてなかった人ですが、いかにも英国紳士然とした品位のあるお顔立ちは、誰よりも「サー」にふさわしく見えました。指揮棒を使わずにきびきびと統率し、線のそろった堅実な音を導いていきます。オケはアンサンブルの乱れもなく、期待以上に上手いです。1曲目の「歴史的情景」第2組曲は全く初めて聴く曲でしたが、シベリウスらしい素朴な旋律と劇的なオーケストレーションがほどよくミックスされていて、なかなかの佳曲でした。続く交響曲第7番でティンパニが男性奏者(多分首席)に交代しましたが、プロの演奏会で奏者が途中で代わるのは珍しいです。こちらも普段はほとんど聴かない曲なので、内容がぐっと抽象的になった分、短い曲ですが道を見失い、漫然と聴き流してしまいました。
 後半は北欧から東欧へ。ブダペスト駐在時代、「ハンガリー三羽がらす」のうちコチシュとラーンキは何度も聴きましたが、シフだけは聴くチャンスがありませんでした。シフは元々国外での活動がメインだった上に、ソロリサイタル中心だったので、大管弦楽派の私には食指をそそられる演奏会が少なく、記憶では2度チケットを買ったものの、最初はキャンセルを食らい、最後は自分の本帰国のほうが先に来てしまって、結局縁がありませんでした。
 そのシフは現在、当面ハンガリーで演奏することはない、帰国もしない、という「祖国との決別宣言」をしております。そのいきさつはhaydnphilさんのブログに詳しいのでそちらを是非参照いただくとして、手短に言うと、昨年政権を奪還した右派(と言いながらやってることはほとんど左派の)政党フィデスが、メディア法というEUの他国からも顰蹙を買いまくっている言論統制法案を議会で可決し、シフがそれに反対するコメントをワシントン・ポストに投稿したところ、フィデス系のマジャール・ヒルラーフという新聞がシフを名指しで「裏切り者」と非難、ユダヤ人差別を含む常軌を逸した内容の反論記事を書いたため、こういった祖国の風潮に抗議する意味で当分祖国へ帰らない決心をしたということです。
 バルトークのピアノ協奏曲第3番は、ナチス支配を逃れて最晩年を過ごしたアメリカで、ピアニストでもあるディッタ夫人が自分の死後もレパートリーとできるような曲を、という目的で書かれた曲ですので、第1番、第2番の暴力的な激しさとはうって変わって、全編通して優しい雰囲気に包まれております。同時期のオケコンもそうですが、円熟した作曲技巧と実は持ち前のサービス精神が融合した傑作だと思います。以前ほどあからさまな民謡旋律をぶつけることはないながらも、時おり匂わせる、おそらく再び地を踏むことはないであろう祖国への強烈な郷愁が心を打ってやみません。シフは冒頭からとうとうと語りかけるようなピアノで、即物的なコチシュとは極めて対照的、人間味に溢れた呼吸です。バルトークのピアノ協奏曲集はいろんなCDを持っていますが、シフはやっぱり第3番が光っています。圧巻の技量で勝負する曲ではないので、丹念に彫り深く音を紡いでいくシフの表現スタイルはぴったしハマります。特に第2楽章、緩やかな弦の和音にかぶさる打鍵の情感がまさに溢れんばかりで、深みに引き込まれました。底支えするオケがこれまた精緻な演奏で、土臭さを感じさせない都会的でクールなもの。引き締まった音でピアノを際立たせる職人技の伴奏に、惜しみない拍手を送りたいです。
 ベルリンの壁が壊れ、ハンガリーも政治体制変換の時を迎えた1990年に、永らく祖国を離れていたショルティがオールバルトークの凱旋帰国演奏会をブダペストで行った(当時のリスト音楽院ホールでは収容しきれず国際会議場での開催)映像を見たことがありますが、その時のピアノ協奏曲第3番の独奏が他ならぬシフでした。ショルティもシフも、母国に自由が取り戻され、この地で再開できた喜びを包み隠さず顔に出していたのが印象的でした。20年後、自由を再び奪うような祖国と決別し、もう帰らぬ決心を胸に抱きながらまたこの曲を奏でる胸中は、いかほどのものだったでしょうか。アンコールで演奏したシューベルトの「ハンガリーの旋律」という小曲がまた、意味深でした。
 最後はチェコの英雄ヤナーチェクの代表曲「シンフォニエッタ」。「小交響曲」というタイトルながら、バンダがずらっと並ぶ大編成、でも内容はやっぱりプリミティブでこじんまりとしています。エルダー監督の下、きりっと集中力の高い弦、速いパッセージも危なげなくこなし 派手さはないが実力は本物の木管、鋭く切り立ったりブカブカ鳴ったりせず終始柔和な音色の金管、統一感があってたいへん好感の持てるオケの音でした。唯一、横滑りするような叩き方のティンパニにちょっとイラっとしましたが、それも含めてまさにプロの仕事。凝縮した小宇宙を垣間見た気がしました。このコンビ、ロンドンでは聴くチャンスがあまりないのは残念です。
 最後に、今回初めてサイドストール席に座ってみましたが、真横ながらピアノもよく聴こえましたし、期待通り良い音響でした。後方のコーラス席も意外や音響は良いですし、ロイヤル・アルバート・ホールは方角関係なく、とにかくできるだけステージに近い席で聴くのが吉のようですね。


2011.07.17 Royal Opera House (London)
Antonio Pappano / Orchestra of the Royal Opera House
Jonathan Kent (Director), Duncan Macfarland (Revival Director)
Angela Gheorghiu (Tosca), Jonas Kaufmann (Cavaradossi)
Bryn Terfel (Baron Scarpia), Hubert Francis (Spoletta)
Lukas Jakobski (Angelotti), Jeremy White (Sacristan)
ZhengZhong Zhou (Sciarrone)
Royal Opera Chorus
1. Puccini: Tosca

 今シーズン最後のロイヤルオペラは、ゲオルギュー、カウフマン、ターフェルと、看板スターを揃えた豪華版「トスカ」です。この人達が歌うのは14日と17日の2日しかなく、当然チケットは早々にソールドアウト。Friendでなかった私は一般発売日にバルコニーのボックスを辛うじてゲットできました。この「トスカ」はビデオ撮りをするので今度ばかりはゲオルギューもそうそうキャンセルはしまい、という予測があり、その通り、皆さん無事出てきてくれたのでまずは一安心。それにしても会場のいたるところにデカいテレビカメラが陣取って、周囲の観客にはさぞ邪魔だったことでしょう。
 私が思うに、この日の出色は、まず何と言ってもパッパーノ大将。この人が振るとオケの集中力が違います。引き締まったアンサンブルに、パワフルでも外さない金管。あんたたち、やればできるんじゃん。もちろん全員ピシっと上着着用。この上なくダイナミックなパッパーノの棒振りに相まって、このドラマチックな音楽が活きてこその「トスカ」ですね。凄かったです。
 ゲオルギューは昨年の「椿姫」でちょっとがっかりしたので、実は全く期待していなかったのですが(キャンセルするならそれも良し、とさえ思っていました)、透き通った美声がナチュラルによく通り、表現力も演技力も申し分なく、さすがオペラスターの十八番、と思わせる仕事でした。半分キャンセルした(ついでに日本公演も)昨年の「椿姫」と比べたら、気合が全然違ったような。小娘役はいざ知らず、女優トスカ役ならまだまだ余裕でイケる美貌も健在、第2幕ではボリューム満点のバストが眩しくて、ついオペラグラスを握る手に力が入りました。
 カウフマンは初めてです。彼を見るためにチケット取ったようなものですが、テナーにあるまじき芯の太さでかつ伸びのある美声は期待を裏切りませんでした。この人も演技は達者です。押し一本だけでなく、引いて歌うこともできる、懐の深い歌唱でした。ターフェルも初めて聴きましたが、この人は逆にバリトンの域を超えてもっと脳天の上まで響くような軽さも兼ね備えた、個性的な声でした。悪役ぶりは全く堂に入ったものでしたが、スカルピアはもちろん悪い奴なんだけど、巨悪というよりは狡猾な策士で、その分、実は小心者でもあるという私の勝手なイメージからすると、ターフェルのあまりに堂々とした悪人ぶりがある意味カッコよすぎる気がしました。さらに、悪人顔とは言えよく見るとちょっと愛嬌もあり、むしろオックス男爵なんかハマるんじゃないかなー、と勝手に妄想。
 今日は上からだったので、プロンプタの活躍もよく見えました。特に第3幕で主役二人の動きを事細かに誘導していました。カーテンコールの際、ゲオルギューはプロンプタへの投げキッスも忘れてませんでした。拍手の大きさは、強いて順位をつけると1番ターフェル、僅差の2、3番は同列でカウフマンとパッパーノ、少し間を置いて4番がゲオルギュー、という感じだったでしょうか。しかし総じてハイレベルのパフォーマンスであったのは疑いなく、千両役者が揃ったオペラの醍醐味をがっつり堪能させてもらいました。


2011.07.15 London Coliseum (London)
Peter Schaufuss Ballet
Graham Bond / The Orchestra of English National Ballet
Sir Frederick Ashton (Choreography)
Ivan Vasiliev (Romeo), Natalia Osipova (Juliet)
Alban Lendorf (Mercutio), Johan Christensen (Tybalt)
Robin Bernadet (Benvolio), Stefan Wise (Paris)
Tara Schaufuss (Livia), Yoko Takahashi (Nurse)
Zoe Ashe-Browne (Lady Capulet), Stephen Jefferies (Lord Capulet)
Peter Schaufuss (Frair Laurence), Benjamin Whitson (Escalus)
1. Prokofiev: Romeo and Juliet

 デンマークのペーター・シャウフス・バレエ団が、ボリショイバレエの若きプリンシパルをゲストに迎えて、珍しいフレデリック・アシュトン版の「ロメオとジュリエット」をロンドンENOで上演する、という、主催者が誰だかよくわからない企画ですが、アシュトン振付がどんなものか興味があったのと、昨年のボリショイバレエ公演で見て凄かったオーシポワがジュリエットを踊るというので、期待してチケットを買ってみました。
 このパフォーマンスは7/11〜17の1週間で9公演をこなし、12日のガラのみ端役でスペシャルゲスト(ウェイン・イーグリング等)が踊るほかは、1日2公演の日も含めて全て同じメンバーで強行するとのことでした(チケットを買う際、ENOに確認)。結局買ったのが15日という後半の日程だったので、それまでに無理な日程で主役の二人が怪我などしなければ良いが、と心配しましたが、とりあえず欠員なく出てきてくれたので一安心。しかし客入りは、上のほうは特に空席が目立っていましたので、ちょっと公演数多過ぎではなかったでしょうか。
 開演前はアシュトンの大きなポートレイト写真がど真ん中にドンとつり下がっておりました。セットはいたってシンプルで、舞台奥に階段と、背景のモノクロ写真を映し出すスクリーン、両脇には若干の縦長のライティングがあるほかは、後半でベッドが1台出てくるくらいです。プログラムに載っていたアシュトン版の写真はもうちょっといろいろな大小道具が見えましたので、ツアーのためにセットを軽くしたんでしょうかね。
 話の大筋はもちろん「ロメオとジュリエット」なのですが、このアシュトン版では曲を端折ってずいぶんと短く刈り込んでおり、登場人物が一通り出てきたら早速舞踏会に突入して、二人はいともあわただしく恋に落ちてしまいます。舞台上の人の数が少ないのでなおさら、何だか話の表面をなぞっただけのような薄っぺらい印象を受けてしまいました。その点、マクミラン版にしてもヌレエフ版にしても、どんなに大人数出てきても、各々への細部のこだわりが話に深みとリアリティを与えていた事実に、今更ながら気付きました。踊りの専門的なことはよくわかりませんが、アシュトンと言っても「リーズの結婚」や「シンデレラ」のような楽しさ、面白さがあまり感じられない振付でした。まあこちらは悲劇ですから違って当たり前でしょうが、それにしても、ジュリエットが手をバタバタとまるで白鳥のように動かす踊りはどうも違和感があり、ロメオとのコンビネーションは官能さに欠け、最後の死体の踊りもやけにあっさり。アシュトンほどの大御所の冠でも、この振付が流行らない理由はよくわかった気がしました。
 主役のナタリア・オーシポワとイワン・ワシーリエフはどちらも昨年プリンシパルに昇格したばかりで、超人的身体能力系の若手スターです。二人とも、本来はもっとアクロバティックな踊りが本領なんでしょう。それでもオーシポワの一つ一つの完成された仕草、この上なく安定した足さばき、手のしなやかさ、完璧な回転は、さすがでした。ただ、前述のように白鳥のような動作と、あと、ショートカットヘアのジュリエットというのはちょっと違和感を禁じ得ませんでした。さらには、彼女の顔だちはちょっとマリス・ヤンソンスを連想させて、悲劇なのに何故かコミカルに見えてくるので困りました。(笑)
 ワシーリエフを筆頭に男性陣3名は皆スケート選手のように立派な太腿で、そのぶっとい足を軸に、まーよう回ること。3人揃って同じように回転する振付が多かったので重量感は相当なものでした。ジャンプも軽やかさには欠けたかもしれませんが、皆さん高くて切れ味十分。デンマーク王立バレエの新プリンシパル、レンドルフはワシリーエフにも決して負けてないハイジャンプと安定感の素晴らしいダンサーでしたが、アシュトン版で割りを食ったのか、もう一つ存在感の低いマーキューシオでした。
 敢闘賞をあげたいのはティボルト役のクリステンセン。「鎌田行進曲」ばりの派手な階段落ちをやった後も、わざわざ顔から突っ込むように倒れこんで死んでいきました。ティボルトの死は最大の見せ場とは言え、これを毎回やってたら、あなた、そのうち怪我しますよ。
 演奏はイングリッシュ・ナショナル・バレエのオケで、レベルはそれなりでした。音が雑で、ホルンなどかなり苦しそうなところを無理矢理やってしまう。演奏が大変なスコアだからしょうがないですが、もっとデリカシーとパワープレイでプロらしい幅を聴かせてもらいたいと思うのは、ない物ねだりでしょうかね。


2011.07.03 Royal Opera House (London)
Sir Andrew Davis / Orchestra of the Royal Opera House
Willy Decker (Original Director), François de Carpentries (Revival Director)
Ben Heppner (Peter Grimes), Amanda Roocroft (Ellen Orford)
Jonathan Summers (Captain Balstrode), Matthew Best (Swallow)
Jane Henschel (Mrs Sedley), Catherine Wyn-Rogers (Auntie)
Roderick Williams (Ned Keene), Stephen Richardson (Hobson)
Martyn Hill (Rector), Alan Oke (Bob Boles), Orlando Copplestone (John)
Rebecca Bottone, Anna Devin (Auntie's Nieces)
Royal Opera Chorus
1. Britten: Peter Grimes

 ハンガリーに住んでいたころ、「ご当地モノ」の音楽はある種特別な存在だったように感じられました。具体的にはバルトーク、コダーイ、リスト、エルケル等を(多少マニアックなところではドホナーニ、リゲティ、クルターグも)指しますが、これら作曲家の音楽はハンガリー国民の誇りであり、時には偏狭的に愛され、大切な観光資源でもありました。まあ、リストがハンガリー人の音楽かというと異論も多々ありますが。振り返ってイギリスの場合、ご当地出身の作曲家と言えばパーセル、ヘンデル、エルガー、ホルスト、ブリテン、ヴォーン・ウイリアムズ、ウォルトン、ディーリアスと名前はいろいろ挙がりますが、国民が熱烈に指示しているとか、世界に対して誇っているとかいう話は聞いたことがなく、扱われ方は極めてクール。唯一、プロムス・ラスト・ナイトでの「威風堂々」などは例外と言えるでしょうが、あれはお祭りなので音楽が音楽としてリスペクトされているわけじゃないし。
 ということで、「ご当地モノ」としてイギリスにいるうちに一度は見ておきたいと思っていたのがこの「ピーター・グライムズ」でした。比較的有名とは言っても、予備知識は有名な「4つの海の間奏曲」のみで、DVDも含めて全く初めて見るオペラです。オペラとバレエは家族揃って見に行くのが我が家の掟なのですが、あらすじを読み、さすがに考えてしまいました。数ある悲劇オペラの中でも「救われない度」では比類を見ない上、子供が虐待され死んでしまう(しかも2人も)話で、演出家によってはペドフィリアに深く踏み込みかねない内容ですから、子供向けとはとても言えません。
 幸いペド趣味的演出はなく、とても娘に見せられないものではありませんでしたが、やっぱり救いのない、心に刺し傷を残すような演出でした。黒を基調としたダークな舞台装置はシンボリックで、床にかなり傾斜がついています。登場人物が多い上に全員喪服のような画一的に黒い衣装を着ており、誰が誰だか最後までよくわからない人が何人もいました。主役のグライムズを歌ったベン・ヘップナーはプロレスラーのような巨漢で、外見は全くバスかバリトンです。途中声が裏返ったり、鼻詰まりだったり、明らかに調子は悪そうでしたが、必死に声を張り上げて何とか最後まで歌い切りました。とても上手いとは思えませんでしたが、追いつめられた男の表現としては、ある意味ハマっておりました。後で調べたら、彼は一昨年の「トリスタンとイゾルデ」を口パクでしのいだ人ですね。その顛末を最初に聞いたときは、何でもありいなオペラの世界に軽いショックを受けたのでした。他の歌手も、破綻はありませんでしたが、特段良かった人もおらず。合唱は雑ながらも迫力はありました。
 オケは上着を脱いで演奏している人が一部おり、だらしなく見えました。いくらピットが正面からは見えないと言っても、上から見たらよく見えるのだから、ロイヤルはロイヤルらしく常に凛として欲しいと思いました。もちろんしっかりした音を出すためだったら上着の有無など問題ではありませんが、結局こういった規律の緩みは音の緩みにも繋がり、案の定、金管はいつにも増してブカブカとデリカシーのない音に終始していました。アンドリュー・デイヴィスは多分CDも含めて初めて聴いたのですが、オケをがんがん鳴らすのは得意だが繊細さに欠けるという印象です。縦の線は基本ユル系だけど、締めるところは締めていたので、ホルストの「惑星」などには向いてそうですね。全般的には、演出と美術の先鋭さは認めるものの、歌手もオケも琴線に触れるものはなく、ストーリーも重苦しく、とてもまた見たいと思うようなパフォーマンスではありませんでした。すいません。
 ところで、サーの称号を持つ現役指揮者は、思いつくところだとC. デイヴィス、A. デイヴィス、ガーディナー、ノリントン、マリナー、エルダー、ラトルの7人だけですが、他にいらさいましたっけ?この中だとエルダーだけ未聴、かな。


2011.06.30 Royal Festival Hall (London)
Christian Vásquez / The Philharmonia Orchestra
Nikolai Demidenko (P-2)
1. Berlioz: Overture, Le carnaval romain
2. Rachmaninov: Piano Concerto No. 3
3. Tchaikovsky: Symphony No. 6 (Pathétique)

 今シーズン最後のオーケストラ演奏会です。先日のアルゲリッチキャンセルでリターンしたロイヤルフィルのチケットと交換しました。元々行く予定ではなかったのでノーチェックだったのですが、この演奏会、元々はプレトニョフが指揮する予定が、タイで少年への性的暴行容疑で逮捕されるという事件があり(その後告訴取り下げ)、その影響でか、昨年末の段階で指揮者がベネズエラの新星、クリスチャン・バスケスに変更となっていたようです。さらに、ピアノ独奏はデニス・マツーエフだったのですが、当日行ってみるとニコライ・デミジェンコに変更になっていました。何か変更はないかと当日までWebでチェックしていたので、これは本当にドタキャンだったのでしょう。結局、なんだか最初からわやくちゃな状況になってしまいました。
 シーズン最後ですが、残念ながら今日もフィオナちゃんは降り番。しかし、ふとホルンの女性が目に入り、釘付けに!透き通るような素肌がめちゃめちゃ奇麗、これは掛け値なしに美人だ。かんとくさんがブログでおっしゃってたのは、この人ですね。メンバー表を見るとKaty Wooleyという人で、何とプリンシパルじゃないですか。後で調べてみたら、今年からフィルハーモニア管に加入したニューカマーの第3ホルンとのこと。凄く若そうに見えますが、たいしたものですね。バルトークには出ていませんでしたが、マーラーシリーズには全部出ていました。普段前のほうで聴いていると管楽器奏者の顔は全部見えないので、私としたことが、今まで気付かなんだー。
 まず最初に、本日は環境的にちょっと問題が。断続的にキーキーと不快な高周波が響いてきて、何じゃいなと思ったら、どうも近席に座った老人の補聴器がハウリングを起こしているようでした。ハウリング音は音量的にはたいして大きくないのですが、演奏中の静寂を破るようにキィィィィンと甲高い音が聴こえてくるとどうしても気が散って仕方がありません。しかし、本人も隣席の奥さんも全く気付いてない様子。ハウリングを起こすまで感度を上げなければならないほどの難聴なのにわざわざ音楽会に出かけ、楽しそうに音楽に没頭しているその老人の顔を見ると、注意するのも野暮だと思い黙っていましたが、そういうわけで自分自身の集中力はイマイチと言わざるを得ない状況での鑑賞となりました。
 バスケスはドゥダメルと同じくベネズエラのエル・システマ出身の新星で、本当なら5月にプラハ放送響を率いて来日しているはずが、震災影響でキャンセルになってしまったようです。まずは「ローマの謝肉祭」で小手調べ。小気味の良い音楽を作る人ですが、何だか普通という印象。ラフマニノフの第3コンチェルトはさらに輪をかけて守りに入った感じで、ひたすら四角四面に棒を振り、急きょ招集されて固さが抜けないデミジェンコと相まって、窮屈で膨らみのない滑り出しにすっかり退屈してしまいました。元々この曲、冗長で苦手なんですわ。前回実演を聴きに行ったのは遥か昔、及川浩治のほとんどプロデビューのころの演奏会だったかと記憶していますが、何を隠そうデートでした。ええ、うまく行きませんでしたとも。という定番のコピペに加え、デート欠乏症のくせにときめく心を全く失っていた当時の心境をまざまざと思い出します。とまあそんな話は今日の演奏会には全く関係なく、デミジェンコもバスケスも固さは徐々に取れてきて、終楽章では壮大にロマンティックな音楽を引き出していました。デミジェンコさん、ロンドンでは人気者らしく、急な代役を無事こなしたのもあって、会場は温かいスタンディングオベーションに包まれました。この人はロシア人にありがちなガシガシと叩き付けるピアノではなく、どちらかというとちょっと控えめで繊細な味付けに妙がある人なんでしょうね。アンコールピース(聴いたことあるんですが曲名出てきません)を聴いていても、そう思いました。
 メインの「悲愴」はかつて部活のオケで演奏したこともありますが、これまた実演を聴くのは久しぶり。偶然、前回もフィルハーモニア管で、ブダペスト駐在時代、日本に本帰国する前夜に聴いた最後の演奏会でした。帰国前夜まで演奏会通いとは、と呆れられたものですが(それどころか前前夜もブダペスト祝祭管の演奏会に行ってますし)、指揮者がムーティのプラチナチケットだったので、ここまでは何とか聴きたいと、無理を押しての日程となってしまいました。ムーティらしく全体的にも抑制の利いた演奏で、その中でも自分は別と、一人で気を吐いていたティンパニ(笑)が印象的でした。もちろん、アンディさんだったんでしょう。一方、今日のアンディさんは、さらに磨きがかかり、まさに「ブレーキの壊れたダンプカー」。席が近かったこともあって、第1楽章のクライマックスなどはバリバリバリと、もうティンパニしか聴こえませんでした。他の箇所でもチューニングを変えたり、音を追加したり、やりたい放題やってくれました。これを聴くために来たようなもんなので、個人的には満足です。この曲は他の打楽器(シンバル、大太鼓、ドラ)も出番は少ないながら実に効果的な使い方がされていて、さんざ聴き込んだ曲ですが、あらためてその成熟度にシビレました。そうそう、全体的には、バスケスはゆったりめのテンポ設定で、オケから自然に出てくる流れにまかせるかのような演奏でした。細かいところをいじくるよりは、おおらかでロマンチックな表現に終始していました。何にせよ、もっとアクとか個性があれば、なおよいかなと。期待の新星であることは認めますが、ドゥダメルに続けとばかりの、プロモーターの拙速なブッキングに乗っかるよりも、どこかの歌劇場か地方のオケでじっくり叩き上げたほうが、先のためには良いのではないでしょうか。
 前後しますが、今日は早めに会場に着いたので、フィルハーモニア管が主催するMartin Musical Scholarship Fundの入賞者による無料コンサートを初めて聴いてみました。Sophie Rosaという23歳のヴァイオリニストによるシューマンとラヴェルのソナタでした。こちらもなかなかの美人!ラヴェルの途中で顎当てが外れたか何かで一度引っ込み、だいぶ待たせた後に再開というアクシデントがありましたが、演奏はそれをものともせず情熱的なもので、好感が持てました。


2011.06.23 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Christian Tetzlaff (Vn-2)
1. Kodály: Dances of Galánta
2. Bartók: Violin Concerto No. 2
3. Bartók: Concerto for Orchestra

 サロネンのバルトークシリーズは、マゼールのマーラーシリーズと並んでフィルハーモニア管が今年敢行する目玉企画です。1月のオープニングの後、2月にもカンタータ・プロファーナ等の演奏会があったのですが、そちらはLSOとバッティングしていたため聴けず、皆勤は早々に断念していました。しばらく間を置いて、ロンドンでは今日が第三弾になります。テツラフのバルトークが聴けるということで、1年以上前からずっと楽しみにしていたコンサートでした。そう言えば、昨年はオケではLSOを聴きに行く機会が圧倒的に多かったのですが、今年はフィルハーモニアが逆転しています。もちろん俺のフィオナちゃんに会いに行くため、ではなくて、ひとえにマーラーとバルトークのシリーズのおかげです。そのフィオナちゃんですが、今日は降り番でした。残念。
 今回のサロネンのシリーズで気に食わんのは、せっかくのシリーズなのに、選曲をバルトークで統一してくれてないことです。普段からプログラムを賑わすような評価の定着した曲ばかりを取り上げ、埋め草に使える佳曲もいろいろあるのに、コダーイやストラヴィンスキーの著名曲で埋めてしまうのは発想が安直です。まあ、集客力を考えてのことなのでしょうね。実際、今日もコーラス席には客を入れず、マーラーシリーズに比べると空席もちらほら目立ちました。やっぱりバルトークの人気はまだまだのようです…。
 1曲目のコダーイ「ガランタ舞曲」は、ブダペスト時代「ガランタ通り」沿いに住んでいた我が家のテーマ曲であります。本来の由来は現スロヴァキア領で当時はハンガリー領だったGalanta市から来ていて、幼少期をそこで過ごしたコダーイが地方の民謡を題材に作曲した、代表作の一つです。最初哀愁を帯びたチェロの旋律から始まり、展開して行きますが、サロネンの大仰で明快な棒振りにもかかわらず、出てくる音はもう一つピリッとしません。このオケはエンジンのかかりがちょっと遅いと感じるときがありますね。メロディの歌わせ方がドライで、民謡色をあまり感じさせないクールな演奏でした。後半は曲芸的なジプシースタイルのチャールダーシュに突入しますが、これでもかというくらい高速にドライブし、オケも立派について行ってはいましたが、テンポを落としても良いのでチャールダーシュの裏ビートのノリがもっと出ていればと思いました。って、そういう解釈じゃないのか。
 お待ちかねのヴァイオリン協奏曲、テツラフは期待通りさすがに上手いです。ワイルドな低音から伸びの良い高音を変幻自在に操り、全身をくねらせつつ非常に雄弁な語り口のヴァイオリンを奏でます。今日は特に汗が飛び散る熱演で、今まで見たような、めちゃめちゃハイレベルなんだけどいっぱいいっぱいにならず、余力を残して大芝居を打つ芸達者のテツラフとはちょっと違って、わずかですがミスタッチしながらも必死に音楽に食らいつく熱血漢の一面が意外な発見でした。サロネンの棒は相変わらず即物的でクール。オケにもっとシャープな反応が欲しいところでしたが、ティンパニのアクセントがいつものようによく効いていて、全体として良いサポートでした。
 この曲のエンディングは2種類あって、両方ともスコアに載っているので奏者の好みで選択する余地があります。今日のは2nd Fine(初稿版)のほうでしたが、これを選ぶ人は少数派です。私の知る限り初稿版で演奏したCDはテツラフ&ギーレン、ムローヴァ&サロネン、ズッカーマン&スラットキン、ケレメン&コチシュの4種類(後者2つは初稿版終楽章をおまけで収録、というスタンス)しかありませんが、そういう意味では今日のテツラフ&サロネンという組み合わせが必然的に初稿版になることは予測済みでした。第二稿のコーダは、発注者のヴァイオリニスト、セーケイ・ゾルターンが「最後まで弾かせんかい!」とダメ出しをしたためにバルトークが書き直したものであり、それはそれでヤケクソ気味のヴァイオリンが面白かったりします。初稿版コーダではソロヴァイオリンはもう登場せず、トロンボーン、ホルン、トランペットのグリッサンド大競演という相当ハジケた音楽ですので、面白さは甲乙付けがたい。昨年聴いたバーミンガム市響の演奏会でも初稿版を採用していましたし、初稿版が見直されてきている傾向は最近あるんじゃないでしょうか。
 なお、こんなのも珍しいことですが、テツラフがアンコールを弾いてくれることは開演前から会場ドア前のプログラムに書いてありました。曲はラフマニノフの幻想的小品集から第3曲「メロディ」。元々はピアノ曲ですね。
 メインのオケコンは昨年2月にも同じサロネン/フィルハーモニアの組み合わせで聴いていますが、高速演奏にさらに磨きがかかり、完成度が増していたと思います。第2楽章で一瞬入れたタメとか、第4楽章のトロンボーンの咆哮をとことん不格好にしてみたり(後ろのほうの男性が一人、大声で笑ったのでびっくり。いや、そこは確かに笑うとこなんですが、実際に演奏中に笑う人もそうおりませんよ)、細部のアイデアが活きていました。もちろんここでもサロネンは、ハンガリー系の指揮者がやるように民謡ベースの旋律をちょっぴり郷愁を匂わせて歌う、ということはせず、さっぱりと気持ちよく駆け抜けます。特に終楽章は記録に挑戦するかのような高速で、後でBBC Radio3のiPlayerで聴いてタイムを測ってみると、8分58秒でした。手持ちのCDを調べてみても9分を切る演奏は他にないので(チェリビダッケなんか11分以上です)、極めて速い演奏であったことは確かです。これを破綻なしでやり抜けた奏者の集中力に拍手です。昨年も同じことを思いましたが、ラストだけはティンパニを聴かせるため少しでもタメを作って欲しかったかなあ。そう言えば、オケコンのほうは通例に漏れず第二稿のコーダを採用していました。サロネンさん、ヴァイオリン協奏曲で初稿版にこだわったのなら、オケコンもそうすべきでは?(まあこれは冗談です。オケコンのコーダは作曲者自身が初演を聴いた後自発的に書き直したものですから事情が違いますし、初稿のコーダは、やっぱりショボい。)


2011.06.21 Royal Festival Hall (London)
Sir Simon Rattle / Orchestra of the Age of Enlightenment
Katia Labèque, Marielle Labèque (P-2)
1. Haydn: Symphony No. 64 in A major (Tempora mutantur)
2. Mozart: Concerto in E-flat major for two pianos, K.365 (Piano Concerto No. 10)
3. Mozart: Symphony No. 33 in B flat major
4. Haydn: Symphony No. 95 in C minor

 OAEことOrchestra of the Age of Enlightenmentは「啓蒙時代の管弦楽団」という意味の名称を持つ、ロンドンの古楽器楽団。当然普段のプログラムはバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトの時代が中心で、新しめでもせいぜいメンデルスゾーン止まりなので私が食指をそそられることは基本的になく、今回ついに初体験です。妻にも「あなたがハイドンとモーツァルト?ホントに一人で行くんでしょうね?!」と怪しまれたくらいですが、思い立ったきっかけはサイモン・ラトル。昨年のPROMSおよび今年2月に聴いたラトルとベルリンフィルの充実ぶりに感銘を受けて、もっとラトルが聴いてみたくなり慌ててチケットを取った、というわけです。ラトル人気に加えてラベック姉妹も登場とのことで、ホールは満員御礼の入りでした。
 今日はどの曲もほぼ初耳の曲ばかり。ハイドン、モーツァルトの中でもどちらかというとマイナーな曲が並び、私には選曲のコンセプトがわかりません。1曲目、ハイドン64番は「時の移ろい」という表題がつけられているようですが、何となく角の取れたハイドンです。特徴は第2楽章のLargoで、たいへんギクシャクとした進行の長くて変な曲でした。あるいはラトルが変なのか?続く短いメヌエットでまた軽やかな雰囲気に戻り、終楽章まで一気に駆け抜けました。うーん、やっぱりハイドンはよくわからん、というか、あれとこれの区別が自分でちゃんとついているのかというと…。
 2曲目はラベック姉妹の登場。生で見るのは初めてですが、デビューしてサントリーのCMに出ていたころのイメージしか記憶にないので、さすがに老いましたなー。もちろん60歳前後とは思えない美貌であることは確かですが。今日は古楽器オケなので、ピアノも古楽器のフォルテピアノが2台向かい合わせで並んでおりました。指揮台に上ったラトルが、これは交響曲のスコアだと言って自分でスコアを取り替えに戻るハプニングがありましたが、まあご愛嬌。曲は、オケとピアノがあまり絡み合わず、ほぼ交互に演奏して行く進行ですが、今日は席が遠かったからか、フォルテピアノの鳴りの悪さが如実にわかりました。楽器2台もあって、結構力強そうなタッチで打鍵しているように見えても、しかも相手が古楽器集団でも、フォルテピアノの部分になるとガクンと音量が下がりるので、勢い、集中力・緊張感が高まります。面白かったのですが、聴いてて肩が凝りました。もちろんやんやの大喝采で、アンコールでは二人で一つの椅子に寄り添いながら座り、連弾の曲を披露しました。バラ売りしているのを見たことがないし、いつまでも仲の良いパートナーなんですね。次は普通のモダンピアノでも聴きたいものです。
 譜面台を撤去し、後半戦はラトル先生、暗譜で臨みます。最初のモーツァルト33番は、これまた軽くてこじんまりとした曲。あーモーツァルトらしいメロディだなあ、などと思いつつ、あっという間に終わってしまいました。最後のハイドン95番では編成が増え、木管フルート、管の長いナチュラルトランペット、手締め式バロックティンパニが入って多少にぎやかになります。この曲は、2楽章と3楽章のチェロのソロがチャームポイントですね。古楽器らしからぬビブラートで浪々と歌わせていたのが印象的でした。晩年のザロモンセットの一つですから、さすがに聴き応えのある堅牢な交響曲という感じで、飽きませんでした。
 ラトル先生は例によっていろいろと仕掛けをかましていたのかもしれませんが、苦手分野の初耳曲ばかりなのでもちろん論評できるはずもなく。ただ、全体を通して退屈することなく、思った以上に楽しめた演奏会でした。


2011.06.16 Barbican Hall (London)
Bernard Haitink / London Symphony Orchestra
Maria João Pires (P-1)
1. Mozart: Piano Concerto No. 27, K595
2. Bruckner: Symphony No. 4

 LSOおよびバービカンは、今シーズンはこれで見納めです。元々はマレー・ペライアを一度聴いてみたくて買ったチケットですが、病気のため4日前にキャンセル。前週のロイヤルフィルでアルゲリッチ、今週のLSOでペライアが各々シューマンのコンチェルトを弾く予定だったので、絶好の聴き比べ機会だったのですが、残念ながら結局二人ともキャンセルとなってしまいました。ロイヤルフィルのほうは代役がすでに2度聴いているルガンスキだったし、デュトワの「ハルサイ」を是非聴きたい気分でもなかったのでチケットをリターンしました。一方のLSOは何と大御所のピレシュをリプレイスに引っ張って来て、ピレシュはまだ聴いたことがなかったので(ブダペストで1度キャンセルを食らって以降縁がなく)、十分納得の対応です。
 しかし今日は、出張から戻ったばかりで疲労が蓄積していたのと、最近変えた花粉症の薬のせいか、開演前からもう眠くて眠くてしょうがない。瞼をしゃきんと開けていられない状態で、モーツァルトとブルックナーという、私にとっての二大睡魔巨匠が控えているこの状況では、戦わずして負けが見えてました。
 登場したピレシュはとても小柄で、庶民的だけど品性はすこぶる良さそうなおばさん。長い序奏の後に入ってきたピアノは、極めてくっきりと粒の揃った真珠のような、何とも言えぬ渋い輝きを感じました。音ははっきりと立っていますが、力強く打鍵するのでもなく、かといって軽やかに上滑りするのでもなく、力の入り具合が絶妙で、トリル等の装飾音にも一切ごまかしがなく、最上質の「お手本」のような演奏に思いました。しかし集中して聴いていられたのも最初のほうだけで、寝ていたつもりはないのですが、途中断続的に意識が飛んでしまい、気がつけば曲が終っておりました。うーむ、もったいない。けど、私がモーツァルトのピアノ協奏曲を聴くときの集中力は多かれ少なかれこんなもんかも。
 ハイティンクは久しぶりです。過去3度聴いたのは全てバービカンでLSOとのマーラー(4番、6番、大地の歌)でした。ブルックナーの4番を聴きに行くのもずいぶん久しぶりで、前回聴いたのは多分高校生のころまで遡ります。何を隠そうデートでした。「ロマンティック」という副題でだまくらかして、というような話だったかと思いますが、女子高生とのデートでブルックナーを聴きに行くとは、私もイタイ男だったんですなー。それはさておき、82歳のハイティンク御大は、出てくる足取りこそヨボヨボしていましたが、用意されていた椅子には結局座らずに、長丁場をずっとしゃんとした背筋でカクシャクと指揮しておりました。その姿もさることながら、出てくる音楽の力強いこと!この人は小細工なしの直球勝負と巨大なスケール感が持ち味で、私もその凄さは実演に接するまで認識できませんでした。フィリップスレーベルのちょっとモコモコした録音と、当たり障りなさそうなお顔立ちから、あえて選んで聴く価値もない中庸の人、と勝手に思い込んでおりました。実演に接してまざまざと感じた実直な説得力は、巨匠の時代の名残でもあり、もうこの先こんな人は登場しないのではないかと思うと、1歳下のマゼール御大と共に、いつまでもお元気で活躍してもらいたいものだと切に思います。この日のブルックナーはオケの集中力も素晴らしく、ホルンを筆頭とした管楽器の、必要にしてかつ十分な音圧で迫るアンサンブルが、厚みのある弦とからみあって、ドイツの森がどうのこうのといった表題性を超越した純音楽的な高みへと結像していました。身体は相変わらず辛かったので後半はなかなか集中力を維持できませんでしたが、寝る間もなく圧倒されっぱなしの1時間でした。前日聴いたプラハ交響楽団は、もちろん世界の一流の仲間ではありますが、こうやって連続して聴いてしまうと、やはりLSOは別格のクオリティを持っているのを再認識しました。それと、やっぱりバービカンは良いホール。私はたいへん気に入ってます。


2011.06.15 Smetana Hall, Municipal House (Prague)
Jiří Kout / Prague Symphony Orchestra
Daniel Müller-Schott (Vc-2)
1. Wagner: Tristan und Isolde, "Isoldes Liebestod"
2. Shostakovich: Concerto for Cello and Orchestra No. 2 in G major, Op. 126
3. Brahms: Symphony No. 1 in C minor, Op. 68

 出張のおりに当日券で聴いてきました。プラハは観光中心がコンパクトにまとまっている町で、著名な演奏会場であるスメタナホールもドヴォルザークホールも、めっちゃ中心地にあるのでアクセスが便利です。プラハ市民会館内にあるスメタナホールは、箱形で天井が高く、アール・ヌーヴォー調の装飾がちりばめられた、少しひなびたホールです。天窓から日の光が射し、演奏会専用ではなく講演会やパーティーにも使うことを想定された多目的な会場に見えました。椅子の形といい固さといい、ブダペストのリスト音楽院ホールを思い出させます。この椅子の固さでは、マーラーやブルックナーの長丁場はちょっとご勘弁願いたいです。
 イルジー・コウトはよくN響に客演してたりするので名前のみ記憶にありましたが、1曲目の冒頭から、あーこの人は「ゆるキャラ」じゃないな、とわかりました。タイトな音作りで手堅くまとまった演奏です。イルジーつながりというわけでもないのでしょうが、ビエロフラーヴェク同様に職人肌の指揮者と見えました。チェコのオケは5年前にブダペストでチェコフィルを1度聴いたくらいですが、そのときは強烈に感じた「土臭さ」は今日のプラハ響になく、音自体はずいぶんとモダンな響きのオケでした。しかし、じれったく上昇下降する音楽を聴いているうちに、早朝起床で長距離ドライブもあった出張の疲れから、ついウトウトと…。
 次のコンチェルトはイケメンチェリストのダニエル・ミュラー=ショット、今年のLPOでも聴いたばかりですが(余談ですがこのときもメインはブラ1でしたなー)そのときはムターとの競演でしたので影が薄かったのは否めません。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番は全く初めて聴く曲で、つかみどころがわかりにくい大曲でしたが、調性感のない中に時おり出てくるロマンティックな旋律と、何やら意味深なエンディングが印象的でした。それにしてもミュラー=ショットは、上手い!音がちょっと軽いので深みに欠けると思わせてしまうかもしれませんが、テクニック的には文句のつけようがなく、全くキズの見当たらない達者な演奏でした。
 メインのブラームスは、冒頭からオルガンのようにフラットな厚みのある音塊が迫ってきました。ここまで聴いていると、このホールの音響特性があまり自分の好みでないということに気付きます。まず天井が高いせいで残響が長く、輪郭をぼやかしています。コウトの導く音はいつまでもタイトですが、引き締まった演奏に長い残響という摩訶不思議な空間が生まれていました。また、これも天井とステージの作りがあるのでしょうが、弦楽器に対して舞台後方に位置する菅楽器群の音が素直に前方に響いて来ないアンバランスさを感じました。舞台の真ん中に透明なスクリーンが1枚下がっているようなイメージです。結果的に時々中音域が落ち気味のドンシャリ系の音になっており、だいぶクセのあるホールだなと思いました。
 変わったことをやるでもなく、どの楽章もスピーディにサクサクと進んで行ったブラ1ですが、終楽章の有名な主題部ではむしろさらにサクサク度を増していました。パートバランスは常にほどよく整えられ、流れに澱みもありません。面白みはないかもしれませんが、スコアに内在される音楽の力は過不足なく発露された、全く模範的なブラ1です。コウトのように、地味だけど厳格な指揮をして、経験豊富でオケの統率力に優れた指揮者に、日本の楽団を是非鍛えて欲しいものだ、と思いました。


2011.06.05 Barbican Hall (London)
Kristjan Järvi / London Symphony Orchestra
Andrew Staples (Candide), Kiera Duffy (Cunegonde)
Kim Criswell (Old Lady), Marcus Deloach (Maximilan, Captain)
Jeremy Huw Williams (Pangloss, Martin), Kristy Swift (Paquette)
David Robinson (Governer, Vanderdendur, Ragotski)
Jeffrey Tucker (Bear Keeper, Inquisitor, Tzar Ivan)
Matthew Morris (Cosmetic Merchant, Inquisitor, Charles Edward)
Jason Switzer (Doctor, King Stanislaus)
Michael Scarcelle (Junkman, Inquisitor, Hermann Augustus, Croupier, Señor I)
Peter Tantsits (Alchemist, Inquisitor, Sultan Achmet, Crook, Señor II)
Rory Kinnear (Narrator), Thomas Kiemle (Director)
London Symphony Chorus
1. Bernstein: Candide

 このところフィオナちゃんマゼールチクルスのおかげでサウスバンクばかり行っていたので、バービカンもLSOも何と3ヶ月ぶりです。
 本日はバーンスタインの代表作「キャンディード」の全曲演奏会。序曲は飽きるほど聴いていますが、全体のあらすじを実はよく知りませんでした。しかし、佐渡裕のヤング・ピープルズ・コンサートでも取り上げていたくらいだし楽勝で子供向けだろうと思っていたら、昔NHK BSから録画して放置していたDVD(NYPのコンサートパフォーマンス)を予習のためどれどれと見てみて、超びっくり。何と言う不道徳で、支離滅裂荒唐無稽なお話であることよ。まあ明らかに寓話ですが、とても子供に進んで見せるような内容ではないので、案の定会場に子供の姿はうちの子以外ほとんど見かけませんでした。
 指揮はクリスチャン・ヤルヴィ。彼の家系はユロフスキ家と同じく、お父ちゃん(ネーメ)もお兄ちゃん(パーヴォ)もみんな現役指揮者なんですね。ユロフスキ家はなんとか3人とも実演に接しましたが、ヤルヴィ家は今回のクリスチャンが初めてです。サロネンの弟子だそうですが、確かに指揮している後ろ姿はよく似ています。それに、何と言っても若い!高速のテンポで勢いよく開始しましたが、オケがちょっとまだエンジン暖まってない感じ。序曲はバランスが悪く、ぎこちなかったです。アンバランスに感じたのは、もしかしたらマイクがオケの音も拾っていたからかも。
 今日はコンサートパフォーマンスですが、一応演出家がいて、歌手やコーラスは小芝居を交えて歌い、ナレーターは軽妙にアドリブギャグを飛ばして笑いを取ります。アマチュアとは言え天下のロンドン交響合唱団も、年齢層の高いメンバーがちょっと照れながらも楽しそうに演技していました。歌手はマイクを使っていましたが、かぶりつき席だったので生声もよく聴こえました。キャンディード役のステイプルズは昨年見た「サロメ」でナラボートを歌っていた人ですね。若々しく色のついてない美声のテナーで、容姿はともかく、歌は非常にハマっていました。マクシミリアンのデローチはナルシストのいっちゃってる感じがよく出ている危ないキャラクターで、この二人は多分マイク要らないくらいの声量でした。パケット役スィフトは声が弱くよく聴こえませんでしたが(そもそも出番も極端に少ない)、クネゴンデとパングロス博士の声量はまずまず。オールドレディ役のキム・クリスウェルは一人だけミュージカル畑のようで、確かに声がハスキーだし、他の歌手とは歌の土俵がそもそも違うという感じです。喉の調子がちょっと悪そうでしたので、いずれにせよマイク必須でしたね。歌手陣はマイクのおかげで音が割れるくらいにうるさく感じましたが、全体的にオケも合唱もがんがん鳴っていたので、後方の席だったらマイクがないと歌手の声だけよく聴こえなかったかもしれません。
 普段聴きに行くクラシックのコンサートやオペラは原則生音勝負なので、マイクを通した歌には多少違和感を感じてしまいますが、この演目だったらこれはこれで良いのかなとも思いました。「キャンディード」の音楽はやっぱり、オペラ側よりむしろ相当ミュージカル側に寄っています。これをオペラと見立ててマイクなしで上演することもできたでしょうが、その場合はオケを相応にコントロールしなくてはならないし、歌手陣が皆意識してオペラチック、ドラマチックな歌い方になってしまい、喜劇とはいえ雰囲気は別ものに変わっていたでしょうね。そういえば予習で見たNYPのコンサートパフォーマンスでも、パングロス博士兼ナレーターのトマス・アレン卿以外はブロードウェイのミュージカル系歌手を揃えていましたっけ。
 クネゴンデ役のアメリカ人ソプラノ、キーラ・ダフィーはヒロイン向きの細身の美人で、METでも活躍してるそうな。ただしこの役にしては雰囲気が生真面目過ぎる印象。この劇のハイライトとなる第1幕終盤の難曲「Glitter and a gay」はコロラトゥーラらしい高音をきれいに響かせ、たいそう立派な歌唱でした。ちょっと線が細い感もありましたので、「夜の女王」には物足りないかも。
 パングロス博士のジェレミー・ヒュー・ウイリアムズは、役のイメージにしては繊細すぎる気もしましたが、もう一つの役であるマーティンの「Words, words, words」(別名MartinのLaughing Song)では性格俳優の一面をいかんなく発揮。ねちねちとした熱唱のあまり、最前列までツバが飛びまくりでした。お前は永源遥か、と(わかる人がどれだけいるか…)。
 さて、たいへんアダルトな劇および歌詞の内容は、あのスピードのナレーションだったら娘もちんぷんかんぷんなので、ほぼ杞憂に終わりました。まあ、抱き合ってお尻を触ったり等のキワドいシーンはありましたけど。単純に笑える小芝居が満載で、長丁場も退屈せず喜んで見ておりました。
 大団円はオケも歌もぐっと力が入って、感動的に幕を閉じました。高揚したコンマス(今日はシモヴィッチさん)から主役のステイプルズに握手を求める姿も見られました。これだけ楽しい気分でうきうきと帰路につけるコンサートは、シーズン通してもそう何度も出会えるものではありません。しばらくはキャンディードの音楽が頭から離れそうにありません…。


2011.05.26 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 7

 「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズ第7弾。今シーズンは結局この7番まで皆勤賞です。ぱちぱち。もう一つ、ロンドンに引越しが決まったときに密かに目論んでいた「マーラーの全交響曲をロンドンのローカルオケで聴く」シリーズのようやく完結でもあります。2009/2010のシーズン意向で聴いたマーラーの交響曲とオケは各々以下の通り。
 1番:LSO, PO (+ Berliner Phil)
 2番:POX2
 3番:PO (+ Berliner Phil)
 4番:LSO, LPO, PO (+ Berliner Phil)
 5番:LSO, POX2
 6番:LSO, LPO, PO, BBCSO
 7番:PO (+ DSO Berlin)
 8番:BBCSO
 9番:LSO (+ LA Phil)
 10番:LSOX2
 大地:LSO
 今年2月のベルリンフィルで「マーラーの全交響曲をロンドンで聴く」のは達成していたのですが、3番、7番がなかなかローカルオケでは聴く機会がなく、マゼール・チクルス万歳です。しかし記録を見ていると、マーラーをこれだけ聴いているその間に、タコ、プロコはおろか、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーですら交響曲はあまり聴いてませんし、モーツァルト、メンデルスゾーンの交響曲に至ってはゼロ。我ながらひどい偏食です。
 前置きがだらだらと長いのですが、自分はこの曲に対してあまり語れるものを持っていないのが正直なところ。マーラーの中では7番、8番、大地の歌の3曲はそれ以外と比べて本当に聴く機会が少なく、細部があまり頭に入っていないので、マゼールがいかに「ヘンタイ」なことをやっても察知できる自信がないんです。
 さて、今日は午後から激しい雨が断続的に降り、地下鉄が止まらないか心配でした。多分雨とは関係ないですがJubilee Lineが遅れていたのでちょっと心配していましたら、コンマスのジョルト氏、今日はちゃんと間に合って出てきました。よかったよかった、と思いきや、今度は登場したマゼール先生が「おや、譜面台がないぞ」とクレーム。すぐに指揮台を下りてしまいました。ほどなく譜面台とスコアがセットされ、御大も別に気を損ねた様子もなく、いつものように颯爽と棒を振り始めました。
 陰々滅々とした第1楽章が、私がこの曲をあまり好まない原因の一つかもしれません。マゼールのテンポは今日も遅めです。冒頭のテナーホルンの主題(実際にテナーホルン使ってました?私の席からはトロンボーンで代用しているように見えたのですが)と、続く木管がいかにも苦しげで、こっちもますます息が苦しくなりました。金管は破綻なくがんばっていたし、集中力ある演奏でしたが、何せ重苦しくてたまらんです。何だか疲労感だけ残ったような長い第1楽章がやっと終わり、気を取り直して第2楽章は、ここまでちょっと抑え目だったティンパニがドカンと爽快な打撃を叩き込んでくれて多少溜飲が下がりました。しかしまだまだ陰々滅々は続きます。第3楽章はマーラーのスケルツォの中でも特に陰にこもっものだと思いますが、皮を破らんばかりのティンパニの一撃と、強烈なバルトーク・ピチカートに目が覚めました。この7番の2楽章と3楽章は表面的には「マーラー節」の集大成のようで、聴き覚えのあるフラグメントが連発してちょっとうんざりしますが、構成とか楽器の使い方にそれまでと違う新しい試みをいろいろ詰め込んでいて(個別に指摘できるほど聴き込んでいないのが弱いですが)、それも聴いていて道に迷ってしまう原因かなと。
 4楽章は逆に、新しい境地の音楽。マンドリンとギターは私の席とは反対側でしたがよく聴こえましたし、陰から陽に向けての間奏曲の役割をしっかり果たしていました。お待ちかねの終楽章は冒頭からティンパニが期待通りの大暴れ。よく見るとフィオナちゃんもノリノリで、休符の間にもリズムに乗って首を軽く左右に振っていた姿がますますキュートでした。マゼール先生はこのシリーズで時々あったような、せっかくの流れを阻害するヘンなマネはせず、構成が弱いといわれるこの曲でもむしろうまい具合に起伏を作り、スムースな流れを導いていました。と思うのは自分があまりこの曲が好きじゃないからで、もしかしたらやっぱりヘンタイな演奏だったのかもしれませんが。
 フィオナちゃんの隣りのヴィオラトップの女性も演奏中の姿がなかなか美しく、おおっ、と思ったのですが、やっぱりプロポーションも抜群のフィオナちゃんにはかないませんでした。いや、ヴィオラの演奏はたいへん良かったんですよ…。もはや自分でも、何しに演奏会に行っとんじゃ、と思い始めてきたので、美人奏者探しは当分封印です。


2011.05.21 Royal Festival Hall (London)
Tadaaki Otaka / Sapporo Symphony Orchestra
Akiko Suwanai (Vn-2)
1. Takemitsu: How slow the wind (orchestra)
2. Bruch: Violin Concerto No. 1 in G minor
3. Shostakovich: Symphony No. 5 in D minor

 諏訪内晶子はチャイコフスキーコンクールで優勝した翌年くらいに招待券をもらって聴ける機会があったのですが、急用のため泣く泣くチケットを人に譲りました。それ以降はどうも縁がなく、生は今回が初めてです。札響を聴くのも初めて。尾高さんは多分日本で何度か見ていると思いますが、いつどこで何を聴いたか記憶が定かではありません。
 今回は札響の創立50周年記念欧州ツアーとして、ミュンヘン、ロンドン、サレルノ、ミラノ、デュッセルドルフの5カ所で演奏会を行います。スケジュールを見ると全公演に諏訪内さんが同行して、ドイツではプロコ1番、それ以外でブルッフ1番を弾き、メインはロンドン公演のみタコ5、他は「悲愴」になっていました。なお、この演奏会は東日本大震災を受けて急きょチャリティコンサートになり、チケットとプログラムの収益は赤十字に義援金として寄付されるそうです。
 1曲目の武満は初めて聞く曲ですが、神経質な弦に乗っかるように、調性感のあるおだやかなメロディーが繰り返される、不思議な感触の曲でした。途中ウッドブロックがチャカポコとコミカルに入ってくる箇所もありますが、生命線である繊細な弦はきっちりと保たれつつ、透き通って背景に溶け込んで行くように終りました。なかなか上手いです。
 次のブルッフではお待ちかねの諏訪内さんが背中の開いたブルーのドレスで登場。高いヒールを履いているせいもありますが、長身のスレンダー美人ですね。彼女のヴァイオリンの印象は、まず、音がでかい(笑)。力強く押しまくる演奏で、早いパッセージでも弱音でも音の芯はずっと太いまま、しっかりと澱みなく、健康的に歌っていきます。昨年同曲を聴いた五嶋みどりと比べると繊細なニュアンスはちょっと欠けていて、表現の深さ、幅広さでは負けるかもしれませんが、テクニカルには十分、文句のつけようがない上手さで圧倒されっぱなしでした。チャイコフスキーコンクール優勝の肩書きは伊達じゃありません。オケも熱のこもった演奏でしっかりとバックアップし、期待以上に凄い演奏でした。諏訪内さんも演奏の出来にはたいへん満足げな様子でしたが、拍手が意外と淡白に終わり、アンコールがなかったのは残念です。
 メインの「タコ5」は大昔に部活のオケで演奏したことがあり、それこそ飽きるほど、隅々まで覚えるほど聴き込んだ曲ですが、それはさておき、さっきよりもさらに熱気の注入された札響の演奏は、日本のオケにあるまじき音の厚さで驚きを覚えました。先ほどの諏訪内さんが全員に憑依したかのような芯の太い弦の音に加え、木管も各パート名手が揃っていて凄く良い。金管はさすがにこちらのオケと比べたら馬力不足は否めないですが、尾高氏の強引なアクセルにも何とか耐えて、破綻することなくがんばっていました。若いメンバーが多く、何より勢いがあるのが良かったです(一昨日のブラジルのユースオケには、この勢いが欲しかった)。立ち止まってじっくりと考えさせるよりは、即物的な快楽を求めてスポーティに走り抜けるような演奏でしたが、音が厚く熱気があったおかげで上滑りせず、キレのある「タコ5」になりました。極めて自然に起こったスタンディングオベーションに感動しながらも、各々の奏者がこの2ヶ月間、本当に人生感が変わるほど苦しい体験をし、いろいろと思うところがあっての今日の演奏なのだろうな、ということを思い巡らさずにはおれませんでした。
 終演後に尾高さんがマイクを取り、震災の当日東京でオペラを見ていたこと、被害が明らかになるにつれたいへん心を痛めたが、日本の復興を信じていることなどを語っていました。アンコールのピースとして震災前には別のものを考えていたが、イギリスの支援に感謝を込めて曲を変更した、というようなことを話して、エルガーを1曲(多分「エニグマ変奏曲」のアダージョだったと思う)演奏しました。これがまた気持ちの入った素晴らしい演奏で、イギリス人聴衆を中心に再びスタンディングオベーション。最後まで充実しまくった演奏会でした。
 一昨日のラン・ランは客席に中国人が多かったですが、今日は当然日本人だらけ。残念ながら全体的な客入りはイマイチ。バルコニーに人を入れなかったのでストールはそれなりに埋まっていましたが、諏訪内さんが出た後に帰ってしまった人も多く、空席が目立ちました。こんだけ良い演奏だったのに、何ともったいないことだ。


2011.05.21 Royal Festival Hall (London)
Lang Lang Inspires: Lang Lang in Concerto
Ilyich Rivas / Youth Orchestra of Bahia
Lang Lang (P-2,4)
1. Respighi: Fountains of Rome
2. Chopin: Piano Concerto No.2
3. Stravinsky: The Firebird, Suite (1919)
4. Gershwin: Rhapsody in Blue

 日本人にはどうしてもパンダの名前か「恋のインディアン人形」に見えてしまうラン・ラン。漢字では「郎朗」と書くそうですね。4年前5年前にブダペストで見て以来の3回目になります。今回は“Lang Lang Inspires”と題したシリーズでソロ、室内楽、コンチェルトの演奏会を連続開催しますが、今日のコンチェルトはSouthbank CentreのWebサイトでClassical Music/Orchestralをブラウズしても出て来なかったので、しばらく存在に気付きませんでした(普段めったに見ないClassical Music/Chamberのほうに出ていたのです)。見つけたときにはピアノがよく見える席はすでに売り切れだったのですが、ほどなくリターンが出て、幸い3列目の良いチケットをゲットできました。選曲も「ファンタジア2000」で娘がお気に入りの「火の鳥」と「ラプソディ・イン・ブルー」が入っており、家族イベントとしては最適です。実際、夜にしてはずいぶん子供が来ていました。あとは中国系の人が多く、普段とは聴衆の様相がちょっと異なる感じでした。
 1曲目は「ローマの噴水」。レスピーギのローマ3部作は全て、打楽器奏者の端くれとしては何歳になっても心が躍る、最高に好きな曲なのですが、なかなか実演で聴く機会に恵まれないのが残念でした。「噴水」は、もしかしたら実演は初めてじゃないかしらん。オケはブラジルのバーイア・ユース管弦楽団。ベネズエラのエル・システマ(貧困層の子供に無料で楽器と音楽教育を与え健全な成長を図る社会政策)に触発されて2007年に結成されたそうで、年齢層は12〜25歳とたいへん若いです。指揮者のリーバスも弱冠18歳のベネズエラ人で(この人はエル・システマ出身ではないそうですが)、言ってみれば子供が指揮する子供のオーケストラという図式です。プログラムの解説によると、リーバスは未成年とは言えすでにアトランタ響、シュトゥットガルト放送響、グラインドボーンやルツェルンの音楽祭でプロデビューを果たした新進気鋭ですし、オケもセミプロみたいなものでしょうが、やっぱりアマチュアの域を出てないかなと感じざるを得ない線の細さでした。技術やパワーが追いつかないというより、勢いがないのが一番問題に思えました。若いんだからppでもpppでも全部fでぶつける、くらいの勢いが多少はあったほうが音楽が生きると思いますが、まるで破綻しないことを第一に教えられているかのようでした。まあ、この難曲を破綻しないでやり通せるというのは、それはそれでたいしたものですが。
 次のショパンでラン・ラン登場。28歳だからまだまだ若いですが、このメンバーに入るとキャリアでも知名度でもダントツですから自分が牽引せねばならず、普段ウィーンフィルやベルリンフィルと共演するのとはだいぶ勝手が違うでしょう。ラン・ランはやんちゃな若造という風貌はあまり変わっていませんが、期待していた顔芸がずいぶんと減って、やけにすました顔で風格たっぷりに弾いていました。前聴いたときはまるで演奏を補完するかのように音楽に入り切った表情を見ているだけで楽しかったのですが、時おり恍惚の表情を浮かべながらも、客席を見渡しながらクールな顔で大見得を切ったりして、「ええカッコしい」度がさらに増したなあという印象です。マネージメントが狙っている市場は普通のクラシックピアニストの枠を超えたところにあるでしょうし、本人もそれに乗ってスーパースターを演じるのが楽しい様子です。で、肝心の演奏のほうは、ショパンは正直、普段聴くことが最も少ない作曲家の一人ですので細かいところはわかりませんが、掛け値なしにめちゃめちゃ上手いピアノであったことは間違いありません。今日の演奏会は自分がリードするという自覚の現れでしょうか、木管や第2ヴァイオリンに向けて弾き振りみたいな動作までしていたのには驚きました。パンチに欠けてオケと指揮者の影が薄い分、ラン・ランの独演会のような様相を呈していました。何となく予感はありましたが、案の定、楽章が終るたびに盛大な拍手が起こり、ラストも思いっきりなフライング拍手&ブラヴォー。やはり、あまり普段演奏会に足を運ばない客層のようでした。
 休憩を挟んで「火の鳥」。あらためてオケをじっくり聴くと、弦楽器はなかなか繊細な音が出せるし、管楽器も個々のプレイヤーはそれなりに技量を持っていることがわかります。それが全体となるとパワー不足、勢い不足に感じられてしまうのはアンサンブルが弱いせいですね。「ふわっと花が開くような」とか「突然目の前に現れるように」などの表情付けをきっちり表現できるというのは、普段プロの演奏に慣れているとあたり前のことのように思ってしまいますが、楽譜通り音を出せばそうなるものではもちろんないんですね。それでも1曲目とは違ってこれはバレエですから、「火の鳥の踊り」や「魔王カスチェイの踊り」ではみんな一斉に大きく身体を揺らしながら演奏して、ようやく本来のノリが出てきたようでした。それにしても、若者らしからぬたいへん品の良い「火の鳥」でした。
 最後は再びラン・ラン登場。「ラプソディ・イン・ブルー」は得意曲と見えて、オケが一番リラックスして演奏していました。ラン・ランのピアノもやりたい放題に弾きまくっていましたが、ジャジーな雰囲気はあまり感じられず、いろいろやってもこの人の本質はガチガチのクラシックピアニストなのだなと思いました。ガンガン叩きつけるように弾いたかと思うと、第2主題の後半で4拍子と3拍子が重なりあってリズミカルになる箇所ではわざとしっとりと弾いてみたり、ちょっと変わったことをやりたいお年頃ですかね。さすがにこの曲では途中で拍手はありませんでしたが、最後はやっぱり音にかぶさるように沸き起こる拍手と聴衆総立ちの喝采が待っていました。
 アンコールはオケにラン・ランも加わってのサンバのポピュラー曲(すいません、タイトルが出てきません)。メンバーが途中で立ったり座ったり、踊り出したり、何かやらかす雰囲気になってきたら、突如ホルン(♂)とクラリネット(♀)の奏者が楽器を置いてステージ前方に踊り出て、巧みなステップでサンバダンス。演奏がグダグダだったのは、まあご愛嬌ですが、南米のオケって最近はみんなこんなノリなんでしょうか?最後は、ブラスと打楽器が叩き出すサンバのリズムに乗りながら、メンバーが順次踊りつつ退場して行きました。聴衆は大ウケで、皆笑顔で帰路についていました。こういう理屈抜きに楽しい演奏会もたまには良いものですね。
 今日は後席に座っていた女性にいきなり声をかけられ、写真を後でメールで送って欲しいと頼まれました。自分もカメラを持っているのに、私のほうがカメラが良さそうで写真がシャープに見えたから、だそうです。別にこだわりのカメラではなく、キャノンの普通のコンパクトデジカメなんですけどね。写真については本当にずぶの素人ですのでクオリティは保証できません。


2011.05.15 Royal Festival Hall (London)
FUNharmonics family concert "Tick Tock"
Stuart Stratford / London Philharmonic Orchestra
Chris Jarvis (Presenter)
1. Kodály: The Viennese Musical Clock from 'Háry János' Suite
2. Prokofiev: Waltz and Midnight from 'Cinderella' Suite No. 1
3. Haydn: Symphony No. 101 (The Clock): 2nd movement
4. McNeff: Suite for Orchestra from the opera 'Clockwork'
5. Beethoven: Symphony No. 8: 2nd movement
6. Grainer/Gold: Doctor Who Theme (arr. McEwan)
7. Johann Strauss II: Perpetuum mobile
8. Ponchielli: Dance of the Hours from 'La Gioconda'

 久々のファミリーコンサート。ロンドンフィルのはこれで2回目です。娘はもう大人の演奏会に普通に連れて行ってますし、ファミリーコンサートの子供向けイベントにも興味がなくなってきた様子なので、もう卒業してもよいかと思っていましたが、今回は選曲がなかなか面白かったので、これを最後のつもりで行ってみました。
 会場はほぼ満員。子供の年齢層は乳児から小学校低学年までが多いです。もちろんほとんどの子供は1時間の演奏会にじっとしていられるはずもなく、立ったり座ったり終始落ち着かない子供、途中でトレイに行きたいとせがむ子供、子供用クッションをバンバン叩く子供、ぐずって泣き出す子供等々、会場は絶えず騒がしいです。それは織り込み済みですが、見ていると子供をなすがままに放置している親が多く、演奏会でのマナーを子供に教える絶好の機会と捉えている人は少数派の様子。子供に少しでもクラシック音楽に興味を持ってもらう機会、という意義もありますので捉え方は人それぞれですが、イギリスのたいていの子供は知っている「ドクター・フーのテーマ」になるとみんなとたんに静かになって耳を傾けたのを見るに、クラシックリスナーの裾野を広げるにはあまり成功していないのかな、とも感じました。何にせよ、ファミリーコンサートの常連になって、あのざわざわを普通のものだと思い込んでしまう子供が大量生産されたら、その弊害がむしろ大きいんじゃないかと思ってしまいます。
 オケは見る限り通常のLPOのメンバーで、演奏はたいへんしっかりしたものでした。コンマスはVesselin Gellevさんですね。この人、顔立ちからてっきりイタリア人かと思っていたら、意外にもブルガリア人でした。今日は席が遠かったので、美人奏者探しは不発に終りました。フィオナちゃんクラスの人はやっぱりそうそういませんなー。第2ヴァイオリンとパーカッションに良い感じの人を見つけましたが、もうちょっと近くで観察しないと何とも言えません。(何をしに行ってるんだか)


2011.05.08 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Sarah Connolly (Ms)
Philharmonia Voices (Ladies), Tiffin Boys' Choir
1. Mahler: Symphony No. 3

 「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズ第6弾。週末なので家族連れで聴きに行きました。前回の5番が良かっただけに、その前に良かった2番の次の6番がヘロヘロだったのを思い出し、ちょっぴり不安がよぎります。
 本日はマゼール先生、暗譜じゃなくて楽譜を置いていました。冒頭のホルンのユニゾンから気合い十分の迫力ある音色で、おおっ、と身を乗り出しましたが、その後のテンポ設定がとにかく遅い。例によって緩急付けて怪しくゆさぶる場面もあったものの、特に第1楽章の芯となっているマーチングが全然快活じゃない。私はこの楽章がマーラーの音楽の中でも特に好きで、晴れ渡るチロルの山を朗らかに歩いて行く自分をいつも思い浮かべるのですが、これでは足取りが重過ぎて、歩くという感覚がまるでない。これを作曲したときのマーラーはまだウィーンに出る前で、もちろんアルマとも出会う前で、もっと若々しさがあったはず。オケは非常によく鳴っていて、本日もティンパニの衝撃は凄まじいものがありましたが、エネルギーは前に向いておらず後ろ向きの感じがしました。コンマスのジョルト氏のヴァイオリンソロは先のベルリンフィルのブラウンシュタインと比べるといかにも線が細く、今日のテンポでは押しつぶされていまにも止まってしまいそうなソロでした。再現部の前で突如叩かれるマーチング小太鼓は舞台裏から叩いていましたが、複数台で叩いていたように聴こえました(スコアを見ると確かにそのような指示があります)。コーダではまだまともなテンポになって、これぞ爆演という感じで盛り上がって終りました。
 第2楽章はほとんど仕掛けもなく、ヴァイオリンが甘いメロディーを奏でるところなどもっと表情を付けるかと思ったら、意外と淡々と進みました。第3楽章の舞台裏ポストホルンソロは、トランペットで代用ではなく本当にポストホルンを吹いていたようでした。音色では判別できませんでしたが、ソロが終ったあと、明らかに形の違う楽器を抱えて舞台に戻って来ていましたので。1カ所くらいはミスっていましたがほぼ完璧なソロで、吹きにくいポストホルンでこのレベルは会心の出来と言っていいでしょう。
 第4楽章、のどの感染症で降板したストーティンの代役で、先日「角笛」で素晴らしい歌唱を聴かせてくれたコノリーが登場。この人、衣装の趣味が悪いと評判だそうですが、今日はシックな黒のドレスでした。急な代役で歌うくらいだからてっきり十八番なのかと思ったら、この曲の独唱者としては珍しく、楽譜を見ながら歌っていました。先日のベルリンフィルで歌ったシュトゥッツマンはいかにもアルトの低周波に厚い声でしたが、コノリーはやっぱりメゾソプラノ、ずいぶんと軽い声質です。決して悪くはなかったしたいへん美しい声なのですが、歌い慣れてない緊張が随所に出ていたように思います。視線が楽譜からなかなか離れないし、次の第5楽章では歌い出しをミスった箇所もありました。話を4楽章に戻すと、あとは先日のラトルと同じくオーボエが強烈なポルタメントをかけていたのが特徴的でした。
 間髪入れず第5楽章に突入。少年合唱団は見かけちょっとトウが立っている(失礼!)ようでしたが、声はずっと幼く繊細で、女声とオケに負けていました。まあ、歌詞がほとんどビム〜バム〜だけで声量を出しようもないのでしょうがないですが、ここの少年合唱は実演ではいつも物足りなく感じてしまうところです。
 終楽章は再びスローなテンポで、抑制ききまくりの黙示録的演奏でした。2番では音楽の力自体に任せてナチュラルな起伏を作って行ったマゼールさんが、3番ではあえて音楽自体の推進力を利用せず、膨大な静電エネルギーを鉄球に貯めていくかのような演奏になったのはどういう解釈があってのことなのか、なかなか理解は難しいです。本日、オケの迫力には圧倒されましたが、私が聴きたかった3番ではありませんでした。小学生の娘には、全体的に明るい曲だから楽しめる箇所はあるだろうと最初は思ったのですが、この長丁場はちときつかったようです。大人しく座って聴くのはもう慣れているので、真後ろに座っていた常連のおじいさん(RFHでよく顔を見ます)から「very good behaviour」と褒められてはいましたが。
 しかし、コーダのティンパニはまさにやりたい放題。指揮者がそれを許しているとはいえ、スミスさん、回を追うごとに爆演がエスカレートしてますぞ。是非、もっとやってください。


2011.05.05 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Sarah Connolly (Ms-1), Matthias Goerne (Br-1)
1. Mahler: 6 songs from "Des Knaben Wunderhorn"
2. Mahler: Symphony No. 5

 「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズ第5弾。最初は歌曲集「子供の不思議な角笛」から以下の6曲の抜粋です。

 1. Wo die schönen Trompeten blasen(トランペットが美しく鳴り響くところ)
 2. Rheinlegendchen(ラインの伝説)
 3. Das irdische Leben(この世の営み)
 4. Urlicht(原光)
 5. Revelge(死せる鼓手)
 6. Der Tamboursg'sell(少年鼓手)

前半3曲をコノリー、後半3曲をゲルネという歌いわけでした。二人ともこのマゼールシリーズでは初登場です。
 コノリーは一昨年のプロムス・ラストナイトで見て以来です。美形というよりは個性的で、ある種男性的でもある顔立ちですが、佇まいに気品があって、無駄に顔を振ったり手を広げたりしないのがたいへん好ましかったです。歌がまた、節度ありながらも起伏に富んだ感情表現で実に素晴らしい。今までこのシリーズに出てきたどの歌手と比べても、ワンランク上の歌唱でした。
 間髪入れず後半のゲルネにバトンタッチしましたが、特筆すべきは4曲目の「原光」。「復活」の第4楽章とまるまる同じ曲ですが、これをバリトンが歌うのはたいへん珍しく(しかも、この曲を得意レパートリーにしているコノリーを差し置いて!)、私も初めて聴きました。ところがこれが意外とイケるので驚き。切々と叙情的に歌うバリトンの「原光」は、まさにプリミティブでモノクロームな光を思い起こさせ、伴奏のオケも先日の「復活」のときよりさらに充実していた感じでした。続く少年鼓手の歌2曲は一転してドラマチックな表現になり、ノリノリのオケと相まって、こちらもたいへん良かったです。オペラ向きの人だなあと思っていると、実はどちらかというとリート歌手だと後で知って、二度びっくり。
 とにかく今日は初っ端からハイレベルの「角笛」を聴かせてもらい、これだけでもう元が取れた気分です。ところで素朴な疑問。先日の4番ではリュッケルト歌曲集が、今日の5番では角笛が前座でしたが、作曲順からも、内容の関連性からも、曲の長さからも、カップリングは逆にすべきではなかったでしょうか。まあ、歌手のスケジュールとか、いろんな要因もあるのでしょうが。
 さてメインの5番が、これまた非常に素晴らしい快演でした。先日の6番ではヘロヘロだったトランペット、本日は冒頭のソロを含めてほぼ完璧な出来。全曲通じて絶好調に見えました。主題提示部では旋律をじっくりコテコテに弾かせ、今にも止まりそうなくらいテンポを落としますが、反復まで終わったら振り落とされんばかりの急アクセルをかけたりして、マゼール先生のイロモノ的演奏は相変わらず。我が道を行くティンパニのスミスさんは本日も説得力のある音をバシバシ叩き出していました。叩き方もさることながら、微妙に張力のバランスを崩したチューニングにその独特の音の秘密があると思います。ただ、1楽章中間部のファンファーレをソロティンパニが弱音でなぞるところではバランス悪いチューニングが裏目に出ていました。スミスさん、弱音が弱点かも?
 三部構成というマーラーの構想通り、1〜2楽章は切れ目なく続けます。ここでもスミスさんの「物言う」ティンパニは大活躍。こんだけ好き放題叩かせてもらって、他のオケ、他の奏者ではなかなかありえないことですね。ちょっと休止をはさみ、マゼール先生は水を一杯飲んで呼吸を整えました。そうそう、御大は今日も暗譜でした、若い〜。結局6番だけ暗譜じゃなかったのは、何だったのでしょう?
 続く3楽章ではトランペットに負けじとホルンもよくがんばっていました(1音だけ外しちゃったのが痛恨)。4楽章アダージェットは、丁寧に彫り深く、これでもかというくらい歌わせます。非常に芝居がかった演奏ではありますが、今日の5番はそれが逐一うまくハマっていました。アダージェットの最後の音が消え入らないうちに終楽章の開始を告げるホルンが鳴り、怒濤のフィナーレに突入します。ここまで来るとマゼールが別段ヘンなことを仕込まなくても、よくできたフーガなので音楽の力だけで十分に推進力になります。最後の金管コラール以降はまさに圧巻の音の洪水で、たたみかけるようにアチェレランドをかけてジャンと終るや否や、一部の人はもうフライングで「ブラヴォー」連発、満場のスタンディングオベーションとなりました。先の「復活」のときも凄かったですが、今日はそれ以上に充実した内容の演奏会でした。唯一の問題点は、席のせいで「俺のFionaちゃん」がよく見えなかったこと…。
 ここでニュース。シリーズ第6弾である日曜日のマーラー3番、独唱のストーティンが喉の感染症のため降板し、代役がコノリーという連絡が。朗報といってはストーティンには気の毒でしょうが、正直今までよい印象がなかったし、コノリーのほうが断然嬉しいです。楽しみが一つ増えました。


2011.04.30 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Martin Yates / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (Choreography)
Roberta Marquez (Manon), Steven McRae (Des Grieux)
Ricardo Cervera (Lescaut), Bennet Gartside (Monsieur G.M.)
Laura Morera (Lescaut's Mistress), Genesia Rosato (Madame)
Thomas Whitehead (Gaoler), Alastair Marriott (Old Gentleman)
Yuhui Choe, HIkaru Kobayashi (Courtesans)
1. Massenet: Manon (ballet, compiled by Leighton Lucas)

 バレエの「マノン」です。内容的に子供にはどうかなとも思ったのですが、ロイヤルバレエの名物だし、去年オペラの「マノン」のほうはもう見ちゃってるから、まーいいかと。このマノンは元々バレエのために作曲されたものではなく、マスネの「シンデレラ」「ドン・キホーテ」「クレオパトラ」「タイス」といった10以上のオペラ、およびオラトリオやピアノ曲からも断片を拝借し、編曲して新たに再構成したプロダクションです。マスネには「マノン」というオペラもあるのに、そこからは1曲も借りていないのは、オペラのイメージから切り離して新しいドラマを創作したいという意気込みがあってのことでしょう。
 今回も妻の希望により、マルケス&マクレー様ペアの日を選択。マクレーさん、やっぱ上手いわ。朴訥な青年が美少女マノンに一目惚れして、話しかけるきっかけを作るために後ろを向いてわざとぶつかったりする小芝居が実に達者だし、もちろん踊りも、見かけ以上に難しそうな第1幕のソロをきっちりと決めて、調子は良さそう。一方のマルケスはその小柄で童顔な外見から、可憐な美少女マノンがまさにハマり役。パ・ド・ドゥは、ペアを組むことが多い二人だけあって、さすがに息がぴったりでした。マクレーさんのリフトの上でさらにくるくるっと回転するところなど、あまりに迷いなく飛び込んでいくので怪我をしないかと見ているほうがハラハラするくらい。留守中に乗り込んで来たムッシュGMが見せる宝石やコートで、あっという間にくらくらと誘惑されてしまうマノンも、この人ならさもありなん、と納得してしまうほど無邪気さがよく出ていました。一方ムッシュGMを演じたガートサイドは「好色な老富豪」というにはちょっと若すぎて、デ・グリューと同じく若気の至りでマノンに惑わされてしまったようにしか見えず、老醜の枯れた演技は全く見られませんでした。
 大富豪の愛人となって登場する第2幕のマノンは、第1幕とがらっと変わって妖艶な雰囲気に。しかし、あどけなさをまだ残して、悪女というよりは無邪気な小悪魔という感じ。ある意味よけいにタチが悪いかも。ここの踊りは、まずはレスコーと愛人の酔っぱらいのパ・ド・ドゥが非常に面白く、娘も大ウケしてました。これは相当上手い人じゃないと笑いが取れるレベルにならない、けっこう難しい踊りなんではないでしょうか。マクレーさん、この幕はほとんど踊りませんが、富豪の愛人になって変わってしまったマノンを見る目の何と切ないことよ。踊り抜きでも芝居の上手さで光れる人だなと思って見ていたら、幕の最後のほうでキレキレの回転技を見せてくれて、やっぱこの人は凄いわ。
 第3幕のマノンは髪を切られ、ぼろぼろの服をまとった囚人として出てきますが、その姿の痛々しいこと。精魂尽き果て、無邪気さも妖艶さも何もかも失っています。マルケスは各々の幕でがらっと違うマノンのキャラクターを、うまく演じ分けていたと思います。ただ、第2幕であどけなさを残してワルになりきれなかったところは、この人は「白鳥の湖」のオディールはちょっと苦手かも、と思ってしまいました。マクレーさんとのパ・ド・ドゥは幕を追うに従って調子が上がって来て、最後まで切れることなく呼吸の合った踊りを見せてくれました。踊り切った後はさすがに二人とも息が上がっており、事切れたはずのマノンが、横たわって死にながら胸は激しく呼吸をしてたのが見えました。バレエのマノンを見るのは初めてでしたが、全体を通して非常にドラマチックなプロダクションで、飽きるところなく見入ってしまいました。
 高級娼婦役で出ていたチェ・ユフィさん、今日はちょっとオーラが足りなかったですかね。髪型も似合ってない(笑)。第2幕ではしばらく注目して見ていましたが、小芝居がわざとらしくて、娼婦や小悪魔系はあまり得意じゃないのかなと。彼女がマノンを踊る(踊れる)日はいつ来るんでしょうか。


2011.04.28 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Simon Keenlyside (Br-1), Sarah Fox (S-2)
1. Mahler: Rückert-Lieder
2. Mahler: Symphony No. 4

 「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズの第4弾。気付けばここ4回は連続してフェスティヴァルホールに来ています。
 1曲目は「リュッケルトの詩による5つの歌曲」。私は元来声楽曲が苦手で、それは大好きなマーラーでもしかり。交響曲のCDの埋め草に入っているのをごくたまに聴くだけでほとんど馴染んでないのですが、それを差し引いても今日はのっけから何か違和感。あれ、リュッケルト・リーダーってこんな曲だっけ?どうも曲順が私の持っているCD(カラヤン)と違ったようです。後で調べると、この歌曲集の曲順は特に固定されてなく自由なんだそうですね。本日は下のような曲順でした。

 1. Liebst du um Schönheit(美しさゆえに愛するのなら)
 2. Blicke mir nicht in die Lieder!(私の歌を覗き見しないで)
 3. Um Mitternacht(真夜中に)
 4. Ich atmet' einen linden Duft(私は仄かな香りを吸い込んだ)
 5. Ich bin der Welt abhanden gekommen(私はこの世に捨てられて)

 サイモン・キーンリサイドを生で見るのは初めてですが(奥さんでロイヤルバレエ・プリンシパルのヤノウスキは今年に入って2回見ていますが)、長身でなかなかいいオトコではないですか。骨折でもしたのか、左腕にギブスをしていましたが、先週の演奏会では腕を吊るバンドも着けていたそうなので、それよりは回復しているんでしょう。たいへん華があって伸びもある美声で、腕のせいで声に力が入らないということはなさそうでした。ただ、第1曲と第4曲で何カ所かファルセットになっていたのがちょっと違和感がありました。カラヤンのCDだと歌はメゾソプラノでしたが、よく考えたらこの曲をバリトンで聴いたことがなかったので。今日のマゼール先生、コールアングレでちょっと濃いめのポルタメントをさせていた以外は、全体的にどうも淡白です。指揮はコンパクトで、各曲の終止で指揮棒をくるくる丸めながらも左手はもう楽譜を次にめくっていて、何だか先を急いでいるような感じ。
 客入りは、後方で空席が目立ちました。今日はサイドの後列席だったので、休憩時間にフロントストールの空席に移動。マゼール先生、マーラー4番は暗譜です。冒頭、インテンポの鈴&フルートとリタルダンドをかけるクラリネット&弦で生じる「時間の歪み効果」は、つるびねったさんに指摘されるまでは気にしたことがなかったのですが(確かに手持ちのCDのほとんどはそうなってます)、マゼールさんそんなちっちぇえことはまる無視、みんな仲良くリタルダンドで一件落着でした。あれれと思いましたが、その後はわりと端正に進んで行きます。先日の6番と比べると負担がずいぶん楽なせいもあるんでしょう、金管は崩れることなくぴっちり決めてました。展開部のフルートのユニゾンは生演で聴くとピッチの微妙なずれが気になることが多いのですが、ことさら早めにデクレッシェンドして目立たないようにしていました。今日は何か真っ当じゃん、と思いながら聴いていると、最後の第2主題が戻ってきて弦が強烈なリタルダンドをかけるあたりで崩壊寸前に陥り、ちょっとハラハラしました。あれはコンマスが悪いんじゃないかなあ、ヴァイオリンが指揮者とコンマスのどちらに着いて行ったら良いか一瞬迷ったように見えたので。危機を何とか乗り切った後、コーダではこれでもかというくらいアチェレランドをかけて終りました。
 さあこれから行きますよ、という合図かと思ったけど、続く第2楽章でもそれほど変なことは仕掛けて来ず(もちろん楽譜の通りこまめにテンポは変化していますが)、マゼールはスコアをねじ伏せるというよりも上手くさらさらと乗りこなしているという感じでした。6番のときと同様、スケルツォ楽章ではことさらえげつなく諧謔的になるのは相変わらずでしたけど。第3楽章は何と言ってもクライマックスでスミスさんのティンパニが期待通りの爆演。この人はいつも彼しか出せない渋い音を安定して叩き出してくれるので、毎回楽しみです。
 終楽章しか出番がないソプラノは、3楽章が始まる前に出て来て座ってじっと待っていたり、3楽章のクライマックスのところで静々と歩いて出てきたり、一度は終楽章が始まってから悠長に歩いて出て来たこともありましたが、いずれにせよ終楽章の前に休止を置かないのが普通です。しかし今日は3楽章の後にも休止を入れ、ソプラノが登場して場内の咳が収まるのを待ってから演奏を開始していました。ソプラノのサラ・フォックスは多分初めて聴く人ですが、生真面目な歌いっぷりで、可も不可もなく、という感じ。マゼールもここはさすがに歌い手のほうに合わせて、何かをやらかす余地はなかったです。コーダではぐっとテンポ落とし、リタルダンドまでかけて、終る前に止まってしまうかのような終り方でした。ここまでの3回と比べると、拍手の盛り上がりはちょっとテンションが下がり気味でした。
 今日はマゼールにしてはあまりヘンタイな仕掛けはなく、至って真っ当な演奏と言ってよいでしょう。こちらも「何をやらかしてくれるか」と身構えているからか、ちょっと拍子抜けでしたが、フェアーに個性的な演奏ではありました。変わっているという意味では、前に聴いたユロフスキ/ロンドンフィルの演奏のほうがよっぽど変わってましたね。


2011.04.19 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 6

 春を通り越してロンドン的には夏到来と思わんばかりの陽気の中、「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズの第3弾はMy Favoriteの第6番。「マーラー6番をロンドンの地のオケで聴きたおすシリーズ」第4回でもあります。
 今日はのっけから大トラブル。開演時間になって奏者がスタンバイし、後はコンマスのジョルト氏の登場を待つだけの段になって、いっこうに出て来ないコンマス。スタッフのおじさんが2度出て来て、舞台下から何やらヴァイオリン奏者に話しかけていましたが、結局「コンサートマスターがJubilee Lineのトラブルのため遅刻しており、代理のコンマスで演奏を開始します」というアナウンスがあって、場内大爆笑。急きょコンマスに押し上げられたPhilippe Honoreさんにも拍手喝采ですが、本人は無表情を装いながらも緊張した様子でした。しかし、今日はちょっと早めに着いたとはいえ私も同じJubilee Lineでここまで来たわけだし、演奏会の要のコンマスがどんだけギリギリに来てんだよ!という話です。しかも、いつ止まってもおかしくないロンドンの地下鉄を使って、てのは危機管理意識なさすぎ。確かにバービカンでも開場を待ってソファーに座っていると、コートを着たコンマスのTomoさんやWeiさんがけっこうギリギリの時間で入ってくるのを見たことがありますが、どこもそんなもんなんでしょうかねえ。
 ということで何やら落ち着かない雰囲気で10分遅れて始まったマーラー6番。今日は指揮台にも譜面台が置いてあり、このシリーズ全曲を暗譜でこなすという偉業をやってのけてくれるのかと勝手に思っていた私は早々に当てが外れました。ガッガッと勢いよくスタートしたのはよいものの、トランペットが主題の鬼門箇所で繰り返しの2回とも大外し。まあ金管が外すのはよくあることとはいえ、レコーディングをしますというアナウンスもあったので、さすがにこれは録り直しでしょうなー。あー今日は残業かあ、という団員のため息が聞こえてきそうでした。他にも前回から私が注目している第2ヴァイオリンの色白美人Fionaさんが第1楽章で弦を切るというハプニングがあり、すぐに後ろの奏者と順次楽器を交換していました。へえ、コンマスじゃなくてもこういうときは楽器を交換して行くんだー、という新鮮な発見でした。第2主題の「アルマのテーマ」は非常にゆっくりとしたテンポで入って、ふとコントラバスを見るとバルトークかと思うほど激しいピチカートを叩きつけていて、相変わらずマゼール先生は個性的なマーラーをやらかしてくれます。ただ、2月のBBC響で徹底して磨き上げられた同曲の演奏を聴いた記憶がまだ鮮烈に残っており、今日はどうもマゼール先生のヘンテコ演奏に気持ちが着いていけません。
 第1楽章が終わるとコンマス氏がそそくさと登場、意外と冷たい拍手がパラパラ。Philippeさんは突然の代役でソロもかなり危なっかしかったので、お役ご免でほっとしたご様子でした。中間楽章はスケルツォ→アンダンテの順。スケルツォは怪しさ満開、幻想交響曲の終楽章みたいにおどろおどろしい雰囲気だったので思わず目が覚めました。何故にサバト?という疑問符が頭から消えないまま、曲はアンダンテに進みましたが、今度は冷めた空気で淡々とした演奏で、弦にも管にも「歌」というものがありません。何というクールな、そしてつまらないアンダンテ!カウベルの音もやたらと軽いし、何から何までちぐはぐな印象をぬぐえませんでした。ハプニングもあったとはいえ、一昨日の「復活」の快演で指揮者もオケも燃え尽きてしまったんでしょうかね。リハの時間も十分に取れていない感が随所に漂っていました。
 「復活」の終楽章でマゼールは小細工をやめて音楽自体の力を最大限引き出すことに成功していましたが、こちらの終楽章は逆に何かしら芝居をかますなどやらないと音楽が散逸してしまう危険を孕んでいると思います。オケはよく鳴っていましたが、私の頭も疲れてきて、どうもむなしく響いているだけに聴こえてなりませんでした。本日はもう白旗降参です。1週間のうちに同じ演奏者でマーラーを3曲というのは、奏者にも聴き手にもあまり良い条件・環境とは言えないかもしれませんね。なお、本日のハンマーは2回でした。見てくれは太くて凄そうなハンマーでしたが、音は死んでいてもう一つでした(作曲者の意図には案外これが近いのかもしれませんが)。


2011.04.17 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Sally Matthews (S), Michelle DeYoung (Ms)
BBC Symphony Chorus
1. Mahler: Symphony No. 2 "Resurrection"

 「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズ第2弾は、本日もほぼ満席の入り。リターン待ちの列ができていました。場内でも常連さんが多いのか、あちらこちらで「火曜日もいらっしゃるの?」みたいな会話が聞かれて、アットホームな雰囲気です。
 プログラムは「復活」1曲のみ。ちょうど1年くらい前に、やはりフィルハーモニア管で聴いて以来です(指揮はインバル)。マゼール御大はニコリともせず厳しい表情で登場。譜面台がないので、この大曲を暗譜でやるようです。さっすがー。第1楽章はかなり遅めのテンポで重厚に始まり、重苦しい雰囲気を引きずったまま、まさに雨の中の「葬礼」のような足取りで進みます。このままで行くのかなと思っていると、突如としてドライブをかけてアチェレランドしていき、他で聴いたことがないようなスピードまで持って行くという驚かしが入るので油断がならんです。この2番は手元にスコアを持っていないのでちゃんと確認はしてないのですが、こんなのは楽譜の指示に忠実にやってるわけではないでしょう。自らの解釈で設定した遅いテンポと速いテンポを強引にアチェレランドで繋いで、スコアを大きく踏み越えた独自の「マゼール界」を築いていますね。
 そうは言ってもこの人はしかし、今日もたいへん明朗な指揮で、フレーズの切れ目にはいちいちくるっと指揮棒を丸めてすくい取り、音に対する配慮が非常にきめ細かいです。やってることは小ワザを利かせるというよりむしろアクロバティックな大ワザ連発なわけですが、「神は細部に宿る」という言葉もある通り、技のつなぎ目のさりげないコントロールが全体をうまく引き締めていたのではないかと。それでなくともこの曲は、各セグメントがブツ切れで張り合わされている「ツギハギ音楽」にも見える弱さをけっこう持っていると思いますが、その弱点が全然気に止まらない演奏になっていたのがさすがです。あとは、パートバランスとダイナミクスのコントロールも非常に手堅くまとめられていたこと。かなりしっかりとリハーサルが積まれているように見えました。
 メゾソプラノのデヤングは、いろいろとボロが出ていた先日の「さすらう若人の歌」と比べると押さえ気味の歌唱で、面白みがないものの調子は上がっていたように見えました。ソプラノのマシューズのほうは何だか手探りのような歌い出し方で最初はあれっと思いましたが、盛り上がるオケと合唱に引っ張られて徐々に高揚していました。
 本日の合唱はPhilharmonia ChorusでもPhilharmonia Voicesでもなく、何故かアマチュアのBBC Symphony Chorus。終楽章の後半、合唱が入ってから後はマゼール先生も小細工は一切せず、この曲が元々持っている音楽の力だけで押し切っていました。それは本当に、素直に感動的な音楽でした。私のマーラー原体験は、レコードではバーンスタイン/NYPの1番でしたが、ちょうど30年前に初めて生演奏で聴いた「復活」の途方もないエネルギーが、自分をマーラーフリークに向かわせた決定的なきっかけであったのを鮮烈に思い出しました。この曲の本来持っている力はやはり凄いものなんだなと、昨年のインバル指揮の演奏会では感じられなかったことが今回再認識できてたいへん満足しました。今日は一人でしたが、家族も連れてくれば良かったと後悔することしきり。
 終楽章で出てくる舞台裏のブラスセクションは向かって左にホルンとティンパニ、右にトランペットと打楽器群という風にきっちり左右に振り分けられて不思議なステレオ空間を演出していましたが、マゼール先生もそんなところまで凝らなくてもいいのに、とは思いました。どうせなら舞台上の二人のティンパニも左右に分けてニールセンのように掛け合いっぽくやらかしてくれる指揮者が誰かいないものかと前々から思っているのですが、まだそういう演奏には遭遇したことがありません。なお舞台裏のブラス隊も最後はコーラスの横に出て来て演奏に加わっていましたが、正直、あんまし上手くなかったです。
 本日のその他の収穫は、私の席からよく見えた、指揮者の真向かいに座っていた第2ヴァイオリンの色白美人。後で楽団のホームページを調べると、Fiona Cornallさんという人ですね。こんだけチャーミングなのに、うーむ、今まで気付かなかったなあ。以後、注目したいと思います。


2011.04.12 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Michelle DeYoung (Ms-1)
1. Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen
2. Mahler: Symphony No. 1

 マーラー没後100年である今年、シーズンをまたいでマーラー全交響曲の演奏に取り組むマゼール/フィルハーモニア管。今シーズンは4月と5月で1番から7番までを一気に駆け抜け、9月からの来シーズンで残りの8〜10番(アダージョ)と「大地の歌」を走破します。私は2009-2010のシーズンから数えるとロンドンでマーラーの演奏会にはここまでですでに19回通い、10番完全版を含む交響曲全曲プラス「嘆きの歌」を聴いております。さすがに食傷気味なので、ここはひとつ演奏会を厳選し、じっくりと耳を傾けたいと思います。
 ということでマゼール・チクルスの開幕は第1番「巨人」から(最近は表題付けないのが主流ですか?でも自分的にはもう「巨人」で擦り込まれてますねえ)。その前座として「巨人」のモチーフとでも言うべき「さすらう若人の歌」をやるというニクい選曲。大柄なデヤングに先導されてさっそうと登場したマゼールは、頭はだいぶ薄くなったものの、きびきびとした動きは81歳という年齢を全く感じさせません。非常に遅めのテンポで入りましたが、いちいち仰々しいアゴーギクをかまして、時折鋭く指揮棒を真芯に打ち込むその姿は、まだまだ若いのー、と思わせました。しかしデヤングが、声だけはよく出ているものの歌は一本調子でニュアンスもへったくれもなく、正直イマイチ。美声なんですけどねー。ちょっと重苦しく退屈な「若人の歌」でした。
 メインの「巨人」でもマゼールはかくしゃくとしてまだまだ元気でした。テンポをこまめに動かして、ポルタメントを利かせまくり、これ見よがしのパウゼを入れてみたり、何かしらやらかさずにはおられない「イロモノ」演奏は、マゼールならではの個性かと。同様に小細工の多いサイモン・ラトルとは何が違うのかというと、その小細工の向こうに解釈が見えないことで、「とにかくいじってみました」感が強く、ほほーと感心するよりも奇特な印象の方が残ります。あとは、オケがいっぱいいっぱいで時々指揮者に着いて行けなくなっていて、フィルハーモニア管はあたり前ですがやっぱりベルリンフィルではないのだなあと。それでも最後は盛り上がり、ホルンも立ち上がって力ワザの大団円で締めるところはぴっしり締めました。大喝采のスタンディングオベーション、まずまずの開幕だったのではないでしょうか。なおティンパニのスミスさんは本日も健在で、いい味を出しておりました。あのゲートリバーブかけたような伸びてストンと落ちる独特の音は、生の打楽器でいったいどうやったらそんなワザができるのか、私には永遠の謎です。
 今日は隣りに座ったご老体が1曲目でも2曲目でも途中からぐーぐーいびきを立てて寝ていたので参りました。さすがに肘でつついて注意しましたが、寝るのは勝手ですがいびきは勘弁して欲しいものです。さらに隣りに座っていたご老体の奥さん(とおぼしき人)も気にするそぶりもなく、それどころか「巨人」の冒頭、弦のフラジオレットがはじまったとたんにパンフをごそごそ取り出してパラパラめくり始めるし(言うまでもなく最もそれをやって欲しくない瞬間です)、いやはや、何とも言葉がございませんでした。そう言えば、開演前に「この演奏会はレコーディングされますので、携帯電話やアラーム付き時計はスイッチを切ってください」とアナウンスがあったにもかかわらず、8時と9時ジャストの時刻には案の定どこかでアラームが鳴っていました…。


2011.03.28 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet: Triple Bill

1. Rhapsody (Rachmaninov: Rhapsody on a theme of Paganini)
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Frederick Ashton (Choreography-1)
Jonathan Higgins (P-1)
Laura Morera, Sergei Polunin

2. Sensorium (Debussy/Matthews: Préludes)
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Alastair Marriott (Choreography-2)
Philip Cornfield (P-2)
Leanne Benjamin, Marianela Nuñez
Thomas Whitehead, Rupert Pennefather

3. Simon Jeffes: 'Still Life' at the Penguin Café
Paul Murphy / Orchestra of the Royal Opera House
David Bintley (Choreography-3)
Sara Cunningham (Ms-3)
Emma Maguire (The Great Auk)
Zenaida Yanowsky (Utah Longhorn Ram), Gary Avis
Liam Scarlett (Texan Kangaroo Rat)
Iohna Loots (Humboldt's Hog-Nosed Skunk Flea)
Edward Watson (Southern Cape Zebra)
Kristen McNally, Nehemiah Kish, Minna Althaus (Rain Forest People)
Steven McRae (Brazilian Woolly Monkey)

 ロイヤルバレエのトリプルビルなるものを初めて見に行きました。私はROHのFriendsになってなくてチケットはいつも一般発売で買っているのですが(先日お会いしたブログ仲間の方々は皆さん当然のごとくFriendsでらしたので、私もまだまだ修行が足らんなあと)、狙っていた「フィデリオ」に安くて良い席がもう残ってなかったので気をそがれ、代わりに何かないかなあと探していて目に止まったのがこれでした。バレエもオペラも基本はフルサイズで一貫したものを見たいという志向ですのでこれまでトリプルビルは敬遠していたのですが、妻がファンのマクレー様も出ることだし、家族で行くにはまあ良いかなと。
 ただし、コストパフォーマンスを考えて今回は初めてバルコニーのボックス席を買ってみたのですが(1ボックス4席分で1セット)、これはやはり値段なりのものでした。ボックス席は前列2席、後列はハイチェアーで2席となっていまして、当然前列に妻と娘を座らせました。前列はまだよいのですが後列は死角が多くて舞台の半分は見えません。前列にしても身を乗り出さないと見えにくいので皆さんそうするのですが、すると私の隣りのボックスのおばさんの頭がちょうど舞台中央部をがっつり遮り、つまり舞台の半分および中央部がよく見えない状況での観賞となってしまいました。メインキャストの踊りがほとんど見えないのは致命的で、オペラだったらまだ生の歌と音楽を聴くだけでよしと思えますが、バレエで踊りが見えなかったら劇場に行く意味がありません。ブダペストのオペラ座では、前列が3席あって、角度が浅いので舞台がよく見えるし、コートを預けないで済むし、だいたいいつもボックス席を取っていたんですが、ROHのバルコニーボックスを取る時は、まあ家族サービスと割り切るしかないです。惜しむらくは、今日がこのトリプルビルの最終日…。
 そんなこんなで最初の2つは、飲み込んで噛み砕いて、というのは最初から半ば放棄して、見える断片を何とか楽しめればよいというスタンスでした。「ラプソディ」はラフマニノフの甘〜い「パガニーニの主題による狂詩曲(ラプソディ)」に振りを付けたもので、オケピット真ん中にグランドピアノが入っていたのがたいへん窮屈そうでした。メインキャストはプリンシパルのセルゲイ・ポルーニンとラウラ・モレーラ。先日「白鳥の湖」でチェ・ユフィと一緒にパ・ド・トロワを踊っていたのを見ています。基本、王子様とお姫様のような振り付けでしたが、あまり息が合ってなかったような。二人とも、ソロで踊っているときのほうが断然活き活きとしていました。ポルーニンは後半の連続ハイジャンプで拍手喝采を浴び、カーテンコールでもダントツ一番人気でした。舞台が進むに従って両腕の筋肉がどんどん赤くなっていき、ダンサーの過酷な稼業をかいま見ました。
 次の「センソリウム」の音楽はドビュッシーの前奏曲集で、以下の7曲が使用されています。ピアノと書いていないのは全てコリン・マシューズ編曲の管弦楽版です。

 1. 「霧」第2巻1
 2. 「枯葉」第2巻2(ピアノ)
 3. 「野を渡る風」第1巻3
 4. 「カノープ」第2巻10
 5. 「交代する三度」第2巻11
 6. 「雪の上の足跡」第1巻6(ピアノ)
 7. 「夕べの大気に漂う音と香り」第1巻4

 ラプソディよりさらにストーリー性のない、抽象画を見ているような雰囲気。遠くから見ていると誰が誰だかよくわからない。せっかくヌニェスがでているのに、彼女の踊りがほとんど見えません(泣)。全体的には普通のクラシックバレエとは異質な、もっとフィジカルに訴えるような踊りでした。受粉をイメージさせ、セクシャルな暗喩を私は多少感じました。ぐでーと退屈していた娘に感想を聞いたら「うーん、でもイモ虫みたいで面白かった」。
 最後の「ペンギン・カフェ」だけは事前に映像を見ていましたので、身体にすんなりと入って来ました。最初に登場するペンギンはクレジットを見るとGreat Aukとあります。これは日本語では「オオウミガラス」で、人間による乱獲が原因で19世紀半ばに絶滅した海鳥なのでした。本来はこの鳥が「ペンギン」と呼ばれていて、今で言うペンギンは姿形が似ている別の種だったのが、オオウミガラスの絶滅以降ペンギンと呼ばれるようになったそうです。ともあれ、その元祖ペンギンがウェイターをしている「ペンギン・カフェ」に掛かっている静物画(Still Life)から飛び出してくるように、絶滅危惧種の動物が次々とダンスを繰り広げます。これもクラシックバレエというよりはミュージカルのようなショーダンスですが、動物の動きがコミカルに取り入れられていて、単純に楽しめます。
 「ユタ・オオツノヒツジ」のヤノウスキーはファッションモデルばりの長身でグラマラス、腰をくいっとひねる動作がいちいちコケティッシュで、セクシーな魅力が爆発していました。前回「白鳥の湖」で見たときはどうしてオカマさんだと思ってしまったんだろう。「テキサス・カンガルーネズミ」は代役の人だったようです。回りながらピョンピョン飛び跳ねて見た目より体力の要りそうな踊りですが、お疲れだったのかちょっと重たい動きでした。「フンボルト・ブタバナスカンクのノミ」は電波人間タックル(古い!)みたいなコスチュームの昆虫がチロル風民族衣装の男性5人とフォークダンスを踊りますが、振り回されて最後はフラフラになってしまいます。「ケープヤマシマウマ」は登場した瞬間からもう異様な雰囲気でインパクトがあります。おそろいのファーをまとった無表情な上流階級風レディ軍団も加わって、威厳のあるゆったりとしたパフォーマンス(もはやダンスとは言えないような)を展開しますが、最後は銃で撃たれて倒れ、レディは無表情のまま一人一人退場して行きます。DVDでショッキングだった血の痕が、今日の舞台ではありませんでした。「熱帯雨林民族」は裸族の両親と幼い娘による叙情的な踊り。子供のメイクが「呪怨」のようで怖いです。「ブラジル・ヨウモウザル」は待望のマクレー様。かぶり物なのが残念ですが、やっぱりこの人はダンスは凄いです。お猿なのでずっとピョンピョン飛んでいるのですが、ジャンプが全然ヘタらないし、終始キープしていたキレキレの躍動感が実に素晴らしい。最後は他の動物たちも加わって全員ダンスでクライマックスを迎えますが、突如として雲行きが怪しくなり、座り込んだダンサーたちがかぶり物を取ると、嵐がやって来ます。逃げ惑う動物たちがいなくなった後、最初のペンギン(オオウミガラス)だけポツンと取り残されますが、舞台後方には大きなノアの箱船が登場し、中には逃げた動物たちが座っています。乗り損ねたオオウミガラスは絶滅してしまいましたが、辛うじて生き延びた絶滅危惧種は何とか後世に残そうというメッセージが込められていますね。テーマは重いですが語り口は決してシリアスではなく、見ている最中は能天気に笑えて、見終わった後でしみじみと考えさせられる演目でした。
 演奏はオペラハウスのオケだったはずですが、はっきりってイマイチ。千秋楽としてはひどい出来と言ってもいいくらいでした。トランペットを筆頭に、音を外すとかいうレベルではなくしょぼ過ぎる金管に萎えました。それでもまだラフマニノフはトランペット以外はましでしたが、時間を追うごとに悪くなって行くのはどうしたもんか。みんな早く帰りたいのか?ペンギンカフェの気の抜けた演奏は(特に弦)、正直なめているとすら思えました。格式あるコヴェント・ガーデン王立管弦楽団たるもの、こんなポップスまがいな音楽なんか真面目にやってられっか、とでも思ってるんでしょうかね。


2011.03.25 Royal Festival Hall (London)
Mariss Jansons / Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
Mitsuko Uchida (P-1)
1. Beethoven: Piano Concerto No. 3
2. Richard Strauss: Ein Heldenleben

 バイエルン放送響は2003年5月以来ですから約8年ぶりの2度目です。まず最初はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。実はほとんど初めて聴く曲です。内田光子をこれまで聴いたのは全部モーツァルトでしたので、ベートーヴェンは果たしてどうかと思いきや、芸風は基本的に同じでした。タメが多いギクシャクした進行で、エネルギーは常に内向きの凝縮度の高いピアノです。演奏中はもちろん、伴奏を聴いてるときでも顔をくしゃくしゃにしながら音楽に入り込むその姿はまさに「顔芸の女帝」。今日はベートーヴェンなのでモーツァルトのときよりも打鍵が力強く、ドラマチック度が増した演奏になっていました。聴衆大喝采。
 前半のオケはピアノを引き立てることに徹した控えめなものでしたが、後半はヤンソンスが得意とするところの大編成曲。リヒャルト・シュトラウスはバイエルン放送響の「ご当地もの」とも言えますので期待度大だったのですが、旅の疲れが残っていてボーっとしてしまい、もう一つ演奏に入り込めなかったのが残念でした。ヤンソンスはいつものように指揮棒を左右に持ち替えながら巧みにオケを操っていきます。突出した何かがあるわけではないですが、アンサンブルはほとんど穴がなく、よくまとまっています。弦はけっこう地味な音で、コンセルトヘボウほどのパンチはありませんが、ドイツものには向いているでしょう。金管、木管も派手さはなく堅実な演奏でした。木管はもうちょっと華があっても良いかなと思いました。ヴァイオリンソロを弾いた若いコンマスは逆に、めちゃめちゃ上手い上に音に芯と華もあって、凄かったです。この人は全くソリストのヴァイオリンですね。
 アンコールは「ばらの騎士」のワルツ。ブダペストでコンセルトヘボウを聴いたときもやってくれた曲です。ヤンソンスはだいたいアンコールを2曲くらいやってくれるのですが、今日は1曲だけでした。次は是非、本拠地のヘラクレスザールで聴いてみたいものです。


2011.03.19 Palais Garnier (Paris)
Ballet de l'Opéra
Koen Kessels / Orchestre Colonne
Patrice Bart (Choreography)
Mélanie Hurel (Swanilda), Christophe Duquenne (Frantz)
Benjamin Pech (Coppelius), Fabrice Bourgeois (Spalanzani)
1. Delibes: Coppélia

 子供が春休みになったのでパリへ小旅行に。念願のガルニエ宮に初めて行きました。演目も「コッペリア」で、これは娘もDVDや昨年のボリショイバレエで何度も見ていますので、安パイと思いきや。このパトリス・バール版はなかなか奇怪な演出で、面食らいました。からくり人形の設計図が描かれた緞帳が上がると、半透明のスクリーンに何だか気味悪い人形の顔が大映しになり、奥では礼服をまとったイケメン若者が麻薬をキメつつ変な踊りを踊っています。横には作りかけの人形と、コッペリウスとおぼしき老人、その横に見開かれた巨大な本には若い女性の絵が。ところが後でパンフレットのあらすじを読んでみると、若者のほうがコッペリウス、老人はスプランザーニ教授というマッドサイエンティストとのことで、これがまず混乱のもとでした。どう見たって老人のほうが典型的なコッペリウスじゃん、こんなのあり?まあ登場人物の名前はともかく、私はてっきり、老コッペリウス(実はスプランザーニ)とその息子(こちらが実はコッペリウス)が自宅で怪しげな人形製作の研究をしていて、息子がスワニルダにちょっかいを出し、スワニルダもまんざらじゃない様子、でもその息子が実はコッペリウスが作った機械だった、というような話かいなと思い込んだまま見ておりました。しかしそれだとスワニルダが落ちていた鍵を拾うのではなく老人からわざわざ鍵をもらって家に入って行くのが不可解でしたが、主従関係は若者(コッペリウス)>老人(スプランザーニ)だったというのをあらすじを読んで初めて理解し、従者が主人に気を利かせて村の人気娘を家に引き込もうとしたんだということが後になってようやくわかりました。プロットへの理解がそんな感じだったのに加え、そもそもこの演出、コッペリアなのにコッペリアが出て来ないし、聴き慣れない曲がたくさん使ってあってスコアもいじっており、わけがわからんかったなあという印象です。繰り返し見たらまたいろんな発見があるでしょうから、DVDが出れば買います。
 衣装や舞台装置は奇をてらったものでは全くなく、特に衣装はたいへん洗練されたセンスのものでした。スワニルダを筆頭に村の女の子達はほとんど白だけのお揃いドレスですが、パルテル調のベルトの色が各々微妙に違っていて区別ができるようになっています。おっしゃれー。チャールダーシュを踊る農民たちの衣装も白とエンジ色を基調とした、シンプルながら群舞にはたいへん見栄えのするもので、さすがパリのデザイナーはひと味違いました。
 肝心の振り付けと踊りですが、派手なジャンプや回転がなく、細かい足ワザが多かったので素人向きではないような気がしました。ロイヤルバレエでプリンシパルに当たる最高位のダンサーは、パリオペラ座バレエではエトワールと言うそうですが、今回のマチネの配役ではコッペリウスのペッシュのみエトワール、スワニルダのユレルとフランツのデュケンヌはその下のプルミエールです。踊りは皆さん上手いとしか言いようがありません。全編出ずっぱりのユレルはちょっと落ち着いた雰囲気で、女の子9人グループのリーダー役としての貫禄がありました。デュケンヌはいまいち影が薄く、手をつくような場面もありましたが、高く安定したリフトはさすがです。ペッシュは普通のキャラクターじゃないのでよくわかりませんでしたが、機械が暴走するかのようなハジケた踊りがインパクトありました。
 指揮のケッセルズはロイヤルバレエやバーミンガムでも振っていて、上品な音作りをする人です。オーケストラは歌劇場のオケではなく、コロンヌ管がピットに入っていました。多少ミスはありましたが、いかにもフランスらしい垢抜けた柔らかい音をしていて好感が持てました。しかし、歌劇場のオケはレコーディングでは「パリ・バスティーユ管弦楽団」と呼ばれるくらいですから、ガルニエでは基本的に演奏しないんでしょうか。
 しかしガルニエの絢爛な内装は比類ないですね。今からはもう絶対に作れない建物です。ブダペストのオペラ座も19世紀の古き良き時代の名残がある豪華な劇場ですが、ガルニエは遥かその上を行くゴージャスさでした。シャガールの天井画は私にはちょっと違和感がありましたが、複数の時代様式が交じり合う建造物はいくらでも例がありますし、時間とともに違和感もなくなっていくのでしょう。


2011.03.07 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
1. Messiaen: Et exspecto resurrectionem mortuorum
2. Bruckner: Symphony No. 9

 先日のベルリンフィルで充実したマーラーを聴かせてくれたラトルは、さすがイギリスでは非常に人気があって、この演奏会もLSOとしては珍しく早々とソールドアウト。他でLSOがソールドアウトだったのは昨年2月に五嶋みどりが出た日くらいしか記憶にありません。かく言う私も、このチケットはシーズン前には躊躇して買わなかったので、やっぱり聴きたいなと思ってサイトを見たときにはすでに売り切れ。しつこくリターンをチェックして、ようやくゲットしました。しかし今日のプログラムはメシアンとブルックナーという、私にとって全く明るくない作曲家ばかりですので(それが躊躇していた理由ですが)、書けることが少ないので今日は楽です(笑)。
 1曲目のメシアン「われ死者の復活を待ち望む」は金管、木管と金属打楽器のための30分くらいの組曲で、全く初めて聴く曲です。弦楽器を欠く編成なので通常弦が座る場所がごっそり空いていて、指揮者がぽつんと一人で完全に奏者と対峙する形になっていました。ひな壇最上段に特大のタムタムから極小のゴングまで10種類のサイズの銅鑼と、50個はあろうかと思われるカウベル、それにチューブラベルが並ぶ様は壮観でした。これは宗教音楽のようなんですが、これのどこがキリスト教教会で演奏されるべき曲なのか、私の理解をはるかに超えています。テイストはものすごくアジアンで、2曲目は日本の高野山祭囃子風だし、4曲目なんかもインドネシアのガムラン風に聴こえてしょうがなかったです。アマチュア打楽器奏者の端くれとして、あんな特大サイズのタムタムがズゴォォンと打ち鳴らされるのを直に腹で受けられるのは、冥利に尽きます。他にもサイズの違うタムタムをデュアルでトレモロ強打など、絶対に録音には収まらない一瞬一瞬にいちいちしびれました。曲の内容はよく理解できませんでしたが、これは本当に生で聴けて良かったです。しかしあのタムタム、ゴングは全部LSOの所有物なんだろうか。
 ブルックナーは正直、ずっと苦手な作曲家です。鶏が先か卵が先か、興味を覚えないので聴き込むこともなく、従って交響曲もなんだか区別のつかない曲が9曲もあって(0番を入れると10曲か)、しかもどれも長大で冗長なので聞きかじるとっかかりも掴めず、という感じでここまで来ました。同じ長大なシンフォニーでもマーラーはどの番号も(もちろん区別しながら)好んで聴くので、やっぱり音楽自体がまだ自分の性に合わないのだと思います。ということでブルックナーはできることなら避けてきたので実演で聴く機会もあまりない中で、9番は例外的にこれで3回目。そもそも9番以外では、4番を約30年前に京大オケで聴いたのと、3番、7番をウィーンフィルで聴いたので全てです(一応CDは全曲持ってますが。本当は5番が一番好きなんですが実演ではまだ未聴です)。
 「ブルックナーらしさ」とか演奏様式の王道なんかも全然要領を得ないので、何と評してよいかいつも困るのですが、ラトルのは「らしい」演奏とはちょっと違うのではないかと感じました。先日のマーラーと同様に、繊細な表現と大音量の咆哮が行き来するダイナミックレンジの広い演奏で、聴き応えは十二分です。「仕掛け」がどのくらいあったのかはわかりませんが、例えば第2楽章のスケルツォで主題のトゥッティが再現される箇所の直前でえらく無理なアチェレランドをかけたり(ティンパニが出だし落ちてしまいましたよ)、そのあとのトリオではやたらと軽く陽気に歌わせてみたり、変化に富んで面白みのある演奏だったとは思います。コントラバスをホルン・ワーグナーチューバの後ろ、ひな壇最上段に置いて、逆にティンパニは舞台上手の端に押しやるなど、楽器の配置に細かい配慮も見られました。かと言っておおらかさがない演奏では決してなく、むしろたいへん朗々としていました。
 実はこの9番はデイヴィス/LSOのライブ盤を持っていまして、今までは全然好きな演奏ではなかったのですが、今日の演奏会が終った後にあらためて聴いてみたら、これが結構良いんです。細かい考察ができ切らずうまく言葉にできないのですが、ラトル/LSOの演奏に欠けていたものが、そこにはあったということにすぐ気付いたからだと思います。おおらかさだけでなく、デイヴィスのような「ゆるゆるさ」もブルックナーには必要なのかもしれません。ブルックナーは奥が深い。まだまだその道に迷い込む覚悟ができていません…。
 まあしかし、ラトルはラトルでラトル節全開だったと思いますし、LSOであろうともきっちり手玉に取って思う通りに鳴らし切っていたのはさすがです。今シーズンのロンドンではあとOAEがありますので、そちらも楽しみに待っています。


2011.03.04 Barbican Hall (London)
Kazuki Yamada / BBC Symphony Orchestra
Isabelle Faust (Vn-2)
1. Takemitsu: Requiem for String Orchestra
2. Thomas Larcher: Concerto for Violin and Orchestra (UK premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2 in E minor

 BBC交響楽団が卓越した技量とアンサンブル力を持っていることはすでによくわかりましたが、問題は私の嗜好の琴線に触れるプログラムが少ないことで、特に家族連れで聴きに行くとなれば、適当な演奏会はますます見つからなくて困ってしまいます。そんな中でこの日は、メインがロマンチックなラフマニノフ2番だし、日本人指揮者だし、これならOKかと妻と娘を連れて聴きに行ってみました。
 初めて見る山田和樹は、2009年ブザンソン国際コンクールで優勝した新進気鋭です。32歳と若いですが、見た目はさらに若く、今時のオタク少年風の顔立ち。日本人若手指揮者のロンドンデビューということで、普段は演奏会にあまり来ていなさそうな日本人グループの姿を多く見かけましたが、全体の客入りははっきり言うと冴えませんでした。
 BBC Radio 3の生中継があったので開演は7時。司会者の解説に続いて、まず1曲目の武満「弦楽のためのレクイエム」。和洋問わず現代音楽は好んで聴く方じゃないので、武満も実はほとんど聴いたことがありません。ただしこの曲は現代音楽と言っても穏やかな主旋律に和声(不協和音ですが)が絡んで展開して行くシンプルな曲で、あっという間に終りました。うーむ、まだよくわかりませんが、山田はいかにも「コンクール優勝者の日本人指揮者」という感じにぴったりの、型にはまった教科書的な指揮をする人です。ただ、その童顔からは意外なほどに鋭い眼光が確認できました。
 2曲目のラルヒャー「ヴァイオリン協奏曲」はUKプレミエとのことで、もちろん初めて聴きます。二部構成で25分、オケの編成は室内楽風の小規模ですが、アコーディオンやカリンバ(アフリカの打弦楽器)といった珍しい楽器が入っています。出だしはマイナースケールの下降音階が続き、調性音楽と思いきや、音量や音程の上昇・下降を繰り返しながら音楽が徐々に崩れていく様が面白い曲でした。独奏のイザベル・ファウストは長身で中性的な雰囲気があります。この曲の初演者ですがさすがに暗譜はしてないようで、大判1枚裏表に詰め込んだ楽譜を見ながら弾いていました。アコーディオンは2ndヴァイオリンの前の目立つ場所に陣取っていたわりには見せ場がなく、何だかよく分かりませんでした。第二部も冒頭は完全な調整音楽で始まって、徐々に音が腐って行くというか、怪しげな音楽へと変貌して行きます。ヴァイオリンの悲痛な高音が延々と鳴り響いて、うちの娘は「泥棒か強盗が来たような感じ」と表現していました。うむしかし、現代音楽は理解が難しいなあ。
 メインのラフマニノフ2番は、一昨年にフィルハーモニア管で聴いて以来。昔は冗長で苦手な曲でしたが、数年前から突然マイブームになり、ピアノ協奏曲への編曲版なんて珍盤も買ってしまいました。ようやく馴染みのある曲が出てきて、山田和樹のお手並みを拝見、というところですが、まずこの人の指揮の姿はたいへん明快できびきびとしており、好感が持てました。きっちりと拍子を取り、主旋律をうるさいくらいに追いかけて、金管の咆哮では高らかにこぶしを振り上げ、弱音では唇に手を当てて、実にわかりやすい。昨日ゲルギエフの個性的な指揮を見たばかりですので余計にそう感じます。そういう指揮であったのと、やはり曲がラフマニノフだったので、旋律を追いかけて和声を付けるようなオールドスタイルな音楽の作り方で、何か「仕掛け」を入れてくる余地はなさそうでした。第1楽章最後の一音も、スコア通りにティンパニなし(一昨年のフィルハーモニア管では、いい味ナンバーワンのティンパニスト、アンディ・スミスがここぞとばかりに他の全ての音をかき消す強烈な一撃を打ち込んでいましたが)。
 オケはいつものように誠実な演奏で、この若い指揮者を盛り立てます。よくまとまった弦のアンサンブル、滋味溢れた音色の木管(クラリネットも良かったけど、特にこの日はコールアングレが最高)、馬力のある金管(特にホルン)、全てに渡ってハイレベルでした。第2楽章スケルツォはテンポをこまめにいじって躍動感を際立たせてましたが、きめの細かいバトンテクニックに感心しました。有名な第3楽章では逆にオケを解放したような演奏でしたが、BBC響のクールな特質が生きて、旋律はよく歌っていてもベタベタと甘くならず、好ましい節度でした。終楽章は祝典が延々と続くような冗長な音楽ですが、とんでもない大音量でオケを鳴らし切り、前の楽章の旋律が次々と回帰される箇所でもテンションを落とさず朗々と歌い上げて、大らかな起伏を作っていました。
 1曲目の後の拍手がちょっと寒かったので少し心配したのですが、全部終ってみれば大喝采で、いやはや、上々なデビューではないでしょうか。「トロンボーン!」「セカンドヴァイオリーン!」などと大声で各パートを一つ一つ呼んで立たせていたのが印象的でした。オケもこの若い指揮者との関係を大事にしている様子がうかがえました。プロファイルを調べると、この日がロンドンデビューですが、それ以前にヨーロッパデビュー(モントルー=ヴェヴェイ音楽祭)でもBBC響を振っているんですね。またすぐに客演してくれるでしょう。


2011.03.03 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 9
2. Mahler: Symphony No. 10 (Adagio)

 この曲目を最初に見たとき、当然10番アダージョが先で9番がメイン、と何の疑いもなく思っていましたが、数日前に無料プログラムのpdfをふと見てみると、9番が先で休憩後に10番となっていました。9番はそれ1曲だけでも演奏会が立つ長大な曲なので、この曲順は聞いたことがありません。ただよく考えると、CDでこの2曲がカップリングされている場合はこのような順番になっていることが多いし、作曲の時系列で言ってもこの順で聴くのが正しいという理屈も成り立ちます。まあ、前日の演奏会ではショスタコのチェロコンが先、マーラー9番がメインという順番でしたから、コンセプトは特にないのかもしれませんが。
 9番は冒頭こそ非常にデリケートに入っていきましたが、ヴィオラの6連符はちっとも粘らず、速めのテンポでさらさらと進んで行きましたので拍子抜けしました。「タメ」のほとんどない演奏で、ディナミークも細かくいじらず、オケの鳴るがままにまかせている感じです。ラトルなら多分この10分の1まで音量を下げるだろうと思う箇所でもそのままで流すのですが、音量が上がるところは「さらに大きい音を出す」ということで解決し、しかもLSOはちゃんと期待に応えて、もの凄い音圧が出せるからたいしたもんです。
 あらためて見ていると、ゲルギエフの指揮はヘンですね。まず、まともに拍子を取ってません。両手で不器用に空間を引き裂くような振り方は、非常に個性的です。指をぴらぴらとさせつつ腕を下に構えてぴょんぴょん飛び跳ねている姿は、一歩間違えるとドリフのコントかと思ってしまうくらい。変わった人ですね。指揮棒を使わないので余計にはちゃめちゃに見えます。もちろん、素人には破天荒に見えてもプロの奏者には必要にして十分な指示は出ているはず、と思いますが。
 第2楽章ではフレージングに多少のタメを作る場面がありましたが、やはりどこか淡々としていて、一歩引いて見ている印象です。あっさり、という感じではなく、デリケートにいじらないので、音はむしろ野暮にも思えました。質感は上品な磁器よりも田舎の手作り陶器のようなイメージでしょうか。第3楽章も、音量こそ出ていますが、血の通った息づかいというものが感じられません。多くの指揮者が怒濤のアチェレランドをかけてくる終盤も、動かざること山のごとし。
 ところが、終楽章からようやくエンジンに火が入ってきたかのように、弦楽器が彫りの深いアーティキュレーションになっていきました。ゲルギエフのうなり声を、必死の形相で血を絞り出すような弦の音が追いかけます。前の3楽章はここまでの前振りだったのか。しかし、つかの間のクライマックスを超えた後はまた急速に音に表情がなくなっていき、最後は彼岸の境地に達した神々しさで、冒頭に回帰するようなデリケートさのままに音が消えて行きました。終ってみると、全体のフォルムをしっかり捉えて道を見失うことなく計算ずくで進められていった、たいへんしたたかな演奏でした。はちゃめちゃに見せかけといて、たいした人だよゲルギーさん。
 気分的にはもう十分お腹いっぱいの演奏の後、休憩を挟んで10番アダージョが始まりました。冒頭の無調っぽいヴィオラの旋律からしてすでに彼岸の音楽で、9番の終わりとしっかり繋がっているんだなと再認識しました。もはやさっきの絞り出すような弦の音は聴かれず、体温が上昇しそうな気配はありませんでした。ある意味燃え尽きた灰のような彼岸の雰囲気が持続され、終盤の金管コラールのクライマックスでさえ、ビロードの向こうで響いてような距離感がありました。ゲルギエフはこの先の展開もちゃんと見通してハンドリングし、ピークはまだまだここじゃないよと言いたいかのようでした。10番のアダージョはあくまで長大な交響曲の序章に過ぎない、という事実もまた再確認しました。ただし、9番を演奏した後でオケがちょっとお疲れモードだったのも一つの要因かもしれません。実際、コンマスのシモヴィッチがあくびをかみ殺すところを見てしまいました。しかし、もっとあり得る可能性として、単に聴き手である私のほうが燃え尽きた灰になっていただけかもしれません。多分半年後くらいですか、CDが出たら是非聴き直してみたいと思っています。


2011.02.26 Royal Opera House (London)
David Syrus / Orchestra of the Royal Opera House
David McVicar (Original Director)
Joseph Kaiser (Tamino), Kate Royal (Pamina)
Christopher Maltman (Papageno), Anna Devin (Papagena)
Franz-Josef Selig (Sarastro), Cornelia Götz (Queen of the Night)
Elisabeth Meister (1st Lady), Kai Rüütel (2nd Lady)
Gaynor Keeble (3rd Lady), Peter Hoare (Monostatos)
Harry Nicoll (First Priest), Nigel Cliffe (Second Priest)
Stephen Rooke (1st Man in Armour), Lukas Jakobski (2nd Man in Armour)
Matthew Best (Speaker of the Temple)
1. Mozart: Die Zauberflöte

 今シーズンROHの「魔笛」最終日です。ブダペストで見た「魔笛」は全部ハンガリー語訳のバージョンだったので(ハンガリーでは翻訳オペラもまだけっこう上演されていました)、オリジナルドイツ語の上演を見るのは新婚旅行のウィーン以来、というのに後で気付きました。
 Webでは指揮者はずっとサー・コリン・デイヴィスとなっていたのですが、ふたを開けてみるとあたり前のようにデヴィッド・サイラスになっています。プログラムを買って見てみると、何のことはない、19日までデイヴィス、22日以降はサイラスと最初からはっきり分かれていたようで、Webのミスリーディング情報に騙されてサー・コリン目当てにチケット買った人は怒るんじゃないかなあ。他の歌手の交代はちゃんと反映されていたのに指揮者だけ未変更で放置しておいたのは何となく意図的なものも感じますが、私自身にとってはデイヴィスさんちょっと苦手なので、むしろ好ましい交代でした。
 満員御礼の会場は、マチネで魔笛ということもあり子供がいっぱい来ていました。日本人観光客の団体や、アジア系の客もいつもより多かったです。サイラスは初めて聴きますが、ロイヤルオペラのHead of Music(音楽部長?)とのことで、オケのメンバーとは和気あいあいと打ち解けているように見えました。出だしの一音からぴしっと決まって、丸みがあるが贅肉はない、引き締まった音できびきびとしたモーツァルトを聴かせてくれたので、サー・コリンだったら全然違ったろうなと思いつつ、私には満足でした。最終日だから気合いが入っていたのかもしれませんが、とにかくオケの音が抜群に良かったです。終演後、すぐに奏者のほうから指揮者を讃える拍手が起こり、サイラスも各パートトップの人と一通りにこやかに握手して回ってから舞台に上がりに行きましたから、演奏者側にとっても会心の出来だったのではないでしょうか。
 歌手陣ではパパゲーノのモルトマンがいかにもという芸達者ぶりを見せてくれて、この日一番の拍手をもらっていました。次点はザラストロのゼーリヒ。貫禄のある顔で、声も低音までよく出ていて存在感は抜群。ただ容姿的にはザラストロというよりむしろフィガロという感じで、世俗を感じさせない品位がもっとあればなあと個人的には思いました。
 パミーナのケイト・ロイヤルは背が高くてスタイルの良い美人でお姫様役にはうってつけでした。タミーノのヨーゼフ・カイザーはヘルデンテナーっぽいがっしりとした体格ですが、よく見るとこちらもなかなかハンサムボーイ。このカイザー&ロイヤルの「名前は最強」コンビは、二人ともしっかりとした声質の立派な歌唱で、容姿的にも申し分なく、なかなかの掘り出し物でした。
 途中降板したジェシカ・プラットの代役、コルネリア・ゲッツは、MET等でも夜の女王を歌っているようですが、そのわりには声が出ていない。どちらの幕のアリアもけっこう苦しくて、オケの伴奏に相当助けられ、辛うじて破綻はしなかったという感じでした。あと、声が幼いのでパミーナとの台詞のやり取りでは完全に貫禄負け。代役で急きょ招聘されたというのを割り引いても、ちょっと看板に偽りありというのが否めません。
 あとは、3人の次女はまあまあ。悪くなかったですが、歌がちょっと重かったのと、夜の女王とほとんど見分けがつかない衣装だったので、逆に女王の存在感を弱める結果にもなっていました。パパゲーナはミニスカートでがんばっていましたが、正直、歌はイマイチでした。声が小さいし歌も追いついていなかったです。それにしても、パパゲーナはやっぱりお婆ちゃんから変身しないと、何かイメージが狂いますね。
 このマクヴィカーのプロダクションはDVDにもなっているので断片的には見たことがありますが、通して見るのは初めてでした。全体的に闇を強調したダークな舞台設定の中に、第1幕の月、第2幕の太陽の煌煌とした明るさが激しいコントラストになって、けっこう目が疲れました。黒子がたくさん出てきて、この人達は見えないというお約束で堂々と装置を動かしていくのは、どこか歌舞伎と通じるものを感じました。パパゲーノが首を吊ろうと考えたら床下からせり上がって来た黒子がだまってロープを渡すなど笑える仕掛けもあり、万人が楽しめるプロダクションだとと思います。


2011.02.23 Royal Festival Hall (London)
Sir Simon Rattle / Berliner Philharmoniker
Anke Hermann (S-1,2), Nathalie Stutzmann (A-3)
Ladies of the London Symphony Chorus
Ladies of the BBC Singers
The Choir of Eltham College
1. Brahms: Es tönt ein voller Harfenklang, Op. 17 No. 1
2. Wolf: Elfenlied (Mörike Lieder)
3. Mahler: Symphony No. 3

 ベルリンフィル最終日です。この日ももちろんソールドアウト、リターン待ちの長い列ができていました。
 今日のコンサートマスターは大進君ではなくブラウンシュタインでした。本来今日はマーラー1曲のプログラムですが、後になって短い歌曲2曲の追加が発表されました。プログラムを読んでいないのでこの選曲の意図はよくわからないですが、1曲目のブラームス初期の歌曲は、作曲がマーラーの生年である1860年ごろなんですね。2曲目の作曲者ヴォルフは言わずと知れたマーラーと同い年の人ですから、「1860年繋がり」の選曲だったのかな。歌曲は特にうとい分野なので、2曲とも聴いたことのない曲でした。
 ウォーミングアップも済んだところで、休憩なしでマーラーの開始です。この3番の第1楽章は特に大好きな曲なんですが、冒頭からベルリンフィルのパワフルなホルンと打楽器に早速胸にぞぞ気が走りました。同じ「角笛」交響曲とは言え、テンポが激しく揺れ動く4番とは違ってこれは行進曲ですから、揺さぶりなく淡々と進んで行きます。今日は後ろの方の席だったんですが、音が十分な音圧を保ってしっかり届いてくれるので、やはり超一流のオケは楽器の鳴らし方からひと味違いますね。ラトルは今日はあまり仕掛けて来ないなと思っていたら、展開部のクライマックスの前で珍しく無理めのアチェレランドをかけてオケを煽り、その後の暴風雨のような音楽をうまく導いていきました。再現部になり、行進曲が戻ってきて盛り上がる部分は、私の好みでは大見得を切って「泣き」を入れて欲しいところですが、サー・サイモンは一歩引いてクールにスルーしていたのがまあ彼らしいです。これだけでお腹いっぱいになりそうなこの長大な第1楽章、案の定終った後は拍手がパラパラと鳴っていました。
 第2楽章はしかし、弦の甘いメロディを実にロマンチックに響かせて、なるほどここまで「泣き」は取っておいたのだなと納得。第3楽章では中間部の舞台裏で吹くポストホルン(多分トランペットで代用)がなにげにめちゃめちゃ完璧で、さすが裏方まで一流を配置しております。
 第4楽章、アルトのシュトゥッツマンが登場し、指揮者の横ではなくて打楽器の前あたりに立ちました。初めて聴く人ですが、美しい声のアルトです。バックでは第1楽章の動機が寡黙に再現される中、オーボエの強烈なポルタメントがたいへん新鮮でした。ここまでポルタメントを強調する演奏は聴いたことがありませんが、どうやら中間楽章でいろいろと仕掛けを盛り込む戦略のようです。ベルリンフィルは、繊細なところはとことん繊細に、高らかに鳴るところはとことん大胆に、ダイナミックレンジの広さはいつもながら圧巻です。
 第5楽章は短い曲ですが、25名の少年合唱と100名の女声合唱が加わり、一気に賑やか、華やかになります。オケの音量が大きいからでしょうか、合唱団の人数は普通よりも多めです。面白かったのは少年合唱が要所で、ちょうど大声で遠くの人を呼ぶときのように、手でメガホンを作って歌っていたことです。確かにこの曲のライブでは少年合唱がオケに負けて今ひとつ聴こえてこないことも多いので、ビジュアル的にも少年だからこそ許されて、良いアイデアだと思いました。
 切れ目なしに始まった終楽章は、まさに天上の音楽。この長丁場の終盤ですからもはや細かいことを気にする余力もなく、極上の響きにゆったりと身を任せつつ、もうすぐ終ってしまうベルリンフィルとの至福のひとときを名残惜しんでおりました。じれったくてなかなか盛り上がらない曲ですが、最後には4手で打ち込むティンパニの強打に導かれて壮大なクライマックスを迎えます。ラトルはまるでカラヤンのように瞑想しつつ腕をぶらぶら横に動かすだけで、もはや指揮棒で強引に音を引っ張り出さずとも自然な流れでここまで音楽を持っていけるのには、よっぽど良い関係にあるのだなあと、いたく感心しました。エンディングはふわっと力を抜くように終わり、誰もが残響の余韻を噛み締めていたところ、いちびったオヤジが突然のフライング・ブラヴォー、これはちょっといただけない。まあしかし、すぐに聴衆は総立ちとなって指揮者と奏者の健闘を称え、ラトルも団員もさすがにお疲れモードで拍手に応えておりました。
 数年前までは、ラトルはベルリンフィルに行ってからかつてのキレがなくなった、というような悪口をよく見たものですが、どうしてどうして、今まで聴いた4回(ブダペストで1回、ロンドンで3回)のこのコンビの演奏はどれもこの上なく充実したものでした。今日の演奏も、全く自分の好みかと言われるとそうでもない部分がありますが、好みを超越してこれほど最上質の音楽に巡り会えることはそうそうありません。機会があれば、画竜点睛として是非とも本拠地ベルリンのフィルハーモニーでこのコンビを聴いてみたいものだと、野望がむらむらと湧いてきております…。


2011.02.21 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / Berliner Philharmoniker
Christine Schäfer (S-2)
1. Stravinsky: Apollon Musagète (1947 ver)
2. Mahler: Symphony No. 4

 このベルリンフィルのロンドンコンサートシリーズはチケット発売が2009年12月で、ほどなく4つの演奏会は全て完売となっていました。チケット購入から1年以上待たされて、その間去年のPROMSにもしれっとやってきて演奏したりして、この日に至るまでは遠い道のりでした。要は待ちくたびれただけですが。
 1曲目「ミューズを率いるアポロ」は弦楽合奏のみのバレエ音楽。新古典主義の聴きやすい曲に見えて、捉えどころのない結構難解な曲だと思います。ベルリンフィルの弦楽部隊は8人のコントラバスと有名な12人のチェリストをずらりと揃えて圧巻です。コンサートマスターは樫本大進君、すっかり板についてきています。私には馴染みの薄い曲なので細かいところまでわかりませんが、まず出だしはチェコフィルかと思うほど素朴で野暮ったい音色で始まり、次の大進君の切り立つようにヴィヴィッドなソロの後は、低弦が金属的な重苦しさを醸し出したかと思うと、突如として花畑に蝶が舞うような光景が目に浮かび、とにかく弦楽合奏だけとは思えないその色彩感の幅広さに感服しました。音色に加えて音量のほうも、消え入るようなか細さとトゥッティの迫力のコントラストが圧巻で、弦楽器だけでもそんじょそこらのフルオケには音圧で勝っていますかからすごいもんです。
 メインのマーラー第4番は一昨年LSO、昨年LPOで聴いて、ロンドンではこれが3回目です。面白いのは3回とも独唱はクリスティーネ・シェーファーだったこと。ただしLSOは風邪でドタキャンし、代役のクララ・エクが歌っていましたが。それにしても私のイメージではシェーファーはオペラ歌手で、あまりマーラー歌手という認識ではなかったので、不思議な現象です。シェーファーは好きな歌手ですが、他に人材はおらんのかい、とも思ってしまいました。
 第1楽章冒頭、鈴と木管の短い序奏からヴァイオリンの主題へと移行するところで、もう早速その語り口の上手さに引き込まれました。昨年のユロフスキとLPOのように、解体したセグメントを再構築していくようなポストモダン的演奏もそれはそれで面白かったのですが、ラトルのアプローチはもっとストレートで、ある意味王道です。いつものように細部まで彫り込んだ音楽作りで、一つのフレーズは常に次のフレーズの布石になるよう気配りされ、全体の大きな流れを俯瞰して積み重ねて行くような第1楽章でした。雄弁というのとも劇的というのともちょっと違う、適当な表現が見つかりませんが、説得力のある朗読のような演奏でした。また、ベルリンフィルの人々はもう異次元の上手さで、ホルンといいトランペットといいフルートといいオーボエといい、皆がいちいち凄過ぎてホレボレするソロを聴かせてくれます。個人の技量が並外れて優れている上に、アンサンブルも憎いくらい完璧に統制が取れていて、さらに、いつどこで演奏しても集中力を欠かさない芸術的良心を持っている、世界最高峰のオーケストラとの評価が定着するのもよくわかります。この最後の「いつどこで演奏しても集中力を欠かさない芸術的良心」という点で、残念ながらLSOやウィーンフィルは、ベルリンフィルやコンセルトヘボウより下位のランクに置かざるを得ないと、私の経験からはそう評価しています。で、閑話休題。
 第2楽章は舞踏楽章なので軽やかにジャブで流し、変則調律ヴァイオリンの土臭いソロとくっきり色鮮やかなバックの演奏の対比が新鮮でした。少し呼吸を整えてからの第3楽章はスローペースで始まり、弦楽器がとことん繊細で優しい音を紡いでいきます。ちょっと間延びしたかと思わないでもないですが、ダイナミックレンジをさらに大きく取って最後の爆発への布石を打ち、LPOのときと同じくトゥッティの間に静々とシェーファー登場。切れ目なく終楽章に突入します。今日はずいぶんとシックな黒のドレスに地味めのメイクで、その分クリスタルか何かのキラキラ輝く首飾りがいっそう印象的でした。どこか中性的に感じる天性の美声は健在で、LPOのときよりも声の調子は良さそうでした。ただ前回は前から2列目のかぶりつきで見た(聴けた)シェーファーですが、今回はCircleの端のほうという歌手の声の届きにくい席だったので、前回感じた声の「芯」は少々細く、伸びに欠けるように感じられました。それでも、どちらかというとラトルのリードにシェーファーが着いていくという図式だったと思いますが、振り落とされることなく歌い切り満足げな表情でした。全体を通して文句なしに超ハイクオリティの演奏で、ラトルも大いに満足したのか、終演後は各首席奏者のところまで自分から行って握手を求めていました。こんな、普通は一生もんの演奏会をいくつも聴けてしまうというところに、ロンドンの凄さと同時に空恐ろしさも覚えますね。
 それにしても、あまりうるさいことを言いたくもないのですが、よりによって終楽章の静寂に向かうエンディングの最中でカバンからアメを出そうとする人とか、バサッと何かを落とす人とか、咳きこんで止まらない人とか、世の中には本当にいろんな人がいます。あと6小節だけなんだから頼むよ勘弁してよ、とか、せめてハンカチくらい口に当てんかい、とか、せっかくの至福のひとときに興ざめなことが頭をよぎり、これに関してはいつまでも寛容になれないなあと再認識してしまいます。
 余談ですがサウスバンクの来シーズン分の外来オケチケットがすでに販売開始になっていますが、ルツェルン祝祭管やシモン・ボリバル・ユース管といった人気楽団はあっという間に残席わずかになっていますね。特にシモン・ボリバルなんか来年6月で曲目未定にもかかわらず、この売れ方はちょっと異常ですね。それにしてもバービカン、サウスバンクともに、外タレのチケット相場がべらぼうに値上がりしていて、手を出すのを躊躇してしまいます。消費税増税と補助金カットのダブルパンチを食らったのかもしれませんが、こんな極端な値上げは、全く足下を見ていると思いますね。


2011.02.19 Barbican Hall (London)
LSO Discovery Family Concert: In The Woods
Timothy Redmond / London Symphony Orchestra
Rachel Leach (Presenter)
1. Mussorgsky: Night on the Bare Mountain
2. Dvorák: The Wild Dove (excerpts)
3. Prokofiev: Peter and the Wolf (excerpts)
4. Rachel Leach: Hungry Wolf (audience participation piece)
5. John Williams: 'Hedwig's Theme' from Harry Potter

 今回のLSOファミリーコンサートは「森の中で」と題して、ちょっとコワめの曲を揃えました。ただ、ドヴォルザークの「野鳩」は、子供向けにしては内容も曲もちょっと渋過ぎ。聴衆参加のピースもいつもはスタンダード曲なのに、今回は司会者のオリジナル曲だったので(しかも途中でバンバン転調する)、着いて行ける子供は少なかったんじゃないかなあ。司会者のお姉さんも歌って踊って何とか盛り上げようとしていましたが、企画に無理があったのではないでしょうか。


2011.02.10 Barbican Hall (London)
Daniel Harding / London Symphony Orchestra
Hélène Grimaud (P-2), Sam West (Narrator-3)
1. Strauss: Don Juan
2. Ravel: Piano Concerto in G
3. Richard Strauss: Also Sprach Zarathustra

 ハーディング/LSOは新婚旅行の最中バービカンで聴きましたが、10年以上経って今度は娘連れで聴きにくることがあろうとは、当時はもちろん夢にも思っていませんでした。妻は、ハーディングは年を取った、髪も薄くなったと言いますが、私はそんなに変わってないように思えます。元々とっつぁん坊や系の顔なので、若そうに見えて実は最初からちょっと老け顔入っていたし。
 昔と相当変わったのは、ズバリ「余裕」です。超一流どころの場数を踏み、すっかり人気指揮者の仲間入りをした今では、モーツァルトでもR.シュトラウスでも何でも汗びっしょりに必死で腕を振りまくっていた昔と比べ、必死さが消え超然とした風格がにじみ出ています。振りが大げさなのは変わりませんが、過不足ない力み方で効率よくオケをコントロールし、最大限の音を引き出すのが非常に巧みになったなあと感じます。ハーディングが振るときのLSOはとにかく音がよく鳴っています。というわけで、1曲目のドンファンから、多少のアンサンブルの乱れはありましたが、大音響でガンガン鳴り響いてはピタリと止まる、小気味のいい演奏を聴かせてくれました。この曲にそれ以上の何がありましょうか(決してネガティブな意図はありません)。
 次のラヴェルのピアノ協奏曲は、当初モーツァルトの23番と発表されていたものの、2ヶ月前にソリストの希望という理由で曲目変更がアナウンスされました。あれ、グリモーは確か昨シーズンにもこの曲でLSOに登場したはず。彼女にとっては新曲へのチャレンジだったのでしょうが(ラヴェルよりもモーツァルトのほうが新曲というのも珍しい話です)、結局練習する時間が取れなかったんでしょうかね。グリモーを聴くのは6年ぶりくらいですが、前回も直前になってブラームスの2番からシューマンに曲目が変更になり、この人は常習犯かもしれませんね。ともあれ昨シーズンのグリモーは聴いてないし、モーツァルトよりラヴェルのコンチェルトのほうが圧倒的に好きな曲なので、私にはたいへんラッキーな曲目変更でした。
 さてグリモー、相変わらずスタイルの良い美人です。前回はその華奢な風貌からは想像できない、男勝りにアタックの強い骨太の演奏に驚きましたが、今回はラヴェルなので多少は力が抜けて軽やかさが出ていました。タッチは相変わらず鋭いですが、音の粒が奇麗に立っていて、ごまかしがなく、指がよく回ること回ること。掛け値なしに技術は非常に上手いです。ハイレベルのラヴェルだったと思いますが、ただしフランスっぽい柔らかさはありません。グリモーはフランス人のくせにフランスものはあまり得意じゃなさそうで、このラヴェルなんか、彼女としては異色のレパートリーなんじゃないでしょうか。それはオケも同様で、もちろん演奏技術は極めてハイレベルですが、シャレた軽さやジャジーな雰囲気はあまり出ていませんでした。あと気になったのは、グリモーが時々発する、地獄の底からうめき声が響いてくるような何とも言えぬ鼻息です。相当の肺活量と、多分あまり状態のよろしくない副鼻腔炎から来ているんじゃないかと想像しますが、おかげで、せっかくほどよく知的で叙情的なピアノで「こんなのも弾けるようになったんだ」と感心した第2楽章も、鼻息のせいで興ざめというか、ちょっとハラハラしました。
 メインのツァラトゥストラはさらに私の大好きな曲でして、もし自分が指揮者だったらデビューはこの曲で、と決めているくらい(笑)。しかし、何故か巡り合わせが悪く、前回演奏会で聴いたのはもう20年近く前になります。まず最初、ホルンの後ろに座っていたナレーターがやおら立ち上がり、ニーチェのテキスト英訳抜粋を朗読しました。初めて見るスタイルですが、哲学的内容を(成功しているかどうかはともかく)器楽だけで表現するのがこの曲のミソですから、正直、いらんかったかな。有名な冒頭はさすがLSO、トランペットも期待通りの迫力で迫りますが、最後の和音で痛恨の音外し。私の席からはよく見えなかったけど今日のトップはNigel Gommさんだったと思いますが、ラヴェルでは難しいフレーズもスラスラ吹いていたので、油断したか。ちょっとイヤな予感が頭をよぎりますが、後半の鬼門、オクターブ跳躍でも、のっけから豪快にミス。その後はさすがに守りに入ってしまい、音は外さないものの思い切りの悪い演奏になってしまいました。どちらも些細なミスと言えばそうなんですが、この曲に限っては目立ち過ぎるんで、奏者は気の毒です。LSOでもこういうことがあるんですねえ。終演後はもちろん立たされ、満場の聴衆から温かい拍手を盛大に浴びていました。皆さん優しいですね。
 今日のコンマスは何となく東洋人っぽい顔立ちのTomo Kellerさん。ビブラートのきつい神経質そうなヴァイオリンを弾く人ですが、今日のソロはリラックスしていてよい感じでした。トランペット以外で不満は鐘の音が控えめすぎたことくらいで、ハーディングのガンガン鳴らすスタイルがこの曲にはたいへんハマっていて、単純に音の洪水に身を任せる快感に浸っていました。精神性とか深みとかのうるさいことは言わずとも、音のスペクタクルを一流の演奏技術で理屈抜きに楽しむという贅沢こそ、実は大好きなのでした。返す返すもLSOらしからぬミスが残念ではあります。


2011.02.04 Royal Festival Hall (London)
Kurt Masur / London Philharmonic Orchestra
Anne-Sophie Mutter (Vn-1), Daniel Müller-Schott (Vc-1)
1. Brahms: Double Concerto for Violin and Cello
2. Brahms: Symphony No. 1

 ムターは昨年10月のLSOで聴くはずが仕事の都合で行けなくなり、リベンジとしてこの演奏会をチェックしていましたが、チケットはずいぶん前からほぼソールドアウト状態で、半ば諦めかけていたところ、好みのかぶりつき席ではないもののそれに準ずる好席が前日になって1枚リターンで出ているのを発見、即ポチで買いました。らっきー。
 ブラームスの二重協奏曲を前回聴いたのは約6年前。そのときの独奏はケレメン・バルナバーシュとペレーニ・ミクローシュというハンガリーの超スター共演でしたが、席がオケ後方だったので独奏者がよく見えず聴こえずで、印象に残っているのは二人の後ろ姿のみ。今から思うと耳の穴をかっぽじって脳にもっとしっかりと刻み込んでおけなかったものかと悔しく思うことしきりです。
 マズアはもう83歳ですか、5年前に見たときよりさらに老人度が増し、足取りが弱々しく、目もしょぼしょぼとして、左手は中風で常にブルブルと震えています。彼が何者か知らなければ、足下のおぼつかないただの後期高齢者にしか見えないでしょう。それでも指揮台に上ると40分ずっと立ったまま指揮棒も使わず腕を降り続けているのですから、たいしたものです(さすがにカクシャクとは行きませんが)。チェロのミュラー=ショットは若くてイケメン、チェロの音が伸びやかで瑞々しいです。多少音が弱いと感じるところもあったものの、正統派のテクニシャンと思います。念願の初生ムターは、鮮やかな緑のドレスに身を包み、さすがスターのオーラが出ています。ビジュアル的にはカラヤンと共演してたころとか、プレヴィンと結婚したころとかのイメージが強いので、もちろん美人には違いないのですが、すっかり中年女性になっちゃったんだなーと、しみじみ。この二重協奏曲はどちらかというとチェロの方が主役に私には聴こえるし、派手なカデンツァがあるわけでもないので、ムターを聴いたという実感がもう一つ湧いて来なかったのが正直なところです。もちろん美男美女ペアには華がありましたが、この曲のチェロとヴァイオリンは男女の愛ではなくて哲学者同士の対話のような音楽ですから、華やかなスターの競演だけでは済まない渋みがあります。それはともかく、ムターのヴァイオリンから特にハッとする音はついぞ聴かれなかったし、弾いているときの表情がずっとしかめっ面で変化に乏しく、私の好みのヴァイオリンではなかったかな。特にヴァイオリンの場合は、楽器と一緒に呼吸するような弾き方をする人が自分の好みだったんだとあらためて気付きました。当然1曲だけでうかつな判断は禁物なので、また次回聴く機会があればと思います。このコンビは来年2月にプレヴィンを加えたトリオで室内楽演奏会をやるようですね。室内楽は正直好んで聴くほうではないのですが、プレヴィンの曲(ジャズなのかな?)もやるみたいなので、要チェックですね。
 メインのブラ1は前回もロンドンフィルで1年くらい前に聴いています(指揮はサラステ)。マズア爺さん、相変わらずよぼよぼと登場しましたが、衣装をブラウンから黒に着替えたもよう、実はお洒落な人なのかも。曲は普通に始まり、早めのテンポですいすいと進んで行きます。提示部の反復はあっさりと無視、あれ、前回のロンドンフィルもそうだったような。最近の演奏はみんな楽譜の繰り返し指定は律儀にやるものだと思っていたので前回も「ほー」と思った箇所でした。しかし聴き進むうち、繰り返し云々に限らずこれって前回のロンドンフィルの演奏とどこに違いが?と思い始めてきました。ブラ1は定番レパートリーですからオケのほうもそれこそ指揮者なしでも完奏可能な曲だと思いますが、それにしてもマズアならではのこだわりやゆさぶりが何も見えて来ず、実はこの指揮者、仕事をしてないんでは、との疑念が晴れないまま、結局コーダまで行き曲は終ってしまいました。これが中庸を行く王道のブラームス解釈なのかもしれませんが、前回サラステが作り上げたブラ1像に、何だかそのまま乗っかっただけのような気もしてなりません。ホルンを筆頭にオケの集中力がイマイチだった分、今回の方がなお悪いかも。両方の録音が手元にあって聴き比べできればいいんですけどねえ、それは無理ですし…。何度か拍手に応えたあと、最後はチェロトップの金髪お姉さん2人の手を握って引き上げるそぶりを見せ、なかなか好々爺ぶりを発揮していたマズアさんでした。


2011.02.02 Barbican Hall (London)
Jiří Bělohlávek / BBC Symphony Orchestra
Lars Vogt (P-1)
1. Mozart: Piano Concerto No. 16 in D major, K451
2. Mahler: Symphony No. 6 in A minor

 ロンドンのローカルオケで聴くマーラー6番シリーズ、と自分で勝手に命名しておりますが、第3弾はBBC交響楽団。今日はラジオのライブ中継があるのできっかり7時に開演でした。女性司会者の前口上に続き、独奏のラルス・フォークトとビエロフラーヴェクが登場。1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第16番、快活でシンフォニックな曲です。モーツァルトのピアノ協奏曲は時々聴く機会がありますが、私は全く思い入れがないので、集中力を持って批判的に聴くのではなく、いつもその音楽の中に無心でゆったりと身を置くことにしています。要は、心に引っかからないので聴き流してしまっているんです。今日もそんな感じでして、我ながらまことに失礼な態度だと思います。フォークトのピアノは硬質でちょっとクセがありそうですが、まあコロコロとモーツァルトらしい軽やかな演奏でした。
 休憩後、7時50分くらいにマーラーの演奏が開始されました。ちょっと遅めのテンポで始まった行進曲風の第1楽章は、なかなか抑制が利いた冷徹な進行で、不必要に鋭い音や大きい音は各楽器で注意深く排除されています。意表を突かれましたが、実はこの冒頭はAllegro energico, ma non troppo(力強く快活に、しかしやり過ぎないように)でさらにドイツ語でHeftig, aber markig(激しく、しかしきびきびと)という分裂気味だけれども含蓄深い指示なので、この演奏のようなやり方がまさにマーラーが意図した模範的解答なのかもしれません。パートバランスが非常に丁寧に整えられており、第2主題のアルマのテーマも決して感情に流されず節度ある甘さで奏でられます。木管がまたスフォルツァンドやベルアップの指示を逐一、涙ぐましいほど忠実に守っていたのには感心することしきりでした。展開部の「遠くから響くカウベル」は、本当に遠くから(多分バルコニー席で叩いていたと思いますが私の席からは確認できず)聴こえてきました。行進曲が戻ってくる再現部になると、テンポはあくまで節度を保ちつつ徐々に音量を開放して行き、最後は圧倒的な音圧でピークを迎えてガツンと終了。思わず拍手をしてしまいそうな説得力ある盛り上げ方でした。
 本日の中間楽章は最近の主流に倣いアンダンテ→スケルツォの順です。アンダンテは、これがまた情に流されない枯れた味わいの弦が実に心地良い。元々このアンダンテは好きな音楽なのですが、今日の演奏は大げさに甘く歌うことなく、むしろそうしないが故に逃げ道なく追い込まれた私の心を容赦なく打ってきました。これはまさに虚飾を排した音楽自体の力です。ヤラレタという感じです。この楽章の中間部のカウベルは他と違って「オーケストラの中で」というスコアの指示がありますが、打楽器奏者はステージ上に並べられたカウベルを、多分客席後方のカウベルと音量を合わせるためでしょうか、多少遠慮がちにコロンコロンと叩いていました。ここでもスコアへの忠誠は変わりません。ただし、大小6〜7個のカウベルを吊るしていて、実際に鳴らしたのは3個だけでしたので、リハで最終判断をしたのかもしれません。
 次のスケルツォ、今度は早めのテンポでさっそうと始まりましたが、これもスコアのWuchtig, 3/8 ausschlagen ohne zu schleppen(力強く、引きずらない3/8拍子で)という指示を思い出せば、全くストレートな演奏です。ちまたのマーラー演奏で不自然に歪曲されたものがいかに多いか、思い知らされました。この楽章はこまめにテンポが動きますが、普段からきっちり信頼関係を築いているんでしょう、あれだけゆらしても節度を忘れず、指揮者とオケの呼吸が抜群に合っていました。
 問題の終楽章、形式上は古典的ソナタ形式の構成ですが、内容は破天荒なので極めて難物、ヘタに触れれば火傷をします(笑)。ここでもあくまで冷徹さを失わず心憎いくらいに節度を持って進行しますが、もはや音量のキャップは被せず、金管は遠慮なく爆発します。オケが実に上手いです。さすがにトランペットが多少上ずる場面は2度ほどありましたが、このレベルで鳴らしながら破綻なく息切れもせずにやり抜いたのは生半可な実力ではありません。先日のロンドンフィルもかなりがんばってはいましたが、BBC響は完全にその上を行ってます。ハンマーは2回、「ズガァァァン」というインパクト抜群の重低音で、私が今まで聴いた中で最も理想に近い音だった、と言ってもよいかも。全体を通して節度を守り、要所でしか爆発させなかったおかげで、ラストの一撃も効果極大。どこを切ってもしっかりと練られた、私的にはかゆいところにいちいち手が届いた、理想的な名演でした。
 カラヤンみたいに最初はカッコよくガッガッと突き進んだはよいが途中で道を見失ってしまう演奏も多い中、物語性に囚われることなく無心でスコアと対峙し、内在する純音楽的なフォルムを見事にあぶり出して目の前に見せてくれた今日の演奏は、心洗われる気分で心底感動しました。しかし、ビエロフラーヴェクとBBC響がここまでやってくれるとは、正直そこまでとは期待していなかっただけに、こういうのがあるから演奏会通いはやめられない訳だなあと再認識しました。
 実は今、BBCのiPlayerでまさにこの演奏を聴きながらこれを書いていましたが、やはり生で聴くほどの感動はよみがえって来ませんね。ハンマーの重低音はもちろんのこと、デリケートに組み立てられた生のオケが奏でる空気はどうしても録音には収まり切らないものですね。仕方がないことですが。


2011.01.29 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Barnabas Kelemen (Vn-2)
Melanie Diener (S-3), Christianne Stotijn (Ms-3), Michael König (T-3)
Christopher Purves (Br-3), Jacob Thorn, Leo Benedict (Treble-3)
London Philharmonic Choir
1. Ligeti: Lontano
2. Bartók: Violin Concerto No. 1
3. Mahler: Das klagende Lied

 土曜日の公演のせいか、こんな地味なプログラムにもかかわらず客入りは上々でした。隣席のオーストラリア人の若者は1曲目のリゲティが目当てだったらしく、興奮気味に「日本の音楽も大好きなんだ、一柳とか武満とか」などと話しかけてきました。この「ロンターノ」、演奏が始まるまですっかり忘れていましたが前にも聴いたことがありました。どこで聴いたかすぐに出てこなかったので、「2001年宇宙の旅」の曲だったかなあ、などと考えながら聴いていましたが、後で検索するとブダペストで、エトヴェシュ/スイスロマンド管の演奏で聴いていたんですね。でも、「2001年」と同時期の作曲で、トーンクラスタを効かせたいかにも未知の宇宙空間っぽい音楽ですので、混同するのも無理はない(と、言い訳)。
 この日の目当てはもちろん、ハンガリーの人気ヴァイオリニスト、ケレメン・バルナバーシュでした。2006年3月以来ですから、ほぼ5年ぶりです。今でもまだ32歳ですから若いですが、その童顔は5年前とほとんど変わっていませんでした。糸巻きの部分を握って楽器を前に突き出すように持ちながら登場するのも、右足でリズムを取りながら、顔の表情豊かに、時折この上なく幸せそうな表情を浮かべながら弾くさまも、全然変わっておらず懐かしかったです。そういう意味では、あまり進化はしていないとも言えます。テツラフとか五嶋みどりなどの異次元の人達を聴いてしまったあとでは、音が少々野暮ったく、洗練されていないようにも感じましたが、そこはハンガリー人ヴァイオリニストとしては一種の「味」で通用するでしょう。ただ、この人のハンガリーでの人気は相当なもので、国内の演奏会や、同じくヴァイオリニストの奥さん(コカシュ・カタリン)と組んだ夫婦デュオの演奏会と録音、さらにリスト音楽院での教職も得ていますから、あえて国外に打って出なくても国内で十分食べて行けるし、実際にあまり外で活動していないように見えるのが以前から非常にもったいないと感じていました。その意味で、たまにはこうしてロンドンにまで遠征に来てくれるのはたいへん嬉しいことです。演奏のほうは、得意のバルトークだけあって短い中にも語り口を知り尽くしています。距離を離れず曲の中に没頭するロマンチックな演奏でした。アンコールはバルトークのソロソナタから終楽章(プレスト)と、バッハのサラバンドの2曲もやってくれて、会場は大いに盛り上がっておりました。
 メインの「嘆きの歌」は、実演は初めてで、CDもHungarotonの古い録音を以前ブダペストで買ったものしか持っていませんが、このCDは2部構成の短縮版だった上にあまり聴いておらず、実際ほとんど馴染みのない曲でした。そもそもカンタータとか超苦手なのでどこまで起きていられるか心配でしたが、若書きとは言え天才の斬新な力作なので飽きることなく最後まで聴け、後世の「マーラー節」も断片的に垣間見えて面白かったです。ユロフスキの指揮は、昨年聴いた交響曲第4番のようなミニマルなアプローチは取らず、ハープ6人、別部隊のブラスも20人以上という巨大編成を上手く整理して劇的な仕上がりに仕立てていたと思います。曲の最後の唐突な一撃は、6番のラストの原型ですね。
 余談ですが、今日気付きましたがロンドンフィルは金髪美女が多いですね。ビジュアル的楽しみも今後増えそうです。


2011.01.28 Barbican Hall (London)
Gustavo Dudamel / Los Angeles Philharmonic
1. Mahler: Symphony No. 9

 私の中の「まだ見ぬ(聴かぬ)強豪3大オケ」は現在、ロスフィル、フィラデルフィア管、ドレスデン・シュターツカペレでしたので、念願のチャンス到来です。ただ一番の問題は日程。このLAPロンドン公演が発売になってすぐ、最初は27日のほうのチケットを買っていましたが、後でフィルハーモニア管のシーズンが発表となって27日は何とバルトークのシリーズとバッティングすることが判明、やむなくLAPは27日のチケットを28日と交換しました。しかしその時点で29日はロンドンフィルにケレメン・バルナバーシュが来るためこれも絶対「買い」であることが確定しており、3連チャンがやむを得ない状況に。ロンドンでは演奏会は基本的に一回勝負なためこういうことは起こりますし、実は初めてでもないですが、平日の連チャンは体力的にキツくなる可能性も高く、結果的には恐れていた通り体力温存に失敗し、なかなか辛い三日間になってしまいました。
 さて、そういうことなので今日のお目当ては9割がたロスフィルです。しかし初生ドゥダメルも、もちろん楽しみでありました。ドゥダメルというと、強力なエージェントがバックにつき、スターダムへの坂道を最高速で駆け上がろうとしている、注目度ナンバーワンの若手指揮者であろうことは疑いないでしょう。シモン・ボリバルとの掟破りなバーンスタイン「マンボ」とか(2007年PROMSの映像を初めて見たときは不覚にもジーンときましたが)、いつも髪を逆立てて吠えているプレス用写真とかから受けていた印象は「派手好きなイチビリニーチャン」だったのですが、今日は曲がマーラーの9番のみというプログラムだったこともあるんでしょうか、決して「俺が俺が」の人ではなく、オケを立てながら誠実に音楽を作って行くタイプの指揮に聴こえました。第1楽章はバーンスタインのごとくアーティキュレーションの拡大解釈をするでもなく、粘らずにさらさらと流れて行くので予想と違いました。ユダヤの血とか、迫り来る死とか、そういうしがらみや背景を注意深く取り去ったような純音楽的な演奏でした。私はこの曲は第1楽章が特に素晴らしく、バーンスタインの演奏などを聴いていると、これだけでお腹いっぱいなくらい濃密な一つの閉じた世界を感じてしまいますが、ドゥダメルの演奏は長大な交響曲のあくまでプロローグとして、正しいプロポーションで表現することに腐心していたと思います。かと思えば、息抜きのような第2楽章ではおおげさなアゴーギクをつけて田舎ダンス風の野暮ったさで一息つかせる芸も持っています。その後は疲れから途中何度か朦朧としてしまったので細かいところで見落としているかもしれませんが、第3楽章の怒濤の攻めも、終楽章の祈るようなフレージングも、変に尾ひれを付けずにスコアの凹凸を素直に投影したような演奏でした。これは普通のようでいて、決して普通ではありません。
 ロスフィルは掛け値なしに音色が凄く良いオケでした。アメリカのオケらしい明るい響きで、技量が高く、馬力も十分ですが、きれいに角が取れているのが素敵です。CDだけのイメージでは、音だけでこんなに引き込まれるオケとは正直思っていませんでした。コンマスもめちゃめちゃ上手い、というか、華のある全くソリストの音です。機会があったら何度でも聴きに行きたいオケがまた一つ見つかりました。
 最後の弦のpppが静かに消え去った後も指揮者はなかなか手を下ろさず、聴衆も息を飲んだまま余韻の行く先を見守ります。これほど長い沈黙は日本以外では初めてです。ようやく手を下した指揮者は、ブラボーの声を背に、客席を振り向くことなく退場しました。その後何度もコールで出てきて奏者を立てていましたが、自身は二度と指揮台の上に登ることなく、それどころか奏者の前に立つことも控えている様子でした。この日を見る限り、アイドル化されつつあってもドゥダメル本人は意外と素朴で謙虚な人なのかも、と感じました。良い演奏だったにもかかわらず、指揮者はご満悦という表情ではなく、オケのメンバーも笑顔があまりありません。けっこう規律の厳しいオケなのかもしれません。あるいは本当に、もっとハイレベルの演奏もできたのに、という芸術家の良心の現れだったとしたら、真の実力は底知れぬものがあります。ホームでの普段の演奏を是非聴いてみたいものだと切に思いました。


2011.01.27 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-2), Philharmonia Voices (Chorus-3)
1. Bartók: Kossuth
2. Bartók: Piano Concerto No. 1
3. Bartók: The Miraculous Mandarin, complete

 今年、フィルハーモニア管がシーズンをまたいで敢行する「Infernal Dance - Inside World of Béla Bartók」(地獄のダンス、とはまた大仰なタイトルですが)という、バルトークの主要管弦楽作品と弦楽四重奏曲全曲を一挙に演奏する企画のオープニングです。2011年はバルトーク生誕130年というちょいと半端な記念イヤーで、バルトークをライフワークのように好んで取り上げてきたサロネンらしいプロジェクトです。そういえば5年前の生誕125年では、折よくモーツァルトが生誕250年だったので「125」という中途半端な数字も意味を持ち、抱き合わせで多くの企画演奏会がブダペストで開かれていました。
 1曲目は最初期の作品、交響詩「コシュート」。1848年革命を主導した政治家コシュート・ラヨシュを題材にしたバルトーク版「英雄の生涯」です。ただし本家のR.シュトラウスとは違い、ここの英雄を最後に待っているのは挫折ですが。ハンガリー民謡調の旋律は出てくるものの、作風が確立するはるか以前の後期ロマン主義色が強い作品です。若書きとは言っても曲の完成度はハイレベルなので、もっと演奏・録音されてもよい曲だと思います。サロネンは特に小細工を使ってくることなく、必要以上に劇的な盛り上げをするわけでもなく、普通にロマン派の交響詩として流していたように感じました。出だしからどうも弦などに迷いながら弾いている感じが見られ、アンサンブルの乱れも少し気になりましたが、まあここはジャブということで次に期待。
 2曲目、ピアノ協奏曲第1番は昨年LSO(独奏コチシュ)で聴いて以来。私は何故か、バルトークのピアノ協奏曲というとこの第1番ばかり実演で聴く巡り合わせになっています。一般的には第3番が一番人気がありそうなのに、何ででしょうね。ブロンフマンは昨年のNYフィル公演で始めて聴き、切れ味の鋭いピアノに圧倒されました。バルトークはサロネンとのコンビで録音もあり(オケはロスフィル)、こういう尖った曲は絶対得意なはず。果たして期待通り、ブロンフマンは重戦車がガシガシと進行するようなピアノでした。一音一音インパクトが太く、全体重で切り込むような叩き方は、ピアノを完全に打楽器の一種のように扱っているこの曲にはまさに打ってつけのピアニスト。即物的に楽譜の音を紡いで行くと、かえって曲に内在する民謡の息づきが躍動感となって浮かび上がってくる、バルトークの演奏様式としては一つの理想かと感じました。ただ、キレキレのピアノに比べてオケのキレがなく、着いて行くのがせいいっぱいの感があったのは少し不満でした。
 メインの「マンダリン」は当初「Semi-staged Performance」と発表されていましたが、直前になってただの「演奏会形式」に変更しますとの連絡がありました。どんな演出のステージになるのか楽しみにしていたので、ちょっと肩すかしです。代わりにパントマイムのプロットが字幕で投影されていましたが、タイミングがギクシャクしていてその場しのぎの感がありました。演奏の方は、この曲はさすがにオープニングの目玉ですからリハーサルを入念に積み重ねたのか、大都会の裏通りの喧噪を表す冒頭のクロマチックフレーズから、さっきまでとは打って変わって線の太い弦が鋭く駆け上がる木管と怪しくからみ合います。その後の客引きをするクラリネットのフレーズもいかがわしさがよく出ていました。金管はちょっと馬力不足ではありましたが、マンダリンが暴れ出す箇所の難しいトランペットはがんばって耐え凌ぎました。パントマイムよりも一つの管弦楽作品としての性格が強い演奏で、最初早めのテンポでぐいぐい押すのかと思ったら、後半はぐっとテンポを落として不安定感を煽り、多分バレエだと非常に踊りにくい演奏だったのでは。「演奏会形式」にしたのは正解だったか、あるいは、この演奏に乗せるパフォーマンスのアイデアが結局出て来なかったのかも。最後はやけにあっさりと終って、早すぎるブラボーで余韻を反芻する間もなく現実に引き戻されました。
 サロネンということで期待は非常に高かったのですが、オケがもう一つ慣れてない印象で、突貫工事のにおいが少ししました。せっかくの企画なので、じっくりと時間を割いてもう一段上の完成度を目指して欲しいです。


2011.01.22 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Valeriy Ovsyanikov / Orchestra of the Royal Opera House
Marius Petipa / Lev Ivanov (Choreography), Anthony Dowell (Production)
Zenaida Yanowsky (Odette/Odile), Nehemiah Kish (Prince Siegfried)
Elizabeth McGorian (The Princess), WIlliam Tuckett (Evil Spirit)
Alastair Marriott (Tutor), Valeri Hristov (Benno)
Laura Morera, Yuhui Choe, Sergei Polunin (Pas De Trois)
1. Tchaikovsky: Swan Lake

 ロイヤルバレエの「白鳥の湖」は初めて見ます。基本的にはプティパ=イワノフ版でモダンな演出は一切ありませんが、舞台装置が豪華絢爛なのがロイヤルらしいです。
 今日の主役は初めて見る2人です。というか、妻の趣味によりマクレー様の日を見ることが多かったので、あまりいろんなダンサーを実は見ていません。本日のオデットのヤノウスキーはフランス出身のベテランプリンシパル、王子様のキシュはアメリカ人で、昨年デンマークロイヤルバレエからプリンシパルとして移籍してきたそうです。キシュは写真で見たイメージとは異なり、意外と小柄で朴訥な印象です。年齢はよくわかりませんが、元気ハツラツオロナミンCというよりも無駄なく老練な踊りで、けっこう年季が入っている気がします。
 それよりもヤノウスキーの白鳥が登場したときのインパクトがいろんな意味で凄かったです。キシュと並ぶとかなりの長身で、ポワントなしでも余裕で頭一つ出ています。贅肉の一切ない細い身体に筋肉だけが付いており、腕はさすがに細いものの、キシュとタメを張る足の筋肉には野性味すら感じました。正直なところとても女性には思えず、ニューハーフのダンサーだったのか!と勝手に意表を突かれておりました。しかし妻も全く同じように思ったそうで、私の目だけがおかしいわけでもないのです。踊り自体は素人目には完璧で、回転はしっかりした下半身に裏打ちされて全くブレないし、よく見ると手の動きもたいへん細やかで優雅です。しかし、出張の疲労が溜まっていて頭に柔軟性が消えていたせいか、最初の印象があまりに強過ぎて、最後まで「異形の白鳥」としか見ることができませんでした。従ってオディールを踊っている場面のほうがよくハマっていました。また、あの体格と筋肉質であれば相当重いと思われますが、キシュのリフトは一切グラつかず、こちらも立派でした。はじけるような踊りの2人ではありませんでしたが、質実な大人のパフォーマンスを堪能させていただきました。
 帰宅後に調べると、ヤノウスキーはROHの人気バリトン歌手サイモン・キーンリーサイドの奥さんで、子供が2人もいるんですね。勝手にオカマさんと思い込んでしまって、ごめんなさい。
 話は前後しますが、第1幕のパ・ド・トロワに福岡出身韓国人のチェさんが出ていました。この人は一昨年の「くるみ割り人形」で見て以来ですが、本当に舞台映えする美人ですね。プロポーションもいいですし、全身がお人形さんのようにかわいらしい。ここの踊りは短いながらも重要な役どころで、他の2人はすでにプリンシパルなので、チェさんも昇格近し、なのでしょうか。


2011.01.21 Konzerthaus (Dortmund)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
István Kovács (Bluebeard-2), Ildikó Komlósi (Judith-2)
1. Haydn: Symphony No. 102 in B-flat major
2. Bartók: Bluebeard's Castle

 先週に続きBFZです。今週ドルトムントでハンガリー人演奏家が集うバルトーク・フェスティヴァルが開催されており、折よく近くまで来る出張があったので、2週続けてBFZを聴くという幸運を得ました。BFZは実は、ブダペストでバルトークをあまり演奏してくれなかったので(ツアーでいつも演奏するから奏者のマンネリを防ぐためでもあるんでしょう)、その意味でも念願がかないました。全く余談ですけど、チェコフィルも「新世界」はツアーの定番ですが、プラハで演奏することはまず、ないそうですね。
 客席はほぼ満員。先週とは違って今日はハンガリー語を聞くことがなかったので、ほとんど地元のドイツ人ということでしょうか。ドイツの一地方都市でバルトークに対する関心がここまで高いとは、正直意外でした。
 1曲目はハイドン102番。先週と同じくトランペット、ホルン、ティンパニは古楽器を使用していました。フルートとオーボエを定位置よりも前に出し、チェロとヴィオラで挟み込むように配置していたのが先週との違いです。出だしで少し乱れて「ん?」と思った箇所はありましたが、後は先週と同じく完璧な造型のハイドンでした。やはりノンビブラートにはせず大らかに弾かせています。このホール独特の長い残響は、最初こそ違和感があったものの、慣れるとそのふくよかな質感が何とも心地よい。
 メインの「青ひげ公の城」はバルトークで最も好きな曲の一つですが、過去に実演を聴いた5回は全てオペラの舞台で、演奏会形式では初めてです。BFZがこの曲をやるときはポルガール・ラースローとコムローシ・イルディコのコンビが無二の定番でしたが(録音も残っています)、昨年9月にポルガールが亡くなったため、青ひげ公はステージごとに違う人が召集されているようです。今日はコヴァーチ・イシュトヴァーンという初めて聴く若い人でした。
 冒頭の前口上は従来ならポルガールが渋い声で語っていたそうですが、彼の死後、指揮者自らが客席に振り向き、語りかけながら後ろ手に指揮棒を振り始めるというアラワザでしのいでいました(YouTubeにアップされている、10月にフィッシャーがコンセルトヘボウを振ったときの映像でも同様のワザが確認できます)。
 青ひげ公は、バスにしては細身の身体で声質も軽めなから、若いにもかかわらずごまかしのないほぼ完璧な歌唱でした。この歌は素人目にもたいへん難しく、歌いこみの浅い人だとすぐに声が上ずったり、にちゃにちゃと気持ちの悪い歌になってしまったりもしますが、コヴァーチは実に丁寧に、威厳を失わずに声をぶつけていきます。もちろん、できればもっと腰の太い声と、感情を押し殺しながらも微妙な機微を表現し分ける巧妙さがもうちょうっとあればと思わないでもなかったですし、超ベテランだったポルガールにはかなうべくもないですが、誠実に全力を尽くしていたと思います。
 一方のコムローシも絶好調。ユディットは数限りなく歌ってきた十八番ですので、全てを知り尽くし、完全に自分のものにしています。感情表現が演技過多のようにも取れ、ユディット像の役作りとしては多少の異論もあるかもしれませんが、つぶやきから狂乱を自在に行き来する歌唱力と、一貫して堂々とした立ち振る舞いは、数いるユディット歌いの中でも突出していると思います。
 そして、この日は何よりオケが凄かった。非の打ち所がない素晴らしさで、それを伝えるに私の文章力では全く力及びません。丹念な語り口であせらず一歩一歩進み、繊細さと馬力を兼ね備えるこのオケの特質が存分に発揮されて最後はとんでもない広さのダイナミックレンジになっていましたが、ホールの音響のおかげで爆音も耳に障らず、音の洪水にただただ身を委ねるのみでした。この大音響は演奏会形式ならではのもので、歌劇場付きのオケだったら歌手に配慮してこんな大音量は絶対に出さないし、出せないでしょうね。ソロ楽器も今日は皆さん冴えに冴えていて個人プレーも完璧。終演後は満員の客席が誇張でなく総立ちの拍手喝采になり、指揮者も独唱者も、疲労困ぱいしながらも充実した笑顔で拍手に応えていました。
 後で聞いたところでは、ロンドンも良かったけれど、オケのメンバーにとっても今日はまた特別に満足のいく演奏会だったということで、わざわざドルトムントまで聴きに来たかいは十分にありました。無いものねだりですが、もし今日が最初の発表通りポルガール・ラースローの青ひげ公だったら、もうどれだけ素晴らしかったことかと想像すると、まだ63歳の若さで急死されてしまったのは残念でなりません。


2011.01.16 Royal Festival Hall (London)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Stephen Hough (P-2)
1. Haydn: Symphony No. 92 'Oxford'
2. Liszt: Piano Concerto No. 1 in E-flat
3. Beethoven: Symphony No. 6 'Pastoral'

 一昨年のPROMSで聴いて以来のブダペスト祝祭管(BFZ)です。私が住んでいたころ、このオケの地元での人気は非常に高く、シーズン券で席はだいたいなくなってしまう上に、そのシーズン券も一般発売の初日には完売してしまうというプラチナチケットなのでした。そこまでシビアとは知らなかった最初の年は、発売開始時刻ちょっと前にBFZ事務所(近所だったのです)までのこのこ買いに行ったらすでに長蛇の列、3時間後に順番が回ってきたときには目当てのシーズン券はとっくに完売、垂涎の演奏会がたくさんあったのに、たいへん悔しい思いをしました。次の年、オンライン販売が本格的に始まったので、私は有給休暇を取って自宅のPC前で待機、念のため妻はBFZの事務所に整理券を取りに行って、万全の体制で臨みましたが、ちょっと危惧はしていましたがオンラインのほうは発売開始時間を待たずに回線がパンクし、にっちもさっちも繋がらない状態に。妻の整理券のほうも順番は相当後ろで、こりゃー今年もダメかなあと諦めかけていたところ、お昼過ぎにサーバが復活。どうも本格的にクラッシュしていたらしく、セールスがほとんど進んでいない様子でチケットがまだたくさん残っていて、PC前に張り付いて随時状況をうかがっていたかいあって、早いタイミングですかさず希望通りの席をゲットすることができました。翌年はBFZ事務所が移転したこともあってオンライン一本に絞ることにし、発売前夜の寝る前にちょっとサイトの様子を、と思って見てみたところ、日付が変わったとたんに何とチケットセールスがオープンになっている!担当者が前年のクラッシュに懲りたのか、発売開始予定時刻を待たずに夜中のうちにセールスを開けてしまったようでした。これ幸いとすかさず前年と同じ席のシーズン券をゲット、バカ正直に朝まで待たないで本当に良かったです。
 長い思い出話の前フリはともかく、本日のロイヤル・フェスティヴァル・ホールは当時を思い出す大盛況ぶり。リターンチケット待ちには長い列ができ、普段演奏会場で聞くことはほとんどないハンガリー語がそこかしこで飛び交って、かつてのバルトーク・コンサートホールの熱気が偲ばれて非常に懐かしい気分になりました。
 イヴァーン・フィッシャーは何かと小細工の好きな人で、まず1曲目のハイドン「オックスフォード」交響曲では、トランペット、ホルン、ティンパニにバロック式の楽器を持たせていました。よく見えなかったのですが、木管ももしかしたらそうだったのかも。序奏からもう完璧な弦楽アンサンブルで、精巧に仕上げられた彫刻のように隅々まできっちりと指揮者の手が入っています。その上に、あえて音程の危ういバロック楽器を乗せてくることで、合奏がキツキツにならずふくらみのある音楽に仕上がっていたと思います。普段ハイドンは苦手分野なのであまり語れませんが、弦をノンビブラートにしていないことからも、単に古典だからバロック楽器、という安直な思考ではなく、指揮者なりの完成像に向けたこだわりがありますね。
 次のリストでは、トライアングルを指揮者の目の前に座らせていましたが、これは多分そう来るだろうと予測していました。フィーチャーする楽器を指揮者の周りに配置する、というのは以前からよくやっていましたし、リストのこの曲は打楽器奏者の間では「トライアングル協奏曲」と呼ばれている曲ですから。ただ、今回私はChoir席でしたので奏者がよく見えましたが、前方の客席からはピアノの陰になって逆に見えにくくなってしまったのではないでしょうか。そのトライアングルですが、音が汚くて私はあまり関心しませんでした。楽団がもっと小型で澄んだ音の楽器も持っているのは知っているので、これも音楽が固くなるのを和らげる役割だったのかな。しかし、ここのChoir席の最大の難点は、ピアノ協奏曲の時にピアノがよく聴こえないこと。仕方がないことですが、ホールで一回反響した音しかやってこないので、別室で弾くピアノを聴いているような感じで、細かいニュアンスはわかりにくいし、手元も見えないし、どうしても興醒めしてしまいました。
 休憩後、ステージの真ん中に背の高い植木が持ち込まれていました。田園だから「木」?ストレートな小細工ですが、それを実際にやる人もあまりいません。奏者が席に着くと、楽器の配置にも細工がありました。弦楽器の数は1st Vn 14、2nd Vn 11、Va 10、Vc 8、Cb 6と傾斜的な配分になっていましたが、さらに、木管奏者が見当たらないなと思ったら、フルートは1st Vn、オーボエは2nd Vn、クラリネット・ホルンはヴィオラ、ファゴットはチェロの中に混ざって、2人バラバラに座っています。一方、後から出番が来るティンパニとトロンボーンはあえて他の奏者と距離を置いて舞台の右隅に窮屈そうに固められていました。青青とした牧草の茂る丘陵の真ん中に1本の木が立っており、そこかしこから鳥の声が聞こえてきて、そのうち遠くのほうから雷鳴が響いてくる、というヴィジュアルイメージをそのまま体現したような配置がコンセプトでしょうか。これもユニークで面白いです。演奏は、終楽章頭の1st Vnをソロにしてしまって嵐の後の清涼感を際立たせるなど細かい演出が散りばめられており、やはり隅々まで指揮者の思惑が浸透した、たいへん語り口の豊かな演奏でした。全ての要求にきちんと応えていくオケの力も凄いものです。聞けば、フランス・イギリス・アイルランド・ドイツ・アメリカへの16日間に渡るツアーとのことで、そんなアウェーの条件でもこれだけのクオリティを聴かせてくれて、BFZ贔屓の私としてはたいへん満足です。
 思えば2009年のPROMSでは少しよそ行きの顔だったのか、今日ほど本拠地でのレベルを再現してくれたとは思えませんでした。名前で損をしている面もあるかもしれませんが、このオケは本当に技術レベルが高いです。難しいバルトークのスコアをきっちり演奏できるオケをハンガリーに、というコンセプトでフィッシャー、コチシュらによって1983年に設立された比較的新しい楽団ですので、元々ヴィルトゥオーソ・オーケストラの性格を持っています。また、メンバーの大半はハンガリー人か、ハンガリーで音楽教育を受けた外国人で構成されていますので、バックグラウンドに均質な一体感があり、ただの名手の集まりではなく全体で優れた一つの楽器であるかのように鍛え上げられているオケです。私もけっこういろんなオケを聴きましたが、BFZを「一流」とすれば、これはさすがにBFZの上を行く「超一流」かも、と思えたのはコンセルトヘボウとベルリンフィルくらいでした。
 盛大な拍手喝采に応えてアンコールはハンガリー舞曲21番と、シュトラウスのBauern Polka、「田園」ポルカです。最後まで粋な演出を通しておりました。


2011.01.14 Royal Festival Hall (London)
Johannes Wildner / London Philharmonic Orchestra
Leonidas Kavakos (Vn-1)
1. Szymanowski: Violin Concerto No. 2
2. Mahler: Symphony No. 6

 昨年の生誕150年に続き、今年は没後100年のマーラーイヤー第二弾。年初からさっそくマーラーです。今日は元々ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが指揮者のはずがドタキャン、急きょ代役としてヨハネス・ヴィルトナーが招集されました。ズヴェーデンも初めて聴くはずだったのですが、ヴィルトナーは名前からして初めて聴きます。配布されていた小チラシで経歴を見ると、オーストリア出身、ウィーンフィルでヴァイオリンを弾いていて、指揮者に転向後はずっとオペラ畑中心に地道に活動してきた人のようです。偶然でしょうが、コンセルトヘボウのコンマスだったズヴェーデンと経歴が似ていますね。
 さて、登場したヴィルトナーは恰幅のよい巨漢で終始にこやか、ズヴェーデンのコワモテ(生で見ていないので私の勝手な印象ですが)からはほど遠く、明るいキャラクターのようです。1曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番、CDはありましたが、正直、馴染みのない曲です。カヴァコスを聴くのはこれで5回目、この人は本当にどんな難曲でも易々と弾くし、ヴァイオリンの音がでかい。Webで調べると、最近前のストラディヴァリを売って、別のストラディヴァリを買ったようですね。今度の楽器もたいへんよく鳴っています。この人のヴァイオリンは技術的にはもの凄いものだと思いますが、低弦のほうの音が終始濁っていたのがひっかかりました。ポーランド民謡を取り入れた民族派に属する曲という解釈だったのかもしれませんが、協奏曲ながらまるでソナタのように音響がすっきりと作られている曲なので、あえてワイルドさを演出する必要もないのでは。それと、この人のスタイルはけっこう朴訥というか、表情、表現というものが演奏にほとんど現れて来ないので、けっこうあっさり系です。最近聴いた中では、テツラフの役者ぶりや五嶋みどりの情念のほうが後を引き、気になってます。しかし何にせよ、カヴァコスをかぶりつきで聴けるというその体験自体、贅沢な至福の時間であることに間違いはありません。なお、オケ伴奏は手堅すぎて印象に残っていませんが、途中もうちょっとバックで盛り上げてダイナミックレンジを広く取ればいいのにと思った箇所はありました。
 さてメインのマーラー。前述のチラシには、「ヴィルトナーは、交響曲第6番の楽章配置はプログラムの記載通り演奏しますが、終楽章のハンマーは2回というオプションを選択しました」というようなことがわざわざ書いてありました。プログラムを買ってないのでこれはどういうことかと推測するに、ズヴェーデンは元々ハンマーをおそらく3回(以上)叩かせる練習をしていたということになり、すると中間楽章の順は昔ながらのスケルツォ→アンダンテに違いあるまい(昨今はすっかり正統派の地位を築いたアンダンテ→スケルツォの順で演奏する人が、ハンマーを2回を超えて叩かせるのは理論上考えにくい)と結論付けましたが、果たして実際に、演奏はスケルツォ→アンダンテの順でした。
 「ハンマー2回」を選択した、とあえて強調するということは、楽章の順はプログラムとの齟齬に配慮して(不本意ながら?)ズヴェーデンに従ったものの、本来は最新の研究結果を尊重する理知的スタイルの指揮者なんだろうか、と思って聴き始めたら、のっけから予測は大外れ。ポルタメントを効かせたベタベタに甘い表現とテンポの揺らし方はまるでバーンスタインのようです。こういう耽溺スタイルのマーラーは21世紀になってすっかり廃れてしまったように思いますが、私はけっこう好きです。代役ということもあるのでしょう、大きめの身振りで型通りに拍子を振って、明確すぎるくらい明確に指示を出していきます。オケも管楽器はずらりと人数を揃え、スタミナが切れることなく果敢に攻めてきます。LPOはあまり聴かないのですが、いつも以上にがんばりが見えました。第1楽章はコーダの畳み掛けもぴったし決まって出色の出来、スケルツォでも集中力は切れず、アンダンテで少しほっと力を抜いて(カウベルはちょっとやかまし過ぎましたが)、複雑な終楽章は耽美派らしく、ヘタに組み立てなど考えず、来る球来る球を全力で打ちに行くのみです。オケは最後まで破綻せず、終始よく鳴っていました。ラストの衝撃的なフォルティシモは、インテンポで意外とあっさり流してしまったので、どうせなら最後まで耽溺系でねっとりと締めくくって欲しかったです。
 もちろん今日は急きょ代役で指揮台に立ち、崩壊させずにここまでLPOを鳴らし切るべくリードできたのですから、十二分に成功でしょう。終演後は汗が滴り落ち、顔は真っ赤に紅潮して、相当血圧が上がっていた感じです。高揚して何度もコンマスや奏者に握手を求め、「また呼んでくれよな」とセールスするかのよう。フェアな評価として、非常に立派な好演だったと思います。しかし今日の演奏、どこまでズヴェーデンの解釈の名残があって、どこまでがヴィルトナーのオリジナルなのか、興味深いところです。ズヴェーデンの硬質(であろう)演奏も、またどこかで聴いてみたいものです。


2011.01.09 London Coliseum (London)
English National Ballet
Alex Ingram / The Orchestra of English National Ballet
Rudolf Nureyev (Choreography), Ezio Frigerio (Design)
Arionel Vargas (Romeo), Elena Glurdjidze (Juliet)
Juan Rodríguez (Mercutio), James Streeter (Tybalt)
Fabian Reimair (Benvolio), Zhanat Atymtayev (Paris)
Anaïs Chalendard (Rosaline), Laura Hussey (Nurse)
1. Prokofiev: Romeo and Juliet

 日曜のマチネに家族で行ってきました。これまで見たROH、バーミンガムの「ロメオとジュリエット」はいずれもマクミラン版でしたが、このイングリッシュ・ナショナル・バレエはヌレエフ版を採用しています。一番最初に買ったこの曲のDVDがパリ・オペラ座バレエによるヌレエフ版で、舞台の奥行きが違うためセットは多少異なるものの、踊りと衣装は基本的にDVDほぼそのままでした。
 イングリッシュ・ナショナル・バレエは昨年末の「くるみ割り人形」が今一つだったのでほとんど期待しなかったのですが、意外にも期待は良いほうに裏切られました。ロメオはキューバ人の若きプリンシパルですが、カルロス・アコスタほどアクの強い顔ではなかったので、イタリアの物語でも違和感はありませんでした。ジュリエットもシニア・プリンシパルということだったので老け具合を危惧しましたが、おばさん顔じゃなかったので一安心。ただし少女というよりも大人の女の雰囲気です。無垢な少女らしさを表現するのがちょっとわざとらしく見えてしまう箇所がありました。とにかく主役のこの二人が、ソロでの踊りは安定感があってたいへん上手い。他のダンサーから抜きん出ていました。一方で肝心のデュオではちょっと慎重になり過ぎでぎこちなさもありました。
 準主役のマーキュシオとティボルトはどちらも若手のようですが、こちらも各々の役どころをしっかりと押さえたケチのつけようがないダンスでした。特にマーキュシオはコミカルな動きから亡霊の佇みまで幅広い芸風で、是非今後も出てきて欲しい有望株でした。
 オケは「くるみ割り」とは打って変わって力強く説得力のある音で、金管に多少難があったのを除けばオケは大健闘と言ってよいかと。ROHまでには及ばないにしても、ここまでやってくれるとは驚きです。しかし、ヌレエフ版の特徴として全体的にテンポがスローであり、聴き手には時々忍耐を要求します。幕間の息抜きは絶対必要ですね。
 演出は逐一説明的なビジュアルで、かゆいところに手が届くわかりやすさがある一方、半裸のスキンヘッド死神が出てきたり、ティボルトとマーキュシオの亡霊がジュリエットに各々ナイフと薬で自決させようとするところなど、解釈に苦しむ奇抜なアイデアもふんだんで、なかなか奥が深い演出と思います。ただ、下品な悪ふざけが多く、クラシックバレエにしては男同士のからみがある(しかも多い)のは、やはりヌレエフだからなのかな…。


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