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   悶絶!テレビの変な日本語~①体言止め~

                   
諸川麻衣(放送を語る会会員)

 日頃テレビを見ていて「なに、このおかしな日本語?」と気になることが多々ある。その一部を披露して、筆者個人のストレス発散の場とすることをお許し願いたい(あえて、「させて頂きます」というこれまた不快な言い回しは使わない!)。 今回は「体言止め」を俎上に載せたい。体言止めとはNHKの番組でよく耳にする「日本の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争」のように、文章を動詞や形容詞のような用語ではなく名詞=体言で終えることを言う(アジア太平洋戦争の発端は、真珠湾攻撃ではなくマレー上陸作戦だが…)

 体言止めは慣習的に、最初に場所や主人公・テーマなどを提示する際に使われることが多い。今年2月15日に放送された『ETV特集 救うことで救われる 日本被団協 原爆被害者の闘い』から例を示せば、冒頭の「2024年のノーベル平和賞を受賞した日本被団協」「1945年8月、広島と長崎に投下された原子爆弾」がそれに当たる。ところがいつの頃からか、特にNHKスペシャルやETV特集で、体言止めがいたるところで乱用されるようになった。新しいシーンの冒頭をきまって体言止めにしたり、あるいは、普通に一文にすればよいのにわざわざ「①体言止め」→「②用語で終わる文」のように分けたりするのだ。例えば上記ETV特集の「原水爆の禁止だけでなく、国による被害者の救済も訴えた被爆者たち。しかしその主張は運動の主流にならなかったと言います」「一方、署名も批准もしていない日本政府。核保有国が参加していないことなどを理由としています」で何の問題があろうか?この番組の場合、ナレーションのの文章は全部で126。その17%を超える22が体言止めだった。実はこれは控えめなほうで、10年ばかり前に無作為に選んだ1本のNHKスペシャルで数えてみたところ、約3割が体言止めだった。「いくら何でも異常では?」とぞっとした記憶がある。
 そもそも体言止めは日常会話ではまず使われない。例えば「昨日銀座に行ったら、外国人観光客がわんさかいてびっくりしちゃった。そしたら三越のバック売り場でばったり金子さんに会って…
彼女、来月結婚するんだって。式の準備で大忙しだってぼやいていた」みたいな喋り方はごく普通だが、これを次のように言う人はまずいないだろう。いたら奇異の目で見られること間違いない。
 「多くの外国人で観光客で賑わう東京・銀座。昨日私は、その銀座で金子さんに出会いました。結婚を来月に控えているという金子さん。この日は、バックを買い求めるためにデパートに足を運びました。結婚式の準備に忙殺される日々。心の中にストレスが蓄積されていると彼女は言います」
 つまり体言止めの背景には「この文章は日常的・世俗的な語りではない。非日常の重々しい語りなのだ」という書き手の価値観があるらしいのだ。NHKスペシャルには「Nスぺハ格調高く体言止め」という規範意識があるのだろうか?そして若手ディレクターも「コメント直し」と呼ばれる長時間拘束の中で、何でも体言止めにするよう鍛えられるのだろうか?かたやNHKでも学校教育番組には体言止めはまずないし(小学生が体言止めで心打たれるとは思えない…)民放のドキュメンタリーでも体言止めは、もしあってもほとんど気にならない。知らず知らずの縛りがないのだろう。
 実は、今世紀に入ったころからか、NHKではニュースでも体言止めをを多用するようになった。ある日のNHKニュースをざっと見たところ、朝7:00のニュースでは珍しく使われていなかったのに、19:00のニュースでは、スタジオでの前振りにまで「新年度予算をめぐる駆け引き」と体言止めが使われていた。
ニュースというのは視聴者が知らない新しい出来事=動きを伝えるものなのだから、ちゃんと動詞で「◎◎が××しました」と言ってくれないとまずいと思うのだが…。なお使用頻度は日によってばらつきがあるようだ。
 誤解のないよう強調しておくが、体言止めの割合と番組の良しあしに相関関係は全くない。体言止めの連発で視聴者を食傷させるにもかかわらず秀作という番組は、枚挙に暇がない。今回例に引いた『救うことで救われる』も、何らかの賞を受賞して当然と思われる素晴らしい力作であった。だからこそ、心ある制作者の皆さんには、体言止めをしばし忘れ「すんなり耳に入る文章」を意識してほしい。と家族に話したら「短くしたいだけじゃない?」と一蹴された。皆さんどう思われますか?

                          (2025年4月号)


       タブー、冤罪、虐待を告発するNHKのテレビ番組

                       今井潤(放送を語る会会員)

 若者のテレビ離れ、またオールドメディアと呼ばれるようになったテレビだが、公共放送NHKをウオッチングしていると、社会に警鐘を鳴らし、忘れてはいけない重要な問題を提起する番組がある。今回はその中から3つの番組を紹介してみたい。

(1)身障者が発信する「バリバラ」

   この3月番組を終了する「バリバラ」(バリアフリー・バラエティー)は2012年4月にETVで始まった日本初の障害者のためのバラエティ番組である。身体の不自由な障害者が演じる演芸や芸術を表現する番組で、人気を得てきた。これまで、NHKはETV特集で未解放の同和問題を歴史学者の討論などで取り上げ、結婚、就職など人権問題として問題提起してきたが、「バリバラ」では学者でなく、同和地区の若者たちの発言により、差別問題を議論した。市民団体「放送を語る会」は2017年3月「バリバラを知っていますか」というタイトルで、「バリバラ」の担当ディレクターに番組制作の苦労話を聞いた。

2020年5月米国で黒人男性が警察の暴力で圧死した事件で始まったブラックライフマター(BLМ運動)では、このブラックを日本の同和問題と対比して、差別問題として企画したこともあった。「バリバラ」の伝統を継承するであろう番組では、最近SNSを通して広まる人権へのデマ・中傷の問題に毅然とした対応をしてほしいと思う。

(2) 冤罪を告発したNHKスぺシャル「大川原加工機」事件

  生物兵器の製造に転用可能な噴霧乾燥機を輸出したとして2020年3月警視庁公安部が横浜の大川原加工機の役員3人を逮捕したが、ずさんな捜査により、冤罪が明らかになった事件。役員側は一貫として無罪を主張した。NHKはETV特集やNHKスペシャルで事件を報道、今年1月にはNHKスぺシャル「“冤罪の深層”警視庁公安部内部音声の衝撃」で公安部の捜査員のやり取りの録音を中心にこの事件の犯罪性を明らかにした。

 背景として、国の経済安全保障があり、中国が日本企業関係者に接近、働きかけていた。

中国の国家戦略の脅威があったことは間違いない。大川原加工機と中国軍需産業とのつながりも2017年11月に報じられたが、大川原加工機の機械が軍事転用された事実は見つかっていない。

 2024年12月、ある警察関係者から申し出があり、亡くなった大川原加工機の顧問相沢静男さんに謝罪することになった。遺族との面会で、警察側はこの冤罪は警察による犯罪だったと伝えたという。

(3) 精神医療の虐待を告発したNHKスぺシャル

  2024年12月14日放送の「死亡退院・闇の実態の衝撃」は東京・八王子市にある滝山病院で行われた入院患者に対する虐待の実態を映像と音声で暴露し、大きな反響を呼んだ。2023年からETV特集やNHKスぺシャルで報道されたものをさらに取材を進め、特に院長の関わりを告発する内容になっている。

八王子の滝山病院。2022年4月入院患者に会った弁護士に「もう帰りたい、チクったとして殺されます」と言われたが、面会から1か月後、急死した46歳の男性、急性心不全だった。2023年2月東京都の役人が立ち入り調査し、5人を患者への暴力容疑で逮捕した。

滝山病院事件の第3者委員会の報告書によると、過剰医療が行われていて、病院スタッフの証言では「薬はどんどん繰り返して使う」「濃厚な治療をする、お金をとれるでしょ」

院長の報酬は2021年度で6320万円と増えていた。その朝倉院長は2001年埼玉県の朝倉病院事件で、保険医の資格を失ったが、5年前復帰した。

 都内の精神科病院の職員は「滝山病院へ行ったら最後、評判は悪いし、必要悪だ」

と話す。 番組では8月に辞任した朝倉院長に直撃インタビューをした。

「申し訳ないと思っているが、行くところがない方ばかりだった、どこも看てくださらない、という方ばかりだった、手を尽くしたということだけはわかっていただきたい」

弁護士の八尋光秀さんは精神疾患の患者の差別的扱いに問題があるという。

「あの人は精神の障害があるらしいからしょうがないね。あれは精神科病院の問題と思ったら大問題です。医療を受けたいと思っている人がいるのに精神の問題がある人だからやりません、これは絶対に許されないんです。そこが変わらないと変わらないです」
                             (2025年3月号)


           「議事録隠し」は「放送法違反隠し」
       
  ~NHK前経営委員長の言動を検証する~

                       小滝一志(放送を語る会会員)

 経営委員長に、遅滞なく議事録を作成し公表することを義務付けた放送法41条に違反して、6年間も非公開だったNHK経営委員会議事録が昨年12月18日NHKホームページに公表された。公表された議事録は、2018年10,11月開催分の中の、郵政3社からの「クローズアップ現代+」に対する抗議文書を議論し、上田会長(当時)に経営委員会が「厳重注意」した部分だ。メディアや市民団体が数年越しでNHK情報公開制度などを利用して繰り返し開示を要求し、訴訟にも持ち込んでいたが、森下俊三経営委員長(当時)らが頑なに公表を拒否してきたいわくつきの議事録だ。
 公表のきっかけは昨年12月17日東京高裁での「NHK文書等開示請求訴訟」控訴審の和解。原告の主張が全面的に認められ、議事録の公表と森下氏が責任を認め解決金98万円を支払うことで合意したことによる。

今回、公表された3回分の議事録を読むと、なぜ森下氏らが頑強に公表を拒んできたかその理由が鮮明に浮かび上がる
 
2018年10月9日、日本郵政三社幹部からの手紙をめぐって議論が始まる。かんぽ不正を取り上げた「クローズアップ現代+」に対し「あたかも詐欺、押し売りなどの犯罪的営業を、組織ぐるみでやっているかのような印象を与えるもので、同社の名誉を著しく毀損する内容」と非難、「経営委員会におかれましては、必要な措置を講じていただきたく、よろしくお願いいたします」と結ばれていた。森下氏(当時は経営委員長代行)が口火を切る。「日本郵政が詐欺まがいの商売をやっているという、そういう番組だった」。「やり方としては、非常に乱暴なやり方」「現場の取材をしていない」「インターネットで来た意見をベースに自分たちで動画をつくって……」などNHK経営委員であるにもかかわらず、番組や制作スタンスへの理解・共感を全く示さず、終始一貫郵政の代弁者のような番組攻撃を展開した。

「クローズアップ現代+」が放送されたのは、経営委員会の議論の半年ほど前2018年4月24日で「郵便局が保険を“押し売り”!?」のサブタイトルで、その後のメディアの「かんぽ不正報道」に先駆けた優れたスクープだった。そのことは、抗議文書を寄せた当事者・郵政三社幹部の一人長門日本郵政社長(当時)が、後の記者会見で「今となっては(番組は)全くその通り」と認め謝罪したことが証明している。

 経営委員会では10月23日につづきの議論が展開され、監査委員会から「危機管理対応窓口、制作担当部局長、放送総局長・専務理事、上田会長にいち早く報告されており、協会の対応についてガバナンス上の瑕疵があったとは認められない」と報告され、他の経営委員から「経営委員が禁じられている個別番組介入に抵触するのではないか」と疑問や懸念が出されたにもかかわらず、森下氏は「取材も含めて、極めて稚拙」「極めてつくり方に問題がある」「インターネットの上だけで番組を作っている」「取材はほとんどしてない」などと繰り返し番組攻撃、森下氏の主導で上田会長に対し、「視聴者目線に立った適切な視聴者対応が行われるよう、必要な措置を講ずること」と「厳重注意」した。

 経営委員会の措置が、抗議を寄せた郵政三社の意に沿うものであったことは、11月9日の経営委員会で紹介された日本郵政株式会社の鈴木副社長からの次のような「感謝の文書」からも明らかだ。「このたびは当グループからのお願いに際し、執行部に対し早速に果断な措置をとっていただき、あつく御礼申し上げます」「当方からのお願いにつきましては、貴委員会にても、また執行部にても、十分意のあるところをおくみ取りいただいた」。

森下氏がなぜこのような郵政の肩を持った番組攻撃を展開したのか。ここに興味深い報道がある。「鈴木氏は、2018年9月25日森下氏と面会、NHK執行部への不満を伝え、『経営委で検討して欲しい』と要請」(2019.10.27「毎日」)2人が面談した9月25日は、経営委で論議が始まる10月9日の直前、鈴木氏は元総務事務次官で森下氏とは旧知の間柄、森下氏は「経営委に正式に申し入れてほしい」と伝えたという。

 この度公表された議事録から読み取れるのは、森下氏が経営委員として全く不適格だったことである。NHKを外圧から守る防波堤の役割を期待され、「放送の自主・自律」(放送法3条「放送番組は、何人からも干渉され、または規律されることはない」)を最も大切にしなければならないNHK経営委員である森下氏が、番組を非難する郵政幹部と事前に密かに面談し、その意を受けて放送法32条に反して、経営委員会で「クローズアップ現代+」という個別番組に干渉し、その放送法違反を隠ぺいするために放送法41条違反の「議事録隠し」を長期にわたって続けた。経営委員が数々の放送法違反を繰り返していたのだ。

 経営委員としての森下氏の認識や資質を疑わせる場面にも遭遇した。視聴者・市民が議事録開示を求めた「NHK文書等開示請求訴訟」一審東京地裁での被告森下尋問だ。

NHK 代理人「『取材が稚拙だ。取材していない』」という発言は、番組への介入ではないか?

森下「過去の番組への感想です」「経営委員会が、放送内容に介入できないことはも ちろん知っていた」。

原告代理人「あなたにとっての“視聴者”とは誰のこ とですか?」

森下「  郵政3 社も視聴者に入ります」

原告代理人「かんぽ生命保険の不正販売の被害者は、視聴者に入っていないのですか?」

森下「 入っていません」

森下氏の回答に法廷は一瞬どよめいた。かんぽ不正販売の被害者や一般視聴者は眼中になく経営委員森下氏の認識では、「視聴者」=郵政三社なのだ。そして、禁止されているのを知りながら個別番組に干渉したことを、「介入ではなく感想」と平然と嘘をついた。

 経営委員の不適格者・森下氏を異例に長期の3期9年間、経営委員に任命し続けた自公政権の任命責任もここで改めて問われなければならない。

 そして、このような人物が選ばれてしまう経営委員選任制度ばかりでなく、放送行政全体の見直し(例えば独立行政委員会制度の導入など)も、先の衆議院選挙で与野党逆転した新しい政治状況の下で市民運動の新しい課題になるであろう。
                           (2025年2月号)



        復活・放送フォーラム 制作者と市民をつなぐ
            
                  
 古川英一(放送を語る会事務局長)

2025年の幕開けになる今月号の談話室では、語る会にとってちょっといい話を。
 放送を語る会の活動の大きな柱の一つが「放送フォーラム」の開催だ。主にテレビのドキュメンタリー番組について制作者が市民と語り合う場、「出し手」と「受け手」が意見を交わしながらお互いの理解を深めていこうという場を目指してきた。コロナ禍などで、休止していたのだが、ようやく去年11月30日ちょうど5年ぶりに復活(再開)することができたのだ。渋谷区の勤労福祉会館を会場に、コロナ禍以降広まったオンラインでの配信の2段構えで合わせて40人近くが参加した。
敗戦から79年 今改めて戦争と平和を考える
 講師はNHKエデュケーショナルのプロデューサーの塩田純さん。長年、日本とアジアの近現代史をテーマにNHK特集・スペシャルやETV特集などの作品を数多く手がけてきた。この日は、夏に放送したETV特集「無差別爆撃を問う~弁護士たちのBC級横浜裁判」を取り上げ、ねらいや取材・制作の過程について具体的に検討した。番組の核になっているのは、神奈川県弁護士会が20年以上にわたって続けてきたBC級横浜の調査だ。その調査をもとに、名古屋や台湾での米軍の無差別爆撃こそが戦時国際法に違反することを当時の弁護団が指摘していたことを明らかにしていく。塩田さんは、神奈川県弁護士会で調査を率いた弁護士がこの番組の完成を見ずに亡くなったことに触れ、塩田さんに早く番組にしてほしいとせかしたこと、そして番組に映るシーンでは涙ぐんでいたことをあげ「この番組が彼にとっては遺言のようなものではなかったか」と話す。 そのうえで「ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザへの攻撃を、国際社会は止めることができない。だからこそ国際法から無差別爆撃を問おうとしていた横浜裁判の検証から現代の問題を考えてほしい」と訴えた。
 塩田さんは30年以上にわたって日中戦争や、朝鮮半島の問題、昭和天皇、憲法9条など現代史を中心に番組を作ってきた。その姿勢は加害の歴史を一時資料と証言で取材してくことに貫かれている。「個人的には父親の戦争体験があり、なぜ日本は戦争をしたのかを明らかにしていきたかった」と話す。こうした話をじかに聞けるのも放送フォーラムならではのことではないか。
放送フォーラムの歩み 
 ここで語る会の放送フォーラムを振り返ってみよう。今回で62回目、ということはいつごろから始まったのか、第1回のフォーラムは今から23年前の200111月に開かれている。テーマは「ETV2001問題を考える~制作現場からの発言」と題して映像ジャーナリストの坂上香さんが講演をした。その後も年に4~5回の割合で開かれ、番組制作の裏話から、国際情勢、公共放送NHKの在り方を問う連続企画などテーマは実に様々だ。中には韓国KBSの記者が「私のみた日本のニュース」を語るというユニークな企画もあった。コロナ前の61回は「NHK・かんぽ不正問題を検証する~なぜ起きた?会長への厳重注意」をテーマにパネルディスカッションを開いている。この問題についてはのちに語る会のメンバーも原告団に加わって「NHK文書開示等請求訴訟」を起こす動きにもつながっていく。時間が遡るのなら、今からでも聞いてみたい内容がてんこ盛りではないかと思う。だからこそ今回、5年ぶりに再開できたことは語る会にとっても意義があることだ。
 このところの一連の選挙ではSNSの影響力が指摘され、テレビや新聞などはオールドメディアとして対置されその影響力の低下がますます指摘されている。こうした状況について語る会としても十分に把握したうえで、ではテレビ・放送ジャーナリズムはどうあるべきかをつきとめていくべきだろう。こうした視点をテーマにした放送フォーラムについても今年は開いていこうと考えている。語る会、今年もフル回転に。
                          (2025年1月号)


    

    ~衆院選でも選挙報道をチェック!語る会のモニター活動~

                    古川英一(放送を語る会事務局長)

 10月27日衆議院選挙の投・開票日。日本の政治は変わるだろうか、いや私たち有権者が、「変える」ことができるだろうか。午前中、近くの小学区で祈るような気持ちで一票を投じた。夜の開票速報まで、この日はなんだかそわそわと過ごす。
 夜8時前、テレビの前で、カウントダウンを待つ。事前のマスコミ各社の予想では、自公の与党は過半数割れ、裏金問題では非公認の候補にも自民党本部から2000万円が渡されていたことを「赤旗」がスクープ、投票行動にどのような影響がでるか・・・夜8時。まずNHKの開票速報。「自民・公明両党は目標としていた過半数の233議席を確保するのは微妙な情勢」「自民党は単独で過半数に届かないことが確実な情勢」「立憲民主党が選挙前から大幅に議席を増やすのが確実」と報じる。続いて、チャンネルを変えて民放の開放速報に目を転じる。テレビ朝日「自公か過半数割れか大激震」TBS「自公過半数割れの見通し」フジ「激震…自公過半数割れも」。そしてNHKは日付が替わって28日の午前0時20分過ぎに「自公の過半数割れ確実」と伝えた。
 10年あまりにわたった“安倍一強政治”。与党が選挙に勝ちさえすれば、それが民意とばかり国会を軽視し続けた政治にようやく終止符を打つことができると、この日ばかりはずっと頭の上を覆っていた重い雲の間から光が差し込んだような気持ちになった。

語る会の衆院選モニター活動

 さて、放送を語る会では今回も衆院選のモニター活動に取り組んだ。期間は石破政権が発足10日でスピード解散した10月9日から15日の公示をはさみ投票日前日の26日まで、該当するニュース番組のない日曜日をのぞく16日間だ。テレビの報道がどのように衆院選を取り上げ、なによりも有権者が投票をする際に、参考になる情報をどれだけ視聴者に届けられているのか(投票行動に資する報道)を受け手の視聴者の側から検証していこうというのがねらいだ。
 ウオッチする番組は▼NHKのニュースウオッチ9とサタデーウオッチ9▼テレビ朝日の報道ステーションとサタデーステーション▼TBSのnews23と報道特集▼日本テレビのnews zeroのあわせて7つのニュース番組に絞った。東京と大阪の語る会のメンバー11人がモニターとして参加し担当の番組を視聴して、衆院選のニュースが出た順番(オーダー)と放送した時間、それに内容について詳しくチェックしていく。大阪のメンバーが、放送番組の字幕を書き出せるソフトを駆使して、担当者にデータを送ってバックアップ。メンバーの総力でモニター活動をやり遂げることができた。 
 その後のメンバーの検討会で出された意見について少しばかり舞台裏を紹介。まず全体の印象として、衆院選の1月前に行われた自民党総裁選の時の過熱した報道(その意味でまさに自民党電波ジャックは成功したとも)と比べると、衆院選の報道量は圧倒的に少なかったのではないか。安倍政権のもと放送などメディアへの介入があからさまだった時の衆院選の時ですら、もっと報道をしていたのではないか、という意見が出た。確かに今回は、衆院選がトップニュースになったのは全番組でも7回だけ、民放局のなかには大リーグ・大谷選手の活躍を大きく取り上げ、期間中衆院選のニュースをまったく出さない日もあったほどだ。
 今回の選挙の大きな争点は自民党の裏金問題。裏金・旧統一教会との癒着などで問題になった候補の選挙区を取り上げたリポートは各局とも横並び感。暮らしや安全保障の問題を掘り下げた企画はほとんど見当たらず、「投票行動に資する」報道、私たちの参考になる情報はなかった、と内容についても手厳しい声が大勢をしめた。
 一方でネットメディアの中には、投票行動に結びつくような内容の濃い番組もあり、これからは選挙報道もSNSに取って代わられるとの指摘もあった。確かに若い人たちの多くがテレビなど持たずSNSで情報を得ているのが実情(テレビにかじりついて開票速報を見るのは、今や中高年層か)。これに対し選挙など大事な局面を伝えるコンテンツの質を高めていくことでテレビという媒体の必要性を高めていけるのではないかと前向きな意見も出された。こうした意見もふまえモニター報告をまとめていきたい。
 選挙番組のモニターは情報の伝え手であるメディアに対する私たち受け手の通信簿であり、私たち自身のメディアリテラシーのレッスンでもないか、モニターに参加した一人としての感想だ。
                            (2024年12月号)


 

      NHK国際放送は政府の宣伝・広報機関ではない                       
                         小滝一志(放送を語る会会員)

    NHKは、910日調査報告書「ラジオ国際放送問題への対応について」を発表、傍田賢治国際放送担当理事が辞任した。
 事件の発端は、819日、NHKラジオ国際放送の中国語ニュースで、靖国神社の落書き事件を伝えた後、中国籍の外部スタッフが原稿にはない次のような文言を付け加えたことだ。中国語で「釣魚島と付属の島は古来から中国の領土です。NHKの歴史修正主義宣伝とプロフェッショナルでない業務に抗議します」。その後、英語で「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな。彼女らは戦時の性奴隷だった。731部隊を忘れるな」。さらに、ニュースの中でも原稿にはない「軍国主義」、「死ね」などの抗議のことばが書かれていたという文言を加えて放送した。
 中国籍外部スタッフの行為は、NHK会長が記者会見で「放送の乗っ取りとも言える事態」と述べたように、客観的に正確な事実を伝えるべきニュースに、原稿にはない私的見解を差しはさむというやってはならない許し難い行為であることは論を待たない。しかし、中国籍外部スタッフは、2016年には「中国は一党独裁で、政局の予測が不可能であり、年齢などの自分のプライバシーを公表することは控えてほしい」と中国当局の反応への不安や懸念をNHK職員に伝えていたという。早くからわかっていた外部スタッフの微妙な立場に配慮しなかったNHK側の使用者責任は問われないのだろうか。
 NHKは当初「生放送中に原稿にない発言をしたこと」を問題視、事前収録などの再発防止策を講じたが、822日、稲葉会長が自民党情報通信戦略調査会に出席後は「日本政府の公式見解とは異なる発言が国際番組基準の抵触することを重視するようになった。  827日の経営委員会では、会長が「国際番組基準に抵触する極めて深刻な事態」と報告、深くおわびした。委員からは「国際番組は日本の視座を発信するのが大命題」「日本の視座を国際的にきちんと伝達していくのが、国際番組の最も重要なところのはず」「わが国の政策と全然違う話をしたときにすぐ止められない体制、これがいちばん大きな問題ではないか」などの発言があった。

  私は、この経営委員の発言にNHK国際放送を政府の代弁者・政府の広報機関と誤解しているのではないかと強い違和感を感じた。確かにNHKが自ら作った国際番組基準では、「わが国の重要な政策および国際問題にたいする公的見解ならびにわが国の世論の動向を正しく伝える」とある。しかし、これは、フォークランド戦争の際、BBCが「わが軍」と言わずに「イギリス軍」と言った例を引くまでもなく、政府の政策や公的見解を客観的事実として伝えることで、NHKが政府を代弁して自らの主張や見解のように伝えることではないはずだ。文末には「わが国の世論の動向を正しく伝える」とあり、異なる意見も含めて客観的に伝えると明記していることにこそ留意すべきだ。
 放送法では、総務大臣はNHKに対し、国際放送で放送事項などを「要請」することができるとされている(第65条)。しかし、直ぐ後の条文に「要請をする場合には、協会の放送番組の編集の自由に配慮しなければならない」と歯止めが掛けられている。NHKも政府の国際放送に関する「要請」に対し、毎年、経営委員会で議論し、「放送の自主・自律が保たれている」ことを確認したうえで受け入れている。
 私が、この事件の経過の中でもう一つ強い違和感を覚えるのは、NHK幹部が真っ先に自民党に報告に出かけていることだ。稲葉会長ら幹部は、事件直後の822日、自民党情報通信戦略調査会に出向いて報告している。経営委員会(27日)、衆議院総務委員会(28日)、参院総務委員会(29日)に先立っての報告だ。さらに調査報告書が公表された翌日(911日)にも調査会に出向いて説明している。こうした政権の意向を忖度した幹部の姿勢は、NHKの自主自律への視聴者の疑いをさらに強めると言わざるを得ない。従来から、こうした自民党内の会議にNHK幹部が出かけて吊るし上げられ、政治介入の舞台になっていることは周知の事実だ。たとえ与党とは言え、一政党の内部の会合に出席する慣習は見直すべき時期ではないか。
 今回の失態につけ込んで政府与党が「政府の公的見解以外は伝えないNHK国際放送」にしようとする圧力を強めてくることを危惧する。NHKは萎縮せず、国際放送においても「自主自律」を貫いてほしい。
                         (2024年11月号)



    戦後79年――夏のテレビ番組をモニターして 

                      五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 夏が近づくと浮かんでくる俳句がある。
 八月や六日九日十五日 
 詠み手が誰か知らないが、私のなかに自然にでてくるくらい日本の夏をあらわしている俳句だ。「八月のジャーナリズム」と揶揄する傾向もあるが、テレビでどのように戦争と平和を取り上げるか、この夏も注目した。8月26日、テレビを中心に番組を視聴しモニターした結果を国際婦人年連絡会・教育マスメディア委員会はNHK
ハートプラザ(視聴者の意見を受け付ける窓口)に届けた。毎年夏「平和と戦争を考えるテレビ番組のモニター記録」を作成し、主にNHKに届けてきたが、昨年は33本、今年は47本のモニター(私も参加)結果をNHK担当者に手渡すと「こんなに見ていただいて…」と驚かれたという。内容について「平和と戦争に関する番組が特集・通常を通して昨年にまして多く制作されている」「79年を経てさらに新しい事実を掘り起こして伝えている」意欲を評価、一方「よい番組なのに放送時間が遅い」「若者を巻き込んだ番組づくりを」「加害責任にも焦点を」などしっかり要望、5人の参加者が制限時間15分をはるかに超え30分余りの申し入れとなった。

 ◆NHKスペシャル「グランパの戦争~従軍写真家が遺した1千枚~」に注目
「慰安婦」問題&ジェンダー平等ゼミナールに加わっている私が注目してモニターした番組は、8月16日放送NHKスペシャル「グランパの戦争~従軍写真家が遺した1千枚~」。夏の番組紹介や予告で「特殊慰安施設」RAAに関することが取り上げられると知った。数年前のある講演会(主催:「慰安婦」問題&ジェンダー平等ゼミナール)でRAAの研究者平井和子さんの話を聴いて、日本政府が戦後「特殊慰安協会」をつくったことに怒りを覚え、知らなければと思っていた。
 米軍の従軍カメラマンだった祖父が遺した写真、激戦地硫黄島での無残な兵士のおびただしい死体、日本人捕虜たちと写る祖父の笑顔の写真や終戦後の日本の街角の記録などのほかに、米兵と笑う裸の日本女性の写真やダンスホールで米兵と踊る女性たちの写真など、なぜ祖父が遺したのか不明な写真が300枚近くあった。それがどういうことを意味しているのか――来日して調査するオランダ在住の写真家マリアンさんを番組は追跡、マリアンさんに付き添って調査に加わるRAA研究者平井和子さんの姿があった。
 戦後、進駐軍として押し寄せる米兵に対する「性の防波堤」として、戦地で夫を亡くしたり焼けだされたりして生きるすべを求める女性たちをかり集めた「慰安施設」RAA、それは日本各地にあった。
 飲み物の値段と女性の時間あたりの料金が同じボードに表示されている料金表、支払い方法は英語で「アメリカ政府に従い円か軍票のみ可」との写真もあり、日本とアメリカ政府の合意で運営された施設での写真であることを理解したマリアンさん、祖父の遺した不都合な写真も含めて公開する決意を固め、帰国した。
 番組での驚きはまだあった。RAAの提案者は坂信彌(当時の警視庁長官)、彼が戦前は日本軍「慰安婦」制度もつくったとコメントし、長男が悪びれることなく「慈善だ」と取材に応じていた。「慰安婦」制度は、戦前も戦後も坂信彌の起案によるものと主張していた人「藤目ゆき」(※大阪大学教授)の名前が最後のテロップに表示され、合点がいった。著名な歴史学者や研究者の協力を得て制作されており、制作者たちの意欲を感じた。

 
NHKは「慰安婦」問題に関して、2000年12月に開かれた「女性国際戦犯法廷」番組を巡って当時の安倍晋三内閣官房副長官の「一言」で番組を「編集(=改ざん)」した事件以降、その再放送をふくめ、アーカイブでも見られない状態、ましてや「慰安婦」問題の企画も取り上げずに来ている。かろうじて黒川村の「性接待」被害者の告発を丁寧に追う番組が制作されたことくらいである。その点から考えると前進しているととらえたい。来年は戦後80年。「新しい戦前」と言われる今、日本社会が戦争をどうとらえてきたのかもふくめ、戦争を知らない世代にわかるように伝える努力を願わずにはいられない。

「放送を語る会」も
 「放送を語る会・大阪」はホームページに2024年「終戦特集番組」への投稿を呼びかけ、掲載してきた。3年前から同じ主旨で番組の感想を寄せてもらってきたが、今年は9月1日までに30件の投稿があり、テレビ各局のホームページに感想文をまとめて送付したことを付記する。
                            (2024年10月号)


       

       放送は「南海トラフ予知村」からの独立を

                 
諸川麻衣(放送を語る会会員)

 8月8日夕方、日向灘でモーメントマグ二チュード(Mw) 7.0の地震が発生、これを受けて気象庁は同日夜、初めての「南海トラフ臨時情報(巨大地震注意)」を出した。南海トラフ沿いでMw6.8以上の地震など普段と異なる現象が観測された場合、専門家の評価検討会が巨大地震との関連を検討することになっている。今回その検討会での議論を経て、「南海トラフ域での大規模地震の発生可能性が相対的に高まっている。1週間程度注意し、日頃の地震への備えを再確認するように」との臨時情報が出されたのである。
 NHKは同日夜、『ニュース7』を延長して115分にわたってこの件を扱った。中継された記者会見で評価検討会会長の平田直・東大名誉教授は『南海トラフ地震の30年以内の確率は70~80%」と述べた。この発生確率は、国の南海トラフ地震対策の大前提となっている数値で、8月9日朝の『おはよう日本』でも、社会部災害担当の若林勇希記者が「国は南海トラフの巨大地震が今後30年い内に、70~80%の確率で起きると評価していますが、これを1週間以内に換算すると1000回に1回と言うことになります。・・・【今回】普段は1000回に1回の確率が数百回に1回に高まっている」と解説した。
 しかし、東京新聞の小沢彗一記者は「『30年以内に70~80%』という南海トラフ地震の発生確率は水増しで、予算獲得のために科学がゆがめられてきた」と告発してきた。
それによると、南海トラフの確率だけが「時間予測モデル」という特別な計算式で算出されたが、地震学者らは政府の会議で「このモデルには科学的な問題がある」として、採用しないことを堤提言した。タの地域に適用されている「単純平均」という計算式を使うと、確率は20%におちる。ところが、低い確率だと予算が取れないと考えた行政や民間企業側の委員は「まずお金を取らないと動かない。こんな(確率を下げる)ことを言われたら根底から覆る」と猛反対、いわば横やりによって「70~80%」とされたという。小沢記者は「70~80%」の根拠とされた高知県室津港の江戸時代の地震での隆起量についても現地で古文書を調査、人為的に海底が掘り下げられていた可能性を明らかにした。計算モデルと元データの両方に疑義があるのだ。
 氏の一連の記事は科学ジャーナリスト賞を、それをまとめた著書『南海トラフ地震の真実』(2023年)は第71回菊池寛賞を受賞している。筆者はどくご、行政・地震学者・防災工事業者などが、「30年以内に70~80%」「観測網を整備すれば予知は可能」「対策工事が必要」と言い募ることで莫大な予算に群がる「原子力村」に似た『南海トラフ地震予知村』的な利権共同体を想像してしまった。
 NHKもこれまで「70~80%」を前提に、南海トラフ地震のシミュレーションの番組などを放送してきた。ここの番組内容は評価できるとしても、国策と官製の数字に無批判に寄り掛りすぎてきたのではないか。現実には熊本、中越、能登など「発生確率は低い」とされていた地域で、顕著な前震ナシに大地震が起きている。2011年の「3,11」の2日前には,関東でも揺れを感じたMw7,3の地震が東北沖で起きたが、巨大地震注意の情報など出されなかった。気象庁地震火山技術・調査課の束田進也課長は8月8日夜の記者会見で、臨時情報発出の根拠の一つとしてこの3月9日の地震を挙げたが、「それならばあの時注意を呼びかけていたら」と言いたくなる。南海トラフの特別扱いは結果的に、地震・火山大国にしてはあまりに少ない研究予算が一部地域にのみ投下され、他の地域の危険性が過小評価され、防災対策が軽視されるという深刻な歪みを生んでいたのだ。
 小沢氏は、「生煮えの科学が他地域での油断を生み、被害を拡大させているのなら、確率は『百害あって一利なし』だ。日本中どこでも地震は突然起きるという基本に立ち返り、全ての人が備えることが、減災への近道のはずだ。」と訴える。発生確率の「ねじ曲げ」を告発した名古屋大の鷺谷威教授は、「嫌がられても問いを繰り返し、政府の発表の垂れ流しでなく、納得できたことを報道してほしい」とジャーナリズムに求めている。時間予測モデルの信憑性を検討した東京電機大の橋本学特任教授は、「権威を疑い、おかしいことにはおかしいと声を上げること。それは科学者も記者も同じ」と述べる。南海トラフ地震を扱う放送人はぜひ一度小沢記者の本を読み、「南海トラフ地震予知村」から毅然と独立して、冷静・正確な報道に当たってほしい。
                          
   20249月号)



      裁判で問われるNHKグループのハラスメント対策

                 
諸川麻衣(放送を語る会会員)

 NHKの関連団体であるNHKグローバルメディアサービス(略称「Gメ」)でを前提に、南海トラフ働くスタッフが、職場でパワーハラスメントを受けたとして、加害者である元上司と会社の責任を問う裁判を起こしている(昨年9月提訴)
 原告の原田勤氏は元新聞記者で、GメがNHKから委託されている
文字ニュース「NHK NEWS WEB」の校閲業務を、「専門委員」として2014年から担当している。2022年、当時の上司(元社会部記者)から事務処理上のミスで認知症呼ばわりされたり、手を乱暴に払いのけられたりしたという。「長い記者生活で見てきたことは、人権侵害を放置しない、声をあげること」を信条としてきた原田氏は、見過ごせないパワハラだとして民放労連の放送スタッフユニオンに相談し、会社と団体交渉を行った。その結果、元上司は暴言については認め、手書きの謝罪文を作成、会社も譴責処分を行った。しかし手を払いのけたことについては否認、さらに会社側は、「パワハラについての管理監督責任を一切認めない」「再調査もしない」と組合に文書で回答してきた。業務時間中の管理職の言動に関して会社が管理監督責任を認めないとは、NHK本体での法解釈に照らしてもありえない。
 ハラスメントに関する同社の実態はお粗末だ。まず被告の元上司は、コンプライアンス研修を複数回受講していたにもかかわらず、自分の言動に活かすことはなかった。会社は2020年に「ハラスメント防止規程」を制定していたが、労務担当の執行役員はそれを知らなかった可能性が高い。原告から相談を受けても2か月余り放置、組合が要求を提出してからやっと会社として調査に乗り出した。さらに、労働者・スタッフには「ハラスメント防止規程」についても相談窓口についても周知していなかった。規程の第11条には「周知・啓発」を定めているにもかかわらず、である。つまり、形の上では規程も研修も「完備」されていたが、実態としてはほとんど機能していなかったことになる。筆者もNHKグループで働く非職員・元職員数人に聞いてみたが、元アナウンサーが「アナウンス室では掲示していた」と答えた以外は、ハラスメントの相談窓口などについての説明はなかったという。
 またGメの規程では、ハラスメントの申告があった際、「調査協力への義務」は定めているが、調査の主体は明記されておらず、会社が調査をしぶる限り被害者は追及することが難しい。原告は、加害の側の人間が会社にとって役立つと判断すれば守秘義務を盾に加害の程度を軽くすることも可能な規程であると指摘、被害者が周りに証言を求めることを保障するよう改正するべきだと主張している。
 7月1日の第6回裁判=口頭弁論(元上司で被告の代理人・弁護士は欠席!)の後、原告を支援する「NHK職場からハラスメントをなくす会」が発足した。会は、裁判で原告を支援すると同時に、同社及びNHKグループ全体で労働者に対しあらゆるハラスメントが起こらないよう、職場環境が改善されることをめざしている。その一環として、公正な裁判を求める裁判所宛の署名に取り組むことになった。 原告は一貫して、「国民の人権を守る立場で報道するべきNHKの職場にこのような状況があることが問題だ」と訴えている。 原田氏が実名で提訴したことで、NHKグループで働く人から放送スタッフユニオンへの相談が増えたという。筆者もかつて、周りに人がいる中で電話の相手に怒鳴り散らすディレクターや、職員のきつい言葉に泣き出すスタッフを目にしたことがあり、隠れた事例は相当多いのではないかと推察できる。法廷の傍聴者は回を追うごとに増え、地裁も本案件を重く受け止めたのか、途中から裁判官3人の合議制に格上げされることになった。
 NHKは2017年、『NHKグループ 働き方改革宣言』で、職員、関連団体の社員、非正規スタッフ、外部プロダクションの労働者など、NHKの「業務に携わるすべての人の健康を最優先に考えます。これまでの慣行を打破して、働き方を抜本的に見直します。」と誓約した。同じことはハラスメントについても言える。もはや組織の幹部やどんなに有能とされる人間でも、ハラスメントを起こせば厳しく責任を問われる時代である。「ハラスメントは許さない」、「被害者は訴え出てほしい」の二点をNHKグループで働くすべての人々に周知するだけでも抑止効果が期待できる。NHKグループ全体としてこれまでの体質を脱却するよう、経営委員会はこの問題に関してこそ「ガバナンス」を効かせるべきだろう。
                             (2024年8月号)


     NHKの出方に注目~「NHK文書開示等請求訴訟」控訴審~

                 
小滝一志(放送を語る会会員)

 220日、東京地裁で「NHK文書開示等請求訴訟」の一審判決が出た。
 判決は、被告NHK20181023日経営委員会議事の録音データ開示を命じた。さらに、被告森下NHK経営委員長(当時)の議事録開示を妨害した不法行為、NHKの債務不履行をも認め、両者に損害賠償も命じた。画期的な原告勝訴判決だった。
 裁判は、視聴者・メディア研究者・NHKOB114名の原告が、「2018424日に放送された『クローズアップ現代+』を巡ってNHK 経営委員会でなされた議論の内容がわかる一切の記録・資料」(後に電磁的資料も追加)の開示を求めNHKと森下氏を訴えたもの。

 判決は以下を事実認定した。
「ことの発端は、NHK番組『クローズアップ現代+(プラス)』が、『日本郵 政職員のかんぽ保険不正販売問題』を放映し、元総務事務次官の経歴をもつ日本 郵政上級副社長鈴木康雄が郵政側の中心にあって、この番組に抗議するとともに、 続編の放映を妨害したことにある。NHK経営委員会は鈴木康雄の意向に従って、当時の上田良一NHK会長を厳 重注意とした。経営委員会でその中心的役割を果たしたのが被告森下俊三(当時、 委員長代行)である。 経営委員会がした、NHK会長に対する厳重注意を異様なものとして、主としてマスコミ各社がNHKに対して、関係する経営委員会議事録等の文書開示手続 を試みたがNHKはこれに応じない。諮問を受けたNHK常設第三者機関も複数 回にわたって開示相当と答申しているが、NHKはいまだに開示を拒否したまま である」
 森下氏の議事録非公表は、遅滞なく作成・公表を義務付けた放送法41条違反であり、経営委員会で番組批判を展開したことは、経営委員の個別番組への介入を禁じた放送法32条違反だ。そのことは、「放送番組は何人からも干渉されない」とする放送法の肝、3条違反でもある。森下氏が公表を頑なに拒否するのは、致命的な放送法3条、32条違反が明るみに出るのを恐れたからに他ならない。
 一審判決を不服として森下氏とNHKは直後に控訴した。717日から控訴審が始まる。控訴審に対する私の関心は、NHKがどこまで放送法違反の森下氏を擁護するのかである。一審法廷で私は興味深いシーンを目撃した。被告本人尋問でNHK側弁護士が森下氏に「放送法32条違反ではないか」と繰り返し質問を浴びせたのだ。
 
 NHK代理人「番組について『取材が稚拙だ。取材していない』という発言は番組への介入ではないか?」
 森下「過去の番組への感想です」
 NHK代理人「『放送法32条違反ではないか』と批判されるとは思わなかったのか?」

  森下「思わなかった。感想を述べただけです」
NHK番組制作現場が、外圧の防波堤になるべき経営委員会があろうことか郵政3社を代弁して番組を誹謗・中傷したことに腹を据えかねているだろうことは想像に難くない。
 NHKは控訴理由書でも、経営委員長の議事録作成義務を「法定の義務」と念を押したうえ、「議事録未作成時に経営委員長の交代があった場合に、同条の義務が消滅すると解するのは妥当でない」としている。森下氏及び後任の古賀信行経営委員長にも未作成議事録の作成・公表の義務があると主張しているのだ。NHKが控訴審でどこまで放送法違反の森下氏を擁護するのかは極めて興味深い。
 控訴審に対するもう一つの私の関心は、「NHK文書等開示請求訴訟」提訴直後にNHKが公表した「粗起こし」(「経営委員会での確認を得ていない」の但し書き)を公式の議事録として認めるのか否かだ。森下氏の控訴理由書によれば、「本件粗起こしは経営委員会開催直後に作成されている」とあり、通常の議事録作成と同じ作成手順を踏んでいる。そして当時は、非公表の議事経過については「内容の確認も署名も省略する取り扱いがなされていた」としているので「経営委員会での確認を得ていない」ことをもって「議事録でない」とすることには無理がある。しかも、「録音データは、次回の経営委員会において確認および署名され、その役割を終えた段階以降に消去又は廃棄される」として録音データは既に存在しないという。そうであれば、「粗起こし」は実質的には「議事録」ではないのか。被告NHK及び森下氏が、「議事録」として認めるかどうかも興味深い。
 控訴審では、NHKが放送法違反の森下氏といつ決別して原告の求める議事録開示に踏み切るのか注視したい。

    
                        (2024年7月号)


        
              新年度のNHKに注目

                    
今井潤(放送を語る会会員)

 この4月からのNHKの新しい番組編成や、ニュースの内容など、ウオッチしているとこれまでより、新鮮に感じたり、おやっと思わせたりす点が・・・それをいくつか、感じたままに紹介してみたい。

●「新プロジェクトX」始まる
2000年から5年間、NHKで放送された人気ドキュメンタリー番組「プロジェクトX」が中島みゆきの主題歌とともに、18年ぶりに復活した。第3作目の「約束の春・三陸鉄道、復旧への苦闘」は東日本大震災で破壊された三陸鉄道の復旧に携わった人々の苦悩を描き、静かな感動を与えた。岩手では6000人が津波の犠牲となり、線路も駅舎も壊され、悲願の復旧プロジェクトが作られた。6年はかかるといわれた復旧をわずか3年で成し遂げた人々。高校生が大事な乗客だったので、彼らの入学式に間に合わせるというのがミッションになった。 
 県から派遣された望月正彦は定年まであと2年だった。望月は社員を集め、「動かせるところから、列車を動かそう」と告げたが、運行の責任者今野淳一は猛反対した。一方難所の北リアス線、東急建設所長の筒井光史は島越駅の25メートルの津波が襲った場所に2000本の杭を打ち込んだのだ。 
 2014年3月線路がすべてつながった。スタジオで話を聞かれた望月は運転再開を喜ぶ人々が言った「おかえり」という言葉が嬉しかったという。番組МCの有馬嘉男の表情からは深い同感がうかがえた。

●ニュース報道でもNHK独自の視点
 4月17日の共産党の志位和夫議長の講演「東アジアの平和構想への提言~ASEANと協力して」をNHKは翌朝6時のニュースで詳しく伝えた。普通テレビ局は政党の独自イベントはあまり報道しないものだが、中国や北朝鮮の動向が気になる中、NHKの報道幹部は放送する価値を認めたものと思う。志位議長は日中関係では1972年の日中国交回復以降の記録を精査し、2008年の日中共同声明、2015年の尖閣諸島問題では異なる見解はあるが、交渉を続けた。そしてASEANのAOIP(ASEANインド太平洋構想)に賛意を示していることを上げ、外交交渉をしていることとしている。朝鮮半島問題では米韓による軍事的な悪循環を強めているが対話と交渉をどう進めるかが提案された。このニュースは関心のある人には示唆を与えるものだったと思う。

●通常番組の中でも演出の工夫
 4月19日の朝の番組「あさイチ」に東京スカパラダイスオーケストラの9名が生出演し、歌い、かつ結成35年というキャリアを生かしたパフォーマンスを披露し、楽しませた。いつもは朝の連続テレビ小説に関する話題を盛り上げ、生活の知恵を紹介することの多い番組だが、今回は民放のバライエティ番組以上の演出で、視聴者から2000通以上のメッセージが寄せられたと報告された。

●ミニ番組にも感動のシーン
 NHKには街角ピアノ、駅ピアノ、空港ピアノという国内、海外の実写によるミニ番組があり、人気を集めている。2020年1月1日には朝7時から12時まで5時間ぶっ通しで放送されたが、この時はNHKの番組編成のセンスの良さを高く評価したものである。
 新年度に入って4月17,18日の2日連続で広島の街角ピアノがあり、5年前に脳出血で倒れ、左半身にマヒが残る男性が右手で弾くピアノ演奏の場面があった。
 曲は松田聖子の「赤いスイートピー」。聴く人の情感を動かし、涙を誘う不思議力を持っていると思う。こういう番組はNHKの財産ではないか。

●連続テレビ小説「虎に翼」に期待
 4月からの連続テレビ小説は日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ女性の実話に基づく話。困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた主人公の情熱あふれるドラマ。男たちの壁を突き崩していく、女性の強さだけでなく、やさしさをえがくことが大きなテーマになっていることも忘れてはならないと思う。これからの展開はどうなるのか、毎日が待ち遠しい感じだ。  NHKの政治への向き合い方(特に政治報道)については、これまでも批判してきたし、これからも厳しくチェックしていきたいと思う。一方で、こうした心に残る番組を制作しているディレクターや記者の意欲や、頑張りにもエールを送っていきたい。NHKの新年度番組に注目!
                            (2024年6月号)



      ~「メディアを市民の手に」一つの小冊子から~

                  古川英一(放送を語る会事務局長)      
 
放送を語る会の東海地方の会員から、先だって冊子が送られてきた。「メディアを市民の手に」と題されていて、発行したのはNHKとメディアを考える東海の会。去年、2023年秋季連続学習会の記録とあり、9月から12月に会が3回にわたって名古屋市で開いた学習会の内容が記されている。30ページの小さな冊子だが、そこには放送や新聞といったメディアの現状や問題点、それに私たち市民はどう関わっていくのか、そのヒントなどかぎっしりと詰まっている。  NHKとメディアを考える東海の会は、2015年に、当時のNHKの籾井会長の辞任運動の中で市民の間で結成され、放送を語る会の東海のメンバーも4人が活動に参加しているという。NHKとメディアの適正な在り方を考え、実現していくために、メンバーは学習会やテレビの選挙報道のモニター活動などを行っている。今回の冊子はその活動の一つの結晶ともいえそうだ。
 この冊子のベースになっている3回の学習会はそれぞれ、研究者や放送・通信社のOBの会員が講師となって行われた。その中で語られた内容について触れてみたい。

「放送の自由」と「政治的公平について」
 安倍政権時代の2016年、当時の高市総務相が政治的公平をめぐる解釈を変えた問題で去年総務省の内部文書が明らかになり、改めて放送法と政治的公平の在り方が問われた。これについて学習会では、「放送法の立法趣旨から見て、最近のメディア報道はどうか。政治的公平という視点から、ウクライナ戦争の報道はどうか、福島原発の汚染処理水の報道は?また2024年度概算要求の防衛費に関する報道はどうか」と疑問を投げかけている。そして「私たちのすべきことは二つ。第一にメディアを監視すること、監視し続けること。第二は、政権与党などのメディアへの介入・圧力を監視すること、監視し続けること」と強く訴えている。

放送を市民の手に~独立行政委員会とは何か~
 日本の放送は政府によってじかに管理監督されていて、それが高市発言や、安倍政権時代の放送メディアへの介入などに現れてきた、という問題意識から、諸外国のように政府とは独立した機関の必要性を検討している。そのために自身がメディア事情の調査チームの一員としてかつて「独立行政委員会」を持つアジアや欧米の7か国を視察した体験が報告されている。この中で韓国では新放送法で視聴者の権益保護を掲げ「視聴者は放送の受け手であると同時に放送に参画する主体であると捉えている」と指摘している。またドイツでは州ごとに独立したメディア庁があり、「市民のメディア能力の向上」を任務にしていることを紹介している。その上で「日本にふさわしいのはどんなものか、先進例に学びながら、議論を積み重ねつくりあげていきましょう」と呼びかける。

新聞はどうなっているのか~
 部数激減の中で報道機関の役割は新聞の発行部数の激減、新聞社の記者・従業員の減少については、もう長い間言われ続けていることだが、実際にはどうなのだろうか。そこで示されたのは「東海地域では2000年7月に中日新聞は271万部、それが2021年7月には190万部に下がっています。以下朝日は43万部から23万部へ・・・」「中日の従業員が200年の1945人から2022年には1538人へ、朝日が571人から135人へ」具体的な数字で示されると、東海地域でも新聞社の状況が危機的になっていることがわかる。こうした中で新聞の未来はどうなるのか、「報道機関は一般の市民が権力から自立した公正・公平なニュース・情報を、快適に利用できる環境づくりに責任を負っています」との指摘が重い。

各地での地道な活動も
 冊子を送ってくれた会員からは「議論すべき問題点がコンパクトに提示されている」などの反応があり、初版300冊に加えて200冊を増刷したという嬉しい知らせも届いた。
 このように東海地域の放送を語る会のメンバーが他のグループと連携して活動をしているだけでなく、大阪のメンバーは戦争・平和番組などについてモニターの声をホームページに掲載する活動を続けている。東京でも他の市民グループと一緒に、統一教会問題について連続でシンポジウムを開催している。各地でのこうした地道な活動がメディアを、ひいては社会を良い方向に変えていく一歩になりますように。
                                                         (2024年5月号)



能登半島地震に「阪神・淡路大震災」がフラッシュバック

         元NHK神戸放送局・技術  山村 惠一(放送を語る会・大阪)

1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発災。NHK神戸放送局(以後神戸局)は、ダメージを受けた局舎で10日間報道を続けた。その翌日、局舎を離脱し仮設スタジオに移転。5月には神戸駅前テナントビルに再移転。10年後、元の場所に新神戸放送局を再建して現在に至る。発災の直後から近隣局から支援が入り、チャーター船(タグボート・観光船)で多くの人員・物資が届けられ、約300人のスタッフが神戸で災害報道に従事した

元日、能登半島地震が発災。「津波です 逃げて」の絶叫がテレビから流れました。倒壊した家屋、輪島の火災を目にして、29年前の阪神・淡路大震災の真っただ中で放送を出し続けた神戸局のことがフラッシュバックしました。
 震度7の凄まじい揺れが収まったあと、神戸局の職員は散乱する家具を乗り越え、倒れてきた箪笥と机の隙間からはい出した人も。誰もが徒歩、車、自転車や仮眠中のタクシーを起こして、とにかく行かなければと神戸局へ向かいました。
 被災者が被災した局から放送する、TV放送開始以来、未曽有の災害報道の始まりでした。神戸局は外壁が大きくひび割れ、コンクリート柱が破砕し鉄筋だけで上層階を支えている状況で、余震で倒壊する危険が高いと判定されました。鉄塔のカメラ、マイクロ波受信機は地上に振り落とされ、机・電話器・ファックスは飛ばされ、ロッカーの書類は床にぶちまかれていました。機器ラックが倒れ、編集機はケーブルがひきちぎられ、無停電装置((UPS)もダウンしていました。
 神戸局からの第一報は、今にも倒れそうなモニター棚の下で、泊まり記者がベッドで布団をかぶって翻弄される「発災のときの映像」でした。その映像は世界中に配信され、「NHKは地震が来るのを知っていたのでは?」と噂されるほどの衝撃を与えました。「全電源喪失」の中にありながらもリアルタイムの映像が撮れたのは、前年に付加したパソコン用の小型UPSが最後の砦となったもので、「備え」が間に合ったと思いました。とんでもない大災害に、大阪局はじめ近隣の放送局から中継車や伝送車、ニュースカーが続々と神戸に入り、四国のクルーが鳴門大橋を渡り震源地の淡路島に向かいました。夕刻には、続々と生中継や素材伝送の要請があり、神戸局は混乱のなかニュースを送出していました。
 10日後、近くの小学校校庭に建てたプレハブ仮設スタジオに移転しました。放送機能が無い素材伝送拠点となり、手足をもがれる気持ちでしたが、これで「戦場」から離れられると「ホッ」としたことを思い出します。NHKは発災直後から「ひと・もの・かね」を投入して災害を伝え続けて、その後の国内外からの支援につながったものと思います。ただ、今でも心残りのことがあります。それは、メディアは被災地の外に向けて情報を発信しているが、先が見えない現地の被災者が必要としている情報(食料や水は、救命・支援情報は?)や、その後、刻々変化するニーズに応じた情報が届けられていたのかです。結局 「被災者に寄り添った対策を」のコメントで終わっていなかったでしょうか。
 「目立つ」ところに取材が殺到して同様のインタビューが繰り返され、飛び交うヘリコプターがストレスで、被災者から「取材するなら手を貸してほしい」といい寄られる光景が「能登」でもみられました。取材者と被災者との溝は「阪神」のときと変わっていないなと無念に思いました。さらに3月に起きた地下鉄サリン事件の時には、取材陣が一斉に撤収する姿に「これで神戸が忘れられてしまう」と呟いとこともありました。
 賑わう街並みに「復興」したと見られる神戸ですが、虫食い状に残る更地やまだコミュニティが戻らない街もあります。「自助・共助・公助」ですが自助ではどうにもできないことがあります。残る問題を掬い取って伝えることがメディアの役割です。「阪神・淡路大震災」の経験が「能登半島地震」のこれからに活かせるはずです。
 もう一つ言っておきたいのが、神戸局内の「生活」を支えたアナザーストーリーです。全国からの応援者は生活の場(食う、寝る、排泄する)を求めて神戸局に集ってきます。過酷な被災現場を目にしてみんな「ハイ」になっていました。停電・断水にガスもだめの神戸局では、食堂業者の協力を得て炊き出しのおにぎりを提供するのが精一杯でした。宿泊者を安全な場所に移そうとしているホテルは宿泊できず、応援者はスタジオフロアに雑魚寝となりました。地震で傾いた基台の上で、自家発電機は奇跡的に稼働しました。でも、増大する電力需要に追いつかず、放送を優先して館内の暖房は停止させていました。通電しているコンセントには我先にと取材クルーの充電器が集中、危険回避のために順次でと理解してもらうことに苦心しました。折からの寒さに「暖かいみそ汁はないのか」とか「暖房を入れろ」などの声が迫ってきました。事態の説明に壁新聞が有効でした。が、満足な提供ができないお詫びの言葉に続けて「応援の皆さん、わがまま言わないでください。神戸局も被災者ですので」の文言もあり哀しいものでした。 総務が用意した数少ない下着や寝具も、ごっそり持ち出す人がいて、手にできない神戸局の職員は段ボールを敷いた上で着たきりのまま眠りました。短時間でしたがなぜか疲れは感じませんでした。やはり「ハイ」でした。さらに深刻だったのが水の確保です。受水槽は枯渇し飲用は備蓄で凌げましたが、トイレは流せず掃除も間に合わず悲惨な状態となりました。後日、地下に湧きだした水をポンプで汲み上げ飲用禁止としてトイレの問題は解決できました。ゴミはニュースの合間を見つけて屋上に搬出していました。
 仮設スタジオへ移転のとき、神戸局の局長は感謝を述べたのち「応援者の皆さんは帰れば暖かい風呂や食事が待っていることでしょう。でも、神戸局の職員はぐちゃぐちゃの自宅には帰れずに仕事をしていることを忘れないでください」と語りかけました。
 涙が溢れました。誰もが泣いていました。心温まることもありました。行列に並んでやっと入れた風呂と、再開した焼肉屋(肉と七輪・炭さえあれば)です。焼けた肉に冷えたビール。実に旨かったこと思い出します。
 あの日から、東日本地震や豪雨などの大災害が起こり、続いて「能登半島地震」です。この先、南海トラフ地震や過酷災害が起きることが確実です。NHKは「安全・安心を支える」ため
キメ細かく情報を届けるとしています。が、一方で地方局の体制や間接部門の縮小などの効率化の声も聞こえてきます。その日の「備え」は?現場のモチベーションは?などと心配するのは差し出がましいことでしょうか?
 かつて、ある会長が「NHKの財産は人材」といいました。29年前、誰もが自律した行動で災害報道を支えました。その「人間力」を忘れないで。と、最後に言わせてください。
                            (2024年4月号)



         能登半島地震・災害時の対応は

                  
仁知英保(放送を語る会会員)

  以下は放送を語る会メンバーの対話という形で。
A:今年は元日から能登半島地震が発生し,(その後240人あまりの人が亡くなった事を確認)次の日には羽田空港で航空機の衝突事故が起き、大変な幕開けになったね。
B:そうだね、能登半島地震の発生を知らせる緊急地震速報が流れてから、地震の状況を知ろうとテレビに釘付けになってしまったよ。NHKの女性アナウンサーが津波警報の発令を受けて、「津波から一刻も早く逃げる事」とアナウンスを繰り返していたけれども、その口調がいつもと違った厳しさで驚いた。
A:東日本大震災の時には津波からの避難が遅れて、多くの人たちが犠牲になった事を教訓に、どうすれば現地にいる人たちに危機感を伝えられるのか、アナウンサー達が検討や訓練を重ねてきたというよ。災害が起きたときにまず被災者が頼るのは情報、メディアの真価が問われる事になるのだから。
B:ところで数日後に、ある週刊誌にNHKが能登半島地震で総務省にあてて被災地の放送施設維持のために自衛隊のヘリによる人員・燃料の運搬を要請したという記事が掲載されたね。
A:それについて、NHKの会長を市民から推薦しようと活動した市民グループがさっそく、NHKに対して事実関係を明らかにするよう質問書を出す事を決め、語る会にも賛同して欲しいという呼びかけがあった。質問書は自衛隊の援助を求める事で報道機関の自主、独立性が保てるのかという「姿勢」の問いかけと、災害報道の体制が十分ではなかったのではないかという「体制」について問うものだった。それをきっかけに、語る会の定例のオンライン運営委員会では災害封策報道を巡り活発な意見が交わされたんだ。
B:語る会の会員にはかってNHKの放送や技術の職場で働いてきた人たちも多いということで、現場での経験を踏まえて、どのような意見が出ていたの。
A:「姿勢」の在り方については、メディアとしてのNHKは、もちろん権力と距離を置かなければならない。だからこそ国に援助を求めることでいわば「借り」を作ってしまうのでは無いかと,批判する声があった。一方で自衛隊の持つ軍事的側面と、災害・人命救助の側面の二つを分けて考えるべきだといった意見もあった。そして今回の議論はむしろ災害時に一刻も早く情報を途切れなく出していく「体制」がどうなっているのにかにシフトとしていった感じだった。
B:特に大阪の会員には29年前の阪神淡路大震災の時に現地・神戸局などに勤務していた人たちもいて、その時の体験を今回の能登半島に重ね合わせて考えていたのでは。
A:阪神大震災の時には神戸や大阪などの局が職員一丸となって対応にあたり、国へ援助を求めるようなことは無かったという。だからこそいまのNHKに大災害に十分対応できる体制ができているのか、と言う疑問を投げかけたんだ。災害時には被害者にとって情報は欠かせない、一番困っている被災者に情報を伝えることが、その命を守ることにつながる。そのためには情報を伝えるための放送設備の保持も必要だし、テレビ、ラジオ、デジタルといった多様な媒体も必要になってくる。電気や水道と同じように情報伝達も一つのインフラと考えるべきだ、と言った指摘も出たんだ。
B:確かに。インフラなら普段からの点検整備が欠かせないね。しかしNHKは去年12月、BSの波を一つ減らし、ラジオについても2026年度から波を削減する方針だね。
A:今回の地震でも、昨年放送を終了したBSの一波を活用して地上波の災害情報を放送する措置を取ったのだけれど、やはり経済性や組織の論理だけで公共の波の扱いを考えてはいけないのだろうと思うよ。災害の際にはそれぞれの波で違った情報を多様に提供していけるのだから。また地方局が緊急災害時に対応できる体制が十分なのか心配する声も上がっていた。そうした視聴者の声、それに被災者の声を踏まえてNHK等のメディアは今回の災害報道の体制についても検証し、備えを強めていって欲しいね。

 質問書には議論の末、語る会も賛同団体に名を連ね、124日、会長宛に提出された。131日に視聴者局から回答があったが、具体的な応えは記されていなかった。
 語る会では運営委員会で、2回にわたり意見交換したが、今回は災害報道の「内容」よりも放送を出していくための「体制」が主になった。とはいえ、同じ被災者が何度も別のテレビ局からインタビューで答えているといった、災害時の報道の在り方に疑問を呈する意見なども出ていた。
                            (2024年3月号)


   

          自衛隊の変化に向きあう

  NHKスペシャル「自衛隊の変貌の先へ~専守防衛はいま」を見て、考える

                  
今井潤(放送を語る会会員

 おととし202212月に岸田内閣は、これまでの日本の安全保障政策を大きく転換させる安保3文書を閣議決定しました。それから1年経った去年1210日に、NHKスペシャルで「自衛隊の変貌の先へ~専守防衛はいま」が放送されました。
 番組は、安保3文書の中心となった反撃能力の保持と、それに伴う自衛隊の現場の変化、さらに自衛隊の弾薬庫建設に不安を抱く住民の姿を描いています。この番組を詳しく見ていきたいと思います。

反撃能力(敵基地攻撃能力)の保持
 番組ではまず安保3文書の基本的な考えについては、自衛隊制服組トップのOBや元防衛事務次官がメンバーとなった国家安全保障戦略研究会が議論してまとめた考えを取り入れたものであることを明かにします。研究会は敵基地攻撃能力の保持を打ち出しました。統合幕僚長を3年務めた折木良一さんは現役時代、北朝鮮や中国のミサイルの能力向上を背景に、より強い抑止力が必要と感じていたとして「そうしないと国民を最終的に守れないという認識だったのです」と語ります。自衛隊は相手がミサイルを発射した後、それを迎え撃つミサイル防衛を柱とする体制をとってきました。しかし、近年中国などの新たなミサイルの開発などにより、専守防衛という原則だけでは我が国の防衛を果たすことは極めて困難になりつつあるという危機感がありました。 一方で研究会では、敵基地攻撃の能力の保持で、専守防衛との関係も議論になりました。元防衛事務次官の黒江哲郎さんは「専守防衛についてはプラスの面もあるという意識でいたので、日本国は自衛だけでなく、先制的に他国を攻撃するような選択肢を持つかという、そういう無用な誤解を与える恐れがかなりあると思った」と安保政策の転換の国民の受けとめに懸念を示していました。最終的に研究会では専守防衛の下でも敵基地攻撃能力を保持できるという結論をまとめ、表現については、のちに政府によって打ち出される反撃能力という言葉に改められました。
 反撃能力を持つというのは何を意味するのか。番組では、具体的に説明していきます。去年7月オーストラリアで、陸上自衛隊のミサイル部隊がミサイルの発射訓練を行いました。ここで使われた12式地対空ミサイルの射程は100数十キロ、今後改良を重ねて1000キロにする計画で。防衛省関係者によると射程が2000キロから3000キロの新たなミサイルの開発も検討されているとのことです。中国の中距離弾道ミサイルの射程は4000キロ。日本が将来所有する射程1000キロのミサイルがとどく範囲を描くと朝鮮半島や中国に達します。さらに射程3000キロの場合は中国の内陸部にまで及ぶことになります。
 私は番組を見ながら、このようにミサイルの攻撃力を限りなく拡大していけば、専守防衛から完全に逸脱してしまうのではないか、戦後日米安保の体制の下で、日本の防衛政策は解決できない問題と直面することになると思いました。

地域への影響も
 自衛隊の変化が、住民にも見える形で出てきました。番組では去年11月に大分空港や岡山空港に自衛隊機が着陸した映像を映し出します。自衛隊の基地が攻撃され、使用できなくなった状況を想定し、民間の飛行場を使う訓練でした。
 さらに全国で弾薬庫の増設も計画されています。そのうち大型ミサイルの弾薬庫が計画されているのが青森と大分です。去年2月に増設を知った大分市の大分分屯地に隣接する地区の自治会長は「弾薬庫の近くが攻撃されるリスクを心配している」と語ります。防衛省による住民説明会には住民120人が参加し、相手の国から攻撃されたらどうなるか、避難計画はどうするのかといった不安の声が上がりました。自治会長は「大事なことは言わない、12式ミサイルを置くはずなのにその名前も言わない、住民はそういうことを知りたいわけですよ」と防衛省側に詰めよりました。しかし防衛省の役人は「防衛上秘密なことで、秘密の保全というということはしっかりやる必要がございます」と答えるだけで、わずか1時間半で説明会は終わりました。自治会長は「理解している人は少ないんじゃないか。包み隠さず話してほしい」と番組の中で訴えていました。私は急速に進む防衛力の強化、その陰には国の政策の変化に翻弄される人々がいるのだと感じました。
 番組は「自衛隊がかつてない変貌の先にどのような道を歩んでいくのか、そのかじ取りの責任を最終的に負うことになるのは私たち自身なのです」と結んでいます。今年で創設70年となる自衛隊に私たちはどう向き合っていくのか、考えていきたいと思います。
                              (2024年2月号)


  
       森下NHK経営委員長、またも不見識発言

                  
諸川麻衣(放送を語る会会員)

青森県で昨年9月9日、NHK経営委員会による「視聴者のみなさまと語る会(青森)」が開催された。これは全国各地で年6回以上開いているもので、事前に申し込んだ視聴者とNHKの経営委員が語り合い、要望を聞く場である。

公開された報告書に重大なやりとりがあった
https://www.NHK.or.jp/keiei-iinkai/hearing/houkoku/2023_03.html)。ある参加者の「NHKの予算は国会の承認が必要だと聞きましたが、国営放送ではなく公共放送なのにどうして国の関与があるのかと疑問を持っています」という質問への、森下俊三経営委員長の答えである。
 「今の時代は、本当はもっと自由にやるべきだと思うのですが、もともと公共放送は戦後の仕組みの中で、あまねく全国に放送をきちんと伝えていくということと、もう一つは、よい番組をきちんと流してほしいということを規定しています。【中略】だから、その分だけきちんとNHKはしっかりと管理してやるべきです。ですから、予算も国会の承認を得てやらないといけないという制約がついているんですね。公共放送というものをしっかりと国民の皆さんに広めていくための仕組みとしてやっているので、その分だけ国も関与してきますよという仕組みなのです。」
 これに対し質問者はさらに「国の関与がなくても、いわゆる自律的にできないのでしょうか」と畳みかけたが、森下氏の答えは、「今の時代は、自主的にきちんとやろうと思ったらできると思いますが、放送というのは民間放送と二元体制でやっています。民放からするとNHKはきちんとやっているか、監視するという意味で一定の規制をかけてくれということがあるんですよね。バランスを取ると言いますか、基本的にはきちんと国が関与して担保していきます。」というものだった。
 この質問に対するNHKの公式見解は従来、https://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/hearing/houkoku/2023_03.htmlに「なぜ、国会でNHKの予算を審議するのか」として、以下のように示されていた。
 「NHKの予算は、毎年度国会の承認を得ることが放送法に定められています。NHKの主たる財源である受信料は、広く視聴者のみなさまに公平に負担していただく公金であり、その使途については、放送法で一定の範囲に限定されてはいるものの、その範囲ならNHKが自由に使い得るわけではなく、国民・視聴者(受信料支払者)の了解を何らかの形で得る必要があるものと考えています。一般にこうした国民のための監督業務は行政が行うのが通例です。しかし、NHKは放送機関であり、放送の自主自律 、表現の自由を確保する観点から、行政ではなく、視聴者、国民の総意を代表するとされている国会が、NHKの予算等の審議・承認を行うこととされているものと理解しています。」
 最近になってこのサイトは変更され、https://www.nhk.or.jp/faq-corner/1nhk/01/01-01-10.htmlに「国との関係について知りたい」として以下のように示されている。

 「NHKに対する規制については、視聴者を直接の存在基盤とし、表現の自由に関わる放送事業体であるNHKの基本的性格から、視聴者・国民の代表である国会による規制を中心として、行政府による規制を最小限にとどめるよう、制度上、配慮がなされています。」
 記述が変更された理由は分からないが、これらに照らして森下氏の答弁は大変おかしい。「本当はもっと自由にやるべき」なのだが、「よい番組をきちんと流」すため、さらに民放の立場から「監視するという意味で」、「国の関与」が必要だというのだ。報告書を読む限り「国の関与」という言葉は質問者が用いたのをそのまま繰り返したのかもしれないが、「国民の総意を代表する(と想定される)国会」と「国」(国家権力)とは異なる。森下氏の頭の中では全国民の了解=国会による承認がいつの間にか国家=行政の関与にすり替わり、しかもそれを当然視しているように読める。
 言うまでもなくNHKであれ民放であれ、放送内容は放送法に則って自律的に規正されるべきもので、国家の関与などあってはならない。森下氏のあまりに無理解なこの答弁を見かねたか、経営委員の一人・不破泰氏が次のように補足(修正)した。
 「少し補足させていただくと、国の関与と言いましても、ここでは国会の同意を得る、国会の承認を得るというプロセスを取っています。視聴者の皆さまの受信料で成り立っている組織ですので、国民の皆さまの代表である国会の同意をそのつど得ていくということで、国からこういう番組つくるようにと言われる関係になってはいません。」
 森下氏といえば、かんぽ不正問題を追及した番組への日本郵政からの抗議に屈して、放送法の規定に反して経営委で個別番組への批判を行い、当時の上田会長を厳重注意処分し、さらに経過を記した議事録の開示を拒み続けてきた張本人である。今回の発言も、氏がNHKのありかたと自主自立の意味をほぼ理解していないことを改めて証明した。一日も早く職を辞してもらうべきだろう。

                       
(2024年1月号)


 NHKの戦争責任と向き合う日~大森淳郎著『ラジオと戦争』を読んで~

                  
小滝一志(放送を語る会会員)

「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、128日午前6時発表。帝国陸海軍は、本日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」午前7時のラジオがこう告げた日から間もなく82回目の128日を迎える。
 この日が近づくといつも、私は「NHKの戦争責任」に思いが向かう。
 6月に刊行された『ラジオと戦争』の著者大森淳郎氏(元NHK放送文化研究所)は、第6章「国策の『宣伝者』として アナウンサーたちの戦争」の中で、128日の臨時ニュースについてこう述べている。
 「開戦の臨時ニュースは、その論議が、いわゆる『雄叫び調』として結実した瞬間だった」「太平洋戦争開戦を境に、日本放送協会のアナウンスは『淡々調』から『雄叫び調』に代わった」 ここでいう「その論議」とは、アナウンサーたちがニュースの表現方法を模索して重ねたそれまでの議論、「淡々調」とは、その議論の中でたどり着いたアナウンス理論「伝達者の主観を交えない、淡々として而も上品な読み方」で、当時の教科書「アナウンス読本」にまとめられた。 しかし、日本軍の仏印進駐、対米開戦論が浮上する緊迫した情勢のもとで「国策に完全に協力するためにはアナウンスの方法を変えなければならない」とNHK上層部から迫られ、アナウンサーの仲間内からも「アナウンサーは、もっと、いい意味のプロパガンディスト乃至アジテーターにならなければいけない」などの声が上がり、「淡々調」は否定され、「雄叫び調」にとってかわる。
 「雄叫び調」は、情熱によって国民を捉え戦争協力に動員する「宣伝者」に生まれ変わることをアナウンサーに求めた。
 これまでは、「太平洋戦争期にはいって、アナウンスの基準はくずされ、いわゆる“雄叫び調”が軍部や情報局官僚によって押しつけられた」(『日本放送史』1965年)というのが通説で、著名なアナウンサーOBの回顧録などにも記された伝説でもあった。
 しかし著者大森氏は、日本放送協会編集の放送研究誌「放送」・「放送研究」、「アナウンス読本」(1941年)などNHK放送文化研究所に残された膨大な資料、生存する関係者へのインタビュー、アナウンサーの私的な日記などを緻密に取材調査し、その結論として「『雄叫び調』は軍から強制されたものではない。アナウンサーたちが主体的に作り上げたアナウンス理論だった」と断言、国策の「宣伝者」として国民を戦争協力に導いたアナウンサーの姿を描き出した。
 この夏放送されたNHKスペシャル「アナウンサーたちの戦争」(814日放送、大森氏の著書第6章と同じタイトル。12月に再編集版がBSで放送される予定と聞く)は、番組冒頭「事実に基づいた」と断りの入るドラマ形式だが、国民の戦意を高揚させる放送に情熱を傾けるアナウンサーたちの姿がリアルに描かれている。128日、開戦初日の戦果を伝えるニュースに、当直のアナウンサーが「軍艦マーチ」をBGとしてかぶせる象徴的シーンもある。
 この128日の臨時ニュースを始めとする大本営発表垂れ流しの「戦時ラジオ放送」とその戦争責任を私たちはこれまでどのように考えてきただろうか。「『満州事変』以来、外部から加えられた重圧は、放送は国策に順応し、これを推進させるものでなければならぬという声であった。(中略)太平洋戦争の勃発は、こうしたわが放送の性格を否応なしに軍と政府の御用機関として規定した」(『ラジオ年鑑』1947年)とあるように、無線電信法で「政府コレヲ管掌ス」と電波が政府の統制下に置かれていた時代にあって外圧のもとで国策への協力はやむを得ぬことだったと語り伝えられ、私たちもそのように受け止めてきた。
 しかし大森氏は言う。「だがあの時代、日本放送協会職員は、決して『仕方なく』ではなく全身全霊をかけて戦争協力に尽力したことを忘れてはならない」。『ラジオと戦争』は、この事実を克明に検証した600頁に近い大著だ。副題の「放送人の『報国』」にも著者の視点が明確に示されている。
 電気機器メーカーの技術者が戦時中自宅で密かに録音した音源、NHK放送博物館にわずかに残されていた戦前のラジオニュース原稿(中には戦後古物商の倉庫から偶然見つかったものも)などを分析し、国策通信社・同盟通信の記事が日本放送協会報道部員の手によって放送原稿として、軍部や政府の意向に沿って国策遂行のために国民を鼓舞する内容に書き換えられていたことを緻密に検証した。どのような編集方針で書き換えていたのかも掘り起こされている。「この際、客観的編集方針は須らく一擲して、国家意思を盛った主観的編集方針の確立を必要とする」「ラジオが持つ国家的使命の重大性に鑑みニュースの客観性という従来の範疇からさらに前進し、国家の意図や国家の正しい主張といったものを積極的に織り交ぜ、国策を強烈に反映せしめてゆかねばならない」
 国策に沿った放送は、ニュースばかりでなく「講演放送」などの教養番組、「学校放送」、「娯楽番組」にまで及んだことを大森氏は、人物ドキュメンタリー風に記録している。終章「敗戦とラジオ」で著者大森氏は、敗戦で生まれ変わったはずのNHKが戦後自ら作った「放送準則」(1949年施行。1959年に現行「国内番組基準」に代わる)に残ったある一項に注目した。それは、「放送は、公共性の立場から政府の政策を徹底させることに協力する」。これは戦前の国策ニュースの編集方針と瓜二つではないか。そして問いを立てる。「重要なのはむしろ、何が変わらなかったのか」だと。NHKに影響力を保持しようとする政治権力も、それに同調する勢力がNHK内部に存在し続けたことも変わらなかったと指摘したうえで、「そうならば、仮に政府が再び戦争への道を歩み始めれば、NHKは戦時ラジオ放送の轍を踏むことになるだろう」と警告する。
 読み終えて、私は「NHKの戦争責任」について認識を新たにした。その衝撃は、若いころ読んだ「ドキュメント放送戦後史」(松田浩著1980年)の読後感のそれに勝るとも劣らない。
 9
月に開かれた『ラジオと戦争』出版記念シンポジウムで、『新聞と戦争』の共著者藤森研氏(元朝日新聞記者)は「NHKとして戦前の放送を自己検証して国民に詫びることはなかったのではないか。それを大森さんがやってくれた」とその労を称えた。
 シンポジウムを聞きながら私は、今のNHKニュース、中でも政治報道が戦時ラジオ報道のDNAを引き継いでいないかという疑問がふと頭をよぎった。「放送を語る会」が2003年のイラク戦争から20数回積み重ねてきたTVニュースのモニター活動を通じて、NHKの政治報道が政権寄りであることを度々目にしてきたからだ。
「新しい戦前」と言われ、ジャーナリズムの劣化を危惧される今、著者大森氏の警告が放送に携わる若い世代の記憶に長く留められることを心から願ってやまない。
                            (2023年12月号)


      物言わぬ物の雄弁な物語~『戦争遺産島』~

                   
諸川麻衣(放送を語る会会員)      
 
番組は、ドローンからの映像で静かに始まった。青い海原、そこになだれこむ、島の緑の斜面…やがて、木陰にコンクリートの廃墟が現れる。旧日本軍の施設跡=戦争遺産だ。
 離島は兵器や情報を隠すのに都合が良いため、旧軍のさまざまな施設が作られた。しかも戦後あまり開発されなかったため、まだ多くが残っているという。8月12日放送のNHKBS1スペシャル『戦争遺産島』は、全国4つの地域の戦争遺産を取り上げたもので、この夏の戦争関連番組の中でも出色の作品だった。
 最初は、鹿児島県奄美群島の加計呂麻島と大島水道。大陸や東南アジアと本土を結ぶ物資輸送の中継地に当たるため、防衛のための軍事施設が集中、206もの戦争遺産があるという。6万トンもの弾薬を貯蔵し、国の史跡となった手安弾薬本庫跡、海峡入口を守る西古見砲台観測所跡、榴弾砲の砲台跡、日中戦争後に山中に作られた海軍艦船給水ダム跡、聴音室を設けて敵潜水艦のスクリュー音を探知した金子手﨑衛所跡、特攻兵器の基地・第十八震洋隊基地跡…いずれも朽ち果てずに往時の姿をとどめている。震洋隊基地の建設には旧制大島中学校の生徒100人が動員され、戦争末期には住民にも自決用の手榴弾やダイナマイトが渡されたという。
 次は、広島市の近くに浮かぶ似島。日清戦争の際に陸軍の検疫所が置かれ、外地から帰還した将兵を対象にした二つの消毒所が建設された(日清戦争開戦後に「大本営」が置かれたのが、他ならぬ広島だった!)。消毒所の建物はもうないが、将兵が出入りした桟橋跡、焼却炉跡、水路跡、井戸、1990年に発掘された馬匹検疫所焼却炉跡が残る。原爆投下直後、1万人の被爆者がこの島に運び込まれ、懸命の応急治療を受けた。しかし生きて島を出られたのはわずか500人にすぎなかった。第二検疫所の井戸の水が、多くの被爆者にとって人生最後の水になったという。
 第三は、山口県周南市の大津島。海に突出した白亜の建物が一見ギリシア風に見えるが、これは人間魚雷・回天の訓練基地跡である。元々島には回天の原型となった酸素魚雷の発射試験場があり、全国4か所の回天の基地の一つとなって、400人以上の搭乗員がここに集められたという。基地を住民から遮断したコンクリートの外壁、変電所跡、危険物貯蔵庫跡、回天搬送用トンネルが紹介される。訓練中の事故の爆音を聞き、潜水艦に乗って出陣してゆく若い搭乗員が振りかざす軍刀の煌めきを見たという元住民の証言が生々しかった。
 最後は、東京湾の入口に当たる神奈川県の猿島。幕末から湾防衛の要地とされ、1882年以降に建設されてきた諸施設が残る。最古のものが、煉瓦の壁の間を通る塁道と煉瓦造りの隧道、砲台地下施設跡。実は施設のかなりはいまだに用途不明だという。弾薬元庫、第二砲台第一砲側弾薬庫跡、弾薬を高台の砲まで持ち上げる揚弾井、サーチライトの電源のために1893年に建てられた電気灯機関舎、1936年に海軍が築いた8cm単装高角砲砲座跡、砲員待機所跡、兵士たちが寝起きした棲息掩蔽部、194411月にB29を想定して建設が始まった12.7cm連装高角砲砲座跡が紹介される。猿島要塞が実戦に登場したのが1945年7月18日の横須賀空襲だったが、この時猿島を襲ったのは艦載機の編隊だったため、高空を飛ぶB29向けの12.7cm連装高角砲は役に立たなかった…。
 番組の作り方として、遺跡の細部にこだわり、素材感・質感をしっかり描いたこと(資材不足でコンクリートの代わりに石を詰めた個所などがよく分かる)、存命の元住民や兵士の証言(一部は故人の証言のアーカイブス)で戦争の実態を丁寧に浮かび上がらせたこと、写真・図面・戦闘詳報などを活用して軍事的な情報を正確かつ分かりやすく伝えたことで、単なる風景が戦争の記憶の雄弁な語り手となっていた。BGMが控え目で映像に没入できた点も好感が持てた。何よりも、「AI」「カラー化」という、ここ数年NHK(特にNHKスペシャル)が取り憑かれている(しかし視聴者にとっては無意味な)手法を一切使わなかったのが清々しかった。眼前にある、しかし皆が気づいていない事実を実直に提示することこそ、テレビの真骨頂のはずだ。その原点を再確認させてくれる秀作だった。
 実は戦争遺産は、身近に意外に残っている。この「談話室」にも、写真集『多摩の戦争遺跡』を著した故・増田康雄さんが寄稿したことがあった。自分の住む地域から戦争を考える契機とするためにも、ぜひ今回の番組の続編を期待したい。
                          (2023年11月号)

  

    放送を語る会・大阪ホームページ 「終戦番組特集」から

           
平 惠數(たいら よしかず) (放送を語る会・大阪)

放送を語る会・大阪ホームページ(以下大阪HP
 放送を語る会・大阪は201711月に近畿在住の会員を中心に活動を再開。その際、視聴者どうしや制作者と語り合える場になればと大阪HPを開設しました。これまでに、放送を語る会(東京)と連携し、メディアを巡る声明や国政選挙、東日本大震災10年やウクライナ戦争報道などのモニター報告も公開してきました。直近では「新しい戦前」欄に9件の投稿がありました。大阪HPは 2021年から毎年、終戦番組の特集を組んでいます。各放送局の戦争に対するスタンスを見据えていきたい。その思いです。新聞番組欄によるとNHKはこの夏もドキュメントに加えて新作ドラマも。一方、民放キー局の腰を据えた関連番組の少なさが気になりました。

ラジオを「悪魔の拡声器」にしたのは
『アナウンサーたちの戦争』(NHK)は、太平洋戦争の開戦、終戦放送にも携わった和田信賢アナウンサーを軸に、ラジオで戦争を煽り立てたアナたちの悔恨と自省のドラマです。「言葉には力がある。言葉で世界を変える魔法。それはラジオだった」女性アナウンサーの独白で幕が上がる。12月8日の朝「米英と戦闘状態に入れり」のアナウンスに和田は軍艦マーチをかぶせる。開戦を知った国民は熱狂し「万歳!万歳!」を叫ぶことに。以後、「大本営発表」を繰り返して国民を鼓舞し続けた。戦況が悪化し、学徒出陣壮行会で学生のホンネを伝えられない無念さに、和田は中継現場から逃げ出す。そして、競技場の壁に向かって『正直怖い』『死にたくない』に続けて「この学徒たちは二度と帰ってこないのであります」と言葉を絞り出す。戦後、子供に「大本営発表」と声をかけられ、和田は罪の重さに絶句する。
 大阪HP
はこの番組について「戦争でラジオを悪魔の拡声器にし、
悲惨な結末に至らしめた責任を真正面に見据えたドラマと評価できるが、アナ個人の葛藤と反省にとどまっている」と投稿されています。日本放送協会としての総括が、放送介入への抵抗力となると思います。NHKはドラマ『よこすかクリーニング1946』も放送。すべてを失った戦災孤児たちが共同してたくましく生き抜くもので、かっぱらいシーンもあります。平和教育の教材から削除された『はだしのゲン』を思い起こさせるものでした。

若者のメッセージ 「核で平和は守れますか?」
戦後78年、体験者が極めて少なくなるなか、これまで沈黙していた方も語り始めています。最後になるかもしれない彼らの言葉を掬いあげ、戦争体験を生で聞ける最後の世代となる若者の「核兵器が安全を保障してくれると思いますか?」を受け止め、観念的な「核抑止力」に批判的な姿勢を示す番組も見られました。
 BS-TBSはドキュメントⅹJ広島 それでも核兵器要りますか』 で、非核署名に取り組む高校生の大内由紀子さんが、核兵器の非人間性や広島の惨禍を見つめ直すような発信をしたいと、長崎の高校生平和大使とともに核兵器禁止条約締約国会議(ウイーン)に参加。「微力だけど無力じゃない」と核兵器のない世界への道をアピールしました。『ドキュメント23 被曝体験伝承者の活動を伝える』(広島テレビ) は被曝体験者の声を引き継ぎ、伝承者としての望みを叶える大学生に密着。クローズアップ現代は、G7サミット翌日に『ヒロシマの思いは届いたのかで被曝者や若い世代の落胆と怒りの声を放送。『もし核兵器が使われたら』(8月21日)では核兵器が使用される可能性を突き詰めた検討と、その被害が破滅的となるシミュレーションを紹介している。核による核の抑止論が破綻していることが感じ取れる放送でした。
 インターネット環境での情報収集があたりまえの世代の討論番組『 Z世代と戦争』は、他人からカテゴライズされるのを嫌う若者たちだが、「face to face」の議論でお互いの理解を深めていました。続、続続編が待たれます。


戦争否定の原点を忘れない
 核抑止力を肯定したG7「広島ビジョン」を採択し、ウクライナや台湾有事を口実に、岸田政権は国会を開かず閣議で大軍拡を決定、国民の目から遠いところで事態が進んでいます。『歴史探偵 原爆報道・報じられなかった被害』は GHQの統制で原爆被害を記事にできなかったことに、探偵長の佐藤二郎は「ありのままを知る大切さ」「知ったからには伝えるべき責任がある」とコメントしています。「新しい戦前」のいま、戦争をしないさせないため、忘れてはならない原点です。
                          (2023年10月号)



     NHKのネット配信は本当に「民業圧迫」か?

                   諸川麻衣(放送を語る会会員)

 7月24日、総務省の有識者会議「公共放送ワーキンググループ(WG)」の会合が開かれ、NHKのインターネット業務のあり方が議論された。検討項目の筆頭は、「テレビを持たずにインターネットで視聴する者に対しても費用負担を求めて放送番組を届けることを、NHKの必須業務とすべきか否か」。若手・現役世代の「テレビ受像機離れ」が進む中でNHKは、放送のネット配信に力を入れてきた。例えば2020年に始まった「NHKプラス」では、受信契約者は総合とEテレの番組を放送から1週間視聴できる。また、番組やアーカイブスのサイトも多種設けられている。ただし衛星放送の配信は、今の「インターネット活用業務実施基準」では認められておらず、ネット業務は「放送の補完」との位置付けのため総予算に200億円という上限がある。ネット配信がNHKの必須業務とされればこうした制約は取り払われていくはずなのだが「現状、ネット業務は放送の『補完』であるにもかかわらず、なし崩し的な業務拡大が行われてきた。必須業務化によって際限なく拡大する恐れがあり(中略)ネット配信の必須業務化を前提とする議論を拙速に進めることには到底賛同できない」とする意見書を提出した。
 ここ数年、民放や新聞は、NHKのネット配信業務に対して「民業圧迫」という批判を繰り返している。例えば東京新聞(6月2日)は「NHKのネット配信拡大には民業圧迫との批判が強い。毎年六千億円以上の受信料収入を得るNHKが本格参入すれば民間放送は太刀打ちできず、公正な競争は著しく損なわれる。いずれスマホなどネット端末にも受信料を課す布石では、との警戒感も強い」と書き、日本民間放送連盟の堀木専務理事は6月7日、「NHKがネットに出ていけばいろんな業界とぶつかる可能性がある。特に教育コンテンツは既に多くの会社がネット上で事業を展開している」と述べた。
 しかし、NHKが自局で制作・放送した番組をネットにも流すことがなぜ民業圧迫になるのか? 民放の番組は、衛星放送の一部も含め、TVerで配信されており、朝日新聞もネットに重心を移しつつある。それでいながら「NHKのBSのネット配信は民業圧迫だ」というのは身勝手ではあるまいか? 民放連・堀木理事の教育コンテンツに関する発言も事実を逆さまに描いている。NHKの学校教育用サイトは、1996年の「学校放送オンライン」以来四半世紀以上の歴史がある、この分野の草分けなのだ!しかも民放連は、民業圧迫を示す何らかのエビデンスはないかとのWGでの問いに昨年12月、「現時点で、民放への影響に関するエビデンスや調査結果を持ち合わせていませんので、政府やNHKは必要に応じて、NHKのインターネットサービスの拡大で民放や新聞に不利益が生じるかどうかを明らかにする調査などを実施していただきたいと思います」との回答を出していた。
 この空虚な「民業圧迫」キャンペーンのせいもあって、視聴者の受信料で作られたBSの番組が「NHKプラス」で見られないという不便が続いている。秀作ドラマや、NHKスペシャル以上に見応えのあるBS1スペシャル、岩合光昭さんのネコ番組、どれもネットでは見られないのだ。さらに、衛星放送は雨雲が分厚いと電波が弱くなって映らなくなる。このような弱点がある衛星波だからこそ、地上波以上にネット配信に意味があるはずだ。
 これまでのWGでは構成員から、「必須業務化とは『テレビを持たない方が、民放や新聞のコンテンツにインターネットで触れられるのと同様に、NHKコンテンツにも触れられるようになること』であり、伝送路にかかわらず、必要な公共性のある情報を届けることが、デジタル時代の公共放送の役割」「これまでマスメディアとしてNHKは貢献してきた以上、これから将来のインターネット展開は必然であり、また、本来やるべき業務である」など、ネット配信の必須業務化に前向きな意見が少なからず出されている。
 NHKの番組・コンテンツは受信契約者の「共通財産」であるはずだ。日々の放送も、過去の映像・音声資産も、受信契約者がネットでいつでも自由に視聴できることこそ、公共放送としての理想形であろう。偽りの「民業圧迫論」にはそろそろご退場願いたい。
                            (2023年9月号)



      放送の「政治的公平」~政治の介入は排除されたのか

              古川英一(放送を語る会事務局長)

 今回も、また放送法をめぐる問題について考えてみたいと思います。(何しろ「放送を語る会」なのですから!)
 この3月、放送法の政治的公平の解釈変更をめぐる総務省の内部文書が公表され、安倍政権時代の放送への政治介入のプロセスが明るみになりました。立憲民主党の小西洋之参議院議員が、内部文書を入手し国会で政府を追及したのがきっかけで、総務省が文書を認めたのです。ところが、事態は一転、かつての担当大臣だった高市早苗氏が、文書を捏造だと答弁し、国会でも、メディアの反応も、高市氏の進退騒動へと軸足が移り、さらに小西議員自身も「サル発言」で批判を浴びました。こうした中で、肝心の放送への政治介入という、民主主義の根幹を揺るがす問題の解明が、いつの間にか後景に退いていきました。高市氏がいまも閣議の前に岸田首相の横に平然と座っている姿が折に触れ映し出されるのを見ると、一体あの問題は何だったのだろうと感じてしまいます。

「政治的公平を一つの番組だけで判断」は撤回されていた
 あの問題は何だったのだろう、それに応えるシンポジウムが6月25日に立教大学で開かれました。「 NHKとメディアの今を考える会」と立教大学社会学部の砂川ゼミが主催し、放送を語る会や、JCJ=日本ジャーナリスト会議も共催団体に加わりました。小西議員と砂川浩慶教授がパネリストとなり、総務省の行政文書問題から何を学ぶのかを考えるシンポジウムでした。当日は、語る会の会員も参加しましたが、厳しい暑さの中を会場に来ることで気分が悪くなり、始まる前に帰られた会員もいました。高齢をおしてまで足を運ばれた、その熱意に対して、きちんとシンポジウムを聞かなければと気を引き締めました。
 この問題をおさらいしますと、いまから8年前の2015年5月の参院総務委員会で当時の高市総務相が、放送法4条の政治的公平をめぐり、これまでは「放送局の放送番組全体で判断する」としてきた解釈を「極端な場合は、その一つの番組だけで政治的公平を判断できる」と解釈を変更した答弁をしました。そしてこの解釈変更が、当時の安倍政権の礒崎首相補佐官が主導し、安倍首相もそれを承認した経緯を総務省の内部文書が明らかにしました。まさに放送への政治介入の経緯が可視化されたのです。
 
小西議員は、総務省OBです。内部文書は総務省内の人物から「私は放送行政に携わる総務省の職員として、このような国民を裏切る違法行為を見て見ぬふりをすることはできない。どうかこの資料を使って国民の皆さんの手に放送法を取り戻して、日本の民主主義を守ってください」として託されたとしています。自分の立場を危うくしてまで内部告発をした官僚の覚悟に対して、国民への責任を顧みず、捏造、怪文書呼ばわりする政治家の厚顔無恥さが、浮き彫りになりました。
 小西議員が、シンポジウムで力説したのは、この文書による国会での追及によって、3月17日に、政府がこの解釈変更を全面的に撤回したということです。それは参院防衛外交委員会での、総務省の山﨑良志審議官とのやり取りにおいてでした。この中で山崎審議官は「政府統一見解において、一つの番組ではなく、一つひとつの番組の集合体である番組全体を見て、バランスが取れたものであるかどうかを判断するということでございます」「政治的公平であるということについて番組を見て判断するという従来の解釈に何ら変更はございません」と答えています。これについて小西議員は、政府の全面撤回は、2015年の解釈を破棄したのはなく解釈を上書きしたものだと指摘しました。
 この問題について岸田首相の答弁は「総務省まかせ」でメッセージとして全く伝わってきませんでしたが、実は3月17日の答弁で「一つの番組で判断」という解釈が効力を失ったことになり、安倍政権以降の違憲・違法な解釈の初めての撤回例になったのです。しかしこの事実は、広く知らされ周知されることはあありませんでした。

 シンポジウムで小西議員は今回の問題を通じて、違法な解釈変更についてのメディアの調査報道や、全面撤回を伝える報道が殆どなかったことを課題にあげました。そのうえで今後、テレビの報道や番組制作に良い変化があるかどうかを見ていきたいと・・・

問われるメディアの姿勢
 砂川教授は、今回の全面撤回について、メディアがきちんと伝えなければわからない、なぜテレビは報道しないのか、とメディアの姿勢を批判しました。確かに官僚の難しい言い回しを読んだだけで、その真意を理解できる人がどれだけいるでしょうか。政府ができるだけあいまいにしようとしていることを、明確にして伝えていくことはジャーナリズムの「イロハのイ」ではないでしょうか。「政治的公平」の解釈変更という呪縛からひとまず解き放たれ、今度はテレビジャーナリズムが再生していく意思・エネルギーを持っているのかが、問われているのだと思います。
                            (2023年8月号)


      
      放送への政治介入は~語る会の勉強会スタート

                   古川英一 (放送を語る会事務局長)

 「政治的公正をだれが判断するのかというところでございますが、これは最終的には郵政省において、そのこと自身の政治的公正であったかないかについては判断するということでございます」・・・えっ、と驚いたこの発言、最近のものではない。もう30年近く前の衆院逓信委員会での当時の郵政省の放送行政局長の答弁だ。それを改めて示してくれたのは、メディア総合研究所事務局長で放送レポートの編集長の岩崎貞明さん。放送を語る会が5月末に開いたオンラインの勉強会の中でのことだった。

放送法解釈変更と政治権力~総務省文書が明らかにしたもの
 今回の勉強会は、今年3月に立憲民主党の小西洋之参議院議員が明らかにした総務省文書をもとに、政治と放送の関係について考えていこうとうのがねらいだ。2016年に当時の高市総務相が政治的公正について、これまで番組全体で判断するとしてきたのを、個別番組について問題にするという解釈変更をした問題について、文書は安倍元首相の側近の礒崎首相補佐官が総務省に介入した経緯を明らかにした。文書について岩崎さんは官邸の権限が官僚への人事権を背景に絶大になったこと、安倍元首相への忖度ぶり、そしてNHKが全くやりとりの中で話題になっていない点を指摘した(官邸側はNHKは自分たちの言うことを聞く、とはなから考えていたのではないかと)
 その後、小西議員が「サル発言」で批判を浴び、文書は捏造だと言い放った高市氏の責任問題だけでなく、この文書が突きつけた放送への政治介入問題さえ
尻すぼみになった感があるが、岩崎さんは「政権と野党はどっちもどっちではない、政権と野党を同じレベルで語る水準にしたら問題がすり替えられてしまうのではないか」と危機感をにじませた。
 続いて放送法第4条の政治的公平について解説。この解釈をめぐっての大きな転換点が冒頭に記した199310月の郵政省の放送行政局長の答弁だ。この時、「政府が放送内容を判断する」と放送法の解釈変更が一方的に行われたと岩崎さんは指摘する。ちょうどテレビ朝日の報道局長の発言が問題になった時のことで、実はこの頃から政府が放送に対してにらみをきかせる姿勢が強まっていったのだ。
 では政府が放送の内容を判断し規制できるのだろうか。放送における言論・表現の自由は憲法21条に保障されている。また放送法第3条では「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉、規律されることはない」としている。さらに放送法第4条では、罰則は設けられていない。したがって総務省は行政処分ではなくあくまでも行政指導しかできない、それなのに、なぜ放送メディアは、毅然と向きあえないのか、それは免許制度が背景にあるからだと岩崎さんは言う。
 そして政治と放送の関係について、「放送の独立規制機関」は世界の常識だと、欧米だけでなく韓国や台湾の機関を列挙し、政府の直接免許制はロシア、北朝鮮それに日本などで、国家権力から切り離した形で放送行政を行うことを真剣に考えていかなくてはないない」と独立行政委員会の必要性を訴えた。最後に、こうした問題に多くの人に関心を持ってもらうためにも、今回の勉強会のような機会を増やすことが大切だと述べた。

語る会の勉強会、その新たな試みのスタート
 講師の岩崎さんからもエールを送ってもらったこの勉強会、コロナ禍で3年あまり、積極的な活動ができなかった語る会にとって、新たな試みのスタートでもある。コロナ禍は、オンラインの普及というプラスの副作用もあり、語る会でも毎月1回、ZOOMを通して東京だけてなく、大阪、名古屋などからも会員が参加して運営委員会を続けている。
 社会問題に切り込んだ番組の制作者に会場に来てもらうリアルのセミナーの復活などあれこれと話すうちに、まずは「できること」、運営委員会の延長でオンラインの勉強会を始めたらどうか、といった声があがり、岩崎さんによる勉強会が実現できた。その際、こうした勉強会、内輪だけではもったいないという話になって、他の市民グループやジャーナリズムの団体などにメンバーが声をかけ、勉強会には40人近くが参加した。
 「できること」を「広げていく」、この2つのことを組み合わせた試みは、何も勉強会だけではない、私たち市民が権力に向き合う際にも大きな力になるのではないのか。
 語る会の勉強会、これからもネットワークを広げて続けていきたいと思います。この一文を読んでくださった方々も、是非顔を出してみてください。
                            (2023年7月号)



     「
放送法解釈変更」 テレビニュースはどう伝えたか

                   小滝 一志(放送を語る会会員)

 小西洋之参議院議員が公表した総務省行政文書をめぐり当事者のテレビメディアはどのように伝えたのか、文書が公表された32日から17日までのテレビ報道をモニターした。対象にしたのはNHK「ニュースウオッチ9」(以下「NW9」)、テレビ朝日「報道ステーション」、TBSnews23」(以下「N23」)の三番組。期間も番組数も極めて限定された報告であることをお断りしておく。
 先ず見えてきたのは「NW9」の報道量の少なさである。「NW9」はこの問題を5回取り上げ放送時間の合計は10分だった。「報道ステーション」の回数は同じ5回だが29分強、「N23」の8回、34分弱と比べると「NW9」は約1/3、その少なさが際立つ。
 参院予算委で小西議員が質問した3日、「報道ステーション」は「文書が本物なら議員辞職も」とおよそ2分で短く伝え、「N23」は「放送法をめぐる“文書”高市大臣『捏造』と反論」のタイトルで440秒、比較的詳しく伝えた。しかし、「NW9」は、全く取り上げなかった。
 松本総務相が「行政文書」と認めた37日は、文書の内容の伝え方に違いが表れた。
 「NW9」は、「松本大臣“総務省作成の行政文書”と確認」のタイトルで320秒。文書については山内アナが「放送法が定める『政治的公平』の解釈めぐり、総務省幹部と当時の礒崎総理補佐官や高市総務大臣とのやり取りとするメモが記録されています」と30秒弱のコメントのみで内容には踏み込まなかった。
 「報道ステーション」は全体で1330秒。行政文書の内容は、字幕を使って丁寧に紹介した。「全体でみる時の基準が不明確。極端な場合一つの番組でも明らかにおかしいときがあるのでは」という礒崎補佐官の問題意識に始まり、総務省幹部との9回の面会、山田総理秘書官の「言論弾圧だ」との非難、礒崎補佐官の国会質問の段取り、安倍総理(当時)のお墨付き、礒崎氏と調整後の高市答弁など解説は3分を越えた。
 「N23」も1030秒使って伝えた。文書の内容解説では、「怪しからん番組を取り締まる姿勢を示す必要がある」と「政治的公平」の解釈見直しを求め、「俺と総理の二人で決めること」「首が飛ぶぞ」などの恫喝ともとれる礒崎発言を伝えた。
 「権力による放送メディアへの介入」が生々しく記録された行政文書の肝心な内容を詳細に伝えることに消極的な「NW9」の報道姿勢には首を傾げざるを得ない。
 キャスターコメントも比較した。モニター期間中、最も印象に残ったのは、37日「報道ステーション」大越キャスターである。「行政文書が事実だとすれば、総理官邸の一高官が放送法に新しい解釈を加えることにこだわって、国権の最高機関・国会を平然と利用していた。自分がコントロールできる議員に国会で質問させ、大臣答弁を引き出して既成事実を積み上げるやり方。これは国会自身が問題視すべきではないか。与野党の別なく『国会軽視』と怒りの声を挙げるべき」と珍しく怒りの感情を滲ませ語気を強めてコメントした。
 「N23」は、38日の小川キャスターのコメントが記憶に残る。「国会論議の論点が捏造か否かになっている。それも勿論大切だが問題の本質は、政府に不都合なことがあった場合果たしてきちんと放送できるのか、『政治的公平』であるかどうかは、誰がどう判断するのか。メディアだけでなく国民にとっても、誰もが知るべきことを知ることができるかどうかにかかわる大切な問題。『N23』は今後もしっかり伝えてゆく」これに対し「NW9」の田中キャスターは、松本総務相が行政文書と認めた37日「事実関係と当時何があったかしっかり解明してほしい」,高市大臣が「捏造」論を繰り返す38日「事実をはっきりさせる必要がある
解明を注視したい」といずれも他人事のような及び腰のコメントだった。
 モニター後の率直な印象は、「NW9」の消極的報道姿勢だ。とりわけ政権のメディア介入をリアルに伝える行政文書の内容に踏み込まず結果的に政権批判を避けたように思えることである。
 その背景は何か。
 総務省に放送局の許認可権を握られている放送メディアだが、中でもNHKは予算・事業計画まで毎年総務大臣に提出しなければならず、経営委員の任命権が総理大臣にあるなど、民放に比べて行政の縛りがきつい。NHKの政権への忖度は、経営幹部の姿勢だけでなくこうした放送行政の仕組みにも起因するのではないか。
                           (2023年6月号)



      ドラマ『ガラパゴス』が告発する資本主義の非情

                    諸川麻衣(放送を語る会会員)

 2022年夏。体を壊して閑職に回されていた捜査一課の刑事・田川信一(織田
裕二)警部補は、鑑識課の木幡祐香(桜庭ななみ)巡査部長を手伝って身元不明の死者の割り出しに当たることになり、5年前に練炭自殺として処理されたある男が実は毒殺だったことを見抜く。男は沖縄出身の派遣労働者・仲野定文(満島真之介)と判明。田川・木幡は仲野が働いていた各地の工場を訪ね、生前の仲野の優しい人柄を知る。事件の謎を解く鍵は、仲野がいまわの際に遺した紙切れに書かれた6桁の数字。やがて、彼が自動車に関わる何らかの不正をネットで告発していたことが分かるが、仲野を派遣していた人材派遣会社は捜査を執拗に妨害する。背後には、派遣会社、自動車メーカー、さらには政界、警察のつながりがあった…。

 2月にNHKのBSで放送された上記の『特集ドラマ ガラパゴス』(前・後編)は、相場英雄の同名の長編小説(2016年)を脚本・戸田山雅司、演出・若松節朗で映像化したものである。ある殺人事件の捜査というミステリーの形を借りて、人件費圧縮のために派遣労働者の比率を高める企業、派遣労働者の劣悪な処遇など、「世界で一番企業が活躍できる国」が「世界で一番労働者がこき使われる国」であるという今の日本の素顔を生々しく描いた。相場はドラマ化決定の際、「田川が辿る容疑者確保への道筋は、あなたが直面している厳しい生活の写し鏡かもしれない」とコメントしていたが、事実視聴者は、田川・木幡コンビの目を通して、足立区、亀山、美濃加茂、海津、北上などで、派遣労働者の厳しい境遇や地域の衰退を目の当たりにすることになる。作中で重要な要素となる相互監視・密告はフィクションかもしれないが、タコ部屋同然の詰め込みや法外な寮費は実際にあるそうだ(スタッフロールには「派遣労働考証」「人材派遣考証」の表示もあった)。題名の「ガラパゴス」は、独自仕様の携帯だけでなく、ここまで歪んでしまった日本の資本主義のものなのでは…見終わって誰しもそう感じるに違いない。
 田川の相棒を強面の男性刑事・木幡祐司から若い女性の木幡祐香に変更したこと、田川やその妻が感じたハイブリッド車の乗り心地の悪さや不良エアバッグのリコール問題などのエピソードを割愛したこと、人材派遣会社の社長秘書・高見沢紅美(泉里香)と警視庁の問題刑事・鳥居勝(伊藤英明)を結託関係にしたことなどを除くと、ドラマは結末に至るまで原作に極めて忠実であった。演出は、手持ちカメラなどでドキュメンタリー的な色合いを加味していた。田川らが訪れる各地の風景と方言が活かされ、ロードムービー的な趣も感じられたが、それはまた、独自の風土・文化を持つさまざまな地方が資本主義に「包摂」されて個性を奪われている現実を示唆することにもなっていた。またBGMが控え目だったおかげで、俳優陣の熱演に没入できた。特に、NHKドラマ主演は34年ぶりの織田裕二は、かつての『踊る大捜査線』シリーズの青島刑事の熱血・行動派ぶりとは対照的に、いまだにガラケーを使い、ひたすら足と手書きメモで真相に迫る昔気質の中年刑事を好演した。中でも一つの頂点が、田川が遂に6桁の数字の正体に辿り着いた「劇的判明」の瞬間だった。万感の思いで目を閉じるというドラマならではの表現によって、忘れがたい場面になっていたのである。
 19世紀半ば、イギリスの労働者の悲惨な生活実態を調査した青年フリードリヒ・エンゲルスは、1845年に告発の書『イギリスにおける労働者階級の状態』を世に問うた。それに触発された彼の盟友カール・マルクスは、そのような社会を生み出した資本主義のメカニズムの解明に乗り出していった。もしエンゲルスが今日の日本の労働者階級の実態を取材したなら、このドラマのようになったのではないか? 視聴者からは「NHK、よくぞここまで踏み込んだものだ」「ドラマ制作の姿勢にはBSを中心に気骨を感じる」との感想が寄せられた。請負契約制度、さらにコロナ禍や物価高騰など、相場も述べる通り「原作を描いた七年前よりも、働く者を取り巻く環境はより苛烈になっている」。NHKはそろそろ、ガラパゴス化の気味がある大河ドラマを、多様な題材や手法で今の日本を鋭く見つめるドラマ枠に転換してもいいのではないか? 名称は…例えば…「どうする日本」?
                            (2023年5月号)


   
    NHKETV特集「ルポ死亡退院~精神医療・闇の実態~」の衝撃

                    今井潤(放送を語る会会員)

<八王子の滝山病院で何があったのか>
 ことし225日に放送されたETV特集は冒頭から衝撃の映像と音声が流れた。モザイクで加工した病室の映像で患者と看護師のやりとりが・・・看護師「口の利き方に気をつけろよ、なめんじゃねえ」准看護師「うっせえな、殺すぞ」「忙しいのが見てわかんねえのか、この野郎」看護師「もっと行くぞ本気で」患者「痛い」看護師「ぶち殺していい?」
 この後、病室のやせ細った身体の患者の映像になり、家族や地域に居場所を失い長期入院していた患者たち、多くの人がそのまま病室で死亡していきましたとコメントされる。弁護士の相原啓介さんは内部告発のあった患者の支援活動を続けて来た。番組では相原弁護士が面会した知的障害がある男性との会話で、彼は「このままでは殺される」と話し、実際面会の3週間後に急死してしまう。46歳急性心不全、司法解剖は行われたが、因果関係は認められなかった。相原弁護士は「あの時、彼を連れて帰らなかったので、死んだと思う。この病院は一秒でも早く逃がさないといけないと思う」と語る。
 215日警視庁は滝山病院に捜索に入り、患者への暴力の疑いで、看護師一人を逮捕した。50年以上にわたり、なぜこの滝山病院は存続しつづけてきたのか。
 滝山病院への指導監督の責任は東京都にある。都は定期的に実地指導、立ち入り検査を実施してきたが、虐待の事実は認められなかったとしている。都による滝山病院への指導監督報告書で暴力などによる人権侵害について4段階評価でB判定、身体拘束では多くがA判定と高い評価だ。少なくともこの6年間改善命令といった強い指導は行われていなかった。

<精神医療の闇>
 番組取材班は過去10年分の患者リスト1494人分を入手、分析した。病院スタッフ(モザイク映像)は「家族から、面倒見られないといわれ」「もうこちらに連絡しないでと言われた」と話す。都内の精神科病院の職員は「滝山病院へ行ったら最後とよく言われます。暴力行為とか評判悪い、必要悪です」と話す。また、患者の54%が生活保護を受給していることがわかった。
 専門家の岡部卓明大教授は「生命保険は公的なもので、安定した収入が得られる。今の国の生活保険費は4兆円、その1割に当たるのが精神科、神経科の入院費だ。その背景には病院と行政の利害関係者が差配して調整している。患者不在で、いわゆる棄民政策だと思う」と話す。

<精神科病院事件は続出していた>
 1984年宇都宮病院事件。看護師が鉄パイプで暴行を加え、患者2名が死亡する事件が起き、逮捕者が続出した。
 20203月神戸の神出病院で患者への集団暴行が発覚、看護師ら6人が逮捕された。入院者の3割が生活保護受給者、関西一円から患者を受け入れていた。また前理事長に8年間で18億円もの報酬が支払われていた。事件の調査に当たった林亜衣子弁護士は「ひどい例だ。入院中4割が死亡した。社会悪とか必要悪として目をつむってしまうわけにはいかない。患者さんたちがそれを是としないわけですから」と話している。
 事件から2年半が過ぎた去年11月、病院と兵庫県、そして神戸市の3者による再発防止の協議が初めて行われた。虐待を受けた患者の多くは今も病院にとどまったままだ。
 2001年埼玉の朝倉病院で40人が不審な死をとげる事件があった。不必要な治療を行い、生命保険を悪用したことが明らかになった。病院スタッフは「異常な薬の使われ方だった。人間の抜け殻のようになっていた」と。この事件で院長の資格が取り消された。当時のスタッフに聞くと、この院長が現在の滝山病院の院長だという。
 なぜ、保険医を取り消された医師が再び院長を続けられるのだろうか。法律では保険医の資格は5年で再申請が可能であるから、それを利用したと思われる。
 番組取材班は高級外車で帰宅する滝山病院の朝倉院長に直撃インタビューを試みるが、院長は答えず走り去るのだった。
 3
5日の朝日新聞社説「滝山病院事件、密室の虐待、徹底解明を」の中で、朝倉院長は精神科病院協会の調査に対し「寝耳に水だ」と答えたという。
 精神科医療の闇は続いている。
                            (20234月号)


         沖縄で感じた危機感・本土との温度差                    
                    
                    古川英一(放送を語る会事務局長)

 1月末に日本と韓国の学生たち30人余りと沖縄を訪れた。日韓のジャーナリストを目指す学生たちに、両国の歴史について共に学び、交流してもらおうと新聞社や放送局の記者など有志で6年前に立ち上げた企画だ。7回目となる今回は辺野古や、沖縄戦の史跡などを4日間で回り、関係者や地元の記者に話を詳しく話を聞いた。
 その中で特に強く感じたのは、岸田政権が「台湾有事」を名目に、専守防衛から「敵基地攻撃能力」の保持、そして軍事費のGDP2%への増額といった安保政策の大きな転換を閣議決定だけて決めてしまったことへの沖縄の人々の危機感だった。その人たちの“言葉”を伝えたい。
 
 ■名護市辺野古にて 沖縄平和運動センター・山城博治さん
 県民の反対の声を無視して、辺野古には、米軍の新基地建設のために海上を埋めたてるため、ダンプカーが列をなして土砂を搬入、反対をする人たちが座り込みを続けている。反対運動の中心となった山城博治さんが、現場に駆けつけてくれ、学生たちに訴えた。「政府がアメリカと一緒に沖縄で戦争をしようとしている。兵器を運び込み、沖縄を捨て石にしている。これまでの沖縄反戦平和運動の総決算として、沖縄が体を張って政府に抗議していく。私は日本人をやめたい。そんなに戦争をしたいなら自分のところでやれよ、といいたい」

 ■糸満市の遺骨収集現場にて 沖縄戦遺骨収集ボランティア・具志堅隆松さん
 沖縄戦の激戦地となった南部では、いまも多くの遺骨が未発見のままだ。具志堅さんはこうした遺骨を発掘・収集する活動を続けている。学生たちも現場で遺骨の発掘作業を手伝い、小さな人骨を見つけ出した学生もいた。具志堅さんは語った。
 「亡くなった人たちへの慰霊と、沖縄戦の実態を多くの人に知ってもらい、再び戦争にならないようにするため、遺骨収集の活動を続けている。防衛省は、遺骨が眠る南部の土地から辺野古埋め立てのための土砂を取ろうとしているが、それは人道的に間違っていることで、いま交渉を続けている。さらに心配なのは『台湾有事』で沖縄が再び戦場になろうとしていることだ。中国に対して攻撃のための準備をしていると示すようなもので、沖縄の住民はどうなるのだろうか。住民の避難については各自治体が、というが、ミサイルが発射されたら到達までに避難するのは時間的にも無理、私たちの命に関わることだ」

 ■読谷村で集団自決のあったチビチリガマにて ガマを語り継ぐ・知花昌一さん
 チビチリガマでの集団自決は、地元の人たちが口を閉ざし、戦後40年近くを経て知花さんたちの調査によって明らかになった。以来知花さんは、このガマを当時のままで残し、訪れる人たちに語り続けてきた。今は息子さんがそのあとを継ごうとしている。
 「戦争体験は年月とともに薄くなっていく、そして戦争を肯定する人が多くなっていく。若い人たちは戦争についてもっと勉強していくべきです。辺野古への新基地建設や普天間基地へのオスプレイの配備、沖縄は構造的な差別にあっている。そして今度は『台湾有事』の軍備強化。武力によらない平和を民衆の連帯によって作っていかなくては」と語った知花さん。ジャーナリストの卵たちへ向けて「メディアは、市民の代表としてものが言える。民主の代表として力を発揮してほしい」と希望を託した。
 沖縄では琉球新報と沖縄タイムスの2紙がしのぎを削りながら、沖縄の現状を伝えている、その根底にあるのは、2度と沖縄を戦場にしないという強い決意である。普天間飛行場のある中部地区を担当する沖縄タイムスの平島夏実記者は、5年前に保育園に米軍機からとみられる部品が落下したことなどから「毎日、米軍機が飛んでいるときは、空を見上げてハッチが空いているかを確認し、一つひとつ証拠を確かめています」と語った。基地が生活の中にある地域での取材の緊張感が伝わってきた。
 日々基地との共存が余儀なくされる沖縄の人たち、その人々が国の新たな安保政策に対して持つ危機感、それは本土にはなかなか伝わってこない。それはメディアが報道することが少ないからだ、全国メディアにとっては、沖縄はローカルの一つに過ぎないのだろうか。しかし在日米軍基地の70パーセント余りが沖縄に集中している以上、沖縄の基地問題は、「敵基地攻撃能力」を保持しようとする国の防衛政策の具体的な現場ではないだろうか。「米中のどちらかにつくのではなく、どうすればこの地域の平和を守っていくのか、この地域の平和を願う報道をするのがメディアの責任ではないか」山城さんのこの言葉が重く響く。
                            (2023年3月号より)


   大手メディアが伝えなかった市民のNHK会長推薦運動(その2)
                

                    小滝一志(放送を語る会会員)

 「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」は、昨年121日衆議院議員会館でシンポジウム「公共放送NHKはどうあるべきか」を開催した。サブタイトルは「市民による次期会長候補・前川喜平さんと考えるメディアの今と未来」。前川さんの他、ジャーナリスト金平茂紀さん、法政大学教授・国会パブリックビューイング代表上西充子さんをパネリストに迎え、司会は「会」のメンバーで武蔵大学教授・元NHKプロデューサー永田浩三さんが務めた。      シンポジウムは会長選考問題だけでなく、政権寄りの政治報道批判、ネットメディア台頭の下での公共放送の今後などについて視聴者・市民が議論を深めた貴重な場になった。 最初のテーマは「今のNHKの何が問題なのか」。
 前川さんが会長候補の推薦を受けた深い動機を語った。
 「私が強烈に『NHKがおかしいな』と思ったのは5年半ぐらい前、国会で『加計学園問題』が追及され始めた頃。NHK社会部の記者さんが非常に熱心に取材活動していて、自宅まで押しかけてこられて私の単独インタビュー映像も。しかし一向にニュースにならない。実際に取材をしておられたNHKの社会部の記者さんたちは、ほんとうにくやしがっていましたし、私 の目の前で涙を流しているという姿も見たわけです。『これはほんとうにおかしくなってるんだな』 ということを感じました」
 会長選考をめぐってパネリスト二人はこう述べた。
 金平「今のままでいくとブラックボックスのまま。しかし、安倍元首相の銃撃殺害事件、ある意味で『パンドラの匣』開けた。『パンドラの匣』が開いた今の時期にこういうことが、おこなわれるというのは、重要なこと。一石を投じるどころじゃなくて、けっこう困ってると思う、向こうは。ちゃん と透明性というか、なぜこの人を選んだってことをきちんと明示できるような、そういうことを求めてるっていう意味で言うと、僕はこれ有効な運動だなって思う」
 上西「NHKの報道の内容についての批判、かなり広がってきてると思うけれど、その内容が政府寄りになってしまっていることが、組織のあり方の問題にかかわるんだという点に対しては、まだまだ認識が広がっていないのかなと。そこにこうして市民の側が、関心を向けていくことが非常に重要だなと今、思いました」
 会場からこんな提案もあった。
シャドキャビネット(影の内閣)』に模して、『影の経営委員会』をつくって、前川さんが影のNHK会長になってNHKの経営陣の向こうを張ってNHKの問題や将来のビジョンについてレポートを発表しNHK本体と比べてもらうというのはどうか」提案に応えて前川さんも、「まず『影の経営委員』を12人決めたうえで、その12人に前川が選ばれれば、『影の会長』になってもいいと思う」と発言、会場を沸かせた。

世論を可視化した署名活動

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1日、シンポジウムに先立って、「前川喜平さんを次期NHK会長に!」の賛同署名44,019筆(紙署名20,425筆、ネット署名23,594筆、1130日現在)をNHK経営委員会に提出した。紙の署名簿による署名活動は、「NHKとメディアを考える会(兵庫)」が熱心に提案し、各地市民団体への呼びかけや集約の実務を一手に引き受けてくれた。活動は1か月ほどの短期間で全国に拡がり、イベントへの参加やネット署名のかなわない視聴者・市民にも意思表示の機会がつくられ運動は草の根の拡がりを見せた。

 NHK経営委員会の稲葉延雄氏次期会長任命を受けて「会」は129日、「透明性の決定的な欠如と視聴者・市民の声を完全に無視した 次期 NHK 会長選びに抗議します」との声明と要旨以下の公開質問状を提出した。
Q「私たちが推薦した前川喜平さんは、選考過程で、どのように取り扱われたのか」
Q「会長選びの手続において透明性の確保が決定的に欠如していないか。首相が稲葉氏を口説き落としたとの報道があり、経営委員会は首相決定の追認機関になり下がっていないか」
Q「本当に『全会一致か』」
Q「国会が再度求めた「手続の透明性」(参議院総務委員会附帯決議、2015 年及び 2016 年)にどのように取り組んだのか」
 回答期限は115日に設定した。回答を注視したい。
 「前川さんを次期NHK会長に!」という私たちの運動は3か月ほどの短期決戦だった。残念な結果に終わることは想定内だったが、官邸主導の密室協議で決まる会長選考の問題点を視聴者・市民の前に明らかにできたばかりでなく、NHKの現状、放送メディアの動向についても議論を深めたことは、明日への改革につながる重要な一歩になった。
                           (2023年2月号より)

              
   大手メディアが伝えなかった市民のNHK会長推薦運動(その1)

                
小滝一志(放送を語る会会員)

 2022125日、定例の開催日を一日前倒して開催したNHK経営委員会は、元日銀理事稲葉延雄氏を次期NHK会長に任命した。
 記者会見で森下経営委員長は「(経営委員の)誰が稲葉氏を推薦したかは応えられない」と公表を拒否して、会長の指名に至る議論の密室性を改めて印象付けた。6日の読売新聞は政府高官の話として、「首相は水面下で稲葉氏に接触して口説き落とし、自民の麻生副総裁や菅前首相らの総務相経験者への根回しを行った」と伝えている。今回の次期会長選考過程もこれまで通り官邸主導の密室協議を経営委員会が追認したに過ぎなかった。

「前川喜平さんを次期NHK会長に!」
 
3年に一度繰り返されるこの次期NHK会長選考の密室協議に対抗して、今年は大手メディアが伝えない「市民のNHK会長推薦運動」が展開された。
 それは9月末、一人のNHKOBの電話から始まった。「官邸主導でNHK会長が決められてきた流れを断ち切りたい。籾井会長罷免運動で3人の市民推薦の会長候補を立てたような運動が展開できないか」
 電話を受けた私たち市民団体にはこれまで二度、会長候補推薦運動の経験があった。2007年橋本元一会長退任時に元共同通信専務理事の原壽雄、NHK副会長(当時)永井多恵子両氏を候補として推薦した。2016年籾井勝人会長退任時には作家落合恵子、東大名誉教授・元日本学術会議会長広渡清吾、元学芸大学学長・NHK放送文化研究所研究員村松泰子3氏を推薦し、この時は結果として籾井再選はなかった。
 この経験もあってNHKOBの呼びかけに各地の市民団体が即座に反応した。10月初旬、ZOOMで全国各地の市民団体、NHKOBOGが議論を交わし、「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」を立ち上げ「市民のNHK会長推薦運動」と「候補者探し」が始まった。
 現行放送法では「会長は、経営委員会が任命する」(52条)。制度上は、NHK会長を市民が推薦するルートはない。このような実現性の低い役割を引受けてくれる著名人は少ない。ところが10月中旬、前川喜平さんから思いがけない回答があった。「声をかけていただき光栄です。可能性はゼロに近いと思いますが会長候補の要請を承知しました」前川さんのこのさわやかで潔い決断が運動を一挙に活気づかせた。

 番組の編集、報道に、「完全な自由」が保証されなければならない
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4日、「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」主催で急遽記者会見が開かれ前川さんも出席して所信表明した。
 先ず「会」が前川さんの推薦文を読み上げた。「2017年森友学園問題と加計学園問題が発覚しました。前川さんはたった一人で告発のための記者会見を行い、安倍首相ら政権の嘘を暴きました。政権からの不当な圧力に屈せず公僕としての職責を果たす。これは放送法にうたわれた公平公正や、真実を追求し健全な民主主義のために資するジャーナリストの精神と同じものです」
 これを受けて前川さんも所信を表明した。「私は、『憲法』と『放送法』にのっとり、それを遵守して、市民とともにあるNHK、そして不偏不党で、真実のみを重視する、そういうNHKのあり方を追求してまいりたいと思います。『放送番組編集の自由』というのは、これは放送法の3条にしっかりと書いてあるわけでありまして、番組、編集の自由というものは100%保障しなければならないと思っております」
 記者会見会場には20社近いメディアが参加、インターネットメディアIWJが生配信して各地で視聴された。ネット配信を視ていたNHK職員からは早速「感激して目から汗が出た」とメールが届いた。
 この日、記者会見に先立ち「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」は、NHK経営委員会に前川氏の推薦状と経歴書を提出、「市民の次期会長推薦運動」の立ち上げを通告した。
 経営委員会の定例開催日1122日にはNHK西口で大型宣伝カーを横付けして街頭宣伝を繰り広げた。前川さんご本人もマイクを握り「もし、万が一、NHK会長になった暁には、私はNHKをもっともっと明るく自由な場所にしていきたい。NHKの会長がいちばんやらなければいけないことは、『「組織の中の自由を確保すること」です」と訴えた。元NHK経営委員で「求める会」の共同代表小林緑氏、3人のNHKOBOGも前川さん推薦の弁を熱く語った。この日もネットで生配信し、NHK職員を含め多くの人々が視聴し「前川さんをNHK会長に」の思いを新たにした。
                         (2023年1月号より)



         「戦争」の何について報道する
     
~「ロシアによるウクライナ侵略戦争」報道をモニターして~
                        
                    府川朝次(放送を語る会会員)

 2022224日、ロシアは突如隣国ウクライナに侵攻、主都キーウを空爆したのを手始めにウクライナ各地に戦火を及ぼしていった。ニュース番組がロシアの侵攻をどう伝えようとしているのか、「放送を語る会」が各局の報道番組のモニターに取り組んだのは、侵攻から10日余りがたった38日からだった。
 
今回モニターの対象としたのは、「ニュースウオッチ9」「報道ステーション」「news23」のデイリー3番組と、「報道特集」「サンデーモーニング」の2つのウィークリー番組だったが、侵攻間もなかったこともあってか、各番組とも連日番組の大半を割いて戦争関連のニュースを流し続けていた。その内容は戦況報道をはじめ多岐にわたっており、モニターを終了した515日までの2か月余りの記録は膨大なものになった。モニター報告(「放送を語る会」のホームページに全文掲載)では、それを7つの視点から考察したが、ここではモニター報告を読んで感じた、「戦争」から何を読み取るのか、何を伝えなければいけないのかについての私の感想を述べてみたい。
 モニターを始めた当初、ウクライナ問題はほとんど戦況報道に充てられていた。そんな中、323日の「ニュースウオッチ9」で田中正良キャスターはロシアの厳しい報道規制について、「日本でも戦時中、大本営発表という戦争を遂行するに都合のいい情報が流され、国民を誤った方向へ誘導してしまった」と発言し、報道の自由がいかに大切かに言及した。
 一方515日の「サンデーモーニング」では、寺島実郎氏が「プーチン氏がやろうとしていることは、ロシア正教による宗教大国を目指すという統治概念。ロシア正教は愛国主義につながる極端な排他主義と自己正当化を持っている。欧米の論壇はその状況を80年前の日本と似ているとみている。日本も神の国としてアジアをまとめていこうとする思い込みが強かった」と述べたうえで、「どちらも本人は大真面目だがはたから見ると狂気の沙汰」、と分析している。
 戦争報道にとって、戦況を客観的に伝えることは重要である。だが、それを一歩進めて戦争から何を読み取るかも報道の大切な役割といえるであろう。田中氏や寺島氏は今回の侵略を日本の歴史に重ねて考えようとしていた。ロシアによるウクライナ侵攻が、戦時中の日本軍の行動に驚くほど似通った出来事が数多く存在することに気づいていたからだ。それも加害者の姿として。 無差別爆撃、民間人の虐殺、占領地のロシア化、それらはどれひとつとっても、許されざる蛮行であり、ゆえに「ロシアは悪」の象徴として我々の脳裏に焼き付いている。しかし、日本は戦時中今のロシアに似た行為で、中国や朝鮮の人々を再三苦しめていたのだ。そうした意味からも、メディアはこの戦争を現象面からだけで捉えるのではなく、歴史的にも検証し、その愚行を質していく視点を持つ必要があるのではないか。

 
430日の「報道特集」で金平茂紀キャスターが「戦争の影響は世界中に広まり、とくに弱い立場にある人達は深刻な影響を受けている。一方、戦争で武器供与は急激に進み、一部の軍事産業の株価は20%ぐらいあがっている」と述べたことも重要である。戦争は一般市民に多大な犠牲を強いながら、一方でいわゆる「死の商人」達を肥らせていく。
 そんな中、自民党は421日敵の攻撃に対する「反撃能力」を持つべきとする「安全保障政策の提言」を発表した。これに対し57日放送の「報道特集」で、青山学院大学の羽場久美子名誉教授は「日本の軍備拡張が東アジア全体に緊張を生み出し、アジア人同士の戦闘の可能性を生む」と懸念を示し、今回のロシアのウクライナ侵略の背景にはNATOの東方への拡大が招いた国境の緊張も関係していると指摘した。
 ロシア侵攻から9か月たった今、欧米の軍事援助を受けたウクライナの反撃が優勢になってきている。戦争は長期化しそうな状況だ。一方、その間日本は着々と「反撃能力」への準備を加速させている。しかし、軍事対軍事の対決の行きついた先に広島や長崎があったことを私たちは忘れるわけにはいかない。
 いま世界中の人々が願っているのは一日も早い戦争終結のはずだ。とすれば、メディアも戦争終結へ向けて軸足を一歩踏み出すべき時なのではないか。それも戦争を考えるうえでメディアに課せられた重要な使命の一つなのではないか。
                            (2022年12月号より)



      安倍元首相「国葬」 武道館の「内」と「外」 

                
古川英一(放送を語る会会員)

 **さん、9月27日、国内の世論を二分するような問題となった安倍元首相の「国葬」の日、東京は秋晴れとなりました。午前10時過ぎに九段下に着くと、靖国通りの左右には警察の車両が歩道の両脇にずらりと並び、多くの警察官が行き来し、列をなしていました。「国葬」の会場の日本武道館のそばの九段坂公園には、遺影が飾られた献花台に花を携えた人たちが並び、順番に献花している様子が、反対側の歩道に停められた車の隙間から見ることができました。
 靖国通りを、神保町の古書店街を過ぎ、少し中に入った公園では、午前11時ころから「国葬」反対の市民集会の一つが開かれました。足を運んだ時点では100人近くが集まり、反対のアピールをしていました(メディアの取材クルーもかなり来ていました)
 現場の空気を少し感じたあと、午後からは「国葬」についてテレビで見ました。午後1時半前に昭恵夫人が遺骨を抱え自宅を出るところから、各民放は中継、エアショットで武道館へ向かう車列を追いました。NHKは午後140分から、特設番組に入り、アナウンサーは黒のネクタイ、解説にあたるのは政治部と社会部のデスクでした。(このうち社会部のデスクは最初、ノーネクタイで出演していましたが、途中からはネクタイ姿に変わっていました!}遺骨が武道館に到着し「国葬」が始まると、NHKはその内容をすべて中継しました。(特番が終わったのは午後4時過ぎでした)
 安倍元首相の生前の活動を紹介する映像がスクリーンに映し出されます。本人がピアノを弾く映像に、これまでの活動がフラッシュバックのように紹介されていきます。どこが制作したのかわかりませんが、正直、できの悪いコマーシャルのように感じて、のっけからげんなりしました(民放は、この映像を、さすがに中継で全部は取らずにスタジオでの解説にあてていました)続いて、岸田首相や菅元首相が追悼のスピーチをしました。紹介の映像もスピーチも、この場ではもちろん、安倍元首相の政治をすべて肯定し称賛し、安倍政治の負の側面などは、おくびにも出ませんでした。

 **さん、あたりまえですよね。これは「国葬」なのですから。故人の業績を少しでも毀損するような言葉はなく、安倍政治の負の部分について語る公平性を、期待する方が、はなから無駄なことでした。とはいえ、ここまで露骨であるとは。岸田政権・自民党の姿勢やスタンスが、寒々とした武道館の「国葬」から浮かびあがってきたことに、むしろ驚きを禁じえませんでした。
 この「国葬」の前の週にはイギリス・エリザベス女王の国葬がありましたね。この時もNHKや民放は、ロンドンから中継(BBCの配信でしょう)でその模様を伝えました。沿道では多くの市民が棺を見送り、ウエストミンスター寺院での厳かな国葬。一方で王室への批判もありながらも、多くの人びとが女王を悼む気持ちを共有し結びついていると感じられました。そこには日本のように「賛成」「反対」で二分されるような分断はなく、だからこそ感動的なものだったと思うのです。それに比べて安倍元首相の「国葬」は、何と薄っぺらで、一方的なものであったことか。
 **さん、あなたも十分感じているように、この日、武道館の「内」と「外」では全く別の論理・感情が渦巻いていたのだと思います。(「外」では、献花に長い行列ができたのも事実でしょうが、それは物理的に武道館で一般献花が行われなかったからに過ぎないと思います)さすがにメディアも各種世論調査で反対が賛成を逆転したなかでは、「賛否がある中で」などといったフレーズをつけて「国葬」を報じざるを得ませんでした。
 「国葬」は、国会の審議を軽んじ、議席の数で民意を抑え込んだ安倍・菅政治の手法が、岸田政権でも継続していること、それに対して立憲主義への危機感を持ち、市民の手に政治を取り戻したいと抗う人たちの断絶を改めて「可視化」しました。というよりも、これほど見事に描き出した政治ショーはないのではないか、とさえ思います。
 10月の各マスコミの世論調査では、「国葬」についてNHKの調査でも「評価しない」が54%と、「評価する」の33%を20ポイント近く上回りました。自民党の某長老議員は「終われば、やってよかったとなる」旨の発言をしていましたが、この結果をどう受け止めたのか。改めて聞いてみたいところですね。
 **さん、9月27日の武道館の「内」から、「立憲主義に基づいた市民のための政治」を取り戻すための一歩、共に踏み出していきましょう。
                            (2022年11月号より)

     忘れてはいけないことを教えてくれた今夏のテレビ番組

                
今井潤(放送を語る会会員)

 今年も広島、長崎の原爆、太平洋戦争に関する番組が数多く放送され、力作が続きました。その中から、私が注目した番組を紹介します。

  (1)NHKスペシャル「イサム・ノグチ幻の原爆慰霊碑」8月5日放送
 1945
310日の東京大空襲のあと、5月25日に山の手の大空襲があり、青山の絵画館の近くに住んでいた私は焼け出され、家族とともに藤沢へ移りました。戦後茅ヶ崎に居を移したイサム・ノグチの名前は中学時代によく耳にした名前で、彫刻家であるノグチという日本人名は強く印象に残りました。
 米国人と日本人の間に生まれたイサム・ノグチは彫刻の道に踏み出しますが、日本でも米国でも差別にあい、苦しみます。戦争では日本人収容所に入り、スパイの容疑をかけられます。1950年広島を訪れ、建築家丹下健三と会い、原爆慰霊碑の建設をめぐり、ノグチは期待を持つが、建築の重鎮に「原爆を落としたアメリカ人にやってもらいたくない」と却下されます。新聞には「誇り傷つけられたイサム・ノグチ」と書かれます。ノグチは自伝の中で「広島に行きたかった。罪の意識を感じている。私なりの表現をしたいと思ったのだ」と語っています。自らのアイデンティティを求め続けた人だったと私は思っています。
(2)NHKスペシャル「原爆が奪った”未来“~中学生8000人・生と死の記録~」8月6日放送
 1945年8月6日広島の中心部には8000人の中学生が集まっていました。1213歳の中学1年生、空襲による火災の被害を抑え込むため、木造家屋を取り壊す作業に動員されていたのです。中学2年生までは軍需産業での勤労奉仕に駆り出されていました。8月6日8時15分原爆投下、地上では3000度以上、秒速440メートルの爆風が襲ったといわれています。親も子供を探して市内へ入りました。そこは大量の放射性物質で汚染されていました。
 軍の生徒動員には学校側は反対したが、軍人は軍刀で床をたたき、学徒の出動は必至と強調したのです。こうして8月6日これまでで一番多い犠牲につながったのです。米国イエール大学の精神科医(95)は投下の17年後、あの日の生徒75人から聞き取り調査し「被爆者らが体験したトラウマを私は「死の刻印」と呼んでいる」と語っています。番組のラストコメントは77年前を生きた
中学生たちの記録はその重い教訓を今の時代に突きつけています」となっています。

(3))ETV特集「久米島の戦争 なぜ住民は殺されたのか」8月20日放送

    この番組は冒頭に沖縄の佐喜眞美術館にある「沖縄の図 久米島の虐殺」が出てきますが、作者は原爆の図で有名な丸木位里,俊さんです。丸木夫妻は1943年久米島の住民がアメリカ軍のスパイとみなされ、日本兵に殺された事件を現地での聞き取りをもとに描いたのです。
 久米島は沖縄本島から100キロ離れた島で、事件から77年たち、今話さなければ、あの事件がなかったことになってしまうという危機感を持って、住民が語ってくれたと町史をまとめた学芸員は語ります。
 1943年ミッドウエイ海戦で敗色が濃くなった沖縄に海軍の通信隊、鹿山隊が駐屯しました。1945年6月13日、アメリカ軍の偵察隊が久米島に上陸、住民2人がアメリカ兵に拉致されました。6月26日拉致された2人は解放されたが、住民によって、鹿山隊が立てこもった山に連れていかれました。そこで2人は「アメリカ軍は食料も豊富で早く降伏した方が良い」と話したといいます。事件は6月28日に起きました。山の小屋が燃やされ、2人と家族の9人が殺害されました。鹿山隊はアメリカ軍とのささいな関わりを持った住民をスパイとみなすようになり、さらに谷川ウタ、昇さん一家も殺害されます。
 鹿山隊が降伏したのは9月7日、20人を殺害した鹿山隊員たちが裁かれることはありませんでした。
 今年6月、平和の礎を訪れた谷川ウタさんの遺族は、碑の名前を鉛筆でこすって拓本を作り、「これを仏壇に飾ろうと思います」と語りました。

3つの番組を見て感じたのは、「イサム・ノグチ」では芸術家の挫折感です。広島の原爆慰霊碑を作るという大きな意欲をくじかれた悔しさ、それが日米両国に深く根差した問題だけに、ノグチの挫折感は想像を超えたものだったに違いありません。「原爆が奪った“未来”」は希望に燃えて入学した中学生が、これ以上の理不尽な死はない死を迎えようとは。ただ無念というしかありません。「久米島の戦争」は兵隊ではない住民たちが追い込まれた戦慄の世界。自分たちを守ってくれるはずの軍隊による殺害は絶望というしかありません。我々が忘れてはいけない事件なのです。
                          
(2022年10月号より)


        『キンシオ』が伝える旅の喜び

                    諸川麻衣(放送を語る会会員)

 昨年、テレビの番組表で気づき、見始めてはまってしまった番組がある。TVK(テレビ神奈川)の『キンシオ』。1969年生まれで「町の成り立ちを見るのが好き」と言うイラストレーター・キン・シオタニがある地域を歩き回り、土地の風土と歴史を垣間見る、30分のゆるい旅番組である。ウィキペディアなどによれば2010年1月17日に始まった。当初はバラエティー番組だったが次第に散歩中心の旅番組となり、「半年」のつもりが12632回も続くことになった。202228日で終了したが、幸いTVKが週一回再放送してくれている。
 「植物の地名の旅」「読めそうで読めない地名の旅」などのシリーズがあるが(以前は、あいうえおの旅、ABCの旅、生きものの名前の地名の旅、一文字地名の旅なんてのもあったようだ)、別に現地でその植物や難読地名のいわれを調べるわけではなく、訪問地を選ぶ仕掛けにすぎない。取材地の大部分は、都会であれ郊外の住宅地であれ農山村であれ、とりたてて観光名所でもない普通の土地。毎回お題にちなむ場所から出発して、ほぼ一日近傍を歩き回る。
 ロケはキンシオとカメラマン、時に他のスタッフ一人で、カメラは手持ちの1カメなので、大名行列のようなNHKの『ブラタモリ』などに比べるとはるかに小回りが利き、低予算で済み、後の編集も比較的簡易だろう。これが長続きした一因かもしれない。
 キンシオが旅先でよく注目するものを列挙してみると…
・水=海、川、池、用水路、滝など。・土地の高低差、坂道や「スリバチ地形」。水と並んで、土地の基本的な特徴だ。
・寺社、旧跡、石碑。説明板はきちんと全部読む。・煉瓦建築。必ずイギリス積みかフランス積みかチェックする。
・商店街のアーケード。両端の装飾を「商店街ゲート」と呼んでこだわる。・火の見櫓は特に大好き。埼玉県小鹿野町は至るところに消火栓や警備詰所があり、キンシオ大興奮。・鉄道、駅舎、列車など。廃線跡にも詳しい。
・昭和の喫茶店。いい店の条件は、おしぼりがタオル、ソファがふかふか、ホットコーヒーが500円以内、BGMはクラシック、店内が薄暗い等々。「こういうのが最高だよ、知らない町の知らないお店に来てそこでコーヒーを飲む」
・食堂に入ってもグルメとは無縁。たいていうどん、ラーメン、カレーなどを美味しそうに食べる。一番の贅沢は、鰻丼発祥地との説がある茨城県牛久で食べた鰻重か?
 
 さらに、筆者が大いに共感したキンシオの名言集
・結局、私が特にやりたいのはこういうことで、僕は中学校の頃から、近所の街歩きから始めて、ちょっとした違いを気づいてそれを他の人に「あそこはこうだったよ」みたいに言いたいんです。(埼玉県小鹿野町)
・観光地じゃなくてもいいから、行ったことのないところに行くっていうことが、どれだけ興味深いか。…ただただ発見の連続でテンションが高くなる。(茨城県龍ヶ崎市)
・見るべきところは日本中ありますよ。(三鷹市堀合)
・土地っていうのは記憶と本当につながるってことですよね。(三鷹市堀合)
・とりあえず何の知識もないまま一回この町に来てみて、いろいろ感じるじゃないですか。で、そこで気になったことをその後に調べるっていうのが…僕はそうしてましたよ。これからもそうするし、今それが本当にいいんじゃないかと僕は思ってます。(群馬県前橋市桃ノ木川)

 下調べをせず、その場で生まれた疑問を大切にするというのは、椎名誠さんの旅と同じだし、「路上考現学」的な面白がり方は、久住昌之さんにも近い。最近の修学旅行のように下調べが念入りすぎると、せっかくの旅行本番が単なる現地確認作業になってしまう。これでは、未知との出会いから好奇心が触発されるはずがない。キンシオのように、「今日は何に出会えるかな」と心をなるべく白紙にして五感を開くことこそ旅の真髄だろう。考えてみると筆者の旅も同じ。「えっ、これ何?」「へーえ、そうなんだ!」の連続で、そうやって得た知識は忘れることがない。旅のそういうワクワクを毎週伝えるこの番組は、地方民放の大ヒットと言える。北海道や関東の民放でも放送され、DVD化もされたというのも納得だ。ご興味を持たれた方、貴重な再放送を今からでもチェック! そしてご本人が「一区切り」と言っている番組の再開を待ちましょう!
                           (2022年9月号より)


   映画「戦争の足跡を追って~北上・和賀の十五年戦争~」を見て

                
増田康雄(放送を語る会会員)

 この8月は77回目の終戦の日を迎える。戦後の日本国憲法は9条で「戦争放棄」を謳い世界へ向けて「平和国家」であることを誓った。 
 しかし、今日本の安全保障政策は自衛隊が専守防衛の枠を越えて、アメリカが有事の場合に組み込まれる恐れさえある状況だ。このような時代に戦争の遺跡や残された資料を基に戦争の悲惨さと愚かさを訴えるドキュメンタリー映画が制作された。
 私は写真撮影のテーマに「戦争遺跡」を追い続けているだけに一層この映画に興味を持った。「戦争の足跡を追って~北上・和賀の十五年戦争」は、岩手県北上市出身の羽鳥伸也・拓也の双子の兄弟が監督・撮影を分担して制作した作品だ。去年の春に完成し、以後地元の岩手県などで自主上映会が開かれている。
 戦時中、北上も空襲にあったという祖父の話を子どもの時に聞かされていた都鳥兄弟は「生まれた故郷に眠る戦争の記憶をひもとき足元から戦争を見直そうと取材を始めた」(映画の公式サイトより)
 作品の構成は当時の映像や戦争体験者の証言、現在も残されている戦争遺跡、北上展示資料館などを取材し、7つエピソードで構成されている。私が一番印象に残ったのは「軍事郵便7000通と高橋峯次郎」と題されたパートだ。
 高橋は戦前、岩手の藤根村の青年学校や尋常小学校の教師を務めた教育者。兵士となって戦地に赴いた教え子たちに自ら編集した郷土通信『眞友」を送り、ふるさとの情報を伝え続けた。情報の少ない戦地では郷土の貴重な情報源となり、戦地の教え子からは恩師にあてて手紙が届くようになる。その数はやがて7000通にも達した。郷土通信『眞友』は故郷と戦地を結ぶ懸け橋となった。高橋はまた、教え子に戦地の土を送るように頼んでいる。彼はのちに戦死した兵士の『平和観音堂』建立に際し、その土で『聖観音像』と『馬頭観音像』を制作している。また梵鐘には戦死者の名前を刻み、毎日鐘をついて戦死者を慰霊したという。
 高橋は1967年に84歳で亡くなる。戦争に翻弄されながらも郷土の発展と教え子のことを思い続けた生涯だった。7000通の軍事郵便はいま北上展示資料館に保存されている。戦争遺跡は軍事施設、飛行場跡、送信施設、建物、倉庫などに視点が行くが、北上のような手紙は珍しい。
 都鳥監督は、この映画にかけた思いについて次にように記している。「郷土に眠る戦争の記憶をドキュメンタリー映画という形であらためて戦争とはなんだったのかを見つめ直し後世に継承していきたいと考えています。そして完成した映画を全国に伝えていくことで観た人たちが『戦争とは何か』について考えるきっかけになればと願っています」
 戦争で被害を受けた人々の足跡や痛みに耳を傾けてほしい。国際政治や経済問題で引き起こされた戦争が一人一人の個人や地域を犠牲にする。世界の情勢は変化している。世界は未だ戦争が絶えない。戦争は人為的におこされる。だからこそ、防ぐことも出来る。外国との交渉では武力に訴えない。人間の命を軽視しない。殺し合いをしない。私たちは同じ過ちを繰り返さない。軍事対軍事では戦争しかない、外交の力こそ紛争を解決することができる。北上に残る「戦争の記憶」は私たちにそう語りかけている。
 私が戦争遺跡に興味を持ったのは10年余り前に足を運んだ「多摩地域の戦争遺跡」をテーマにした都立高校の公開講座だった。私は多摩の戦争遺跡を知って衝撃を受け、戦争遺跡を考えるきっかけとなった。どこにも人間の生死が関わっていたからだ。「戦争遺跡」は特に若い世代に知ってもらいたい過去の戦争の貴重な資料である。戦争遺跡は生きた文化財であり、戦争を知らない世代にも継承していってもらいたい。
 現在全国で戦争遺跡は5万カ所といわれている。しかし文化財として登録されているのは約270ヶ所に過ぎない。国や自治体の歴史への向き合い方が問われている。そして都鳥監督が映画のテーマとした故郷の北上市のように、全国各地にはこうした戦争の足跡がまだまだ眠っているはずだ。その足跡=戦争遺跡の物言わぬ声に私たちは耳を澄ませなければならないだろう。
                           (2022年8月号より)

    

    「放送トライアングル」~放送を語る会のこれから~

                 古川英一(放送を語る会会員)

 今、私の手元に「放送トライアングル」と題された冊子が10冊近くあります。
 今から30年以上前の1991年7月の創刊号から、ほぼ1年に1回、200310月に出された第10号まで。「放送を語る会」が発行した手作りの機関誌です。
 「放送を語る会」は、今年の3月、30年の歩みを記録した『NHKの自立を求めて「放送を語る会」の30年』を刊行しました。その経緯や反響については、このコーナーですでに府川さん、小滝さんが紹介しています。  
 2人は設立間もない頃からのメンバーです。その次の、また次?の世代にあたる私にとって、30年史に記載されてはいるものの、実際に見ることもなかった「放送トライアングル」。幻の冊子が、今回、会員の方が大切に持っていたものを預かることになり、私の目の前にあります。パラパラと機関誌を開いていると、トライアングル(三角形)と名付けたように、放送労働者・視聴者・研究者の三者を結ぶ活動を実践してきた先輩たちの熱意とパワーがひしひと伝わってきます。この三者、私なりに言い換えると「放送の伝え手」と「放送の受け手」それに「放送などメディアの在り方を理論化し方向づける中継ぎ手」ともいえますし、広くこれらを含めると、まさに「マスコミ市民」とくくれるのかもしれません。
 そしてこのトライングルが目指してきたのが、公共放送としてのNHKの「公共性・政治的不偏性」の追求であり、さらに放送を含むメディアが、権力を監視するというジャーナリズム本来の使命を貫くことができるよう市民として、支援(時に批判もしながらも)していくことだと私なりに考えています。「放送を語る会」は、このトライアングルを水平の地点に置いた対等のプラットフォームとしての機能を、この30年間、地道に高めてきたのではないかとも思います。 目を「今」に転じてみます。まず放送局などメディアの現状について。デジタル、SNSの加速的な普及で新聞・放送は、いまや「伝え手」の主流ではありません。NHKもすでに「公共放送」の旗を降ろし、「公共メディア」と新しい旗を遅ればせながら掲げました。新聞も誌面ではなくデジタルへの展開を主としています。デジタル・SNSでは即時性が一段と進み、さらに誰でも発信できることから、フェイクニュースの横行を許すようになり、「何が事実なのか」その境界の曖昧化が「情報の受け手」の不信感を高めており、メディアはマスコミならぬ「マスゴミ」とそしられています。「伝え手」と「受け手」の関係に信頼感が薄らいでいる。ハード、ソフトとも厳しい局面にあるのです。
 こうした中で、「権力の悪を暴こう」「社会の気づかない矛盾や問題を掘り起こし社会を良くしていこう」という志を持ってメディアを志望する人たちの数は減り、人材不足が深刻になっています。30年前、多くの学生がメディアの門を叩いていたことと比べると隔世の感があります。 次に社会の状況を見てみますと、安倍・菅政権時代のように民意を無視した政権運営とメディアへの露骨な介入と支配、といった強権的な姿勢は岸田政権になって表向きは影を潜めています。しかし森友学園をめぐる文書改ざん、学術会議任命拒否問題、辺野古の基地移設問題など、これらの問題を岸田政権は放置したままです。政治の説明責任はまったくなされていません。その本質は変わったわけではありません。そして2月に突如始まったロシアのウクライナ侵攻。これに乗じるかのように、軍事費増強から、憲法9条の改正まで自民党は声高に叫び始めています。平和をどのように守るか、ではなく戦争になったらどうするのかと論理をすりかえているのです。さらに2年半にわたるコロナ禍で、これまでの社会の絆が分断され、個人が一個の「アトム」のようにバラバラに社会を漂流している、これまでとは違った社会に変わりつつあるような気もしています。
 30年を経た「放送を語る会」が置かれている現状は、このように厳しいものだと自覚しています。設立当初の諸先輩の力を借りながらも私たち次世代がバトンをつなぎ、この厳しい現状の中で活動を継続していくことになりました。そのためには「トライングル」として「伝え手」「受け手」「中継ぎ」がより連携を強めていかなくてはならないと改めて思います。今、手元にある「トライングル」の冊子は、そんな私たちへの先輩たちからの励ましのエールなのかもしれません。
                            (2022年7月号より)



   励ましに背中を押され、さらに前へ~「30年史」刊行の反響~

                 
小滝一志(放送を語る会会員)

 3月上旬、私たちはこれまでの活動を振り返ってNHKの自立を求めて―放送を語る会30を刊行した。それから2か月、多くの読者からの感想で先ず注意を惹かれたのは厳しいNHK批判である。
 「昨年も『オリンピック反対』の声消し、河瀨監督ドキュメント番組の字幕問題、岩田解説委員の『歴史戦』発言等、NHKに関する問題ニュースが後を絶ちません。そういう日々に届けられた『30年史』は公共放送NHKのあり方を研究記録し続けられた皆様の思いがずしりと重く手に伝わります」「昨年末BSで放送された番組『河瀨直美が見つめた東京五輪』におけるNHKの偏向報道。何が何でも東京五輪を全力でバックアップしなければとの局の姿勢に加えて、『デモは悪いこと』といわんばかりの、現場の誤った刷り込みが犯した出来事であったのではないかと思料しています」
 厳しいNHK批判はNHK退職者からも相次いだ。「みなさんの厳しい指摘や提起がなければ公共放送NHKの存在はより危険水域に陥っていたことでしょう」
 「読みながらNHKの劣化が一向に止まない記録でもあるのかとやりきれなさが募るとともに語る会の時々の指摘とうごきのまっとうさにホッとする思いです」「私も一時期NHKの経営の一端を担っていたものとして、本当に時の権力の意向を忖度しながら、経営をしている姿を見て情けなくなりました。報道局政治部の天下でした。今の仕組みで、人事権と予算承認権を時の権力に握られているのでは、とても自立などできそうにないと思いました」
 NHKはこうした厳しい批判には聞く耳持たぬのであろうか。私たちは、会長以下NHK全理事にも本書を献本した。ところが「
高価なお品でございますので一冊のみ頂戴し、他はお返しさせていただきます」との手紙を付けて10冊余りは返送されてきた。政権の意向は忖度しても視聴者の声は無視するのか。経営委員全員にも献本したがこちらからは返本がなかった。理事者側の頑なな態度は理解に苦しむ。

「語る会」への共感と励まし
 30年の活動を記録に留めようという素朴な発想からの始まった作業だったが多くのみなさんから「語る会」の活動への共感が数多く寄せられ、励まされた。「この本が今後『あの時、こんな闘いがあった』と後輩たちの勇気を奮い起こす糧になるよう願っています」
 本書の資料的価値を評価していただけたのも年表作成、声明や申し入れなどの整理に多くのエネルギーを割かれた編集者としては労が報われた思いだった。「いつの日か、私たちの求める放送制度が実現するとき、このような歴史があったことの記録として貴重な資料を残していただいた思いです」「持続する力の結晶とも言うべき本書は、放送史を語る上でも貴重な資料的価値のある労作だと思います」
 「一字一句もらさず完読しました。資料編は中でも圧巻でした。声明・ビラなどすべてが緻密で理路整然とした文章で人に訴える力に満ちた一言一句が真実に迫る説得力を持つ」共感と励ましは、
NHK関係者からも多数寄せられた。
 「放送センター内の書店でも目立つところに平積みになっています。一人でも多くの職員の目に留まり、読んでくれることを願いたいと思います。今後とも、皆さまの『NHKは誰のものか』を問い続ける活動に期待し、私も微力ながら応援もさせていただく所存です」
 「30年の活動の様子がつぶさに分かる大変貴重な本だと思います。『ETV 2001番組改変事件』が、『語る会』が運動体へと脱皮する契機だったとの第2章の記述、興味深く拝読させていただきました。
2009年9月の記念集会、とても懐かしく思い出します。松田さん、戸崎さんのことが思い出され、思わず目頭が熱くなりました。NHKを一部の政治家の手から視聴者市民に取り戻すため、頑張って参りましょう」
 「 正直に申し上げれば、本書に記載されている活動に総て賛同するつもりはありません。しかし、民主主義社会のルールを守ろうと運動を続けておられる皆様に心から尊敬せずにはいられません」
 読者からの反響に接し改めて読み直すと、これまでの私たちのさまざまなNHK批判が、そのまま「NHKや放送制度改革への提言」になっている側面がないわけ
ではないことにも気付かされた。
 今、私たちは『30
年』史の反響に背中を押され、アナログ世代の活動スタイルからネット時代へのそれへ第二の脱皮の模索を始めている。

申し込み先 メール・kkotaki@h4.dion.ne.jp   FAX042-543-1046
                            
(2022年6月号より)



      ウクライナ侵攻と日本のメディア~現場から伝える意味~

                  古川英一(放送を語る会会員)

2月24日、緊張が高まっていたロシアとウクライナ。国際社会が注視するなか、まさか本当にあり得るとは予想もしなかったロシアの軍事侵攻が始まった。世界のメディア、日本のメディアは、その日から、このニュース一色、となったともいえる。
 日々、流される現地からの映像~爆撃されて破壊された建物、逃げ惑う人たちそして国外へわずかな荷物だけを持って避難するウクライナの人たち~戦争は、人々のあたり前の生活を、無残に破壊してしまうことを目の当たりにする。今も日々、ウクライナの人たちが置かれている状況に心が痛み、しかし何もできない自分がもどかしい。
 だが、ふと考える。ロシアがウクライナ東部へ軍を配置し直し、首都キーウ方面での攻撃がやんだ4月、侵攻が始まって50日経った頃に、ようやくNHKや日本の民放が現地にクルーを送り、現地からの映像が入るようになった。それまでウクライナの戦地からは、フリーのジャーナリストの人たちが個人として現地に入り、SNSや民放の番組の中で現状を伝えてはいた。
 しかし殆どはBBCCNNなど欧米メディアが組織として現地に取材クルーを送り、現場で取材を続けながら世界に伝えてきたものだ。
 TVメディアに限っても、NHKや民放など日本のメディアは、どれだけウクライナの「現地の今」を伝えてこれたのだろうか。もしBBCなどの欧米メディアが侵攻の段階から、現地で取材を続けなければ、ウクライナの今についての情報を、日本だけでなく世界中が知ることができない。(当事国のウクライナ公共放送や、ロシア国営テレビには、情報戦・プロパガンダもあって客観性に疑問符がつく)。アメリカやヨーロッパの政治・経済的な動きや、周辺国へ避難するウクライナの人々などの情報は映像で知ることができるが、肝心のウクライナの戦況、取り残された人々については、殆ど明らかにされないままになってしまう。
(現地の人々のSNSによる発信があるとはいえ)
 ウクライナのブチャなどでロシア軍が住民を虐殺したと、ウクライナは強く非難する一方ロシアは虐殺を否定し、ウクライナ側のでっちあげだと応酬する。その時、現地で取材を続けている欧米メディアが、どちらが実際に起きたこと=事実、なのかを明らかにしていくだろう。その時、戦争という、無辜の人々の命を奪う最大の犯罪について、どちらが「フェイクニュース」なのかという不毛な議論に現場取材の積み重ねが結論を出すだろう「これが戦場の事実だ」と。それだけに、侵攻の初期から現地に留まり身の危険を感じながらも取材を続けるクルーと、組織をあげてバックアップする欧米メディアの姿勢には、ジャーナリズムとしての強い使命感が感じられるのだ。
 ウクライナ侵攻からほぼ1か月経った3月下旬に東京で開かれた日本ペンクラブ主催のシンポジウムでは、2月下旬にウクライナ西部に入ったTBSの金平茂紀キャスターが「オンラインで情報も入るが、それだけでは伝わらない現場の空気、匂いがある」と述べBBCの記者が戦死したロシア兵の遺体の前でリポートしていた映像を見て自分ならどうしただろうか」と取材者としての思いを語った。そのうえで211日に外務省が最高度の邦人避難勧告を出してから、NHKは侵攻の日も現地にはクルーを送っていないことに疑問を呈した。

 また単独で3月初旬にキーウに入ったフリーの写真家尾崎孝史さんは、日本ジャーナリスト会議(JCJ)のオンライン講演会で、現地で出会ったBBCCNNの取材クルーと接したなかで「欧米のジャーナリストは、何かあれば粛々と現場へ行く。日本では戦地へいくジャーナリストがまるでヒーローのように見られるが、そういう特殊なものではない、そこが欧米との違いではないか」と実感を持って指摘していた。
 日々続くウクライナ侵攻をめぐるニュース、そのニュースが発信される背景にある欧米メディアと日本のメディア、組織メディアとフリーのジャーナリスト、の立ち位置の違いを考えざるを得ない。
 戦争という国家の暴力、それをくい止めるのは人々の声・世論である。そして戦争の実態・事実を正確に伝えるジャーナリズムは、そのために欠かすことのできない「武器」だと思う。試行錯誤しながらもひるむことなく「現場から伝えること」日本のジャーナリズムの力量が、今問われているのではないか。
                         (2022年5月号より)



         
「聾者」の高校生の問いかけを伝える
         ~ジャーナリズムの一つの希望、のかたち~

                     
古川英一(放送を語る会会員)

 ~私は、聾者というものは、健聴者とは異なる文化を持った、「少数民族」のようなものだと思えるようになったのである。
 もしも、健聴者が生きる社会と聾者が生きる社会にはっきりとした境界があり、お互いに関りを持たなかったなら、社会で言われる「聴覚障害者」は全員、自分のことを「障害者」だとは思わず、「聾者」という普通の人間として生きていたのではないだろうか~

 この文章は、出版社などで作る財団の一ツ橋文芸教育振興会が主催する「全国高校生読書体験記コンクール」に寄せられた、8万3000余りの作品のうち最優秀の「文部科学大臣賞」に選ばれた作品の一節です。このコンクールは単なる読書感想文ではなく、自分の内面や生活にどのような変化が起きたのかまとめるもので、書いたのは筑波大学附属聴覚特別支援学校の3年生で奥田桂世さん。
 NHKは1月25日の夕方のニュースやニュース7などで「聾者は障害者か?」と問いかけた聾の高校生・奥田さんについて取り上げ、奥田さんも手話でインタビューに答えていました。 とても、はっとさせられ、心に届く言葉、それが日々のTVニュースの画面から、予期せず伝えられることがあります。私にとってまさにこのニュースがそうでした。
 NHKの主なニュースは、ウェブサイトでも読むことができるため、さっそく見てみたところ、特集記事として詳しく取り上げられていました。奥田さんのコンクールの文章の全文、記者と奥田さんのやり取り、それに選考委員で作家の辻原登さんなどのコメントなどが詳しく掲載されていました。
 そもそも、このコンクールはメディアがニュースや記事として取り上げることはあまりないようで、NHKが報じた段階では、大手新聞などにも載らず、いわば、NHKの「独自ダネ」ともいえるものでした。だからこそ、このニュースには取材した記者の思いまでも伝わってくるようでした。記者はウエブの中で、取材の意図をこう語ります。「『聾者は障害者か?』そう問いかけられたら、私は思わず答えに窮してしまうだろう。しかし、ある高校生が、この問いかけを力強く全国に向けて発信した。生まれてからずっと耳が聞こえず、そうした環境で生きてきたことを、誇りに思っている女性だ。今、「多様性」という言葉が頻繁に世間で飛び交っている。その言葉の意味を問い直すきっかけとして、ぜひ、彼女の文章を読んでほしい」
 ここには、奥田さんの思いを、メディアを通じて、広く多くの人たちに知ってもらい、そして「障害者」とは、「多様性」とは何なのかを一人ひとりに考えてほしいという記者=伝え手としてのメッセージが、ひしひしと感じられるようでした。奥田さんは記者のインタビューにこう答えています。

 ~私が思い描く「多様性」に富んだ社会は、障害を「個性」として捉えるような社会です。…「個性」を認め、自分と異なる人であってもお互いに尊重できるような社会が、本当に「多様性」のある社会だと思っています。~

 ジャーナリズムには、時の政府などの権力が、人々の暮らしや平和を脅かすことに対して警鐘を鳴らしくい止めていく「権力の監視」「ウオッチ・ドッグ」としての役割が課せられています。それと同時に、市井の人々の発する声や、現実に起きている様々な問題にアンテナを張り、広く世間に伝えていく「点と点を結ぶネットワーク」を作る役割もあるのではないかと思います。前者を仮に「大文字のジャーナリズム」とすると、後者は「小文字のジャーナリズム」ともいえるでしょう。この記事を書いたNHK記者はウエブで「ほかの人が注目していないけれど発信すべき人物や話題を取り上げたい」と記しています。このニュースはまさに「小文字のジャーナリズム」を体現しているのではないか、と私は思うのです。
 新聞・放送などのメディアが、権力に対峙するのではなく、むしろおもねっているとして、多くの人たちの信頼を失なっている状況があります。なかでも自民・安倍政権以降、NHKなど大手メディアの一部による政治報道は、それが顕著に感じられます。あたかも政府の広報機関と錯覚するような報道には残念ながら「大文字のジャーナリズム」の片鱗も見られません。そしてそれは行き着くところ、いま起きているウクライナ侵攻に関してのロシアの国営放送のように「戦争」の実態を国民に覆い隠すような報道にもつながりかねない、という恐れを持つのです。
 そうしたメディア状況の中で、「小文字のジャーナリズム」で地道に奮戦する記者がいることに、私はジャーナリズムへの一つの希望を持ち続けることができるのです。
                         (2022年4月号より)


               NHKの虚偽字幕問題

                   
今井潤(放送を語る会会員)

昨年1226NHKが放送したBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」について、多くの批判の声が寄せられ、年を越しても続いています。
 とくに五輪反対デモに参加したという男性にインタビューし、「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という字幕を付けて放送したことについて、抗議が殺到しました。
 結局、NHKは番組を制作したディレクターが「お金をもらって参加した」という裏付けを取っていなかったことを確認し、謝罪し、NHK会長も1月13日に会見で「制作が非常にお粗末だった」と陳謝しました。この問題についてNHKは調査チームをつくり、2月10日担当ディレクターに停職1か月のほか、専務理事に役員報酬の10%返納の処分を発表しました。
 BPO(放送倫理・番組向上機構)も放送倫理違反の疑いで審議入りと発表しました。しかし、今回は虚偽の字幕だけの問題ではなく、オリンピックに反対する人々に対する偏見がスタッフの中にあったのではないかということが問われています。

1)五輪反対の人々に対する悪意に満ちた誹謗・中傷

 1月28日、東京五輪に対し招致前から反対してきた4つの団体が記者会見し、「8月のオリンピックに反対するデモをしてきた、放送でデマが流され、我々に真っ先に謝罪すべきだ。お金の問題などスキャンダルを起こしてきたのは五輪推進の人々ではないか。6月に公開される河瀬監督の作品もこの番組と同じ思想のものとなるのではないか」と批判しました。
 同じようなデマ放送は2017年МⅩテレビの「ニュース女子」が沖縄の反辺野古の活動家はお金で動員されているとデマを流したがBPOが名誉棄損の認定をしました。
 今回の問題は公共放送NHKが起こしたことなので、より大きな責任があると五輪反対の人々は述べました。また、五輪放送に関わる社会的、政治的な問題なので、字幕問題に矮小化してはいけないと批判しました。

(2)河瀬直美監督の五輪認識

 BS1の番組の中で河瀬監督は「国民の皆が、我々が五輪を招致したのだ」と発言するシーンがありましたが、河瀬監督のこの発言には批判の声が集まり、SNS上では「五輪を招致したのは私たちではありません」というハッシュタグをつけた投稿が拡散されました。
 ジャーナリストの本間龍さんは「東京五輪の大罪」の中で「河瀬監督は東京五輪はどんな問題があったのかについては一切触れていない、それで五輪の光と影を描くのは、大きな疑問がある」と批判しています。
 河瀬監督は27歳の時「萌の朱雀」でカンヌ新人監督賞、38歳で「殯の森」でカンヌグランプリを受賞し世界的な監督として有名になりました。2018年東京五輪の記録監督に就任するのですが、当時は宮崎駿監督や北野武監督の名もあがっていたので、どのように河瀬監督が五輪映画の監督になったのか、政界工作、業界工作のうわさは多くあり、彼女の上昇志向を指摘する人もいます。

(3)NHKNHKスペシャル「ムスタン」、クローズアップ現代「出家詐欺」の教訓を生かして、検証番組を

 古い話では、NHK1999NHKスぺシャル「奥ヒマラヤ禁断の王国ムスタン」で「行き過ぎた表現があった」と謝罪し、報道番組のキャスターを司会者にして検証番組をシリーズで放送し、2014年クローズアップ現代「出家詐欺」でヤラセが発覚した時にチェックシートを使って、再発防止の対策を取った経験があります。
 NHKNHKスペシャルや特別番組の試写会は報道、制作の各部から責任者が30人くらい集まり、担当ディレクターの説明による試写を行う真剣勝負の場で、インタビューの内容、肩書にも注意が払われます。今回の場合、誰が問題の男性を選んだのか、字幕を付けたのは誰か、そして試写会でチェックできなかったのは何故かを厳しく検証しなくてはなりません。1月19NHKОBの投書が東京新聞に載りました。
 「私はかつてNHKの報道カメラマンだった。万が一にも放送でミスがないよう、細心の注意を払うことを上司から求められた。社内規定も厳しく、幾重もの編集過程のチェックを潜り抜けてまで、制作者の独りよがりな思考が通用するほど甘くはなかった。今回、事実ですらないことが放送されてしまうのか、制作者の思い込みと、それを許した経緯がわからない限り、今後すべての番組を疑って見てしまうだろう」
2月1日NHKのオンデマンドサービスは1226日のBS1放送を削除する措置が取られました。
                        
(2022年3月号より)

       
        太平洋戦争開戦アから80年、あの時メディアは

          
     小滝一志(放送を語る会事務局長)

 2021128日太平洋戦争開戦80年を迎えて、NHKは「NHKスペシャル」などで関連番組を集中して編成した。開戦を事実に基づいて綿密に検証して歴史から学ぶ姿勢が各番組の随所から読み取れた。改憲勢力が国会議席の2/3を超える現在の時代状況の下でタイムリーに太平洋戦争の意味を問う意欲的な意義ある企画だったと思う。
 125日放送BS1スペシャル「真珠湾80年 生きて 愛して」は、真珠湾攻撃に参加した兵士の記録と残された家族のその後を追い、若い命を断ち切り、残された人々の人生を歪め、困難をもたらした戦争の残酷さを静かに問うた。
 12411日放送ETV特集「昭和天皇が語る開戦への道」は、20209月に公開された侍従長・百武三郎の日記や初代宮内庁長官・田島道治の「拝謁記」を基に、天皇・側近と軍部による開戦に至るまでの経緯を詳細に検証した。
 128日放送BSプレミアム「英雄たちの選択 1941 日本はなぜ開戦したのか」は、開戦の年1941年の6つの分岐点にスポットを当て、専門家により日米開戦までを多角的に検証した。ここではそれぞれの分岐点に、軍部の暴走を止められなかったが、戦争を回避しようとした人々がいたことも明らかにされている。
 このように意欲的な番組がいくつもあったが、私はこの時代にメディアはどのような役割を果たしたのか、番組でどう描かれているのかに関心を引かれた。
 124日放送NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争第1回」は、エゴ・ドキュメントと呼ばれる250人の市民の日記や書簡をAI解析して、人々の開戦までの心の変化をたどっている。
 開戦半年前、一人娘を育てる主婦は、「外米になってから子どもの腹こわしが増えた」と物資不足を嘆き、精米店を営む商人は「政府はいたずらに統制、統制といって配給が遅れる」と不満を漏らしていた。
 ところが128日の開戦報道を聞いたとき、「血沸き肉躍る思いに胸がいっぱいになるこの感動」(主婦)、「宣戦の詔書が放送された。自分はそれを聞いて涙した」(精米店主)と日記に記した。
 彼らの急激な心の変化の背景は何か。番組の中で識者は、日中戦争の戦時体制下の「愛国教育」と「検閲・言論統制」を要因に挙げた。
 では「検閲・言論統制」の下でメディアが何をどのように伝えていたのか。124日放送BSプレミアム「映像の世紀(21)太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場」が、当時の「日映」のニュース映像を並べ報道の実像を紹介している。
 「日映」=日本映画社は1940(昭和15)年4月誕生した。それまで新聞・通信社が別々にニュース映画を製作していたが、軍の検閲を容易にするために1社に統合され、記者・カメラマン1000人を越える一大映画社になった。製作された「日本ニュース」は映画館で娯楽映画の合間に上映された。「日映」は、戦後のテレビにも匹敵する影響力の大きな映像メディアだった。
 「日本ニュース」は、大東亜戦争の完遂、国民の戦意高揚、軍事教育の徹底のために国策として作られ、128日には「国民諸君奮起せよ 帝国の興亡この一戦にあり」と国民を熱狂に駆り立てた。突然の開戦で大本営発表の会見に間に合わなかった「日映」は、陸軍省に頼んで会見を再現させ撮影したという。極秘の真珠湾攻撃は、海軍の撮影した記録映像を「日映」が軍を説得して公開に踏み切らせた。戦場を映したリアルな映像は国民を熱狂させた。
 一方、1943(昭和18)年ガダルカナル島から日本軍が撤退し南方戦線が崩壊し始めた不利な事実は伝えず、「日本ニュース」149号は「ダイナマイトで魚とり ○○基地 海軍省検閲」のタイトルで兵士が余暇に自給自足の魚とりに興じる姿を映し出していた。
 「日映」の学徒動員「出陣壮行会」映像は多くの番組で引用され、人々の記憶に残るが、この時NHK2時間の実況放送をしていた。
 太平洋戦争中の日本のメディアは、言論統制下で究極の政府広報機関と化し、国民を総動員して戦禍に巻き込むことに利用された。この事実をメディアに携わる人々は肝に銘じる必要があると思う。
 目を転じて現在のメディアの報道を見ると、「北朝鮮の弾道ミサイル発射」速報、総選挙報道より自民党総裁選報道重視など政権寄り報道が目にあまる。
 現在のメディアに改めて問いたい。太平洋戦争中の検閲体制下で自己規制を迫られた頃の権力を忖度するDNAを今も引きずってはいないか、憲法で保障された「表現の自由」を自ら十分に行使しているか。

                         (2022年2月号より)


       総選挙報道
         テレビよりネット情報が目をひいた
                

                    今井潤(放送を語る会会員)

 自民党は昨年9月に総裁選を行い、一日中テレビをジャックし、総裁選放送を垂れ流した。その後1019日の公示から、12日間という最短の衆院選という奇襲作戦に打って出た。党利党略であった。野党は政権交代をめざして、市民連合と政策協定を結び、候補者を一本化して選挙に入った。結果は自公が293議席という絶対多数を獲得し、野党は立民が96と議席を減らした。
 朝日は1029日「衆院選控えめなテレビ、総裁選より放送短く」と伝えた。その中で、自民党総裁選と衆院選の放送時間を比較した。NHKと在京5社の総裁選告示と衆院選公示の日とその前後二日
を比べると、総裁選は29時間55分だったのに対し、衆院選は25時間52分だった。衆院選の方が4時間短かった。テーマを自由に取り上げやすい情報番組などでは総裁選が14時間31分に対し衆院選が8時間25分と差が広がった。
 「放送を語る会」が行った衆院選のテレビモニターにも選挙報道が不十分だったという報告が届いている。テレビの選挙報道が低調な中で、放送法の縛りを受けないネット番組の情報発信が目を惹いた。リベラル派の学者やジャーナリストの発言を多く流した「デモクラシータイムス」は東京新聞の望月衣塑子記者やジャーナリストの青木理、「一月万冊」は元朝日の佐藤章や元博報堂の作家本間龍が東京オリンピック、自民党とのつながりが暴かれたダッピ問題を語った。哲学系ユーチューバー「じゅんちゃん」には元文科省次官の前川喜平が自民党の腐敗ぶりを暴露した。「毛ば部とる子」という番組はドイツに住む日本の女性ライターが日本政治についてリポートする番組で、躍進した維新について112日以下のように伝えた。議席を4倍化した維新の集票力はどこにあるのか。「維新は大阪市議会、府議会に多数の議員がおり、その議員に一日600本の支持拡大の電話をかけるノルマを課している」とリポート。「維新という政党は風頼みというのは間違いで、実態は公明や共産より組織的な活動をする政党だ」と警戒するよう呼びかけた。
 このようなネット番組について直木賞作家の中島京子は112日の朝日に「衆院選に思う」と次のように寄稿した。「私が微かな希望を感じたのはネットメディアが独自の番組を制作して有権者に情報を届けていたことだ。草の根の市民の活動が議席獲得につながったいくつかの選挙戦にもこれからの政治を考えるヒントがありそうだ」
 立憲民主党は選挙のあと、辞任した枝野代表に代わり、泉健太氏が代表に選ばれた。総選挙を共に戦った共産党との関係を見直すことが連合から提案されている。これについて芥川賞作家の中村文則は「共産党アレルギーは言い訳」とツイッターした。「衆院選での野党共闘は立憲民主党と日本共産党の選挙協力がうまくいったところで成果をあげ、数字上でも与党を追い詰めていた。与党自らも自民党を常に応援する媒体も、応援団の論客も、こぞってその選挙協力を必死に批判していたから、つまりそれだけ嫌だったのだろう。あの原発事故の時、原発の非常電源の喪失も大惨事に結びついたが、以前からその脆弱性を国会で取り上げていたのは日本共産党だった。あの当時、もっと民主党と日本共産党が意見交換をしあう関係であれば、原発の非常電源なども見直すことができたはずということだ。共産党へのバッシングが何だかひどくなったが、昔の日本もヒトラーも共産党を弾圧することろから全体主義を始めている。歴史は繰り返すのだろう」
 中村文則は福島大学出身で、「土の中の子供」で芥川賞。3・11大震災の時、BSフジの番組に詩人の和合亮一とともに出演、ものを書く者として黙ってはいられないと怒りの声を揚げた作家である。
 テレビ離れが進む世代にとって、ユーチューブなどネット番組の質と量の向上は、政治の世界を変える要因になることは間違いないと思う。
                         
(2022年1月号より)


       被爆・終戦76年 夏のテレビ番組を視聴して
       ~『戦争・平和』番組ライブラリーの拡充を~

                
 福井清春(放送を語る会会員)

◎番組モニターは『放送を語る会』の原点
 今夏、私たち「放送を語る会」は、「終戦・被爆76年番組モニター」を呼びかけました。その呼びかけに答えて、会員の方々から14の番組について計24件の感想が寄せられました。(※そのすべてを「放送を語る会・大阪」のホームページ上で紹介しています)視聴する番組は、各自が興味あるものを自由に選んでいただいたこともあって、モニター感想は多彩なジャンルの番組に及んでいます。
 私たちの「会」は、1989年の≪天皇報道≫への疑問や懸念からスタートした団体です。
 放送番組について語り合うことは「会」の原点ともいうべき活動でもあります。

◎多彩なテーマでえがかれた戦争の苦難
 今夏の放送では、戦争による国民各層の被害実態と、戦後76年を経た現在でも続く苦悩を取り上げた番組が多かったようです。
 最も多くの感想が寄せられた番組は、NHK終戦ドラマ『仕方なかったと言うてはいかんのです』でした。アメリカ兵捕虜の生体解剖という史実に基づいた内容であること、主人公の鳥居太一・房子夫婦役の妻夫木聡・蒼井優お二人の好演も相まって、多くの視聴者の感動を呼んだのでしょう。命を救うべき医師の長年にわたる苦悩・悔悟への共感とともに、人が人で亡くなる戦争の恐ろしさを伝える力作でした。また、NHKスペシャル『銃後の女性たち~戦争にのめり込んだ“普通の人々“』にも多くの感想が寄せられました。当初は女性の社会進出を促す側面もあった「国防婦人会」が、戦争激化の中で、国家への貢献と相互監視の組織に変貌していく過程をえがいた番組でした。
 その他にも、長崎の戦争孤児と寮母の強い絆を取り上げたETV特集『ひまわりの子どもたち』南方のテニアン島に移住した住民たちの悲劇をえがいた『玉砕の島を生きて~テニアン島日本人移民の記録』など、長期の取材による番組も数多く放送されました。
 
私自身は、「クローズアップ現代+」の『シリーズ・終わらない戦争』が強く印象に残っています。「空襲」の補償を訴え続ける空襲被害者たちと、「戦争神経症」に苦しむ元日本兵たちを取り上げた二日間のシリーズでした。空襲被害者である82歳の女性が訴える『戦後76年経ても空襲被害者は見捨てられたまま、この国に生まれて良かったと思わせてほしい』との言葉は痛切なものでした。「戦争神経症」では、戦後もアルコール依存症やノイローゼに苦しむ元日本兵のことを知りました。戦争前は一家の大黒柱だった人が「戦傷神経症」によって周囲の人々だけではなく、自分の家族にまで疎まれながらの生活を続けていたことを思うと、言葉も出てきませんでした。
 このような多くの秀作が放送された中、一つ残念に思うのは、日本の加害者としての検証と史実を伝える番組が見当たらなかったことです。加害と被害の両面の事実を知ってこそ『二度と過ちを繰り返さない』ことになると思います。

◎「戦争・平和」ライブラリーの充実を!
 今回の番組モニターを通じて強く感じたのは、時間をかけた取材による素晴らしい番組が数多く放送されていたことです。これからも戦争の歴史を語り継いでいくことは重要なことだと思います。番組の中には、両親をその手にかけたという思い出したくないであろう悲痛な証言もありました。『二度と戦争を起こしてはならない』という証言者の強い告発の意志を感じました。
 戦争体験者は年々少なくなり、番組中の証言者の多くは子や孫の世代になっていました。番組における映像や証言は歴史的・文化的に貴重な国民の財産ともいえると思います。しっかり歴史に刻んで語り継いでいくべきです。
 そこで放送局に提案したいのです。
 『戦争・平和』の番組ライブラリーを充実させて、視聴者がいつでも視聴できるようにできないものでしょうか。すでにNHKではアーカイブスによって一部の番組がダイジェストとして公開されています。その中には『戦争』という項ももうけられ、前編を公開している番組もあります。このアーカイブス上で、今夏の番組すべてを視聴できるようにしてほしいと思います。通年での配信が難しけば毎年8月に公開すると言うことも考えられるでしょう。毎年8月に戦争を考えられるよう、各テレビ局が歴史の継承の役割を果たしてほしいのです。
 受信料による番組作りをしているNHKには是非実現させてほしいと思います。私たちが、そして放送局自身が「いつか来た道」をたどらないためにも。
 8月の番組を通して、戦争を深く考えさせられた2021年の夏でした。
                         (2021年12月号より)


 

     「原発事故」・「沖縄」それぞれが伝え続ける“志”
           ~2021年 JCJ賞贈賞式から~

                   古川英一(放送を語る会会員)

 
日本ジャーナリスト会議(JCJ)の2021年のJCJ賞が決まり9月25日に東京の全水道会館で贈賞式が行われた。今年は大賞、特別賞を含めて6つの作品・活動が受賞し、受賞者がそれぞれ作品に込めた思いをスピーチした。
 放送分野でJCJ賞を受賞したのはNHKのETV特集「原発事故“最悪のシナリオ”~そのとき誰が命を懸けるのか~」で、制作した3人のディレクター(石原大史さん、池座雅之さん、青山浩平さん)を代表して石原さんがスピーチに立った。石原さんは「原発事故を危機管理の側面から検証してみよう、そのキーワードが最悪のシナリオだったわけです。当時の政府は事故が起きてから2週間後に最悪のシナリオを作っていたというのは、後に明らかにされていましたが、普通は最悪のシナリオは危機が起きた時の最初のタイミングで必要といわれるのに、なぜ2週間も経ってからなのか、それが当初の疑問で、取材を開始しました」「誰に話してもらえるのか、私たちはローラー作戦でお会いし、キーパーソンを掴まえ、テレビですから、対話形式で2,3時間はお話を、とお願いすることは大変なことでした。結果としてこれだけ多くの方々が取材に応じてくださったのかと振り返ると、事故当時対応にあたった方々は、いろいろな自己反省を繰り返していて、10年という節目と私たちの取材がうまくタイミングがあったのだと思います」と番組の狙い、難しさを振りかえった。
 その上で「一番重要だったポイントは番組にどういうメッセージを込めるかというところで、議論し頭を悩ました結果、話をして下さった3人のインタビューで終えることにしました。このうち当時首相補佐官だった方は、事故を何とか食い止めるために、東京電力や自衛隊の人たちに、命を落とすかも知れないけれども現場に行ってもらわざるを得ないという政治の意思決定になるのだが、それを政治家が決める権利があるのか、国の仕組みの中で可能なのかを強く悩んだと話していました。また当時自衛隊の最高幹部だった方は、最悪のシナリオを考える思考とか実践が日本人にはなく、危機そのものを直視せず根拠の薄い楽観論で判断してしまう、こういう日本人そのものの姿を見つめて改善していかなければと指摘していました」と番組のメッセージについて語った。
 石原さんは「私たちの社会が、10年前の原発事故からどういう教訓を導き出して何を学んでいくのかという作業がまだ全然終わっていない、というのが今回の実感です。私たちも引き続きその作業をする、その手助けになれれば、と思います」と述べスピーチを結んだ。
 石原さんは、事後直後から原発問題に取り組み、制作に加わったETV特集で、これまで2回JCJ賞を受賞している。
 一方、贈賞式では、TBS報道局の佐古忠彦さんが「私と沖縄」と題して特別講演を行った。佐古さんは、20年あまり前に、故筑紫哲也さんのニュース23に加わってから沖縄の問題に継続的に取り組んでいる。そしてテレビの世界だけではなく占領下沖縄の人々のために闘った政治家・瀬長亀次郎や、戦中最後の県知事・島田叡についてのドキュメンタリー映画も監督した。
 佐古さんは「なぜ沖縄なのか。筑紫さんは『沖縄から日本が見える。その矛盾がつまっている』と話していました。なぜ沖縄の今があるのか、という意識から過去の歴史を遡っていくようになりました。安全保障の問題はイデオロギーになりがちですが、実は生活の問題で、主権国家としての振る舞いが問われている、その矛盾が一番押しつけられているのが沖縄です。そこで瀬長亀次郎の米軍からの主権を取り戻して日本に還るための奮闘を描きました。戦中最後の島田叡知事は、全体主義の中で最後は「個」に向かいあうことができたのではないか、この映画にリーダー論を見ることができるのではないでしょうか」と話した。最後に「沖縄からこの国を見ると、問い返すテーマがあります。私はこれまでと変わらない視点を持ってやっていきたいと思います」と述べた。
 「原発事故」と「沖縄」それは決して福島や沖縄の地元の人たちだけの問題ではない。この国の人々の暮らしや、政治・経済のあり方、すべてに関わることだと思う。
 この日、2人のテレビ(映像)ジャーナリストの声からは、これからもそれぞれが、それぞれの問題について伝え続けていくという志が静かに伝わってくるようだった。
                            (2021年11月号より)



     「東京民報社~多摩の戦争遺跡を歩く」を連載して

                  増田康雄(放送を語る会会員)

毎年終戦の日の前後に、多くの戦争関連番組が放送される。それによって、戦後76年を経た今日でも戦争の隠された真実を知ることが出来る。私はそうした事実をカメラを通して伝えようと試みて来た。
 今年の1月に一本の電話が入る。電話は東京民報社の荒金哲編集長からだった。2017年に出版した写真集「多摩の戦争遺跡」(新日本出版)を見て連絡したとのことだった。内容は週刊紙「東京民放」に、3月から8月まで『多摩の戦争遺跡を歩く』というタイトルで、写真と160文字程度の解説文を連載したいとのことだった。戦後76年を経過して記憶の薄れる中、「戦争遺跡」を通じて戦争の愚かさや、悲惨さを戦争を知らない若い世代に、少しでも知って欲しいとの思いがあったのでこの申し出を引き受けることにし、直ちに約50枚の「多摩の戦争遺跡」の写真から掲載すべき物を多摩の広い地域を考慮して選択、24枚に絞り込んだ地域は調布市、稲城市、府中市、西東京市、東大和市、八王子市、三鷹市、立川市など11市に及んだが、最終的には連載中にあった読者からの要望に応じて、25週の掲載となった。
 コメントの作成にも時間もかかったが、新聞記事、写真集、戦争遺跡調査報告集、戦争遺跡辞典、参考書を紐解いて作成し、東京民報編集部にカラー写真とコメントの文章を送付した。

 連載された具体例を2つほど紹介してみたい。
 連載⑨回目は東京都昭島市.旧陸軍航空工廠引き込み線で写真は「道路に置かれた線路と転轍機」。コメントは「戦前、陸軍立川飛行場周辺と国鉄青梅線中神駅を結ぶ鉄道・引き込み線が引かれた。この鉄道は陸軍関係の軍需物資であるガソリン、兵器類、砲弾、銃弾、食糧、工具類、機材、兵員などを運んでいた。1945815日、その役割を終えた。昭島市は鉄道・引き込み線を撤去し、住民のための道路となった。現在は線路と転轍機が記念に置かれている」。
 連載13回目は東京都日野市の「高幡不動尊・生松脂採取跡」「東京都日野市にある高幡不動尊の森の中にある、松の木に残る『生松脂採取跡』1944年(昭和19年)~45年(昭和20年)の戦争末期、日本は極端に軍用機、艦艇の燃料が不足していた。軍部は代替え燃料として、松の木から取れる「生松脂」から「松根油」を精製して燃料に使うことを考えた。全国の老人や子どもたちまで採取に駆りだされた」。
 連載は829日で終了したが2カ所ほど訂正を知人から指摘される。稲城市にある、「多摩陸軍火薬製造所」のボイラ―室は「蒸気」も作っていたとの事や、調布市のB29墜落地点の誤りなどがあった。

 連載には大きな反響が寄せられた。東京多摩市の二つの市民団体から「戦争遺跡」の写真展への参加要請があり、一つは多摩市の年金組合から文化展への要請。もう一つは多摩市桜ケ丘の市民団体から平和展への出品の要請がはいったことで、9月は忙しくなりそうだ。11月と12月には別の市民団体からも連載された写真と記事をパネルにして開催したいとの連絡もあった。また、東京民報の読者でない知人たちに向けて、メールで毎号の記事を複数の知人に送ってみた。毎号コピーを送り続けた知人の中には感想を書いて、はがきをくれた知人が数多くいた事はうれしい限りだ。連載期間中のみ読者になった友人もいた。
 この機会に多くの人たちに「戦争遺跡」を通じて「戦争の悲惨さと愚かさ」を感じとっていただければ幸いと思う。そして、これからも若い世代に戦争反対を訴え続けてゆきたいと思う。今回、東京民報に連載された写真と記事は私にとって、忘れられない記憶となろう。
                            (2021年10月号より)


        国民のための公共放送をめざして
          ~「放送を語る会」の30年~

                     府川朝次(
放送を語る会会員)

 
「放送を語る会」(以下「語る会」と略す)は昨年(2020年)創立30周年を迎えた。「語る会」が産声を上げた1990年、全国集会で「よびかけ」が発表され、●「放送を語る会」は、国民に支えられた公共放送、中立・公正な放送を実現するために努力していく、●理想の姿を実現するために、放送労働者、マスコミ研究者、視聴者の3者が連帯して、知恵や力を出し合いながら運動をおし進めていく、ことが確認された。以来、「語る会」は「よびかけ」を綱領的なよりどころにして、今日まで視聴者団体として変わることなく活動を続けてきた。
 NHKは視聴者が拠出する「受信料」に支えられた「公共放送」だが、それゆえ、受信料の改定を含めたNHKの予算は、国民の代表で構成された国会での承認が必要である。じつは、ここに大きな落とし穴がある。歴史的に見て、多くの時代、国会での最大勢力を維持してきたのは自民党で、国会で穏便にNHK予算を承認してもらうためには、まず自民党への事前の根回しが欠かせない。だが、権力の側はNHKの生殺与奪の権利を握っているとばかりに、脅しをかけたり、無理難題を吹きかけたりすることもあった。そのことが、権力にすり寄る、顔色をうかがう、忖度するなど、「悪しき体質」を生んでいった。
 「語る会」は、この悪しき体質から抜け出して、国民に開かれた、真の「公共放送」を実現する道を探り続けてきた。そのために(1)「声明」や「申し入れ」を発出して、NHKや政府、国会などにもの申す(2)ニュース番組をモニターし、公共放送に相応しい内容の放送がされているかどうかをチェックする(3NHKの優れた番組を視聴者に積極的に紹介する、などの活動を通じて、共鳴できる他団体と手を結んで運動を広げてきたのだった。「声明」の第1号が出されたのは、2001年に起こった「ETV2001 シリーズ戦争をどう裁くか」第2回「問われる戦時性暴力」に関するものだった。アジア各地での日本軍「慰安婦」を扱った内容に、日本に「慰安婦」はいなかったと主張する自民党右派の若手政治家から圧力がかかり、NHK上層部の命令によって、番組は当初の意図から逸脱し、無残なまでに改変されてしまったのだ。その真相は2005年、放送時番組デスクをしていた長井暁氏の内部告発によって表面化していったが、これに合わせて「語る会」はNHKや視聴者にむけて、声明の形で「真相解明せよ」と訴えたのだ。
 籾井勝人氏がNHK会長に就任した際は、連日のように「申し入れ」が行われた。2014125日会長就任の記者会見の席上、籾井氏は「政府が右というものを、左というわけにはいかない」と発言し、物議をかもした。この件をめぐっては、「語る会」のみならず多くの視聴者団体が連帯して抗議の声を上げ、籾井氏辞任を求める街頭署名や、抗議集会、国会議員を動員しての院内集会など、多彩な抗議活動を展開した。そうした活動を通じて、連帯の環が大きく広がっていった。その効あってか、籾井氏は1期限りで退任した。
 ニュース番組のモニターを始めたのは、2003年のイラク戦争の時だった。NHKのニュースが、アメリカ政府のスポークスマンの発表のようだ、という声が会員の中から出てきたのだ。しかし、印象批判だけでものをいうのは説得力を欠く、ということから、同じ調査項目で民放のニュース番組との比較を行う、客観的な分析方法が出来上がっていった。以来今日までに実施したモニターは23回。浮かび上がってきたのは、NHKのニュースが明らかに、政権に忖度し、政府にとって不都合な事実を隠そうとする体質を持っているということだった。昨年話題になった「アベノマスク」という言葉も、NHKニュースは一度も使っていない。「語る会」のモニター報告は、今ではメディア研究者の一定の評価を得るまでになっている。
 いっぽう、NHKは優れた作品も数多く放送している。それを担当した制作者を招いて視聴者と語り合う場を設けることで、視聴者のNHK理解を深める努力も払ってきた。「語る会」はいま、30年の足跡を書籍の形で記録にとどめようと、編集作業に取りかかっている。来年の早い時期には本としての刊行を予定しているが、「公共放送のあるべき姿を追求する」運動は、決してこれできりが付いたわけではない。現に、「かんぽ生命不正問題」を扱った番組に対する、NHK経営委員長の番組介入に象徴されるように、問題は絶えず起こり続けている。

「語る会」の目指すゴールは、30年を経て、まだ「道半ば」なのだ。
                           (2021年9月号より)

     「戦争と女性」❘❘橋田壽賀子が「おしん」に託した思い

                 五十嵐吉美(放送を語る会会員)


 戦後76年、8月15日を迎える。玉音放送を、その時聞いた世代はほとんどいなくなり、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」という声を間延びした響きとしてしか聞こえない戦後世代が多数となった日本。
 敗戦を告げる天皇の放送を実際に聞いた一人が、今年4月、95歳でなくなった。脚本家・橋田壽賀子さんである。その時「腹がたった」気持ちを38年後に朝ドラ「おしん」に託した橋田さん、思いの丈をNHKETV特集「橋田壽賀子のラストメッセージ~“おしん”の時代と日本人」(5月15日放送)で語っている。
 1983年放送、その後何度も再放送された「おしん」をみてきた私は、「ETV特集」橋田さんへのロングインタビュー(2019年取材)で、作者の思いを画面越しに知ることができた。「人生のすべてをかけ、自分を投影してきた」
ーー「おしん」は集大成だと満足げに語った橋田さん。演出もあっただろうが、一文字一文字書いた生原稿をいとおしそうに撫でる指先。紡ぎ出された「おしん」297話の秘話に興味をそそられながら視聴した。

戦争の被害者としてだけではない描き方
 8月15日、大阪海軍経理部の「理事生」200人のひとりとして集合させられた橋田さん。現れた将校らは短剣をはずし丸腰、敗戦を淡々と受け入れ書類の焼却などを指示するのに疑問がわいた橋田さんは「私は泣きました。戦争責任を感じていない人に腹が立ちましたね」。
 日本軍の戦勝、戦勝に「ばんざーい」を叫び、ちょうちん行列の中にいた軍国少女、特攻隊の世話をしていた自分には戦争に加担したという意識があったという橋田さん。脚本家として大きなテーマとなった。それは庶民の戦争責任、戦争の被害者としてだけでなく戦争に加担した当事者として描くことが、「おしん」でまず書きたいことの一つだったという。
 山形から上京、読み書きができたおしんは女性として自分の力で暮らし、田倉竜三と結婚。関東大震災で焼け出され夫の実家を頼ったが隷従の毎日。そこから脱出をはかりやがて小さな魚屋を営む。戦争が進むにつれ夫が軍の納入業者になって羽振りの良い暮らしを得たおしん。だが長男を戦争で奪われ、夫の竜
三も「戦争協力の責任」は消えないと命を絶つ。
 橋田さんは自らの反省を、おしんに託した。

 「私は竜三を立派だと思っています。戦争が終わったら、戦争中は自分も黙っていたくせに自分一人は戦争に反対してきたみたいに、馬鹿な戦争だったとか、間違った戦争だったとか、偉そうなことを言って…。私もそうでした。暮らしが豊かになるためだったらといって竜
三の仕事には目をつむってきました。戦争のおかげで自分だってぬくぬく暮らしてきたくせに、今になって戦争を憎んでいるんです。~そんな人に比べたら竜三はどんなに立派か、自分の信念を通して生きて、それが崩れたときに節をまげないで自分の生き方にけじめをつけました。私は竜三が好きです、大好きです」――2分を越えるセリフ、おしんを演じた田中裕子の横顔がいつまでも消えない。
 「戦争は過ぎたことだからというのではなく、国民一人ひとりにも責任があるということだけはどうしても書かねばならないと思ったのです。それは、あの戦争で私が身体が震えるくらいに感じたことでした」。橋田さんの覚悟があった。

おしんは昭和天皇と同じ生年に
 橋田さんはこのドラマをどうしても見てもらいたい人がいた。昭和天皇である。おしんを天皇と同じ明治34年生まれに設定。同じ時代に生きた日本の女たちの苦労を天皇に知ってもらいたかった、だから最初から決めていたと話す。
 口減らし堕胎など「暗い話」、朝ドラにはならないと最初は思った小林由紀子プロデューサー。橋田さんと日本の近代経済の基盤、小作・農業、女性の働く場は東京、仕事は髪結い、一人の女性の人生を描きながら日本社会を描くものにと制作意図を紹介。放送中連日視聴者から手紙「自分も身売りされ誰にも言えなかった」など、たくさんのおしんがいた日本。
 「一番苦労しないで書けました」ホ、ホ、ホと笑う橋田さん。戦後食糧を求めて出かけた山形で聞いた「米1
で奉公」最上川を筏で下る娘の話、苦界から這い上がり幸せになった女性からの私信、募集した体験談などを骨格に出来上がった「おしん」は集大成のドラマだと語った橋田さん。昭和天皇が「おしん」を見ていたかどうか、それもチェックして95年を「ムダなことなく」生きたという橋田さんに拍手です。
                            (2021年8月号より)


「風化は許さない」住民と「原発事故をまともに語らない」政府・東電
    東日本大震災から10年、テレビ報道モニターから見えたもの

                    今井潤(放送を語る会会員)

 今年で東日本大震災から10年が経ちました。「放送を語る会」は3・11を中心にテレビが東日本大震災をどう報道したか、モニター活動を実施しました。
 参加者は東京と大阪から16名、23の番組について、27のモニター報告が寄せられました。モニター対象はNW9、報道ステーションなど通常のニュース番組とNHKスペシャル(以下Nスぺ)、ETV特集など大型番組でした。この中から3つの番組のモニターを選び紹介します。

(1) 3月6日ETV特集「最悪のシナリオ~その時誰が命を懸けるのか~」
 この番組は原発事故には「最悪のシナリオ」が首相官邸、自衛隊、米軍でそれぞれ作られていたことを明らかにし、東京電力第一発電所の3つの原子炉の爆発事故を官邸、東電、自衛隊の動きと併せて克明に検証し、そこから教訓を引き出そうという渾身の力作だ。菅首相、北沢防衛相など100名以上の当事者に取材した証言の積みかさねが切迫した危機的状況をリアルに浮かびあがらせる。東京電力の無責任、不誠実さをいくつかの事例で番組は明らかにしている。菅首相、自衛隊のトップ、アメリカ原子力規制委員会の当事者がインタビューに応じているが、東電幹部は誰1人インタビューに登場しない。原発再稼働を画策する人には、この番組を見て、思考停止を解いてもう一度よく考えてほしいというのが、モニターを担当した私の感想です。

(2) 3月8日TBS「NEWS23」~原発事故見えぬ収束・事故から10年~
 扱ったのは、原発の冷却によって発生した汚染水と除染で回収した汚染水処理の問題だった。汚染水は毎日140トン発生している。現在アルプスという除去装置を使って放射性物質を除去した水をタンクにためているが、来年秋までに満杯になってしまう。国と東電は海へ流す計画でいる。しかし漁民は風評被害を恐れて反対している。一方農地や宅地などの除染によって出た汚染土は双葉町の中間貯蔵施設に集められている。法律には2045年までには県外に撤去することが決められている。住民は先が見通せないと将来設計が立てられないことに不満をもらすが、新たな策は何も示されていない。番組は最後に「汚染水を処理したフィルターは高濃度の放射線が付着している。そのフィルターも増え続けている。人はまだまだ故郷に帰れない」と結んでいます。

(3) 3月12日テレ朝「報道ステーション」~福島原発。廃炉後の姿は・・・廃炉の終着点~ スタジオ内に福島第一原発で発生した炉心溶融(メルトダウン)など一連の放射性物質を放出している個所をセットで説明し、実際の原発事故現場を富川アナが探知機がピーピーとなっている中を現場リポート、迫力があった。原発事故セットとロボットアームなどCG合成の演出もよかった。脚本家倉本聰さんがリモート出演、「私が一番気になったのが、高レベル放射性廃棄物、土も水も含めて、最終処分場がきまっていないことです」「フィンランドでは原発を作る時に、ゴミの処理をすることが条件になっているが、日本では全然できていない、僕も含めて、恥ずべきことだと思います」と述べた。実に明快な答えでした。「原発はやめるべし」の強い声も欲しかったと思います。

 それぞれのモニター報告をふまえて、放送を語る会は以下のようにまとめています。デイリーニュースでは被災地の実態に迫り、被災者の心情にスタンスを置いて伝えようとする姿勢がどのニュースにも共通していた。菅首相は追悼式典で「復興の総仕上げの段階に入っている」と強調したが、3月11日のNW9は現地から「10年経つが道半ばだ」と伝えました。
 番組ではNスぺ、ETV特集が精力的に原発事故を取り上げ、税金を無駄使いする公共事業の闇を追及した「Nスぺ・徹底検証除染マネー」が力作でした。被災地の実態を静かに見つめ、被災者の心情を優しく伝え、深く理解しようとする番組「こころの時代・福島を語る言葉を探して」も記憶に残りました。
 27のモニター報告を読んで、私の心に残った被災者の言葉は二つあります。
 3月10日Nスぺ「徹底検証・除染マネー」の中で防護服を着て家に入る夫婦の会話「何の喜びもない、安心して元通りに戻してほしい、棄民じゃないか」と、3月11日テレ朝「報道ステーション」災害報道の自己検証で「マスコミは自分たちの目や耳の代わりのはずなのに、何も取材してくれない」です。今も故郷に帰れない多くの人たちに対して、テレビ報道はこの声に応えた取材と発信をしなくてはならないと思っています。
                              (2021年7月号より)


     
        日本版「放送・通信委員会」の可能性

               小滝一志(放送を語る会事務局長)

 総務省官僚の違法接待事件は、皮肉にも放送行政に対する市民の関心を集めた。
 当初、菅首相長男の高額違法接待問題として報道された。しかし「利権なくして接待なし」と言われる通り、放送事業者・東北新社への衛星放送認可という利権が絡んでいたことが明らかになり、放送行政が歪められたのではないかと連日メディアを賑わした。その後、放送法の外資規制違反なども加わり衆参予算委員会でも大きな問題になり野党議員の厳しい追及が続いた。これには「NHKの経営に自主・自律なんてない。自主・自律は放送番組編集の話。人事も金も縛られている」という総務官僚のホンネの暴露というオマケまでついた。
 この事件をめぐって、TBS「サンデーモーニング」で松原耕二コメンテーターが「放送行政を第三者機関に」と発言、TBSnews23」コメンテーター星浩氏からもオンラインシンポジウムで同様の発言があった。
 テレビ業界OBからも声が上がった。「不祥事続きの総務省を解体し、独立行政委員会に通信、放送の監督権限を全面移行すべきだ」(隅井孝雄元日本テレビ外報記者)20年前、安倍晋三官房副長官(当時)の介入で番組「問われる戦時性暴力」を改変された当事者の1人も、「現行の放送行政を総務省が管轄する制度では、政権のNHKへの関与が強くなりすぎる。米FCCのような独立行政委員会に放送行政を監理させることが絶対に必要」(長井暁元NHKプロデューサー)
 メディア論専門の研究者からも「一連の騒ぎは権力が放送の認可権を持つ弊害、『独立行政委員会』を設置せよ」(砂川浩慶立教大学教授)
 「独立行政委員会」とは耳慣れない言葉だが、要は、放送行政を総務省から切り離し、公正取引委員会のような独立した機関「放送・通信委員会」に権限を移すことだ。目を転じれば海外のメディア行政ではこれがむしろ主流で、行政(総務省)が剝き出しで直接メディアを規制する制度は、先進諸国では日本とロシア、中国ぐらいしかない。 

 近年、日本でも放送行政に独立行政委員会制度の導入を求める声が出始めている。2019年参院選挙では、政権寄りのテレビ報道に怒った市民連合が「共通政策」13項目の一つに「放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行う新たな放送法制の構築」を掲げ、5野党・会派と政策協定を結んだ。
 その後、私たちも参加する「NHKとメディアの今を考える会」が、シンポジウム「放送を市民の手に!独立行政委員会制度実現を!」(201912月)を起点に、コロナ禍で中断を余儀なくされながら継続してシンポジウムを開催、メディア研究者の協力を得て改革提言のとりまとめも模索している。
 少し遡るが、2013年には民主党(当時)が、権力を監視すべきメディアが権力に監視される現行放送制度はおかしいと「通信・放送委員会設置法案」を提出したこともあった。この時は残念ながら審議未了廃案に終わった。

独立行政委員会制度のラフスケッチ
 日本版「放送・通信委員会」の制度設計では、さまざまな課題を検討しなければならないが、一番の肝は「政治のメディア支配・干渉の排除」だろう。
 第一に、「放送・通信委員会」を組織・構成するに当たって「政治からの独立」、政権の干渉を排除する制度的保障が必要だ。現行国家行政組織法の建付けでは「放送・通信委員会」も省の外局として設置されざるをえないので「両院の同意を得て首相が任命」することが必要になるが、両院の同意を過半数から2/3にハードルを上げる、あるいは現在・官邸や総務省が作成している推薦名簿を「選考委員会」を新たに設置して委ねるなどの検討が必要ではないか。
 次に、総務省が一手に握る放送局の開設・チャンネル割り当てなど放送事業者への許認可権、NHK予算の総務省への提出義務・国会承認などを先ず見直し「放送・通信委員会」に権限を全面的に移す必要がある。放送事業者への許認可権が利権の温床になり、政権・与党が予算を人質にしてNHKへの介入・干渉を繰り返す現状を見れば改革は急務だ。
 その他にも制度設計の検討課題は山積するが、現在の政権を忖度する場面の多い放送メディアの改革は待ったなしではなかろうか。遅くとも10月までには総選挙が行われる。市民連合と野党が「共通政策」を土台に、独立行政委員会制度導入を核とした放送制度改革を最優先課題に位置付けることを期待したい。
                         (2021年6月号より)


         東日本大震災10年の福島にて

                古川英一 (放送を語る会会員)

 
3月11日は、東日本大震災が起きてから10年目。震災よりさらに10年近くさかのぼるが、放送局に勤務し、福島でニュースの仕事をしてきたので、福島の人たちは、私にとって心の中の近くにいる人たちだ。その人たちの「現在」を少しでも知りたいと思った。
 災害が起きた時に被災者に欠かせないのは、情報であり、その伝え手であるメディアだし、何よりも被災者の身体を守る医療だろう。メディアと医療、この結びつきが必要であることを医療関係者から学ぶ機会があった。そのつながりから福島県南相馬市で、今もボランティアを続けている看護師の女性を知り、3月11日をはさむ3日間、南相馬市を訪れた。
 南相馬市は、東日本大震災では、津波の被害だけでなく、福島第一原発の事故で一部の地域では住民が避難を余儀なくされた。「天災」と「人災」の2つの被害に住民たちは見舞われた。10年経った街の中心部を歩くと、そこには、ほかの地方の街と変わらない日常があるように感じた。
 看護師の生田チサトさんに会って話を聞いた。生田さんは阪神淡路大震災の時に被災地で看護活動にあたり、その体験をもとに東日本大震災後の南相馬市で病院の支援看護師として、自宅のある岐阜県高山市と南相馬市を毎月往復する生活を10年間続けてきた。病院では、患者さんに足湯をしながら心身のケアに力を入れてきた。生田さんによると被災後は環境が変わることが負担となり、認知症が進む人も多かったという。そうした人たちに寄り添いながら、一方で子供を抱えた若い夫婦などの姿が増えたことに「みんなが、この地で生きていこうとしているのは素晴らしいことですね」と目を細める。「この10年間、通い続けて看護という仕事の高貴さに気づきました」生田さんは、穏やかな表情で語った。また「取材を受けることによって、その人は、何か気持ちをはきだせるのではないでしょうか、話をするということはそういうことでしょうし、だからしっかり聞くことですよ」とも。
 生田さんが患者さんと接し続けた大町病院。地域の中核病院は、朝の診療時間から外来はいっぱいだ。生田さんに、顔見知りの患者さんが寄ってきて話しかけている。病院の看護部長として120人の看護師を束ねる藤原珠世さんを訪れた。10年前は被災直後もずっと病院に残り、孤立した中での医療活動にあたったという。「メディアが現地に入らない中、NHK福島にFAXで窮状を訴え、それが読み上げられて放送されました。それを避難所で見て病院に戻ってきたスタッフもいました。メディアが伝えることで伝わるのです」
 
 藤原さんが目指すのは、地域に求められる病院だ。そのためにも「今、目の前にいる患者さんを救うことが地域医療を支えることだということを若い人たちに伝えていきたい」と話す。
 3月11日午後2時46分、南相馬の町にはサイレンの音が鳴り響いた。10年前のこの日、南相馬では636人が津波で命を奪われた。そして翌日、福島第一原発1号機が爆発、一部の地域の住民避難が始まった。この時、市の中心部に留まった市民は、30キロ以内の立ち入りが規制されるなか、孤立状態に陥った。組織メディアの記者やカメラマンも会社の指示で避難し、現地の情報を伝えることができなくなった。そのような中で、ユーチューブで南相馬の窮状を訴えたのが当時の桜井勝延市長だった。その桜井元市長に、生田さんと一緒に話を聞いた。原発事故後に組織メディアの記者が一斉に退避したことについて問うと「ジャーナリストとして、現場を離れることは、それぞれが苦渋の選択だったのではないでしょうか。その後、会社を辞めてフリーランスになった記者も数人いました」と穏やかに答えた。しかし10年が経ったことへの感想を聞くと「復興なんて全くしていません。市民を相手にしてきた人間から見ると、福島は利用され、愚弄されてきた。国から、東京電力から嘘をつき続けられてきた。10年は10年、単なる通過点にしか過ぎません」と、一転、口調は厳しくなった。市長を退いても、桜井さんの眼差しは、地域にしっかりと向けられている。
 南相馬で会った、その人たちの声には、この10年間の体験が刻み込まれている。こちらから問うたからか「伝える」ということへの示唆もあった。
 被災地の日常は、きょうも、そしてあすも続く。10年目という節目は、そのあたり前のことを改めて確認させるとともに、「伝え手」でありたいとする者への覚悟を促しているのではないか。
                           (2021年5月号より)


         戸崎さんはまっすぐな人„だった

                府川朝次(放送を語る会会員)

 戸崎賢二さん(元NHKディレクター)が亡くなった。「放送を語る会」(以下「語る会」と略す)にあって、理論的な支柱ともいうべき存在だった戸崎さんは、「真に国民の立場に立ち、民主的な公共放送」としてのNHKを実現すべく、行動し続けた人だった。
 「語る会」は昨年創立
30周年を迎えた。その間には様々な事件に遭遇した。今から20年前の2001年には、NHKの根幹を揺るがす大事件「番組改変事件」が出来した。政治家が番組内容にまで介入し、それを忖度したNHK幹部が制作現場の意向を無視して、強引に番組内容を変更させたのだ。番組は従軍慰安婦を扱ったものだった。2014年には籾井勝人NHK会長就任問題が持ち上がった。1月会長就任の記者会見で籾井氏は、「従軍慰安婦はどこの国にもいた」「(NHKの国際放送に関して)政府が右といったものを左というわけにはいかない」など、NHK会長としての見識を疑わせる発言を連発したのだ。「籾井会長辞任要求」の声は、視聴者市民の間にまで広がっていった。
 こうした問題が起こるたびに「語る会」は抗議声明や申し入れを発表し、籾井問題では街頭署名にまで取り組んだ。戸崎さんはそれらの行動をさらに発展させ、「真に政治権力から独立し、民主主義の発展に資するような、多様で豊かな放送を、視聴者市民の参加のもとに実現できるようなNHK」にするためには、何をどうすればいいのか考え続けていた。
 「番組改変事件」をきっかけに取り組んだのは、現行の放送法の下で「NHKに何ができるか」を探ることだった。
20069月に「語る会」が発表した「"可能性としてのNHK”へ向かって」がそれである。「真に政治権力から独立し」云々の一節はこの報告書にあるのだが、提言をまとめるために、彼は自宅のある団地の集会所を確保し、番組制作担当者はもとより、記者や技術職、営業職、そして外部の放送関係者にいたるまで幅広い職種の人たちと議論を交わしながら文章を練り上げていった。報告書には「放送における表現の自由を確保するために、内部的自由の保障、編集協議会の設置」が必要なことや、受信料を払っている市民の権利を行使できる制度、たとえば「市民の声を取り上げる番組」「市民メディアへの物的・技術的な支援制度」を作るべきだとの主張が盛り込まれた。
 籾井会長問題では、「番組改変事件」当時の担当プロデューサー永田浩三氏、従軍慰安婦問題をライフワークに番組作りに携わってきた池田恵理子元ディレクターとの共著『NHKが危ない!』を刊行した。ここでも戸崎さんが力説したのは、「国民のためのNHK」を取り戻すために何が必要かということだった。その一文「NHKで働いている人たちへ」の中で彼は、「ニュースや番組が、政権への配慮を理由にボツになったり、放送の一部が削除されるようなことがあれば、恐れずに抵抗しよう」と呼びかけている。「NHKは政府から独立した放送局であり、視聴者はそのために受信料を払っている。だから、視聴者・市民に訴えることで彼らとともに闘え」というのである。そのためにも、「公共放送の根幹となる視聴者の信頼と理解」を得るための努力が必要だと説いている。
 戸崎さんはまっすぐな人だ。が、私がそのことに気づいたのは、恥ずかしながら付き合い始めて何十年もたってからだった。
1964年私は新人としてNHK福島放送局に赴任した。戸崎さんは二年先輩のディレクターとしてすでに福島局で中核をなす存在だった。だが、よき相談相手、よきライバルとしての意識が勝り、その大きさや深さにまで思い至ることはなかった。それを知ったのは「語る会」での活動が大きさを増していった退職後のことだった。彼は福島時代、労働組合の分会長として「『マスコミ市民』の会」を結成し、市民との交流の場を作り上げた。今考えれば「市民とともにあるNHK」を目指す彼の理念の一環としての活動だったことを理解できるのだが、当時はその組織力の見事さに驚嘆したものの、その意味することにまでは考えが及んでいなかった。
 戸崎さんはまっすぐな人だった。告別式で、彼の棺は遺族の強い希望で純白の花の中に置かれた。俗にまみれず、おのれの信念を貫き通した彼の旅立ちに相応しい心遣いだった。
                          (2021年4月号より)


        テレビ小説「おちょやん」と大阪人気質

                   今井 潤(放送を語る会代表)

私はNHKの大河ドラマやテレビ小説は見ないことにしてきた。しかし、202010月に始まった大阪局制作の「おちょやん」を見ることにした理由はただ一つ、主人公がラジオ時代のスーパースター浪花千栄子だからである。 
 いま、60代の人でも浪花千栄子を知らない人が多いので、ここはまず浪花千栄子という女優を紹介しなければならないと思う。
 1907年(明治40年)大阪府南河内郡の生まれ。18歳の時村田英子一座に入り、1929年渋谷天外の松竹家庭劇に参加、1948年松竹新喜劇の看板女優として活躍。その後、NHK大阪放送局のプロデューサーに請われ、ラジオ「お父さんはお人よし」で漫才のエンタツ・アチャコの花菱アチャコの母親役として出演、1954年から11年間、500回の長寿番組となり、「大阪のお母さん」と呼ばれ、全国的人気を博した。その後、映画に出演、森繁久弥と「夫婦善哉」、黒沢明の「蜘蛛巣城」ではもののけ役、勝新太郎と田宮二郎の「悪名」ではやくざの女親分と多彩な役をこなした。

 テレビ小説「おちょやん」では南河内の養鶏農家に生まれた竹井千代が5歳の時に生母を亡くし、母代わりに家事をまかされることになった。幼い千代がガラの悪い河内弁をしゃべるのが可愛く、毎田暖乃(のの)という子役がテレビを見る人の心をつかんだ。
 この千代が大阪の中心、道頓堀の芝居茶屋「岡安」へ奉公に出て、役者を目指し、映画俳優に成長していくというドラマになっている。ここから千代役の杉咲花という若い俳優が大阪女を軽妙に演じて、番組を盛り上げていく。
 高城百合子(井川遥)のイプセンの「人形の家」を舞台で見て、雷に打たれたように女優の道を目指す。その後、映画俳優の山村ちどり(若村麻由美)の身の回りの世話をするうち、彼女の芸への執念を見て、女優になる確信を強めていくのである。
 一方、飲んだくれで生活力のない父(トータス松本)には金銭のことで苦しめられるが、京都のカフェの同僚、撮影所の大部屋女優、助監督などに励まされ、千代は涙と笑いの中で成長していく。この番組の中でも大阪人が交わす会話の面白さ、悲しさ、味わい深さはふんだんに表現されている。

 大阪人気質というと、東大阪市出身の司馬遼太郎は「蕎麦屋に入っても、東京では私の隣には客は座らないが、大阪では平気で同席するし、気にすることもない」と大阪人について書いている。大阪人は二人寄ると会話が漫才になると漫才作家の秋田実は名言を残しているが、これは大阪人は話すことが好きで、会話を楽しみ、面白くしないといけないという性癖からくるものではないだろうかと思う。
 こうした大阪人気質はラジオ時代からテレビ時代の放送を通じて、全国に伝わった。作家や脚本家が放送に力を入れ、数々の名作を生んだことも影響している。香川登志緒は「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」のギャクをふんだんに取り入れた爆笑劇を書き、最高視聴率は64・8%を獲得するお化け番組となり、社会現象となった。当時の事情についてプロデューサーの澤田隆治は1994年にETVの人間大学で「上方芸能・笑いの放送史」として3か月間のシリーズ講座を担当した。澤田は「澤田隆治が選んだ中田ダイマル・ラケットベスト漫才集」など漫才師たちの芸談について書いただけでなく、「戦後メディアと笑芸」「澤田隆治平成論考テレビ演出家・プロヂューサー論」など多くの評論、演出論についての著作を残している。NHK大阪のプロデューサーだった棚橋昭夫は1998年から2年間、ラジオ深夜便「なつかしの上方演芸」で舞台の裏話を体験談として語った。藤本義一は1963年NHK大阪局で「法善寺横丁」で浪花千栄子,ミヤコ蝶々、藤田まことなど人気者をそろえた上方人情コメディを書いた。藤本は放送を通して、大阪人の長所も短所も表現したと思う。

 大阪弁と一般に言うが、「おちょやん」の最初の舞台は河内で、この河内弁は今東光の「悪名」の勝新太郎がしゃべるガラの悪い、泥臭い河内弁である。大阪では船場言葉など、いろいろな言葉を総称して大阪弁というのだろうが、私が40年前に大阪阿倍野区の天王寺高校の近くで聞いた、老婦人の大阪弁の響きは今でも思い出すほど美しかった。「おちょやん」でも「おおきに」「かんにん」という大阪弁のやさしい響きは視聴者の心に残るものだと思っている。
                          (2021年3月号より)


 

   『大胆にして繊細』であったNHK朝ドラエール

                    根本 仁(元NHKディレクター)

 「優れたドラマはドキュメンタリーに見え、秀でたドキュメンタリーはドラマに見える」、とはNHKの新人ディレクター時代から聞かされてきた至言です。
 私はNHKで30年間番組制作に携わり、そのうち12年はドラマを手掛け、連続テレビ小説(通称:朝ドラ)とは4シリーズに関わりました。
 定年後は故郷の福島で暮らしていますが、福島市出身の作曲家である古関裕而と愛知県豊橋市出身の妻・金子との「音楽とともに生きた夫婦の物語」を、NHKが朝ドラ「エール」として放送するというニュースには関心を寄せないわけにはいきませんでした。そこで2020
年3月30日の第一回放送から、11月27の最終回・第120回の放送までを全て見ることにしました。その感想について以下に述べますが、私のドラマ制作経験に照らしながら、あくまで個人的見解であることをお断りしておきます。
 私は「エール」に大きな期待と一抹の危惧を抱きながら放送開始を見守っていました。期待のひとつは福島市で生を受けた偉大な作曲家であること、そして「軍歌の覇王」の名を欲しいままにした古関裕而と敗戦後の作曲家・古関裕而をドラマはどのように描くのかを見届けたいと思ったからです。そして一抹の危惧とは、前年の2019年放送の大河ドラマ「いだてん」に続き、朝ドラ「エール」も1964年に開催された東京オリンピックが登場し、古関は開会式の選手入場行進で演奏される「オリンピックマーチ」の作曲者として大きく関係していました。
 「エール」が放送される2020年は「東京五輪」が開催されることになっていました。憲法九条の条文改定に執念を燃やす安倍官邸が、「ニッポン、ニッポン」の大合唱に、「エール」との相乗効果で国威発揚のムードを盛り上げようとの思惑が私には透けて見えるようでした。
 これに対しNHK執行部、さらにドラマ制作現場はどのように対応するのか、を注意深く見ていました。大河ドラマや朝ドラは単発ドラマとは違って、全国各地から沢山の要望が寄せられ、NHKとしても受信料対策として営業活動の大きな柱になっている性格のドラマ枠です。しかし実際は新型コロナウィルスの蔓延で「東京五輪」は延期となり、東京五輪開催と朝ドラ「エール」放送との同時進行はなりませんでした。
 もう一つの危惧は放送開始の5か月前に、当初予定されていた脚本家の降板、そして新たな脚本家二人とチーフ演出家の参加で3名体制が発表されたことです。ドラマにおける脚本の占める位置は極めて大きく、果たしてドラマがどうなっていくのかを心配しながら放送開始を待ちました。
 いよいよ放送が始まってすぐに気づいたのは、脚本の思い切りの良さと軽妙なセリフのやり取り、そして大胆な演出でした。そしてコロナ禍の影響で収録の遅れと放送中断がありながらも、後半が始まるや日中戦争が始まり大きなヒットには縁遠かった古関は「露営の歌」の作曲以降、戦時歌謡の大ヒット曲を発表し続け、「軍歌の覇王」とまで称されるようになります。そうした様子を史実とフィクションの狭間の中で、脚本と演出はドラマとして秀逸なシーンを見せつけました。
 土屋チーフプロデューサーは後半の放送が始まる前に「やはり戦争という時代を描くことを避けては通れない」と覚悟の程を語っていましたが、確かにドラマ「エール」は史実を超えたフィクションに踏み込むほどに戦争と音楽家の関係、相克を描きました。戦時下では〈戦場の歌〉と題した第18週で、インパール作戦の戦場に赴く古関を登場させます。史実では古関はビルマのラングーンに留まっていましたが、ドラマは戦場の最前線で恩師の戦死の場面に遭遇させます。この〈戦場の歌〉は大きな反響を呼び、10日ほど後の深夜に一挙再放送されるという異例の措置がとられました。
 さらに敗戦後、古関が軍歌で若者たちを死に追いやった負い目から作曲に行き詰まっていた時、サトーハチローが作詞した「長崎の鐘」を見て心が動きます。第19週〈鐘よ響け〉では、原作の小説を書いた永井 隆博士を長崎まで訪ねるシーンを創りました。そこで永井 隆に「あなたは戦争中、人々を応援していた。戦争が終わった今、あなたに出来ることは何ですか?希望をもって頑張る人にエールを送ってくれませんか?」と語らせ、古関の心に音楽の火を再び灯します。このシーンも創作ですが、ドラマとして容認できる範囲と私は認めたいです。最後に全ての出演者が愛しくなるほどの人選・キャスティングを実行した演出陣に感謝したいと思います。
 2020
年前期のNHK朝ドラ「エール」は、紛れもなく朝ドラの歴史に名を残す「ドキュメンタリーに見えた優れたドラマ」であったと思います。これは、地元びいき、身内びいきといった「ひいきの引倒し」にならぬようにと心がけて全ての回を見続けてきた私の率直な感想です。
                          
(2021年2月号より)

       
      コロナ禍にめげず市民は抗議し続ける
       
~「森下NHK経営委員長は辞任せよ!」~

                   
小滝一志(放送を語る会事務局長)

 昨年1110NHK経営委員会の定例開催日。穏やかな秋晴れ、昼休みで人の出入りの増えたNHK放送センター西口、経営委員会への市民の抗議行動が始まった。歩道脇に止まった宣伝カーには、「NHK森下経営委員長は辞任せよ!『会長厳重注意』議事録を公開せよ!」の横幕。歩道には「NHKは菅チャンネルになるな」「NHKは自主自律を貫け」など思い思いのプラスターを手にした市民が、マスクをつけてソーシャルスタンスを取ってならぶ。西口と3階通用口二つの出入り口では、NHKに働く人向けにチラシも配布した。リレートークが始まる。

 ことの発端は2年前の放送。「クローズアップ現代+」が2018424日の番組で郵政グループのかんぽ不正販売を告発したことに始まる。内容に強い不満を持った郵政幹部(日本郵政鈴木康雄上級副社長・元総務省事務次官)がNHKに抗議の申し入れを繰り返し、NHKは8月初旬に予定していた続編の放送を10月に延期、しかも10月の放送では、「かんぽ」はおろか郵便局にも一切触れなかった。圧力をかけた鈴木副社長とNHK森下経営委員長(当時は代行)は旧知の間柄。925日二人は面談、鈴木氏の意を受けた森下委員長は、1023日の経営委員会で「郵政3社側にご理解いただける対応ができていない」とNHK上田会長(当時)を「厳重注意」処分する議論を主導した。その上、この日の議事録は非公開とされた。 
 およそ1年後の20199月、毎日新聞がこの事実をスクープ、視聴者の知るところとなった。20203月、経営委員会の議論が放送法違反の番組批判に踏み込み、ここでも森下委員長が主導的役割を果たしていたことを再び毎日新聞がスクープ。経営委員会による放送法違反の番組批判は、NHK予算を審議する国会でも論議を呼び、野党は議事録公開を要求し森下委員長の辞任を求めた。5月には、NHK情報公開・個人情報保護審議会が当該議事録を「開示すべき」と答申した。前後して24市民団体が「森下辞任要求」署名運動を展開、6月末に7,300筆余りを経営委員会に提出、1026日には2200名余りが森下委員長の国会招致・義務違反究明を求める請願を提出、院内集会を開催した。
 1110日NHK西口の抗議行動は、こうしたこれまでの抗議声明・署名活動・国会請願などと連携した視聴者市民の、経営委員会に対する抗議意思を「見える化」する取り組みだった。主催したのは、「NHKとメディアの今を考える会」。前日(9日)には経営委員会に、「放送法違反を繰り返す森下委員長の辞任、『会長厳重注意』議事録の全面公開を求める」文書を提出、全経営委員に手渡すよう求めた。文書では、森下委員長の3点の放送法違反を指摘した。第一は、郵政幹部の意を受けた番組批判、会長「厳重注意」処分は、「放送番組は何人からも干渉され、または規律されることがない」と定めた第3条違反。第二は、経営委員の個別番組への干渉を禁じた第32条違反。第三は、委員長に議事録を遅滞なく作成・公表することを義務付けた第41条違反。
 
放送センター西口のリレートークでは7人がスピーチ。NHK問題に詳しいジャーナリスト小田桐誠氏、署名・請願行動を推進した醍醐總視聴者コミュニティ代表の厳しい経営委員会批判の後、舞台は一転、NHKに働く人々への激励のメッセージで盛り上がった。仲築間卓蔵マスコミ九条の会代表「8/15 Nスペ『忘れられた戦後補償』は、民間の空襲被害者への援護射撃になった。制作スタッフのみなさんありがとう」。大貫康雄元NHKヨーロッパ総局長「NHKの現場のみなさん、官邸や自民党の圧力に屈せず事実を伝えて」。池田恵理子元NHKディレクター「E特、『バリバラ』などいい番組作って孤軍奮闘で頑張っているみなさんが、NHKの中から声を上げ、部署を越え、企業の枠を超え、時には国境を越えて、市民と共闘して戦前の大本営発表になり下がるのを食い止めて」。皆川学元NHKプロデューサー「菅政権のねらう受信料義務化=NHKの国営放送化、受信料値下げ=リストラの危険。トランプのフェイクニュースの放送を打ち切った米ABCのようにNHKも毅然と立ち向かって」。長井暁元NHKプロデューサー「かんぽ不正や学術会議の任命拒否を取り上げた『クローズアップ現代+』は視聴者からの信頼あつい。官邸や官僚ばかりに気を使い『放送の自主・自律』損なえば視聴者から見捨てられる。『自主・自律』堅持して」。
 コロナ禍のもとで市民の活動は大きな制約があるが、私たちは森下経営委員長の居座りを決してゆるさない覚悟だ。
                         (2021年1月号より)


     
     NHK科学情報番組『ウルトラアイ』を支えたディレクター


                   
増田康雄(放送を語る会会員

 私は今回、NHKの放送を支えた、元ディレクターを取り上げてみたい。私は番組制作のスタッフの一員として、多数の番組に関わって来た。ドラマ、ドキュメンタリー、報道番組、教育番組など、多くのディレクター達と交流する機会があったがスタッフの視点からそのうちの一人個性的なディレクターを紹介したい。
 私は在職中、「音響効果」担当で科学情報番組『ウルトラアイ』のスタッフとして、一時期、参加する機会があった。主な仕事はロケ現場で同時録音、スタジオ収録時のテーマ音楽、録音の再生、音響調整などであった。
 『ウルトラアイ』は一九七八年~八六年まで八年間継続した人気情報番組だった。放送したテーマは生活にかかわるすべてが対象となり、八年間で合計二九二本が制作され番組に関わったディレクターは四十七人を数える。
 その中で思い出深いディレクターの一人が持丸和朗さんだった。彼は自ら十七本制作している。テーマは「馬」、「笛」、「ジャンボジェット機」、「心臓」「星空」「地の底を行く」「レッツダンス」等なので、まさに番組を支えた大黒柱だった。 
 番組の「フォーマット」は総合司会者が山川静夫アナウンサー、ナレーションが小林恭治、音楽は柏木玲子、レギュラーゲストは,榊原るみ、おおば比呂司、黒鉄ヒロシが務め、誰もが疑問に持つ問題をわかりやすく解説していた。特別ゲスト出演者は八年間で延べ数百人に上り、歌手、俳優、スポーツ選手、専門家など多彩な名前が記録されている。
 番組はスタジオ収録前に打ち合わせ会議が開かれる。山川アナウンサー、在京の複数のディレクターが参加し担当ディレクターが番組の狙い,番組構成を説明する。取材したVTR素材を上映して山川アナ、ディレクターの総合討論を得て,構成を固める。
 山川アナウンサーは自らいろいろな実険に挑戦して蚊帳の中に数百匹の蚊を放ち、自ら刺されるという実験にも参加した。
 この番組には特に二つの思い出がある。
 一つ目は一九七九年十二月三日放送の「星空」。担当ディレクターは持丸さん。昼間、「星が見えるかどうかの実験」で東京郊外の五日市の工場の大煙突の中での取材ロケがあった。大きな煙突の中は暗闇で頂上だけが明るかった。見えないと思った白昼の星をカメラはとらえていた。見えたのだ。取材スタッフは皆、驚いた。昼間でも見える星に持丸さんのアイディアのすごさを感じた。
 二つ目は別のディレクターだったが、一九八四年五月十四日放送の「サラブレット速さの秘密」で、競争馬の「心拍数」は通常時三〇回程度だが、レース時は通常の四倍以上に上昇する。画面はスタートからゴールまでを追いかける。映像と音響(心拍数)の対比が面白かった。レース時は馬の「心拍」を録音する事は出来ない。そこで静止時の「心拍」を工夫し、特殊な外国製の機械で変化を付けた。 
 八年間取り上げたテーマの中には珍しい物もあった。

 一九七八年十二月二五日放送、「特集、歌・こえ・のど~あなたも歌がうまくなる」ゲストは藤原弘達、中沢桂、平尾昌晃、ボニージャクス。政治評論家と歌手とのコンビで歌が上手になる秘訣を討論していた。
 この情報番組は難しい解説ではなく、ゲストの会話と実験とで、番組が進む構成で『ウルトラアイ』はその役割を果たし、視聴者の信頼を得た。その意味で持丸和朗ディレクターは、NHKを代表するディレクターの一人と思う。私も持丸さんと一諸に仕事が出来て、大変学ぶことが多かった。定年後の持丸さんは八十歳代で今も「樹木医」として活躍している。 
 この原稿を書くにあたり、番組の保存状況を川口市にある「NHK公開ライブラリー」に問い合わせてみたがビデオ三十四本しか保存されていなかった。科学情報番組『ウルトラアイ』は全作品の約十パーセントしか残っていないのは残念だが、ここでの視聴は可能である。現在放送されている情報番組「ガッテン」は『ウルトラアイ』の後継番組として視聴者に好評だ。
                          (2020年12月号より)


     本当に「福島の復興なくして…日本の再生なし」なのか

                    古川英一(放送を語る会会員)

 福島県の浜通り地方、田畑が広がり海岸線に漁港が点々とあるゆったりとした風景に、雄大な北海道の景色と似ているような印象を覚えました。東日本大震災から来年で10年。この自然豊かな地で暮らしていた人たちの多くは、いまだ故郷に戻れず、かけがえのない日常を取り戻してはいません。
 安倍首相が突然病気を理由に退陣し、「安倍政治の継承」を掲げた菅義偉官房長官が、9月に首相の座を射止めました。そして16日に内閣の初めての閣議で「基本方針」を決定しましたが、そこには、実態はどうあれ安倍内閣では掲げられていた「震災からの復興」に関する記述は姿を消していたのです。メディアはこの問題にどう向きあったのでしょうか。
 東京新聞では9月19日紙面で『菅内閣方針「震災」消える』としてこの問題に触れ「新型コロナ対策が復興に取って代わった格好だ」とし、平沢復興相が会見で、首相から全閣僚に共通する五つの課題が示され、四番目に復興があったと説明したと記しています。NHKでは23日に平沢大臣が首相と会見したというニュースで、「記者団から菅内閣が閣議決定した基本方針に復興がなかったことを問われたのに対し、菅総理大臣からは復興は最も重要な課題の一つと考えていてこれからしっかり取り組んでいくという話があった。東北、福島を軽視していることは全くないと述べた」と伝えました。
 しかし25日に開かれた政府の復興推進会議のニュースでは「菅総理大臣は、安倍内閣の方針を継承し、東日本大震災からの復興に全力で取り組む考えを強調」と、基本方針に盛り込まれなかったことには触れませんでした。一方、同じ復興会議を伝えるニュースで東京新聞は『消えた「震災」理由触れず』という見出しで、震災後の民主党野田内閣から、安倍内閣にかけての3回の基本方針でいずれも震災についての記述があったことと対比して3段の扱いの記事を掲載しています。とはいえこの問題については在京の大手メディアの感度は高くなかったと思います。翌26日菅首相は福島県を視察に訪れます。NHKは夜のニュースで廃炉作業が続く福島第一原発や、オープンしたばかりの「東日本大震災・原子力災害伝承館」、それに県立の中高一貫校を訪れた様子を伝えました。最後に「菅総理大臣は次のように強調しました」と、コメントしたうえで『「福島の復興なくして東北の復興なし」「東北の復興なくして日本再生なし」これは私の内閣としての基本方針です。組閣の日に全閣僚に指示書を渡しました。その中にこのことをしっかり書き込んでおります』と首相の音声を流しました。
 ところが、です。同じ視察について次の日の東京新聞では、NHKが放送した菅首相のコメントを、「記述がなかったことについて・・と釈明した」と位置づけています。また朝日新聞でも「基本方針では震災からの復興に関する記述がなかった。記者団に問われた首相は」としたうえで首相のコメントを記しています。NHKのニュースでは首相の被災地の復興にかける思いが強調されていたように感じました。しかし紙面からは、実はこのコメントは、基本方針に記述がなかったことの首相の弁明であること、首相がその問いをずらし明確に答えなかったことが浮かび上がってくるのです。
 数日後の29日、NHKのニュースウオッチ9で、キャスターが平沢復興相にインタビューをする企画が放送されました。有馬キャスターは基本方針に復興の文言がなかったことを取りあげ「問題は受け取る皆さんの気持ちの問題です」と切り込みました。平沢大臣が「まったく杞憂であったと思っていただけるように東北・福島の方に説明していきたい」と答えると、「本当に杞憂となるのか」とたたみかけ、復興庁が来年度予算案の概算要求を、今年度より1兆円あまり減らすことを指摘し迫る場面も見られました・・・このように比較してみますと、どのような問題意識を持つのか、どこまで権力のチェックに対して真摯になれるのか、ジャーナリズムの「立ち位置」について改めて考えさせられるのです。
 安倍政権の78ヵ月は、いわば「むき出しの権力」が、健全な民主主義・市民の生活を蝕んでいく状況に、たえず頭上に重い雲がかかるような閉塞感を感じていました。ジャーナリズムが防波堤になるどころか、むしろ政権の意向に忖度し、スポークスマンのように振る舞う様にも歯ぎしりをしてきました。後継の菅政権は、発足して一月も経たないうちに、日本学術会議の会員の任命を拒否するなど、早くも安倍政権と同じような(もしかするとそれ以上か)強権性を発揮し、説明責任も果たそうとしません。コロナ禍のもと、東日本大震災の被災者の困難は一層増していると思います。本当に「福島の復興なくして・・日本の再生なし」と言えるのか、政権だけではなく、ジャーナリズムにも突き付けられた問いだと強く思うのです。
                          (2020年11月号より)


   
      八月の「終戦記念日」番組の取材を受けて

                  増田康雄(放送を語る会会員)

 今年、終戦記念日は七五回を迎えた。
 テレビキィ局は終戦記念番組を放送して、戦争とは何か、平和の大切さとは何かを訴える。戦争と平和の番組は戦争の本質、加害と被害の課題を掲示する。注目したい番組だ。
 私は二〇一七年、写真集「多摩の戦争遺跡」を出版した。
 モノクロ写真八〇枚、百二十頁、解説と戦争遺跡の場所の案内地図とQRコード付き、新日本出版社発行。当時、複数の新聞社が紹介記事を掲載してくれた。
 二〇一八年テレビ局では初めて「TOKYOMX」が府中市にある陸軍調布飛行場の掩体壕を取材し、放送している。
 今年、二〇二〇年、七月「日本テレビ」報道局から電話があった。私は東大和市の「日立航空機立川工場変電所」を推薦した。今年はコロナ禍での取材となる。七月三十一日、午前十時現地に集合した。日本テレビ取材陣のスタッフはアナウンサー、ディレクター、カメラ、音声兼照明の四人が若い女性だった。私が在職したNHK取材陣は男性が主だった。時代の移り変わりを感じた。取材で杉原アナウンサーから質問された。①「戦争遺跡」をテーマに選んだ理由。②幼少期の戦争体験が動機となったのか。③東大和変電所をどう感じたか。の三点だった。

 ① の質問について。
 二〇一〇年五月、都立高校の公開講座『多摩地域の戦争遺跡』を受講した。多摩地域にこんな、たくさんの軍需工場、飛行場、研究所があることに大きな衝撃を受けた。当時、私は写真を学んでいたので、「戦争遺跡」をテーマに七年間かけて撮影取材し、写真集にまとめた。「戦争遺跡」はどこでも「生と死」のドラマがあった。戦争の悲惨さを後世に伝えたいと考えた。現在、戦争体験者は人口の一割以下、戦争を知らない世代は九割を超える。二度と戦争はしてはいけないという「メッセージ」を送りたいと思った。特に若い世代に写真集を読んでほしいと。二〇二〇年六月に稲城市の中学校に写真集を寄贈した。

 ② の質問ついて。
 終戦時、一九四五年(昭和二〇年)四月、私は六歳。小学校入学の年だった。記憶では大空にB二九の編隊飛行を見ていた。また隣の家屋の庭に爆弾が落ち、爆発しなかったので、命が助かった。戦争は命を奪い、人々を不幸にする。私の戦争体験が写真集に深く関わっていることは間違いない。

 ③   の質問について。
 日立航空機立川工場の建設は昭和十三年から十四年頃と記録にある。建物はほぼ八〇年を迎える。日立飛行機立川工場は練習機のエンジンを製造していた。一九四五年(昭和二〇年)三月から四月にかけ三回、米軍の猛攻撃を受け、工場は壊滅した。工場の変電所は南面の壁に無数の「銃撃痕」、爆弾の破片で出来た「破裂痕」が残った。また、犠牲者も百十一名を数える。これほどの「銃撃痕、「破裂痕」が残る変電所は全国の戦争遺跡でも珍しい。「西の原爆ドーム、東の変電所」とも称される。東京都東大和市は一九九七年(平成七年)一〇月一日、「戦災変電所」として文化財に指定している。全国に「戦争遺跡」が約五万ケ所ある。文化庁が登録している「戦争遺跡」はわずか二六七件のみだ。
 取材陣も初めて戦災変電所を見学したと言う。驚いていた。放送は八月十七日朝五時過ぎ、「シリーズ戦後七十五年」の中で紹介された。内容は六分間で、私の言いたいことが入っていた。
 今回、私は取材を受け、「戦争遺跡」を若い人たちにぜひ見てほしいこと。「戦争遺跡」から過去の日本政府が犯した加害と被害を知ることが大切ではないか。戦後日本は新しい憲法第九条で「戦争の放棄」を宣言している。日本は二度と戦争をしてはならないと思う。
 若い世代は平和の大切さを考えてほしい。「戦争と平和」の課題はどんな時代にも必要であり、考えることが大切だと思う。
                        (2020年10月号より)


      コロナの一日も早い収束のために、声を

               五十嵐 吉美(放送を語る会会員)

 連日、都道府県の新型コロナ感染者数「最多」を告げるNHK「ニュース7」を見るのがこわい。お盆の休暇を前に「帰省自粛」を要請している自治体がある一方、「一律に帰省の自粛はしない」という政府。バラバラ、どうなっているのか。感染が恐ろしいほど拡大しているにもかかわらず国は何をしているのか。「コロナに夏休みはありません」と、東京都医師会の尾﨑治夫会長は具体的対策を発表。日本医師会や東京世田谷区、長崎などが続いて独自対策を明らかにした。
 6月18日国会を閉じて以来、「巣ごもり」していると言われていた安倍首相が49日ぶりに記者会見したのは8月6日広島平和記念式典参加後の広島市内でのこと。といってもわずか15分だった会見。官邸報道室が予定していたのは10分。そこで終わろうとしていた安倍首相に会見場のどこからか「まだ質問があります。なぜコロナ感染拡大で国民の不安が高まっている中で、50日近く会見を開かないのか」と記者の声が響いた。その日の夜の「報道1930」(BSTBS)が伝えた(映像は記者会見場)。みんなが思っていたことだ。
 コロナ収束後に実施するはずだった「Go To キャンペーン」、それを前倒しで行った結果、感染者数がみるみる増加したことがはっきりしている。お盆休みを前に不安に感じている国民に、常々「ていねいに説明する」を口癖にしている安倍首相だ。一応この会見で「現状は4月の緊急事態宣言時とは大きく異なっている」と7分にわたって重症者数、死亡者数、検査体制、医療提供体制などの数値を列挙して説明したからか、「
新型コロナについて割と時間を取って話をした」と言って質問に答えず会場を去った。
 なぜとことん説明責任を果たそうとしないのか。
『文芸春秋』7月号「安倍晋三対コロナ150日戦争」で安倍首相をよく知る岩田明子氏(NHK解説委員)は「安倍には『正しい政策をやっている』という自負がある時、説明が不十分になるケースが目立つ」。「一斉休校やマスク問題など」「懇切丁寧に説明を尽くすことが必要だったのは言うまでもない」と、批判しているようなポーズで安倍首相を擁護している。視聴者の理解を深める一助に執筆したというが、それは余計なお世話、安倍首相への「一助」ではないか。怒りを覚える。
 政策を進めるには、言葉で説明し異論があれば説得し、支持を得ておこなうのが民主主義ではないのか。6月22日単価120円で布マスク8000万枚の発注が7月閉会中審査で野党が追及して大問題になり、世論に押され厚労省は7月31日一律配布を中止した。医療現場でも、介護現場でも歓迎されないアベノマスクに税金が合わせると507億円も使われるこの国。今こそ、コロナ感染拡大にどう対処するのか、閉じている国会を開いて論じるべきだ。
 「コロナに夏休みはありません。自治体任せにせず、国会を開いて議論をするべきだ」と東京都医師会尾﨑治夫会長は、さまざまなメディアで訴えた。世論調査で「国会を開くべき」が8割、野党が憲法53条に基づき「臨時国会召集」を要求しているにもかかわらず、国会を開かないのはなぜなのかー テレビはもっと追及するべきだ。第一波より感染者が増大し、お盆休暇後には恐ろしく大きな波になっているだろう。安倍首相は「巣ごもり」している場合ではない。
 「報道1930」は連日核心をつく番組を放送している。7月27日「検証/コロナ禍での〝危機適応力〟」をテーマに田中均元外務審議官、8月6日にはノンフィクション作家保阪正康氏が「太平洋戦争の教訓と新型コロナ」、続く7日、世田谷モデルを作り上げた児玉龍彦東大先端科学技術研究センター名誉教授に「コロナ終息への道」を聞いた。「この国をこのままおいておくわけにはいかない。説明責任をはたしてくれ」「メディアの方も声を大にされるべきじゃないですか!」(田中氏)/「主観的判断だけで戦争した当時の指導者。最終的には人間を戦備に」「最高機関が、感染症の歴史、ウイルスの実態、現状をおさえ、どのように対抗するか大きなビジョンを国民に説明しなければならない」(保阪氏)/「言い訳するリーダーはいらない。人の命を守るその一つのことをやろうとするリーダーシップ」(児玉氏)など、自らの経験・見識を語った。世田谷区ではコロナ収束に向け、8月中には実証実験を終える予定で動きだしている。自治体では専門家の知恵を借りて命を守る取り組みが開始された。
 うれしいことに8月9日「PCR拡大 方針示す」の大見出しで、厚労省が7日、「新型コロナウイルス感染症対策のPCR検査について新しい方針を示した」と「しんぶん赤旗」が報じた。地域関係者を幅広く検査」「積極的に検査を」と、通達した。科学者、医師、政党、地域住民の声が、厚労省を動かした。みんなが声をあげ、政治を動かそう。動かさなければ命も暮しも守れない、そして民主主義も。テレビよ頑張れ!
                            (2020年9月号より)


     “新しい「NHKらしさの追求」”よりも
         “本来の「公共放送らしさの回復」”を


 新型コロナの感染が再拡大するさなかの8月4日、NHKの2021~23年度の中期経営計画案が公表された。向こう3年間の経営方針と事業計画を提示する重要な計画案である。新聞各紙の報道や公開された今回の計画案を読んで浮かんだのは、「この計画案は誰に向けて作られたのか」という疑問であった。
 各紙の報道によれば、今回の経営計画案の中心課題はNHKの肥大化への対応とされている。事業支出の拡大が続くNHKに対して総務省が業務の効率化や受信料の水準の見直しなどを要請し、それに答えることが今回の経営計画案の最大の眼目であったようである。受信料の使い途とも絡み、これはこれで重要な課題であろう。
 経営計画案の詳細は、NHKのホームページに説明資料が掲載されている。そのページを開くと、赤字で大きく記された“新しい「NHKらしさの追求」”という文字が目を引く。NHKは、これを今回の計画案の「キーコンセプト」と位置づけている。毎日新聞によれば「必要な事業とそうでない事業を見極めるという意味」だという。時代の変化に応じて組織のあり方や業務の重点の置き方が変わっていくことは確かだが、公共放送本来の使命やあるべき姿は時代によってころころ変わるものではない。今のNHKでは、逆に変わってはならないものが変えられているのが現実ではないだろうか。
 長期化した安倍政権の下で多くの視聴者がNHKに対して感じている最大の不満、問題点は、政権べったりの政治報道の姿勢であり、NHKが実質的に国営放送化していることである。この重要な課題についての問題意識が、計画案にはどこにも反映されていない。今、政権とNHKとの距離がかつてなく狭まっていると見る識者や視聴者は少なくない。政治報道に見られる政権への忖度、幹部による現場への介入、職員の萎縮。ニュースだけではない。新型コロナに関連して政府関係者しか出演しないケースが増えている「日曜討論」のあり方にも、視聴者からは強い批判が出ているのだ。これでは、伝えるべき問題を多角的に伝えるという報道機関としての役割は果たすことができない。
 NHKは民主主義の担い手としての公共放送本来の姿を失いかけているのである。そのことに一言も触れずに今後3年間の経営方針を提示することは、視聴者に対する背信行為ではないか。現状のNHKの政治報道に不信感を抱く多くの視聴者から見れば、公表された計画案は、総務省向けに作られた見栄えのよいパンフレットのようにしか映らないのではないか。
 このように考えてくると、今のNHKに相応しいキーコンセプトは“新しい「NHKらしさの追求」”ではなく、“本来の「公共放送らしさの回復」”であろう。
 前田会長は、この日の会見で、パソコンやスマホの利用者からも受信料を取ることについて「放送の自主自立が損なわれる懸念がある。私は導入に反対だ」と述べた。もし放送の自主自立に懸念を抱くなら、国営放送のような政治報道のあり方についてこそ、懸念を抱かねばならないはずだ。ここで思い出すのは、前田会長が今年1月の就任会見で、NHKと政権との距離について記者から問われたときに述べた次の言葉である。「権力が報道機関から批判されることは当たり前で、それが民主主義だ。政治との距離感については、与党とも野党ともすべて等距離でやる。どちらにも偏らないというのが私の信念だ」。しかし、日々の政治関係のニュース報道を見ていれば、現実は会長のこの信念からはほど遠いことが明らかだ。会長は、具体的な取り組みでこの言葉に魂を吹き込んでほしい。NHK会長の言葉は軽いものではない。
 経営計画案については、一般からの意見公募も行われており、それも参考に最終案が策定されることになっているが、NHKは、政治との距離をいかに適切なものに保つかを経営計画の中で具体的に明らかにするべきであろう。NHK改革は組織のスリム化や構造改革だけではない。国営放送化の現状を公共放送本来の健全な姿に引き戻すとともに、再びそのような方向に進むことのないようにするための改革は、それらに劣らぬ重要な課題である。
 NHKのスポンサーは、受信料を支払う視聴者国民であって、時の政権ではない。NHKが責任を負うべき相手は国ではなく視聴者なのである。NHKは、今後の経営計画策定に当たってこのことを常に念頭に置くべきであろう。重要なことは“NHK”の維持ではなく、国民に必要とされる“公共放送NHK”の維持である。“新しい「NHKらしさの追求」”を言う前に、NHKはまず公共放送らしさとは何かを、自ら問い直すことから始めねばなるまい。

「執筆者高野真光氏及び編集部の了解を得て『マスコミ市民』9月号「メディア時評」の記事を転載させていただきました。」



       緊急事態宣言の下での異常な日々に(2)

                   古川英一(放送を語る会会員)


 
先月号に続き、新型コロナウイルスに直面したこれまでとは違う「異常な日々」をメディアの言説から切り取ってみる。
【5月3日】緊急事態宣言の下で迎えた憲法記念日。NHKの世論調査では憲法改正の「必要がある」32%「必要ない」24%。九条改正については「必要ない」が37%と「必要ある」26%を上回る。安倍首相は例によってビデオメッセージで「緊急事態における国家や国民の役割を憲法にどう位置づけるか極めて大切な課題」と憲法改正を訴えた。東京新聞はコメディアンの松元ヒロさんが「自粛中でも政府に声を」と。緊急事態宣言に漂う戦争ムードに懸念を示し「政府は自粛しろと言っても『補償』はしない。新型コロナとの『戦い』とかやたらと言うんならオスプレイとかイージス・アショアとか(新たな防衛装備品)を買うお金をそのために使えよって思う」と政府をバッサリ。東京新聞は同じ日の社会面で東京・練馬で先月末に起きたとんかつ店の火災について大きく。発生時は各メディアが火災の記事としては伝えていたが、亡くなった店主の男性は自殺とみられること、夫婦で店を切り盛りし地元商店街の活性化にも力を尽くし、東京五輪の聖火ランナーに選ばれ喜んでいたことなど生前の男性を浮き彫りにする。周囲の人に経営難で店を閉めると漏らしていたという男性を死に追いやったのは・・・無言の抗議の重さを記者は掬い取り文章を刻んだ。
【5月5日】緊急事態宣言が5月末まで延長に。昨夜安倍首相が記者会見。例によって夕方6時という時間でNHK・民放各社が中継する。国民に自分の言葉で語りかけるのではなく、美辞麗句を並べた原稿をプロンプターで読むだけで視線は虚ろ、正直心に何も伝わってはこない。記者の質問も、想定問答がほとんどで毎度のことだが、ここではメディアが単に政権のプロパガンダの手段と化しているように思える。そのことに放送メディア各社がどこまで自覚的であるのか。一方、各紙の朝刊は、さすがにこの首相会見自体を、まともに取り上げているところは殆どない。
【5月9日】外出自粛や休業要請をめぐり、通報したりSNSで指摘したりする「自粛警察」や「自粛ポリス」という行為が増えている。自粛を求める張り紙を貼り付けられた都内のライブバーの経営者はNHKの取材に「不安な時期だから指摘したい気持ちもわかるが、お互い落ち着いてできることをやっていくしかない」と話す。自粛をめぐり、日本社会に蔓延する同調圧力が、日々の生活レベルで顕在化している。
【5月10日】コロナ対応の最中、どさくさに紛れるように政府が今国会での成立を目指してきた検察庁法改正案、一人の女性の抗議のツイートが、またたく間に350万件に達した。NHKが夜のニュースで放送したことに、「あのNHKまでが放送した」とツイートに驚きの声。
【5月12日】ドイツ在住の作家の多和田葉子さんのインタビューがNHKで。日本とドイツとの違いについて多和田さんは「ドイツの場合、自粛というのはあり得なくて規則を決めて規則を破ったら罰金と非常にカラッとしている」と話す。そして「コロナ危機を機会に政府が何でも勝手に決められるような制度にみんなが気づかないうちに移っていこう、そのチャンスを狙っているようにしか思えない国がヨーロッパの中にもある」とし、「新型コロナウイルスは、結局世界中に、ある意味では課せられたテストです」と述べた。
【5月15日】都内・三鷹市の我が家にも、ようやく「アベノマスク」が届いた。宛名もないままポストに。街中ではすでにマスクの叩き売りがあちこちで見られるというのに。
【5月18日】検察庁法の改正案。読売新聞朝刊は「今国会断念の方向固める」一方NHKは朝のニュースで「20日にも与党が採決へ」と伝える。午後になって「安倍首相が二階幹事長と会談し今国会で成立を事実上見送り」のニュース速報が流れた。結果は、読売のスクープを裏付ける。【5月26日】最後まで残っていた東京など5都道県の緊急事態宣言が解除された。朝日新聞は「経済への深刻な影響を懸念した政権は解除を急いだ。専門家は一部で解除の目安を上回っていても判断を迫られた」。一方読売新聞は解説記事で「新型コロナ越えた山」の見出し。NHKは緊急事態宣言の解除後の日々を「新しい日常」「変わる風景」「新しい生活様式」などと時間帯によってくるくる変わるネーミング。メディアは今回の宣言解除について、政権の真意や、影響についてどこまで掘り下げて伝えたのだろうか疑問を感じる。
【7月某日】緊急事態宣言が解除してから一か月あまり、東京などで再び感染者が増大し、新たな局面に直面している。「ペストと戦う唯一の方法は誠実さということです」。カミュの「ペスト」の一節だ。「異常な日々」に向き合うメディアに求められているのも、何よりも誠実さではないか。
                            (2020年8月号より)

        緊急事態宣言の下での「異常な日々」に

                   古川英一(放送を語る会会員)

 【4月8日】昼下がりの渋谷センター街を歩く。いつもなら若者や外国人観光客で混雑しているのに、歩く人を数えられるほどにがらんとしている。コーヒーのチェーン店なども、軒並み臨時休業に。前日の夜、政府は東京や大阪などコロナウイルスの感染者が増え続ける7都道府県に緊急事態宣言を出した。外出と営業の自粛が呼びかけられ、街の様子は早くも一変していた。見えないウイルスの恐怖に日本や世界が、日常を逸脱した異常な状況に置かれ、それが集団心理として特別な意識を持たずに多くの人々に受け入れられていく。新聞や放送などメディアは、何故か当然のように、安倍首相を始め閣僚の声をほとんど拡声器のように流している。強い「違和感」を覚える。ならばその「違和感」で、緊急事態宣言の下での「異常な日々」をメディアの言説を通じて切り取ってみたいと思う。ちなみに朝日新聞、夕刊の見出しは「異変の朝、いつもの朝」
【4月9日】カミュの「ぺスト」が売れている。NHKのニュースでは新潮文庫版がこの2か月で15万部余り増刷され累計で100万部を超えたという。「それは自宅への流刑であった」という一節など今の状況に通じる描写があると指摘している。そういえば書店では、この本が平積みになっていた。(後日、遅ればせながら買い求めた)
【4月14日】安倍首相が投稿したツイッターに批判が集中。菅官房長官は「35万を超える「いいね」をいただいた」と会見で答えたが、さすがに苦しそうだ。安倍首相は、「アベノマスク」然り、なぜか普通の人々の持つ感覚と大きなずれがあり、それはこのような緊急事態の下では致命的なことではないかと思う。東京新聞の特報面では「首相動画神経逆なで」「市民感情そぐわぬ」と批判。たかが動画、ではなく権力者の振る舞いに対してチェックする姿勢に共感する。
【4月17日】政府が収入減少世帯への30万円給付から一転、10万円の一律給付へと方針を転換。閣議決定した補正予算案を組み替えることになる。各紙は公明党の強い意向が働いたことを検証している。安倍首相の判断は、公明党の連立離脱を恐れた党利党略的なもので、決して国民本位の視点からではないことが記事からは透けて見える。
【4月22日】東京・吉祥寺で人気のあったフランス料理店が、5月初めの閉店を決めたと夕方のNHKニュース。予約のキャンセルが相次ぎ休業補償の支援策が不透明だとして、経営の継続が困難だと判断したという。井の頭公園のそばで30年あまり地域の人たちに親しまれてきた店の閉店。政府や東京都は、営業自粛というけれども、補償も十分ではない中で、そのあおりの直撃を受ける人たちがいる、その象徴的な出来事の一つだ。こうしたニュースが新聞やテレビで毎日のように伝えられている。
【4月26日】東京新聞「新聞を読んで」のコーナーは歴史学者の筒井清忠さん。今が昭和の近衛時代に似ているとして、「マスメディア・世論の同調圧力にはトップですら容易に抵抗できなくなる。そして次には「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」・・などの標語を、他者に強制する人々が身近に現れ過剰自粛が続くのだ」と過剰同調の怖さに警鐘を鳴らしている。
【4月28日】新型コロナの感染は世界中に及び、この日、アメリカの大学のまとめで304万人が感染し、死者は21万人を超えた。NHKのNW9はニュージーランドのアーダーン首相にスポットをあてた企画を放送した。ニュージーランドはいち早く外出制限緩和に踏み切ったのだか、それを可能にしたのはリーダーとしての言葉。強い姿勢での徹底した対策と、国民への鼓舞、「強く、優しくあれ」というメッセージが国民に広く受け入れられたと紹介。有馬キャスターが「リーダーが国民に寄り添い、決断に最後まで責任を取るのかは、その言葉から伝わる」とコメントした。このコメント、実は、どこかの国のリーダーに向かって放った矢では?
【4月29日】大型連休が本格的にスタート、例年ならばテレビの画面は一斉に帰省ラッシュの駅や空港を映し出すのだが、今年は勝手が違う。東京駅の新幹線、ほとんど乗客がいない。また祝日に国会が開かれるのも異例。全国知事会で飛び出した「9月入学」、安倍首相は衆院予算委で「前広に検討」と積極的な姿勢を示す。マスクの配布さえまともにできないほど劣化している今の日本の官僚機構に、教育の一大改革が短期間でできるのか、と思うのだがメディアは概して好意的に伝えているように思う。               (次号へ続く)
                             (2020年7月号より)


       
       かんぽ問題、NHK経営委に批判高まる

                   
諸川麻衣(放送を語る会会員)

 郵政グループによるかんぽ生命保険の不適切販売を報じた二〇一八年四月のNHK『クローズアップ現代+』に郵政側が「NHKのガバナンスが効いていない」と抗議、それを受けたNHK経営委員会が同年一〇月二三日の会議で当時の上田良一会長を厳重注意処分し、NHKが郵政に「謝罪」までした問題。今年三月、重大な新事実が判明した。この日の委員会では、番組や情報提供を求めるSNS動画の内容についても議論していたというのだ。森下俊三経営委員長代行(現経営委員長)が去年秋の野党の会合で「番組に関する議論は一切していない」と述べたのは、虚偽だったのである。
 放送法第三十二条は、「[経営]委員は、この法律又はこの法律に基づく命令に別段の定めがある場合を除き、個別の放送番組の編集その他の協会の業務を執行することができない」「2 委員は、個別の放送番組の編集について、第三条の規定に抵触する行為をしてはならない」と定めている。三月二四日にやっと公表された「対応の経緯」には、番組内容を肯定する意見と、「郵政に取材を全然していない。インターネットの情報は偏っているので、作り方に問題があるのではないか」、「ニュースなどでは批判的な意見やフォローする言葉も入るが、今回の件は一方的になりすぎた気がする」等の批判的意見が載せられている。「経営委員会は本来、番組について検討する委員会ではないが、このような問題をきちんと議論するには、どうしても番組内容を確認せざるをえない場合もある」との意見もあった。しかし、当時制作中だった『クローズアップ現代+ あなたの資産をどう守る?超低金利時代の処方箋』(同月三〇日放送)の現場には、厳重注意処分の直後、「一切郵便局という言葉を出すな」との命令が下ったという。経営委の放送法違反行為が放送内容に影響を与え、NHKの自主・自立を損なったことは否定できないだろう。
 その後、さらなる問題も明らかになった。上田会長はこの委員会の席上、処分に対して「NHKは存亡の危機に立たされることになりかねない」と強く抗議したというのである。ところがこの重大発言は「対応の経緯」には載せられていない。放送法違反行為を隠蔽したと見られても仕方あるまい。BPOの放送倫理検証委員会で長く委員長を務めた川端和治弁護士は新聞のインタビューで、「NHK経営委員会は、執行部を監督できますが、会長を厳重注意したならその議決があるはずで、その議事録は放送法で公表が義務付けられています」と述べている。「執行部のこの間の対応は問題なし」との監査委員の判断に反して厳重注意処分を決定、議事概要を一年以上も公表せず、その後も重要部分を隠し続ける・・・経営委の方こそ「ガバナンス不全」だろう。
 この状況に、NHK内外で経営委のあり方を問う動きが生まれている。全国の視聴者団体は、「放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した森下俊三経営委員長はただちにNHK経営委員を辞任せよ」との署名に乗り出した NHKの労組・日放労の中村正敏委員長は三月九日、「放送法違反の疑いがあるのではないか、と考える方が自然である」とのメッセージを出した。日放労の放送系列(東京で報道や番組制作など放送内容に関わる部門の組合)は三月二五日の労使交渉で、NHKの取材・制作の基本姿勢を示す放送ガイドラインに「NHKの記者制作者は公表された放送ガイドラインにのっとって取材制作にあたり、何人からもガイドラインに反することを強制されない」という、不当な圧力から現場の自主・自立を守るための一文の追記を求めた。
 さらに放送系列は四月半ば、組合員から経営委員会への意見を募集した。募集の呼びかけでは「NHKと日本郵政の取材トラブルとしてではなく、公共放送そのものの強靭さ、視聴者に約束する自主自立の高度さの問題(中略)今回の事態は、経営委員会にガバナンスという形をとれば抗議が可能だという回路を開いたこと、また、そのことによって、今後の取材活動や公共の福祉への利益ということについて大きな疑念を招いた(以下略)」「ここで黙るということは、経営委員会の言動を認めてしまうことになります」と強い調子で述べている。意見はわずか三日間で放送系列から四五五通、全国の組合員から八〇〇通集まり、経営委員会が放送法違反の疑いを持たれたこと、議事録を公開しない不透明性、NHKの信頼を毀損したことへの怒りなどが書かれていたという。
 放送の現場・組合の危機感と怒りが明確な形となったことは、NHKをめぐる新しい注目すべき動きと言えるだろう。
                            (2020年6月号より)


        『3・11』報道に見る東北復興の今

                  
平林光明(放送を語る会・大阪会員)

 私は東北が好きだ。きっかけは82年に、ある新聞の文化欄に連載された、「東北伝統こけし」の生い立ちと、十系統に分かれた特徴を紹介したシリーズだった。こけしは平和の象徴という著者の思いとその愛らしさに惹かれて、私たち夫婦の東北通いが始まった。レンタカーを駆ったりツアーに参加したりしているうちに、豊かな自然や歴史・人々の暮らしに触れて、東北そのものが好きになった。東北への旅行は十回以上になり、こけしも三十本を超えた。
 運命の11年は千葉県の大多喜町で遭遇した。「阪神・淡路」の突き上げる揺れと違って、何が起きたのか分からぬような横揺れで船酔い気分になった。防火用水が飛び出したり、電線が絡むような動きに地震と分かったぐらいで、まさかあんな被害が起きているとは予想もしなかった。鴨川で一泊し、翌日ほうほうの態で帰阪した。翌年は水戸で行われた慰霊祭に参加した。
 結婚50年目の14年は、秋保温泉で2泊して金婚を祝った後、全線復旧したばかりの三陸鉄道に足を延ばした。全線と言っても三鉄は久慈~宮古の北リアス線と、釜石~(さかり)(大船渡市)の南リアス線からなる。南北をつなぐのがJR山田線だが復旧は全く手つかずで、鉄路は一本につながっていなかった。盛まで行く大船渡線も一部バス代替で、三鉄の2時を体感するのに1泊2日を要する〝大旅行”だったが、らしの再建欠かせない三鉄の役割と、JRに先駆けて通させた地元の人たちの熱い思いは十分伝わった。
 今年の『3・11
』は新型コロナ問題の影響で報道量は多くなかった。定時ニュースの中で中継を入れたりして厚めに扱っていたが、独自の枠を設けたのはNHKの2番組だけだった。それでもNNNネットに参加した福島の民放局が、主力の農水産物が他より厳しい検査を通して出荷しても、まだ54か国で輸入禁止措置が取られているなど、「福島県産」の壁が破れない現実を訴えていて、異質の被害の深刻さをうかがわせた。

 こうした中で、9年前NHK「ニュースウオッチ9」のキャスターとして震災に向き合った大越健介記者がリポーターを務めた、NHKスペシャル「復興ハイウェー 変貌する被災地を行く」は、復興に向けた2つの道筋がせめぎ合う様子を、克明に描いた秀作だった。
 “復興ハイウェー”とは、青森県の八戸から福島までの530キロを海岸沿いに結ぶ、三陸沿岸道路など4つの道路の総称で、来年3月に全線開通を目指している。この道路の開通で新しい産業を興し住民を呼び戻すという構想だが、既に供用されている八戸―仙台間の様相は必ずしも思惑通りにはなっていない。
 被災地の中で12メートルという最大のかさ上げをし、新しい街作りのモデルケースとされた岩手県の陸前高田市。中心部の公共施設や商店街を取り囲むように、周囲に1千戸分の住宅用地を用意したが、それだけでは住民は帰ってこなかった。広大な整地済みの空き地を狙って、東京から大手飲食店チェーンが、農業公園を中心とした〝農と食のテーマパーク”の構想をもって乗り込んできた。インターチェンジと公園を結ぶ沿道に、新商機を当て込んで移転した店も出て来たが、いずれ食事や宿泊・土産物など関連需要をテーマパーク内に取り込むのは常道である。仮設店舗から商店街に移れた店は半分以下、既に30店舗は廃業を決めている“ハイウェーの恩恵にあずかれるのは容易でない。
 宮城県の気仙沼は三陸の水産業の中心地。沿岸の被災した港の9割が復興しているが水揚げは3分の2に減っている。大型冷凍庫を整備してハイウェーで東北中から魚を集め、臨機応変に出荷する体制を整えた業者もいるが、その反面で零細業者の倒産は加速し100社を超えている。調査会社の関係者も「どの業界でも勝ち組と負け組が鮮明になっている。地域の活性化という目的がずれてきている」と問題点をついていた。
 運送業界でも水産物を狙って、ハイウェー近くに大手業者が続々進出してきた。地元の中堅運送会社は、長年の実績を基に「魚の輸送は大手に負けない。〝餅は餅屋”」と事業の拡大を図っているが、大きな資金力と企画開発力をバックに、大手は東北を飲み込む勢いを見せている。
 大越記者はリポートの最後を「自立した人々が前へ進めようという歩みを、少しでも後押しするものでなければならない」と締めくくっていたが、東北への温かい眼差しを感じさせた。私も三鉄の車窓から見た青い海と、白い広大な更地のコントラストに、暮らしと生業(なりわい)の両方揃った、真の復興をと願った思いを一層強く感じている。
                           (2020年5月号より)


          水俣を見つめ続けるということ

                   古川英一(放送を語る会会員)


 白髪に恰幅のよい体格、発せられる語り口はとても穏やかで、やさしく感じられる。村上雅通さん。66歳。放送メディアという表現の場での、私にとっての先達だ。九州の熊本放送で長年、水俣病について多くの番組を作り続け、現場を退いた後も水俣の問題を様々な場で伝え続けている。
 村上さんとお会いしたのは今年1月下旬、日本と韓国のジャーナリストを目指す学生たちが両国の様々な現場に足を運んで、学び交流し合うフォーラムで水俣を訪れた際に、現地の講師を買って出て下さったのだ。今年は水俣病が公式に確認されてから64年、その時間の流れに、学生たちは勿論、同行した新聞・放送の記者・OBの多くにとっても水俣の問題は「知ってはいるけれども」というのが実感だ。
 その水俣で生まれ育ったという村上さん、幼いころチッソは憧れの存在だったこと、しかし故郷を出たら「水俣出身」とは言えなかったこと、熊本放送に入り記者やディレクターとして地域の課題を追いながらも、水俣に立ち返ったのは15年あまり経ってからのことだという。その最初の番組が「市民たちの水俣病」。政府が水俣病の未認定患者の救済策を決めた1995年、これで水俣病は終わった、と思った村上さんが、地元で取材をしてみたら実際にはまだまだ多くの市民が苦しんでいた、終わっていないのだ、その思いが1997年の、この番組に結実。以後村上さんは、かつて「取材者として目を背けてきた」という水俣病の問題に取り組むことになったと学生たちに語りかけた。
 村上さんはまた、水俣問題の報道を通してメディアの課題を学生たちに提起した。水俣病初期にチッソや政府の発表を権威として伝えた「官製報道」、取材者の知識不足から「専門家」の情報に依存してしまったこと・・・水俣病に関する医学論文を60編ほど読んだが、そこには1編も患者の立場に立ったものはなかったという・・・そして商業ジャーナリズムとして、継続性が欠如したこと。これらの指摘は、いまのジャーナリズムの課題としてもそのままあてはまるのではないか、そういえば私自身だってそうだったのではと、話を聞いていて身につまされ恥じ入る思いだった。
 村上さんが、その後20年近くにわたり、制作・プロデュースした水俣病についての番組は13本にもなった。一つのテーマをこれだけ長く持ち続け番組を作り続けることは、なかなかできないことだと思う。また、取材者が当事者の人たちから「本音」をいかに聞き出せるか、その難しさに直面し、乗り越えていくことも大変なことだっただろう。村上さんは学生たちの問いに「こちらが真剣であることを、相手にしっかり伝えると、相手も真剣に対応してくれる。自分の思いをしっかり持つと自然に伝わっていくものです」と、はにかんだ表情で応じていた。それがいかに難しいことか!
 村上さんの案内で水俣市内を巡った。水俣駅の近くの商店街、その一角に呉服屋を営んでいたという村上さんの実家があった。そして駅の正面の道を数分歩くと、かつてのチッソ本社がある。水俣市の人口はチッソ最盛期にはおよそ5万人、いまはその半分に減った。チッソの現業部門は新たな会社に分けられ、社員は4000人から600人になったという。水俣病の人たちが抗議の声をあげるなど歴史的なドラマが繰り広げられた舞台は、今はひっそりと静まり返っていた。
 まだ真冬なはずなのに水俣の不知火海は穏やかで、明るかった。この水俣にどれだけ多くの記者やカメラマン、番組の制作者などが足を運んだことだろう。訪れた人たちは最初この穏やかな海を眺めて、この地で「水俣病」で多くの人たちが苦しんできたこととの落差にむしろ驚いたという。それだけ水俣病は「見えない」ものだと、水俣を一望しながら村上さんが語った。
 その「見えないもの」をペンで伝えたり、村上さんのように映像で可視化してきたりしたジャーナリストがいる。そして村上さんの話に耳を傾け、これから様々な「見えないもの」を伝えていくだろう、ジャーナリストを目指す学生たちがいる。権力に屈するメディア、フェイクニュースの横行や、SNSによる既存メディアの衰退といった、メディア・ジャーナリズムの現状がある一方で、村上さんと学生たちとの応答が、ジャーナリズム再生への希望の一歩にも感じられた。
 フォーラムの最終日の朝、学生たちが、感想を述べあった。ふと気づくと、村上さんが、後ろのほうで一人一人の話に静かに聞き入っていた。そして最後に「66歳になりましたが、この4月から毎月10分間の番組を持つことになりました。皆さん、これから同じ仲間として一緒にやっていきましょう」と呼びかけた。
                           (2020年4月号より)


         松本清張とその志を継ぐ者たち

                   
諸川 麻衣(放送を語る会会員)

二〇一九年は、国民的作家・松本清張の生誕一一〇年の年だった…にもかかわらず、NHK・民放含め、特別番組も新作の長編ドラマも目につかなかった。数年前に思い立って彼の全ミステリー作品を読破した筆者としては寂しい心持ちでいたところ、一二月一五日にBSフジが『松本清張 ニッポンの謎に挑む』を放送した。 
 作家の阿刀田高と山本一力、文芸評論家の郷原宏がスタジオで鼎談、さらに清張ファンのみうらじゅん、編集者・著述家の松岡正剛、五木寛之がVTRでコメントするという贅沢な出演者陣。さすがその道の専門家だけあって、「人間・社会の真実を追求するのに謎を取り入れた」「(清張以前の推理小説と比較して)活躍するのが探偵でなく刑事というのがリアリズム」「探偵小説における芭蕉」「人生という名の大学の卒業生」「(『日本の黒い霧』について)実際の事件の裏側を描く時に一番筆が活きている」「文春ジャーナリズムの始まり」「『天城越え』は川端康成の『伊豆の踊子』の裏返し」などの評言に何回もうならされた。惜しまれるのは、女性のコメンテーターがいなかったこと。自選の清張短編集を編んでいる宮部みゆき氏あたりにはぜひ語ってほしかった…。
 出演者の一言一言の選択・編集から、「これを言ってほしかった(これを言わせたかった)」という制作者の熱意が伝わり、見ていて「これは一人のディレクターの『作品』だな」と感じた。スタッフ・ロールによると果して、和田健佑という人が取材・構成・編集を兼ねていた。フジテレビのバラエティー番組のアシスタント・ディレクターという経歴しか分からないが、おそらく清張の愛読者で、生誕一一〇年に満を持して「自分の清張」を世に問うたのではなかろうか。『張込み』の刑事たちの粘りを思い出す。
 一緒に見ていた家族が、「『相棒』って清張からネタを引いてるのかな?」とふと口にした。勿論そんなことはないが、テレビ朝日のこの人気ドラマには、時事的な話題で社会批判を盛り込む点、ありふれた事物をドラマや謎解きに活かす点で、時になかなか清張的な回がある。
 最近の例を二三挙げると、今期幕開けの『アレスの進撃』(一〇月九、一六日)は、自衛隊の元レンジャーの娘が、父親から手ほどきされた格闘技で殺人を重ねてゆく設定。最後に父親は、さらなる犯行を防ぐため泣く泣く娘を自ら手にかける。「国民の安全のため」であるはずの「制御された暴力」が潜在的に持つ危険性が、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』さながらの救いのない情景で描かれていた。
 一二月一四、二一日放送の『檻の中~陰謀』は、大学教授が福祉用に開発したドローン技術が軍事転用され、テロに使われて、途上国で活動中の邦人ボランティアが巻き添えで亡くなるという、アフガンの中村哲医師殺害が重なってしまう筋書きだった。『アレスの進撃』同様、防衛族の国会議員の影がちらつく点に、現実批判が窺われた。
 元日スペシャル『ブラックアウト』は、エリート意識に凝り固まり、自己保身に走る元警察庁刑事局長と、そういう父親に自分の不祥事をもみ消してもらった息子の警察官が(表面の)主人公。「庶民より自分の生命の方が尊い」と言う元刑事局長の科白に、英語の入試は「身の丈に合わせて」という某文科大臣の本音(いや、本音は「身の程」だったのだろうな)を思い出してしまった。
 天皇・皇室の研究で知られる原武史氏は、昨秋出版された『「松本清張』で読む昭和史』で、清張作品の(司馬遼太郎と対照的な)特徴として、女性が大きな役割を果すことを挙げている。確かに、『点と線』『ゼロの焦点』など思い当たる作品が多い。実はこの点、今挙げた『相棒』とはからずも共通している。『檻の中~陰謀』は大学教授の女性の部下が、『ブラックアウト』では、警察官のミスで射殺された青年の恋人が、共に重要な役回りを演じるのだ。
 それにしても最近の日本、清張が勇んで取り上げそうな事象が目白押しである。神がかり的小学校の敷地の幻のゴミ、公文書改竄で命を絶ったノンキャリア官僚、各省庁や国会議員多数が後援・賛同する、新興宗教・不二阿祖山太神宮の神がかり的イベント「fujisan地球フェスタ」、老舗ホテルを巻き込む桜疑惑…気づかれたろうか?これらにはすべて、神がかり的ファースト・レディーの影が!
 はからずも清張の未完の遺作は、宮中の女官を巻き込む新興宗教の陰謀を描く『神々の乱心』だった。清張は「現実の薪が虚構の火を燃え上がらせる」と書いたが、清張なら、あるいはその志を継ぐ者は、焦げ臭い「官邸の乱心」をどんな傑作群に燃え上がらせてくれるだろうか!
                            (2020年3月号より)


 

           紅白歌合戦に思う

                  
 府川 朝次放送を語る会会員)

NHK紅白歌合戦(以下「紅白」と略す)が70回を迎えた。思えばその70年(正確には68年なのだが)、私はほとんどの年を「紅白」を聴いて生きてきたことになる。「紅白」は次の日の元日とセットになった年中行事として、私の人生の一部になってしまっているのだしかし、そうでありながらも、昨今の「紅白」は面白くない。もはや紅組(女性)と白組(男性)が対決する「合戦」ではなく、紅か白かにこだわらない「祭り」の色合いが濃くなってしまっている。しかも、その祭は形だけのもので、視聴者としての参加感が感じられないのだ。とくに昨年の第70回にそれを強く感じた。
 番組はきわめて精緻に構成されていた。が、その分スリルがないのだ。ナマ放送の緊張感もなければ、高揚感も感じられない。いわばパーツを組みあげて構成した構成番組的な印象を受けるのだ。両軍の司会である綾瀬はるかと櫻井翔はそのパーツをつなぎ合わせていく、接着剤としての役割しか与えられていなかった気がする。
 わが家でテレビが見られるようになったのは、1960年ごろだったのではないか。つまり「紅白」が始まって10年近くは、私にとっての「紅白」はラジオ番組だったのだが、それで十分満足していられた。そこで歌われる歌の多くは、子どもでも前奏から歌えるような国民的歌謡曲ばかりだったし、それ以上にステージで繰り広げられる司会者たちの当意即妙な言葉の応酬、巧みな話術が毎年楽しみだったからだ。
 たとえば1955年、紅組宮田輝、白組高橋圭三両アナウンサーの司会で進められた「紅白」でのこと。当時人気絶頂だったコメディアン・トニー谷は、トレードマークのそろばん片手に「おこんばんは」との台詞を口にしながら登場し、白組応援のパフォーマンスを繰り広げた。それをみていた紅組の宮田はすかさず、「掛取りがおわった31日になって、そろばんはいりません」と切り返した(太田省一『紅白歌合戦と日本人』)

 1960年紅組の司会中村メイコは一通の電報を紹介した。「『紅組はきっと勝ちます。私はウソを申しません』とイケダさんからいただきました」。当時池田内閣は「所得倍増」を掲げ、池田勇人総理の「私はウソを申しません」は流行語になっていた。会場は総理からの激励電報と受け止めてどよめいた。メイコは絶妙なタイミングで「これは広島県の池田さんからです」と続けた。会場は大爆笑となった(山川静夫『私の「紅白歌合戦」物語』)
 かつて、紅白の司会者は単なる進行役ではなく、両軍のリーダーとしてチームの士気を鼓舞し、会場全体を盛り上げていく重責を担っていた。しかも、それぞれの場で何をしゃべるかは司会に任されていたようだ。1974年から9年間白組の司会を務めた山川静夫アナウンサーは、「NHKから提供される台本は細かいところまで決まっていないので、オープニングの掛け合いから私たちで考えた、全くのアドリブだった」と述べている。また山川と3年にわたって司会をともにした佐良直美も、本番数日前紅白両軍の出場歌手全員の曲をレコードで聴き、そのイントロ部分の長さを予測しながら、何をしゃべるか決めていたという(山川前掲書)。そして、二人は大変だったが、やりがいがあったと述べている。
 今のように、プロンプターに映し出された言葉を、司会が一字一句間違わずに読み上げている姿からは、とても想像できない光景である。しかし、その自由な発想がナマ番組としての緊張感を高め、舌戦の面白さを醸し出していたのだ。
 今年の「新春テレビ放談」で、民放のプロデューサーが、「ナマ放送が可能なのはテレビだけなのだが、それも作りこまれすぎていてリアリティを欠いてしまっている」という意味のことを発言していた。この番組は、NHK、民放、ネット通信に携わる制作現場の人たちが一堂に会して、番組についての本音を言い合う場なのだが、私も「紅白」にそれを感じている。映像技術や編集技術の発達は、一方で、一片のミスも許さない高度な品質を作品に要求するようになった。「紅白」にもその感覚が持ち込まれるようになっているのではないだろうか。
 第70回「紅白」の視聴率は第1部(1915分~)347%、第2部(21時~)37・4%で、2部制になった1989年以降最低だったという。ならばそれを奇貨として、「紅白」の原点に立ち戻ることを考えたらどうだろう。紅組白組の対抗戦であることを明確にし、それを推進していく強力な司会陣を中心に番組を組み立てていくこと。ショーが展開される場はすべて公開のステージに限ること。Simple is the Bestという言葉もあるではないか。
  (文中敬称略)
                             (2020年2月号より)


         
      「NHKかんぽ報道問題」とは何だったのか
         
~抑圧された放送による表現の自由~

                   戸崎 賢二(放送を語る会会員)

 昨年、毎日新聞のスクープ以後明らかになった、NHK「かんぽ不正報道」に関連する一連の事実は、NHKの経営と番組制作の根幹に関わる深刻な問題を提起している。年頭にあたって、改めてこの問題を振り返っておきたい。
 発端は18年4月24日放送の「クローズアップ現代+」「郵便局が保険の〝押し売り〟!~郵便局員たちの告白~」だった。この番組に対し、日本郵政3社は繰り返しNHKに抗議し、同年8月2日には、取材・撮影には応じないこと、また情報を呼びかけるNHKホームページ掲載の動画を削除することなどを申し入れた。翌日8月3日、NHKは、8月10日に予定していたかんぽ不正問題追及の「続編」の放送の「延期」と、郵政が抗議した動画の削除を決めた。
 その後、郵政側は、NHKが「番組制作と経営は分離しており、番組制作に会長は関与しない」と説明したことをとらえてNHKのガバナンス(企業統治)のあり方を問う申し入れを経営委員会に対して行った。
 経営委員会は、181023日、郵政への説明が不十分だったとして会長に「厳重注意」し、11月6日、木田幸紀放送総局長が郵政に出向いて会長名の謝罪文を手交した。
 この経過にはいくつもの重大な問題が含まれているが、筆者が直感的に受けた印象は、これは放送史上数多い「放送中止」事件に新たな例が加わった、というものだった。
 NHKは18年8月に予定されていた番組を「延期」したと称するが、かんぽ不正問題を「クロ現+」が次に取り上げたのは、最初の放送から1年3か月も経った19年7月31日である。とうてい「延期」などと言えるものではない。NHKは郵政の圧力に屈して、続いて連打すべき番組を取りやめたのである。
 昨年1130日、放送を語る会は、「NHK・かんぽ不正報道問題を検証する」と題した緊急のシンポジウムを開催した。
 パネラーは砂川浩慶立教大学教授、元NHKプロデューサーの永田浩三武蔵大学教授、コーディネーターは筆者が務めたが、パネラー両氏の発言には傾聴すべき内容が多かった。
 砂川氏は、「続編」が放送されなかったことについて、この期間中にもかんぽ保険の被害者が増え続けたことを「公共放送」の使命からどう考えるのか、安倍政権になってからNHKは「伝えない公共放送」になったのか、と厳しく批判した。
 永田氏は、NHK在職中「クローズアップ現代」を長く担当し、そのうち5年間は統括プロデューサー(編集責任者)だった。この体験から、現場に非はなく、幹部の自粛・自己規制によってこの事件が引き起こされたのだと、局内事情を踏まえながら指摘した。とくに最初のかんぽ不正を告発した「クロ現+」が、視聴者に情報提供を呼びかけ、視聴者と共に作られたと指摘し、これはオープンジャーナリズムのフロンティアと言える試みであり、放送中止はこの試みを毀損したと抗議している。
 一連の事件を貫く基本的なストーリーはどのようなものか、これを見事に示したのが、NHKが謝罪文を届けた翌日、日本郵政の副社長で、元総務省事務次官だった鈴木康雄氏から経営委員会に宛てられた「礼状」だった。「礼状」は、謝罪文を持参した放送総局長に対し「……かつて放送行政に携わり、協会のガバナンス強化を目的とする放送法改正案の作成責任者であった立場から、幹部・経営陣による番組の最終確認などの具体的事項も挙げながら、幅広いガバナンス体制の確立と強化が必要である旨も付言致しました」と書いている。鈴木氏はまだNHKを指導・監督するつもりでいたのである。
 さまざまな事実経過はあるが、経営委員会とNHK首脳陣が元総務省事務次官の圧力に屈した、というのがこの事件の真相であり本質だと私は見ている。
 経営委員長が会長に厳重に注意したときの議事録によれば、石原委員長は冒頭「郵政3社側にご理解いただける対応ができていないことは誠に遺憾」と述べている。現場が不正を追及している企業にたいする驚くべき卑屈な態度であり、公共放送に求められる高度の倫理観を決定的に欠くものである。
 結局のところ、「クロ現+」の最初の放送以後、事実を取材し、視聴者に伝えるという現場の「表現の自由」は長期にわたって抑圧された。あいちトリエンナーレの事例を挙げるまでもなく、いまわが国で強まっている「表現の不自由」の傾向の中で、同じように外部からの圧力によって表現を自粛し、回避した事例がNHKによって付け加えられた。
 NHK関係者の自覚を求めたい、などという紋切り型の結論で小文を閉じるつもりはない。社会を覆い、強まる「表現の不自由」の現状に対し、市民の総反撃が必要である。そうしなければ恐ろしいことになる。筆者はNHKの退職老人のひとりにすぎないが、その覚悟だけは持っていたい。
                            (2020年1月号より)



 

           現在と対話する過去

                    
諸川麻衣(放送を語る会会員

 「NHKの政治報道は官邸寄りでひどいが、番組は健闘している」…こうした評価はしばしば耳にする。一方、より辛口の評価もあると聞く。「確かに良質のドキュメンタリーを放送してはいるが、過去の歴史の発掘ばかりで、今日のテーマには切り込んでいない」というのである。ここ数年を見ても、NHKスペシャルやクローズアップ現代などで自衛隊の海外派遣、かんぽ不正などを取り上げてきたことからすると、この批判は正鵠を射ているとは思えない。
 さらに、一見過去を扱っているようでいて、現在を鋭く照らし出す秀作も少なくない。今回取り上げるのはそうした番組のうち管見に入った三本、八月十八日放送の『BS1スペシャル 隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人』、九月二十一日の『ETV特集 辺野古 基地に翻弄された戦後』、十月五日の『ETV特集 シリーズ日系人強制収容と現代 私も“収容所の子ども”だった』である。
 『隠された“戦争協力”』は、朝鮮戦争中、平和憲法下の日本人が戦闘に参加していたという衝撃的な事実を、当時米軍が行った日本人70人への尋問の記録から発掘したもの。掃海作業に日本人が従事させられ、犠牲者も出ていたことはこれまでも知られていたが、地上戦に参加していたことはほとんど知られていなかったのではないか。しかし米軍は、基地で働いていた日本人を通訳などの支援業務のため朝鮮半島に送り、戦闘が激化すると武器を与えて戦わせたのである。 番組は、彼らの戦場体験を尋問調書から探ると共に、初めてこの事実を知った遺族の思いを描いた。それだけでも極めてスクープ性の高い秀作ドキュメンタリーと言えるのだが、最後の場面で、事実上の「空母」かがに得意気に乗り込んだトランプ、安倍コンビと、同日(五月二十八日)ワシントンで開かれた朝鮮戦争の戦没兵士の慰霊祭を対比させたのは頂門の一針と言えた。「日米同盟」と「集団的自衛権」がまた多くの日本人を戦争に送りかねないこと、そして彼らが戦没者になりかねないことを予感させたからである。
 『辺野古 基地に翻弄された戦後』は、基地建設を巡る「沖縄の世論と辺野古地区の受け止めの間にある溝」の正体と起源を探ろうとした番組。1950年代に辺野古地区が「
水道や電気の整備」と引き換えにキャンプ・シュワブ建設を受け入れたことが、その原点であるという。経済的に不利な地域に迷惑施設を押し付ける、原発と同じ構図である。
 番組は、キャンプ・シュワブ受け入れによって基地建設反対の「島ぐるみ闘争」が崩壊したことや、基地で潤いながらさまざまな被害も受けた辺野古住民の基地への複雑な思いを描いた。これによって私たちは、新基地を巡ってなぜ住民の意見が分かれているのか、現地の事情の一端を知ることができた。視聴者の反響には「これをみれば辺野古が…普天間の受け入れに単純に賛成しているなんてことも絶対に言えなくなる。」という声があった。「単純ではない」という真実に触れられること、これはドキュメンタリーの大切な機能だろう。
 『私も“収容所の子ども”だった』は、第二次世界大戦中にアメリカが設けた日系人強制収容所で生まれた日系三世の心理療法士サツキ・イナを主人公にした番組。彼女は、自らの収容経験を踏まえ、財産や尊厳を奪われた日系人が戦後抱えた苦悩や絶望、無力感に向き合ってきた。そして、トラウマ研究の第一人者となり、今は米国内の移民拘留所の子供たちを訪ねて支援する活動を行っている。彼女が縦軸になることで、戦時中の人種差別に基づく強制収容と、トランプ政権下の移民への不寛容が同一の人権問題であることが極めて分かりやすく描かれた。視聴者の感想には、高校時代に不良に暴力を振るわれた級友たちが「固まった表情でやり過ごし抵抗しなかった」ことを思い出したというものもあり、問題の普遍性を感じさせた。
 それぞれの番組のサイトには、「面白かった・泣けた・癒された・発見があった・考えさせられた」の五つの中から自分の感想を選ぶレビューの仕掛けがあるが、
番組ともほぼすべての感想が「考えさせられた」であった。考えるきっかけをこれらの番組で得た人は、自らの頭で過去を見つめ、現在を問い直してゆくだろう。イギリスの歴史家E.H.カーの「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」という言葉を改めて噛み締めたくなるような番組群だったと言える。
                          (2019年12月号より)



NHK/ETV特集「三鷹事件70年後の問い~死刑囚竹内景助と裁判」を見て

                    増田康雄(放送を語る会会員)

1949年(昭和24年)戦後三大国鉄事件の一つ「三鷹事件」が起きた。当時、小学校4年生だった。事件についてほとんど知識もなかったが、私の父親が事件当時、国鉄労働者で中野電車区に勤務していたこともあって、「三鷹事件」の記事をその後新聞で読んだり、放送を聞いたりしてこの事件に関心を持つようになった。三鷹駅の乗換で利用する際には、いつもこの駅で「三鷹事件」が起きたことを思い出す。
 そんなこともあって、
824日に放送されたNHK・ETV特集「三鷹事件70年後の問い~死刑囚竹内景助と裁判」を非常に興味深く視聴した。
 今年、竹内景助の長男が請求した再審請求に対して、東京高裁は請求を棄却する判決を出した。マスコミはこの判決を報道したが、判決と事件のことを詳しく取り上げたのはこの「ETV特集」だけであった。
 この番組を視聴して特に注目した一つには故竹内景助の長男・竹内健一郎さん(
76歳)が70年後の今も冤罪を晴らしたいと決意し取材に応じていたことだ。彼は長年、世の中から身を隠し, 死刑囚の息子ということがばれないように何度も職場を変えて仕事をする過酷な人生を経験していた。
 番組では長男の同意のもとに弁護団が2011年に第
2次再審請求を東京高裁へ堤出したと報じていた。
 二つ目に番組の中で紹介した弁護団が堤出した再審請求内容に注目した。弁護団は
3つの論点を挙げていた。
12両目のパンタグラフはなぜ上がっていたのか
 事故現場で
2両目の車両のパンタグラフが上がっていた。1両目では2両目のパンタグラフを上げる操作は出来ない。弁護団は誰かが2両目のパンタグラフを上げる操作をしたと指摘し、確定判決に誤りがあると主張する。
2)目撃証言
 「電車区正門付近で竹内君に会った」という坂本安男の目撃証言。自白以外に唯一の状況証拠とされる。
 弁護団は証拠開示請求で、現場周辺の図面を入手する。
 その図面から、目撃現場で電柱は一つ、街灯は高さ
5メートル、明るさ60Wだった事実に着目。弁護団は認知心理学専門家に依頼して学生40人の協力を得て「顔の認識実検」を試み、結果として正解7人間違い33人、見間違いの確立82.5%だった。専門家は再現実験結果から、目撃証言の正確さは疑問視されると証言している。
3)停電と竹内景助のアリバイ
 弁護団は証拠開示請求で、「三鷹事件、停電状況図解」を入手する。それによれば当日、夜
923分に短い停電が発生する。17秒停電、10秒回復、再び19秒停電そして午後956分から、長い停電が起きる。長い停電は事故後負傷者救出のため送電を停止したため起きたという。
 この停電について竹内景助は「夜、
7時頃自宅で夕食を終え、新聞など読んで過ごしていると数秒間の短い停電が2回起きた。その後、電車区内の共同浴場に出かけ、長い停電に会った」と正確に竹内景助は供述していた。妻の竹内政も取り調べや裁判で「夫は自宅にいた」と犯行を否認している。

 番組は
70年前の当時の社会状況、国鉄の人員整理や朝鮮戦争を背景に鉄道にかかわる事件、「松川事件」「三鷹事件」「下山事件」を紹介し、当時の首相吉田茂や占領軍のウィロビー准将は「不安をあおる共産党」「破壊工作だ」との声明を伝えている。
 2019
731日、東京高裁が弁護団の三つの論点を退ける決定をしたと報告して番組は終わる。
 弁護団が竹内景助被告の冤罪を晴らす新資料で事件を私たちに問いかけた意義は大きいと思う。裁判として、事件を若い世代や私たちに問いかけた意義は大きい。「
ETV特集」は記憶から遠ざかる事件を再認識するのに役立った。弁護団が不当判決として異議申し立てしたことは正当な判断といえる。
 他のマスコミがなかなか取り上げない事件を
NHKが取り上げたことを評価したい。「下山事件」「松川事件」「三鷹事件」は戦後の謎の鉄道事件として、真相が明らかにされていない。もっとマスコミが占領下の謎の鉄道事件について調査報道してほしいと思うのは私だけだろうか。この番組を視聴して強く感じたのは戦後史の謎だった。この点が解明されないと戦後は終わらないと思う。
 当時の国鉄マンが電車や列車を転覆させる理由は見つからない。

                        (2019年11月号より)



     「教化されやすさ」という罪と戦争への道

        ~NHKスペシャル「かくて〝自由〟は死せり」を見て~

                      戸崎 賢二(放送を語る会会員)

  今年もNHKの8月の戦争関連番組は力作ぞろいだった。NHKスペシャルでは「かくて〝自由〟は死せり ~ある新聞と戦争への道~」(12)、「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」(11)、 「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」(15) 、「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録『拝謁記』」(17)、ETV特集では「忘れられた『ひろしま』」(10)、「少女たちがみつめた長崎」(17日)などが強い印象を残した。
 
毎年、夏の戦争関連番組を見てきた筆者がこの種の番組に繰り返し期待する内容は、大きく言って二つである。第一は、アジア・太平洋全体で、他国の住民に膨大な被害を生んだ「大東亜戦争」の全体像に迫り、その実相を掘り起こすこと、第二は、なぜ日本があの破滅的な戦争へ進んだのか、その過程と、国民が戦争に動員されて行ったメカニズムを解明すること、である。
 ガダルカナルも広島・長崎のドキュメントも、描かれた人々の無残な死は、二度と戦争を繰り返してはならない、後世に語り継ぐ必要がある、と強く感じさせる力があった。その思いはほとんどの視聴者に共通するはずである。ではなぜ、そのように思う国民の相対多数が、海外で自衛隊が戦争に参加するような法整備を強行した安倍政権を支持するのだろうか。
 この現象は、一般的に「戦争はいやだ」というレベルでは、政府の手を抑える力には必ずしもならないことを示している。筆者が期待する前記の二点で、国民が繰り返し学ばなければ、政府の行為を厳しく監視することができないのではないか。 
 
毎年の戦争関連のドキュメンタリーが、こうした視聴者の判断に役立っているかどうかを問わざるを得ない。
 そうした視点でみたとき、今夏、もっとも示唆に富む番組は前記NHKスペシャル「かくて〝自由〟は死せり」だった。この番組は、戦前最大の右派メディアだという「日本新聞」の10年間の記事を詳細にたどっている。
 「日本新聞」は、1925年、司法大臣として治安維持法制定にも関わった小川平吉によって創刊された。貫いていたのは、天皇が統治する国家体制を絶対視し、それに反する社会のあり方を激しく糾弾する「日本主義」という思想だった。大正デモクラシーの時代に続く「自由」の空気を徹底的に攻撃し、意に沿わぬ人物や主張を「売国」「非国民」などとレッテルを貼り、繰り返し非難した。
 一方で日本民族が優秀であると礼賛する記事も数多く、日本が中国東北部を支配するために起こした満州事変を「聖戦」と称揚している。番組は、昭和初期、自由主義的な傾向を持つ政治家が次々にテロで殺害されていった事件を取り上げ、その背後にこうした日本主義の思想があったと指摘している。五・一五事件で犬養毅首相を殺害した軍人を「国家の害虫に天誅を加え、国家の大精神を発揚した」などと擁護する記事を連日掲載し、影響を受けた国民が減刑運動を展開した。
 自由主義的教育を進めていた長野・下伊那の教師小林八十吉が、「日本主義」を進める運動の影響を受け最終的には大政翼賛会で戦争に協力していく経過も克明にたどられている。
 総じてこの番組は、国民を精神的に動員し、時代の空気を変えていった一つのメディアの歴史を通じて、日本が戦争へ向かっていった時代を鮮やかに描いた。ここにこの番組の価値がある。 時代状況が大きく違うので、このNHKスペシャルが現代へ警告を発している、とは単純には言えない。
 しかし、この番組で印象的なのは、国家主義的、排外主義的な思想に容易に感化され、教化されていく民衆のすがたである。
 おなじような傾向が現代日本でも強まっていると感じる人びとは多いのではないか。あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」に対して抗議電話をかけるぼう大な数の市民、ガソリンを持って行く、と脅迫する市民。日本軍「慰安婦」などなかったと主張し韓国を攻撃する右派政治家やメディアに扇動された人びとという印象がぬぐえない。
 若い頃読んだ書物をはからずも思い出した。動物行動学の創始者コンラート・ローレンツは、「文明化した人間の八つの大罪」(1973年・訳書は思索社刊)の中で、人類の滅亡につながりかねない危険な「大罪」として、人口過剰、環境破壊、核兵器の開発などを挙げ、それらと並んで人間の「教化されやすさ」を挙げている。教義化した思想、画一的な世界観に支配されていく人間の増加を、ローレンツは「種としての人類」を破滅させる恐れがある過程としてとらえた。
 人間は容易に扇動されるものだ、という自覚と警戒感が必要なのである。番組の中心のテーマではないと思うが、筆者にとってはこのことを改めて教えられたのだった。
                            (2019年10月号より)


 

           健在!伊那谷の「ざざむし」漁
        
~舞台は、木曽駒が岳と清流・天竜川~

                      中田賢吾(放送を語る会会員)

 一年で一番寒い一月のはじめ、長野県の伊那谷を流れる天竜川の土手に、今日も、小型トラックを操って現れたのは、中村袈裟冶さん八十五才。番組の紹介では、この土地で親の代から九十坪の野菜畑を耕し続けている農家の主だという。
 川の中央に向かって、右側に聳えるのが木曽駒ケ岳、左に控えるのが空木岳、いずれも、中村さんが子どもの時から崇めてきた中央アルプスの霊峰にちがいない。
 中村さんは、トラックを降りると、荷台に乗せてきた、手製の大きな魚網(ビグ)を小高い土手から水辺に向かって転がす。ビグは、うまく水辺真近かな草むらに引っ掛かって止まる。それを確認すると、中村さんは、一端がトラックに繋いである細い紐の、別の端に体を任せながら、ゆっくりと、ビグの待つ川辺の草むらにたどり着く・・・。
 これは、さる7月19日の午後2時から、総合テレビで放送された「目撃!にっぽん『ざざむし~信州・伊那谷に生きる』」の主人公、中村袈裟冶さんの、「ざざむし」漁の実際と、漁を通しての彼の自然観を紹介した番組のはじめの部分だ。
 「ざざむし」とは、やがてカゲロウに育つトビゲラやカワゲラ、それにヘビトンボなどの水中昆虫の総称で、伊那地方の方言だという。
 この時期、これらの昆虫たちは、水に流されないように、蜘蛛の糸に似た粘液を出して、自分の周りに小石を集め、大きな石を拠点に巣を作り、ひっそりと羽化までの時を稼ぐんだというのが、袈裟冶さんの「ざざむし」観察のポイントだ。
 「大小の石が集まると、ホレ、このような空気の溜まり 場のウロが出来て、『ざざむし』が巣食う絶好の場所となるんだ」と、川の浅瀬の大小の石の群れを、鍬の先で突きながら、ウロの在り処、特徴をあれこれ、袈裟冶さんは教えてくれる。

「ざざむし」漁の実際
 「ざざむし」漁とは、要するに、こうして、小石の群れに紛れて巣食い、羽化を待つ「ざざむし」を、小石がこびり付いている大石からそぎ落とすように、ビグの網の中へ追い込む漁なのだ。
 袈裟冶さんが、大きな石の裏側に、こびり付いている小石群の中に手を差し込み、指で藻草に絡まった小石を探ると、「ざざむし」が出てくるわ、出てくるわ。
 「春は、鮒や濃い追いかけ、冬はこの「ざざむし」獲り、獲れた「ざざむし」がまた、栄養がたっぷりでね、今でも私には、この河に育ててもらったという気持ちが消えないんだ」
 かくて「ざざむし」漁は、2~3時間もあれば終了する。川の流れに浸したビグの中では、掴まった「ざざむし」たちが、羽化寸前の、黒い尾ひれを、天使の羽衣踊りよろしく、優雅に動かしている。特に通称、孫太郎虫とも呼ばれているヘビトンボの派手な動きには、「そら、孫太踊りがはじまった」と袈裟冶さんも上機嫌だ。

ざざむしの味は、銀座でも、注目を集めた
 
取れた「ざざむし」は、笊などに移して、念入りに濯ぐ。一度、ボイルして、泥虫などの不純物は取り除く。後は、砂糖に醤油、酒少々を加えて、水っ気がなくなるまで、佃煮風に煮込むだけである。夕餉のおかずの立派な一品だ。
 今年の3月、東京は銀座で、長野県主催の「ざざむし」の試食会が催され、番組では、その模様も紹介された。集まった老若男女五十人余りに、佃煮仕立ての「ざざむし」が供された結果は、男女の別なく「おいしい」「風味がある」という異口同音の反応だったという。
 全盛期には、八十人もいた「ざざむし」漁師も、今では、十人足らず、それも七十才を過ぎた老人たちばかりだという。あの戦後の食糧難の時代、イナゴを食い、蛙も食べて飢えを凌いだ各地の人々と同世代だ。伊那の「ざざむし」漁も、そういう人々に受け継がれて来たのだ。
 「目撃!にっぽん・ざざむし」は、海から遠い伊那の、天竜川が海のように親しまれていた頃を全盛として、暮らしが次第に川から遠のいていくばかりの現代に至る昭和史の一端を偲ばせる貴重な記録だった。

伊那の中村袈裟冶さんの述懐
「『ざざむし』漁は、伊那谷の風物詩なんだよね、石をひっくり返すとさ、ざざーっと虫たちが網に流れ込んできて網ん中が、やつらで真っ黒くなるんだ。もう身震いする程、興奮するね、生甲斐だね、私の」
                          (2019年9月号より)



        被爆者の願いを伝えたNHK広島局
       ~「おはよう日本」核拡散防止条約会議報道~

                      増田康雄(放送を語る会会員)

6月5日の朝7時すぎ、私はNHK総合テレビ「おはよう日本」にスイッチを入れて画面にくぎ付けになった。私の知人である地元の濱住治郎氏が画面に出ていたからだ。
 濱住治郎氏は現在、「日本原爆被害者団体協議会」事務局次長の要職にある。地元稲城市の市民団体「いなぎ平和と安全を守る会」、「稲城憲法9条を守る会」でも顔馴染みだ。
 濱住さんは、日本被団協を代表して、NPT=核拡散防止条約の会議に出席するため、木戸季市被団協事務局長と2人で、4月28~5月7日までの9日間、ニューヨークの国連本部を訪問している。
 今回の訪問で濱住さんはやるべき5つの目的があっつた。①ヒバクシャ国際署名941万筆余りをサイード議長に堤出する。②2020年、日本被団協の国連原爆展の準備、打ち合わせ。③NGOセッションで「胎内被爆者」としての発言。④各国大使、代表への要請、懇談。⑤各種行事への参加、若者との懇談、証言など。
 NHK広島局は被団協のニューヨーク訪問に同行取材している。
 「おはよう日本」のニュース内容を見てみよう。
 冒頭、キャスターは世界中の核兵器14500の数字をスタジオで示し、全世界でアメリカとロシアが核兵器の9割以上保有、フランス300発、英国と中国が200発以上、そしてインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が保有していることを紹介する。
 そして、画面は国連ビルに入る濱住さんの映像をバックに、NHK広島局野中夕加記者が語る「およそ110ヶ国の代表が集まり核軍縮について話し合いました。濱住治郎さん73歳は「胎内被爆者」です。今回、彼は被爆者団体を代表して出席しました。被爆者は高齢化し平均82歳。濱住さんは一番若い被爆者です」と紹介する。
 濱住さんは語る「被爆者の苦しみ、病気への不安、子や孫への不安は消えることはありません」と。
 野中記者は語る「74年前、父正雄さん(享年49歳)は爆心地から500メートルの地で亡くなりました。跡地からガマ口の財布とベルトの一部、そして熱線で溶けた鍵だけが見つかりました。濱住治郎さんは原爆投下の翌日から父親を探しまわった母親のおなかの中で被爆しました。」
 濱住さんは「父と生まれ変った感じで現在まで生きてきて、父の事を忘れたことはありません。」濱住さんは核拡散防止条約の会議で議長から指名され、スピーチする「戦争は終わっていません。なぜなら、いまだ世界に14500発もの核兵器が存在しているからです。核兵器も戦争もない「青い空」を世界の子供たちに届けることが被爆者の使命であり、全世界の大人、一人一人の使命ではないでしょうか」と。
 ところが核保有国アメリカ代表は「核兵器の削減は安全保障上、出来ない」と発言。会議に出席した濱住さん達にとり、厳しいものとなった。
 そのあと映像は外国代表や東京の高校生との交流を紹介し、ニュースは終わる。
 このニュースを見て私は「胎内被爆者」という言葉に、強い印象を持った。濱住さんによれば「胎内被爆者」は約7000人いるという。多くの「胎内被爆者」は生まれた時には父親が被爆死した為に父親の顔すら覚えていない事実に私は衝撃を受けた。
 核保有国政府は核廃絶をいまだに拒否する。この解決方法は全世界で「核廃絶署名」を集め、核廃絶の世論を盛り上げて国連を動かすしかない。このニュースでは日本政府の「核兵器禁止条約」批准問題を取り上げていない。特に日本政府の「条約拒否」の態度には触れてほしかった。 現在、国連加盟国193ヶ国中、23ヶ国は条約賛成の立場を示している。日本政府は被爆国なのだから「核兵器禁止条約」に賛成し、「条約」を批准すべきだ。ニュースは濱住さんが若い世代への啓蒙として、東京での高校生との交流を紹介して終了した。
 戦後生まれの若い世代に核兵器の恐ろしさを伝えていくことは絶対に必要だと思う。私はこの交流に新しい希望を感じた。もちろん、若い世代だけなく、全世界の人々にも核廃絶を訴える必要がある。NHK広島局や長崎局が毎年、夏の原爆関連の特別番組を編成して多くの視者に、感銘を与えていることはとても喜ばしいことだ。私はNHK広島局の番組編成と、その努力を高く評価したい。そして、核保有国政府の論理を打ち負かすための私達一人一人の努力が問われていると思う。
                            (2019年8月号より)


         いいね! 五七五も五七五七七も

                   五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 「昇格か、現状維持か、降格か。夏井せんせーの査定は」司会者・浜田雅功が叫ぶと、添削用の赤ペンを手に着物姿で俳人・夏井いつきさんがテレビ画面に現れる。TBS系列番組「プレバト‼」、これがおもしろいのだ。私は昨年秋ごろから何気なく見始めた。
 「才能査定ランキング」絵画等もあるが、俳句の場合写真からお題を出し、ゲストが俳句をつくる。査定する夏井先生には、誰が創った俳句かは知らせずに査定。その結果で決まる順位。最下位なのかトップなのか、スタジオに居並ぶタレントの緊張の表情にカメラはズームアップ。
 ここからが夏井先生の本領が発揮される。誰の俳句か了解したうえで、俳句への講評と添削作業が始まる。夏井先生はまず作者の俳句に込めようとした思いを聞き、その俳句に赤ペンを走らせ厳しい添削指導を展開。「どうしようもない」と毒舌が夏井先生からポンポンポンポンと飛び出す。書き出された文字を赤ペンがバッサリ削り、上句、下句の前後が変えられ、フォーカスがぴたっと定まった俳句が完成し映像とともに映し出される。その過程がお見事‼
 「俳句の種まき運動」家を自任する夏井先生の講演会が各地で催され、2018年年末のNHK「紅白歌合戦」の審査員席に彼女の着物姿が。最近5月23日付「TVランキング」(「朝日」掲載)で20位にランクインしている「プレバト!」。五七五俳句の世界をテレビで真剣に取り上げた番組に〝アッパレ〟をあげたい。

NHKBS番組「平成万葉集」に憲法九条
 短詩型文学の先輩の短歌人口は100万とされる。
 天皇明仁の退位を受け、「平成」がこの年の四月までとなった2019年正月、「平成万葉集」(NHKBSプレミアム)が放送された。≪平成に生きた私たちの心模様を短歌から描く大型シリーズ≫と銘打って、四月に二回、五月に一回、シリーズで放送したのだが、私が見たのは正月放送のプロローグ、それも何気なく見たのである。
 画面に筆文字で「守ろう 憲法九条」の黄色い看板が、青森県・中村雅之さんの短歌とともに大写しになった。
 農も家も
 まもれず老いてけふ庭に
 九条守れの看板立つる

 その黄色い看板は、知人の家にも立っていたので、即電話で問い合わせ。看板を西津軽、北津軽、五所川原の西北五の地域に60カ所も立てた「西北五九条の会」のことや、番組に登場した中村雅之さんの情報も得た。1927年車力村に生まれた中村さんは若い頃から短歌を詠み、第一八回角川短歌賞、八〇歳で応募した宮中歌会始に入選するなど、輝かしい経歴がわかった。
 番組は「平成の時代はあと四か月。今、新しい歌がうまれています」とナレーションのあと再び、黄色い立て看板に中村さんの短歌が重ねられる。
 やがて来る世にもかがやけ
 九十歳(きゅうじゅう)のわれの立てたる
 九条の看板

 この番組を見たのだろう、さいたま市の方が「寒村に九条守れの看板を立てて古老は畑耕す」と詠んでいる(5月19日付「朝日歌壇」馬場あき子選)。
 五七五七七の短歌に詠まずにはいられない憲法第九条を守りたいという思い、それを「平成万葉集」にしっかりと取り上げたスタッフの意欲に拍手をおくりたい。
 日本は4月1日から「令和」「令和」の大合唱。新しい天皇が即位したから、何が変わるというのか。そうか変えたいのか。「昭和」から「平成」そこまでで全部チャラ‼ 新しい時代「令和」には新しい憲法をという流れをつくり出したいのだろう。先の歌人中村さんは、新元号を警戒する短歌も習作していた。「戦なき世をねがひつつ昭和一桁新元号の世をおそれつつまつ」

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 私の好きな短歌を紹介したい。
 仏桑華そこには咲くなそこは基地
 汝が紅は沖縄のもの

 日本共産党元衆議院議員で2004年に亡くなられた山原健二郎さんのものだ。次の短歌も亡くなる前、20世紀末に詠んでいた。
 コメ・非核・九条も捨て国是なし
 国の行方のただごとならず

                           (2019年7月号より)


        忘却に抗する悲しみと告発の記録
      ~『未和 NHK記者はなぜ過労死したのか』を読む~

                    戸崎賢二(放送を語る会会員)

近年、NHKについて書かれた書籍は数多いが、その中でまぎれもなく最重要と思われる一冊が5月初旬に刊行された。
 尾崎孝史『未和
NHK記者はなぜ過労死したのか』(岩波書店)である。
 6年前の2013年7月24日、NHK記者の佐戸未和さんがアパートの自室で亡くなった。都議選に続く真夏の参院選を取材した直後の、まだ31歳の若さでの死であった。一年後の2014年5月、渋谷労働基準監督署は、遺族の申請を受けて、佐戸記者の死を過労死と認定した。
 このことは経営幹部と労働組合(日放労)の一部役員は知っていたが、社会的にはもちろん、NHK内でも伏せられていて、大多数の職員は知ることはなかった。NHKでは過労死のニュースが放送されることがあるが、取材する記者が自局で過労死があったことを知らないという信じがたい事態が生まれていたのである。
 未和さんの両親、父親の守さんと母親の恵美子さんは、こうした状況に驚いてNHKに対し過労死の事実を公表するよう求めた。NHKは遺族が公表を望まなかったと釈明したが、両親はそれは事実ではないと記者会見で抗議している。
 さまざまな経緯を経て、2017年10月4日、NHKは「ニュースウオッチ9」で、未和さんの過労死認定の事実を2分程度の短いニュースとして伝えた。
 本書の著者である尾崎孝史氏は、フリーランスの映像制作者として永年NHKで働いてきた。局内で仕事をしていたのになぜ知らなかったのか、衝撃を受けた尾崎氏は衝き動かされるように遺族を訪ねる。そこで「本当のことを知りたい」という両親の強い思いを知り、関係者から聞き取りをする役目を引き受けることになった。
 尾崎氏は、遺族から託された未和さんの手帳、取材ノート、メール記録など、ぼう大な資料を読み込み、100人を超える人々の300時間におよぶインタビューを行った。一年半の期間を費やした徹底的な調査によって事件の真相に迫ったのが本書である。
 まず明らかにされるのは、未和さんが従事した選挙取材の苛酷な労働実態である。彼女のノートには、候補者の動向や、街頭での調査に奔走した記録が残る。
 家族と担当弁護士が労基署に提出した亡くなる前1か月の労働時間集計表には、9~25時、1025時といった勤務時間が連日のように並ぶ。申請書ではこの1か月の時間外労働時間は209時間を超えた。これは厚労省が示した過労死ライン80時間をはるかに超える。婚約者へのメールには「眠い、帰りたい」といった悲痛なメッセージが残されていた。
 選挙取材がようやく終わった7月24日午前3時頃、婚約者に電話したあと、連絡が途絶え、翌25日の午後9時半に遺体が発見されるのである。 
 遺族が公表を求めてから現在に至るまでのNHK側の対応にも問題があった。謝罪の言葉や、再発防止のための「働き方改革」の取り組みは報告されたが、両親にとっては知りたいことがいっぱいあった。過労死に至るまでの苛酷な労働を上司は知っていたのか、責任者は誰なのか、とくに連絡が絶え、出勤しなかったおよそ二日の間、職場はどう対応したのか。などの事情は不明なのである。両親は当時の管理職に取材という形で話を聞かせてほしい、と報道担当理事に申し入れるが、書籍のための取材には協力できないと断わられる。このあたりのやりとりの記録は緊迫感に満ちている。
 
取材に応じると未和さんの父に伝えていた同僚についても、組織の意に反する出版には協力させられないとするNHKの方針で、インタビューは実現しなかった。形としては尾崎氏の取材だが、本質的には遺族が取材しているのである。NHK側はこの点での感受性を大きく欠いていた。
 本書では、未和さんの短い生涯も辿られている。弱者に寄り添う取材の実績を持つ、誰にも好かれた優しく聡明な女性記者だった。かけがえのない娘を突然失った両親の悲しみは想像を絶する。母親の恵美子さんは自殺の恐れがあり、家族は家にある包丁など隠したという。
 本書はこうした遺族の悲しみの側に立ちきることで、圧倒的な力を持つドキュメントたり得たのである。しかしNHKはこの出版を組織の意図に反するものとした。そのためか、尾崎氏は
収入源だったNHKの仕事が途絶えがちになったという。
 
このような仕事は、本来、NHKの職員プロデューサー、ディレクターによる検証番組として果たされるべきものではなかったか。すくなくとも労働組合は調査して詳細な報告書を作成すべきケースだった。代わってひとりの外部スタッフがリスクを冒してまで成し遂げた仕事を、今現場で働いている人々は重く受け止めるべきだろう。
                           (2019年6月号より)



    「アベチャンネルになり果てるな」 
NHKニュースに喝!
        ~NHK政治報道に抗議する放送記念日集中行動~

                         今井 潤(放送を語る会代表)

 
3月22日、放送記念日の朝、市民たちで作る「NHKとメディアの『今』を考える会」の呼びかけに応えて集まった人々が、渋谷のNHK放送センターの門前で集会とビラ入れなどの抗議行動を展開した。この日、同会はNHKの政治報道が安倍政権の広報となり、公共放送の政治的公平性を失っているとして、会長宛の申し入れを行った。
 申し入れに先立って、その内容をそのまま掲載したビラを出勤するNHKで働く人たちに配布した。「NHKで働くみなさんへ、放送記念日を期して上田会長に申し入れを行います」と題したビラの配布は放送センターの5つの入り口で行われた。
 会長宛の申し入れは、①「辺野古のサンゴは移した」などの安倍首相の発言や行動に対する検証や批判的報道がほとんどない、②政権にとって不都合と思われる事が伝えられない例が目立つ。➂日米貿易交渉報道でTAGという用語を使うなど、政府が発表する呼称に従う傾向がある、④森友・加計学園問題では、報道を抑制する姿勢が批判されている、などを指摘、受信料のみで支えられているNHKは「政権から距離を置き、必要な時は批判するという公共放送の基本に立ち返る」よう求めている。
 約200人が参加したNHK西口の集会では、7人の学者、ジャーナリストによるリレートークが行われた。
 マスコミ9条の会共同代表の仲築間卓蔵さんは「『チコちゃんに叱られる』という番組が好きだ、上田会長さん、ボーっと生きてんじゃないよ、と言いたい、NHKは、政治的に公平で本当に事実を曲げないで報道していますか」と厳しく問いかけた。
 元NHK経営委員で国立音楽大学名誉教授の小林緑さんは政権の意向に左右され、一般の視聴者とりわけ女性の願いが活かされない経営委員会の非民主的運営や構成、選出方法などを告発した。
 リレートークの合間に、参加者はコール「NHKはアベチャンネルになるな」、「政治部は知る権利にこたえよ」「NHKは報道に自由を取り戻そう」を繰り返した。市民が自作したプラスターには「フェークニュースを流すな!NHK!」、「NHK上層部はアベに毒されている」と書かれていた。
 主催した「NHKとメディアの『今』を考える会」は、アクティブミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)「VAWW RAC」(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター)、「日本ジャーナリスト会議」、「放送を語る会」、「マスコミ9条の会」、「メディアを考える市民の会・ぎふ」、などの団体のメンバーが個人参加で結成した組織。今回のNHK会長への申し入れ書には、全国各地の「NHKを考える会」など20団体、NHK退職者を含む個人約100人が賛同し、NHKに対しては近年例のない集中行動となった。
 この日、賛同団体のいくつかは、地方の放送局でもビラ配布活動を行った。大阪放送局前では「放送を語る会・大阪」のメンバーが、放送記念日セレモニーの準備が進む中、寒風の下、玄関で約200枚を配布した。「頑張ってください」、「ごくろうさま」と声をかけてくれる人も複数いた。
 名古屋放送局では「NHKを考える東海の会」が3か所で200枚配布した。受け取りは一般的なビラと比べると良いほうだとの感想があった。
 岐阜放送局でも、「メディアを考える市民の会・ぎふ」のメンバーが横断幕、プラカードを掲示し、ビラを配布した。地方からわざわざ来て、配布に参加してくれた市民もいた。
 政治報道の政権広報化が強まるなか、このような「放送記念日集中行動」は大きな意義があったと思う。5年前に籾井勝人会長が就任したあと、籾井罷免を求め、NHKの政治報道を批判してNHKを包囲する行動が繰り返されてきた。こうした経験を引き継ぎ、発展させるという意味でも今回の集中行動は重要だった。
 集中行動のあと4月に入って、NHKが専務理事人事で、板野裕爾エンタープライズ社長の復帰を決めたことが明らかになった。9日の経営委員会はこの人事に同意したが、二人の経営委員が板野氏の任命に疑念を述べ、棄権したという。
 板野氏は籾井会長時代に放送総局長を務め、政権広報と批判されたこの間の政治報道に責任がある人物だ。「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターを現場の反対を押し切って降板させた張本人とも言われている。
 今回の人事について新聞報道は「放送現場が一層萎縮しそうだ」(毎日)「板野氏は官邸との太いパイプがあるといわれ、野党などの反発を招く可能性もある」(東京)と伝えている。このNHK執行部の人事はNHKを籾井時代に引き戻す異常な事態と言わざるを得ない。視聴者市民による今まで以上の監視と、抗議行動が重要になっている。
                             (2019年5月号より)

                     
         もうそろそろ〝当確競争“やめませんか


                 平林 光明(放送を語る会・大阪 会員)

いつの頃からか、国政選挙の開票速報は、午後8時の投票終了と同時に、各社一斉に最終議席を予測し、9時の開票開始までに、半数以上の候補者に当確が出るというスタイルが定着してきました。まだ1票も開いていないのに有権者無視もいいところです。現役時代記者として選挙報道に携わってきた私にも、他社に先駆けて当確を打つ〝醍醐味“は判らなくもありません。災害と選挙は記者の働きどころと言われますが、国民の生命・財産を守るため一刻を争う災害に比べて、選挙は開票作業の迅速化もあって、2~3時間も待てば当選者が確定します。
 当確を打つための膨大な事前取材は大変です。私の頃の衆院選は定数3~5の中選挙区制でした。一般的に定数と候補者の多い選挙ほど判断が難しくなります。現在は衆院選の選挙区が定数1の「小選挙区比例代表並立制」、参院選の選挙区は1人区が32、全体的に1人を選ぶ作業が中心になりますが、定数2~6の複数区も存在します。
 当確を打つためのデータは、①過去の得票状況②その選挙の候補者の組み合わせと運動状況③投票日の1週間前に全国一斉に行われる有権者の投票動向(選挙区ごとに投票する候補者を答えてもらう)④投票日当日の出口調査(最近急増している期日前投票も対象に)⑤開票所での発表の入手(各開票所から県選管に報告する数字を直ちに局に送る。県選管が全部を集約する時間差で早く判る)などです。
 この①から③の作業を中心に候補者ごとの最終得票予測を作成します。これに④のデータを加味して微調整し、開票が始まると⑤の数字に大きな見込み違いが無いことが確認できた候補者から当確を打ちます。最近多い開票前の「当確」は④までのデータで大差がついているケースが中心です。
 このように調査データがウエイトを占めますが、やはり1番大きいのは②の記者の情勢取材です。例として私が3年間赴任した兵庫県の豊岡通信部(1人勤務)を見てみましょう。
 守備範囲は兵庫県の北半分を占める但馬地域、東京都全域に匹敵する広さに1市18町が存在していました。衆院選は定数3の「兵庫5区」で、但馬のほかに担当外の丹波8町と三田市が加わり、市町ごとの票読みを行います。特に最下位当選と次点を見込む候補者は念入りに取材します。陣営の動き、有力者の動向、有権者の反応などを、街頭や屋内の演説会、事務所幹部との懇談を中心に、票読みの材料を積み上げていきます。それに加えて地方では各開票所の票送りを担当するアルバイトを、開票所の数だけ確保する作業が加わります。
 山道を夜間帰宅してもらうのですから地元の人にしか頼めません。つてを頼りに車で山道を走り回っても1日せいぜい5か所程度です。これだけを日常取材の合間を縫って1人でこなすのですから、選挙は使命感を通り越して苦痛でもありま
した。(ちなみに都市部は各放送局が要員を一括募集します)
 6年前の参院選東京選挙区は、泡沫候補を除いても有力8人が5議席を争いました。その中の1人に無所属の新人・山本太郎候補がいました。中堅俳優からの転身で注目を集めていましたが大きな組織はなく、当落線上が一般の見方でした。そんな山本候補にNHKの佐戸未和記者は、わずか3百票の得票段階で当確を打つ離れ業を演じました。彼女は無党派層の動向を注視し、何度も自分で街頭調査を行うなど、月2百時間を超える残業を行っていたとのことです。最終的に山本候補は66万票を超え4位で当選しました。彼女が1人で暮らしていたアパートの部屋で亡くなっていたのはその3日後、過労死でした。過熱する当確競争の悲劇です。

 過労死を生むほどの作業に忙殺されて、選挙の意義や争点を国民の生活の視点から掘り下げる、本来の選挙報道が低調になっているのも当確競争の弊害です。「放送を語る会」は2010年参院選から6回にわたって、選挙報道のモニターを実施しています。その2017年総選挙を検証した報告書では「政治家や政党の動向を伝える政局報道が多くの部分を占めた」「有権者の政治選択に資する政策や争点に関する報道が十分とは言えなかった」「政治的公平性に問題を残した」などと苦言を呈しています。そしてテレビ各局に対して「選挙報道の抜本的な拡充を」という4項目の申し入れを行っています。

 各放送局さん、もうそろそろ不毛な当確競争をやめて、本来の使命である選挙報道に切り換えませんか。
                             (2019年4月号より)


 
       「公共放送」の倫理の後退と退廃
         ~最近のNHK政治報道から~

                      戸崎賢二 (放送を語る会会員)

 これだけの悪政でありながら、安倍内閣の支持率が下がら ないのはなぜか?   1月 28 日の『マスコミ市民』600号記 念講演会で、講師の佐高信氏は鎌田慧氏が「(安倍内閣が) NHKをおさえられたからじゃないか」と言ったと報告した。 この報告は我々を妙に納得させるものがあった。
 NHKにたいする信頼はまだ驚くほど大きい。NHKの放 送が公正・公平だと考える視聴者の割合が 75 パーセント以上 という調査もある(NHK世論調査 18 年1月実施)。こういう 状況で政権広報のような報道が続けば効果的だ。安倍政権の 延命、維持にNHKが貢献していると言われるのもわかる。
 この「談話室」のページを担当している放送を語る会は、 重要な政治的イベントの際、期間中のNHKと民放のテレビ ニュース内容を全て記録し、モニター報告書を発表してきた。

 14 年の集団的自衛権閣議決定、 15 年の安保法国会審議、 17年の共謀罪法審議の報道などを対象としたが、浮かび上がっ たのは、NHKの政治報道を貫く政権広報的な傾向だった。
 放送を語る会の安保法審議報道モニター報告書では、NH Kの政治報道の特徴を次のように概括した。
……ひと言で言えば、政権側の主張や見解をできるだけ効 果的に伝え、政権への批判を招くような事実や、批判の言論、 市民の反対運動などは極力報じない、という際立った姿勢で ある。……」。
  この傾向はその後も一貫して続き、むしろ強 まっているといえないだろうか。 最近の放送からみて、この「概括」に書かれていないNH K政治報道の重要な特徴を二つ追加しておきたい。
 第一は、安倍首相の言動にたいする批判が徹底的に回避さ れていることだ。NHKニュースに安倍首相が登場する機会 は非常に多いが、首相の言っていることが正しいのかどうか。批判的な検証はほとんど行われない。こうした傾向の延長線 上に「日曜討論」1月6日の首相発言「あそこのサンゴは移 した」発言事件が起こった。
 放送したNHKが批判されているが、私は発言を放送した こと自体は責められないとみている。(これは意見が分かれる ところだろう)
  番組のスタイルは、各党の党首のメッセージを時間配分してそのまま伝えるというものだった。NHKが党首の発言を 部分的に削除・編集することはほぼ無理だったと思われる。
 それに
、もし担当者が首相に、この発言は問題になるから、 出さないのがいいのでは、と進言し削除したら、首相の虚偽 発言は闇に葬られてしまう。政治家の虚偽発言はそれだけで ニュースであり、むしろ世に出すべきという判断もありうる。
 とは言え、その発言が放送された時点での影響は大きい。 今回のケースでは、首相発言に批判があったことを当日にすぐ伝え、辺野古のサンゴについて独自取材を行い、検証しな ければならなかった。しかし、NHKはこういう検証作業を 行わなかった。結果的にNHKはウソの影響を野放しにした のである。もし取材して検証すれば首相発言がフェイク(ウ ソ)であることが明白になる。だからやれなかったのだろう。
 追加する第二の特徴は、政府が発表する呼称に従う傾向で ある。
古くは共謀罪法報道で、NHKは政府が発表した「テ ロ等準備罪を新設する法案」という呼称を使い続けた。最近のアメリカとの2国間貿易交渉については、事実上FTAで あることを隠す政府の造語、TAG(物品貿易協定)という 呼称しか使っていない。韓国徴用工裁判のニュースでは、最 初は「徴用工問題」と表現していたのに、政府が「朝鮮出身 労働者」と表現したとたんに「徴用」問題、と変え、ニュー ス項目の表記では「徴用工」という表現を消してしまった。
 ちなみに、重要な事項をスルーする傾向も最近顕著である。 辺野古関係の重要事項で、ネグレクトした例がないか「ニュー スウオッチ9」の今年1月の放送に限定して調べたところ、次 のような項目が見当たらない(。民放ニュースでは報道した)
 自民党宮崎政久衆議院議員が沖縄県民投票不参加を沖縄 の保守系市議会議員に「指南」していた事実。1月 16 日の宮 崎議員の釈明記者会見。辺野古に軟弱地盤があり、防衛省 が設計変更を検討しているという事実。政府が県に無断で 土砂規準を変更し、辺野古埋め立て地に赤土が投入されていた事実。……見てわかるように、いずれも政権のマイナスイ メージにつながる問題である。
 NHKには評価の高い番組もあり、社会的事件については 意欲的な調査報道もあるのに、政治報道のこの偏向は異様で ある。あたかも幹部に安倍晋三支持者がいるかの如くだ。
 受信料制度に支えられることによって、政府から独立し、 自主・自立を報道に貫く、という「公共放送」への倫理的要 請に対し、後退とも退廃とも言える状況が強まっている。
                            (2019年3月号より)



        「潜入」「突撃」などの語の用法に疑問

                ときめき屋正平(放送を語る会会員・詩人)


近年のテレビ番組で、「潜入」「斬る」「突撃」という語(ことば・文字)の本来の意味とは違った使用が増えています。
2018年10月、11月の番組の一部から考察しました。

◎「潜入」

事例① 1126日 関西テレビ 「報道ランナー」
たまたま18時にテレビの電源を入れ、番組表に、8チャンネル「カンテレ」の18時欄に番組名「大阪・塚本にあったグリコ橋とは?」「兵動が創業九六年大企業に潜入」と表示がありました。
 昭和28年に撮影された写真の右端に「グリコ橋」と橋の名があり、兵動リポーター(お笑いコンビのひとり)が、「この橋はどこに、いつまであったのか」を解明する企画でした。「グリコ本社」門前で「江崎記念館」(創業者は江崎利一)の岡本館長が社屋から出てきて兵動さんを迎え、同記念館内と館外の橋のあった場所近くに案内します。現在は川を埋め立て公園の一部になっていると説明を受けた後、兵動さんが「ありがとうございました」と館長に頭をさげて、番組は終了。単なる「訪問」です。視聴者の興味をひくため、視聴率をあげるため「潜入」と書いて放送し、視聴者に なあんだ=みて損した=しょうもなかった で終わっています。

事例② 1027日 NHK総合 「ブラタモリ」
 番組の紹介文では、佐賀へ・有田焼極上赤色の秘密 ▽柿右衛門工房に潜入 ▽職人400年超絶技法 タモリ謎の磁器づくり 
 15代酒井田柿右衛門さんが門前でタモリさん一行を待っていて、自ら工房への扉を開けて案内しました。これが「潜入」でしょうか? 1936分に(潜入!!有田焼)の文言が一瞬画面に表示されました。

事例③ 1024日 NHK総合 「探検バクモン」
 見出し『大人気!十条銀座商店街』男性の声で「・・北区十条商店街に潜入・・」と。画面下部にも潜入の文字がありました。

事例④ 1024日 関西テレビ 「報道ランナー」の番組予告・案内
 見出し『二四時間ジム急増!なぜ人気?どんな人が利用?大阪のジム潜入、裏側潜入』 「深夜に潜入」の文字とアナの音声。

事例⑤ 1022日 NHK総合 「鶴瓶の家族に乾杯」 
 見出し「縁結びスペシャル!!石田純一と島根県飯南町ぶっつけ本番ご縁の旅 石田にメロメロ女性&鶴瓶ヒヤリ 警察登場 高校寮生活の実態調査 幻の黒毛和牛+炭酸泉  
 小野アナの「飯南高校の女子寮に潜入」の音声。

事例⑥ 1021日 NHK総合 「うまいッ!」
 見出し「日本一徳島しいたけの力」 2047分頃男性アナの声で「・・料理店に潜入」と聞こえました。

◎「斬る」

事例⑦ 1025日 BSプレミアム 「英雄たちの選択スペシャル」
 見出し『日本を斬る!歴史を創った名刀たち』 番組紹介文「刀を通して日本人とは何かをひもとく2時間スペシャル!礒田道央は現代最高の刀鍛冶を探訪する。刀で日本史を斬る!刀剣女子必見」 「斬る!」とはまあ、物騒なこと。232239分頃、番組の予告・案内に男声で「・・刀鍛冶に礒田が潜入・・」と。 案内文字は「探訪」で音声は「潜入」。

◎「突撃」

事例⑧ 1024日 NHK総合 「もふもふモフモフ」
 見出し「佐野勇斗のもふもふ書道! 足が不自由なニャンコ感動物語」 〇時〇2分頃、画面に「突撃レポート」の文字が出ました。

事例⑨ 1020日 NHK総合 「突撃!カネオくん」

見出し「夢のぜいたく豪華客船最高級スイートの値段 有吉驚きの節約術」 「突撃」の音声何度も放送されました

事例⑩ 111日 BSテレビ東京 「突撃!隣のスゴイ家・・500人が…子育て㊙アイデアの家」
 以上、見てきたように、これらは不適切な使用です。「うそ」です。単なる訪問を「潜入」と言っています。実際の画面では、当事者や管理者が自ら出迎え場内を案内しているのですから。また、「突撃」、「斬る」は大げさで不適切な表現です。
 いかに視聴者をだまくらかして、言葉でひっかけて番組に誘導するか、と考えている放送局は許せません。番組制作については、「あるべき基準・規則など」があるはずです。番組には「品性」や「品格」があるべきです。

 《付記》 潜入:他人に知られないように、こっそりとはいりこむこと。突撃:敵陣に突進して、攻撃すること。
          【必携・国語辞典 角川学芸出版より】
                      (2019年2月号より)



        「元徴用工問題」が投げかける課題

                   石井長世(放送を語る会会員)

 
これまでも各メディアで報じられているとおり、韓国大法院(最高裁)は去る二〇一八年十月と十一月、日本の不法な植民地時代に日本企業による反人道的な強制動員や不法行為によって精神的苦痛を受けたとして元徴用工らが起こした裁判の判決で、新日鉄住金などの企業に損害賠償を命じた。
 この問題はその後も日韓関係に反発やあつれきなどさまざまな波紋を引き起こしており、今後の隣国関係に大きな障害にもなることが憂慮されている。
 これらの判決を巡っては、安倍首相が即座に「この件は、一九六五年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決しており、判決は国際法上あり得ない判断」とした声明を出し、その後も元徴用工という呼称を「朝鮮半島出身の労働者」と言い換え、判決の重さを軽視する姿勢を示している。国内メディアも多かれ少なかれ同様の反応で、あたかも韓国の非をならす大合唱の感がある。
 新聞では、「資産の差し押さえや国際司法裁判所への提訴などになれば、これまでの隣国関係が台無しに」(朝日)など、被害者個人への補償問題よりも両国関係を最優先する主旨の社説を掲げた。
 一方のテレビメディアはどうだったか?NHKは当夜の「ニュースウォッチ」は、現地取材も交えて判決や原告側の声などを多角的に紹介しながらも、同じような被害を受けた中国労働者の賠償訴訟の判決で、日本の最高裁や政府が被害者個人の請求権は消滅していないとの見解を示していることには触れずじまい。電話取材に応じた新潟県立大の教授も「長期間安定している日韓関係の枠組みが覆されかねない事態」とコメントし、スタジオのキャスターも、「日本の経済界にはこの判決がビジネスの障害になると懸念する声がある」と応じた。
 また、同夜のテレ朝「報道ステーション」も“日韓で解決済みがなぜ?”と、政府の立場に沿った字幕を出し、キャスターと前ソウル支局長の対談で、日韓請求権協定は5億ドルで決着、元徴用工の補償などは韓国政府が行うことになっていると強調した。
 さらに一部の右派系評論家からは、「未払い賃金などの民事的請求は請求権協定で日本に求められないので、“慰謝料”の概念を持ち出した屁理屈」などと悪罵を投げかけられた。メディア全体の論調を通して、日韓の請求権問題はすでに解決済みであり、個人の賠償請求については韓国政府が負うべきだという点で共通している。
 これに対して、国内の弁護士有志が「元徴用工問題の本質は人権侵害」とする反論の声明を発表。声明の主旨は「過酷な強制労働など重大な人権侵害を受けた被害者が納得できない国家間合意は真の解決にはならない」、「韓国最高裁は元徴用工個人の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象に含まれず、消滅していないと判断、日本の最高裁も被害者個人の請求権は実体的に消滅していないという解釈」などというもので、日本政府に新日鉄住金など企業の自発的な解決への取り組みを支援するよう要望している。
 この稿を執筆している最中、「私たちはもう待てない」という東京新聞(十二月六日付)の記事が目に止まった。高齢の空襲被害者たちが国による救済を求める協議会(空襲連)の記事だ。敗戦の年に東京荒川で空襲に遭い、火傷を負いながら、母親と逃げ惑った老会員の話などが胸を打った。こうした民間の被害者たちに引き換え従軍した旧軍人らには、これまでに、遺族年金など総額60兆円もの手厚い補償が行われている。何たる格差か!
 背景には国の命令で被害を受けた軍人などは国が面倒を見るが、一般の民間人の被害には目をつむるという考えが見え見えで、戦争被害者に区別をつけないヨーロッパ諸国とは根本的に異なっている。このことは日韓請求権協定の対象にならなかった元徴用工に向けられた日韓両国政府の視点に通底するのではないか?
 さらに言えば、この問題は韓国に限らず、アジアでの植民地支配や戦禍に遭った被害者に対して、戦後これまで日本政府が正式に謝罪・反省を表明してこなかったことに全てが起因するのではないかと痛感する。
 元徴用工問題に限らず、元慰安婦に関する問題など、日韓には乗り越えるべき課題が山積していることを巡って、今、両国の市民団体などに共同で問題解決に当たろうという動きが出ている。こうした共同行動が始まったことは大歓迎で、今後の展望を開く端緒になることを心から期待したい。
                        (2019年1月号より)


       テレ東さん、社訓作ってイイですか?

                   諸川麻衣(放送を語る会会員)

 
我が家で好んで見ている(最近まで見てきた)テレビ番組って何だろう、とふと思いついて十まで列挙してみた。
 
岩谷光昭の世界ネコ歩き、ローカル路線バス乗り継ぎの旅、空から日本を見てみよう、総合診療医ドクターG、相棒、孤独のグルメ、YOU
は何しに日本へ、緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦、体感!グレートネイチャー、バイプレイヤーズ…何と、七つまでテレビ東京系列の番組ではないか!なぜこれらテレ東の番組がうちの家族にとって魅力的なのか…。
 『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』は、太川陽介、蛭子能収と各回の「マドンナ」の三人が、出発点から数百キロ離れた目的地まで、ローカル路線バスのみを乗り継いで三泊四日でゴールするという、目算のない旅番組。そもそも路線バスが廃止されたところが多く、シリーズ後半は一日に十数キロ歩くのが普通になってしまった。観光もグルメもないが、三人が必死で成功を目指す真剣な姿は道徳の教材そのものだと思われた。と同時に、地方の衰退をまざまざと突き付けられもした。『空から日本を見てみよう』は、全国各地を空から撮影、地上でのロケと併せてその土地の個性を浮かび上がらせる紀行。驚異の自然、一般には無名だが実はその分野では全国シェアトップというご当地工場や、その土地を愛して暮らす人々を紹介する。伊東を訪ねた回では、ハトヤ館内の鳩を(生きているのも飾りも含め)すべて数え上げた…一〇四二四羽! 『孤独のグルメ』は、松重豊扮する主人公が食堂に一人で入り、気になった昼飯をわしわし食べるという何とも単純なドキュメンタリー風ドラマ。最初企画を持ち込まれたフジテレビが歯牙にもかけずテレ東が拾ったそうだが、今や国内外で評価が高く、今年秋には世界のテレビドラマの秀作を表彰する「ソウルドラマアワーズ」で招待作品部門賞が贈られた。カメラと照明が実にうまく、どこにでもある住宅地や商店街が魅力的に見えてくる。『YOUは何しに日本へ』は、来日した外国人に旅の目的を訊き、面白そうだと密着同行取材する体当たり番組だが、時に主人公の意外なドラマが明らかになり、人の心の普遍性や人生の不可思議に感動させられる。『緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦』は、各地の池や堀の水を抜いて中の生き物を調べ、有害な外来生物を選り分ける番組。重要な種の個体数はやはりきっちり数え上げる。いつ何が飛び出すか分からないスリルと共に、五感で環境について学べる。番組自体泥沼の中を試行錯誤中のところはあるが…コイも外来生物だとは知らなかった! 『バイプレイヤーズ』は名脇役ばかりを集めた「ドラマについてのドラマ」で、第一シリーズ放送後にキャストの一人・大杉漣さんが続編を強く希望、続編の撮影完了直前にロケ先で亡くなったことで話題になった。個性的な名優たちの芝居は何回見ても味がある。他にも、『和風総本家』は日本礼賛臭がやや鼻につくが、日本の職人の製品を愛用する海外の人の仕事へのこだわり、職人同士がお互いを認め合う姿はすがすがしい。
 これらに共通するのは、他局の真似などせず、ハプニングを恐れず、現場が作りたいものをのびのびと作り、結果的に「オンリーワン」の番組として人気を集めている点だ。そういえばテレ東はめったなことでは通常編成を中断して生中継を入れたりしない。他局が大騒ぎで特番を出している時に悠々とポケモンを放送したりしている。ところが国政選挙では毎回池上彰氏を押さえてしっかりした特番を組むのだから、社会に背を向けているわけではないのだ。社会への向き合い方、番組の作り方に「テレ東流」が貫かれているのだろう。放送ジャーナリストの小田桐誠氏は、テレ東の人気番組はロケ部分の比率が高く、フジテレビの三倍だと分析している。つまり、スタジオでごまかさずにまずしっかり現実を切り取ってきているということだろうか。
 というわけで、私が勝手に考えるテレ東の価値観を「社訓」にしてみた。他の局はこれが十分できていないということだ。テレ東さん、よかったら採用してください。
 ・予定調和をブッ飛ばせ ・よそがやらないことをやれ ・金はないから好きにやれ
 ・テレビ嫌いが観るものを作れ ・視聴者を見下すな媚びるな信頼しろ
 ・日常の中の宝を掘り出せ ・数は一の位まできちんと数えろ
 ・CGやセットに手間暇かけるな ・仕事に謙虚に自負を持て

                           (2018年12月号より)


       戦争を知らない世代が作る「熱い8月」

               
 平林光明(放送を語る会・大阪 会員)

 毎年8月になると、先の戦争や原爆を取り上げた特別番組が放送される。今年もNHKを中心に、十本近いドキュメンタリーやドラマが放送された。猛暑に加え自然災害が次々に襲い、家にいることが多かったおかげで今年は5本の作品を視聴することが出来た。
 ここではこのうち特に印象に残った2本について、私考を述べたいと思う。

 ETV特集『自由はこうして奪われた~治安維持法10万人の記録~』は、直接戦争を描かない異色作で、1925年の法施行から20年にわたる公文書400点を調査し、運用の実態を検証したものである。当初は共産党を対象に制定されたが、28年に法が改正され、死刑とともに「目的遂行罪」が導入されて、法の独り歩きが始まった。適用範囲が大幅に拡大され、教員や弁護士から始まって一般市民まで、共産党員で有る無しに関わらず、当局の思惑通りに検挙できるようになった。国内の検挙者6万8千人のうち大半が、改正後10年に集中しているのが、彼らにとって使い勝手が良かったことを、顕著に示している。
 この治安維持法が、国外の植民地にも適用されたことは、私もあまり知らなかった。中でも朝鮮半島には過酷を極めた。国外3万3千人の検挙者のうち、朝鮮人が2万6千人を占めた。また国内では無かった死刑判決が、59人にも言い渡されたことは、如何に朝鮮の独立運動を敵視し、朝鮮人の今に至る反日感情の元になっているかを思い知らされた。
 この番組で評価したいのは、治安維持法を過去の歴史として紹介するのではなく、現代にも引き継がれている流れとして描いていることである。一つは自白調書の証拠採用が、戦後警察の自白偏重の捜査の原点になっていること。もう一つはひとたび法が成立すれば、権力の都合で適用範囲を大幅に拡大していくことである。メイン解説者の荻野富士夫・小樽商科大名誉教授が「現代の法の中にも拡大解釈されるものが無いか注意が必要」と警鐘を鳴らしていたが、共謀罪審議の際の”お花見論争“に見るまでもなく、「目的遂行罪」に通じる発想が権力側にあることを、端無くも露呈した。
 私も先般ある学習会の中で「レッドパージという言葉さえ知らなかった」という発言に、慄然としたことがあったが、パージより古い治安維持法などは、小林多喜二の世界ぐらいに風化されていると思われる。去年の国会で金田法相が「当時適法に制定され、拘留は適法。謝罪・実態調査の必要もない」と言い切った答弁は、その状況を如実に表している。その中で番組は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)の請願集会に始まり、署名は延べ950万に達していることを紹介し、集会で締めくくった構成に、今なお闘いが継続されていることを紹介していた。
 番組内容・視点とも、『ETV特集』の伝統と、スタッフのレベルの高さをうかがわせる、この夏出色の作品だった。
 国賠同盟の支部の中では、この番組の視聴会や学習会をする取り組みが始まっていることも、付け加えておきたい。

 NHKスペシャル『船乗りたちの戦争~海に消えた6万人の命~』も労作だった。先の戦争で動員された、海軍兵力以外の民間の貨物船や旅客船が、7240隻も沈没し6万人を超える船乗りが亡くなったという記録がある。番組は沈没場所を克明に地図に落としていったが、最後には日本近海から南太平洋まで、真っ赤に埋め尽されてしまった。特に許せないのは、徴兵年齢にも達していない10代半ばの少年漁船員(漁師)が、軍属として木造船で軍の任務をさせられていたことである。この痛切な告発など民間船の犠牲を、丹念に記録した労作だっただけに、先の戦争の記録で終わってしまったのが残念である。現に戦後でも「朝鮮戦争」では、米軍に8千人の船員らが動員され、56人の死者を出した記録がある。先年強引に作られた安保法制(戦争法)でも、緊急時には陸海空の輸送手段は、政府の管轄下に置かれると容易に想像できる。番組が取り上げたテーマは、戦争にはいつもついて回る事態として銘記したい。

 「熱い8月」は確かに“年中行事”かもしれない。それでも戦争を知らない世代が、年に一回真剣に戦争と向き合い、その成果を同世代に伝えるーこの歴史は絶やさないでほしい。その際には「過去の戦争の一断面」で終わらせずに、現在にもつながる視点を大事にしてほしい。戦争を知る最後の世代のお願いである。
 また今年は民放キー局にこれと言った番組が無かったのも残念である。
                           
                           (2018年11月号より)


          東京MXテレビの取材を受けて

                   増田康雄(放送を語る会会員)

  私は昨年七月、新日本出版社から写真集「多摩の戦争遺跡」を出版した。この写真集は、陸軍飛行場の掩体壕、戦闘機のエンジンを製造した中島飛行機武蔵製作所跡、高射砲陣地跡、陸軍多摩火薬製造所跡、旧登戸研究所など、多摩地域に今も残る旧日本軍の軍事施設跡三十か所を撮影した写真を集めたものである。東京の多摩地域は戦前、軍都と呼ばれていた。 
 今年、出版社を通して、東京MXテレビから取材の申し込みがあった。テレビ局からの取材は初めてだった。八月十三日(月)と十四日(火)2回にわたって取材を受けた。
 東京MXテレビは沖縄の基地建設反対運動への偏見をあおった「ニュース女子」を放送し、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が昨年二月に「重大な放送倫理違反があった」、「放送してはいけない番組を放送した」と厳しく批判されていた。このことが私の頭をよぎった。
 しかし取材で会ったディレクターと話していて彼の誠実さに好感が持てた。
 八月十三日の取材は写真集に使用したモノクロ写真80枚を机に並べて、インタビューしたいとのこと。質問はいくつかされた。①「写真集の発行の動機について」。②「戦争遺跡をどういう思いで撮影したのか」」③「写真集をモノクロで発行したわけは」。④、「なぜ戦争遺跡の保存や指定の声が高まるのか」⑤「若い世代にどう伝わるのか」
 八月四日は府中市白糸台にある旧調布陸軍飛行場の掩体壕を訪れる。ここでも「どういう思いで撮影しているのか」と質問を受ける。
 放送された、八月十五日午後六時からの「TOKYO MX NEWS」を見てみる。私の取材は全国戦没者慰霊式のあと二項目に取り上げられていた。
 タイトルは「七九歳のアマチュアカメラマン 戦争の爪痕を撮り続ける」スタジオには男女二人のキャスターが登場。
 「今晩は八月十五日の東京MXテレビニュースです。終戦から七三年たった今も都内各地に戦争の爪痕が残っています。こうした戦争遺跡をめぐって写真を、七九歳のアマチュアカメラマンの思いを取材しました」
 VTRで白糸台の掩体壕前で撮影する私の姿を追いかける。
 「アーチ状のコンクリートに向けてシャッターを切る男性。稲城市に住む、増田康雄さん、七九歳です。レンズの先にあるのは掩体壕という、飛行機を空襲から守るために作られた、旧日本軍の施設で、十年前に府中市の文化財に指定されました」
 増田「これだけ住宅に囲まれた中に残っているのは歴史の時間を感じる」と。語り「増田さんは定年前まで放送局に勤務し、七十過ぎから多摩地域の撮影を続けている。撮影したのは四十三か所、六百枚」、増田「日立航空機のエンジンを作っていた所は犠牲者が百一名いました。生と死の場所、軍事遺産だなと思いました」語り「増田さんは撮影を続ける中で興味が高まり、去年、写真集を作りました。写真集の中には武蔵野に落とした米軍の不発弾や空襲で幹の半分が焼けた柿の木など、今も残る戦争の爪痕が納められています」。
 語り「増田さんが戦争遺跡を撮り始めた、きっかけは八年前さかのぼります。」増田「写真学校に通い何をテーマに写真を撮ろうかと悩んでいた時、戦争遺跡というものを知って衝撃を受けた」。
 語り「子供のころの戦争体験も影響しています」。増田「戦後、自宅近くで不発弾が見つかり、一歩間違えれば死んでいたかもしれない。戦争の恐怖が身にしみた。若い人に戦争の実体を知ってほしい」。
 キャスターのまとめは「実際に戦争の体験していないと戦争のイメージは難しい。カメラを通して伝えることはありがたい」と結ぶ。以上が放送の内容です。  
 今回、東京MXテレビ局が私の写真集「多摩の戦争遺跡」を取り上げたことに感謝している。全体で4分40秒の構成であった。
 終戦番組がたくさん放送された中で戦争を考える時間があったことはうれしく思う。私は友人、知人には事前に知らせておいた。メールでの反応は概ね私の言いたいことが放送されたとの感想であった。
 特に若い世代に、若い世代に戦争の悲惨さを知ってもらうため、「戦争遺跡」をもっと知ってほしい。
 なぜならば憲法9条にあるように、日本は戦争をしてはいけない。最近の日本の政治情勢は戦争法制、アメリカ軍との共同作戦、憲法改憲の動きに見られように少しずつ変化してきているように思えてならない。憲法9条を守るためにも、「戦争遺跡」を若い人たちに伝えてゆきたい。

                              (2018年10月号より)


       歴史ドキュメンタリーとしての憲法
       ~「放送フォーラム」・塩田純氏を招いて~

                       府川朝次(放送を語る会会員)

 7月29日に開かれた第60回「放送フォーラム」は、NHKHK文化・福祉番組部エグゼクティブ・プロデューサーの塩田純氏を招いて、「いま、憲法を語ろう」というテーマで彼が手がけた憲法関連番組についての話を聞いた。この日取り上げたのは「NHKスペシャル 憲法70年“平和国家”はこうして生まれた」(2017年4月30日放送 以下「Nスぺ」と略す)と「ETV特集 平和に生きる権利を求めて~恵庭・長沼事件と憲法」(2018年4月28日 以下「E特」と略す)の2本だった。
 塩田氏が憲法関連番組を初めて手掛けたのは2007年のこと。当時巷では「現日本国憲法はアメリカからの押し付け」という声が声高に叫ばれていた。彼はこの時、「本当にそうなのだろうか」という素朴な疑問をもったという。そして、取材を重ねる中で、GHQが短期間で作成したとされる憲法草案もその前後に様々な試行錯誤があったこと、憲法研究会の憲法草案がGHQ草案を作成した民生局の担当者に影響を及ぼしていることなどを知って、それを「NHKスペシャル 日本国憲法誕生」(2007年4月29日放送)として放送した。
 さらに、昨年4月に放送した「Nスペ」では、憲法9条の冒頭にある「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言が、GHQ草案にはなく、日本人の手によって書き加えられた文章であることを中心にした番組をつくった。この文言の挿入を提案したのは、社会党の鈴木義男代議士、憲法改正草案を審議する「帝国憲法改正案特別委員小委員会」の席上でだった。1946年、13回にわたって開かれた小委員会には与野党14人の議員が参加していたが、誰一人鈴木の提案に反対する議員はいなかったという。
 塩田氏はそうした事実を議事録を仔細に読みこむことから確定していった。この「Nスぺ」は現憲法成立の歴史を知るうえで貴重な番組である。しかし、塩田氏の探究心はそこにとどまってはいなかった。日本国憲法には「平和」が明記されている。が、それは人々の日常生活の中で権利として生かされているのだろうか、という疑問が生じたからだ。注目したのは憲法前文にある「平和のうちに生存する権利」だった。いわゆる「平和的生存権」といわれるこの権利が、司法の場でどう扱われてきたのか。「E特」で取り上げたのは、1962年の恵庭事件(北海道)、1969年長沼ナイキ訴訟(北海道)、2004年自衛隊イラク派遣差し止め訴訟(名古屋)の三つの事例で、市民が平和で穏やかな生活を送る権利について法廷でどのような論争が繰り広げられたのかを探ろうとしたものだった。恵庭事件は、自衛隊の砲撃訓練の騒音で、人間も家畜も著しく体調を崩したと訴えた農家が、抗議の意味で演習中の通信線を切断し、自衛隊法違反に問われた事件、また、長沼ナイキ訴訟は、北海道長沼町に建設されたナイキミサイル発射場をめぐって、反対した住民が国を相手に起こした行政訴訟だった。一連の事例で、塩田氏の関心は憲法前文の「平和的生存権」が抽象的理念にすぎないのか、法的な規範性をもっているのかという点にあった。
 紙面の制約で結論だけをいえば、「平和的生存権は具体的な権利である」と司法が判断を下したのは名古屋高裁の青山邦夫裁判長だった。「E特」に出演した青山氏は「権利はそれなりに発生して発展していくもの。最初から内容がすべて明らかになるというものではない。抽象的に過ぎるということで切り捨てていたら時代の動き、ニーズに応えるような形にはできない」と述べている。
 塩田氏はこの「E特」を通して、憲法も不断の努力で成熟していくということに注目した。恵庭事件で深瀬忠一弁護士が主張した「平和的生存権」は、ナイキ訴訟で札幌地裁の福島重雄裁判長によって「原告らの平和的生存権は侵害される危険がある」と判断され、名古屋高裁の青山裁判長によって確定した。青山氏の発言はそれを端的に言い表したものといえるだろう。
 塩田氏は憲法を「大所高所から捉えるのではなく、個々人の歴史から」考えようとしている。それを番組化するために彼が用いるのは、事実を積み重ねていくドキュメンタリーの手法である。「メディアの役割は今まで知られていなかった事実を掘り起こし、提示すること」と彼はいう。「放送フォーラム」参加者の間でも「事実をもって語らせる彼の憲法問題の番組には説得力がある」と高い評価を得ていた。
 「E特」には、四例目として普天間爆音訴訟が取り上げられている。現在係争中のこの裁判の原告たちは、毎朝普天間基地のゲート前に集まり静かに抗議行動をしたのち憲法の前文を読み上げることを日課にしている。番組はそれを読み上げる老人の声で終わっていく。「不断の努力の大切さ」を訴えかけているような暗示的なシーンである。

                           (2018年9月号より)
 

      ジャーナリストの「良心宣言」運動始まる
        ~「個の闘い」を「連帯」につなぐ~

                       戸崎賢二(放送を語る会会員)

 戦後ジャーナリズムの歴史の中で、過去に類例のないアクションが始まっている。昨年夏から呼びかけが開始され、今年になって具体化した「ジャーナリストの『良心宣言』運動」である。ジャーナリストが、企業内とフリーを問わず、自らの使命について決意と思いを文章にし、ネット上でリレー式に発表していく行動だ。
 ホームページ「良心宣言ジャーナリズム2018」には、すでに十数人のジャーナリストが文章を寄せており、このリレーは今後さらに拡大していくものとみられる。
 この運動を最初に呼びかけたのは、岐阜市在住の市民運動家丹原美穂氏と、それに応えた当時の北海道新聞編集委員、徃住(とこすみ)嘉文記者だった。
 本誌に徃住氏の「良心宣言」運動の報告がある。詳しくはこの文章を読んでいただきたい。
 ホームページ「良心宣言」リレーの冒頭で、徃住氏は各地でのジャーナリストの闘いに触れたあと、「私たちはあきらめない。負けない。書き続けるペンだ」と宣言し、この運動に多くのジャーナリストが参加するよう呼びかけた。
 この運動の契機となったのは、昨年6月に発表された国連特別報告者デビッド・ケイ氏の日本の言論表現の自由に関する報告だった。ケイ氏は、日本政府がメディアに対し直接・間接に圧力をかけており、日本の言論・表現の自由にとって懸念すべき状況があると指摘した。特定秘密保護法による取材制限、自民党政府によるテレビ局への圧力、教科書への政府の影響など、具体的な事実を調査しての報告であった。
 また、こうしたメディア状況にもかかわらず、日本には大手メディアの記者とフリーランスを束ねるジャーナリストの連帯組織がなく、そのため連帯や支援は限られている、とも指摘した。日本政府はケイ報告に対し激しく反発し、「日本においては広く表現の自由が最大限保証されている」と空疎な反論を行った。
 このケイ氏報告と政府反論に対し、前記の丹原美穂氏(「メディアを考える市民の会・ぎふ」共同代表)が、知り合いのメディア関係者に、政府見解をこのままにして良いのか、反論する意見表明の行動を起こすべきではないのかなど、強く訴えるメッセージを送り続けた。氏は同時に、権力を監視するジャーナリストの決意も要請した。
 当初、反応ははかばかしくなかったが、受け取った記者のひとりである徃住嘉文氏が、かつて新聞労連(日本新聞労働組合連合会)が「新聞人の良心宣言」を公表したことを想起して、個人による「良心宣言」ができないか、と思いつく。
 新聞労連「良心宣言」は、1997年に公表された文書で、「新聞人は政府や自治体などの公的機関、大資本などの権力を監視し、またその圧力から独立し、いかなる干渉も拒否する」といった精神を基本に新聞人の守るべき倫理を明確にしたものであった。
 こうしてジャーナリスト個人による「良心宣言」運動が開始された。賛同、支援する人々も増え、その後誕生した実行委員会によって、この7月1日、運動をアピールする集会が都内で開かれた。
 講師は菅官房長官会見で勇気ある追及を行った東京新聞の望月衣塑子記者、辺野古で住民の側に立って取材を続ける沖縄タイムスの阿部岳記者、集会後半では安保法制批判やヘイトスピーチ批判で知られる神奈川新聞の石橋学記者が発言した。(詳細は本誌徃住報告を参照)
 この3人の記者に共通するのは、いずれも右翼勢力から厳しいバッシングにさらされていることだ。望月記者には殺人予告まであった。攻撃の中で本来のジャーナリストの任務を果たす3人の記者が集会に顔を揃えたことは、「良心宣言」運動の切実な意義をはからずも表現した形になった。
 いまジャーナリストの「個の闘い」を支える「連帯」が緊急に必要な時代であることを強調したい。
 「良心宣言」リレーに名を連ねたジャーナリストが、いざというときに集団で立ち上がれば、それはそのまま、日本には不在と言われる連帯組織の萌芽となるだろう。
 忘れてならないのは、「連帯」には、ジャーナリスト同士だけでなく「市民との連帯」が含まれなければならないことだ。市民の支持・支援がなければジャーナリストの闘いは困難を極める。そう考えると、この運動がひとりの市民の行動から始まったことの意味は小さくない。
 ジャーナリストの個の闘いがなければ連帯もない、同時に連帯があればジャーナリストを支え、新たな闘いを生み出すことができる。こうした「個の闘い」と「連帯」の関係性の中で、「良心宣言」運動は両者を結ぶ希望の表現となっている。

                               (2018年8月号より)


           
「冤罪弁護士、どっこい、ここにあり」
            或る庶民派弁護士の活躍~


                    中田賢吾(放送を語る会会員)

 東京・有楽町の片隅の、小さな法律事務所へ、裁判資料で一杯の黒いカバンを肩に掛け、ノーネクタイ、白のワイシャツ、黒っぽい背広姿の中年男が、今日も、苦虫を噛み潰したような顔つきでテクテク通う。男の名前は、今村核56歳、独身。この人が、有罪率99・9%の刑事裁判で、14件もの無罪を勝ち取り、弁護士仲間から一目置かれているとは知る人ぞ知るだ。

弁護士仲間たちの証言
 「日本の刑事裁判で無罪が、千件に一件あるかないかの中14件というのは奇跡に近い」
 「わたしなんか、弁護士やって10年、無罪に出来たのは一件だけ」
 「彼の扱うのは、庶民の冤罪を明かす裁判が専らで、庶民派冤罪弁護士や」
 去る6月1日()深夜0時50分から放送のNHKBS1スペシャル「ブレイブ、勇気ある者”えんざい弁護士”完全版」は、こうして始まった。
 番組は、今村弁護士の刑事裁判での弁護が、科学的で緻密、裁判官の反論の余地を許さないことを示すために、彼が冤罪を勝ち取った放火事件と痴漢事件という有罪率の高い裁判を例に辿る。
 放火を警察に疑われた下町の寿司屋が、自白を強要されて、仕方なく2階に放火したとした出鱈目を、専門家立会いの家屋模型の燃焼実験で暴き、出火は1階だ、と、検察の鑑定を覆し、一審で、寿司屋の冤罪を勝ち取ったのが、その一例。

裁判支援者たちの証言
 「その寿司屋さん、孤立無援でね、東京拘置所に居るわけ。それで、私どもも関わったんです。あんな実験は始めてで、何十万円という費用をカンパで集めたんですよ」(酒井明氏・当時・日本国民救援会員)
 「そういう人々の善意の上で辛うじて成り立っているのが多くの冤罪事件で、金の無い、弱い人には闘えないのが実態。彼は機会がある毎に、カンパ集めの先頭に立つ」(同僚弁護士)
 もう一つの冤罪事件は、混んだ通勤バスの中での痴漢騒動。女子高校生の真後ろで、リュックをお腹側に抱えて立っていた中学の教師が、つり革を握った左手で、身を支え、右手で知人にメールしていた矢先に、突然振り返った彼女から、「お尻を触った」と訴えられた事件だ。
 痴漢事件では、自白するまで拘留される。認めれば、略式の罰金で納まり、釈放されるから、やっていないのに、大抵が屈服してしまう。しかし、その先生は、28日間も頑張った。
 バス車内に設置された防犯カメラの記録映像と時間経過を唯一の手がかに、それを徹底分析して、今村氏は、高校生が触られたと感じたのは、バスが、道路工事現場を迂回した際の揺れによるリュックの圧迫感だったことを証明。しかし、証拠認定では、専横的な裁判長の、理不尽な左手犯行説により、一審は敗訴となった。

法廷ジャーナリスト池澤徳明氏の証言
 「①映像鑑定に加え、②お尻の感覚は意外に鈍いという認知学的見地、③被害者のスカート繊維の加害者への付着の存否など、1審以来、専門家の鑑定も経た揺るぎ無い今村氏の主張は、正に緻密で科学的そのもの。私は、その趣旨を抜かりなく、ツイッターで伝えた。」
 その反響は、24時間で10万を突破する勢いで、大半が「これじゃ、みんなが痴漢にされちゃう」「こんな裁判許せない」と、弁護側を支持。2審は、弁護側の完全勝利に終わる。
 番組では、大会社の幹部だった今は亡き父親の、エリート意識に猛反発した高校時代や、弱い立場の人を見過ごせないヒューマニズムを培った大学時代のセツルメント活動などから、今村氏の人となりが辿られたが、50歳を過ぎて未だに独身だとか、司法試験に合格していながら、東大法学部に7年も居残ったとか、その不器用ぶりも独特で、私には、それらは、人生の真実を求め続けてきた彼の、不屈の正義感の表れと、と思えてならない。まだご健在のお母さんは言う。 「あの子は、子どもの時から、片付けが苦手で、それが今も直らないんですの。偉くも何でもないですよ、ただ、皆様のお力添えのお陰で、不器用に、生きているだけですもの」

                           (2018年7月号より)


          忘却に抗う、「福島の言葉」

                     諸川麻衣(放送を語る会会員)

 「私が住む福島市は原発事故による放射能汚染で以前とは全く違った町になってしまいました。子育て中の若いお母さんは県外に避難しなかったことを責められたり、逆に自主避難した人は『福島から逃げた』と非難されたりします。福島に住む人たちは、誰にも話せないもやもやをいっぱい抱え込んでいます」…
 テレビから流れる朗読に思わず胸をつかれ、聞き入ってしまった。三月十日放送のNHK・ETV特集『忘却に抗う~福島原発裁判・原告たちの記録~』。「生業を返せ地域を返せ!」を合言葉に国と東電の責任を問うた三八二四人の集団訴訟の原告たちを取材、原発事故被害の根深さを描いたドキュメンタリーである。訴訟は昨年十月に福島地裁の判決で国と東電の責任が認められ、総額五億円の追加賠償が命じられたが、番組は法廷での論争には深入りせず、あくまで原告たちが今どこでどう暮らし、あの事故についてどう考えているのかを丹念に伝えることに専念した。
 自慢だった地元の魚を売れなくなったスーパー、地元の食材を給食に使えなくなった保育所、父親が自殺した農家、離婚して遠く沖縄に転居した女性などの話から、「愛する故郷で、地元の産物を糧に生計を立てる」という、それまでは当たり前だった生活が事故によって狂わされた事実がまざまざと突き付けられる。そして何よりも圧倒されたのは、出演者がインタビューで語る言葉の重さと鋭さだった。
 「根も葉もない噂が広まって売れませんっていうのが風評(被害)なの。実際放射能検出されてんだよ。それ、風評じゃねえっしょ。現実だべ」「安住の地はないんですね、避難者には。今日一日ほんとに頑張ったなっていう達成感もないですし。何かただ生きてるっていう感じ」「店を放り投げて、あるいは店を風呂敷に包んでしょって逃げるわけにはいかないじゃないですか」「ここまで頑張ればっていう目安があると、人間って頑張れるんだよね。ところが、いつになるか分かんない、先が全く読めないけど頑張るしかないって言って頑張るのは本当にね、胃に来るよね」「一年経ち二年経ち…自分が失ったものの大きさというか、大切なものを自分はなくしちゃったんだなあと」「あの時すぐにでも(孫を)逃がしてあげたかった…でもそれができなかった自分のこの悔しさ、空しさ」「来年の3月で家賃支援が切れますね。これは経済的な問題だけじゃなくて、被害はなかったことにされてしまうと。切り捨てられるってことはそういうことなんですね。避難したのはあなたの大きな過ちでしたとレッテルを貼られかねない」
 どれを取っても、当事者の体験に裏打ちされた、借り物でない言葉、しかも、「終わりが見えないのに終わったことにされている」というあの原発事故の本質を見事につく言葉ではなかろうか。担当ディレクターの一人はネットに、「二千人にアンケートを送り、五〇五人から回答を得た。回収率は高いとは言えないが、回答者の多くが思いのたけを長文にしたためてくださったため、ぼくたちは改めて福島の人たちの“本音”に触れる思いがした」と書いている。二〇一四年にも原告たちを取材し、ローカル番組を作ったとのこと。何年にもわたり信頼関係を築いてきたことで、出演者たちはカメラの前で「もやもや」の中身、「思いのたけ」を的確な言葉で表現できたのではないかと推測された。政治・行政の世界を中心に言葉も文字もほとんど無価値にまで貶められている今のこの国で、このような真実の言葉を聞けるというのは、奇跡のような得難い体験だ。
 「メルトダウンした核燃料がこの福島に現存することを、世の中の人は少しずつ忘れようとしている気がしてなりません。」…この指摘に、再稼働を防げない私たちは胸を張って反駁できるだろうか? 「俺ら四十代ぐれえの人が声上げねがったら…。これからの子供たちに、私たちの親の世代は何にもできねがったのかって思われっぺって…。だから声上げてんだよ!」「仕返ししてやりたいっていう思いぐらいのところであったけど、それだけじゃ何も解決しない。我々が生きてきた甲斐がない。事故に遭った甲斐がないって言うのも変だけども。だから、ずっと被害者では終わらない。『なんかかわいそうだね』だけ言われてしまってるだけでは、そんな人生は嫌だな」…
 「忘れない」ためにどう行動するべきなのか、重い課題を突き付けられると同時に、改めて「忘れてなるものか」という気力を奮い立たされる、言葉の宝庫だった。

                            (2018年6月号より)


          はじまりは「冬のソナタ」

                    五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 この春、韓国女優チェ・ジウの結婚がニュースになった。15年前になるのだろうか、彼女がユジンとして登場したドラマ「冬のソナタ」が放送されたのは。それまでは「慰安婦」問題や歴史問題に私は強い関心を持っていたが、韓国の人々、とりわけ女性の生活に興味を抱かされたのは「冬のソナタ」だった。
 今年の3月下旬放送されたNHKドキュメント番組「草彅剛のニュースな街に住んでみた!」で、草彅の前に先乗りしていたヤナギーこと柳澤秀夫さんが「となりの国の朝鮮や韓国のこと、なんにも知らない」と口にしたが、私自身もあまりにも知らなすぎるということから、「冬のソナタ」を見続けることになった。

「約束」「記憶」
 日本語吹き替え版ではユジンの声は高く甘ったるい声、「チェ・ジウの声は低い」と聞いて、字幕版でドラマを見てみた。あの顔には不似合いなほど低く太い声だった。
 セリフの訳に、約束、記憶というスーパーが何回も出てくる。耳をこらすとすこし音は濁るものの韓国語と日本語「へぇ~、同じなんだ」。
 次に関心をもったのは「チャングムの誓い」、原題は「大長今」(デジャングム)、李氏朝鮮の実在した医女の物語だ。古文書に書かれた大長今という文字がライトアップされタイトルになっている。
 2004
年からNHKBSで、総合では2005年から、そのあとさらに2008年2月までノーカット版が放送されるなど、根強い人気の韓国時代劇だった。「冬のソナタ」とちがってこのドラマで、日本の男性も韓国のドラマを視聴するようになったと言われている。
 主人公を演じるイ・ヨンエの、画面から匂いでるような美しさ、それに女官や医女の着衣(チマとチョゴリ)の機能的かつ色の取り合わせの妙に魅せられ、調理する女官たちの見事な包丁さばきのリズミカルな響きとテンポのよい音楽にのって出来上がった宮廷料理が画面にアップされ、韓国文化の一端を認識できて、放送を待ち遠しく感じたものだった。

後世に記録として残す行為
 イ・ビョンフン監督の時代劇が続き「イ・サン」は、李氏朝鮮の22代国王・正祖(チョンジョ)の半生を描いたもの。ドラマの中で、宮廷のさまざまな行事を記録する専門部署・図画署(トファソ)の仕事を取り上げていて、韓国には記録に残すという制度があることを知った。
 それで、わかったことがあった。
 2010年前後の頃か、韓国から日本政府と皇室に「朝鮮王室儀軌」の返還要求がされた。朝鮮半島を日本が当時植民地にして統治していた1920年、儀軌を朝鮮総督府から日本に持ち帰り、戦後は宮内庁にしまい込まれ、そのままになっていたもの。その儀軌に記されていたものは、朝鮮王室の葬儀の準備内容や人員、費用など儀式に関する一連のものだという。朝鮮の人々に影響ある王室の葬儀に関して、植民地支配の参考にしようとしたらしい。
 韓国の「朝鮮王室儀軌返還委員会」のメンバーが来日し、国会議員らと懇談したという記事を目にした。2011年、日韓図書協定が結ばれ、韓国に返還されたことに、ほっとしたことを覚えている。その儀軌は世界記録遺産になっていた。韓国には世界記録遺産が数々あるという。
 記録する韓国民族の強さを知らされた番組があった。NHK番組「ファミリーヒストリー」だ。201212月在日コリアン3世の、女優・南果歩がゲストであった。
 韓国に取材班が飛び、父方の南(ナム)一族は1300年の歴史のある両班で、戦前日本に渡った祖父南雲洛の名前が24世として記されている、南氏の家系図・族譜(チョッポ)を親族が集まっている中でカメラが撮影した。スタジオの南果歩本人も感動していたが、見ていた私も驚いた。おまけに初代ナムミンという人は中国人とまでわかったのだ。

2018年のテレビ、これから
 いろいろなことが、居ながらにしてテレビを通して知ることができる。便利なボックスである。
 しかし今何か、大事なことがスルーされているのではないか? 国民を代表する国会に事実を示さず、やがて歴史となる公文書を改ざんしたり隠したり、ウソの数字を3年間も使いまわしたり、何でこんなことが次から次へと起こるのか? 問題の背景に何があるのか、テレビは調査し国民に知らせるべきではないのか。ブラックボックスでないテレビを見たい!

                             (2018年5月号より)


        オリンピック(押し出し)政治報道
                   
                      小滝一志(放送を語る会事務局長)

 29日から25日まで開催された平昌オリンピック。この間のテレビ報道に、私の周辺の視聴者の多くから、「一日中オリンピックをやってる」と批判が相次いだ。
 事実はどうか?視聴者の声を数値的に検証してみた。
 個人作業なので、代表的なニュース番組「ニュースウオッチ9(NW9)」「報道ステーション」「NEWS23」に絞って、オリンピック期間の17日を録画でチェックした。3番組とも土・日は放送がないので集は計11日になった。
 先ず、放送時間の比較。手作業なので秒単位の誤差はお許しいただくとして、20分以上オリンピック競技報道に当てている日が3番組とも7日以上あった。
 「オリンピック競技関連報道」VS「政治報道」(外交を含む)を比較するとほぼ31。番組別にみると「NW9」=31、「報ステ」2.71、「N23」=2.91。その上、「NW9」は、開会式の日はLIVE中継のため放送休止、12日は30分、19日は20分やはりオリンピック中継のために放送時間を短縮している。「報ステ」も16日は放送を休止している。実質的にはオリンピック報道の比重はこの数字以上といえる。「オリンピック一辺倒」という視聴者の批判が裏付けられたと思われる。
 では政治報道は隅に追いやられなかったか?「森友問題」と「裁量労働制」に絞ってチェックした。

「森友問題」
 開会式の29日、「森友問題」を取り上げたのは「報ステ」のみで「まだまだあった“森友文書”」の表題で、財務省がこの日追加公表した20件の文書、野党の衆院予算委員会の追及、佐川前理財局長証人喚問要求などを伝えた(333秒)。
 13日、「報ステ」は衆院予算委での野党議員の厳しい追及を佐川答弁の資料映像、財務省公表資料の要点とともに紹介、後藤コメンテーターが「佐川答弁の前提崩れた。資料を全部出し、佐川喚問が必要」とコメント(55秒)。「N23」も、予算委で麻生財務相、太田理財局長を追及する野党議員の質問を取り上げた(216秒)。しかし「NW9」はスルーしてオリンピックを3833秒たっぷり。
 16日、「N23」だけが全国各地の佐川国税庁長官抗議デモを伝えた(610秒)。佐川長官に面会を求める野党議員のうごきを交えて、国税庁・大阪・札幌・今治のデモ風景と参加者の抗議の声など。この日「報ステ」はLIVE中継で放送休止、「NW9」はオリンピックを3753秒流したが「森友」は報道せず。

「裁量労働制」
 14日、「報ステ」「N23 」ともに、「不自然なデータ」をめぐる安倍首相の「答弁撤回とお詫び」を伝えた。野党議員だけでなく自民からも出た疑問、データの不自然な点を詳しく解説。「報ステ」は安倍首相の「お詫び」映像を3回も。両番組のコメンテーターが、「こんな杜撰なデータは異例」「もう一度きちんとした実態調査が基本」と厳しく批判、法案の出し直しを求めた(「報ステ」421秒、「N23356秒)。特筆すべきは、首相の「撤回とお詫び」を「NW9」は沈黙して伝えず一方オリンピックは4823秒。 
 15日、「NW9」「N23」はスルーしたが、「報ステ」だけは、「揺らぐデータ」のタイトルで838秒。調査方法を厳しく追及した野党質問、「データは比較では使えない」との元厚労省幹部証言。後藤コメンテーターは「産業界の残業代抑制のための提案」「過労死の温床」など厳しい指摘。
 19日は、放送時間を20分短縮した「NW9」は1分で「首相答弁撤回巡り加藤大臣陳謝」。これに対し「報ステ」は744秒、「N23」が853秒でいずれも詳報。
 21日、「NW9」がわずか50秒で「施行1年遅らせる」と分29秒)、「N23」「『働き方改革』提出・延期の意味」(456秒)。
 23日も「NW9」がスルーしたのに対し「報ステ」は「厚労省地下から32箱」(423秒)、「N23」が「過労死遺族が厚労相に直訴」(524秒)。

NHK、オリンピックを口実に政治報道避けた?
 「森友問題」と「裁量労働制」をめぐる報道に限ったが、「報ステ」「N23」が長時間のオリンピック報道に押されながらも限られた時間の中でそれなりに力を入れて伝えていたのに対し、「NW9」はオリンピック報道を口実に、政権の嫌がる問題を避けたと勘繰られても仕方のないほど報道量の少なさが際立った。NHKの場合、ニュース以外の時間帯でもオリンピック報道があふれかえっていたわけで、せめてニュースの時間帯では、オリンピック関係は必要最小限に抑えて、今、視聴者の生活や利害に直結し、関心の高い問題にもっと時間を割くべきではなかったか。これからの報道では、そうした編成上の住み分けの工夫を期待したい。
(追記)この連載も今回で100回を迎えました。読み続けてくれた読者のみなさん、スペースを与えてくださった編集部に感謝します。

                      
                        
(2018年4月号より)


       「番組制作者と語る」ことの意味

         ~「沖縄と核」放送フォーラムに思うこと~ 
                         
                      戸崎賢二(放送を語る会会員)

 受付に長蛇の列ができ、用意した資料はもちろん受付名簿用紙さえ足りなくなった。2階席もある比較的大きな会場もほぼ満席状態となった。1月21日に放送を語る会が都内で開催した第59回放送フォーラムでの出来事である。
 集会タイトルは「暴かれた真実・NHKスペシャル『沖縄と核』を語る」で、この番組を担当したディレクター、今理織(こん・みちおり)氏(現NHK文化・福祉番組部)を講師に招いたフォ―ラムである。今氏は沖縄局勤務中にこの番組を制作した。
 放送を語る会は、定例のフォーラムの中で、現場のプロデューサー、ディレクターを講師とする「番組制作者と語る」という集会をシリーズで開催してきた。「沖縄と核」フォーラムはその13回目に当る。
 17年9月10日に放送されたNHKスペシャル「沖縄と核」は、復帰前の沖縄に1300発もの核兵器が配備され、住民を立ち退かせた伊江島で爆撃訓練が行われていたことを明らかにした。那覇の隣接した基地で、核弾頭を搭載していたミサイルが誤って発射された事故、キューバ危機の時期には、中国、ロシアに向けて発射準備があった、など戦慄すべき事実が、生存する元米軍兵士の証言と機密資料で明らかにされている。
 番組は過去の歴史発掘にとどまっていない。沖縄返還時、日米両政府は「緊急時には再び核兵器を持ち込む」という核密約を結んでいた。そのためにかつて核兵器が貯蔵されていた嘉手納弾薬庫地区が当時と同じ規模で維持されている、と番組は指摘して終わっている。沖縄と核は現在の問題である、という提起なのである。
 

制作者の思いと市民
 
「番組制作者と語る」ことに価値があるのは、番組をどのような思いときっかけを得て企画し、番組を作ったのか、担当者の心情と制作の経過に関わる話が聞けるからである。
 今氏は沖縄局勤務中、どうして沖縄に基地が集中することになったのか、歴史的経緯を調べ始め、復帰前に核が配備されていたことと海兵隊との関係に気付く。決定的だったのは2015年に米国防省が沖縄に核兵器を配備していたことを公式に認めた文書が出たことだった。今氏はこれで番組ができると思ったという。また、北朝鮮の動きを沖縄の住民が深刻に受け止めていると述べ、本当に大事な問題は地方にある、と語っている。
 今回のフォ―ラムで印象的だったのは、会場の市民と番組担当者との間に、なにか連帯感のような空気が流れていたことだ。参加者からは、こんな番組を作って大丈夫か、NHK内外からの圧力はなかったのか、といった質問が続いた。
 今氏は、そのような圧力はなかった、NHKスペシャルを管轄する本部のセクションは沖縄局の企画だということできちんと向き合い、企画意図を丁寧に聞いてくれたと答えた。
 この番組は当初8月の放送予定が9月に延期された。何か圧力によるものではないか、という推測が飛び交ったが、延び延びになっていた東日本大震災関連の放送に譲ったので、政治的背景はない、と今氏は答えている。我々視聴者はともすれば番組への圧力や規制というストーリーを想定しがちであるが、かならずしもそうではない番組制作の場もあることが分かる。
 集会のアンケートの回答は50通近くに達したが、ほとんどがこのような番組を作った担当者への感謝と期待が書かれている。市民が番組を支持し、公開の場で制作者を激励するというイベントは、「沖縄と核」と同じような重要な番組で、圧力をかけ、規制しようとするNHK内外の勢力があればそれを牽制する意味を持つのではないだろうか。
 放送を語る会は、今氏を招くにあたって、NHK宛に正式の講師派遣依頼文書を提出している。したがって、番組の関係者はこのようなフォ―ラムを認識しているはずである。
 当会がこれまで「制作者と語る」シリーズで取り上げた番組は、「NHKスペシャル」のほか「ETV特集」、「こころの時代」「ラジオ深夜便」「報道特集」(TBS)「バリバラ」など多岐にわたる。
 これは当会だけが可能な集会だとは言えない。市民が優れた番組と評価し、担当者を招く集会を開催したい場合、NHKへ交渉し、可能性があれば講師派遣要請へ進む、そのような試みをもっとしてみてはどうだろうか。
 すべて実現するかどうかはわからない。しかし、NHKが「みなさまのNHK」を標榜するのであれば可能な限りこうした市民の要請に応じるべきであろう。
                   

                      
(2018年3月号より)


       「NHK受信料」最高裁判決に思うこと
           ~放送制度改革提案の加速を~

                     
                         戸崎賢二(放送を語る会会員)

 昨年12月6日、NHKが受信契約を結ばない男性に支払いを求めた裁判で、最高裁大法廷は、受信契約を強制する放送法は憲法に違反しない、という判断を示した。
 判決内容については、本誌前号で門奈直樹氏の解説があり、詳しくは立ち入らないが、ともかくも現行の受信料制度が事実上追認されてしまった。しばらくはこの制度のもとでNHKに経営努力を求めるしかない。以下、視聴者としていくつか要求をあげておきたい。
 第一は、政府から独立というNHKの精神を報道内容に貫くことである。筆者も繰り返し指摘し、放送を語る会のモニター活動でも明らかにしてきた政権広報のような政治報道はNHKの目下最大の問題である。この状況のままで受信料契約を強制されるのは視聴者にとっては踏んだり蹴ったりである。このことを経営者は知って改善をはかるべきだ。
 第二は、強権的な受信料の契約強制、支払い強制の行為はやめるべきである。筆者がある集会で聞いた例では、受信料支払いを停止している市民のマンションに来た訪問員が、ドアに靴を差し込んで閉まらないようにし、近所に聞こえるような大声で「受信料払え」と繰り返し怒鳴った、という。営業活動の外部法人委託が拡大する中で、この種の暴力的な行為が起きている。論外というべき事態である。
 第三に、現行法制度のもとで可能な視聴者の経営への参加と対話の拡大が最大限考えられなければならない。
 まず何よりも会長の公募、推薦制を導入することである。最終的に経営委員会が任命する形をとれば現行法には抵触しない。また、放送番組の適正を図るために必要な事項を審議する中央・地方の番組審議会が設けられている。放送法上重要な役割を与えられているこの審議会に、NHKが選任する委員だけでなく、公募ワクを設けて抽選で視聴者が参加できるようにしてはどうか。
 番組でも、視聴者とニュース・番組担当者が対話するスタジオ番組を新設してはどうだろうか。話題の番組やニュースをとりあげ、視聴者は批判や要求をぶつけ、担当者は放送の意図を説明する、という長時間、定時の(月一回とかの)番組である。思えば視聴者の受信料で成り立つ「公共放送」で、この種の番組がないのはそもそもおかしい。
 視聴者の番組企画を受け付ける窓口もあってよい。昨年11月号の「放送を語る会談話室」で、大場晴男氏が、憲法を扱う定時番組を提案されていた。現在はこうした視聴者の企画を受け入れ、実現する専門の窓口や担当セクションはないのである。
 また、各地で市民メディアの活動が活発で、地域のCATVを舞台に、市民ディレクターの制作する映像作品も日々制作されている。こうした作品を全国に放送するワクを作ることも考えてよいであろう。受信料の一部を市民メディアの活動の助成に使うことも考えるべきである。
 要は「NHKはわれわれの放送局だ」、という意識が生まれるような実質的な努力が必要だということである。現在はこうした努力があまりにも欠けている。
 しかし、どのような方策を講じても、受信料を支払う視聴者に何の権利もない、という現行法制度の欠陥は残る。政府が放送行政を担うという制度も先進資本主義国の中では例外的で後進的だ。何より放送行政を政府から切り離して、独立の規制委員会に放送行政を移行するという大改革がどうしても必要である。
 最高裁判決に関する各種の論評を見て欠けていると思うのは、いま日本でNHKのような放送機関が将来にわたって必要かどうか、という根本からの議論である。非営利で市場原理から比較的自由であり、政治権力からの独立を建て前とする公共放送機関は、民主主義の歴史が生み出したものであり、イギリス、ドイツ、フランスなど先進資本主義国がこのような放送機関をもっているのは意味のあることである。この点の議論をもっと深める必要がある。その上で独立規制委員会を軸とする放送制度改革の提案を行い、妥当な受信料制度も構想しなければならない。
 政府から独立した機関による放送制度、というアイディアは、40年も前から放送運動の中に持ち込まれていた。私がこの主張を目にしたのは30代の頃だった。長く「絵に描いたモチ」であった理由の一つは、このような第三者機関の組織構成、メンバーの選任システム、活動内容などについて、具体的なイメージが明確にされてこなかったからだと思う。
 最高裁判決は放送制度への社会的関心をあらためて喚起した。視聴者運動は、メディア研究者の協力を得ながら制度改革の提案作成の作業を加速すべきときだと思う。

                           20182月号より)

      
          忘れてはいけないフクシマ
                   
                     小滝一志(放送を語る会事務局長)

 最近、報道量が減っている福島原発事故報道だが、二つの番組を見る機会があった。一つは、NTV108日深夜放送された「放射能とトモダチ作戦」(55分)。もう一つは,NHKBS1で112622:00から放送された「原発事故7年目甲状腺検査のいま」(前後編1時間50分)

「放射能とトモダチ作戦」
 米原子力空母が福島沖で被爆した事、乗組員が日本政府や東電を相手取って裁判を起こしていることは報道で知っていたが、番組を見て初めてその生々しい詳細を知りショックだった。
 番組は冒頭「9人も死んでしまった・・トモダチ作戦で頑張ってくれた若き米400人超が裁判を起こしていることを・・あなたは知っていますか?」と問いかけた。兵士たちの要求は「5世代先までカバーする医療基金の設立」
 続いて、空母ロナルド・レーガンの航跡と放射能の動きをしめす「スピーディ」のデータを重ねて、被爆実態を明らかにしていく。「フライトデッキにいた。突然熱い空気の塊が。直ぐに口の中に血のような味。アルミホイールを噛んだような味がした」と兵士たちが口々に証言。「金属の味」は、広島に原爆を落としたクルー、スリーマイル島事故時の住民、福島飯館村でも複数の同様の証言があったことを提示、強度の被爆の事実を裏付けていく。
 国防総省報告書は「被爆は小さく健康に悪影響を及ぼすものではない」としているが、訴訟に起ちあがった兵士たちのリアルな証言がそれを覆してゆく。下痢・腹痛・肛門からの出血・腸にポリープ・脱毛・白血球の異常増・子宮摘出等々。中でも去年3月両足切断手術したスティーブ・シモンズ元海軍大尉夫妻の証言が衝撃的だ。「放射線誘発の神経障害、筋肉の疾患で医師は敗血症を恐れて手術に踏み切った。最初の症状はプルーム入りして8ヶ月後。私が被爆問題を持ちだすと軍の医師全員が否定した。2014年医療退役になった」妻「その時余命宣告され、葬式の準備をするように言われた」
 402人の原告中、すでに9人が亡くなったという。
 番組は「福島ではきちんと保証が受けられない人がたくさんいると聞く。ひどすぎる。私たちの裁判が福島の人たちを守る傘になることを願っている」と語る原告兵士のメッセージで終わる。制作者の意図は、空母の被爆実態だけでなく、この裁判が被爆した福島の人々に対して持つ意味をも知らせたかったのだと気付いた。

「原発事故7年目 甲状腺検査はいま」
 福島県が事故後18歳以下の子供38万人を対象に始め、7年目を迎えた甲状腺検査でこれまでに194人が「がん」「がんの疑い」と診断された事、手術した親の不安の心情が丁寧に紹介される。その上で福島県「県民健康調査」検討委員会が中間報告で194人について「放射線の影響とは考えにくい」としたことについて検証を進めるのが前編のテーマだ。「科学的根拠に基づいた説明」を求める親が顔出しせずに応じていることに、現地の複雑な事情が読み取れる。
 検証は、県の甲状腺検査の結果、チェルノブイリ原発事故の様々なデータや実態などを適宜はさみながら重ねる専門家の証言。福島とチェルノブイリの発症年齢・時期・被爆量などの違いを挙げて「放射線被爆による多発とは考えにくい」とする長崎大学教授。がん検診の拡充で見つかりすぎ「潜在がん」までカウントして「意味のない検査、意味のない手術に気付いた」という香川県高松市の医師。
 一見、検討委員会の報告を裏付けるのかと思わせたところで展開は一転。事故直後から甲状腺の内部被爆の現地調査に入った弘前大学教授の証言「患者さんの被爆量が判らない。『被爆の影響少ない』と断言しない方がいい」教授は「62人調査したところで福島県から『住民の不安につながるので調査は止めて』と要請され中止せざるをえなかった。ヨウ素131の半減期は8日、事故直後でないと測定できなかった」と残念がる。
 さらに一次検査で「異常はみられません」だったのに二次検査で「がん」と診断され手術した福島の子供の急速に進んだ症例。それを「チェノブイリの報告に似ている」と注目する昭和大教授。
 検討委員会の中間報告をできるだけ丁寧に科学的に検証しようとする番組の制作姿勢がよく伝わってくる。
 後編は、194人の患者が見つかったのは「過剰診断」のためとする県小児科医会の調査見直しを求める要望書を出発点に「県の甲状腺検査の継続の是非」を検証してゆく。証言の最後は、福島県「検討委員会」座長の「原発事故の罪深さを感じる。ケリをつけてパツンとはなかなかできない」という婉曲的な調査継続宣言、支援団体代表の証言「放射線の影響だろうと過剰診断だろうと患者は原発事故の犠牲者。ずっとフォロー、ケアが必要」が並ぶ。
 性急な断定は避けながらも県民の心に添った姿勢を貫こうとする制作者の心情が伝わってきた力作だった。
                           (2018年1月号より)


      NHK記者の過労死 現場で何が
                    玉山基隆(元全国紙記者)

 2013年7月、NHKの記者だった佐戸未和さんは亡くなった。31歳という若さだった。NHKはことし10月、佐戸記者が死亡したのは、都議選や参院選の取材に追われ、1か月に150時間を超える時間外労働を強いられたことによる過労が原因で、死の翌年の2014年5月には労災認定も出ていたことを明らかにした。なぜ佐戸記者は亡くなったのか。NHKの職場環境などについて、複数の職員に聞いた。
 NHKには職員向けのホームページがあり、訃報はそこに掲載される。佐戸記者の場合も例外ではない。所属していた首都圏放送センターをはじめ、報道の現場には衝撃が走った。しかし、なぜ亡くなったかまでは知らされなかった。不審を抱く職員もいたが、「あれは(うっ血性心不全という)病気だった」の一言で済まされたという。彼女の死の理由と、労災認定を受けていた事実は、NHKが公表するまで多くの職員は知らなかった。真相が明らかになったあと、「あの選挙のときなら死んでも不思議ではない」との声が聞かれたという。
 選挙取材の実態について職員に聞いた。NHKは報道の生命線を「選挙」と「災害」と位置づけている。選挙報道の最大の見せ場は「当確」を打つときで、記者は「その瞬間」に向け取材を進める。内容は、選挙区の情勢把握や票読み、期日前を含む出口調査、選挙戦リポートの制作など多岐にわたる。記者にかかる負担はかなりのもので、1か月の残業時間は、佐戸記者と同様、150時間を超えることもあるそうだ。
 それでも業務に対する不満が出ないのは、選挙と災害、それに事件報道は、NHKの記者にとって最も重要なことだと新人時代から叩き込まれているからだという。選挙期間中、労使双方から勤務実態について疑問視する声が上がらなかったのは、このような職場の雰囲気による部分が大きいようだ。
 記者現場の過酷な実態は佐戸記者のケースに限らない。北関東のある放送局では3年前、半年の間に記者とデスク合わせて4人が、退職や休職、一時失踪(のちに退職)する異常な事態が起きた。しかし、NHKに根本的な解決を図ろうという姿勢は見られなかった、と当時を知る職員は話す。
 現在、NHKは長時間労働を抑制し、ワークライフバランスや多様な働き方を実現することで持続可能な業務体制を構築しようという「働き方改革(今年度からは「働き方チャレンジ」)」を進めている。NHKは佐戸記者の死をきっかけに取り組みを始めたとしている。しかし、この説明は誤りではないかという疑問がわく。
 というのも、「働き方改革」が始まったのは、佐戸記者が亡くなる1年前の2012年だったからだ。労災認定が出たあと、報道局内には、数値目標などを掲げて健康確保を目指す「働き方プロジェクト」が新たに設置された。広報文は、記者の過労死を受けて取り組みが始まったように紹介している。しかも、局内向けの資料では、「働き方プロジェクト」設置の背景に、記者の過労死と労災認定があったことにはほぼ触れていない。「働き方改革」の開始早々、職員を過労死で失った事実を認めず、経緯をすり替えるように広報文を編集したことこそ、NHKの体質を表しているのではないだろうか。
 職員でつくる日本放送労働組合(日放労)の動きも見てみたい。日放労は経営側の公表後、「組合員のみなさまへ」というタイトルの文書を出し、「この4年間、中央委員会などで佐戸さんのことを共有し議論してきました」としている。だが、ある末端の組合員は「働き方の見直しが、職場集会の議題や経営側への要求項目になったのは知っている。でも、何が具体的なきっかけになったのかは知らなかった」と話す。これらの動きを通して見えてくるのは、労使双方が職員に対して、事実や対策の周知努力を怠っていた実態だ。
 NHKは、記者の過労死を公表してこなかった理由を、遺族側から局内に広く伝えて再発防止に努めてほしいという要望はあったものの、対外的には公表しないでほしいと言われたからだとする。日放労も職場集会などでは具体的な名前を伏せていたという。真相は明らかではないが、会見などでNHKに対する不信感をあらわにする両親を見ると、遺族への対応に誤りがあったと思わざるをえない。
 現在進む「働き方チャレンジ」でNHKの労働環境がよい方向に進むのを期待したいが、職場からは「業務の見直しを十分進めないまま、『残業せずに帰れ』『休日には働くな』と言われても無理がある。下手をすると“隠れサービス残業”をすることで労働環境が悪化しかねない」という懸念の声も上がっているという。現場の実態に目を背けることなく、掛け声だけに終わらない働き方の改革を行うことが望まれる

                    
(2017年12月号より)

          
       日本国憲法って、読んだことある?
        ~テレビ番組で「憲法カフェ」を~
                        
                        大場晴男(放送を語る会会員)

 「憲法って読んだことある?」なんて専門家でもない私ごとき年寄りがなんともおこがましいのですが、近ごろ気になって仕方がないのです。今 私たち日本国民の最大の関心事は「日本国憲法」であるのにも関わらず、多くの人はそれに気付いていない。僭越ですが、私は警鐘を鳴らさずにはいられず、あえてテレビへの提言をするものです。
 安倍総理は、改憲に向けて次々に自分に都合のいい憲法解釈を繰り広げ、憲法施行七十年の今年は真っ向から本丸の九条に手を突っ込み改憲発議を公言しています。その上「国民的議論を望む」という心にもない発言までしてみせました。国民・有権者の多くは無知無関心だと見くびっているのでしょう。よし「それなら堂々と議論しようじゃないか」と云いたいところですが、残念ながら憲法の中身を知らなければ話になりません。という私も、実は第一次安倍政権のころになって読んだつもりだったことに気づき、読んだり聞いたりし始めたものです。市民運動家は勉強の為の集会を各地で行い、今も続いています。でも世間さまに振り向いてもらうことのなんと難しいことか・・・。
 憲法については、NHKが時折その生い立ちや秘話など数々のドキュメンタリーを放送してきました。憲法の中身を読み解くという単発の番組もありましたが、どれだけの人が視聴したかは定かではありません。改憲への動きが急浮上するにつけ、私は、NHKテレビで憲法をわかり易く解説するシリーズ番組を企画してくれないかと思い続けてきたのです。
 そんな時出会ったのが、知り合いのママさんグループによる憲法カフェでした。五人ほどの集まりでお茶を飲みながらのお話し会です。この日は新加入の大学生がいたので紙芝居を見ながらの入門篇でした。「王様をしばる法~憲法のはじまり」という「若手弁護士の会作」十一枚の一席でした。「憲法は権力者に守らせるもの」つまり「立憲主義」というものがほんの五~六分で新人も合点がいったようでした。そこから話し合いが広がるという次第です。リーダーの人柄もあり、楽しい中にも身の引きしまる時間をもらいました。心を動かされました。実は私、これを機に憲法を広める番組を本気で提案したいと思うに至ったのです。以来あれこれと思いついたことを整理して、番組のイメージを思い描いてきました。まだまだ不充分で自信など皆無です。恥ずかしいのですが、この辺りでみなさまの前にぶっちゃけてみることにしました。ご笑覧いただけましたら、ありがたいと存じます。
 ◎ 日本国憲法の中身を解説すると云っても、一〇三条あるものをどのように取り扱うかが、まず問題です。全てを順番に取り上げるのがベストでしょうが、待ったなしの現状なので、あえて全条文に拘らず、軸になる条文を重点に 出来るだけ多くの条文を選び出すくらいでもいいのではないか。いずれにしても、憲法は九条だけじゃなく私たちの生活に深く溶け込んでいるものなので、「それぞれの条文に関わる事例やエピソードなどを交えながら説いていく」というのがベターかと、私は思いますが?勿論、弁護士さんの助言が必要不可欠です。
 ◎ 十代から大人まで、考え方や立場の違う誰にでも見てもらえるよう、とにかく「わかり易くて面白い教養番組」を念頭に企画を練っていく。戦後のNHKラジオやテレビは数々のクイズや面白い教養番組を作ってきました。当時の番組も参考にしながら、テレビならではの表現方法をフルに生かした番組、面白い教養番組で誰もが気軽に参加できる憲法カフェを実現出来ないか?
 ◎「継続は力」です。そのための放送時間、回数、期間。
  例A ●各三十分・週一回 
   B ●各十五分・週五回(月~金)
   他にも案はあるでしょうが、(私はBかな?)
  *  生い立ち・秘話・各国の例など特別企画も随時。
  * 来年四月開始で、期間は適宜に検討を。
 ○拙いもので、提案が簡単に通るとは思いませんが、もし通ったとしても大仕事になるでしょう。局内外の知恵者によるプロジェクトが必要です。これを機によりよいものに繋がればいい。私の提言はそのたたき台の一つです。待ったなし憲法の岐路に、憲法を如何にして国民みんなに共有してもらえるか、テレビカフェが実現することを心から願うものです。 ご覧くださって、ありがとうございます。
                         (2017年11月号より)

 
        「列島誕生」はしたものの…
                    
                        諸川麻衣(放送を語る会会員)


 「地質学は吾人の棲息する地球の沿革を追究し、現今に於ける地殻の構造を解説し…即ち我が家の歴史を教へ其成立及進化を知らしむるものなるを以て、苟くも智能を具へたるものに興味を与ふること多大なるは辯を俟たずして明なり」…これはかの宮沢賢治の文章である。賢治の時代から一世紀近く、その間プレート・テクトニクス理論が突破口となって地形・地質の成因や日本列島の形成史についての理解は大きく進んできた。にもかかわらず、この魅力的なテーマをテレビはなぜかほとんど取り上げてこなかった。そのことが平素から不満だったのだが、長年の渇きを癒すような番組が遂にこの七月、NHKスペシャルで放送された!『列島誕生 ジオ・ジャパン』…日本列島が今のような高山や数々の絶景、多様な自然環境に恵まれるようになった背景には地学上の四つの大事件があったとして、日本海誕生、伊豆・小笠原弧の衝突、西日本での激しい火山活動、東日本を中心とした急速な隆起という「事件」を、現場の映像とCGで一般向けに描いた二週連続の番組である。実は二〇一五年正月に『日本列島誕生~大絶景に超低空で肉薄!~』という番組が放送され、列島の「主素材」である付加体堆積物についてもきちんと紹介されたので、「いずれ続編=各論編が放送されるのでは?」と秘かに期待して待っていたのだった!

 
上記の四事件は誰が見ても、日本列島史上の重大イベントであることに異論あるまい。二回の番組を見た人は、日本列島の数奇な半生に驚きの目を瞠っただろう。次の日から眼前の風景が今までと違って見えるようになったとしたら、この番組は啓蒙的な役割をしっかり果たしたということになる。
 
しかし、NHKがやっとこのテーマを番組化してうれしい反面、番組内容にはいささか気になるところもあった。それは、うんざりするほど繰り返された日本賛美の言葉である。「最新研究は日本列島が地球史上まれな大事件が四つも重なって誕生した事を明らかにしました」「紀伊半島で起こった地球最大規模の噴火」全国各地の絶景も和食が奥深~い味なのも全て、この日本列島が世界の中でも特別な奇跡の島だから」…視聴者の興味を惹こうとの意図は分かるが、ちょっと行き過ぎではあるまいか?日本列島に地学上さまざまな独自の特徴があることは事実だが、他の地域にも他の独自性はある。日本が山国とはいっても、標高では台湾に及ばず、大規模な山岳氷河もない。地球最大規模の噴火は日本列島では起きていない。ホットスポット型巨大火山も大陸地殻同士の衝突もない。一方、大陸の断裂、超巨大噴火、圧縮による隆起は他にももっと凄い例が幾つもあり、極めて珍しいわけではなく、まして奇跡なわけでもない。そもそも、自然の営みに驚異はあっても奇跡などない!
 特に、科学的解説までがこの自画自賛によって歪められていた点は看過できない。一四〇〇万年前頃の西日本での火山活動を「地球史上最大規模の火山噴火」と述べたのはその最たるものだ。紀伊半島や石鎚山での噴火は、確かに今起きれば日本列島の文明を滅ぼしかねないものだが、地球上ではかつて、中央シベリア高原、デカン高原、太平洋のオントンジャワ海台など、日本列島の全体積をしのぐほどのマグマを噴出し、生物の大量絶滅を引き起こした噴火があった。西日本の噴火などその数百~数千分の一の規模だろう。また番組は「大陸の縁が引きちぎられるのは地球史上でもまれな現象」と述べたが、大陸縁での断裂はまさにアフリカ東部の大地溝帯で今起きており、それによって紅海やアデン湾もできている。なぜ「日本唯一」に固執してこんな常識的事実を無視したのか、いささか悲しい。また、西日本での隆起の原因として比較的暖かく浮力に富んだフィリピン海プレート自体に言及しなかった点、三百万年前からの隆起に関してインドとユーラシアの衝突に伴う東向きの圧力という見方に触れなかった点など、通説をあまりに無視していたのも気になった。
 そして、派手すぎて嘘っぽいCG。大陸の断裂を映像化したいならアフリカ大地溝帯を、伊豆・小笠原弧の衝突なら、今の丹沢で起きていることを映像化すればよかったのに、「地球史上まれ」「奇跡」という謳い文句に囚われ、現実に学ぼうとしなかったのか?対照的に、最後に紹介された、砂山に雨を降らせて侵食させる実験の映像は感動的だった。隆起が今の列島の地形を維持していることを、そしていつかはなだらかになってゆく宿命を実写でまざまざと示したからだ。 願わくば、科学を変な愛国主義に奉仕させず、もっと冷静で知性に訴えるシリーズ番組を衛星放送で企画してほしい。事件ならあと十個以上は揃っているのだから。
                         (2017年10月号より)


       テレビ国会中継での 気・づ・き

                
      
                      五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 「生まれた赤ちゃんの映像でね、一人ひとりの命が大事にされる社会になってほしいと思った」――「映像で語る―わたしたちの日本国憲法」(監修/杉原泰雄、全30巻、憲法施行50年企画・制作・サントリー株式会社/イメージユニオン/2004年DVD発売)を見た参加者の感想だ。憲法を基礎から学ぼうとつがる女性9条の会が3月から毎月1回開いているDVDでの学習会。この日のテーマは、「基本的人権」。相模原・やまゆり園障害者殺傷事件から一年の報道に接していた参加者それぞれに、多言を要せず気づかせてくれたのが、赤ちゃんの映像だった。「最近のテレビってつまらない番組ばっかり、でも国会中継がおもしろいってみんな言ってる」というおしゃべりのおまけがついて帰宅したら、まさに国会中継中。加計学園問題、自衛隊PKO「日誌」問題に関する閉会中審査だ。見た。

国会中継のテレビは何を伝えたか
 「記憶にございません」―40年前ロッキード事件証人喚問で使い古された「記憶」という言葉がよみがえるとは…。野党の追及をかわそうと「記憶にないということは、言っていない」と強弁する参考人。冷静さをよそおっても発言の時に目が泳いだり、しどろもどろでやたらと言葉をついやし、「丁寧に説明」する約束だった安倍首相も丁寧だったのは低姿勢な口調だけ、というのが理屈抜きでわかった。
 夜のニュース番組の街のインタビューでそのことを指摘した女性たち。不支持率では女性の方が高いというのもうなずける。なんせ直感的にわかってしまうのがテレビ。
 国会中継ではいつもカメラは定位置だが、その夜の「報道ステーション」、委員会室に入った独自カメラの映像を流した。これが、面白かった。参考人として並んだ前川元文部事務次官とキーパーソンといわれた和泉首相補佐官二人の表情をとらえ、答弁しなければならない安倍首相が山本幸三地方創生大臣に答弁を指示する場面、野党の質問を聞いている稲田防衛大臣の不安げな表情もしっかりキャッチ。これらの映像は多くのことを伝えてくれた。
 二日間の閉会中審査で疑問が数多く残った一方、加計学園問題でも南スーダンPKO「日報」問題でも、安倍政権にとって不都合なことはごまかしたり、過去の国会答弁を変えてしまったり、あるはずの記録や公文書を廃棄(隠ぺい)していることがわかった。「国家戦略特区」この仕組みが曲者だ。ネーミングであたかも国家のために政治を行っているように見せかけみずからが責任者となって獣医学部新設を一校に限り加計学園に決定した安倍首相に、自民党内からも公私混同だと批判が上がった。

浮上したNHKの報道姿勢
 民放テレビはこの間、「このハゲェ~」と録音された音声と東大卒豊田議員のお姿とのギャップ、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願い」した稲田防衛大臣のありえない選挙演説、「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」と拳を振り上げた安倍首相の秋葉原街頭映像をお茶の間に届けた。また菅官房長官に食い下がった女性記者の声も聞かせてくれた。
 NHKはどうだろうか。6月23日日本記者クラブにおいて前川元文部次官は、加計学園獣医学部新設問題で「私に最初にインタビューをしたのはNHKだが、その映像はなぜか放送されないままになっています」と指摘。さらに「朝日新聞が報じる前夜にNHKは報じたが、核心部分は黒塗りにされた。これはなぜなんだろう」と疑問を発した。
 「あったものをなかったことにはできない」「政治がゆがめられた」と発言し、ここまで問題を明らかにした前川さんに「あっぱれ!」を差し上げたい。NHKの番組「ガッテン!」は好評だが、一連の報道姿勢は〝合点〟がいかない。「喝!」だ。しっかりと説明してもらいたい。
 
「安倍一強」の政治に、「自民党っていやね」「なんかおかしくない?」と批判が渦を巻いて吹きあがった。日本社会が試されている。 8月のDVD学習会のテーマは「参政権」だ。
                           (2017年9月号より)


      NHKにも「視聴者に対する説明責任」を
        〜視聴者と結ばれる新たな回路として~
                       
                          高野真光(元NHK記者)

「公共放送であるNHKはスポンサーが誰であるのか忘れているのではないか」。そんな趣旨の話を友人や知人の口から聞かされることが多くなった。安倍政権の足下を揺るがしている森友学園、加計学園をめぐる様々な疑惑。それらに関するNHKの報道を通してそのように感じる視聴者が増えているのであろう。森友学園を巡るNHKの報道が、新聞や民放に比べて立ち遅れたことは事実である。加計学園を巡っては、文部科学省の内部文書を入手しておきながら、その意味がわかるような形で放送できず、前川喜平前文科次官のインタビューも放送できなかったことが明らかになっているのだ。
「NHKは政府の方を向いて仕事をしているのか視聴者の方を見て仕事をしているのか」と問われても反論の余地はない。こうした報道姿勢は、毎日新聞のメディア時評や週間プレイボーイなどでも取り上げられ、NHKの報道に対する信頼を損ねることになったと言わねばなるまい。
 今、NHKは視聴者とどれほど真摯に向き合っているだろうか。そんなことを考えたときに思い出したことがある。それは「視聴者に対する説明責任」という考え方である。日本ではあまり馴染みのない言葉だが、出典はイギリスの公共放送BBCである。この考え方自体に小難しい説明は不用だろう。視聴者に真摯に向き合おうとするBBCの姿勢が読みとれればそれで十分だと思う。
 BBCにこの考え方が生まれたきっかけは、2003年5月のイラク戦争を巡るラジオ番組での報道だったという。イラク戦争終了後に大量破壊兵器が発見されなかったことについてBBCの記者が、イラク戦争開戦前のブレア首相の発言が「誇張されたものだった」と指摘したのだが、この発言に首相が反発し、紆余曲折を経て時のBBC会長と経営委員長の辞任にまで発展する事態となったのである。
 記者の指摘が正しかったことは後に証明されたのだが、この一連の出来事を受けてBBCは報道姿勢の全面的な見直しを行い、その中で「視聴者に対する説明責任」の重要性が浮かび上がったのである。そのときの内部報告書には次のようにある。
 「BBCがまず忠誠を尽くすべきは視聴者に対してであり、BBCの報道に対する信用はBBCと視聴者との結びつきにとって不可欠である。BBCは間違いを犯したときにはそれをオープンに認め、明確に謝罪し、そこから学ぶという組織風土を推奨しなければならない」(「放送研究と調査」2017年2月号P65)
 このように「視聴者に対する説明責任」は、BBCがイラク戦争をめぐる報道から得た貴重な教訓である。BBCはこの考え方を単なるお題目にはしていない。これをもとに苦情処理のシステム全体のあり方を見直すとともに、その考えを具体化するための定時番組を設けたのだ。
 その番組は「NewsWatch」という。2004年に始まり今も続いている。放送は、毎週金曜日の21時半から15分間である。番組の素材はその週に視聴者からBBCに寄せられた“苦情”である。ご意見やご要望ではない。BBCははっきり“complaint”と表現している。番組のホームページには専用の苦情受付のフォームが設けられている。また、制作に当たるのは広報セクションではない。政治番組を扱うセクションである。その週の苦情の中から主要なものを担当者が説明したり、場合によっては反論したりもするという。一度だけの説明で視聴者が納得しないケースもある。その場合は、改めて取り上げることもあるという。説明責任を重視するBBCの姿勢は並大抵のものではないと感じる。
 今のNHKに十分とは言えないのが、「視聴者に対する説明責任」の考え方ではないだろうか。NHKに「NewsWatch」のような番組があれば、今回の“もりかけ疑惑”に関する報道に関して寄せられた視聴者からの多くの批判の声にも放送を通じて真摯に答えねばならなかったはずである。また、「政治との距離」の取り方にも細心の注意を払わざるを得なくなるだろう。
  ここに紹介したBBCの取り組みからは、BBCが公共放送の責任としていかに視聴者に真摯に向き合っているかが伝わってくる。それは、BBCをお手本としてきたNHKも見習わねばならないことである。このような番組をNHKが放送することは難しいことではないはずだ。番組を新設するにあたって、その狙いを「視聴者に対する説明責任をよりよく果たすため」と説明すれば、視聴者からの信頼向上にも一役買うことになるだろう。NHKが視聴者と真剣に向き合おうとしている証にもなる。視聴者からは“視聴者とNHKを結ぶ新たな開かれた回路”として歓迎されるはずだ。
                            (2017年8月号より)


    ジャーナリストの連帯によるファクトチェックを
      ~番組「沖縄 さまよう木霊」が提起したもの~
                       
                      戸崎賢二(放送を語る会会員)

 沖縄で基地反対運動に取り組む人々にたいするいわれない誹謗中傷がネットで広がっている。いわく、現地で運動に参加している人々は日当を受け取っている、反対派は過激派でテロリストたちだ、反対派が救急車を妨害した、等々。こうしたデマ情報をネトウヨ(ネット右翼)が拡散していることは知っていたが、れっきとした地上波の放送局が同じような主張を公然と放送するとは予想もしていなかった。
 東京MXテレビが1月2日放送した「ニュース女子」は、こうしたネトウヨと同様の主張を、現地に派遣したリポーターの「取材」と称して伝えていた。反対する人びとは危険だから近づかないなどとリポートし、「僕はテロリストと言って全然大げさでないと思います」などとコメントしていた。
 出所不明の封筒に書かれた「2万」という文字を根拠に反対派の人々に日当が払われている、との印象を作りだしたほか、反対派は救急車の通行を妨害し、ずっと止めていた、という「現地の人」の証言も組み込んでいる。
 この番組では、ヘリパッド建設反対運動を支援している「のりこえねっと」と、共同代表の辛淑玉氏が名指しで批判されていた。辛淑玉氏は、虚偽の情報によって名誉を毀損されたとして、BPO放送人権委員会に申し立てを行った。
 BPOは5月16日、この申し立てについて審理要件を満たしていると判断、審理入りを決定した。また放送倫理検証委員会も、放送倫理の上から検証するために、すでに2月に審議に入っている。この経過からみて、BPOがこの番組を相当に問題視していることが推測できる。
 こうした中で、関西をエリアとする準キー局のMBSテレビが今年1月29日に放送したドキュメンタリー「沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素顔~」が注目を集めた。
 この番組は、5月28日、日本ジャーナリスト会議と放送を語る会が都内で開催した集会「”沖縄ヘイト”を考える」で紹介されたほか、台本など番組そのものの記録全編が『放送レポート』誌17年5月号に掲載されている。
 番組は綿密な取材と調査で、「ニュース女子」の内容に疑問を呈し、ネットにあふれる「沖縄ヘイト」の言説がウソであることを次々に明らかにした。反対派には沖縄県人はいない、とするデマや、日当を受け取っているとする報道には、現地で座り込みを続ける農民の日常の取材が事実上有力な反論になっていた。
 ネットで、反対派住民が救急車を襲撃し、内部に入り込んだとする動画が大規模に拡散されたが、この件についても管轄の消防本部に再三確認して「救急車への妨害行為はなかった」という本部長の言明を引き出している。
 また、辺野古や高江で反対行動に参加した男性が、ネット上では成田闘争に加わった過激派であると名指しされ、勤務先の病院に脅迫めいた文書が届いたが、番組は、この男性が成田には行ったことなどない、ごく普通の市民であることを明らかにした。
 このような優れたドキュメンタリーが、関西だけでしか見られなかったのは残念というほかない。「ニュース女子」はその後も最初の放送内容が妥当だ、と主張する番組を放送しており、ネット上では「さまよう木霊」担当ディレクターに対するバッシングもある。こうした状況を追加取材し、系列キー局のTBSが全国放送すべきである。
 この番組が提起したのは、まともな取材者が事実を追求していけば、ネット上のニセ情報や「ニュース女子」のような偏向した放送内容を検証し、反駁できるということである。
  ネット上のデマ言説が信用されるはずがない、と軽視してはならない。実は深刻な事態なのである。とくに学生や若い世代はテレビも新聞も見ないで、ネットから情報を得ている。
 人々の政治判断にデマ、フェイクニュースが影響を与えるとすれば民主主義の根本が脅かされることになる。
 社会的に責任のあるメディアのジャーナリスト、社会の真実に迫る活動を続けているフリージャーナリストが連帯してファクトチェックの組織を立ち上げることはできないだろうか。その上で、新聞なら「今週のフェイクニュース」という常設の欄を作ることはどうだろう。NHKは夕方の「首都圏ネットワーク」で、「ストップ詐欺被害・私はだまされない」という優れたコーナーを設けている。これに倣って、「ストップ、フェイクニュース・私はだまされない」などというミニ番組を考えてほしい。
 これらは一種の思いつきで、とても現実的な提案とは言えないかもしれない。しかし、ネットに押されっぱなしの既成メディアにとって、その存在価値を示し、ネット依存世代の信頼を回復する重要な作業になるのではないだろうか。
                           (2017年7月号より)


        メディア状況への認識を深めた集い
                    
                      服部邦彦(放送を語る会・大阪)

 四月八日、大阪市内で、「これでいいのか日本のメディア」と題した集会が開かれ、主催者の予想を上回る会場いっぱいの市民が参加。 (主催は「NHK問題大阪連絡会」、「JCJ関西」、「大阪革新懇」、「放送を語る会・大阪」で構成する実行委員会。「民放労連近畿地連OB会」が後援)
 問題提起は、隅井孝雄さん(日本ジャーナリスト会議共同代表、元京都学園大学教授)。
   
   安倍政権の圧力の中で「報道の自由度」72位 
 隅井氏は、内外のニュース映像を交えながら日本のメディアの現状、欧米メディアの動向などを詳しく報告された。
 まず、「国境なき記者団」が発表した2016年の「報道の自由度ランキング」で日本は世界72位、2010年の11位から大きく後退。それは、2011年の福島原発事故の際の放射能拡散状況の報道が非常に不十分だったこと、第2次安倍政権になってからの度重なる報道への干渉、テレビキャスターの相次ぐ降板、高市総務大臣の「電波停止」発言などが国際的に信頼度を低下させたと解説された。海外でも日本のメディア状況をよく調べ、危惧していることが分った。
 続いて隅井氏は、安倍政権が秘密保護法に続く共謀罪の制定などによりメディアの取材の自由を制約しようとしている。また、総務省による報道番組への行政指導、自民党の集会でのメディア攻撃、その中で、安倍首相とメディア幹部の会食が昨年だけで15回も行われていることなど、安倍政権と自民党による数多くの介入、圧力の例を紹介された。
 隅井氏が指摘した状況のもとで、メディア側の自粛が進み、「戦争法」の国会審議の報道でも一部メディアを除き政権に追随する報道が目立ち、参院選挙中の選挙報道が大幅に減ったことが、私たち「放送を語る会」のモニター活動でも検証されている。

   NHK籾井会長の再任阻止は市民運動の大きな成果
 NHKの問題では、安倍政権が、三年前に安倍首相の眼鏡にかなった会長を送り込んだ。その会長が公共放送のトップとしての適格性を疑わせる言動を繰り返したこと、NHKが政権寄りの報道を続けたことに、視聴者・市民から抗議や批判が続いた。三年間にわたりNHK籾井会長の辞任要求・再任反対の取組みと、公正な報道を求めて展開された市民運動の成果は重要だ、と隅井氏は指摘された。署名や抗議活動に取り組んできた私たちも改めてその思いを強くした。
 上田良一新会長は就任会見で「公共放送の役割をしっかり果したい」、「自主自立の立場から、公正・公平・不偏不党の立場を貫く」と表明した。財界出身の人物ではあるが、新会長の今後の動きを見守っていくことが大切だと思っている。

   フェイクニュースが横行
 隅井氏は、米大統領選以来、トランプ陣営によってツイッターなどのSNSも使ったフェークニュース(偽のニュース)が散々流され大きな問題になったと報告。これは「ポスト真実」と言われる政治状況(客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況)である。これに対し、米メディアは果敢に闘いを挑み、「ファクトチェック」(事実確認)や「スローニュース」(時間をかけた徹底的な調査報道)という編集方針も取り入れていることなどを紹介。
 次いで、ヨーロッパでのポーランド市民や英BBCの闘い、「EU報道の自由憲章」も紹介された。初めて聞く話も多く欧米のメディア状況がよく理解できた。
 日本でも、東京MXテレビが、沖縄基地反対の運動をしている人達を「テロリスト」「日当をもらって参加している」などのフェイクニュースを放送し、市民の抗議が殺到。事実の検証によって「嘘の情報」だったことが判明した。今後も、フェイクニュースに対する警戒・見極めが大切だと感じた。

   メディア改革についての提案 
 最後に、隅井氏は、メディア改革について、①秘密保護法からメディアの取材規制を除外、②放送法第4条の「公平原則」を削除、③BPO(放送倫理番組向上機構)に放送の管理監督を移管、④政府の行政指導を禁止、⑤「メディア報道憲章」を新設、⑥「ファクトチェック」の強化、を提案されたが、今後の運動の方向に大きな示唆となると受け止めた。
 問題提起を受けての討論では、参加者から活発な意見が出され、また、集会後のアンケートでも多くの意見や感想が寄せられた。
 主催者の一人として、集会の成功を実感するとともに、今後の闘いの展望と活動の方向を持つことができた。また、「フェィクニュース」、「ポスト真実」、「ファクトチェック」など最近よく使われる用語が身近なものとして理解出来た。
                            
(2017年6月号より)


   テレビが改めて問いかける 「ジャーナリズムとは何か」
                     
                      諸川麻衣(放送を語る会会員)

 「すべての政府は嘘をつく」…これは、一九二〇~八〇年代に活躍した米国人ジャーナリスト、I..ストーンの座右の銘である。ストーンはニューヨークポストなどで記者として活動した後、一九五三年から『週刊I..ジャーナル』紙を発行、最盛期には七万の読者を擁したという。生涯に取り上げた問題は、ニューディール政策、第二次世界大戦、マッカーシズム、冷戦、パレスチナ問題、公民権運動、ベトナム戦争など多岐にわたる。彼は、政府発表や公表されたデータを精緻に読み込んで分析するという学究的で地道な作業により、政府の嘘を暴いていった。ベトナム戦争で北爆開始のきっかけとなった一九六四年夏のトンキン湾事件に関して、「北ベトナムの攻撃」とする政府発表に疑問を呈し、後に政府の陰謀が裏付けられたことは、その真骨頂として名高い。
 今年二月一、二日、その名も『すべての政府は嘘をつく』と題する番組がNHKのBS1で放送された。ストーンの報道姿勢を受け継ぎ、政府や大手組織メディアが黙殺するテーマに挑む現代の独立系ジャーナリストたちの活動を追った、オリバー・ストーン製作総指揮のドキュメンタリー(カナダ、二〇一六年)である。「ポスト真実」「オルタナティヴ・ファクト(別の事実)」で批判的注目を集めるトランプ新政権発足に合わせた、格好のタイミングでの放送であった。
 番組には、主要メディアが取り上げないトランプ支持者を丁寧に取材するマット・タイービ、アメリカに密入国したメキシコ人たちの遺体が秘密裏に埋められた事実を掘り起こすジョン・フライ、米軍のドローンによる民間人殺害を追うラジオ番組『デモクラシー・ナウ』のエイミー・グッドマン、ストーンを師と仰ぐ映画監督マイケル・ムーア、スノーデンの告発の取材で知られるグレン・グリーンウォルド、哲学者のチョムスキーらが登場、「政府の嘘」を暴く独立したジャーナリズムが民主主義社会にとっていかに不可欠であるかを考えさせてゆく。
 番組内容は、題名から予想されるのとは少し異なり、必ずしも「嘘をつく政府対ジャーナリストの闘い」を描くものではない。むしろ、アメリカの大手組織メディアがいかに重大なテーマから目をそらし、ジャーナリズムとして機能不全に陥っているか、独立系ジャーナリストたちがいかにその現状に危機感を持ち、ジャーナリズム本来の任務を果たそうとしているかを前面に出し、政府批判よりもメディアの現状批判の側面が強かったと言える。
 この番組の放送直後、同じ問題意識に貫かれた日本のドキュメンタリー番組が放送された。二月六日のNNNドキュメント『お笑い芸人VS原発事故 マコケンの原発取材2000日』である。お笑い芸人「おしどり」のマコ・ケン夫妻は、福島第一原発事故直後に政府発表の信頼性に疑問を抱き、参考文献を読み漁って放射能被害について一から勉強した。そして東電の記者会見の常連出席者となり、現地で取材した情報を基に鋭い質問で隠された事実を暴き、今や東電や原子力規制委からも一目置かれる存在になっている。福島の被曝問題に関しては、アメリカの独立系ジャーナリストの役割をこの「お笑い芸人」夫妻がかなり果たしているわけである。ここでも、真実を隠す加害者側の体質とともに、それをしっかり暴けていない組織ジャーナリズムの力不足が浮かび上がる。マコが二〇一六年の「平和・協同ジャーナリスト基金 奨励賞」を受賞したのは不思議ではない。
 この二番組を一見すると、ともすれば既成巨大メディアの現状に絶望してしまうかもしれない。だがそれは性急過ぎるだろう。『すべての政府は嘘をつく』は、巨大メディア・NHKで放送され、その後に映画上映も始まった。マコ・ケン夫妻が記者会見に出席できるよう雑誌に連載枠を設けたのはある大手週刊誌の編集者であり、夫妻の活動は今回、日本テレビという大手民放の番組によって多くの人に知られるようになった。大手組織メディア内に、独立系ジャーナリストの活動に共感して支援し、それによって真実を報道しようとする良心的な人々が確かに存在するからこそ、こうしたことが可能になったということも、見落としてはならないと思う。
 筆者は、『お笑い芸人VS原発事故』ラストの「自分で知って調べて考えることは誰にでもできる。大切なのは、中立ではなく独立すること」というマコの言葉に胸を打たれた。と同時に、両番組を見た人は、ストーンとマコ・ケン夫妻に共通する武器に思い当たるのではないかとも感じた。古くはアリストテレスが注目し、ヴォルテール、宮武外骨、飯沢匡らも駆使した武器、すなわち「笑い・ユーモア」である。
                          (2017年5月号より)


         無防備なまでの正義感の魅力
          『SEALDs untitled stories』を読んで

                       
                      府川朝次(放送を語る会会員)

 歳のせいだろうか。涙もろくなっている。尾崎孝史著『SEALDs untitled stories』(Canal+社 以下『シールズ』と略す)を読みながら私は涙が止まらなかった。この著書に登場する若者たちの、あまりにも純粋な無防備ともいえる正義感に打たれたからだ。
 安保関連法案反対に立ち上がった学生団体SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)が産声を上げたのは二〇一五年五月。以後これに賛同する若者の組織が全国に生まれ、大学生のみならず各地で高校生の間にも安保法案反対のグループが結成され、学生たちによる反対運動は急速に盛り上がっていった。二〇一五年九月一九日強行採決によって安保関連法案が国会を通過したのちも、彼らは参議院選挙での野党共闘を訴え、その実現に大きな影響力を及ぼした。
 なぜ多くの若者たちがかくも深く運動に関わっていったのか。テレビでもシールズに関する報道は決して少なくはなかったが、そこに集う人々の人生や心情にまで立ち入って伝えたものはなかったのではないか。これに対し『シールズ』に登場する若者たち一人一人は、自身の生い立ちや思いを実に率直に語っている。たとえばある女子学生はいう。「戦争が漠然と怖いから。私は三〇年後に好きなことをして好きな人と生きて『ああ、日本は一〇〇年間も戦争していないんだ』って言おうと決めてるんです」。なんと素直な、それでいて強い言葉なのだろう。こうした個々人の思いが結集した時、強い力を生み出すことをこの言葉は示していないだろうか。
 本書の著者であり撮影者でもある尾崎孝史は、『AERA』や『週刊朝日』のグラビアを手掛けたこともある気鋭の写真家である。二〇一五年六月、渋谷の小さな公園で行われた若者たちの集会に顔を出した彼は「何かこれまでと違うことが起きている」と感じたという。ジャーナリストとしての鋭い嗅覚は、以後尾崎をシールズの運動を記録することへと駆り立てていった。北海道から沖縄まで全国各地で繰り広げられた反対運動を写真として記録する傍ら、彼はそこに集う若者たちへの聞き取りを始めた。対象にしたのは高校生、大学生、若い社会人。その膨大なインタビューの中から二七人の証言を反対運動の記録とともに編んだのが『シールズ』である。
 運動に参加するまで、彼らはごく普通の若者たちだった。バレリーナを夢見て世界各地で修業を重ねてきた大学生、プロのテニスプレイヤーを目指してテニス三昧の日々を送っていた女子学生、「デモってなんか宗教っぽいな」と冷ややかな目で見ていた青年。しかし彼らは安保関連法の中に戦争のにおいを強く感じ取る。「なんかやばいことが起こっているようだ」「このままいったら怖い」。そして黙って見過ごせなくなる。そうした感覚を養うきっかけに三・一一の福島第一原発の事故があったと答えている若者が複数いることは興味深い。安全神話が崩壊した時、彼らが知ったのは国家の欺瞞であり隠ぺい体質だった。「原発事故をきっかけに日米の密約や地方への国策の押し付けの実態を知り、原発と沖縄の基地が似ていることに気付いた」青年(大学生)もいる。原発に反対する人たちを「事故なんて起こるわけがない。危機感をあおっているだけだ」と冷ややかな目で見ていた女性は、「自分たちの幸せや自由は与えられたものじゃなくて自分たちで守らなければいけないのだ」と知り行動を開始する(十八歳フリーター)。
 若者たちとの会話を重ねてきた尾崎は思う。「保身と忖度に長けてしまった私たち、大人の心を揺さぶった無防備なまでの正義への衝動。彼らの一番の魅力はそこにあったと感じている」。私も同感である。無防備という言葉の裏には一途さの持つもろさ、危うさもあろうが、それ以上に政治家の「ウソ」を鋭く見抜いた彼らの透きとおった眼は限りなく魅力的だ。
 本書には「未来へつなぐ27の物語」という副題がついている。二〇一六年八月シールズは解散した。しかし、彼らが巻き起こした旋風は決して一過性のものではない、と尾崎は言いたいのだ。「『若い人は政治に無関心』とか『政治の話はタブー』というのは大人がつくりだした空気じゃないですか。大人が勝手に作ったものはぶっ壊してやろう!って。空気を変えることができるのは私たち若者です」。こう言い切る女子高生は、しっかり未来を見据えている。「未来へつなぐ」芽は確実に育っている、そんな希望を与えてくれるのが本書である。                                         (文中敬称略)
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 本書の注文は、アマゾンか主要書店、または著者のメールQWR07214nifty.com
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         東京裁判「から」のまなざし
                     諸川麻衣(放送を語る会会員)        
 昨年十二月、NHKで『NHKスペシャル ドラマ 東京裁判』(一時間×四本)が放送された。番組のサイトによれば、「NHKの企画原案による、カナダ、オランダとの国際共同制作」で、「判事役を演じる俳優たちの多くは、それぞれの判事の母国出身」とのこと。「NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達したという、裁判の舞台裏の姿だった。…人は戦争を裁くことができるか、という厳しい問いに向き合った男たちが繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ。」とうたわれている。
 取材で集めたという上記史料が公表されていないので、それらの内容、番組中での扱い方、またドラマとして当然必要な脚色がどの程度だったのかについては検証ができない。あくまでそれを前提としてだが、あえて判事のみに焦点を当てて、見応えのある重厚な歴史劇になっていたと感じた。
 その要因の一つは、十一人の判事が、東京裁判否定論者が口を揃えて言う「検察の言い分そのまま」ではなく、自己の信条に基いて判断していたこと、アメリカ主導でなく本格的な多国籍裁判だったことが浮き彫りにされていたこと。
 第二に、オランダの判事レーリンクを事実上の主人公にしたこと。当初彼は、インドのパル判事同様、極東国際軍事裁判所条例の枠組に批判的だった。しかし公判を通じてその考えは変わってゆき、裁判の問題点を批判しつつも、「平和に対する罪」の概念も、通例の戦争犯罪による死刑判決も是認するに至った。レーリンクはその後も国際法の専門家として国連などで活躍し、平和研究所を創設して平和についての研究に生涯を捧げた。粟屋健太郎氏が述べるように「まさにレーリンクは東京裁判の後、ニュルンベルク・東京裁判の法理を国際法のなかに定着させるよう献身したのであった。」レーリンクを軸にすることで、東京裁判の歴史的意義、その中での各個人の役割が生き生きと伝わってきたと感じる。
 第三に、一般には見過ごされがちな事実を改めて確認したこと。例えば、「平和に対する罪」での死刑判決はなく、死刑はあくまで通例の戦争犯罪に対してであったことは、あまり知られていないのではないだろうか。
 第四に、当時のモノクロの資料映像に着色することで、ドラマ部分とうまく融合させ、時代の雰囲気を伝えていたこと。モノクロ映像への着色は、ドキュメンタリーでは資料価値を無にするだけだと思うが、ドラマでは有効だと感じられた。
 反面やや未消化だったのが、オーストラリアのウェッブ裁判長の位置付けである。例えば、イギリス・カナダなどの判事(いわゆる「多数派」)がウェッブの能力に疑問を抱き、ウェッブが突然一時帰国する一幕がある。この帰国の理由には諸説あり、ドラマと同様「多数派がGHQに働きかけた」とするものもあるが、「ウェッブは天皇訴追に前向きで、これを危惧したアメリカ側が一時裁判長からはずした」との説もある。ウェッブは「多数派」の最終判決とは別意見で、最高責任者が訴追されていないのに部下に死刑を適用するべきではないとした。彼は確かに独断的で傲慢だったらしいが、判事中では戦争犯罪に最も精通していた人物で、公正な審理ができるよう弁護側に助言もしたという。矛盾に満ちた、ある意味でなかなかドラマ向けの人物だったのではないか。残念ながら今回はその「魅力」を活かし切れなかったようだ。
 東京裁判は近年、さまざまな関連史料が日の目を見て、歴史学の対象として、また司法上の事件として精緻な研究が進みつつあるという。私たちはようやく、東京裁判を政治問題ではなく歴史上の出来事として客観的に評価できる時期に来たのかもしれない。それだけではない。戦争違法化、市民の生命・人権保護、常設の国際刑事裁判所の設立という世界の流れの中で私たちには、東京裁判の問題点を克服し、真に戦争を防止できる実効的な国際法を確立してゆく課題が課せられている。私たちが東京裁判を振り返る以上に、東京裁判の方こそが私たちを見つめ続けているのかもしれない…見終わってそんなことを考えさせられたドラマであった。
 最後に一点。判事たちの苦闘とその成果、そしてその後の国際法の発展を踏まえると、番組で再三繰り返されたナレーション「人は戦争を裁くことができるか」は、今の私たちの立場からしても、当時の判事たちの立場からしてもやや控え目すぎたように感じられる。むしろこう言うべきだったろう…「人はどうすれば戦争を正しく裁けるのか」と。
                            (2017年3月号より)


       議論を一歩前へ 放送制度改革を視野に
            ~「籾井再任阻止」後を考える~
                          
                        小滝一志(放送を語る会事務局長)

籾井NHK会長再任を阻止した市民の声
 昨年126日、NHK経営委員会は次期会長に経営委員上田良一氏を選任しした。籾井再任を阻んだのは就任直後から沸き上がり、最近まで続いた視聴者・市民の罷免・再任反対の声だった。 2014125日、「政府が右というものを左とは言えない」と「放送の自主・自律」をないがしろにする発言が飛び出した籾井会長就任記者会見。翌日から各地の市民団体の抗議・申し入れが相次ぎ、2月末には、7市民団体が「籾井会長、百田・長谷川両経営委員罷免要求署名」を開始。ほぼ3年間取り組まれ、2016年末には全国47都道府県から8万筆を越える署名が寄せられた。
 昨年8月には21市民団体が呼びかけて新たに「籾井再任反対、推薦・公募制を求める」署名運動が開始され、ほぼ3か月のとりくみで35,000筆を越えた。NHK経営委員会宛の申し入れと署名提出は新旧併せると23回に及び、署名呼びかけ団体は、旧署名7、新署名21。この間、全国でNHK問題を考える視聴者団体が急増し運動の裾野が大きく広がった。
 籾井任期切れの近づいた昨年は、「籾井NO!」の抗議行動も相次いだ。緊急院内集会(3/410/4)、東京澁谷NHK放送センター門前集会(6/1411/21)、「会長選考過程の抜本改革」を求める全国27市民団体の申し入れ(5/97/11)などのほか、全国各地でもNHK地方放送局に対して市民団体の抗議行動が展開された。 
 こうした動きの延長線上で、NHK全国退職者有志が次期会長推薦運動を始めた。NHK全国退職者有志は、市民団体と労働組合の性格を併せ持つようなやや異色の集団で、籾井の任期が1年を切った昨年7月、メディア研究者や元経営委員などの協力も得て「次期会長候補推薦委員会」を立ち上げ、122日に、作家・落合恵子、元日本学術会議会長・元東大副学長広渡清吾、NHKOG・元東京学芸大学学長村松泰子の3氏を推薦する名簿をNHK経営委員会に提出した。経営委員会・会長指名部会では残念ながら議論の対象にはならなかったようだが、NHK会長の公募・推薦制を求める運動を質的に一歩前へ進めたと言えよう。
 次期会長に上田良一氏が決まって数日後の1210日、市民団体との懇談の席で、あるNHK地方局幹部は「私も含めNHK職員の95%は良かったと思っているだろう。籾井会長を再任させなかったのはみなさんの運動の力」と述べた。  

「人事」めぐる闘いから「制度改革」へ
 就任直後「籾井罷免」要求で始まった署名活動は、任期切れを控えた昨年8月「籾井再任反対」に加えて、新たに会長選任システムに「推薦・公募制採用」の要求を掲げた。この要求は、経営委員会が決断し「会長任命内規」を変えれば実現できるもので、放送法改定を伴わない極めて控えめの要求だった。
 しかし、35,000筆の「推薦・公募制採用」要求も、後にNHK退職者有志が提出した「次期会長候補推薦名簿」も経営委員会は全く無視し、閉ざされた密室作業に終始した。民意には硬直した姿勢しか示さぬ経営委員会だが、一方では籾井会長選任時の安倍政権幹部の関与は明らかであり、今回も政権の干渉に毅然と対処できていたのか経営委員会の自立性には疑いが残る。
 放送法31条により経営委員は「両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する」。国会同意人事にもかかわらず安倍政権が内閣任命人事のごとく「お友達人事」を強行したことは記憶に新しい。
 私たち市民運動は、今後、「会長人事をめぐる闘い」から「会長・経営委員の選任システム」という制度改革に視野を広げることが求められているのではないか。

〇 放送制度改革を野党連合政権のマニフェストに
 昨年2月、放送法4条(いわゆる番組編集準則)、電波法を恣意的に解釈した高市総務相の「停波」発言が放送界全体を揺るがし、著名なテレビキャスター、メディア研究者、市民団体の間で、放送行政を総務省が管轄していることへの強い疑問が沸き起こった。行政から独立した第三者機関に放送の規制をゆだねるのが世界の趨勢になっているからだ。
 4月、「表現の自由」に関する国連報告者として調査のために公式に訪日したデービット・ケイ氏が「放送法4条を廃止し、政府はメディア規制から手を引くべきだ」と提言、メディア関係者の間に論議を巻き起こした。
 10月には奈良県の視聴者が放送法4条の「遵守義務」確認を求めてNHKを提訴した。今後の市民運動の中で放送制度改革に向けた議論を深める際、放送法4条の扱いも避けて通れない。

 一方、政治に眼を転ずると野党と市民の共闘が実を結びつつあり、共通政策の検討も開始されたと聞く。籾井罷免・再任反対運動を通じて高まった視聴者・市民の放送への関心と意識、メディア関係者・研究者と市民運動のネットワークを土台に、放送制度改革への提言を練り上げ、野党・市民連合政権のマニフェストに盛り込む運動も今後考えたい。
        
                   (2017年2月号より)


     昨年のテレビ番組から1本を選ぶとすれば……
       ~ドキュメンタリー「赤宇木」が語るもの~
                             戸崎賢二(放送を語る会会員)

 昨年一年間、たくさんのテレビ番組を見た。NHKでは「NHKスペシャル」「ETV特集」、またBSのドキュメンタリーなどに秀作、力作が多かったという印象がある。
 そのうち心に残るただ1本を選べと言われたら、私は迷うことなくBSプレミアムで放送された番組「赤宇木」(あこうぎ)を挙げるだろう。(本放送3月13日、再放送9月7日)
 タイトルはこの三つの文字しかない。このことがどれほど切実な意味を持つか、2時間に及ぶこのドキュメンタリーを見れば誰でも納得するはずだ。
 「赤宇木」は地名である。思い当る人もあるだろう。福島第一原発の事故のあと、福島県を中心に各地の放射線量が毎日メディアで伝えられた。その中で、突出して線量が高かったのが、福島県浪江町の北西部に位置する赤宇木という集落だった。
 第一原発から北西に向かう谷があり、放射能はその谷を伝わってこの地区を高濃度に汚染した。住民はすべて避難し、今は人が住めない土地となった。許容される線量に戻るのは推定では百年後という。その間に家屋は崩壊し、田畑は原野に戻っているだろう。
 仮設住宅に避難している赤宇木の今野義人区長は、このままでは集落の記憶が残らないと考え、地域の歴史を一冊の記録誌にまとめようと活動を続けてきた。この区長たちの動きを追いながら、赤宇木がどのような集落だったかを、この番組は淡々と描いている。
 被災地を取材する番組では、被災者の行動や思いを中心に伝える番組作りが通常である。しかしこの番組は、その要素を含みながら、山村の苛酷な条件の中で、懸命に生き抜いてきた人びとの歴史を独自に発掘し、重層的に組み込んでいる。
 企画し、制作したのは、「ETV特集」で「ネットワークでつくる放射能汚染地図」など数々の秀作を送り出した大森淳郎ディレクターである。大森氏が仙台局に異動していた時期に制作された。
 実は、放送を語る会が昨年10月2日に開催した第56回放送フォーラム「制作者と語る」で、この番組を取り上げ、大森氏を講師に招いている。本稿はこの時大森氏が語った内容を踏まえていることを断っておきたい。
 番組は、江戸時代の旧赤宇木村の飢饉の歴史や、日露戦争、太平洋戦争で多数の戦死者を出したこと、戦後の入植者による開拓、酪農を導入したが挫折したことなど、時代の動きに翻弄された集落の歴史を丁寧に辿っている。区長が避難先で老人から聞き取り調査をするシーンがあるが、集落の暮らしや労働の思い出を語る老人は威厳に満ち、話の内容は精彩を放つ。木ぞりで山から木材を下す厳しい労働、子どもも含め村人が総出で歌を歌いながらする田植え、といった情景が語られる。
 こうした山村の歴史は特異なものではない。日本全国の山村に共通する歴史でもある。しかし、この番組では、ごく平凡な村人の営みの一つ一つが胸に迫る悲劇性を備えて見えてくる。番組に組み込まれた事実の全てが11年3月の原発事故による集落の「終焉」に向かって語られているからである。
 番組は最後に、11年の秋、見に戻った自宅で自死した今野富夫さんという村人のことを伝えた。大森ディレクターは、放送フォーラムで、人間が生きているということは、歴史、文化、死者たち(先祖)も含めて丸ごと背負っているということであり、それが根こそぎ奪われたときの絶望の深さに言及した。その上で、今野さんを番組で取り上げたのは3回目だが、番組「赤宇木」を制作して、今野さんの死がこういうことだったのだと分かったと告白している。
 この番組は、原発によって一つの地域が破壊され、住めなくなるというのがどういうことなのか明示するものとなった。こうした作業は被災者の状況に寄り添う感受性がなければなしえなかったことだ。この感受性こそ、平然と原発再稼働を進める人々と対極にあるものであり、原発関連の報道にあたるNHKで働く人々すべてに求められるものだと思う。私はひとりの視聴者として、「赤宇木」という集落の運命には、人間と核が本来共存できるかという根源的な問いが含まれていると感じる。
 これほどの重要な番組でありながら、BSでの放送ということで、視聴者は大河や朝ドラと比べるまでもない少数である。視聴者が少数で重要な番組は、放送回数を増やしてもらうしかない。NHKには原発事故を振り返る節目節目での再放送を強く望みたい。
                            (2017年1月号より)


      俳句で脳活 
~五・七・五の認知症予防~
                           
                        野中良輔(放送を語る会会員)

 今年は俳優渥美清さんが亡くなってから20年になる。
 
この7月にNHKBSでザ・プレミアム「寅さん、何考えていたの?~渥美清・心の旅路~」が放送された。
 
渥美さんは生前、どんな親しい友人にも私生活を明かさないことで有名だったが、「風天」という俳号で俳句を嗜んでいたことが知れたのは、68歳で亡くなった直後だった。歳時記にも載っている代表作<お遍路が一列に行く虹の中><花道に降る春雨や音もなく>など、二百を超える句を遺し、「赤とんぼ」という句集も発行されている。自由律のその句には、陽気な「寅さん」とは違った孤独な素顔とやさしいまなざしが見えている。 
 
番組は映画「男はつらいよ」の山田洋次監督を始めとする共演者や、闘病生活時代の友人など、長年渥美さんと関わってこられた人たちが、渥美さんが折々に詠まれた俳句を自分の解釈で読み、自分の知っている渥美さんと結び付けて語ってもらうもので、俳句を使って映画の中の「寅さん」とは異なる渥美清論をやろうという番組の狙いは成功し、味わい深い番組になっていたと思う。

好評!「俳句の才能査定ランキング」

 
俳句といえば最近視聴率を伸ばしている番組「プレバト‼」がある。毎日放送の制作により、TBS系列で毎週木曜日の19時に放送されているバラエティ番組だ。

 
芸能人の生まれ持った才能を査定するというコンセプトで「生け花」や「水彩画」「俳句」などで芸能人や有名人の隠された才能をその道のプロが査定し、「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」のランキング形式で結果を発表し、さらに潜在能力をより高められるコツを伝授するのが売りになっている。
 
この中で最も人気のあるのが俳人・夏井いつき先生のコーナー「俳句の才能査定ランキング」で、出演者が1枚の写真から作品を詠み、言葉の表現力を競っていくが、人気の秘密は超辛口の小気味よい査定と、「凡人」「才能ナシ」の句をよみがえらせる添削指導が好評を博していることだ。たとえば夕暮れの江ノ島の写真を見ての評論家田原総一朗氏の句は
<ゆく夏を惜しむ夕陽が浜てらす>。 
 
夏井先生は「言葉を無駄に使っている『ゆく夏』という季語には『惜しむ』気持ちも内包されていて『夕日』とあれば『てらす』は基本的に不要。無駄な6音を他の言葉を使ってより豊かな表現にできる」と厳しく「凡人」と査定した。
 
俳句で才能アリと判定された数人の芸能人の中にはアイドルグループ所属で歌手・俳優の横尾渉さんがいる。とても俳句に縁があるとは思えない若者だが、雲の写真を見て詠んだ彼の一句は<鰯雲蹴散らし一機普天間に>
 俳句を考えている時期が終戦記念日の近くだったのでそれを意識し、平和とはどういう事だろうと考えて詠んだという。夏井先生の査定は「写真の雲だけを見て沖縄に想いを馳せる若者がいるということに心打たれる」と高評価だった。

 
俳句というと年配者が嗜むものとのイメージがあるが、近年若者にも俳句愛好者が増えているそうだ。特に子どもたちの間で人気があり、飲料メーカーの伊藤園が行っているコンクール「お~い、お茶新句大賞」の100万を超す応募総数のうち、8割が小・中・高校生のものだという。
 
俳句の魅力の最も大きな理由は「短くて誰にでも簡単に作ることが出来る。そして定型の七五調のリズム感が心地よく感じられる。これが俳句の面白さの神髄」だと俳人の金子兜太氏はいう。また俳句や川柳を作るということは世の中の動きや、自然の変化に敏感になり好奇心が衰えない。さらに「バイリンガルの方は、認知症になりにくいとのデーターがある。俳句を嗜む方の脳はバイリンガルに近い。多国語を併用するのは、それだけ脳内の言語の回路を強く使うという事。日常使用される散文的な日本語と、俳句的な日本語を使う時の脳の働きはそれと同じで認知症予防になる」とは脳科学者の茂木健一郎氏の説だ。
 そこで一念発起「誰にでも簡単に作ることが出来る」との兜太先生の言葉に背中を押され
、“徘徊”老人にならぬよう“俳諧”老人を目指し、横尾渉さんに負けじと渾身の一句。
<秋暑し滾る怒りの高江かな>
 果たしてこの句の査定は「才能ナシ」「凡人」それとも…
                      
(2016年12月号より)


    NHK会長を市民が選ぶ試み 退職者有志主催の緊急院内集会報告
                         
                      小滝一志(放送を語る会事務局長)


 「インターネットで知り参加しました。今回の集会がNHKOBのみなさんにより企画されたことに驚き、敬意を表します。NHKに働くみなさんも、OBのみなさんも、今のままのNHKのあり方を憂いておいでだということがはっきりしました。
 参加者がアンケートでこう答えた「NHK全国退職者有志」主催の緊急集会「籾井NO! 取り戻せNHKを視聴者の手に!」が、10月4日、衆議院第一議員会館大会議室で開かれた。国会議員・秘書、取材のメディアを含め200人近い参加者があり、名簿で確認できただけでも69NHKOBが参加した。籾井会長再任反対し、会長選考に公募・推薦制導入を求める署名運動をすすめている17の市民団体が賛同した。
NHK全国退職者有志」は、籾井会長就任の20148月「籾井会長罷免」を経営委員に申し入れたNHKOB 2000人が、その後緩やかなネットワークを組み活動を続けてきた。
集会では、メディア研究者・元NHK経営委員などに呼びかけ、「次期会長候補推薦委員会」を立ち上げたことも報告された。席上、「推薦委員会」メンバーが初めて公表され、出席している何人かの委員がその場で紹介された。NHK経営委員会が会長を選任する前に「会長候補」を推薦すべく議論を進めているという。「会長候補」としているのは、現行放送法ではNHK会長は経営委員会が選任することになっていて視聴者・市民が直接選ぶことができないため。
 
何が何でも籾井再任阻止!
 集会の基調報告に立ったのは上村達男元NHK経営委員会委員長代行。籾井NHK会長が「放送の自主・自律」を弁えない放送法違反の個人的見解の持ち主であり、経営委員会が決めている「人格高潔」など6項目の会長資格要件に照らしても全くの失格者であることを指摘、何が何でも再任は阻止すべきと訴えた。
 基調報告後のリレートークでは、4人全員が「籾井NO!」のみでなく会長選考過程への疑義について言及した。
「公募・推薦制の導入など会長選考のしくみを変え、首実検(候補の事前面接)なども導入してはどうか。籾井会長は報道と政府PRの違いわかっていないのではないか。再任はありえない」(砂川浩慶立教大学教授・メディア総研所長)
「会長を選ぶ経営委員会は国会同意人事だが、今の国会は同意権さえ安倍政権にコントロールされているのではないか。『次期会長候補推薦委員会』が世論を喚起し、推薦運動を展開することは民主主義を維持するために重要」(上原公子元国立市長)
「籾井再任阻止をどうしたらできるか。視聴者がNO! を発言し続けることが大切。NHK経営委員会の選任過程を公開させることなども必要ではないか」(小林緑元NHK経営委員・国立音大名誉教授)
「会長選考過程の見直しが必要。イギリスBBCでは公職任命コミッショナー制度により、会長は公募制で選ばれている。日本でも『公募制・推薦制』は放送法を変えなくてもNHK経営委員会の決断一つでできる」(岩崎貞明「放送レポート」編集長)
私たちも、次期会長選考がどう進められるのか、籾井会長再任がありうるのか、NHK経営委員会の動向を注視したい。

放送の公共性、制度論でも議論
上村氏は基調報告の中でドイツの受信料制度改革を例に引きながら、NHKは受信料問題などをめぐって必要な「公共性」についての議論を避けてきたと指摘した。経営委員会などでも「公共性」を正面から取り上げた議論の場を持つべきと提起したが実現できなかったと述べ、今後「公共放送NHKはどうあるべきか」「放送の公共性とは何か」などについて視聴者・市民の間でも議論を深めるよう提言した。
 リレートークの中で小林緑氏も、政権の干渉の場になるNHK予算の国会審議を切り離す議論を開始すべきではないかなどと提案した。
 参加者のアンケートには、「籾井辞任要求に止まらず、経営委員のあり方、国会での予算審議への疑問まで議論されたことに、今日の集会の意義を感じました」「日本人の民度が問われている。公共性とは?デモクラシーとは?われわれ国民一人ひとりの問題だということを痛感させられた」などの声があった。
 NHK会長の選考方法の改革にとどまらず、現行放送制度の問題点や公共放送のあり方にまで議論が発展して、今後視聴者の向き合うべき課題や方向に貴重な示唆を与えた有意義な集会だったといえるのではないか。

                         (2016年11月号より)



      スクープ倒れの原爆番組
                     諸川麻衣(放送を語る会会員)

 
NHK広島局はこの夏、『NHKスペシャル 決断なき原爆投下 ~米大統領 71年目の真実~』を放送した。原爆投下を巡る決断は終始軍(開発計画の責任者グローヴズ少将)の主導で進められ、トルーマン大統領は追随する他なかった、投下に際して明確な決断はなく、広島・長崎への投下が都市への投下だと気付かなかった、惨状に衝撃を受けて3発目以降の投下を中止させたものの、一方で「多数の米国人の命を救うためだった」という正当化論(原爆神話)を主張していった、という趣旨である。一見興味深いが、調べてみると、提示された論点は既に一般書(仲晃、『黙殺 ポツダム宣言の真実と日本の運命』など)に書かれたものばかりで、しかも番組の下記の主張には説得力がないことが分かった。
 
 
①トルーマン操り人形説…グローヴズが都市への投下という路線を敷き、トルーマンはその意図を見抜けなかった。投下は、軍(官僚機構)が文民政府に対し暴走した結果である。
 ②決断不在説…投下命令にトルーマンの決断はなかった。
 ③トルーマンの誤解説…トルーマンは広島が純軍事的な目標だと軍にだまされ、市民が住む大都市との認識がなかった。
 まず①。この説は既に21年前に批判されている。グローヴズの主導は目標選定までで外交には関与せず、肝心の7月中は政権中枢の論議から外れていた。番組は、大統領が「軍の意図」に無関心だった証拠として、1945年4月25日にグローヴズが原爆計画を(スティムソン陸軍長官と共に)説明した際、「大統領は報告書を読むのは嫌いだと言った」との証言を流す。しかしグローヴズが直後に作成したメモによれば、大統領は二人からの報告書に目を通し、特に対ソ連問題などに重点を置いてさまざまな質問をしていた!
 番組は触れないが、大統領の承認の下文民で組織された「暫定委員会」が6月1日に「多数の労働者を雇用し、労働者住宅群に取り囲まれているような軍需工場にできるだけ早く投下する」と決定、それは大統領に報告された。一方で陸海軍トップは当時、日本に天皇制存続を保証して早期降伏を促すよう求めており、事前警告なき都市への投下には慎重だった。ニミッツ提督は戦後、「日本の都市に原爆を投下する決定は統合参謀本部より上のレベルでなされた」と書いており、グローヴズも当時、「上層部」が(ポツダム会談に間に合うよう)原爆実験の日程を厳守させた、と現場に伝えている。マーシャル参謀総長は、文民の最高司令官には従うとの信条ゆえに原爆使用を受け入れたとされる。軍の暴走などなかった!
 次に②。7月25日付の投下命令に大統領の署名や公式の承認記録、関連する一次資料が残っていないことも、スクープではなく長年周知の事実である。これについて、方針が決定していた以上大統領の命令は手続き上不要だったとの解釈もあるし、記録が事後に意図的に破棄・隠匿されたとの推測もある。番組に登場する研究者のマロイもウェラーステインも、トルーマンの決定や承認、検討が皆無だったとまでは言っていない。マロイは著作で、「大統領は既定方針で進むことを認めた」と論じているのだ。
 次に③。ウェラーステインは論文で、スティムソンの京都除外の説明を聞いたトルーマンが、広島は純軍事目標だと誤解してしまった可能性を提起するが、これは「グローヴズが欺いた」ことにはならない。番組はなぜか触れないが、トルーマンは7月25日の日記に「この兵器は今から8月10日の間に日本に対して使う予定」「この恐るべき爆弾を日本の古都や新都に落とすわけにはいかない」と書いている。これは普通に読めば投下命令を踏まえた記述で、「東京・京都以外の都市は構わない」と考えていたと見なせる。トルーマンは後に「広島の人口は六万と聞かされていた」と述べたが、六万なら立派な都市だろう。なお誤解説も、20年前に「かなり疑わしいが」との留保付きで(!)提起済みである。
 要するに、トルーマンは原爆投下の「明確な決断をしなかった」わけではない(彼はしばしば、助言者が喜ぶような場当たり的決断を「した」らしい)。原爆投下を前提に、それまで日本を降伏させずにおくための外交決断は繰り返し行なった。結果、非人道的な、核開発競争というパンドラの箱を開けた愚かな「決断」を、確かに行なったのである。
 通説なのに番組はまったく触れないが、トルーマンに強い影響力を及しえたのはグローヴズではなく、7月に国務長官に就任する民主党の大物バーンズだった。彼は議会ではトルーマンの大先輩、副大統領候補の座を争った間柄で、トルーマンから外交を委ねられていた。暫定委員会に大統領の代理として出席したのも、科学者たちの原爆投下反対の陳情を「原爆はソ連を扱いやすくする」として却下したのも、降伏条件の緩和を求める政権の多数意見に反対し、ポツダム宣言の草案の変更を主導したのも、すべてバーンズだった。つまり実態は、軍の危うさを指導者が見逃したのではなく、トルーマンとバーンズの決断を誰も止められなかったのである。
 ではなぜこのような的外れな番組ができてしまったのか?
 第一に、特集番組での過度のスクープ性重視。おそらく番組では「新事実」「新しい切り口」が至上命題とされるのだろう。同局の2010年の『原爆投下を阻止せよ “ウォール街”エリートたちの暗躍』は、原爆使用に批判的だったグルー元駐日大使と積極論者バーンズの対立にしっかり着目していた。今回新味を出すため、「トルーマン操り人形説」を「新発見資料」で裏付けようとしたのだろうが、グローヴズ証言のみに頼ることで論理が危うくなった。それを取り繕うためか、番組は、述語不在の体言止め、留保なき断定、曖昧で情緒的な表現など、あえて(?)論旨が不明確なナレーションを多用している。「出家詐欺」報道のように、スクープ重視は逆に現場を不自由にし、番組の質を低下させかねない。
 第二に、「軍の暴走」という図式。この見方は、統帥権独立を名目にそれが繰り返された経験を持つ日本人には受け入れやすいのか、この点で番組を肯定的に評価する視聴者も見られる。しかし一般論として軍あるいは官僚機構は暴走しうると言えても、広島・長崎への原爆投下がその例だとは言えない。軍を悪役にすれば良質の番組になるという考えがもしも制作側にあるとしたら、それは危険な先入観ではないか?
 第三に、研究史への軽視。番組は、原爆投下を正当化してきた「定説」を根本から揺るがす事実が明らかになったと胸を張るが、「日本降伏に原爆は不必要だった、投下はソ連を牽制するという政治的意図に基く」として正当化論を批判する「修正主義」も数十年にわたる歴史があり、正当化論は歴史学の世界ではもはや通用していない。そして、論争を通じて、当事者の意思決定過程などについて緻密な分析が蓄積されてきた。番組の論旨はこの研究史に照らして粗雑すぎる。この点、同時期のBSフジのプライムニュース『原爆投下の思惑と覚悟 米公文書が明かす真意 謎のポツダム草案改変』の方が定着した研究成果をきちんと紹介していて、啓蒙としては成功していた。いっそ、日米の研究者たちがスタジオで研究史を振り返り、今なお残る論点について徹底討論すれば、国際的にも通用する内容の濃い番組ができるだろう。
 ともかく、この番組が今後のNHKにとっての新たな「原爆神話」にならないことを切望する。

                           
(2016年10月号より)


     16
年参院選・テレビニュースの何が問題だったか
       ~放送を語る会「モニター報告」を公表~

                         戸崎賢二(放送を語る会会員)

 放送を語る会は、重要な政治的な動きに際してテレビニュースのモニターを行い、その結果を報告してきた。先の参院選でも、NHKと在京民放4局の主要なニュース番組を投票前1か月の期間を設定してモニターした。
 結果をまとめた報告を8月中旬に公表したので、その概要をご紹介したい。全文は放送を語る会のホームページにアップされているので、関心を持たれた方はぜひお読みいただきたい。
 今回のモニター対象番組は、NHK「ニュース7」「ニュースウオッチ9」日本テレビ「NEWS ZERO」テレビ朝日「報道ステーション」TBS「NEWS23」フジテレビ「みんなのニュース」の6番組で、それぞれに担当者を決め、録画して各回の選挙報道の内容を記録した。
 報告のタイトルは「16年参院選・テレビニュースはどう伝えたか」である。

選挙関連ニュースの少なさ
 報告はまず、この間の選挙報道の量が圧倒的に少ないと指摘している。これは当会だけでなく、各種のメディアも今回の選挙報道の少なさに注目していた。
 公示日の6月22日から投票日前日までの18日間をとってみると、「ニュース7」は、18回の放送のうち、実に9回関連報道がなかった。この期間、半分は選挙報道をしていないことになる。とくに投票日前の1週間で見ると、7月5日から8日までの4日間、選挙関連ニュースは見当たらない。「ニュースウオッチ9」は投票日直前の7月7日、8日、選挙関連放送をしていない。
 「NEWS ZERO」は半分「みんなのニュース」は、3分の1程度の日数にとどまっている。
 これらに比べ、この期間、「報道ステーション」は関連項目が無かったのは1回にとどまり、「NEWS23」も2回だけである。この二つの番組は7月に入ってからは選挙報道を休まず続けている。
 選挙終盤でNHKの2番組に関連報道のない日が続いたことは、モニター担当者から厳しい批判の報告があった。
 回数だけでなく、各回の時間量も問題であった。全体に選挙関連ニュースが短く、9党の政策を紹介するような場合、断片的な主張が羅列されるだけになることが多かった。また時間配分も大政党に有利になっていた。報告はそうしたケースの実証的なデータを記載している。

争点の「改憲問題」の伝え方は十分ではなかった
 安倍政権が争点にすることを避け続けてきた「改憲問題」について、報告は、幾つかの番組が、「改憲隠し」に同調せず、「憲法改正」を争点として伝えたことを評価しながらも、その放送量と質が貧弱だったと指摘した。
 「憲法改正」に関する選挙報道で最大の弱点は、この問題が一般的な「憲法改正」という用語で伝えられ、その具体的内容が追及されなかったことである。
 強力な改憲勢力である自民党は、すでに憲法改正草案を発表しており、その内容は明確である。「憲法改正」という一般的な争点があるのではない。最大与党の自民党が何を変えようとしているかが争点だったはずである。
 しかし、自民党改憲の具体的な内容をあげて争点として提示した番組は「報道ステーション」以外にはほとんどなかった。情報量の不足と相まって、この点が「改憲問題」の報道の基本的な問題点だったと報告は指摘している。
 もう一つの弱点は、これほどの大きな争点でありながら、「報道ステーション」以外の番組は、改憲問題にかける時間量が68分程度で、内容的に不十分だったことである。
 NHKは、「ニュース7」では扱わず、「ニュースウオッチ9」では実質7分程度だった。このNHKニュース2番組の姿勢には大きな疑問が残る。
 報告は、このほかアベノミクスや社会保障といった争点がどう扱われたかを検証し、最後に、選挙報道がこのままであることは視聴者として認めらない、としてテレビ選挙報道の抜本的な拡充を求めている。
 放送を語る会のモニター活動は、専門的な研究機関の大規模な調査ではなく、視聴者市民の手作りの活動である。メンバーが複数いて、録画機器があれば、どの団体でも可能な活動と言えるのではないか。
 政権の圧力の強まり、テレビニュースの現状は危機的と言われる。市民の手でテレビを監視し、発言するために、このようなモニター活動が広がっていくことを期待したい。
                              2016年9月号より


     「報道の自由度」11位→59位→61位→72位の今


                      五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 連続ドラマで、魅力的な登場人物が姿を消すと、「 ~ ロス」という言葉でファンの気持ちを表現しているが、私はまさに「 ~ ロス」状態に陥った。
 夜のニュース番組で、国谷裕子さん、古舘さん、岸井さんが見られない。テレビから消えた。「徹子の部屋」に国谷さんが出演するという。テレビのスタジオから去った日以来、しかもはじめて民放テレビ局に出演するというので、―国谷さんの心境はいかに―、テレビの前に陣取った。
 「なぜ、こういう仕事に?」と徹子さん。「誰も見ていないから大丈夫」と言われたのでと答えた国谷さん。笑ってしまった。結婚してニューヨーク暮らしのときに、国際放送に起用されたのが最初だという。
 「クローズアップ現代」を担当して23年。週末にはたくさんの資料を持ち帰り、格闘していたこともわかった。心がけたのは‶〝フェアなインタビュー〟だと国谷さん。
 『世界』5月号に詳しく記している。「聞くべきことはきちんと角度を変えて繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビュー」だと。
 日本では批判そのものが聞き手の意見とみなされて、番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける、とも書いていた。
 20147月、問題の菅官房長官へのインタビュー、私も見ていた。よくぞギリギリ、質問をしてくれたと、私はその時思った。最近三人がいなくなったことが、どれだけのことなのか、実感することがあった。予想に反して、国民投票の結果、EUを離脱することになった英国。よくわからない、これから日本の経済にどんな影響があるのだろうか? サッカーはどうなるんだろう? こんな時には「クローズアップ現代」が取り上げて、国谷さんが、世界的な視野で、なぜそういう流れになったのか、イギリスの事情・背景などを、首をすこし傾けながら一所懸命解説してくれただろう。
 かたや「報道ステーション」の古舘キャスターなら、スタジオに専門家を招いて、知りたいことを一つひとつ聞き出して、「ウーン、そうなのか」と納得させてくれただろう。そういう知的な時間が失われた。まさに「ロス」なのである。
 参議院選挙はどう報道しただろうか。もし、彼らがキャスターとして報道に携わっていたら、しっかりと争点を有権者に浮き彫りにし、特に18歳から投票可能になった240万人の新有権者に分かるように、全力で報道されていたのではないか、と想像した。
 いや、ちょっと待って。それは夢想に近いかもしれない。彼らが在職していた201412月総選挙報道は、自民党が各テレビ局に「放送法」をちらつかせて、公平・公正にと申し入れた結果、街頭からのインタビューは庶民の正直な声というよりは、当たり障りのない意見だけになった。
 アベノミクスへの批判は消され、NHKでは経済学者の分析などもなく、結果自民・公明の圧勝となったんだ。今回もテレビは、公約に対する追及も弱く、道半ばのアベノミクスの検証はなく、「新しい判断」を信任するかのような雰囲気ではないか。ニュース番組は、参院選挙に関する報道が全力ではないような気がしている。本誌が出版されたころには、結果が出ているが、どうなっただろうか?
 6月末に青森母親大会が八戸市で開催された。「戦争への道は許されない」と題して元NHKディレクターの池田恵理子さんが講演。三人のキャスターの番組降板、「今の日本は1930年代と空気が似てきている」と101歳のジャーナリストむのたけじさんの発言を紹介。
 1993年政治家となってからの安倍晋三のキャリアを自分の仕事と関連させて詳しく語った。とりわけ「慰安婦」問題を扱ったETV特集(01年放送)で、官房副長官だった彼の言動―「公平・公正に」「勘ぐれ!」―で4分も短縮、事実を捻じ曲げられて放送されたことなど会場は聞き入った。現在籾井会長のもとで、安倍政権放送機関となっているNHKの実態を、「放送を語る会」のモニター結果の数字なども示して明らかにした。
 現在のメディア状況がよくわかったと、会場から大きな拍手がおくられた。「ガッテン!」
                            
2016年8月号より


   国谷裕子キャスターなきあとのクローズアップ現代は?


                           
今井潤放送を語る会代表)

 岸井、古舘そして、国谷キャスターの降板メディア・ウオッチャーの多くが予想したように、安倍政権の圧力でTBS「NEWS23」の岸井成格キャスター、テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターが降板し、NHKのクローズアップ現代の国谷裕子氏も3月Ⅰ8日を最後に、23年務めたキャスターを降りた。
 NHKはこのクローズアップ現代の後継番組をクローズアップ現代+(クロ現+)として、月~木の4日、22時からの25分間、7人の女性アナウンサーの司会で生放送すると発表した。

クロ現+は予想外の健闘
 4月4日(月)から始まり、5月半ばまでの放送をモニターした中での評価は平均点以上だった。4月14日に発生した熊本地震についての放送を除き、見ごたえのあった3本を紹介する。
 
4月13日(水)「新リストラ時代の到来」
 “リストラ代行”ビジネスが横行する時代になった。これは社労士がリストラをする側に回るというブラックな話。担当する社労士の覆面インタもある、特ダネ情報だった。
4月20日(水)「パナマ文書の衝撃、権力者たちの“錬金術”の実態」
 税金逃れを合法的に行う行為を暴露し、習近平、プーチン、キャメロンという世界の政治家の名が上がったパナマ文書の問題をいち早く取り上げたヒット番組。池上彰は「史上最大のリーク、証拠が出たので、対策を」と発言、税制の専門家三木義一(青学学長)は「各国は法人税を引き下げているが、そんなことをしている場合ではない。こんなことで資本主義は大丈夫かと思われてしまう」と警告を発した。
5月11日(水)「暴力から逃れられない、密着!ⅮⅤ対策最前線」
 H7年のⅮⅤ殺人は99件にのぼり、内閣府のアンケートでは5人に1人が被害を受けているという。警視庁のⅮⅤ対策チームに同行して、はだしで逃げてきた20代の女性の実情を取材、女性記者のリポートで暴力被害の生々しい姿を紹介した。

クロ現+批判に見るNHKへの偏見
 5月2日(月)「密着ルポ わたしたちと憲法」は憲法記念日を前にした、改憲・護憲の運動をする人々の全国ルポで、充実した取材にもとづく良い企画だった。しかし、この番組に対し、5月4日リテラ(ニュースサイト)に「極右報道の最たる例」だという批判が載った。
 この批判は続いて「このクロ現がいびつなのは、改憲派の主張を無批判に紹介したことだ。VTRに登場した百地章教授は菅官房長官が「(安保法制を)合憲だとする憲法学者はたくさんいる」と大ホラを吹いた際に名を挙げた憲法学者だが、番組中そうした百地氏のプロフィールは一切紹介されなかった。危険な憲法改正の中身が報じられないまま、7月の参院選になだれ込めばどうなるのか。NHKは公共放送の有名無実化を認め、国営放送だと開き直ってもらった方がまだ害が少ないのではないか、そんな気がしてくるのだ」と述べている。
 では、このクロ現+は実際どんな内容だったのか。改憲派は1000万署名、護憲派は2000万署名を集める運動を全国的に進めている。改憲派は仙台の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」、日本青年会議所の会議、頑張れ日本・福井支部の署名活動、護憲派は04年にできた9条の会(大江健三郎や小田実など)が今年は各地で7000以上できていて、東京商社9条の会、広島の9条の会山県などが紹介される。
 これ以降は改憲、護憲のグループが交互に登場する。25分間のクロ現+の中での割合は、改憲グループは7回、護憲グループが9回だった。9条の会が全国の地域や多職種に広がったことを紹介したのは、テレビでは初めてのことだったのではないか。前述したクロ現+の批判者が公正に、予断なく見たのなら、この番組の記者やディレクターが日本の憲法をめぐる動きの深層を取材していたことを理解できたはずなのである。
                           2016年7月号より


      NHKに咲き誇る大輪のあだ花、その名は…

                       諸川麻衣(放送を語る会会員) 

 報道によれば、NHKの籾井勝人会長は、四月二〇日に開かれた熊本地震の災害対策本部会議で、「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」「当局の発表の公式見解を伝えるべきだ。いろいろある専門家の見解を伝えても、いたずらに不安をかき立てる」と指示したとのこと。さらに、四月二六日の衆院総務委員会で民進党の奥野総一郎氏の質問に答えて、公式発表とは「気象庁や原子力規制委員会、九州電力が出しているもの」だとし、「原子力規制委員会が安全である、あるいは続けていいということであれば、それをそのまま伝えていくということ。決して、大本営発表みたいなことではない」と説明しました。
 これらの発言は、①ある情報の出所=「情報源」の問題、②その情報が正確なのかという「質」の問題、③その情報は住民の不安をかき立てるかどうかという「社会的影響」の問題、という次元の異なる三つの問題を混同している点で、また規制委や九電はきっと「安全」と言うはずだと思い込んでいる点で何とも呆れるものですが、それ以上に、会長が放送法の基本精神とNHKの存在意義を未だに全く理解していないことを痛ましいほどに示してくれました。
 放送法の第一条(目的)は、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」をうたっています。籾井発言は、自主的に真実を追求して報じるという放送の目的を否定し、表現の自由を投げ捨てているわけです。そして、九電という一方の利害当事者の発表にのみ最初から優先的な地位を与えることは、まさにNHKが「偏し党する」ことに他なりません。
 また放送法第四条は「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めていますが、原発の緊急事態のように見解が鋭く分かれうる状況で「公式発表」しか伝えないのでは、この条項の趣旨は実現できないのではないのでしょうか?
 さらにNHKの国内番組基準は、「災害などの緊急事態に際しては、すすんで情報を提供して、人命を守り、災害の予防と拡大防止に寄与するようにつとめる。」としています。気象庁や九電からの情報を優先し、「いろいろある専門家の見解」は伝えないということになると、例えばある原発の状況を生中継中に「爆発的事象」など不測の重大事態が起きても、あるいはそのような危険を専門家が指摘しても、「公式発表」が出るまではNHKとしては何も報じないということになります。そのような報道で国民の生命・安全は守れるでしょうか? 「人命を守」るために「すすんで情報を提供」しない無意味な放送機関を、受信料を支払って維持するに値すると国民は考えるでしょうか?
 一連の発言には外部やNHKの労組からも当然の批判が出ています。しかし現実のNHKの報道を見ると、今回の震源域の東北東延長上にあって伊方原発のすぐ北を通る中央構造線・伊予灘西部断層の活動状態、もしここで政府の「地震本部」が想定するM八超の地震が起きた場合、伊方原発の冷却水系統、非常用電源、格納容器や建屋が破損して福島のような重大事態になるおそれはないのか、といった点の調査報道がまだあまりないように思われます。
 福島の事故の直後には、心ある制作者たちが『放射能汚染地図』『大震災発掘』のような力作を作り、「当局の発表」では分からない放射能汚染の実態を、あるいは津波の痕跡や活断層を調査して過去の震災を立証する研究者たちの地道な努力を伝えました。会長の意向が通ってしまうと、「真実」に迫るこうした番組は生まれなくなるでしょう。
 今回の会長発言はなぜか一応「原発」に限定してのものになってはいますが、「公式発表=信頼性」というおめでたいが危険な信仰に立つならば、その適用範囲が大規模災害、国際的緊張などに拡大されることは容易に予想できます。となればその行き着くところは、籾井会長がいくら表向きには否定しようと、「大本営発表」そのものです。
 人類がお猿さんから今日にまで進化したのは、世界の現象について真実を知りたいという強い好奇心を持ち、自分の頭で考えて知性を育んできた結果です。原発のような重大問題について思考停止を当然視する籾井氏は、そもそも人間の本性に背を向けているのではありますまいか?
 NHK会長室に咲き誇る毒々しい大輪の花…前経営委員長代行の上村達男氏がその名を的確に言い表していたことをはたと思い出して得心しました。「反知性主義」。
                             

                            2016年6月号より


     NHK地方局の技術職で働き、退職して十四年
           
~思い出すままに~
                          松井実世弘 (放送を語る会会員)

 高卒後新採で最初の任地は大阪。五年後、故郷大分に転勤。そのまま転勤もしないで三七年間、職員、派遣、契約職員など含め約百十数名の典型的な地方放送局で働いた。
 NHK勤務のため放送に対していろいろな意見を語りかけてくる人も多かった。退職後も同じで、そのいくつかを思い出すままに……。

 記者会見は台本があるのでは・・
 甘利大臣の政治献金での辞任の記者会見中継を見た若者が「つまらなかった。記者はなぜあんな答弁で納得するのか。大臣と記者は事前に打ち合わせをして台本があるのではないの」と話しかけてきた。
 台本は無いだろうけど、市民がなにを知りたいと考えての追及が弱いのは、官邸などの取材で、政治家から嫌われるとこれからの取材がやりにくくなるという気持ちが働くからでないかと思う、と答えたが納得した顔ではなかった。
 官邸前からの記者リポートも、政府の言い分をなぞる内容で政府の広報官かと思うという批判も何度か聞いた。

 昼も夜も同じニュース
 友人が奥さんとの夕飯の話題で「ローカルニュースは朝昼晩とも同じ項目内容のニュースが多い。NHKは記者が少ないのか、それとも地方のことはどうでもいいと思っているのかしら」と奥さんから言われたとのこと
 現役の頃、技術職としてニュースの送出を担当することも多く、ニュースの担当者に昼使ったニュース項目を夜も使うのはなんとかならないのと注文をつけたことがある。その時の返事は、昼と夜の視聴者層は違うからというものだった。
 その時はそういう考えもあるなと納得したが、今の世の中、視聴者層や意識の変化、ニュースの内容について地方局も考えなおす必要があるなと思う。

 ニュースデスクや運転手が若い記者を教育
 いつの頃か記憶にはないが、ニュースの送出や放送機器監視の平穏な日曜日勤務、午後ブラリと隣の放送部の部屋に行ったときニュースデスクが七五三を取材した若い記者に「なんだこの原稿は昼と同じだ。こんなものは夜は使えん。七五三といえども午前と午後の神社での表情は違うはず、まだ時間がある。もっと深く取材をしてこい。それが記者の仕事だ」と注意していた季節の行事のニュースは決まりきった内容になってしまうことが多い。そのことを注意していたのだと思う。
 「俺は知事の友達」と自慢する記者もいたが、記者とよく取材に行く運転手さんが、その記者に「NHKの名刺がなければ知事はもちろん部長でも会ってくれない、簡単に会えるから、偉いと錯覚はするな」と言っておいたと話してくれた。しかし私が退職する頃にはこのように新人記者を育てる雰囲気はなかったように思う。

 ニュースはNHKとは別会社?
 中継の後片付けをやっているとき、先輩が誰かと「ニュースはNHKとは別会社でどうにもならない」と話していたのを聞いた記憶がある。
 技術職場の飲み会の時にもニュース部門の批判が出て、誰かが「あれは別会社と思え」と言っていた。
 私もアナウンサーやディレクター、事務職、契約職員の人たちと遊びに行ったり飲みに行ったことはあるが、記者とはなかったし、なんとなくニュースへの批判は受け付けない雰囲気があった。別会社と思え、と言った先輩は仕事上のことでいやな体験があったからと思うけど、そのことを聞く機会もなく先輩は転勤した。「別会社」とはうまい表現だ。
 
 「NHKを考える会」を大分でも
 現役中も退職してからも、NHKへの批評・批判をよく聞く。NHKに言いたい、要求したいという市民は多い。全国で二十五ものNHK問題に取り組む市民団体が誕生している今、大分でも放送を語る会のブックレット「安保法案テレビニュースはどう伝えたか」を買ってくれた人たちに、「NHKを考える会」を立ち上げようと呼びかけたところ、四月六日、予想以上の数の人が集まった。
 会長人事・受信料・ニュースのあり方など学習し、NHKへも申し入れをする場が欲しかったと言われ、心強い思いをした。準備会を重ね正式の発足を目指したいと考えている。


                           2016年5月号より


     籾井NO ! 高市 NO ! 一歩進めて 安倍 NO !
                      
                      小滝一志(放送を語る会事務局長)


 緊急院内集会「政権べったり報道やめろ!NHK籾井会長 NO ! 」が34日午後、衆議院第二議員会館で開かれた。主催はNHK包囲行動実行委員会でNHK予算の国会審議に視聴者の声を反映させようと開催したもの。衆参総務委員会の65議員に案内を送り、当日は、民主・共産・社民の議員・秘書があいさつに訪れた。青森・秋田・福島・埼玉・愛知・岐阜・京都・大阪・広島など全国各地からの参加者200人超が大会議室を埋め、高校生が質問に立って会場をわかせた。
 
 政権べったり報道に批判が集中
 集会に先立ち午前中に、6市民団体のメンバー8人がNHKへの申し入れに出向いた。
 ①高市発言に屈せず、毅然たる態度を、② 政権べったり報道を改めよ、③籾井会長の辞任・罷免を求める、の3点を申し入れ、各団体が具体例をあげて政権寄りのNHK報道を批判した。「昨秋、7,000人の市民集会で、『NO WAR ,NO ABE』の巨大人文字を作ってアピールしたが、NHKは『NO ABE』を映像に出さなかった。政権に忖度してNHKはここまでやるか」(政府から独立したNHKをめざす広島の会)。「27日、NHKは日曜討論を中断して北朝鮮のミサイル発射報道を2時間以上続けた。沖縄に配備された自衛隊の迎撃ミサイルの映像も流され、安保法制は必要だと思わせる安倍政権の後押し報道ではないか」(NHK問題を考える会・さいたま)。「被災した地元福島からみると重要なニュースほどローカル放送にとどめられ全国放送にはならない。視聴者の『知る権利』を奪う、やってはならないことやっていないか」(NHKとメディアを語ろう・福島)etc.

「電波停止」高市発言に批判が集中
 午後の集会では、二人の講師によって厳しい籾井批判・高市批判が展開された。
 「『公共放送の使命を十分理解している、人格高潔、政治的に中立』など6項目の会長選任資格要件すべてに合致しない、放送法違反の見解を個人的信条とする人物が会長に座っている」「『電波停止』の高市発言は放送法違反。『政治的公平』だけで電波の停止に言及することは不見識も甚だしい」(上村達男前NHK経営委員長代行)。
 「高市発言は、『政治的公平』の解釈について『従来と変わらない』と言いつつ個別番組の基準まで例示して踏み込んだ発言。『放送法4条は倫理規範』の解釈を変え、4条が罰則を伴う規制規範とすると放送法は憲法21条(表現の自由)違反の法律になる」(砂川浩慶メディア総研所長)。
 その後のリレートーク発言者からも高市発言について批判が相次いだ。
 「放送法の恣意的解釈による権力者の法の濫用を危惧する。一方、放送局の萎縮はTVの自殺行為だ」(SEALDs千葉泰真くん)。「高市発言への抗議行動を、京都新聞・近畿放送、メディア関係労組などいろんな分野にもはたらきかけて取り組みを進めている」(NHK問題京都連絡会など京都3団体)etc.

 視聴者運動の全国的広がり 
 参加団体代表11名のリレートークは、昨年新しく発足した4団体が参加してNHK問題を扱う視聴者運動が全国に広がっていることを実感させた。
 「マスコミ夜塾などでメディア批判を展開してきたが、昨年7月、新たに発足させた」(NHKを考える東海の会)。「昨年12月発足、原発事故後の政治・行政の動きをメディアがどのように伝えるのか検証していく」(NHKとメディアを語ろう・福島)。「昨年9月に結成総会。今月は高市問題などをテーマに学習会を予定」(NHK問題を考える会・堺)など。また今年2月に発足したばかりの「NHKを考える福岡の会」は連帯のメッセージを寄せてくれた。安倍政権のメディア攻撃に市民の総反撃を「今、時の流れを変えて『言論の自由』取り戻す闘いが必要。抗議・包囲行動3回目をやろう!」(マスコミ九条の会)。「安倍政権総がかりのメディア攻撃に市民の側も総反撃を。全国に市民組織を」(NHK問題を考える会・堺)。これらの発言は、「安倍政権のメディア攻撃に反撃し、『表現の自由』を守る市民連合」を誕生させ、メディアを励ます運動を展開することを多くの市民が待ち望んでいることを予感させる。
                             2016年4月号より


          NHKへの圧力強める自民党

        ~総務会、NHK予算「了承」の報道に思うこと~
                        
                          戸崎賢二(放送を語る会会員)

 2月3日、「NHK予算案の了承また見送り」という小さな記事が各紙に掲載された。自民党総務会がNHK籾井会長ら幹部を呼んでNHK16年度予算案について説明を求めたが、不祥事について説明不充分だとの批判が噴出し、了承が見送られたという記事である。その後、2月5日の3回目の総務会でようやく了承された。
 この過程で、「NHKの解説委員が無責任な発言をしている」など、安保法に関する報道内容に批判があり、籾井会長が「偏った者もいる」と答えたとも伝えられている。
 こういうやりとりは論外であり、自民党、会長双方が批判されているが、自民党総務会で了承、という報道自体については一般にはあまり違和感は持たれず、一つの手続きとして受けとられているようである。とくに一部の記事で、「NHK予算は国会の承認が必要であるため、与党の事前審査を得て国会提出の了承を得なければならない」としているものがあるが、正確とは言えない。
 放送法第70条によれば、予算案はNHKが直接国会に提出するのではなく、総務大臣に提出し、総務大臣がこれを検討して意見を付し、内閣を通じて国会に提出する。政権与党の事前審査が必要だなどという条文は存在しない。
 ただ、自民党内では、内閣が国会に法案を提出するとき総務会の承認が必要とされるので、国会に提出されるNHK予算についても総務会が審議したというわけである。
 NHK予算・事業計画については、この時期、関係国会議員に対し、さまざまな形で事前説明、いわば「根回し」が展開されるのが常である。この過程は、政権党がNHKに対して干渉し、圧力を加える絶好の機会となってきた。
 その点ですぐ思い出されるのは、2001年の番組改変事件である。日本軍「慰安婦」問題を扱った番組「問われる戦時性暴力」に、放送前から自民党議員から圧力がかかり、その意向にそって放送総局長らが番組を大幅に改変した事件である。元「慰安婦」の人々や、加害兵士の証言、出演者のコメントが大幅に削除され、番組は企画意図に反した無残なものになった。
 この時も、NHKの予算案が提出された時期で、政治家対応を担当する役職員が国会議員に説明に回っていた。
 放送は1月30日だったが、その前日、放送総局長と、国会担当の担当局長が当時官房副長官だった安倍晋三議員に番組内容の説明に出向いた。帰局した国会担当局長が、番組の試写を見て「これでは全然ダメだ」と言って、番組担当プロデューサーに大幅な改変を指示した。番組制作と関係のない政治家対応の幹部が番組内容の削除、ナレーションの変更などを命令するという異様なできごとだった。
 記録によれば、この年も放送のあと2月7日と9日に、自民党の総務部会があり、海老沢会長らが出席している。自民党右派議員が番組内容を偏向だとして会長をつるし上げたとされている。今年の総務会の議論とよく似ている。
 担当局長が「これではダメだ」と言ったのは、これでは会長が自民党総務部会での批判に耐えられない、という意味だったと解すればつじつまが合う。
 この事件が示したことは、NHK予算の事前説明という機会が番組内容の変更、自己規制に直結したということだった。予算を承認してほしいNHK幹部は、圧力に屈服せざるを得なかったものとみられる。
 NHK予算が国会承認を必要とする現行法制度のもとでは、残念ながらこうした圧力と屈服の構図を変えるのは難しい。しかし、たとえそうであっても、幹部がNHKは政府から独立した存在であるべきという確信をもって、政権の卑小な政治家の言など無視すればいいのである。
 筆者には、この問題は基本的には幹部の教養と思想の問題に帰着するように思えてならない。NHKの使命についての強固な確信と、表現の自由に関する教養を持たない幹部はNHKを去るべきと思う。
 屈服と自己規制は、圧力に呼応する人間が局内にいることで初めて実現する。「偏った者もいる」と応じた会長はそのような存在であり、このところの政治報道に責任のある専務理事の放送総局長もおそらく似たような人物なのだろう。
 解決の道はどこにあるか。視聴者の批判の運動が切実な意味をもつのはいうまでもないが、重要なことはNHK内部で、従業員組合を中心にジャーナリズムと公共放送の矜持についての思想闘争、理論闘争を展開し、権力に呼応する幹部を下から批判することである。NHK予算審議の時期にはとりわけ必要な行動と言える。
 簡単なことではないと承知している。しかしこの闘いを抜きにNHKが信頼を回復することは難しいだろう。

                            2016年3月号より


           笑いを武器にできないか
                       
                         府川朝次(放送を語る会会員)

 「放送を語る会」では昨年5月から9月まで5か月間、テレビの安保関連の報道番組をモニターし、「安保法案国会審議・テレビはどう伝えたか」にまとめて12月公表した。その過程で、非常に興味深い企画に接する機会があった。それはTBSの「NEWS23」で723日に放送された「『あかりちゃん』vs『ヒゲの隊長』」である。
 自民党が安保法案の必要性を説くために、You Tube上にアニメ作品を公開したのは72日のことだった。自衛隊OBで参議院議員の佐藤正久氏がヒゲの隊長に扮し、電車で隣の席に乗り合わせたあかりちゃんに安保法案の必要性を説いて聞かせるという物語である。たとえば、こんな会話がある。ヒゲ「もし現実にミサイル撃ってきたらどうする?」あかり「えっ、撃ってくるの?ムリムリ誰か護って!」。これは北朝鮮を想定した問答であるが、この他に尖閣を巡る中国との関係など、集団的自衛権行使の必要性を説くための問答がいろいろ用意されている。
 ところが、公表されて1週間後、You Tube 上にヒゲの隊長の台詞はそのままに、あかりちゃんの台詞をそっくり入れ替えたパロディ版が登場したのだ。たとえば、先の例でいえば、ヒゲ「もしミサイル撃ってきたらどうする?」あかり「現実に撃ってきたら個別的自衛権で対処できるでしょ。あんたたちが無理やり押し通そうとしている集団的自衛権の話は関係ないよね。それに、ミサイル撃たせないようにするのが政治なんじゃないの?」となる。こんなくだりもある。ヒゲ「北朝鮮も核実験を繰り返している。テロやサイバー攻撃も本当に深刻」あかり「サイバー攻撃とかいってるひまがあったら、まずは年金の情報流出の件、何とかしてくれない?」。実にうまいはめ換えだと思う。抱腹絶倒の中に鋭いトゲが隠されている。
 私が注目したのは、こうしたパロディを放送したことにある。もちろん、パロディだけを紹介したわけではなく、制作者であり出演者でもある佐藤氏を登場させ、パロディ版の感想を求めたりもしている。しかし、局独自の制作ではないにしても、こうした政権批判をふくむ風刺作品を放送で取り上げること自体、テレビメディアでは絶えて久しくなかったのではないか。
 一世を風靡した「日曜娯楽版」が時の政権によって葬り去られたのは今から60年余り昔のことだった。これはラジオ時代の話だが、その後テレビ時代になって、これに類する番組がどれほどあったろう。社会派ドラマの名作はあまたあるが、笑いを武器にしたドラマはそれほど多くないのではないか。たしかに、「あまちゃん」は近年まれな面白さがあった。AKB48のパロディなど社会風刺の要素も多分にあった。が、もう一歩踏み込んだ政治風刺にまでは至っていなかったと思う。
 そんな中で私の記憶にあるのは、40年余り前、NHKで放送されたテレビ時代劇「天下御免」である。山口崇扮する平賀源内が諸問題や難事を解決してゆく設定なのだが、取り上げられたのは、政治家の賄賂、深刻な公害やごみ問題、受験戦争など日本列島改造ブームが引き起こした政治問題や社会問題だった。これほど痛烈に政権批判して大丈夫だろうかと、見ている方がハラハラするような「痛快時代劇」だった。だが、この番組は1年で終わる。脚本を手掛けたのは早坂暁氏だったが、一説には彼が遅筆故、制作に支障をきたしたからと聞いている。しかし、その続編ともいうべき「天下堂々」も、全編ではないにしても彼が手がけているところを見ると、あながち遅筆だけが原因だったとは思われない。何らかの圧力がかかったのではないかと疑ってしまう。というのも「御免」の痛快な風刺が「堂々」では影をひそめてしまっていたからだ。
 劇作家の飯沢匡氏は『武器としての笑い』の中で、笑いは権力を震撼させる力をもっていると説いている。笑いは武器になるのだ。活字メディアでは今も川柳や漫画などでささやかな抵抗を続けている。しかし、いかんせんテレビメディアでの笑いは不毛である。権力が最も敏感に反応するということもあろう。だが、だからこそいま笑いがほしいと思う。市民からこんな不名誉な風刺を受けないで済むためにも。
 政権の広報支援NHK

                                  
2016年2月号より


 
         NHKを支えた元女性ディレクター達の思い

                         増田康雄(放送を語る会会員)

 NHKの番組は現在も過去も優れた番組が多いと社会的に評価される。そのNHKを支えてき定年退職者は約1万人。筆者はNHKの「音響効果部」で30年以上働き、元女性ディレクタ―とは番組制作の仲間だ。日常の番組制作で努力された彼女たちに番組作りや最近のNHKをめぐる状況について話を伺った。
〇山路家子元ディレクター(教育・教養番組制作者)
 
山路氏は1958年入社。教養番組を制作してきた。特にラジオ番組「人生読本」「FM朗読」は印象に残るという。定年後も出会った出演者とはお付き合いが続いている。仕事で一番苦労したことは原作の言葉の読み方を間違えがないようにすること。地名など視聴者から指摘されたこともあった。朗読番組は作品と読み手のマッチングが大切という。そのために日常からアンテナを張り、舞台、新聞、雑誌、友人から情報を得ていた。勉強になった仕事だった。
 最近のNHKをめぐる動きに彼女は敏感だ。安倍政権から送り込まれた経営委員、会長のもと現職の職員が萎縮しているのではと心配する。特に2001年「従軍慰安婦」番組改編事件以降、自由な番組提案が出来なくなったことに心を痛めている。それ故にNHK会長は世界に誇れる幅広い教養と知見、国民から尊敬される有識者がなるべきと主張する。定年後、彼女は杉並区の玉川上水に出来る自動車道路建設見直しを求めて週日の朝1時間の辻立ちを8年以上続けている。
坂元英子元ディレクタ―(教育番組制作者)
 坂元氏は1959年入社。4年間の休暇を挟んで2013年まで教育番組系の学校放送番組を制作してきた。ラジオ教育番組「お話の旅」「名作を訪ねて」、テレビ教育番組「おはなしのくに」「おとぎのへや」など主に制作した。小学生対象の日本、世界の名作を朗読や影絵、人形劇で紹介した番組制作者。学校放送番組は他の教養番組や報道番組とは異なり、年間計画を事前に番組委員会で討議した上で番組が制作される。エピソードでは古谷一行氏を俳優座研究生時代から発堀したこと、ヘッセの作品の放送許可を番組委員だったドイツ文学翻訳者から取って頂いたことが懐かしいという。脚本や番組作りで、井上ひさし、まどみちお、との出会いはとても素晴らしかったと振り返る。番組ディレクタ―冥利は番組を視聴した子供たちや現場の先生から感想文が送られてきて、子供たちがどのように物語を受け止め、理解したかが良くわかり、番組制作に励みとなったといきいきと語る。小学校の卒業式にも招かれる機会もあった。最近のNHKの情勢については籾井会長や長谷川三千子経営委員は早くやめてほしと思う。国民のための公共放送は放送法にもとづいた自由な番組作りが必要だと主張する。定年後は各劇団の舞台や朗読会にでかけて楽しんでいる。
松尾慶子元ディレクタ―(ラジオ番組制作者)
 
松尾氏は1962年入社。入社直後は広報室に配属され、その後「スタジオから今日は」「NHKの窓」を始めPR番組を担当して、パブリックリレーションズ走りの時代を体験する。今のNHKの広報番組は民放よりひどいのでは松尾氏は考える。放送中の番組と番組PRが次から次へと重なり合って煩さ過ぎるという。PR番組を羽織って、中身の番組が見えにくい事も、と彼女は批判する。
 1960年代、ラジオ番組は時間枠に嵌められて制作の自由さがあまりなかった。その後、放送局の機構改革で1984年に「ラジオセンター」がスタートする。これまでの部所属のラジオ班 (報道、芸能、教育教養)が一つの部として纏まったのである。ラジオセンターでは早朝班、午前班、午後班,夜間班とラフに分かれ、番組内容もテーマの幅が広がった。そして殆ど生放送になる。松尾氏は午前班所属となったが特に印象残る番組は「子ども教育電話相談」(月~金)と言う。子どもの親がスタジオの先生と直に相談する。社会の評価が高かった。1989年天皇崩御の後「ラジオ深夜便」の開設となる。深夜族の聴視者間で好評だ。ディレクタ―もインタビューが当たり前となった。
 私は取材を通して考えたことは、NHKを支え、放送文化を豊かにしてきたのは視聴者である国民とNHKで働いた退職者と有識者であったと思う。NHKを「アベチャンネル」にしたくはない。私達は国民のための放送局にするため、市民と共に今のNHKを改革することが求められている。
                              2016年1月号より


          
「政権寄り」のNHK報道浮き彫りに!

                          服部邦彦(放送を語る会会員)

 十月三日、大阪市内で、『メディアを考える大阪集会~安倍政権のメデイア戦略を斬る!「戦争法案」をメディアはどう伝えたか~』が開かれ、約二百人の市民が参加しました。(「NHK問題大阪連絡会」と「放送を語る会」の共催)
 講師は、菅原文子さん(「辺野古基金」共同代表、故・菅原文太氏夫人)と「放送を語る会」事務局長の小滝一志さん。
 「ニセモノ」の民主主義菅原文子さんは、「民主主義をホンモノに」と題して講演。 
 最初に大阪の橋下維新の政治について、「個人と国家を並列においたり、一院制、首相公選制を主張するなど、安倍政権の言っていることと同じ」などと批判しました。
 「安倍首相や橋下徹氏が言う民主主義は〝ニセモノ〟であり、日本が中央集権、軍国主義に曲がっていくのか、それとも、生活者、市民・有権者の考えが政治や行政に反映する普通の民主主義の国になるのかの分かれ道に来ていると思う」と話し、若い人たち、志ある人たちの行動参加に希望を表明しました。

「権力は疑え」
 菅原さんは、「新聞や民放はコマーシャリズムの中で運営されており、クライアントの意向に反することはやれない。NHKの報道も話半分、半分は本当だろうが、半分は何らかのプロパガンダが働いているのではないか。本当かどうか冷静に見抜く必要がある」と述べるとともに、メディアも一つの権力であり、『権力は疑え』ということを強調しました。
 「どんな組織にも多面性、多様性がある。NHKにも、いい番組を作ってきたプロデューサーやディレクターも多くいます。ただ、そういう番組が深夜やBSで放送され、誰もが見やすい時間に放送されないのが問題」。
 また、「籾井さんという人が安倍さんが飛ばしたドローンみたいに入り込んでいるが、NHKの中にも早く辞めてくれないかという人もたくさんいる。ただ、籾井さんが辞めても、安倍さんが官邸にいる限り、また飛ばしてくるに決まっている。おおもとを断たねばなりません」と次の選挙での政権交代にも触れました。

沖縄新基地建設は日本全体の問題
 次に、故・菅原文太氏が昨年秋の沖縄知事選挙の翁長候補の応援演説で、『政治の役割は二つある。
 一つは 国民を飢えさせない、安全な食べ物を食べさせること、もう一つは絶対に戦争しないこと』と
述べたことを紹介し、「戦争をしないことは、政治家の役割であるととともに、主権者である私たちの役割だと思う」、そして「今、この国は曲がり角に来ている。日本が戦争する国に向かっていることを肌身で感じる。」と語り、さらに、沖縄の普天間基地の閉鎖と、辺野古新基地建設の中止を訴え、「ぜひ現地に行って自分の目で見ていただきたい」と呼びかけました。

「戦争法案」をメディアはどう伝えたか
 次いで、小滝一志さんが基調報告を行いました。
 小滝さんは、「放送を語る会」が実施したNHKと民放キー局の「安保法制(戦争法)関連報道」のモニター活動(前半)に基づく検証を、豊富な資料を付して詳しく報告しました。
 モニター活動前半の五月一一日から六月二四日までの「安保法制関連報道」について、NHK「ニュースウオッチ9」(延べ放送時間135分、独自調査取材11回)、テレビ朝日「報道ステーション」(同274分、20回)、TBS「NEWS23」(同188分、27回)を比較すると、放送時間、独自の調査取材回数に大きな差があるとともに、内容にも大きな違いがあることが明らかになりました。

「政権寄り」報道が際立つNHK
 また、「ニュースウオッチ9」では、〇政府の見解・方針伝達を重視、〇政治部記者が法案や首相会見に沿って解説、〇野党質問より首相答弁重視、〇法案に批判的な言論や反対運動を伝えない傾向、〇外部識者や専門家をほとんど起用しない、〇市民運動に対する冷淡さ、〇伝えるべき重要な問題を伝えない傾向が顕著でした。
 これに対し、「報道ステーション」、「NEWS23」では、憲法審査会での参考人三人の「違憲」発言を大きく伝えたほか、独自の調査取材報道も多く、キャスターやコメンテーターも批判的な意見を展開し、国会周辺などの反対運動を大きく伝えるなど、報道姿勢に大きな違いがあったと報告しました。
 小滝さんは、NHKの報道が政権寄りになる構造、NHKを市民の手に取り戻す運動と課題についても語りました。(六月二五日から強行採決・成立までの後半を含むモニター活動の報告全文は、「放送を語る会」ホームページ参照)

 講師お二人の講演と基調報告は参加者に共感を持って受け止められ、集会は成功裏に終わりました。NHKは、政権の介入を許さず、公正・公平な報道を!

                            
2015年12月号より


          NHK政治報道の体たらくを嗤う

                       諸川麻衣(放送を語る会会員)

 選挙の時には…政見放送/選挙でない時は…政権放送!と言いたくなるくらい、昨年夏以来のNHKの集団的自衛権や安保法制をめぐる政治報道は政権べったら漬。「憲法学者一八六人が安保法案に反対声明」「学者一万二六四四人が反対署名」「軍部独走を示す防衛省文書と野党の追及」「SEALDsの活動開始」など重要な節目となった出来事の大部分を、NHKのニュースウオッチ9は無視するか、極端に軽い扱いでした。参院特別委での強行採決を受けて内閣不信任決議案が出された衆院本会議も全く中継せず、野党議員の渾身の弾劾を、国民はネットでしか視聴できませんでした。結果的に、法案が成立するまでにこの問題を取り上げたNHKの番組は、七月のクローズアップ現代と、九月のNHKスペシャルの討論会だけでした。
 しかし、福島原発事故や武器輸出、戦争体験などで鋭く現実をえぐる番組を作ってきたNHK職員が、問題点だらけの戦争法案や空前の市民運動の盛り上がりに、プロの番組制作者として関心をかき立てられないはずがありません。おそらく現場ではさまざまな企画が提案されたものと推測されます。ではなぜ政権寄りの政治報道のみが垂れ流され、自主的な企画が日の目を見なかったのでしょう?

 
まず推測できるのが、政治部の支配です。長年にわたり政治部は、NHKが政界を監視する部署ではなく、政権党がNHKに介入する回路になってきました。出来事の取り上げ方やコメントの言い回しなどを政治部が細かく指示したであろうことは、十分想像できます。
 次に、政権の意向を反映して決められた現会長(うわっ、この人まだいたんだ!じぇじぇ)。ただし前経営委員長代行などの証言によるとこの人は他人の話や文書を理解する能力が極めて低いらしく、意味のある指示を現場に出すことはおそらく無理でしょう。
 そこで重みを持ってくるのが、会長に逸早く忠誠を誓い、腹心中の腹心と言われる放送総局長です。この立場なら、政権に不都合な放送が出ないようあらゆる報道や番組に目を光らせることが可能と思われるからです。思い描くに、現場からのさまざまな提案に、総局長は「反対運動を大きく取り上げると公正中立が損なわれる」とか「時期を考えるべき」とか「国民に誤解を与える」とか、あれこれ理屈つけて企画を軒並み却下したのではないでしょうか?
 NHKのこのような姿勢は、官邸には大歓迎でしょうが、放送法の定める「放送の不偏不党、真実及び自律」にも、経営計画がうたう「物事の核心に迫る情報」「判断のよりどころとなる正確な報道」にも真っ向から反します。
 とここまで書いたら、自民党小委員会が受信料義務化とネット二十四時間同時配信の提言。いい子でいたからご褒美あげようってわけ?NHKの「株主」は私たちですよ!あまりに腹立たしいので、今のNHK政治報道をNHKの有名番組に例えた冗句を以下に掲載します…。
 
・政権には…あまちゃん  ・反対世論を取り上げるのは…まれ 
・与党と野党の扱いの差は…天と地と  ・政権幹部との呼吸は…あ・うん
・与党幹部に呼び出されると…翔ぶが如く   ・政権からの採点は…まんてん
・会長は…ワンマンショー、殿様ごっこ 
・会長と放送総局長は…ふたりのビッグショー ふたりでひとり
・会長と放送総局長と政治部長は…お笑い三人組、道づれ  ・首相との会食は…ごちそうさん
・政治部の真髄は…堂々たる打算  ・衆院特別委の強行採決の中継見送りは…昼のプレゼント・放送法の原則は…日本百名山「奥白根山」(僕知らね)  
・衆院本会議より強いのは…大相撲秋場所  ・気にかかるのは…琉球の風  
・永田町で狙うのは…功名が辻  ・政治部与党番になると…花の生涯  
・NHK政治部にとって安倍ちゃんは…いのち  ・当面の目標は…籾ノ木は残った  
・職員の声はたぶん…おごるな上司!  ・国民には…迷惑かけてありがとう  
・国民の声は…こら!なんばしよっと、ふとどき千万  ・君たちに明日はない、憲法はまだか
 
                              2015年11月号より



  何が証言者に語らせたのか ~NHKスペシャルの戦争シリーズを見て~


                        諸川麻衣(放送を語る会会員)

アジア太平洋戦争終結から七十年の今年八月、NHKは戦争を扱った番組を集中的に編成しました。主なNHKスペシャルを見ましたが、どれも力作揃いで、安保関連法案などの政治報道の露骨な政権擁護ぶりと好対照でした。お盆までの番組を見て感じたことを書き連ねます。
 まず八月二日放送の『密室の戦争』。オーストラリアで日本兵捕虜を連合軍側が尋問した録音を発掘、連合軍への協力を迫られた日本人捕虜たちの苦悩を描きます。一人は自ら命を断ち、一人は「戦争を早く終わらせて同胞の命を救うため」と自らを納得させて、投降を呼びかけるビラを作ります。中国戦線での日本人兵士による反戦活動は有名
ですが、他にも同様の立場に立った人がいたことを知りました。ご本人(故人)は戦後家族にもその事実を一切語らなかったとのこと、その沈黙から、自ら背負った十字架の重さと共に、秘めた覚悟もうかがわれました。
 次に九日の『“あの子”を訪ねて』。長崎市の山里小学校で奇跡的に原爆から生き残った子供たち三七人をNHKはずっと継続取材してきた由、七十年の節目で十八人に再会した記録です。結婚せずに老いを迎えた人、被爆のことを語るなと家族に止められた人、被爆の語り部となった人などさまざまな人生を描きますが、中でもある女性の「戦争よりも戦後がつらかった」との一言が痛切でした。
 十一日の『アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で』は、沖縄戦に際して作られた少年ゲリラ兵部隊の生存者に取材、その体験を証言とアニメで描いたものです。陸軍中野学校出身者が組織した「護郷隊」というこの部隊は、十四~十七歳の少年千人を訓練、上陸した米軍にゲリラ攻撃を行なわせました。志願制と言いつつ実態は強制であったこと、激戦の中で仲間の死にも何も感じない心理状態になったことなどが証言され、同様の少年ゲリラ部隊が本土でも計画されていた事実も紹介されます。さらに、負傷した仲間を軍医が銃殺した目撃談も語られ、その事実を初めて遺族に伝える場面が後半の山場になっていました。
 十三日の『女たちの太平洋戦争』は、元日赤従軍看護婦の証言から、ビルマ戦線とフィリピン戦線での彼女たちの運命をたどった番組です。「国のため、兵隊さんのため」と勇躍戦地に向かったものの、物資不足で満足な治療や看病はできず、遂には自分たちが逃避行に追い込まれ、抗日ゲリラの襲撃や飢え、病気に苦しむという過酷な体験を強いられたのでした。一連のシリーズ中では、日本の加害性にも触れた貴重な番組となっていました。
 いずれの番組も一次資料を掘り起こしてきちんと読みこみ、証言者を探し、信頼関係を築いてつらい体験を語ってもらうという点で、取材者・制作者の誠実な姿勢としっかりした制作能力がよく伝わるものでしたが、それ以上に強く感じたのは、多くの証言者に共通する「七十年経った今こそ語っておきたい」というひたむきな気持ちでした。
 例えば『“あの子”を訪ねて』では、三五年前には取材を拒否してカメラから逃げ去った男性が一転インタビューに応じ、原爆による足の傷をあざけられてきた経験を語ります。『あの日、僕らは戦場で』では前述のように、仲間の銃殺を逡巡の末に遺族に告げる場面が重要ですし、他にも、当時も今も沖縄は本土の犠牲だとの声も登場します。
 考えてみれば、現在七五歳以上のお年寄りはすべて、何らかの形で戦争を記憶している方々でしょう。一見穏やかな表情のごく普通のお年寄りが実は凄絶な戦場体験をお持ちかもしれないわけです。そして今回感じたのは、多くの方々にとって戦争は七十年前の「遠過去」(イタリア語で現在と切り離された歴史的過去を表す過去形)ではなく、今日まで一日も忘れることのできない「現在完了形」、それどころか「現在進行形」だということでした。
 この方たちが長年秘めてきた体験や苦悩を堰を切ったようにカメラに語ったのは、単に「戦後七十年の節目」だからだけでしょうか?私には、戦争体験も戦争への反省もなく、「戦争など七十年前の遠い話」と言わんばかりの政治
家に多くのお年寄りが危機感を感じている面もあったのではないかと思われます。全身体験に基づく一千万人の戦争への嫌悪、平和への希求は、想像以上に深く強いのではないのか、ひょっとすると能のように生存者の口を借りて、無惨に人生を断たれた二千万近い人々がやむにやまれぬ思いを語っているのではないか…心の底からの証言にそんなことすら感じさせられた、「七十年目のお盆」でした。

                              2015年10月号より
      



      消えない空襲の記憶
 ~〝少国民〟の戦争体験~


                         石井長世(放送を語る会会員)
 
 一九四五年の敗戦から70年。日本各地に広がった悲惨な戦災の記憶も、時の流れの中に埋もれようとしている。
 しかし、当時10歳の少年だった筆者が経験した空襲の恐怖の記憶は、猛暑の夏に今でも何かのはずみでひょっと蘇ることがある。
 今年七月一日、NHK宮崎放送局が午前11時半から総合で放送した「目撃!日本列島」では、南九州一帯を襲う米軍機による空襲の記録が再現された。米公文書館所蔵の映像で、艦載機の機首に取り付けた“ガンカメラ”によって映し出された機銃掃射の容赦ない殺戮と破壊の記録だ。 無抵抗の農村や住宅地が機銃掃射で狩り立てられる様子が痛々しい。
 ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」で、幼い少女の両親が避難民の列にいてドイツ軍機の機銃掃射で死ぬシーンが思い出される。
 敗戦直前の日本列島、中でも九州地方は6月下旬の沖縄戦の終結とともに、本土攻略を目指す米空母艦隊の艦載機による連日の空襲に晒された。当時筆者一家が住んでいた熊本県宇土町―県都に隣接する人口6000人余、小さな化学工場があるだけの町も、同年七月から八月にかけて繰り返し米軍機の空襲を受けた。
 現宇土市市史などの記録には、特に八月十日は化学工場がロケット弾、町は焼夷弾投下と機銃掃射に見舞われ、古い木造の建物が並ぶ町の中心部はなす術もなく4分の1が消失、38人が犠牲になったことが記されている。県都の熊本市は七月初めB29の編隊による空襲で、死者400人余の犠牲者を出したが、宇土町は県下ではそれに次ぐ被災だった。
 東京にある「東京大空襲・戦災資料センター」の資料では、第二次大戦中の日本全土で亡くなった民間の戦災犠牲者は合わせて41万人以上に上り、国民全体がいかに大きな犠牲を払わされたかが分かる。これに比べるとわが町の犠牲は比較にならないが、それでも小さな町にとっては大災厄であったことは間違いない。
 当時私の家は、旧家老の住まいで瓦葺の大きな二階家だったが、ここも米軍機の激しい機銃掃射を受けた。高空からエンジンを切って降下し、低空で機銃をあびせながら急上昇する戦法で、空襲警報も鳴らないうちの無差別で卑劣な不意打ちだ。映画やドラマの無機質な軽い音と違って、実際に経験した機銃掃射の銃弾は二階の屋根を打ち抜き、ズドンズドンと腹に響く重圧感で私たち家族を震え上がらせた。そのあと我が家からは数発の銃弾と薬きょうが見つかり、その大きさに驚いた記憶がある。幸い家中にけが人はなかったが、庭を隔てたすぐ裏隣のラムネ工場は焼夷弾の直撃を受けて防空壕の一家3人が犠牲になっている。
 機銃掃射をした米軍機は双胴のロッキードP38で、グラマン“ヘルキャット”などと共に、すでに制空権を失った日本空軍を相手にせず九州各地を我が物顔に荒らし回っていた。私が家に逃げ込む前に一瞬見た鋭く光る不気味な機体が脳裏に焼きついている。
 地元の熊本日日新聞社が42年前に出した『宇土空襲手記』には、こども2人と老人を抱えて逃げ惑った主婦の体験記などが収録されていて、平和な町を突然襲った恐怖が生々しく綴られている。
 思えば開戦当初、華々しい日本軍の戦果を聞かされて幼心にも浮き立つ思いだった小国民の私も、4年後には本土決戦に備えるとして師団司令部が置かれた我が母校―国民学校の校舎が空襲で丸焼けになり、町の郊外のあちこちで機銃掃射の犠牲者が出たなどという話を聞かされるうちに、空元気もしぼんで不安な気持ちになっていた気がする。
 また、空襲を恐れて一家8人が近くの山に逃げ込むなど、爆音を気にしながらの緊張した毎日だった。
 話はガンカメラの映像に戻るが、番組に使われたのは大分県宇佐市の市民グループ“豊の国宇佐市塾”の提供によるもので、塾の代表の平田崇英さんは、米国の公文書館から入手した空襲の映像資料が日本の平和に役立つならばと、全国のメディアからの要望に快く応じている。
 宇佐市郊外には戦時中、日本軍の戦闘機を隠すための掩体壕が今でも残っており、平田さんたちはこの掩体壕を平和資料館に作り変える計画を進めていて、4年後には実現する運びだという。地域住民の手による地道な平和への歩みが実現することを願わずにはいられない。
                           
                               2015年9月号より
 


    
     いまヒロシマの死者たちが語りかけるもの
         ~堀川惠子「原爆供養塔」を読む~

                        戸崎賢二(放送を語る会会員)
 

 戦争、公害の歴史においては、権力は忘れさせようとし、民衆は記憶しようとする。悲劇の歴史が世に伝えられるとき、そこには必ず忘却に抗する無名の市民の闘いがある。
 今年5月に刊行された堀川惠子『原爆供養塔・忘れられた遺骨の70年』(文芸春秋)は、ヒロシマ被爆者の遺骨が納められた場所を守るために生涯の大半を過ごしたひとりの女性と、その意思を継いで行動するジャーナリストのドキュメントである。一読してしばらく身動きができないような感銘を受けた。
 毎年8月6日に式典が行われる広島の平和記念公園の一角に、土地の人が「土饅頭」と呼ぶ小山のような塚がある。正式な名前は「原爆供養塔」という。この塚の下にある地下室には、原爆で死んだ人びとのうちおよそ7万人の無縁の遺骨が納められている。集められた時、遺品から名前・住所が推定され記録された遺骨もあれば、わからず大きな箱にひとまとめにされた遺骨もある。
 この塚に毎日通って、掃除し雑草を抜き、水を汲み、通りかかる人に説明をしたりするひとりの女性がいた。佐伯敏子という。佐伯さんは地下の納骨堂にこもって、死者の名前、住所をノートに書き込み、あちこちを訪ね歩いて、遺骨を遺族のもとへ届けることにも力を尽くした。供養塔は広島市が管理するものだが、担当者が訪れることはめったになく、ひとりの市民としての佐伯さんが1958年から病で倒れる1998年まで40年間、この無償の行為を続けた。
 著者の堀川惠子氏は、広島テレビ放送で報道記者だったときに佐伯さんに出会い、その後、フリーのジャーナリストになったあと、2013年に再会を果たした。このドキュメントは、93歳で施設のベッドにいる佐伯さんを訪ねるところから書き起こされている。
 なぜ佐伯さんのこのような行動が続いたのか、遺骨はどのようにして供養塔に集められたのか、本書は詳細にその事情をたどっている。
 一瞬にして十数万の市民が無差別に殺された原爆投下のあと、市内には無数の遺体が散乱し、瓦礫の下にぼう大な数の遺骨が残された。佐伯さんも被ばくし、肉親、縁者が目の前で苦しみながら亡くなっていった。彼女の手記をもとにして書かれた被ばく直後の人びとの状況は酸鼻を極める。
 堀川氏も、佐伯さんのノートの名簿をもとに遺族を訪ねる取材を続けるが、その中で、遺体を処理にあたったのが、少年特攻兵たちだったことなど、重要な事実を発掘していく。生き残った人による凄惨な遺体処理の証言もあり、著者のあらゆる取材はあの日の惨状の再現に向かわざるをえない。
 平和記念公園は、かつて広島の中心市街地だった。今なお遺骨が地中に埋まっている。供養塔の地下室も近年広島市によって固く閉ざされ、士の業務以外開けられることはない。この空間を一般市民は見ることができないのである。佐伯さんはこの公園について「平和公園」という言葉を使いたがらず、「地獄公園よ」と言い、次のように堀川氏に語ったという。
 「……生きとる者はみんな、戦後何十年と言いながら、死者のことを過去のものにしてしまう。死者は声を出せんから、叫び声が聞こえんから、みんな気付かんだけ。広島に歳はないんよ。……」
 次第に忘れられていく遺骨の声を代弁するかのように、著者もまた、「私たちは遺骨となった人々に、胸をはれる戦後を歩んできたであろうか」と問いかける。この問いは現在進行中の戦後平和の危機的状況にも向けられるものだ。
 堀川氏は、NHK「ETV特集」の「死刑囚永山則夫・獄中28年間の対話」(2009年)で高い評価を得、番組の取材過程を含む出版「死刑の基準」(同年・日本評論社)で講談社ノンフィクション賞を受賞した。一貫して生と死の問題を追求し、ヒロシマと深くかかわってきたジャーナリストが、この重い一冊を世に送り出した。
 かつて作家大岡昇平は、「8月6日から15日までは、これはわれわれは正気を取り戻さなければならない日である」と言ったことがある。(30年前、評者がNHK在職中にこの作家出演の番組を制作したとき、作家の肉声で直接この言葉を聞いたので今も耳に残っている)
 戦争を知らない政治家が、軽々しく海外での武力行使を口にする時代に、この「原爆供養塔」は、紛れもなく日本人が正気を取り戻すための一冊である。

                             2015年8月号より
       


     NHKで働くみなさんへ ~市民からのメッセージ~

                       小滝 一志放送を語る会事務局長)

 526日朝、私たちは東京渋谷のNHK放送センター5ヶ所の出入口でA4版4ページのリーフレット「NHKで働くみなさんへ~政府からの自主・自立を求める視聴者・市民の訴え~」を配布した。門前に立ったのは、放送を語る会、日本ジャーナリスト会議、マスコミ九条の会、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」、練馬・文化の会などの市民団体メンバー、NHKOB30人。出勤者が一番多い西口玄関前には長さ6mほどの「籾井会長 NO ! NHKを国策放送局にするな」と書いた横断幕、リーフを配布するメンバーの胸にも「籾井 NO ! 」「放送の自主自立を」などのゼッケン。リレートークが始まると元NHK経営委員小林緑氏らが次々マイクを握り訴えた。
 配布したリーフでは、NHKが戦後の歴史の中でかつてない危機にあること、「政府広報的」政治報道への批判が高まっており、NHKに働く人々に権力に屈せず自律的なニュース・番組作りを期待していると訴えた。そして、籾井会長、百田尚樹、長谷川三千子経営委員の罷免要求署名が74,000を越え、NHK問題に取り組む市民団体も全国で続々誕生していることを伝え、市民の運動に応えNHKの現場でも行動に立ち上がるよう励ました。
  門前配布終了後には、代表がNHK経営委員会に「籾井会長罷免を重ねて強く求める」申し入れ書を提出、日放労中央書記局に中村委員長を訪問して激励と協力要請を行なった。
 リーフ配布は東京だけでなく、広島(20日)、大分・大阪・京都・奈良・滋賀・名古屋・福島(以上26日)、神戸(27日)、和歌山(65日)など全国11ヶ所で市民団体・NHKOBなどにより取り組まれ、参加者が100名近くに達する一大行動になった。
 
拡がる市民の籾井不信、NHK批判
こうしたNHKをめぐる市民運動高揚の背景に、就任以来の籾井会長の言動に対する不信と安倍政権のメディア支配に対する強い危機感がある。ここに来て市民の怒りや不信感は、籾井罷免を掲げるアクティブな市民運動の枠を越えて大きく拡がりを見せている。
 523日宇都宮で開かれたNHK経営委員会主催「視聴者のみなさまと語る会」。参加した一般市民からも、「ハイヤーの公私混同問題、会長の適格性をどのようにお考えか」「何度も注意を受けているのに続投、NHKに自浄能力はないのか」「籾井さんは経営委員を軽視し、経営委員会は形骸化している」などの厳しい意見が相次いだ。
 朝日新聞61日「フォーラム」欄が「NHK」を取り上げた。ここでは、「NHK会長罷免を求める活動には参加していない市民団体」に対するアンケート結果が載っている。「籾井会長をNHKトップとして適任と思うか」の質問に「全く思わない」65%、「あまり思わない」25%。NHKが優先して実施すべきこと2項目を選んでもらったところ、半数前後が「経営陣を刷新」を選んだ。番組についても「政治が絡むテーマになると制作姿勢が萎縮する」が63%だった。

沈黙を続けるNHK内部にも動き
 3月に発覚した会長のハイヤー私的使用の発端は内部告発だった。4月には、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」に署名した現職のNHK記者が記者会見に登場した。同じく4月、退任する下川理事が「NHKへの信頼が揺らいでいる。この危機に当たって、戦前の実質国営放送から、放送の不偏不党、自主自律を生命線とした公共放送に変わった戦後のNHKの原点に立ち返るべき」と籾井会長批判の強いメッセージを残した。放送現場の日放労組合員有志による外部ゲストを招いた公共放送を考える集会が昨年4月から継続的に開かれ、5月には地方都市で開催された市民集会に日放労幹部が出席して発言するまでになった。
 526日、私たちが取り組んだNHK門前配布でも、NHKに働く多くの人々がリーフを手にしてくれた。「NHKビルに入る人だけに配布したにもかかわらず、これだけ多く配れたのは驚き」(広島)、「読んでから引き返してきて『私は何をしたらいいのか』と問いかけられた」(大阪)、「職員およそ90名、リーフ配布70枚」(福島)、「出勤者はあまり多くありませんでしたが、大半の方が受け取ってくれました」(神戸)など。
 私たち市民からのメッセージが、NHKに働く人々の心を静かに揺り動かしていることが見て取れる。私たちの試みが、放送法違反の言動を繰り返す籾井罷免、政府から独立したNHKへの改革に向けて視聴者・市民とNHKで働く人たちの連携、NHKの内と外から変革の気運を作り出す一歩
につながることを願っている。
                             2015年7月号より


    「報道ステーション」新コメンテーター陣の発言に思うこと

                        中田賢吾(放送を語る会会員)

 テレビ朝日「報道ステーション」は新年度、レギュラーコメンテーターを入れ替えた。すなわち、これまで毎日コメンテーターを務めていた朝日新聞論説委員の恵村順一郎氏に代わって、朝日新聞論説副主幹の立野純二氏,海道大学大学院准教授の中島岳志氏(政治学)首都大学准教授の木村草太氏(憲法学)、それに経営コンサルタントのショーン・マクアードル・川上氏の4氏が、日替わりで木曜まで受け持ち、金曜日はゲストコメンテーターが出演する。
 例の古賀茂明氏のナマ放送での発言、続く自民党のテレビ朝日への事情聴取、これらの一連の動きが、コメンテーターの交代をもたらしたのか、気になるところだ。とくに政府批判に厳格だった恵村氏の交代は、テレビ局側の屈服ではないかという印象を持たざるを得ない。
 そこで、3月30日から4月初めにかけて、辺野古新基地建設関連ニュースでの新コメンテーターの発言をモニターしてみた。

気鋭の憲法学者の発言に違和感
 3月30 日の放送では、ボーリング作業の一時停止を指示した翁長知事に対し、防衛省が農林省を動かして「行政不服審査法」なる法律で、指示を無効にしようとしたと報じた。「この法律は行政の行き過ぎから国民側を守るのが趣旨」という専門家の意見も紹介されていたが、新コメンテーターの木村草太氏は、なぜか、「行政不服審査法」には一言も触れず、「そもそも内閣が、(基地問題に)国会に先んじて前に出てやりすぎ」という新たな論点を提起、憲法95 条による住民投票の必要性にまで話を広げた。
 しか
し、強権を振るい沖縄県知事を封じ込めようとしている現政府に対して、これでは、何の今更としか受け取れない。「オール沖縄」を標榜して基地反対を貫き勝った知事選及び、衆院選の結果はどうなるのか、住民投票に代わる立派な意思表示ではないのか。大いに疑問が残った。

判り易い論旨。
 コメントは、かくあるべき翌3月31 日の放送では、西普天間のキャンプ瑞慶覧(ズクラン)の返還を取り上げ、そこに化学物質のドラム缶が残されていたと伝えた。
 初登場の立野純二氏は、「返還された後に、地元に圧し掛かるこのような環境汚染の負担は、同じ第二次大戦の敗戦国で、米軍の駐留が続いたドイツに較べ、その重さが際立っている」と述べ、「ドイツでは
汚染があればその原状回復は米軍の責任としたのに対し、日本はその原則がないままに今日に至っている」と、沖縄での積年の対米従属の矛盾の、集中的表れを指摘した。
 続いて4月1日の,突然の菅VS翁長会談をめぐる放送に登場の中島岳志氏は、突然の会談成立の背景を問われ「折角、沖縄まで会いに行ったのに、相手は頑なで相変わらず反対の姿勢を崩さない」という現状をアメリカに、それとなく見せようとする政治的演出が狙いだとコメント。「行政不服審査法」についても、この法律は、「食堂を経営する人が、保健所から突然、営業停止を喰らっても、異議申し立て出来る法律」で、「弱い立場の国民を、行政側の強制執行から守る」という趣旨だから、運用が間違っている」と、論旨明快なコメントだった。

この判りにくさは、何だ?
 4月2日の放送ではショーン・マクアードル・川上氏が登場、古舘氏に、政府と沖縄が対立という現状をどう思うか聞かれて、「国と沖縄が対峙する構造としては見たくない」と述べた上で、「戦後70 年ということで言うと、日米の関係は?ということで考えて、東アジアの安全保障状況がだいぶ変わってきている中で、アメリカという地域の安全保障の抑止力はいかがなものか、検証と、そういう文脈の中でアメリカの基地の軽減、地位協定における日本の主権の回復、というディスカッションの文脈が走ったうえでのこういう議論でないと」と、非常に判りにくく、「辺野古移設が唯一の危険除去なのか」という、この日の番組の明確な争点に迫らず、沖縄の歴史や日米関係一般に解消するものになっていた。
 以上、短い期間のフォローでは、此の番組の、従来との比較は、無理と言うもの。しかし、テレビ朝日は、あの古賀茂明氏のゲリラ発言以来、「コメンテーター室」を新設したという。
 コメンテーターの管理を厳しくしようということなのだろうか。これまで一定の評価を得てきた「報道ステーション」の〝ジャーナリズムとしての権力監視力〟が弱まることになるのか、今後も、モニターを厳重に続ける必要があるようだ。

                        2015年6月号より


 
        福島・NHK・日本…やせ蛙、負けるな

                    諸川麻衣(放送を語る会会員)

 3月7日、東日本大震災と福島第一原発事故4周年の番組として、NHKスペシャル「それでも村で生きる~福島“帰還”した人々の記録~」が放送されました。自治体ごと避難を強いられた福島県の9町村中でいち早く「帰村」を宣言、住民の帰還をめざしてきた川内村に入り、帰村した住民の生活を見つめたドキュメンタリーです。かつての三世代同居家族は孫が帰村せず老夫婦のみに、山菜を民宿で出そうとしても県から止められる、村おこしで力を入れてきた蕎麦畑は除染廃棄物置き場に…。何ともやるせないシーンが続き、原発事故が平和な山村(そういえばこの村は蛙の詩人・草野心平の愛した土地でした)にどれほど大きな爪痕を残したのかがひしひしと伝わってきました。原発事故直後の力作「ネットワークで作る放射能汚染地図」のように、取材者が鋭い問題意識で掘り起こしてきた事実の数々が、おのずと「真実」を語り始めたのです-原子力村の村民にとってはこの上なく不都合なはずの真実を…。
 ここで話題はがらりと変わります。この秀作を作ったNHKで-ああ-今なお会長職にあるM氏の件です。氏は2月初め、「慰安婦の番組については、正式の政府のスタンスが見えないので慎重に考えなければならない」と述べて物議をかもしました。NHKの放送は政府のスタンスに則るべきだと言わんばかり、おまけに「河野談話を継承する」としている政府の正式スタンスを無視した発言でした。そして3月半ばには私用ハイヤー代の不適切な処理が暴露され、公私混同だと批判が高まります。3月19日に開かれた臨時経営委員会で監査委員の調査(3月6、9日)の結果が報告され、議事録が異例の早さで公開されました。
 そこには、調査で分かった経緯がかなり詳細に紹介されています。M氏は去年12月26日に、1月2日のゴルフに行くための配車を秘書室に依頼、秘書室から私用であれば公用車でなくハイヤーを使うよう指示されました。M氏は3月6日に「当初から自分で支払うつもりだった」と調査に当たった上田良一委員に述べていますが、配車要請、あるいは乗車の時点で「自分で支払う」意向を誰かに示した事実は確認できず、上田委員も「12月26日に秘書室に(配車を)依頼したところで、自分で支払うとの言及があったのではないかと思います。」と、推測の表現にとどめています。また、昨年数回ゴルフに行った際には電車・タクシーを使ったとの調査結果も紹介されています。
 ここから推測をたくましくすると、こう考えられないでしょうか。M氏はそれまで電車かタクシーでゴルフに行っていたものの、さすがに正月2日から電車で小金井に行くのは億劫に感じ、日頃乗っている公用車が使えないかと思いつき、秘書室に連絡した。ところが私用に公用車は使えないと言われ、ハイヤーをあてがわれた。むろんハイヤーで何の不足もないわけです。M氏としては、私用で乗ることは秘書室も了承していると理解し、支払いのことなど気にかけずにゴルフを楽しんで、後はよきにはからえ…。
 委員会で長谷川三千子委員は、不適切処理はまずもって秘書室のミスだったと強く主張していますが、上のように考えると、果たしてそう言えるものでしょうか…?? 
 巷で報じられているところでは、ここ一年、NHK内では、政権や国会議員の顔色を窺い、無用の摩擦を避けようとする忖度・自主規制・委縮の度が高まっているようです。公共放送の自主・自律について就任後一年経っても全く無理解で、お金に関する自律も大甘、そのような会長の下で、報道や番組制作に関わる職員は、さぞかしつらい、悔しい思いをしているだろう、良心に従ってきちんと社会の諸問題に向き合いたいと考えている職員であれば特にその念が強いだろう…そのことは想像に難くありません。
 そこで再び想起されるのが、冒頭で紹介した川内村のNHKスペシャルです。ここを墳墓の地と定め、孜々として生きてきた人々が理不尽な人災と数十年に及ぶ放射能の恐怖に圧迫される、しかしなお人々は諦めず、村を去らず、淡々と生業に励む…。川内村に生きる人々の姿に、政権の圧力に屈せず社会に事実を突き付け、真実を伝えようとする放送人の秘めた決意が重なって見えてくるのです。
 このまま安倍政権が続けば、日本全体が今の川内村、今のNHKのように過酷な状況になりかねません。事実を歌ってやまない「放送蛙」よ、安倍やMに負けるな、それは私たちが破局を避けるための大切な歌なのだから。

                             
2015年5月号より



        「表現の不自由展」が問いかけたこと


                     増田康雄(放送を語る会会員)
 
 2015118()から21日まで「表現の不自由展~消されたものたち」が東京都練馬区の「ギャラリー古籐(ふるとう)」で開催された。主催は「表現の不自由展実行委員会」(共同代表・永田浩三武蔵大教授、岡本有佳風工房編集者)2012年、在日韓国人写真家・安世鴻(アンセホン))氏のニコンでの「従軍慰安婦」写真展が中止となった。これ等をきっかけに、「表現の自由」が侵される事件が日本各地で頻繁におこり、「表現の自由を損なうものは何か」を考える場をもちたいと企画されたのが今回の展示会である。会場には「天皇と戦争」、「日本軍「慰安婦」問題」、「靖国神社」、「憲法九条」、「原発」、「性表現」など現代の課題と関連した作品が展示され社会的に注目された。
 この期間中、「在特会」などの妨害を防ぐ為、多くの市民団体が寒さのなか展示会防衛と受付,会場整理などに協力した姿が印象に残る。展示会は会期期間に数多くの新聞、雑誌メデイアが取り上げたので注目を集め、2700人が会場に足を運んだ。
 展示された作品は7点。展示作品の中に報道で知られた「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の俳句があった。これは、さいたま市大宮区三橋公民館が月報掲載を拒否したもの。なぜ日常の9条デモを読んだ俳句が政治的理由で拒否されたのか、憲法九条は市民の多くの人々に支持された世論調査結果が多数出ているのに公民館は政治的と判断したのか。戦後70年、日本は戦争に巻き込まれなかったのは憲法九条のおかげにと私は考える。俳句が政治的な内容と公民館が判断したのは理解に苦しむ。この事例も「表現の自由」に抵触していると思わずにはいられない。
 在日韓国人の安世鴻(アンセホン)氏が撮影した年老いた元「従軍慰安婦」(中国在住)の写真が展示されていた。  この写真は2012年新宿ニコンサロン展示後、大阪での展示を拒否されたもの。今も裁判が継続している。ニコンは中止の理由を明確にしていない。
 トークイベントでは7人の作家、画家、アーティスト、映画監督、漫画家などがそれぞれの立場から「表現の自由」とタブーについて発言した。特筆すべきは196211月放送中止されたRKB毎日放送制作のテレビドラマ「ひとりっ子」、映画「ジョン・ラーべ~南京のシンドラー」、森達也監督の「放送禁止歌」の上映とトークがあったことである。私はどの作品も見ていなかったので改めて新鮮な感動を覚えた。
 会場のトークイベントと作品の上映で私が注目したのは1962年、RKB毎日放送芸術際参加作品「ひとりっ子」。この作品は19621125日に「東芝日曜劇場」で放送する予定だった。スポンサーが突然降りたため、放送中止となった。ドラマが「自衛隊」をテーマに取り上げたことが原因と思われる。佐藤栄作、三浦儀一、木村篤太郎、石坂泰三が介入したと言われる。当時、RKB毎日の番組審議会は完成した芸術祭参加作品を「出来が良くない」との答申を出し、表向きには放送中止の理由にした。作品のあらすじは「普通の大学を目指していた息子が試しに受験した防衛大学校に合格する。父親は入学を進めるが、母親は長男が特攻隊で戦死しているので、防衛大学校には行かせたくないという、両親と息子の葛藤」をえがいている。当時の防衛庁は撮影に協力していた。
 この作品を見て、長男の死を無駄死と考え、二度と戦争は嫌だ、という母親の気持ちが私の心に深く入り共感を覚えた。今見てもすぐれた内容の作品だと思う。放送中止に抗議し放送を要求する運動が民放労働者を中心に広がった。番組のスライドと音声だけでの上映運動が日本各地で展開されたと記録にはある。
 最近では放送中止の例が出ていない。企画の段階で自粛しているのかもしれない。その意味では今回の「表現の不自由展」は時宜にかなった企画として高く評価される。今回の展示会は、理不尽な攻撃には「闘う」大切さを示唆していた。

                             2015年4月号より



         歴史の事実・記憶を消すのか?
         ――テレビと「慰安婦」問題――

                   五十嵐吉美(放送を語る会会員)


 昨年来の「朝日」へのバッシングは、安倍首相の「国民の名誉が傷つけられた」発言が力を与えたのか、一月二十六日八七〇〇余人が慰謝料と謝罪広告をもとめ、朝日新聞を提訴するという事態に広げられている。問題の本質は「マスコミ市民」11月号の各論文で論じられている。戦後七〇年の今、「朝日」問題は、日本の言論の自由、民主主義、歴史的事実の危機であるととらえ、私たち一人ひとりが見識をもつことが大切だと考えている。
 「慰安婦」問題――国連をはじめとする国際社会は何度も日本政府に対し、被害女性の人権を守れと「勧告」をだしている。昨年夏も、人権規約委員会は日本政府報告を審査、厳しい「勧告」を行なっている。しかし、「朝日」は間違った報道をした、強制連行はなかったのだから「慰安婦」問題はなかったというねじ曲がった歪んだ考え方の安倍内閣は外務省を動かし、国連報告で「性奴隷制度」と批判したクマラスワミさんに文書の撤回を要求したり、さらにアメリカの教科書会社へ訂正を申し入れるなど、歴史の事実を変えさせようとする行動に出ている。
 これほどまでに国際的な問題になっている「慰安婦」問題、テレビはこの間しっかりと報道してきているだろうか。二〇一三年橋下大阪市長の「(「慰安婦」は)どこの国でもあった、必要だ」という発言が大問題になり、同年参議院選挙前にテレビ朝日「池上彰の学べるニュース」で取り上げたが、政府寄りの解説は批判されるべき内容であった。
 NHKはどうか。二〇〇一年安倍官房副長官(当時)の介入以来取り上げていない。昨年一月の就任会見で「どこにでもあった」発言の籾井会長への罷免要求署名を届けた際、筆者や「慰安婦」問題に取り組んでいる団体代表は、「慰安婦」問題の報道をNHKに重ねて求めた。
 二月五日定例会見で籾井会長は「慰安婦」問題について番組で取り上げるかと聞かれ「正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えない。慎重に…」と発言。「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言した一年前と変わっていない、同じだ。NHKを国営放送だと思っている会長には〝レッドカード!〟しかない。
 高齢のため一人また一人と亡くなっていく被害女性たち。政府は被害者がいなくなるのを待っているのか、と暗澹たる思いにさせられる。
 BS放送だが昨年十二月三日「深層NEWS」が「慰安婦問題を世界ではどう見ているか」をテーマに専門家二人が討論。クマラスワミ報告はかつて日本政府も賛成したことなど、テレビが今まで取り上げてこなかった情報が伝えられた。今年一月七日同番組で「性奴隷か?」をめぐって小林よしのり氏が「当時の公娼制度は性奴隷制」と明言した。
 そんな折二〇一四年日本民間放送連盟賞テレビ報道番組部門最優秀賞を、琉球放送制作のドキュメンタリー「戦場のうた 元〝慰安婦〟の胸痛む現実と歴史」受賞したという情報に接した。民放連のホームページには次のように紹介されていた。
 
戦時中140ヵ所の慰安所があったとされる沖縄。慰安婦に関する大阪市長の発言も伝えながら、「慰安婦」問題の背景、沖縄に慰安所を設置した日本軍の実態を、多くの証言や資料で明らかにした。被害女性の貴重な証言や、宮古島で「慰安婦」を見た住民、慰安婦と交流のあった住民の記憶などを丁寧に集め、「慰安婦」や住民、日本兵が当時何を思っていたのかを「うた」を手掛かりに探った。「慰安婦」という難しいテーマを正面から取り上げた意欲が高く評価される。 戦争末期本土決戦に備えて、陸・海軍合わせて三万の軍隊が島民五万人の宮古島に集結。軍の指示で原野一帯に急ごしらえの兵舎が建てられ、そばに「慰安所」も作られた事が残された見取り図からわかる。草がおい繁り「慰安所」は消えたが、宮古の人々の記憶から消えない「慰安婦」たちとの交流。親を亡くした少女は彼女たちに育てられた温もりを思い出し、ある人は教わったアリランの唄を口ずさみながら彼女たちの心を思い、朝鮮ピーと差別した過去を悔やむ人など、「慰安婦」との遠い記憶を蘇らせた。帰国せず沖縄に暮らすハルモニが故郷の在り処を問われて、地図を見つめる後ろ姿、思わず涙せずにはいられなかった。
 戦後七〇年――過ちを繰り返さないために、テレビは役割を発揮する機会、だと思う。
                             
                              2015年3月号より


    
     「NHK問題」を根底からとらえ直すために
     松田浩・新版『NHK―危機に立つ公共放送~』を読む


                        戸崎賢二(放送を語る会会員)


 待望の出版である。昨年12月、松田浩著・新版「NHK―危機に立つ公共放送」(岩波新書)が刊行された。
 「新版」とされているのは、2005年に発表された岩波新書「NHK―問われる公共放送―」に対してである。それから9年余、この間のNHKをめぐる動きの激しさもあって、同じ筆者によるNHK論の再登場が待たれていた。
 一読して、本書を最初から最後まで大きな骨格というべきものが貫いていることに気づく。放送が市民社会で果たすべき公共的な役割が放送法成立の精神から明らかにされ、NHKにおける政治介入と幹部の迎合、政権に顔を向ける経営の動きなどの歴史的な事件が、すべてその役割からの逸脱として位置付けられ、批判されるという明確な骨格である。そのため読者は、NHKに関するさまざまな問題を系統的に理解することができるのである。筆者は次のように書く。
 ――戦後、電波三法によって日本の放送法制の基礎が築かれたとき、その最大の眼目は放送の「政府からの自立」だった……「政府からの自立」は何のためなのか。それは放送が市民社会においてジャーナリズムとして権力を監視し、民衆の「表現の自由」実現の場、世論形成の場として十分な機能を果たすことを期待したからである。(30ページ)
 ――公共放送NHKの第一義的な公共的役割とは、何よりも、こうした「民主主義に奉仕」する放送の「ジャーナリズムと文化のメディア」としての役割を先頭に立って果たすことだ。(34ページ)
 このまったく当然の精神がNHKに根付かず、「権力の監視」「政府からの自立」といった任務に反してきた歴史を本書は詳細にたどり、告発する。「ETV番組改変事件」の解明に1章があてられているほか、視聴者に向き合うよりも地デジ化、4K実用化など国策に沿った産業政策を推進してきたNHKの体質が批判されている。
 また、NHK予算の国会審議の過程で、自民党の密室での介入が常態化し、NHKの中に時の政権・派閥と深く結びついた政治部ボスを生み、そして彼らとその取り巻きたちが絶大な発言力をもつ「組織力学」を育てていった過程も実証的にたどられる。
 圧力を加える権力に対するだけでなく、NHKの対応も厳しく批判されている。NHKは、「組織として、権力と闘ってでも自主・独立を守ろうという伝統がなく、政治介入のつど、その実態を視聴者の前に明らかにし、視聴者とともに闘う取り組みをしてこなかった」と指摘、その対応の積み重ねの帰結として政権による人事支配があると言う。周知のように、近年安倍政権による極右の経営委員の任命、官邸の意を受けた会長の選任などで、公共放送の危機が深まっている。この事態を克服する方向はどのようなものか、結論は明快だ。
 ――「いま私たちは受信料を徴収されるだけの受け身の存在ではない。自立した視聴者・市民として、また放送における『国民主権』の担い手として、NHKで働く放送の担い手たちと力を合わせて、NHKをつくり直し、あるべき市民的公共放送を実現していく責任があるのではないか」(230ページ)
 あまりにまっとうで、理想論だという印象を持たれるかもしれないが、長期にわたってNHKにかかわる研究と実践に携わってきた著者の最終的なメッセージである。そしてこの方向しかない、という意味でこの提起は実は「現実的」なのである。この提起に沿った具体的なNHK改革案も本書の最後に展開されている。
 本書は二重の意味で「闘い」の書だ。昨年来、籾井勝人会長と極右経営委員の罷免を求める運動が展開されたが、本書はこうした市民の闘いに改めて明確な理論的思想的根拠を与えた。市民の闘いと共にある著作なのである。
 同時に、本書成立の過程そのものが闘いでもあった。松田先生は現在85歳という高齢で、以前からの眼病で視力が失われつつあると聞く。ぼう大な資料をいったんスキャナーでパソコンに取り込み、拡大して読まれたという。「視力のあるうちに」という決意で書き上げられた本書の重いメッセージにどう応えるか、視聴者運動にかかわる評者にとっても、大きな課題が突きつけられていると感じないではいられない。
                             2015年2月号より



      火山噴火・テレビはこれから何を伝えるべきか

                        諸川麻衣(放送を語る会会員)

 戦後最大の死者・行方不明者を出す惨事となった昨年秋の御嶽山噴火の直後、テレビ各局は幾つもの番組を作りました。特にNHKは、クローズアップ現代(九月二九日)、特報首都圏(一〇月三日)、NHKスペシャル(一〇月四日)、視点・論点(一〇月二〇日)と、四番組で取り上げています。最初の二番組は主に映像と生存者の証言から、噴石や火山灰で山頂付近がどのような状況になったのかを探り、突然のこのような噴火の危険を迫真的に伝えました。NHKスペシャルはそれに加え、①傷ついた人々を見ながら逃げざるを得なかった生存者の苦悩、②事前に火山性地震が発生して解説情報が出されながらそれが結果的に防災に活かされなかった問題点にも時間を割きました。
 今回の噴火の最大の教訓はこの②だと私は考えます。火山性地震が多発し、低周波地震も複数回発生し、「火口内及びその近傍に影響する程度の火山灰等の噴出の可能性」があるとの解説情報が出されながら、これはほとんど報道されず、噴火警戒レベルは「1平常」のままでした。そして、噴火数分前にわずかな山体膨張が確認された時には、もう手遅れでした。機器は確実に前兆を捉えたのに、不幸にもそれは「予知」として日の目を見なかったのです。
 『視点・論点』に出演した山岡耕春・名大教授や、二〇〇〇年有珠山噴火の直前予知に成功した岡田弘・北海道大名誉教授は共に、二〇〇七年に導入された「噴火警戒レベル」という枠組みが気象庁主導の硬直的な制度で、個別の火山の特性に機敏に対応できず、地元自治体も受け身になりがちだと言います。山岡教授は『視点・論点』で、噴火警戒レベルが「平常」のままだったために解説情報が逆に「安全」と誤解されてしまったと述べ、「このシステムは御嶽山では廃止し、地元自治体が情報を提供する仕組みに変えるべきだ」と突っ込んだ問題提起をしました。
静岡大の小山真人教授は「気象庁が噴火警戒レベルを示すことの限界が出た」とさえ述べています。気象庁の制度設計に潜んでいた問題が、今回顕在化したと言えるのです。
 さらにもう一つ見過ごせない問題があります。テレビ朝日の『報道ステーション』(一〇月九日)によれば、低周波地震は最初の二回までは気象庁から山岡教授に伝えられたものの、それ以降の分は伝えられなかったというのです。番組中で気象庁の担当者がこの事実を認めました。すなわち、運用においても判断ミスがあったことになります。
 今回の犠牲を今後の防災に活かすために、テレビはぜひこれらの問題をもっと報道してほしいと思います。噴火警戒レベルそのものの問題点、監視・情報センターの業務の実態を丁寧に知らせてほしいのです。今回の災害はある面で「官災」ではなかったのか、今の気象庁に噴火予知を委ねてよいのかという大問題に関わるからです。東京新聞は検証特集で、この点での気象庁の問題点を浮き彫りにしました(十一月)。日本テレビのドキュメント一四やNHKスペシャルが広島市の土石流災害の背景を探ったように、この問題にもテレビは切り込めるはずです。
 そもそも、常時観測火山のデータを集約する火山監視・情報センターは管区気象台レベルにしかなく、現地観測施設は五つの火山にしかありません。就職に結びつかないせいもあって火山を専攻する学生は減少の一途、一火山当たりの観測者数はイタリアの一/三〇だそうです。BS日本テレビの『深層NEWS』(一〇月二七日)では、予知の仕組みと観測体制のこうしたお寒い現状などについて一般向けに分かりやすく伝えていました。
 では放送の現状はどうでしょうか。世界的な火山国であるにもかかわらず、火山や地質など地球科学の視点で自然を見つめる定時番組枠はこれまで皆無で、噴火の際に特別番組が放送されるか、「百名山」などの紀行番組の要素に盛り込まれるだけです。『サイエンスZERO』は時折火山研究の最前線を紹介していますが…。
 一方では、ジオパークなど、地球の営みに関心が高まり始めています。どこかしらで火山が噴火しているというのは日本列島を列島たらしめている日常の営みであり、そのことを正しく知り正しく恐れなければ、日本に住み続けることはできません。放送局は、過去の噴火の映像や空から火口に肉薄した映像など貴重な素材を持っているのですから、火山を積極的に番組化してゆく力量があるはずです。制作者や編成担当者の創造的エネルギーの「噴出」を今年はぜひ期待しています。
                             2015年1月号より


     
       三菱が戻って来た!
~「武器輸出大国」への始動~


                        中田賢吾(放送を語る会会員)

 10月5日(日)放送のNHKスペシャル「ドキュメント“武器輸出”~防衛装備移転の現場から」は、防衛省の音頭とりで、日本が戦後初めて、フランスで開催の国際的な武器の見本市にブースを開設し、日本の大企業が、堂々と念願の武器輸出に乗り出した動きを追っていた。
 日本の武器輸出は、これまで、戦争放棄を掲げる憲法の理念の下、「武器輸出三原則」により禁止されてきた。それを、今年4月、政府は、新たな「防衛装備移転三原則」への転換を閣議決定し、武器や防衛装備の輸出を認めたのだ。
 自衛隊向け武器売り込みが伸び悩む中、早くから旧来の「武器輸出三原則」の見直しを政府に迫っていた経済界は、これを大歓迎。この見本市には、三菱重工、東芝など、大手企業12社が(こぞ)って参加、世界の凡そ五百の企業と武器の売り込みを競った。
 「初めての参加で、手探り状態だが、日の丸を掲げ、国のバックアップで、こうして宣伝すれば、士気も団結も高まるというものです」と語るのは、防衛省防衛装備政策課の堀地(ほっち)課長、地雷処理重機や装甲車の展示の前で、三菱の営業マンの、ブース活況報告に至極、ご満悦の(てい)だった。
 「外国の軍人や政府関係者が来て、三菱が戻って来た、日本が、武器輸出の仲間に入ったと、評判は上々です」その課長、軍用無人機〝ヘロン〟に異常な関心を示し、「カザ地区で、成果抜群の〝ヘロン〟に、日本の技術を加えれば、いろんな可能性が追求出来そうだ」と、カメラに向い、期待の程を吹聴しながら、イスラエル側との密談に別室へ消えた。
 軍用無人機が、十数キロも離れた上空から標的を粉砕、周辺の夥しい罪無き市民を巻き添えにしているのは、職務上、熟知のはずだ。私の友人の一人は、彼の平和憲法、何処吹く風の軽さ、自省の無さに呆れ、別の友人は、ナチスのアイヒマンよろしく、組織の歯車に平気でなれる、思考停止人間が、防衛官僚機構の重要ポストにいる恐ろしさを肌で感ずる思いだったという。
 さて、先の「武器輸出三原則」は、生まれたのが1967年で、日本が大気観測用に開発したロケット技術が、共産圏のユーゴスラビアに軍事転用されたのがきっかけだ。この「三原則」が、外交上の重大な局面で役立った事例を、番組は、外務省への情報公開請求で追跡していた。1979年11月、日本の電子部品と軍用機用タイヤを輸入したい旨のイランの意向を、駐在大使が極秘電報で、外務省に伝えていたのだ。
 革命で親米派パーレビを倒した嫌米派ホメイニが、原油輸入国、日本を頼ってきたのだ。当時、通商産業省で武器輸出規制の担当だった畠山(のぼる)(78歳)は、その電文コピーを確認し、こう証言した。
 『あの「武器輸出三原則」のお陰で断われた。あれ無しには同じ要請が予想される時代に耐えられなかったろう』と。その後、鈴木善幸首相の秘書官となった畠山さんに、安保条約を結ぶ間柄の米国が、武器技術供与の要請をして来たが、これも拒否した。鈴木首相自身で断ったのだという。『「戦争が起って武器が売れていいな」というような産業界の人を作りたくない、ということだったと思いますね』〝技術国日本〟では、他国が真似出来ない部品は、多く従業員二~三十人の町工場で作られている実態も、番組は伝えていた。
 金属に特殊な銅線を巻くだけで、モーターやセンサーを正確に作動させる「コイル」、ロケットの軌道修正に()けたけた「ジャイロ」、それに、幾枚も重ねたレンズに赤外線フィルター付の超望遠鏡など、いずれも、新「三原則」の下では、武器装備品として狙い目の民生品だ。町工場の働き手たちが、知らない間に武器製作の一翼を担わされる不安を異口同音に訴えていたのは当然である。長年、アメリカ国務省で、日本の武器輸出の緩和を求めて来た元日本部長のケビン・アレン氏が、「日本の優れた部品は、武器に組み込み、アメリカを通せば、第三国への輸出は伸び、その輸出先は、追跡されはしない。アメリカが許さないからだ」と豪語する。(この宗主国気取り!)
 その豪語ぶりを裏付けるように、7月18日、あの堀地課長が、自衛隊三軍の幹部の居並ぶ前で、新「三原則」下、NSC認可の輸出第一号に、「ジャイロ」が決まったと、意気揚々の宣言。
 ロケット軌道修正用の民生品「ジャイロ」が、対空ミサイル、パトリオット用に対米輸出されるのだ。しかも、その「ジャイロ」搭載ミサイルは、その後、日米了解の下、カタールへも輸出される見通しだという。
                              2014年12月号より


         
           朝ドラから戦争が見える

                    五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 平均視聴率(関東)は、「あまちゃん」(20.6%)、「梅ちゃん先生」(20.7%)、「ごちそうさん」(22.4%)をおさえて22.6%という数字をだしたNHK連続テレビ小説「花子とアン」。美輪明宏のナレーションの「ごきげんよう さようなら」は、今も余韻が耳に残っている。
 脚本の中園ミホは最終章で、主人公花子の友人で、最愛の息子を戦争に奪われ、なくした蓮子に「最愛の子を亡くされた母親方、あなた方は一人ではありません。同じ悲しみをくりかえさせない、平和な国をつくらねばならないと思うのです」と語らせている。短歌が披露された。

 焼跡に 芽吹く木のあり かくのごとく 吾子の命のかへらぬものか


 『赤毛のアン』の翻訳者村岡花子の生涯を孫がまとめた『アンのゆりかご』が原案だが、脚本の中園さんは想像の翼をひろげ、安倍内閣の「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、憲法九条を壊して戦争する国にしようとしている現実に、フォーカスしての展開だと、放送を見ていて私は感じた。
 戦前・戦後にわたる主人公の人生を描く朝のテレビドラマでは、戦争は避けて通れない時代背景である。
 3人のファッションデザイナーの母で、幼い時から洋服にあこがれて創作してきた小篠綾子の生涯を、尾野真知子が好演した「カーネーション」。幼なじみの心優しい寛太が戦地で精神を病み、日本に帰国。再び戦場にもどって戦死したことがさりげなく取り上げられる。息子を溺愛した髪結いの母親が戦後、主人公の糸子と回想する場面で「あれは、やったんだね」と、戦場で人を殺したことで心が壊されたんだと、戦場を見せずに、戦争の惨めさを視聴者に突きつけた。
 大阪を舞台にした「ごちそうさん」では、戦争末期、米軍爆撃機による火災から大阪の街を守る消火活動を指導していた主人公の夫が、焼夷弾の実際の恐ろしさを体験させようと油をまき、「逃げろ!」と叫んで、憲兵に逮捕されるシーンを、作者は創った。
 「花子とアン」では、村岡花子の経歴を踏まえNHKの前身JOAKラジオの戦争報道、放送責任について、かなりくわしく展開している。
 村岡花子は一九三二年から一九四一年までの9年間、「子供の時間」の「コドモの新聞」コーナーを担当。子どもにもわかるニュースを選び、解説。「ごきげんよう さようなら」のラジオのおばさんとして人気だったという。やがて花子が語りかける内容は時流に迎合、「兵隊さんは頑張っています」へと傾いていった。
 ドラマでは、そこを描いた。花子に「あなたたちが純平を戦地に送ったのよ、純平を帰して!お願い」と迫る蓮子。「ごめんなさい!お国のために命を捧げなさいとラジオで語りかけて…大切に育てられた命を…」と、中園ミホは花子に言わせている。
 「花子とアン」は終わった。一九六〇年前後に『赤毛のアン』シリーズを夢中になって読んだ私は、このドラマで訳者村岡花子のこと、「平和になったら日本の少女たちに紹介して」カナダ人教師ミス・ショーとの約束、焼夷弾にも焼けずに戦火の中を守り抜いた本であることを知った。脚本家はアンの物語にちりばめられた言葉をたくみに使って、ドラマの花子に前を向かせ、女たちの友情を、姉妹の絆を、夫婦の愛を、子の誕生・成長の喜びと失う親の悲しみを、みごとに織り上げた。
 番組が終了するのに合わせて、ナレーションをつとめた美輪明宏との対談が放映された。そこで中園さんが語ったことが印象的だった。彼女は、当時のことを書いてる時がとても怖かった、その頃と今がとても似ているような気がすると。「今は曲がり角にきたのよ」―モンゴメリーの言葉を村岡花子が訳し、中園ミホが使った。「曲がった先になにがあるかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」と続く。
 楽観できない今の日本。悲観はしたくない。曲がった先が戦争にならないように、がんばる時。
                            2014年11月号より



 
    賭博・権力依存症 ~フジテレビの経営戦略~

                         野中良輔(放送を語る会会員)

 日本の成人男性438万人、女性が98万人、合計536万人。これは、厚生労働省研究班が昨年7月に実施した調査によって明らかになった、ギャンブル依存症と疑われる人数だ。
 この数字は推計値とされるが、成人の約5%に上るもので、世界のほとんどの国が1%前後にとどまるのに比べて格段に高い。
 ギャンブル依存症が、様々な社会問題を引き起こしているのは周知の事実で、パチンコ、スロット等の遊戯に夢中になり、幼児を炎天下に駐車した車中に放置し、熱中症で死亡させる事件は後を絶たないし、最近起こったベネッセの顧客個人情報漏えい事件の容疑者は、ギャンブルによる多額の借金が事件の動機とされている。
 今回の調査結果を基に、依存症患者がなぜ多いのか、きちんとした分析と対処が求められるが、現状では、その対策が十分に行われているとは思われない。
 そして、更に依存症増加に拍車を掛けるような事態が持ち上がっている。共産党、社民党を除く超党派のIR(
Integrated Resort統合型リゾート)議員連盟、通称カジノ議連が議員立法で提案した、カジノ合法化を目的とする「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」が、618日に第186回通常国会で審議入りした。
 この法案は、カジノ合法化に向けた基本的な理念・方針を示したもので、提案されているスケジュールよれば、国会は本法案の国会通過後、一年以内にカジノを合法化する追加的な法制上の措置を講じることになっている。
 安倍晋三首相(カジノ議連最高顧問)は5月に訪れたシンガポールでカジノを視察し、「成長戦略の目玉」とカジノの合法化に強い意欲を示し、6月に策定した政府の成長戦略にIR推進の方針を明記している。
東京や大阪、沖縄などにカジノ施設を作った場合、市場規模は15000億円程度、地域のホテルや小売りなど幅広い産業に経済効果は波及するとしている。
 平たく言えば、賭博を経済再生、地方活性化の起爆剤にしようとする魂胆だ。
 
この審議の中でも、法案提案者自身もカジノが合法化される事で、ギャンブル依存症が増える恐れがあると認めており、現に隣の韓国では、炭坑が閉鎖された地域経済の再生名目で作られたカジノ施設に、一日で1万人近くの人々が訪れ、負けが込んで経済破綻した人達の自殺者が急増し、施設周辺の地域には質屋が林立する光景が広がっていると聞く。
 この問題ある構想に、積極的に関わっているのがフジテレビ、ニッポン放送等が属する、
フジ・メディア・ホールディングス(フジHD)だ。フジHD、三井不動産、鹿島の3社は、日本財団と共に政府が主導する国家戦略特区ワーキンググループに「東京臨海副都心における国際観光拠点の整備」と題する提案をしている。
 お台場にカジノやホテル、会議場などを収容できる施設を建設する計画だ。背景にあるのが、フジHD20143月期利益の大幅な減益で、前期比44.8%減と他の在京キー4局が増収増益となる中、1人負けの状態。
 苦戦の要因は視聴率トップをたびたび獲得してきたフジテレビが、近年、視聴率競争で低迷を続けている事にある。フジHDは、お台場のカジノ誘致を業績浮上のテコとしたいと考えており、
同社の日枝久会長は、安倍晋三首相との個人的パイプを生かし、活発にロビー活動を展開しているらしい。
 
安倍首相と日枝氏のお友達ぶりは際立っており、2人は頻繁にゴルフや会食を重ねている。さらに、安倍首相の実弟で衆院議員の岸信夫氏の次男が、この4月にフジテレビへ入社したと報じられている。
 公共の電波を有するマスメディアが、賭博事業に参加することにも疑問があるが、それにも増して権力者との癒着が顕著な日枝氏の行動は、メディアのトップとしての資質に、著しく欠けている。これでは
フジテレビに権力を監視する期待はとても出來ない。安倍一族の籾井NHK会長と同様、早々に退場して欲しいものだ。
                               2014年10月号より


        
     居座りを許さない決意 ~NHKOB 1400人が籾井罷免要求~
                       
                       小滝一志(放送を語る会事務局長)


722日、就任半年を迎えてNHK籾井会長が、ラジオ・テレビ記者会加盟9社の集中インタビューに応じた。24日付「朝日」記事によると、経営委員会や執行部とのすきま風は残るものの籾井会長は、「NHKに溶け込んできた」と自信を見せ、就任記者会見への批判に対しては、「(辞めようと思ったことは)全くない。100%ない」と振り返ったという。
 取材した加盟社記者の一人は、「時間とともに、籾井人事の布石が次々と打たれている。今の役員で任期が一番長いのも籾井会長で、それを見越して恭順の意を示し、従う人たちが増えるにつけ、多くの職員は沈黙して様子を見ているのでは」と観察していた。
 今も仕事のつながりで制作現場に出入りすることの多いNHKOBの一人も、「萎縮して物言わぬ雰囲気が拡がっている」と指摘する。
 経営委員の間でも、「12人中少なくとも5人は籾井罷免に賛成」と言われていたが、最近は某経営委員が「辞めたい」と言い出し、周囲から「ここで辞めたらまた変な人が送り込まれる」と慰留されたなどの情報が漏れてくる。籾井会長が何の反省もなく居座ることが既成事実化しつつあるのだろうか。

今も続く「籾井・百田・長谷川ノー」
 712日に室蘭で開催された「視聴者のみなさまと語る会」(NHK経営委員会主催)では、視聴者から「NHKは公平公正でないといけない。籾井氏、百田氏の発言はそうは思えない」など籾井会長や百田経営委員への批判が相次いだ。9月に岐阜で開かれる次回に向けては、地元市民が発言準備の勉強会を始める動きもあると聞く。
 私たち「放送を語る会」も加わった7つの市民団体が2月末から開始した「籾井・百田・長谷川罷免要求」署名は、半年過ぎた8月、6万筆に達した。

 「
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、8月から新たに「受信料凍結者署名(集約)運動」を起こした。
 
87日には、国際婦人年連絡会(教育・マスメデア委員会)がNHKに、「籾井会長、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は放送法に従って罷免を」と申し入れた。
 
多くの視聴者・市民は、籾井居座りを決して受け入れてはいない。

NHKOBからも「籾井ノー」
 718日にはNHK退職者有志が、「籾井会長への辞任勧告か罷免決議」をするよう経営委員会に申し入れた。
 罷免を求める理由は第一に、国際放送では「政府が右というのを左とは言えない」などと述べた籾井氏が会長にとどまることは、政府・政治権力から独立した放送機関であるべきNHKにとって、重大な脅威。第二に、「慰安婦」について「戦争している国にはどこにもあった」などの驚くべき歴史の偽造、慰安所の悲惨な環境のもとに置かれた女性たちへの人間的想像力の欠如など、就任会見で示された見識、感性からみて、籾井会長がNHKのトップの任に堪える人物とはとうてい考えられない。第三に、「現場は懸命の努力を続けているが、限界に近づきつつあります」と退任理事が発言したように、
NHKで働く人たちが、会長の存在によって特別の困難に直面している。
 よって
放送法55条により籾井氏を罷免し、現在の危機を回避することを要求した。
 申し入れに先立ち、「呼びかけ人」を募ったところ、短期間に全国の170名を越えるNHKOB・OGが手を挙げた。アナウンサー、記者、ディレクター、カメラマンなどの技術者、営業や事務管理職場の職員など、あらゆる職種の人々が加わり、文字通り「オールNHK」の意志を表明する構成になった。中には、ラジオ深夜便やNHKニュースなどで多くの視聴者に親しまれたアナウンサー・キャスター、「NHKスペシャル」など大型番組のプロデューサー、各地の放送局長経験者、経営幹部なども含まれている。
 その後展開した賛同呼びかけにより、2ヶ月弱で賛同者は1200人を越えた(8/10現在)。退職者有志は賛同者名簿を添えて再度の経営委員会申し入れを予定している。
 就任記者会見に始まった籾井会長の言動に対するNHK関係者の怒りと不信、
識見も資質も会長にふさわしくない人物の退任要求がいかに強いかが読み取れる。

 これまでも経営委員会では、一部の委員により籾井批判の厳しい議論が繰り返されていたが、改めて
多くの視聴者・市民の籾井会長居座りを許さない強い決意を汲み取り、経営委員会としての英断を求めたい。
                               2014年9月号より



        NHKの国策放送局化を許さない!
      「どうする! 公共放送の危機」関西集会に950人

                     服部邦彦(放送を語る会会員)

 2014年6月21日、大阪中央公会堂で開かれた「どうする!公共放送の危機」関西集会には、関西6府県をはじめ、遠く秋田、東京、広島などから950名が集いました。
 正面には、「やめなさい!NHK籾井会長、百田・長谷川経営委員の罷免を求めます」の横幕が掲げられていました。
 総合司会はラジオパーソナリティーの小山乃理子さん。
 隅井孝雄実行委員長が「新しい公共放送を作るため力を合わせましょう」と挨拶しました。
 第1部は、4人の講師によるリレートーク。
 醍醐聰さん(NHKを監視・激励する視聴者コミュニテ
ィ共同代表、東大名誉教授)は、基調報告を兼ねて、「NHK、国策放送への瀬戸際」と題して報告を行いました。
 最近のNHK番組を、①政府広報化(論評抜きで政府発表を伝える)、②「空気」づくり(日本近海での中国との緊張状態を大きく伝える)、③注目誘導(国会の質疑では安倍首相の答弁ばかり。首相の外国訪問の成果強調)、④話題そらし(W杯サッカーで、試合や結果以外の話題の過剰報道)と特徴づけた上で、籾井会長の5つの大罪として①官邸・財界のたらいまわし人事の申し子(政権からの自立と真逆)、②官邸の意向をNHK理事の人事や放送につなぐ導管(国策放送推進の尖兵)、③公共放送・放送法のイロハがわかっていない(NHKトップとして場違いの資質)、④人権感覚が欠落(従軍「慰安婦」問題の発言)、⑤会長権限を乱用し専制を敷こうとしている(人事、番組編集で)、と指摘し、それぞれについて詳しい説明を行いました。
 また、3人を罷免する運動をどう進めるかについて、署名活動、ハガキ活動のいっそうの広がり、受信料支払い凍結運動について述べましたが、配布資料で詳しく記述されていた、NHKの会長・経営委員選任の構造的欠陥、制度改革については、時間の制約で話題にすることができず、第2部でも議論する時間がなかったのが惜しまれます。
 池田恵理子さん(女たちの戦争と平和資料館館長、元NHKディレクター)は、「隠されてきた『慰安婦』問題の真実」と題して、「慰安婦」問題をくわしく報告するとともに、2001年の、日本軍「慰安婦」問題を取り上げた番組が改変されたことについて、放送直前に当時の安倍晋三官房副長官らが介入したことが明らかなのに、NHKは検証もしていないと批判しました。また、安倍政権のもとで、「慰安婦」問題がつぶされ、隠されている、籾井さんのような会長のもとで、その尖兵をNHKが果たしてしまうのではないかと指摘しました。
 永田浩三さん(武蔵大学教授、元NHKプロデューサー)は、「番組改変事件・その後そして今」と題して、「ETV2001」番組改変事件で問われたこと、NHKの人事、政治との距離について語りました。また、制作現場の実情について話しました。そして、「秘密保護法や集団的自衛権行使容認をめぐる報道のおかしさは目を覆うばかりです。本来、NHKは権力の暴走をチェックし、国民の知る権利のめに頑張らなければいけない組織です」、「NHKは国民が育ててきた財産。今こそ、それを健全化するために、NHK職員と市民が連帯してNHKをよりよくしていくことを願っています。」と述べました。
 最後に、阪口徳雄さん(NHKのあり方を考える弁護士・研究者の会共同代表、弁護士)が、「なぜ受信料の支払いを一時停止したか」について、法律家の立場から話しました。
 NHK自体が変えられようとしている。ここで受信料を払っている者たちが文句を言わないと、どうなるかわからない、ということで始めた。NHKが裁判したければどうぞしてください。私たちは法廷で一時停止する理由を堂々と述べます。受信料は税金ではない。契約上の権利は主張できる。NHKは放送法を順守する義務がある。NHKが公共放送でなくなれば受信料を払う義務がなくなると述べ、受信料支払い停止で裁判になれば支援すると話しました。

 第2部は、「これからどうする、視聴者の運動」というテーマで、各講師が問題提起し、議論しました。
 受信料凍結問題、「慰安婦」問題、NHK内部の動きについて意見が交わされました。醍醐さんは、「籾井会長が辞めたら過去の凍結分も払います。受信料凍結は不払い運動ではありません」と堂々と言うことは多くの国民の賛同をいただけるのではないかと述べました。阪口さんは、放送内容、ニュースの変わりようを必ずメモしていただきたい。それが集積することが裁判において大きな武器となると話しました。また、NHKの内部の状況について、池田さんは、「内部で言論の自由がなくなったら、萎縮し、上司を見て自己規制するということが出てきたら大変なことになってしまう」と懸念を表明。また、番組がおかしいと思ったら、抗議の電話をすることが大切。同時に「よくやった」と思う番組が出たときは、電話でもメールでも手紙でも「よかった」と意見・感想を届けることが現場で頑張っている人たちをすごく力づける、と述べました。永田さんは、「NHKには様々な可能性があります」、「日本社会を良くするために、NHKが良くならないとだめだと思います。ぜひ、一緒に頑張りましょう!」と呼びかけました。
 最後に、「集会アピール」が実行委員の湯山哲守さんから提案され、会場の拍手で確認されました。

 「6・21関西集会」は、NHK問題大阪連絡会、NHK問題京都連絡会、NHK問題を考える会(兵庫)、放送を語る会(大阪)、日本ジャーナリスト会議関西支部の5団体で構成する実行委員会の主催で開催されましたが、8回に及ぶ実行委員会会議を重ね周到に準備されました。100近い団体に協力・協賛の申し入れを行い、82団体と、個人97名の協賛を得ました。発行した案内ビラは20万枚、作成したポスターは200枚で、ビラは協賛・協力団体を通じてその会員に届けられ、また、協力いただいた団体の機関紙誌に複数回無料で折り込んでいただきました。さらに、京都・大阪・神戸で開催されたメーデーや憲法記念日集会をはじめ、各種の集会会場、繁華街などで「NHK籾井会長やめなさい!」ののぼりを立て、「籾井会長、百田・長谷川両経営委員の罷免を求めます」の署名活動を行いながら配布しました。また、集会が迫った6月12日には、協力団体に宣伝カーを走らせていただき、大阪市役所前、NHK大阪放送局前、京橋・天王寺駅前で、宣伝カーやマイクで宣伝しながら、署名活動・ビラ配布を行いました。
 次に、集会参加者の関心の高さを示す出来事に触れますと、当日会場で販売した書籍が多数購入されたこと。講師が共著者に加わっている「NHKが危ない!」、「日本軍『慰安婦』問題のすべての疑問に答えます」のほか、「マスコミ市民」NHK問題特集号(3月号)、「稀代の悪法『秘密保護法』を許さない」が合計約280冊販売されました。
 もう一つは、集会参加者から提出されたアンケート・感想文の多さです。参加者の3分の1を超える335人の方から寄せられ、ぎっしりと書かれていました。活字入力するとA4版31ページにもなるものでした。

 また、集会後、20名を超える参加者から約300筆の署名簿が送られてきています。
 関西集会の成功は、今後に大きな展望を与えるものだと実感しています。秋田、滋賀、奈良、大阪・堺などでも新しい視聴者運動を始めようとの動きが出てきています。
      

                               2014年8月号より



NHKを視聴者・市民のものにするために
          ~「NHKが危ない!」を読んで~

 
                       府川朝次(放送を語る会会員)
 
 

 「南京大虐殺はなかった」と公言してはばからない作家、「国民が天皇のために命を捧げるのが本来の国柄」と主張する哲学者。この人たちがNHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員に任命された時、多くの人が不安を抱いた。公共放送として、権力から独立した存在でなければならない放送局の、公正な姿勢がたもてるのかと。彼らが現憲法を否定する立場にいることも不安をかきたてた。ところが、事態はさらに深刻なものになっていく。この経営委員会が選出したNHKの新しい会長が、就任記者会見で驚くべき発言を連発したからだ。いわく「慰安婦は戦争地域のどこの国にもあった」「政府が右というものを左というわけにはいかない」等々。
 「NHKが危ない!」は、こうした状況に危機感を持った出版社の社長の発案で刊行された。呼びかけに応じたのは、池田恵理子、戸崎賢二、永田浩三の3人(敬称略)。いずれも現役時代で番NHK組制作に携わっていたディレクター、プロデューサーである。それだけに、自分の身に引きつけて語る「NHKの危機」には説得力がある。執筆者の一人戸崎は、「NHKの危機」は「日本の民主主義の危機」と捉えている。
NHKは民主主義の発展のために、多様な情報、考え方を視聴者に提供する任務がある、と戸崎は言う。その砦ともいうべきNHKがいま危機にある。砦の主であるはずの会長が、敵に砦を明け渡そうとしているからだ。
 「放送の権力からの独立のために、NHK役職員は命に代えてでも闘ってほしい」と訴える戸崎の思いは、市民共通の叫びでもあるだろう。
 NHK問題の本質をついた戸崎の論考に対し、池田と永田は制作者としての実体験をもとに、NHKで働く人たちへ「番組制作の良心をうな」と呼びかける。
 池田はディレクターとして、多くの「慰安婦」関連番組を制作してきた。それだけに、籾井発言に「怒りと同時に恥ずかしさがこみ上げてきた」という。「会長たるものが『慰安婦』の基本のキの字も知らないまま、右翼の人たちがこれまで繰り返してきたでたらめ」をとうとうとまくし立てていたからだ。
 幾たびか放送中止の憂き目にも遭っている池田だが、彼女はくじけなかった。そして、いまこそNHKが正面から「慰安婦」問題に取り組まねばならない時だ、と訴える。「それは戦後70年近く経っても、あの戦争の加害責任を問われ続けている日本と日本人に、これから為すべきことについての、大きな示唆を与えることになるからです。そうなれば、籾井会長のような暴言を吐く人は減っていくはずです。これこそ公共放送としてのNHKの仕事ではないでしょうか」と考えているからだ。
 
永田は、2001年、いわゆる「NHK番組改変事件」の番組を担当したプロデューサーである。政治家の介入によって見るも無残に改変されてしまった番組だが、永田は当初NHK側に立って、その事実を伏せていた。永田を変えたのは、事実を告白した番組デスクの勇気ある行動だった。自戒の念をこめて赤裸々に語る永田だが、それから十数年、いまのNHKは当時以上に締め付けが厳しい、物のいいにくい職場になっているのではないかと憂慮している。だが、そうした閉塞した状況にあっても、良心を貫こうと奮闘する制作者たちもいることを、実名を挙げて紹介している。良心的な番組作りには「内部的な自由が保証されねばならない」が、同時に、その実現のため「市民の力も必要である」と力説する永田。いまはNHKの外にあって支援活動を続ける永田だからこそ言える重い言葉である。
 ここまでで充分読み応えのある内容だが、本書で特筆すべきは、章立てして、「ではNHKを市民の手に取り戻すために、どうしたらいいのか」について論じていることである。
 籾井会長や百田、長谷川両経営委員罷免要求の署名運動は、6月中に5万筆を超えた。その取り組みのドキュメントや、会長の公募制への提言など具体的な例を紹介することで、NHKと視聴者との関係を考え直そうという提案である。NHK問題に関心を持っている人たちにとって、こうした事例は大いに参考になるであろう。
 日本の民主主義を守るうえでも、NHKを視聴者・市民のものにするためにも、この書物の果たす役割は大きいと思う。

                     「NHKが危ない!」(あけび書房 1600円)

                               20
14年7月号より



籾井NHK会長罷免への包囲網

                       小滝一志(放送を語る会事務局長)

  1月25日、NHK籾井会長就任記者会見を聞いて、多くの人たちが「公共放送NHKのトップに不適格」と直感したことと思う。
 市民団体の反応は素早かった。
26日、NHK問題大阪連絡会、27日、日本「慰安婦」問題解決全国行動、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ、NHK問題を考える会(兵庫)、28日、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター、29日、NHK問題京都連絡会、30日、放送を語る会、が相次いで「籾井辞任要求」声明を発しNHKに抗議した。その後、多くの市民団体・女性団体も各地NHKに抗議の申し入れを行った。
 続いて百田尚樹NHK経営委員の都知事候補応援演説、長谷川三千子委員のメディアに暴力で迫った右翼活動家を礼賛する追悼文報道が相次ぎ、視聴者市民は公共放送NHKが危機に瀕していることを痛感した。
2月
22日には放送を語る会が「緊急集会 NHKの危機、今、何が必要か」を開催、140人の参加者が会場に溢れ、立ち見も出るほどで人々の危機感の大きさが示された。これをキックオフ集会にして、「籾井・百田・長谷川罷免要求」署名が始まった。
 署名は、開始から2ヶ月余りの5月1日現在3万8212筆(署名簿3万683、ネット署名7520)に達し、間もなく4万を越える勢いだ。署名活動は、北海道から沖縄まで全国各地に広がっている。3/9 NO NUKES  DAYはじめ各地のさよなら原発集会、メーデーなどの会場で有志が取り組んだ街頭署名では、声をかけると署名を断る人はほとんどなく、署名簿の前に行列ができたり、「籾井・百田・長谷川罷免」の幟を見て向こうから寄って来るなど、人々の怒りの大きさと関心の高さが伺われた。
 特筆すべきことは、公共放送の危機を感じた30名を越えるNHKОBが各地で署名活動に取り組んだことだ。横浜市在住の多菊和郎さんからは、集めた署名用紙に「会長職の辞任を求める書簡」(籾井会長とNHK経営委員会宛)が添えられていた。多菊さんは、後日HPを立ち上げこの書簡を公表している。 「退職したNHK職員の友人から教えてもらいました。言論と放送の自由に泥を塗る、あの“三バカトリオ”は本当に辞めさせなければなりませんね」という手紙が添えられたものもあった。

 気になったのは、添えられた手紙に「なぜNHK内部の人は声を上げないのでしょうか?」という内容が散見されたことだ。
 この間、兵庫・京都など各地で抗議集会が開かれ、東京でも4月
26日、放送を語る会が、「緊急集会第2弾 高まる会長辞任の声を、改革にどう生かすか」を開いた。事前に日放労(NHK労組)にも出席を要請したが連合のメーデー集会と重なり実現しなかった。しかし、会場では4人のNHKОBの発言があった。「籾井・百田・長谷川3人がNHK採用試験を受ければ、まず面接で落ちる。しかし、会長の意向を忖度して擦り寄る幹部はなくならない。即刻辞めさせないと中で腐る」、あるいは1926年とナチス政権誕生後の1934年と2枚の南ドイツ放送局の写真を示しながら「籾井が居座ればこの状態を招く」など、在職中の経験を基に、NHKの危機を訴える発言が相次いだ。連休明けには、名古屋在住のNHKОB12人が「籾井罷免」を求める手紙を全経営委員に送った。
 NHK経営委員会でも、籾井会長就任会見以降厳しい批判が相次いでいたが、4月
22日には、退任する理事が事実上「籾井罷免」を求める発言をしていたことが明るみに出た。  
 理事会でも二人の専務理事が籾井会長の求める辞任要求を拒否したこと、これまでの放送法解釈を踏み越える会長発言で議論が紛糾したことなどが報道され、足元から火の手が上がってきた感がある。
 5月には、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティなどいくつかの市民団体が、会長罷免ないしは辞任までの受信料支払い凍結に踏み切った。
 NHKを挟んで安倍政権と視聴者市民の綱引きが続くが、「籾井会長罷免」の包囲網が、徐々にできつつあるように思える。今後、NHK経営委員会に罷免を決断させる際、トドメを刺すような決定打、それはNHK内部の人々、労働組合の立ち上がりではないのかと思われる。

                               2014年6月号より



籾井会長の“居座り”~深化するNHKの危機~

                          戸崎賢二(放送を語る会会員)

NHKの籾井勝人会長は、辞任要求の声を意に介せず“居座り”を続ける気配である。少なくとも本稿執筆時は、その職に留まったままだ。
 全会一致ではなかったが、NHK新年度収支予算も国会を通過した、衆参総務委員会もなんとか乗り切った、なんとかやっていけるのではないか、というのが籾井会長の現在ではないか。
 この会長で乗り切るしかない、とサポートし忠誠を売る幹部職員も出てきているだろうし、一番気になる労働組合も辞任要求などしそうにない、ということであれば、会長のポストは意外に居心地がいいということかもしれない。
 しかし、このまま何事もなく、籾井氏が会長にとどまるのは、公共的な放送機関であるNHKの危機は深まるばかりである。
 就任記者会見での個々の発言は繰り返し批判されているので繰り返さないが、筆者が一番問題だと思ったのは、氏の民主主義に対する認識だった。
 記者会見で籾井氏は、「民主主義について、はっきりしていることは多数決。
みんなのイメージやプロセスもあります。民主主義に対するイメージで放送していけば、政府と逆になるということはありえないのではないかと。議会民主主義から言っても、そういうことはあり得ないと思います」と述べた。このあと続けて、国際放送について、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」という有名な言明が続く。
 つまり民主主義は多数決だから、それを尊重すれば、放送は多数の支持を得た政党で作る政府と逆のことにはならない、という主張である。この驚くべき素朴な認識は、
政府から独立した放送機関であるべきNHKの性格を真っ向から否定するものである。
 4月1日、入局した新人に対する講話で、会長は「NHKの原点は放送法」と述べ、これをまず学んでほしい、と放送法の意義を強調した。放送法を成立させた基本精神が、戦前戦中の「政府のための放送局」から「政府から独立した放送局」への転換であることを考えると、この根本精神を全く理解していなかった人物が放送法の順守を説く姿はエイプリル・フールにふさわしいジョークとしか言いようがない。
 根本的な問題は、「慰安婦」についても秘密保護法についても、政府に忠実であろうとする思想・信条の持主が現に巨大な公共的放送機関のトップに座り続けていることである。謝罪、反省の言葉はあったが、それは公式の記者会見の場で「個人的見解」を述べたという「行為」についてであって、主張そのものが誤りであったとは言っていない。氏は、この個人的な考えは変わらないとしている。
 この点を的確、かつ厳しく指摘する見解が、ほかならぬNHK経営委員会内で表明された。
 3月11日開催の第1209回経営委員会で、上村達男委員長代行(早稲田大学法学部教授)は次のように述べたと議事録にある。重要な部分を抜粋する。
 「
会長は、公の場で個人的見解を述べたということがよくない、よく分かっていなかったとおっしゃっています。5つの発言については取り消したとおっしゃいましたが、個人の見解に変わりはないということもおっしゃっています。……私から言わせると、国際放送について『右と言われたら左と言えない』という発言や、特定秘密保護法案について『通ちゃったのだから』など、この種の発言は、NHKのトップとして中身そのものが間違っているわけです。取り消そうが取り消せまいが、公の場であろうがなかろうが、個人の見解は変わっていないとおっしゃる中にそれらが入っているとすれば、とんでもないことだと思います」。(傍線は筆者)
 この日、籾井会長は政府主催の東日本大震災三周年追悼式に出席のため経営委員会は欠席していた。上村代行は堂本副会長にこの発言を伝えるよう要請し、何なら私が説明に行く、とまで言っている。経営委員にこれほど批判される会長はかつてなかったのではないか。
 籾井会長が批判に耐え、ほとぼりがさめるのを待ってその地位を固めていくか、市民の批判によって辞任の方向に向かうか、いまNHK会長問題は微妙で重大な局面にある。
 放送を語る会など7団体が進めている会長・百田、長谷川両経営委員の罷免を求める署名は、おそらく5月初旬には3万筆を超えるだろう。この署名運動はじめ、会長辞任要求のさまざまな活動を強めることは、NHKにたいする現時点の市民運動の緊急の課題である。
     
                       2014年5月号より



日々のテレビ   

                          五十嵐吉美(放送を語る会会員)

  2月下旬、東京都区内の図書館で、『アンネの日記』関連の書籍が無残に破り取られる事件が発生した(原稿時、犯人は不明)。誰がどんな意図で破り捨てたのか、動機や犯人像に多くの人が関心をよせていた。

33日の月曜日、NHKの昼のニュースを見終って、何気なくTBSの「ひるおび!」という番組にチャンネルを合わせた。司会者と女性アナウンサーの進行で、スタジオに専門家やゲストを交えて、さまざまな情報を解き明かす番組である。

狙われるアンネ関連書籍に世界の反応は―と題して、番組では、そもそもアンネ・フランクについて、家族の写真や、隠れ家となった家の現在などをボードに示して、男性アナウンサーが真剣な表情で説明していた。アンネが日記を書くようになった経緯、ユダヤ人家族をかくまい、食料品など支援し続けた人たち、最後まで希望を失わなかったアンネ。妻と娘たちの強制収容所での死、別の収容所から生還した父親が日記を出版、世界中の人々に今も感動を与え、世界記憶遺産に登録された『アンネの日記』のもつ重みを、紹介した。

取り返しがつかないことを犯した人間集団、今を生きる私たちが正しく認識すること、記憶する行為がほんとうに大切であることを再認識できた昼の情報番組だった、よかった。私はそのことをTBSに伝えるために電話した。

 

「慰安婦」問題の事実をテレビは報道していない

 その電話で、TBSのほかの番組についての苦情も伝えた。それは31日(土)放送の情報7days「ニュースキャスター」だ。ビートたけしが出演、単なる報道ではなく“ニュース情報エンターテイメント”うたっていることは、わかっているつもりだった。

問題は「慰安婦」をめぐる問題であった。国会で参考人の石原信雄氏(「河野談話」作成時官房副長官)が、16人の元「慰安婦」の聞き取り調査は裏付けなしと発言、菅官房長官が「河野談話」作成過程の検証を行うとのニュースをキャスターの安住アナウンサーが読み上げ、次の項目に入ろうかとその時、ビートたけしが口をはさんだのだ。“20万人だって言っているけど、16人だけでよくまぁ…”と。番組はそれへのコメントなし、正されもしないで進行した。つぶやきだけれど、たけしがいえば、鵜呑みにする視聴者も多いのではないか。教科書からも記述が消され、テレビでタブーのように扱われている「慰安婦」問題を、テレビはきちんと取り上げるべきではないかと、私の意見をTBSに伝えた。

NHK籾井会長の「何かまちがったことを言ったでしょうか」と再度の失言は、侵略戦争で日本軍が女性の人権を著しく侵害した事実を知らないからではないか。公共放送NHKを筆頭にまさにメディアの責任だと言いたい!

 

知らず知らずに、空気が変わってる?

 昨年「放送を語る会」は秘密保護法に関するテレビ報道のモニター活動をおこなった。11月後半からテレビが法案について数多く取り上げるようになり、問題点を指摘。反対運動が急速に高まった。もっと早くに報道されていればの思いが残った。テレビ局トップと頻繁に会食した安倍首相のあの顔がちらつく。

靖国安倍首相の参拝問題、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」(217日)で、漫画家倉田真由美さんが“以前はほかの国が嫌がる参拝をなぜするんだろうと考えていたが、今は日本の首相が参拝することに他の国がとやかくいうことではないと思うようになっている”と話した。いつのまにか空気が右に右にシフトし変わっているのか!

ソチオリンピック報道では、日本選手しか取り上げず、ニッポン!にっぽん!コール。日々のテレビから発信される、強い日本、日本は世界一! 日本は一つ、などなど…。

なにゆえに旗日に旗を出さぬかとそのうち誰かが言ってくるだろう(鎌倉市・佐々木眞)  
 2014
33日の「朝日歌壇」に載った歌。教えてくれた知人が、1月掲載されたのも紹介してくれた。「もはや戦後ではなく戦前ですか暗くて重い孤立への道」「髭のないヒトラー顔に見えてきてわれ等は多分ナチス党員」

                               2014年4月号より


       

NHKの自主・自立の危機に際して訴え 
―NHK門前でのリーフ配布活動に参加して―


                         
服部邦彦(放送を語る会会員)

 
2014年1月14日、「放送を語る会」は、東京、大阪、名古屋、京都、大分のNHK門前で、「放送の自主・自立の危機に際して NHKで働くみなさんに訴えます」(以下「訴え」と略す)というリーフレット(B5版4ページ)を一斉に配布。1月23日には、神戸局前でも配布した。
 「訴え」では、「昨年秋、安倍首相は新たに4人のNHK経営委員を任命しました。」「NHKの最高議決機関である経営委員会に、時の権力者を明らかに支持し、関係が深い人物が4人も送り込まれた、という事態は、戦後のNHKの歴史の中でも異例のことです。」、「経営委員の人事から新会長選任にいたる経過には、NHKの番組、ニュースを政権に都合のいいようにしたい、という政権の意図が強く働いています。」と政権の介入の危惧を表明している。
 そして、「NHKで働くみなさん。このような危機的な状況が進行していることにぜひ注意を払ってください。」として、「NHKの最高の倫理は、政治権力からの自主・自立です。」「とくに、ニュースや番組を担当するみなさん。私たちは、政権の圧力に屈せず、事実の取材を通じて社会の真実を明らかにするみなさんの努力に期待しています。」「現場のみなさんは、視聴者に本当に伝えるべき内容を勇気を持って放送してください。」と呼びかけている。
 さらに、労働組合に対し、「これからは、さまざまな介入、圧力がNHKに加わる可能性があります。その時、NHKの自主、自立を支える力として、NHK労組・日放労への市民の期待は大きなものがあります。」「必要な時には、ぜひ労組としての力を発揮していただきたい、と心から願うものです。」と労働組合への期待を述べ、最後に、「NHKで働くすべてのみなさんの、NHKの自主・自立を守る活動には、視聴者・市民として支援を惜しまない決意であることを表明します。」と結んでいる。
 「訴え」の4面には、賛同者として、視聴者・市民団体など9団体、著名なメディア研究者、ジャーナリスト、NHKOBなど個人29氏の名が記されている。

 主要なNHK放送局門前でリーフを配布したのは、「放送を語る会」の会員だけでなく、「日本ジャーナリスト会議」、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」、「NHK問題を考える会(兵庫)」、「NHK問題京都連絡会」、「NHK問題大阪連絡会」など多くの市民団体だった。こうした一斉行動はかつてない画期的な取り組みであった
 大阪放送局前では、私たち大阪在住の会員が、前記の兵庫、大阪などの市民団体とともに、13名で、「放送の自主・自立を守ろう!」、「政権の干渉・介入を許すな!」のポスターを身につけ、緊張と高揚した気分で、元気に声をかけながら配布したが、顔見知りの職員や日放労役員などから共感と激励の声をかけられるなど感銘深い行動だった。
 「訴え」配布活動のあと、東京、大阪では、NHK労組(日放労)を訪問し、委員長、書記長らと懇談し、今後の意見交換、協力について話し合ったが、NHK労組との協力の足がかりを得たことは貴重であった。
 その後の事態は、「訴え」が表明した危惧が現実になった。
 1月25日の籾井新会長の就任会見での従軍慰安婦問題での暴言、外交問題、秘密保護法、首相の靖国参拝についての政権寄りの発言は、「不偏不党」、「政治的に公平」という放送法の規定に反し、会長辞任を要求する声が殺到した。
 また、新経営委員の百田尚樹氏は、2月3日に、都知事選挙で、田母神候補の応援演説に立ち、「南京大虐殺はなかった」、「憲法改正派です」などと持論を展開。さらに、同じく新経営委員の長谷川三千子氏が、男女共同参画を批判したり、何度も暴力事件を起こした右翼幹部を賛美する追悼文を書いたりしたことなどが判明した。これらの言動は、放送法に照らしても、NHK経営委員としての適格性を欠くものであり、抗議と辞任要求が相次いだ。
 「放送を語る会」は、1月30日、籾井会長の辞任・解任を求めてNHKと経営委員会に申し入れを行った。

                                      

                              2014年3月号より


忘れてはならないことの記録

~原発の町のドキュメント『汐凪を捜して』の衝撃~

                         戸崎賢二(放送を語る会会員)
 

 
たいへんな記録が出版された。尾崎孝史『汐凪を捜して 原発の町大熊の311』(かもがわ出版)である。読んで受けた衝撃は大きい。
 汐凪(ゆうな)とは、東日本大震災の津波で行方不明になった少女の名前である。当時7歳、今も父親の木村紀夫さんが捜し続けている。
 木村さん一家は、福島第一原発のある福島県大熊町で、夫婦と娘二人、木村さんの両親の六人で暮らしていた。海沿いの自宅は津波で流され、その時自宅周辺にいた次女の汐凪ちゃんと妻、父親の三人が行方不明になった。
 津波で家族を失うというのは、体験しない者の想像を絶する悲劇だ。木村さんの場合は、その悲劇が特に痛ましい様相を帯びた。津波直後、福島第一原発の事故が起こり、高い放射能によって、捜索、救出活動が阻まれたのである。
 震災時、隣町の職場にいた木村さんは、三人の家族がどのような最期を迎えたのかを知ることができなかった。何とか知りたいという願いに、原発災害の取材を続けていた写真家、尾崎孝史氏が応え、津波と原発事故発生当時の大熊町がどのような事態に直面し、その中で木村さんの家族はどうなったかを探る取材を開始した。 『汐凪を捜して』は、その長期にわたる取材の詳細な記録である。
 本書は、時系列で日時を示しながら証言を配置していく構成をとっている。木村さん一家を知る住民、小学校の先生、消防団、防災無線担当者をはじめとする大熊町の役場職員、そして、地域出身の東電社員、協力会社の作業員といった多様な人びとの生々しい証言が綴られていく。
 取材者の主観は抑制され、事実がひたすら提示されるため、3・11前後の記述は切迫感に満ちている。刻々と変わる第一原発の状況、政府や東電の対応、全町避難という未曽有の事態に見舞われた町の混乱などが、随所に織り込まれる。
 この記録には、一つの家族のドキュメントを軸にしながらも、「原発を受け入れた町の3・11」の全体像が描かれているのである。とくに、原発で働き、事故に遭遇した人びとの証言、原発の恩恵を受けた町民の、事故にたいする複雑な思いなどが組み込まれたことによって、記録は多様な視点を持つ奥行の深いものとなった。
 加えて、随所に掲載された写真が強い効果を発揮している。尾崎氏が撮影した証言者たちのワンショットは、民衆の肖像の優れた表現であり、自宅周辺から回収された家族写真の中の汐凪ちゃんの愛らしさはたとえようもない。写真という媒体の本来の役割は何か、ということを根本から考えさせられる記録でもある。 木村さんは、3月11日夜から12日にかけて、夜を徹して家族を捜したが発見できない。大熊町の放射能汚染が広がり、12日には全町民が避難する事態となった。木村さんは生き残った長女と母親を安全なところへ避難させ、再び捜索に戻ったとき、バリケードに阻まれるのである。
 のちに妻の深雪さん、父の王太朗さんの遺体が発見されるが、王太朗さんが自宅の近くで見つかったのは、震災49日後のことだった。この間、遺体は放置されていた。もし、12日以降も捜索が続けられれば発見できた位置であり、あるいはその時まだ息があったかもしれない、と木村さんは言う。この責任を東電はどうとるのか、という木村さんの訴えは限りなく重い。
 この一家の例一つだけで、日本の全原発を廃止させるに充分な理由になり得る、そう感じさせるだけの力を、このドキュメントは持っている。大震災から間もなく3年、汐凪ちゃんはまだ見つかっていない。このいたいけない7歳の少女は、どこかで、すべての人びとに「風化させてはいけないこと」「終わらせてはならないこと」は何かを、声にならない声で語り続けている。「汐凪」という名は、原発災害の残酷さ、非人道性を象徴するものとして長く記憶されなければならないだろう。


(この本の印税は、すべて木村紀夫氏が設立した「汐凪基金」に寄付され、その名であしなが育英会その他の団体に寄付される)
                                                                      

                                          2014年2月号より



危    機
                            
                     小滝一志 (放送を語る会事務局長)

 昨年末、「特定秘密保護法」が強行可決された。多くの人々が戦前の「軍事機密法・国防保安法下の暗黒社会」の再来を危惧、「ナチ独裁に道を開いた全権委任法」に相当する希代の悪法として反対運動がかつてなく高まった。にもかかわらず安倍自公政権は暴走、「慎重審議」の声を無視して強行突破した。
 テレビメディアは、自らの「報道の自由」が危険にさらされるにもかかわらず総じて危機意識が弱く、参院選直後開始された法案準備から臨時国会上程直前までニュースで取り上げることは皆無に近かった。私は、「メディアの劣化」と「市民の知る権利・プライバシーが侵される」日本の民主主義のかつてない危機を感じた。法案に反対した野党は、今後こぞって「日本の民主主義を取り戻す」を旗印に「特定秘密保護法廃止」を公約として掲げ、次の選挙の争点にして欲しい。


 「特定秘密保護法」強行成立と前後して、「NHK会長退任表明」が伝えられた。私には安倍政権のNHK人事支配がまた一歩進んだように見え、NHKの危機もかつてなく深まったと感じた。
 かねてから安倍政権や自民党内にはNHKの原発再稼働やオスプレイ報道をめぐって不満がくすぶっており、首相は「NHKの体制刷新をすべき」との意向が強いことが伝えられていた。すでに、NHKの人事支配の布石の第一歩して、考え方の上でも人脈的にも安倍首相に近い4人が新経営委員として送り込まれたことは記憶に新しい。松本会長は、自身をNHKに送り込んだ元上司・葛西敬之JR東海会長からさまざまな注文が付けられたがこの要求を拒否、両者の関係は冷え切っていて、葛西氏は、元NHK理事を次期会長に推したとの報道もある。会長自らの「退陣表明」は、安倍政権の圧力に屈し「放送の自主・自立」という会長の最も重要な任務を放棄したものと思えてならない。


 松本会長の任期は1月24日まで。経営委員会は昨年7月から「会長指名部会」を開催、11月には6項目の「次期会長の資格要件」を公表した。NHK問題京都連絡会・NHK問題を考える会(兵庫)・NHKを監視・激励する視聴者コミュニティなど市民団体からは次期会長選考をめぐって要望が相次いだ。私たち「放送を語る会」も日本ジャーナリスト会議と共同で12月9日、「次期NHK会長選出に当たっての要望」を経営委員会に文書で提出した。内容は他の市民団体とほぼ同じで「①会長の選出基準は、ジャーナリズムと放送の文化的役割についての高い見識を持ち、放送の自主・自立を貫けるかどうか ②会長選出の議事録公開 ③会長候補の公募制 ④次期会長候補に所信表明の機会を設ける」の4項目。「会長の選出基準」は、昨年末の松本現会長の「退陣表明」をみれば、論を待たず衆目の認めるところだと思う。経営委員会議事録を見ている限り、昨年7月から毎回開催されている「会長指名部会」は、内容が一切公表されていない全くの密室協議である。受信料で支えられ視聴者に開かれたNHKであるならば、「会長選出経過の議事録公開」「会長候補の公募制」も至極当然の要求であり、いずれも経営委員会自身が決断すれば可能である。これらの市民要求に真摯に耳を傾け、政権の意向を忖度したり干渉を許すことなく経営委員会が放送法に則り自主的に会長選考に当たることを強く要望したい。
 「放送を語る会」では10~12月、テレビの「秘密保護報道」をモニターした。ラジオのニュースは、政局報道に傾き、法案解説に当たっても政府主張をオーム返しに繰り返すことが多く、一方、問題点の指摘や市民の反対意見の扱いは小さく、事実報道・客観報道には違いないが公平・公正さをいちじるしく欠き、時には政府広報版の趣を呈した。ジャーナリスティックな論評を用心深く避け、政権の圧力に怯えその意向を忖度した及び腰の報道が目立った。経営委員会や幹部だけでなく、放送の現場に携わる人々にも、政権・与党に臆せず気兼ねせず「放送の自主・自立」を堅持した報道姿勢を強く望みたい。

                                                                          
                              2014年1月号より



NHKは公平・公正な報道を 「視聴者のみなさまと語る会in津」に参加して

                           佐々木有馬(放送を語る会会員)

 NHKでは、二〇〇八年以降、「視聴者のみなさまと語る会~NHK経営委員とともに~」を毎年6回以上、全国各地で実施している。この集会は放送法で義務付けられおり、経営委員や執行部の理事らが出席して視聴者の意見を聴く。
 筆者は今年の集会の中で、九月七日、津放送局で開催された「語る会」に参加した。
 NHKの番組については、その健全性を評価しているが、報道、特に政治の動きに関するニュースでは特定の情報に偏重しているのではないかと日頃から疑問を持ち、ノートを取りながら視聴してきた。
 偏重の実態を具体的に示してNHK当局に意見を伝えたい、視聴者・市民にも知らせたいとの思いで、ネットを活用しNHK放送センターや各地の放送局に意見を送信している。かつては手紙、FAX,電話などでも行ってきた。
 この活動を始めて二十年ほどになる。「視聴者のみなさまと語る会」の催しは当局に直接伝える機会として重視している。

政党の扱いの不公平と政府広報のようなニュース
津放送局で発言した内容の一つは、七月の参議院選挙を前にした「日曜討論」での各党首へのインタビューの時間配分の問題である。
 自民党安倍総裁は二十八分二十四秒、新党改革舛添代表は五分十五秒であった。この差は五・六倍である。国政選挙を前にスタートラインに並ぶ各政党に対して、公共財である電波の配分に差を設けることは不平等な扱いであり、不条理なことではないかと指摘した。
 もう一つは、政治の動きに関するニュースについてである。
 八月一日から三十一日までの一か月間、午前七時、午後七時、午後九時の「ニュースウォッチ9」の三つのテレビニュース番組で、政府、各政党の政策、会見、インタビューなどがどのように報道されているかをウォッチした。取り上げられた本数は概ね次の通りだった。
 政府に関するもの一一三本、政党に関するものでは自民党十二本、民主党十三本、公明党五本、みんなの党三本、他の政党はゼロであった。
 八月には、TPP、消費税、原発汚染水問題、集団的自衛権解釈変更問題など、重要な項目があったが、NHKのメインのニュースでは、圧倒的に政府の動きを中心としたものが放送されている。さながら政府の「指定席」であり、政府の広報役をはたしているのが実態である。
 私はこうした事実をあげ、公平・公正をうたう放送法、およびNHKが自ら定める「日本放送協会番組基準」、並びに、民間放送連盟と共同で制定した「放送倫理基本綱領」にのっとった番組内容とされることを強く求めた。
 「放送倫理基本綱領」では、「放送は、国民に多様な情報を提供するという民主主義にとって欠かせない役割を担っている」と規定している。しかし、日々の放送の実態をみると疑問を持たざるをえない。

NHK側回答に唖然
 当局はどう回答したか。党首インタビューについては「議席ゼロの政党も報道するのかということになる。政府は選挙によって選ばれている、これも民主主義だ」(経営委員) 政治の動きのニュースについては「各政党の国政へのかかわりによる。政府の施策は国民の生活にかかわるものだ。異なる意見も含めて報道している」(執行部)といったものだった。
 筆者が“多様な情報の提供がなされているか疑問だ”と指摘したことに対して、政権偏重の報道姿勢を正当化した回答に唖然とした。
 NHKのニュース報道の姿勢は今後も大きく変わることがないと思われる。むしろ経営委員の人事の問題など、ますます政権寄りを強めるのではないかと危惧される。放送に従事される人たちを応援しながら「おかしい部分はおかしい」と言い続けて行きたい。

                               2013年12月号より


日本の戦争遺跡保存を考える ~ドイツの遺跡保存に学ぶもの~

                        
                            増田康雄(放送を語る会会員)

 私は2010年に都立高校の公開講座「多摩地域の戦争遺跡」を受講して以来多摩地域に残る「戦争遺跡」を写真に撮り続けてきた。
 戦後生まれが8割以上となり、戦争の記憶が遠のいて、「戦争遺跡」もだんだん失われつつある。なんとかして次の世代に「戦争の記憶」を残したい。今こそ、その調査と保存が大切な時期ではないかと思う。

日本の戦争遺跡保存の現況
 1975年以降、東京空襲を記録する活動、大阪の戦争展開催の活動、沖縄県の平和資料館開設の活動が始まり、日本各地の高校生や地元の保存する会が中心になり、調査と保存公開の運動が広がった。
 1997年に「戦争遺跡保存全国ネットワーク」が文化財保存全国協議会、歴史教育者協議会などが中心になり結成された。このネットワークは、毎年全国シンポジウムを開催し、交流や情報交換を行っている。
 2004年7月現在、全国で95件が文化庁、地方自治体による文化財保存対象に登録されている。例えば、東京都東大和市旧日立航空機変電所、群馬県東村防空監視哨、沖縄県美里国民学校奉安殿など。しかし、戦争末期、朝鮮人強制労働で造られた、八王子市の浅川地下壕(中島飛行機)、倉敷市の亀島山地下壕(三菱航空機)、横浜市の日吉台地下壕(海軍連合艦隊司令部)などは未だに文化財保護対象になっていない。

第17回戦争遺跡保存全国シンポジウム
 私は今年8月に、岡山県倉敷市で開催された「第17回全国シンポジウム」に参加した。今年の全国シンポにはドイツのミッテルバウ・ドーラ強制収容所追悼記念館のヴァ―グナ―館長が記念講演ゲストとして招待されたほか、三つの分科会で日本各地の戦争遺跡の調査報告と討議があり、盛り上がった。
 ヴァ―グナ―館長は、ミッテルバウ・ドーラ追悼記念館の歴史について次のように述べた。
「大戦最後の二年間、ナチス・ドイツ指導部は連合国の空襲から軍需工場を守るため、その一部を地下構内に移転し、その地下壕を建設するため、ヨ―ロッパ各地の強制収容所から6万人の収容者を強制動員した。地下工場の建設とロケット兵器製造では過酷な労働と劣悪な生活条件のもとで2万人が命を失った。戦後、ドイツの再統一により、1991年に歴史博物館となり、追悼の場、ナチスの歴史的な犯行を後世に伝える場となった。2000年、国家財団法人の地位を得た」
 私は、追悼記念館がナチス犯罪の証拠として位置づけられ、施設のために国が財政助成している点、記念館が犠牲者の追悼の場になっている点に感銘を受けた。日本でも重要な戦争遺跡は文化財保護対象として国や地方自治体が財政助成と登録を速やかにすべきと思う。

日本での戦争遺跡保存の問題
 2012年の「第16回全国シンポジウム」で話題になった問題がある。
 大阪の「ピースおおさか」では、自治体首長が個人的イデオロギーにもとづいて日本軍、加害企業の戦争責任の展示を撤去しようとしている。また、埼玉県平和資料館は民間委託に移すと県知事が提案している。直近の情報では東京都が武蔵野市の中島飛行機跡に唯一残る建物を撤去しようとしている。
 こうした遺跡保存の現状や問題を大手マスコミはほとんど伝えていない。今年の「全国シンポ」の模様は地域の新聞、テレビが伝えたが「赤旗」だけが全国版で伝えた。もっとマスコミは市民に知らせてほしいと願わずにいられない。

                               2013年11月号より

TPPの正体

     
                            府川朝次放送を語る会会員)

 TPP(環太平洋経済連携協定)参加12か国が、年内の交渉妥結を目指す共同声明を発表したのは8月末のことだった。テレビは、会合が開かれたブルネイからの中継も交え、連日TPP交渉の経過を伝えていた。が、私には不満だった。遅れて参加した日本が、困難な交渉を抱えながら、なぜいきなり早期妥結の旗振りをしなければいけないのか、それが国益にかなうことなのか、という疑問にどこの局も答えてくれず、事実のみが連日報じられていたからだ。疑問を深めた背景には、TPPに期待するアメリカ系多国籍企業群の実態をあばいたルポルタージュとの出会いがあった。

多国籍企業の策略
 堤未果著「(株)貧困大国アメリカ」(岩波新書)。この中で彼女は書いている。「TPPやACTA(偽造品取引防止に関する協定)、FTAなどの自由貿易をアメリカ国内で率先して推進する多国籍企業群は、こうした国際法に情熱をもって取り組んでいる」。その理由は「かつてのように武力で直接略奪するのではなく、彼らは富が自動的に流れ込んでくる仕組みを、合法的に手に入れることができる」からだ。
 その例の一つに挙げているのが、2012年3月に施行された米韓FTA(二国間自由貿易協定)である。アメリカ側は事前協議の段階で、(1)アメリカで科学的安全性が認められたGM(遺伝子組換え)食品は無条件にうけいれる(2)韓国の国民皆保険が適用されない株式会社経営の病院の参入を認める(3)アメリカ産牛肉の輸入条件を緩和する、の3項目を韓国側に了承させていた。この協定のもと、今まで地産地消を原則としていた韓国の学校給食の食材にアメリカ産のGM食品を参入させる道を開いた。韓国内で最大の市場である給食を牛耳るためには、ISDS条項(投資家保護を目的とした裁判)をチラつかせるだけで十分だった。日本で厳しく制限されていたBSE(牛海綿状脳症)検査もなく、アメリカ産牛肉はスムーズに韓国に流れ込んでいる。
 だが、だれが考えても理不尽なこの協定が何故まかり通ったのか。一つは当然のことながらFTAを歓迎した韓国内の富裕層の存在があったからだ。現に、韓国では締結後すさまじい勢いで貧富の差が開き、投資家や多国籍企業など1パーセントの資産価値が上昇する一方で、99パーセントの国民は貧困の度を増しているという。もう一つはマスコミの存在があった。韓国は一時IMF(国際通貨基金)の管理下に置かれたことがあった。その際、マスコミに外国資本が参入できる道筋を整えておいた。そのおかげで韓国民にとって決定的に不利益をもたらすFTAの情報をギリギリまで伏せることが可能になった、と堤氏は結んでいる。

韓国の二の舞にならないか
 こうしてみてくると、TPPをめぐって現在日本が置かれている立場は、韓国と似ているのではないか。アメリカ産牛肉の輸入制限は緩和された。かんぽ生命保険の新商品販売について、麻生金融相が待ったをかけた。これらはTPP受け入れの下地作りに見える。そして、「攻めの農業」を標榜する現政権のもとで、アメリカ系多国籍企業の「アグリビジネス」が参入してくる可能性は十分ある。その恐ろしさは、GM(遺伝子組換え)種子、農薬、特許料をセットにして売り込む点にある。一旦GM種子を手にするや、農家は毎年種子とそれにしか効かない農薬とを買い続け、農薬の特許料を永久に払い続けねばならなくなる。
 私のような素人でさえ思い至るこうしたTPPの影響について、テレビメディアの人達は危機感を持っていないのだろうか。なぜ口を閉ざし続けているのだろう。それとも発言できないような強い圧力が存在するのだろうか。
 守秘義務を理由に交渉内容について一切秘匿されている今でも、テレビがTPPについて伝えるべきことは様々あると私は思う。

                               2013年10月号より

テレビ参院選報道番組に問われたこと

                            戸崎賢二(放送を語る会会員)  

 選挙で投票するにあたって、人は何をもっとも主要な判断材料にするのだろうか。ネット選挙が喧伝されたが、選挙後の世論調査を見る限り、ネット情報を参考にした人の比率は予想に反して低く、依然としてテレビが作り上げたイメージが大きく影響していたようだ。
 放送を語る会では、こうしたテレビの影響力の大きさを踏まえて、選挙時のテレビ報道の検証を繰り返し行ってきたが、今回の参院選でもモニター活動を展開した。その報告は、8月に放送を語る会ホームページに掲載している。

二つの批判
 
この報告には、参院選関連テレビ番組の問題点がいくつか指摘されているが、その中の主なものを二つあげておきたい。
 第一、ほとんどのテレビ報道が、「ねじれ解消が焦点の参院選」と決まり文句のように伝えていた。この点についてはすでに多くの批判があり、当報告でも言及している。「ねじれ」には、ものがねじれた状態は不正常、という語感がつきまとう。「解消は良いこと」、という心理的な効果を生む言葉なのである。メディアは不思議にこのことに鈍感だった。
 重要なことは、改憲問題や原発政策、TPP、消費増税など重要な争点で、参院でどのような対抗する勢力地図が描かれるかであり、それが焦点であるべきだった。選挙翌日のNHKの政党討論で、自民党の石破幹事長は、「今回の選挙をねじれ解消を争点として闘った」と明確に述べたが、この言葉は政権側の主張であって、それをメディアが言うことは明らかに偏向だったはずである。
 第二に、選挙期間中の、政権に対する批判、検証の弱さが指摘されなければならない。 
 自民党が、「ねじれ解消」とアベノミクス効果を前面に立て、原発政策や改憲問題を積極的には打ち出さない選挙戦を展開したが、テレビでは、貧困と格差、ブラック企業の横行、といった実態を政権政党に突き付ける報道は希薄であり、改憲問題でも、軍事法廷も含む国防軍実現という恐るべき自民党の意図についても追及が弱かった。このため、選挙までの間に、「アベノミクスで経済は上向き」といった支配的な空気が作られた。これが自民圧勝を導く要因の一つになった疑いが強い。

自民党のTBS「出演拒否」事件
 
メディアの政権批判が弱い理由として、自民党の攻撃的な姿勢、圧力がテレビ局側に意識されていることがあるのではないか。その一端をみる思いがしたのは、自民党のTBSへの出演拒否の動きであった。今回の選挙期間中に起こったこの事件の意味するところは重大である。
 6月26日のTBS「NEWS23」は、国会で重要法案が軒並み廃案になった問題を取り上げたが、その中で自然エネルギー財団の関係者が、電力事業のシステム改革の法案が廃案になったことを、経過から見て自民党が通す気がなかったのでは、と批判した発言を組み込んだ。
 この番組内容を不服として、7月4日、自民党は幹部のTBSへの出演を当面拒否すると表明した。TBSは謝罪はしなかったが、「指摘を受けたことを重く受け止める」など釈明する文書を出し、自民党は5日、これを事実上の謝罪だとして出演拒否を解除した。
 局側のコメンテーターやアナウンサーの発言ではなく、外部出演者のコメント内容を理由に強硬な措置をとるのは常軌を逸している。こんなことを理由に、政権政党がテレビ局に圧力をかけるようなことが是認されれば、自律的であるべきテレビ報道が危うくなる。これはTBS対自民党の問題にとどまらない問題である。各テレビ局は、一斉に抗議の声を上げるべきだったが何も起こらなかった。
 6月30日の朝日新聞のコラム「日曜に想う」で星浩特別編集委員が書いていたが、毎週月曜日の朝、菅官房長官を中心に開かれる会議があり、前週の新聞やテレビの報道内容がテレビキャスターの発言も文字に起こされるなどして配布されるという。報道内容が政権によって毎週詳細に検討されているのである。
 自民党は、改憲草案で、表現の自由や結社の自由に対して、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」は認められない、という重大な制限を設けている。メディアにたいする過敏、強硬な姿勢と、この改憲の方針は、自民党という政党の根本の体質から出ているのではないか。
 とすれば、この政権にたいしては、メディアは相当な覚悟をもって対峙しなければならない。はたして今のテレビジャーナリズムにその自覚があるであろうか。

                                2013年9月号より


6月2日「NO NUKES DAY~テレビでは「何もなかった日」~

                            小滝一志(放送を語る会会員)

 6月2日13時、集会の始まった明治公園は人で埋まっていた。陽射しを避けて木陰に集まっていた「放送を語る会」有志のメンバー数人の輪に遅れて私も加わった。市民として「脱原発」の意思表示のために、そしてもう一つはこうした市民運動をメディアはどのように報道するのか、この目で確かめるために。
 集会は「6.2 NO NUKES DAY」。「原発ゼロ」「原発再稼働・輸出反対」などを掲げて首都圏反原発連合など3つの団体が共同で開催。ここ明治公園に1万8000人、芝公園に7500人が集まり、その後多くのコースに分かれてデモ行進、夕方には国会包囲、正門前集会には6万人、延べ8万5000人(主催者発表)の市民が参加した。
 高齢者の多かった私たち「放送を語る会」有志は、明治公園から六本木までのデモに参加した後、国会包囲行動はパスして喫茶店で一息入れ、その後国会正門前集会に参加、夕暮れまで「原発いらない」「再稼働反対」のコールを繰り返した。


テレビはこの日をどう伝えた?
 私は、この日の夕方から深夜にかけて気が付いたテレビニュースを片っ端から録画セットしておきチェックしてみた。 先ず驚いたことは、テレビにニュース番組が少ないこと。日曜日の編成と言う事情を考慮に入れてもこれでいいのかと疑問に思う。
 NTVはニュース枠ナシ、テレビ朝日「ANNニュース」(2045~)4分でニュース2項目、TBSテレビ「フラッシュニュース」(2054~)6分でニュース2項目、テレビ東京「ニュースブレイク」(2148~)6分でニュース2項目、「TXNニュース」(2430~)5分でニュース3項目、フジテレビ「FNNニュース」(2345~)10分でニュース6項目、いずれもNO NUKES DAY には全く触れなかった。報道情報番組NTV「真相報道バンキシャ!」(18001855)、フジ「Mr. サンデー」(22002305)でも取り上げていない。
 結局、取り上げたのはNHK「ニュース7」(1900~)だけだった。30分の放送時間でニュース11項目とスポーツを放送、6項目目に「原発再稼働に反対」のタイトルで45秒ほど芝公園と国会周辺の映像を流した。そのNHKも次の「ニュース」(20452100)ではNO NUKES DAY は落ちている。
 これでは、テレビを情報源にしている多くの人たちにとって、6月2日は「何もなかった日」だったのではないか?
 実は、「放送を語る会」では、モニター活動を設定し、集会翌日の3日のニュースを併せて2日間ウォッチした。当然のことながら3日月曜日の定時ニュース枠でNO NUKES DAY 報道したところはどこもなく、私たちのモニター活動は空振りに終わった。


市民運動軽視、情報選択は「官尊民卑」?
 なぜNO NUKES DAY 報道は皆無に近かったのか。要因の一つは、市民運動軽視、情報選択の時「行政の発表は信頼できるが市民の声はあてにならない」という「官尊民卑」の姿勢が大手メディアに根強くはびこっているためではないか。
 6月2日の各局ニュース項目を見ると、この傾向が読み取れる。「FNNニュース」を例にとると、①字幕「アフリカ安定に1000億円支援」(横浜で開催中のアフリカ開発会議で安倍首相表明、何の疑問もなく政府発表がトップニュース)、②「栃木県真岡市女性殺害 家族の知人とトラブル」(事件は1日朝)、③「トルコ反政府デモ続く」(2日も市民数万人参加、拘束939人負傷数百人)④「秋田飲食店従業員殺害 被害女性の通夜」(遺体発見29日)、⑤「千葉成田市 炎上車両から遺体見つかる」(2日早朝)、⑥「中国人気番組に日本の子ども招待」。
 ニュース価値の受け取り方は、人によって千差万別であることはよく判っているつもりだ。しかし、編集者がこの6項目のニュースに比べ、NO NUKES DAY に視聴者の関心はないと判断したのは妥当だろうか。「ニュースでは、人の生き死にが重要」と報道関係者から聞いたことはあるが、②、④項目とも続報だ。また③は遠いトルコの反政府デモは伝えても足元の日本の市民運動には関心がないのか。トルコは1000人近い拘束者と数百人の負傷者が出たが、NO NUKES DAY は何事もなく平穏無事に終わり伝える価値はないと判断したのか。一般の人々の感覚からは違和感の残る編集姿勢ではないか。
 放送法には、その目的に「放送が健全な民主主義の発達に資する」ことを掲げている。ニュース編集の基準の中に、この項がきちんと位置づいていれば、日本の市民運動に対するメディアの評価、報道の仕方も随分変わるのではないか。それを期待したい

                               2013年8月号より



「ラジオの行方」~進まぬデジタル移行~

                            野中良輔(放送を語る会会員)

 詩人の谷川俊太郎氏は、詩人にならなければラジオ工になりたかった、と公言するほどのラジオ好きでラジオの収集家としても知られている。
 谷川氏はラジオに寄せる想いをエッセイ集『一人暮らし』の中で『古いラジオの「のすたるぢや」』と題して次のように記している。
 「一九四五年に戦争が終わって少しすると、アメリカ製のラジオが日本でも手に入るようになった。と言っても、もちろん少年だった私に買える金額では無い。店の主人に頼みこんで見せてもらうだけである。そして一目見ただけで恋に落ちるのである。(中略)私は古いラジオをコレクションするという泥沼に足を突っ込んでしまったのだ。おまけにオームの法則も理解していないくせに、半田ごてを握るのが好きだったので、鳴らないラジオを鳴らしてやろうというお節介までやくようになった」

 
 
氏ならずとも、当時は秋葉原で部品を調達し、半田ごてを握ってラジオの自作に熱中する多くのラジオ少年達がいた。鉱石ラジオから始まり、高音質のステレオアンプ製作へと行き着くのが定番のコースだ。
 ラジオの自作はラジオ放送の初期から盛んで、実験放送の段階からメカニズムとしてのラジオに興味を持つファンは大勢いたが、当時の外国製受信機は今なら乗用車並みの値段で、高額のラジオ受信機が購入困難なファンは必然的に自作のラジオへと向かっていった。
 そしてそれらのファン等に対応するため「無線と実験」「初歩のラジオ」などの技術関連の雑誌も次々と出版された。ラジオは情報等の伝達手段であると共に、電子工学の入門教材としての役割をも担っていたのだ。
 因みにアップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏は六、七歳の頃に一人で真空管ラジオを組み上げたというエピソードの持ち主だ。

 そのラジオの行方に少々陰りが見えている。
 「情報メディア白書2012」によれば、2010年度の民放ラジオ営業収入は総計1467億円しかない。2000年度には2505億円だったので10年で1000億円減少している。そしてスマートフォンなどの多メディア化で、若者を中心にラジオ離れが加速している。
 しかも
アナログ放送は都市部を中心にビル陰や室内の難聴取が指摘されていて、災害時での情報インフラとしての役割を果たし難くなっている。その解決策としてラジオのデジタル化が検討され実験放送も何度か行われていた。
 
しかしデジタル化には設備設置に多額の費用が必要とされ、聴取者にも新たな受信機の購入が求められる。ラジオ離れが深刻な状況での多額投資に難色をしめす放送局が多く、地方局にはAMの継続で十分対応できるとの声も上がっていた。また在京AM局ではアナログのままFM放送に転換して難聴取解消対策を進める案が浮上し民放連としての統一対応は決めず、デジタル化は個々の放送局に委ねることになった。
 
災害情報に限って言えば、放送対象地域は狭いほうがよい。その地域にとって切実な災害情報がより多く提供されるからだ。その意味では、カバーエリアが狭いFM移行は現実的かもしれない。
 
総務省は今春、「災害情報等を国民に適切に提供」するのがラジオの使命とし「放送ネットワークの強靭化に関する検討会」を組織して、低地・水辺に立地する中波(AMラジオ)送信所の防災対策と、AMラジオの難聴対策を検討しはじめたが、東日本大震災ではコミュニティFM放送局が災害地以外でも臨時災害放送局として安否確認情報、生活情報、支援情報放送など、地域に密着した多様な活動を展開し、被災者住民から頼りにされた。
 現在コミュニティFM放送局の数は日本全国で250を超えるが、その多くは厳しい経営状況にある。ことに、2010年に改定された放送法で放送設備の向上、無線技術者の常勤などが義務づけられ、財政および人材確保にどのように対応するかが課題となっている。
 「災害情報等を国民に適切に提供」するのがラジオ放送の使命というのであれば、コミュニティ放送局に対し、財政面や人材育成などで公的な支援が必要であろう。

                                2013年7月号より


参議院選挙、争点は憲法

      五十嵐吉美(放送を語る会会員)  

 安倍首相は国会で「選挙で、96条の改正を掲げて戦うべきであると考えている」と述べ、参議院選挙は、憲法改正を争点にたたかわれることがはっきりした。
 昨年の衆議院選挙でも、96条改正を公約にしていると安倍首相はいう。しかし実際の報道では、政策が主権者に伝わっていなかったという結果が、「朝日」の「衆院選挙とメディア」世論調査(4月18日付)でわかった。もっと報道して欲しいものは「各党の政策・公約」がトップで64%(6つから3つを選択)にのぼった。参考にしたのは「テレビのニュース番組」が45%で、新聞記事の43%を超える(複数回答)。
 とすれば、今度の参院選、憲法改正という争点をテレビがきちんと報道できるかどうかが問われている。
 なぜ、憲法第96条の規定では3分の2以上になっているのか、とか、日本の憲法は21世紀にどのような意義をもっているのかなど深い掘り下げや、暮らしの中で生きている現憲法を支持する声なき声を、テレビジャーナリズムは伝えることができるのか、重大だと思う。
 放送を語る会が、昨年の総選挙のテレビ報道をモニター、各局のニュース番組を検証し、指摘した――政策や争点が掘り下げられない傾向、多党化のなかで報道時間が不十分、しかも政治家の発言が断片的になりがちで、印象の強い政治家ほど有利となるテレビの弱点――をどう克服できるか改善を期待したい。
 また、今度の参議院選挙でネットによる選挙が解禁になる。気になる事があった。
 四月八日安倍晋三公式フェィスブックに<メキシコの様な親日的な国との首脳会談は、NHKも報道しないので、フェイスブックでお知らせします。>と、来日したメキシコ大統領との会談の模様を紹介。すると「いいね!」が二万数千人から寄せられ、おびただしい「NHK解体!」「国営化すべき」の書き込み。「ニュース7」で放送していたことがわかって、<19時のニュースで報道したそうです。失礼しました>と、安倍首相のかるーい訂正のあとにも、「給料が高すぎる」「全員クビ」「反日だ」「スパイがいる」など、感情的なNHKバッシングの大合唱、言いたい放題の広大なネット世界がひろがった。
 何かあったのか、なかったのか? <NHKも報道しないので>事件の11日後、安倍首相は<NHKでも生中継があるので、見て頂けると大変嬉しい>と、四月一九日の日本記者クラブでの会見を、フェィスブック上で予告した。もちろんNHKが会見を中継し、安倍首相は成長戦略について話し、参議院選挙を通じて憲法改正を問い、憲法改正を現実にできると強調した。ネットとテレビのコラボだ、最強ではないか!
 事実確認もしないで平気で、フェィスブック上で“おしゃべり”する、シンちゃんこと安倍晋三という人が首相である。安倍首相のフォロワーは三〇万人以上というから、アブナイし、怖いと感じるのは、考えすぎだろうか。

 二月、伊豆大島に出かけた私は、日本の憲法がアメリカの押しつけではなく、国民の願いだったという証しを“発見”した。案内をしていただいたNさん作成の冊子に、「大島町史」の引用と「独立想定し『暫定憲法』」の見出しがおどる、一九九七年朝日新聞の切り抜きがプリントされていた。
 敗戦直後の一九四六年一月、伊豆大島は連合軍総司令部(GHQ)により、行政上日本から分離されることになった。島民は独立やむなしと、大島憲章づくりに動きだした。そのメンバーに、戦前の治安維持法下でひそかに行動していた大工の雨宮政次郎と仲間たちがいたという。一九九七年発見されたガリ版刷りの大島大誓言には、「島民の安寧幸福の確保増進」をうたい、「道義の心に徹し万邦和平」を決意。政治形態として「統治権は島民にあり」(第一章)とした。島民総意のために議会を設置することも記してある。まさに国民主権・平和主義・社会保障の基本を盛り込んだものだった。
 GHQ指令は修正され、伊豆大島は三月二二日日本に復帰。53日間の伊豆大島共和国――それは同年の一九四六年、国会の論議を経て布告される日本国憲法に生きている。
 平和への希求、日本国憲法の心をテレビは伝えてほしい

                                            2013年6月号より



繰り返される「大本営発表」

                           府川朝次(放送を語る会会員)

 2013年2月22日(日本時間23日未明)ホワイトハウスでオバマ大統領と会談した安倍総理大臣は、「TPPはあらかじめすべての関税撤廃を約束しない」との共同声明を発表し、TPP交渉参加に意欲を示した。その3週間後、3月15日総理はTPP交渉参加を正式に表明する。「放送を語る会」では、この間、NHKや民放6社のTPP関連ニュースをモニターしていた。その結論から言えば、今回の経過ほど単純明快に図式化できる報道はなかったということだ。マスメディアが、独自の視点や見解を持たず、政府自民党の言動を忠実に伝えることに終始していたからだ。
 すなわち、①2月22日安倍総理、日米首脳会談で「TPP交渉に『聖域』はある」との同意をオバマ大統領との間で確認したとして、交渉参加に意欲を示す。②日米共同声明に盛り込まれた「日本の農産物にある微妙な問題」を論拠に、「聖域」は農産物であることに絞られていく。交渉参加に強く反対する農協に対応する形で、自民党TPP対策委員会は政府に「農産物重要5品目を例外として確保すること」を主眼とした決議文を手渡す。「もし要求が通らない場合は脱退も辞さない」との文言も盛り込まれた。③国内での懸案事項はこの決議文によって取り除かれたとして、安倍総理は3月15日TPP交渉参加を正式に表明。以上が3週間の報道の基調であ
る。
 TPP交渉は農業以外にも重要な問題が山積している。それは自民党の「TPP対策に関する決議」にも明記されている。しかし、交渉は21分野に及ぶこと、参加することでメリットもあるがデメリットもあることに言及した番組は少ない。特にISD条項に触れたのは「NEWS ZERO」と「報道ステーション」だけだった。ISD条項とは投資家を保護するための規定で、これを盾に日本の規制が非関税障壁だとして訴訟が増える恐れもある。その懸念は「決議」の中に「わが国の主権を損なう」との表現で触れられている。しかし、メディアの扱いは、対策委員会は専ら「農産物の例外品目を何にするか協議していた場」との筋書きで語られた。その結果、農協対自民党、農協イコール既得権益集団といった固定観念を視聴者に植え付け、TPP問題は即ち農業、とのあやまった印象を与えた可能性は拭いがたい。
 3月に入って、国の内外から衝撃的な情報がもたらされた。事の発端は3月8日衆議院予算委員会での共産党議員の質問にあった。内容は「TPP交渉は、日本にとって不利な状況にある。後発の参加国は事前に交渉テキストを見ることもできなければ、すでに確定した項目について、いかなる修正や文言の訂正も認められない。遅れて参加したカナダやメキシコはその条件を承認する念書に署名している」というものだった。この情報を電波に乗せたのは「報道ステーション」(3/83/13)のみ。NHKに至っては、15日安倍総理をスタジオに招きながら、こうした情報の真偽を質すことさえしなかった。インターネット上では、さらに「日本は『交渉に参加する』のではなく、『すでに条項に定められた協定に参加するだけだ』」とし、「日本の国内の法制度は、すべてTPPに定められた指図によって動くことになるであろう」との、国際環境・人権保護運動の活動家の警句さえ伝えられていた。
 とにかく今回のTPP報道は異常ずくめだった。専門家の起用もほとんどなかった(皆無ではないが)。したがって外部からのTPPに対する反論なり懐疑の声はほとんど伝えられていない。なにより、交渉参加決断の基になった日米共同声明全文を紹介したのが「報道ステーション」1局だけだったことは、ジャーナリズムのあり方として、その異常さを象徴してはいまいか。
こうしたメディアの状況を日本農業新聞は316日付電子版の論説で「メディアの危機」として訴えかけている。「本来『不都合な真実』を伝えるはずのメディアの多くが、政府・財界主導の推進論を無批判に受け入れ、世論誘導の一端を担った。時に農業対工業の対立をあおり、時に重要品目の例外が勝ち取れるかのような根拠なき楽観論を流した。そして一貫して自由貿易こそが成長の源泉であるかの幻想を振りまいてきた」と断じている。
 私も同感である。2年前東京電力福島第1原子力発電所事故の際、メディアは政府発表を垂れ流したとして批判されたはずだった。しかし、その反省もないまま、またも繰り返された「大本営発表」。この国のマスメディアの病根の深さに暗澹たる思いでいるのは私一人だけだろうか。


                                 2013年5月号より



日本軍「慰安婦」~安倍政権とメディアは歴史の事実に向き合え~

                                          戸崎賢二放送を語る会会員)

 いま、言い出した本人も口をつぐみ、相変わらずメディアも報じていない重大問題がある。日本軍「慰安婦」に関する「河野談話」の見直しの問題である。
 1993年8月に発表された河野洋平官房長官の談話は、戦争中、日本軍が長期、広範な地域にわたって慰安所を設営した事実を改めて認め、「慰安婦」の募集が甘言、強圧によって、本人の意思に反して行われた事例が数多くあり、慰安所での生活も強制的な状況の下での痛ましいものであったと述べている。
 元「慰安婦」の人々の聞き取りを含む一年数か月にわたる調査の結果、日本政府はこれらの事実を否定できず、被害者に謝罪せざるを得なかった。
 周知のように、安倍首相はしばしばこの「河野談話」の見直し(否定)の意図を明らかにしてきた。昨年11月30日の記者クラブ主催の党首討論でも、「慰安婦」を集めるときに、「人さらいのように連れてきた事実があったかは証明されていない」と発言、軍が「強制連行」したことを示す資料がないことを「見直し」の理由とする持論を展開した。
 この主張は二重のウソを含んでいる。第一に、河野談話は「慰安婦」制度全体を貫く強制性を明らかにしているが、安倍首相は、強制連行の資料の有無、という募集の一つの局面だけで談話を否定しようとする。ここには明白なすり替えがある。第二に、実は占領地では軍が直接女性を拉致したケースが数多くあった。この事実を隠ぺいし、あたかも「慰安婦」の歴史を通じて「強制連行」がなかった、という欺瞞的な印象を作り出している。
 直接、兵士が連行した場合でなくても、軍が選定した業者や官憲が、「いい働き口がある」と言って騙して連れていくケース、承知しなければ父母に不利になるなどの脅しによって連行されたケースなどが報告されている。募集は業者であっても、軍に引き渡されたあとは逃げることもできず、慰安所に監禁されて一日に10人も20人もの兵隊の相手をさせられた。この過程全体は強制連行と言ってもよいものである。
 「慰安婦」とされた人びとの状況は、生存者の証言記録、数多くのルポ、歴史研究、被害者が日本政府に補償を求めた裁判の記録などを真摯に読めばすぐにわかることだ。 連行された女性の中の未成年の比率はかなり高かったといわれる。聞いた話とは全く違う境遇に突然置かれた少女たちの驚きと悲しみはどれほどのものだったか。父母のもとに返してほしいと、何日も泣き叫んだことだろう。安倍首相をはじめ、河野談話の見直しを主張する政治家たちは、こうした悲惨、過酷な状態に置かれた女性たちへの倫理的想像力を恐ろしく欠いている。

 昨年11月、アメリカの地方紙「スターレッジャー」に、「慰安婦」強制否定の意見広告が掲載された。07年にワシントンポスト紙に掲載されたのと同様趣旨の広告である。「『慰安婦』は『性的奴隷』ではなく、当時認められていた売春のシステムの中で働いていたにすぎない」などと主張するこの意見広告には、安倍晋三議員(当時)のほか、のちに閣僚となる4人の政治家が賛同者として名を連ねている。(13年16日付「赤旗」記事による)
 こうした行動を、極右の政治グループの主張ととらえれば不思議ではないが、ことここに至っては、政治家の人間性の基層まで下りていって考えたくなる。事実に対して謙虚であること、誤りは誤りとして認める、といった姿勢は、人間の品格、道義心にかかわるものだが、一国の首相ともあろう人物がその資質を欠くとすれば、我々はいかにも不幸な国民ということになる。
 おそらく、安倍首相をはじめとする政治家たちは、「慰安婦」の歴史的事実を国家の恥と考え、なんとしても否定したい、そのために都合の悪い事実に眼をふさぎ、強制はなかったと思いこもうとした。もしそうであれば、これは一種の無自覚の自己欺瞞の働きと言えなくもない。
 奇怪に思われるのは、このような明白な欺瞞にたいして、日本のメディアにまともに検証する動きがないことだ。テレビはもちろん、一定の読者を持つ新聞メディアでは、わずかに「赤旗」を除いて、近年この問題の正面からの調査報道を見かけない。
 政権の圧力と街宣車が怖いということであれば、今のテレビ、新聞ジャーナリズムの状況から言って無理からぬことだ。しかしこれだけ「慰安婦」に関する報道がない状況が続くと、組織ジャーナリズム自体が安倍首相ら政治家の自己欺瞞の心理状態を共有しているのではないかと疑わざるを得ない。そのほうがより憂慮すべき状態ではないだろうか。

2013年4月号より



スカイツリーからの地デジ放送開始と新たな受信障害

松原十朗(放送を語る会会員) 

 東京スカイツリーからいよいよ地デジ放送が開始される時期が迫り、試験電波が出された。受信情況を調査した結果、少なくない地点で電波障害が発見されて関係者は困惑しているようだ。
 “新しい観光スポット”としてのスカイツリーが繰り返し放送されているために、多くの人は現在、地デジ放送もスカイツリーからのものと思い込んでいる。しかし、2011年7月アナログ放送停止後も、地デジは東京タワーのアナログアンテナより低い高さ(265m)から送信されている。アンテナの位置が低いことに加えデジタル波のためアナログ放送よりサービスエリアも小さいのだが、これも知らされていない。
 東京タワーからスカイツリーに送信が切り替わると、8.4km送信所が移動する。アンテナの方向調整が必要な送信所に近い所でも、「強電界地域は電波が強いので、受信障害は生じない、何とかなるだろう」考えていたようだ。私からみれば随分粗雑な処理思考だと思う。
 「ゴーストを除去できるデジタル波」であり、「送信アンテナの高さも265mから630mになる」とはいっても、山も谷もない大草原の中の送信タワーではない。巨大な高層ビルが立ち並び、その中に密集した住宅地のある23区内で、送信所が8.4kmも移動する。そのために不特定多数の受信点で電波の到達情況が変化する。そのとき、「不具合になるポイントは生じないか」と、現場を少しでも視野におけば、常識的に考えるものであろう。
 電波伝播の理論に寄りかかって(?)「アンテナの高さが2倍になるのだから」「ゴーストを処理できるデジタル波だから」といって、“万が一”を想定してこなかったのは現場を預かっている関係者の怠慢だと思う。

デジタル波への移行にはアナログ波と併存する期間を設けるのが常識
 
 当面している課題は前例のない性格の問題である。
 通常のアナログからデジタルへではなく、1000万単位の受信者をもつ首都圏で、デジタルからデジタル、送信所の8km移動に対応しなければならないのである。
 なぜ、こうした事態を招いたのか?
 「地上デジタル放送懇談会」(NHK、民放、総務省等で構成、97.5~98.10)の報告書は、「地上デジタル放送」の導入の道筋として、「アナログ波とデジタル波の併存期間を設け、その期間にデジタル波への移行」を提案していた。具体的には、「アナログ放送終了時期とその検討条件は、1-デジタル放送の普及率85%以上、2―現行のアナログ放送対象と同一対象地域をデジタル放送で100%カバーしていること」とされていた。
 アナログ放送を停止した2011年7月、これらの条件が全く顧みられなかった。本来ならば、アナログ放送は延長されねばならなかったのである。

デジタル→デジタルの困難な綱渡りを乗りこえるには

スカイツリーへの移行は当初予定の2013年1月から5月に延期されたが、難問となっている受信障害にどう対応するのか。関係者に問い合せた。
 「移行前にスカイツリーにアンテナを向ければ東京タワーが受信できなくなるケースが心配。そういう場合どうするのか」の問に対して、「どちらかが見えなくなることは考えていない。アンテナの方向調整等で両方受信できるようにする」との回答だった。
 電界強度の関係では、電波の強い東京23区内は「ブースターの調整か、交換も必要になってくる場合がある」とも言う。こうした障害が万単位で起こる心配もあるがどう対応するのか?
 答えは、「3月から4月の受信障害対応は続ける」「その内容はまだ具体化はしていない」という心もとないものだった。また、東京タワーからの電波を山梨等で受信しているが、スカイツリーに移ると受信不能になってしまう事例についても把握していなかった。
 東京タワーからスカイツリーへの移行には、スケジュール優先ではなく移行時期を延期しても、受信者に過大な負担を強いることのないよう十分に配慮して欲しいもの。 今後どのような障害が発生するか予測し難い。何よりも、拙速を避け、受信障害の有無の調査を十分に行い、受信者に時間をかけた丁寧な説明ときめ細かで柔軟な対応策が関係者に求められる。

2013年3月号より



67年目の上野原B29墜落調査

増田康雄(放送を語る会会員) 

 私は去年10月8日、山梨県上野原市西原のB29墜落現場調査に参加した。この調査は山梨県戦争遺跡ネットワークの主催によるもので、戦争遺跡保存全国ネットワーク代表の山梨学院大学十菱駿武教授、山梨平和ミュージアムの理事2名、都立高校の教諭、それに私の計5名と、テレビ山梨のスタッフ2名が参加した。
 この西原で米軍機B29墜落したのは67年前の1945年2月19日午後1時のことだった。日本の戦闘機が体当たりでB29を撃墜したのが目撃されている。
 調査現場では3つの発見があった。一つは上野原市西原の中群山の麓の斜面に、墜落したB29の破片を発見して約30点収集したこと。二つ目は、乗員が緊急時に居場所を知らせる反射用のミラーを農家が保存していたこと。三つ目は墜落したB29のジュラルミンを加工して農具の「箕」が作られ、利用していた農家があったこと、などが明らかになった。
 テレビ山梨は10月10日の午後6時15分から「ニュースの星」で5分間、この現地調査を報じた。まず上野原でB29と日本の戦闘機の衝突目撃証言が紹介され,続いて10月8日の上野原市西原の調査の状況と十菱教授のインタビューが伝えられた。十菱氏は戦後67年目に破片が収集された驚きを語り、戦争遺跡の保存の大切さを強調した

マスコミの戦争遺跡報道の視点

 私は二週間後、調査の3つの発見を多摩地域の複数の新聞社支局にFAXで知らせてみた。東京新聞支局から電話があり、数枚の写真をおくったがローカルの話題だけではと取り上げてもらえなかった。
 67年目にB29の破片がみつかった事実は大きな発見、驚きだと思う。山梨の民放は地元のB29墜落現場調査のリポートで戦争を考える場を視聴者に示す視点があった。しかし、東京新聞支局を含め新聞社が関心を示さなかったのは問題と思う。

調査その後の経過

調査団は12月1日、体当たりの日本の戦闘機「屠龍」の破片を探すため、再度上野原市西原の墜落現場に入った。しかし、破片はみつからなかった。戦後、地元の人たちは戦死したパイロット廣瀬治大尉の慰霊碑を建てていた。
 私達は地元の古老を訪ね、聞き取り調査をした。当時、B29のエンジン4個が谷筋に落ちたこと、不発弾が複数麓に落ち、戦後米軍の協力で爆破したこと、墜落死した米軍の乗員を埋葬したこと、戦後、米軍は主な機体と遺体を引取った話を聞いた。
 私達は西原の田和にある招魂社を訪ねた。そこには墜落したB29のジュラルミンと戦闘機屠龍の鉄板の破片、廣瀬大尉の遺影があった

私が感じたこと

 2010年5月、都立調布南高校の公開講座「多摩地域の戦争遺跡」を受講してから私は戦争遺跡に興味を持った。自分の目で確かめようと21か所を撮影してみた。
 取材をして「戦争は人を殺し、殺される」ことを学んだ。多摩地域の戦争遺跡は子供を含め多数が犠牲になった。
 67年前の上野原市のB29墜落は専門家の間では知られていた。しかし、三つの発見は世間には知られていなかった。
 B29乗員も戦闘機の乗員も1945年2月19日に上野原市上空で11名が命を落とした。私達は残されたB29の遺品と戦闘機の鉄板から衝突の事実を体で知ることができた。残された遺品を後世に残し、知らせることが大切だと私は感じた。
 現在、戦後生まれが85%の時代、67年の時間の流れが「戦争の愚かしさ」を忘れさせてゆく。今回の選挙でも政権側は国防軍の創設、集団的自衛権の行使を主張、憲法の9条、96条の改定を目論む。こうした状況のなかで、私にとって、B29墜落現場の調査団は戦争と平和を考える大切な場となった。

2013年2月号より




「うめき」、そして決して口にはしない「怒り」
~普天間・辺野古・高江で感じたこと~

                                            小滝一志(放送を語る会) 

「放送を語る会」が9月にテレビのオスプレイ報道のモニター活動に取り組んだ後、私は「報道されている現地を是非この目で確かめたい」との思いに駆られた。
 丁度タイミングよく、10月に日本ジャーナリスト会議が2012年度全国交流集会を沖縄で開催した。私も参加して普天間基地・辺野古・高江を見ることができた。
怒りは臨界に
 
 17日、一行は那覇空港から琉球新報社に直行、オスプレイ・米軍基地をめぐる最近の沖縄事情のレクチュアを受ける。
 先ず資料として渡された、「オスプレイ拒否10万3千人結集」と2ページぶち抜きの大見出しで「9/9県民集会」を伝える琉球新報、1面全体が「オスプレイNO!」のプラカードで埋まる会場写真の9/9当日号外に、沖縄と本土の温度差を突き付けられた。
 沖縄の現状は、4月25日県民大会で仲井真知事が初めて「構造的差別」と指摘し、太田昌秀元知事をして「もはや独立をめざすしかない」と言わしめた。この二年間の変化として、沖縄の人々と日本政府の溝はかつてなく深まり、もはや断絶の状態だという。
 2004年8月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落、大学当局・市民・メディアばかりでなく沖縄警察まで、米軍によって立ち入りが禁止された生々しい未公開映像も見ることができた。
笑顔の裏に脱力感・孤立感
 
 
翌日訪れた辺野古は、しばらく前、米軍の訓練する浜がコンクリート塀と金網で仕切られてしまった。金網には支援に訪れた人たちの手作りの旗やプラスターが所狭しとくくりつけられている。それを指さして「防衛省の提供した屋外ギャラリー」と悔しさをユーモアに包んだヘリ基地反対協の安次富代表の案内は「森本は国防総省のモルモット」で締めくくられた。
 辺野古からさらにバスで北上してヤンバルの森の中の東村高江に着く。高江のことは、地元でも東京でもメディアはほとんど報じない。9月に4週間ほど取り組まれた「放送を語る会」のモニター期間中も、全くテレビは伝えなかった。
 私たちが訪れたテントは国道沿いに張られ、ヘリパット(ヘリコプター離着陸帯)建設予定地が金網越しに見える。毎週土日は、ボランティアで支援に来ている阿部子鈴琉球大学准教授が判りやすく丁寧に説明してくれた。「高江は人口150名ほどの小さな集落で、米軍北部訓練場と隣接している。今、この高江集落を取り囲むように6か所のヘリパット建設が予定され、2007年7月から地元住民が座り込みで激しく反対している」残念ながら住民の頭越しに建設資材の一部が持ち込まれてしまっているという。
 夜、私たちの宿舎「やんばる学びの森」で、高江住民の一家が歓迎のフラダンスを披露しながら実情を語ってくれた。
 「高江集落で反対行動に参加しているのは1割・5家族、『受け入れて補償金もらった方がいい』人たちが1割、後の8割は『わかんない』『かかわりたくない』『怖い』。東村も県も『オスプレイ配備は反対だが、ヘリパット建設は容認』、展望全くない。正直言って、オスプレイが配備されてしまって脱力状態」
 そこで彼らが「高江の実情とぼくたちの気持ちを代弁してくれた番組」と上映してくれたのが琉球朝日放送制作「標的の村」だった。沖縄防衛局が、15人の高江住民を訴えたスラップ訴訟を追った30分のドキュメンタリー。番組は、ベトナム戦争時、米軍の訓練に高江住民が駆り出され、ベトナム人に扮して協力させられてきたことを、当時を知る村民、新聞記者の証言や米国国立公文書館のフィルムなどを基に検証している。さらに現在の米軍の訓練でも高江がヘリコプター攻撃の標的にされている可能性を鋭く告発している。
決して口にはしない「怒り」 

 沖縄ツアーで、心に残った場面が二つある。どちらも酒の席だったが。
 ヤンバルの森の宿で、「私たちにどんな支援ができるでしょう?」と問いかけると、高江の人は、「私たちも仕事大事、家族大事でやっています。みなさんがそれぞれのところで、できることをやってください」とにこやかに答えてくれた。
 那覇でメディア関係者に「沖縄は、なぜ『基地撤去』『国外』と言わずに『県外』なのか?沖縄と本土の分断を招くのでは?」と問うと、「『基地をなくせ』とずーっと言ってきたけど何か変わったでしょうか」と静かに問い返してきた。
 私は、それぞれの抑えた優しい表情と口調の裏にこんなホンネを感じとった。
 「おれたちは、折れそうになるほど頑張ってる。本土の人たちはどうして判ってくれないのか。どうして本土から『基地をなくせ』の声を挙げてくれないのか」
 「私たちが『基地はいらない』と言い続けてきたのに、他人事として聞き流してきたのではありませんか。それなら基地は本土で引き取ってください」
 私の心の中に自責の念を呼び起こす沖縄の旅だった。

2013年1月号より




「知る権利」――あやまちを繰り返さないために

五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 魚釣島、いや釣魚島――尖閣諸島の領有をめぐって、経済にまで影響が及ぶほど、日本と中国の関係が悪化している。「棚上げ」にして結んだ日中友好条約、その40年を祝うはずだった今年の秋は、どこかにいってしまった。悪化の一途をたどる日中関係のなか、「花岡事件と松田解子」と題する講演会が9月下旬に都内であった。

 戦争末期、日本国内の労働力不足をおぎなうために東条内閣は「中国人の強制連行」を決定、日本各地の35の会社、135カ所の事業所に、中国各地からかり集めたおよそ4万人の中国人、朝鮮人を働かせたという。秋田県大館・花岡銅鉱山・鹿島組では、1944年から6月までに979人のうち419人が虐待・酷使に次々に死亡。残るものが最後の力をふりしぼって6月30日、集団逃亡するも連れ戻され、ほとんどが拷問で死亡した事件、花岡事件である。(秋田の鉱山出身の作家・松田解子は1950年、事件の真相をはじめて新聞で知り、鉱山に入って調査、遺骨収集・返還運動にも携わりながら、『地底の人々』を著す。1953年中国、2011年韓国で翻訳され出版)

当時小学校四年生だった冨樫康雄氏(「花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会」事務局長)は、記憶をたどり、坑道や建物など証拠になるものを破壊してしまった鹿島建設、事件と地域の人々、遺骨返還運動、顕彰運動に触れながら事件について、講演した。会場には年輩の方々を中心に、遠くは秋田から何人か参加されていた。司会者が質問などがあればと促すと、七十代の女性が立ち上がった。

 私も小学校三年のときに、見ました。それは、かわいそうで…」。学校へ出かけようとしたら、外が騒がしく、見ると、裸も同然の中国人たちを村の人たちが取り囲み、棒などでたたいている。家族に助けてあげてと懇願しても、「国賊にされてしまう」と。その時のショックをかかえてずっと生きてきて、「あの事件がなんだったのか、誰もそのあと教えてくれなかった。不思議だった。ようやく数年前、地域の歴史の勉強会で、それが花岡事件だとわかりました」と、その女性は昔を思い出したかのように、胸の奥にしまっておいた痛みを、吐き出すようにゆっくりと話したのだ。

 日本は、侵略戦争で言葉につくせぬひどい被害を与えたアジアの人々に誠意のこもった謝罪をおこない、若い人たちが教科書で学べるようにしていたら、彼女のような、さらに解決が見えない現在の日中問題もなかっただろう。

 日本は、侵略戦争で言葉につくせぬひどい被害を与えたアジアの人々に誠意のこもった謝罪をおこない、若い人たちが教科書で学べるようにしていたら、彼女のような、さらに解決が見えない現在の日中問題もなかっただろう。

 時はかなり経過してしまった。が、経過させてしまったからこそ、取り返しがつかない事実、それに向き合うために、国民に真実を知らせる努力を、どれだけメディアがしているだろうか。いまが最後のチャンスかも知れない。

 9月22日日本軍「慰安婦」問題に関する日韓交渉/仲裁を前進させる国際シンポジウムが、「日本の戦争責任資料センター」の主催で開かれた。日本、韓国をはじめ、オーストラリアの国際法の専門家が講演した。ティナ・ドルゴポールさんは最後に、講演をこう締めくくった子どもたちに、日本軍「慰安婦」問題をきちんと話してほしい。若い世代は真の歴史を知る権利を持っているからです。

 2011年、韓国の大統領が日本政府に日本軍「慰安婦」問題の解決を迫り、この秋国連の会議場で問題が追及された。NHKをはじめ各テレビ局は、日本軍「慰安婦」問題がなぜこれだけ大きな外交問題になっているのか、国民にわかるように説明していない。2007年のアメリカ下院をはじめ、オランダやEU、カナダやオーストラリアで「公式謝罪」決議が出されていることなど、国際社会の動きを報道していない。これは国民に対する「知る権利」の侵害ではないか。

 もう戦後67年。しかし「人道に対する罪には時効はない」ことが国際社会のルールとして確立していることも、国民の多くは知らない。グローバルに展開している現在の世界で、日本人が、胸をはって生きることができるよう、メディアこそが、理性と勇気をもって歴史に向きあうものであってほしい。それこそが閉塞感に満ちた日本が、信頼を取り戻し、未来を引き寄せることになるだろう。

 花岡事件を知った中学生が次のように記している。「日本人の一人として、花岡事件のような事実を知ることはつらく、悲しいことです。でも真実から目をそらすことはできません。真実を知ることで戦争をにくみ、差別をゆるさないという力がわいてくると思います。」(童心社刊『私たちのアジア・太平洋戦争2』2004年)

                                2012年12月号より


オスプレイ報道に「安保タブー」は?「抑止力神話」は?

                        小滝 一志(放送を語る会事務局長)

 放送を語る会では、テレビ番組のモニター活動に取り組んでいるが、今回は、オスプレイ報道を取り上げた。6月に米軍が普天間配備を正式発表して以後、断続的に続いていたが、99日にオスプレイ配備反対沖縄県民集会が開かれたのを機に、96日から101日までの4週間強を期間限定でオスプレイ報道集中モニター期間とした。

「安保タブー」はないか?


 「(オスプレイ配備の是非について)安保条約上、日本には権限がない」という森本防衛相発言(6月29日アメリカのオスプレイ配備正式通告時)、「配備は米政府の方針であり、同盟関係にあるとはいえ(日本から)どうしろこうしろという話ではない」との野田発言(7月16日)を引くまでもなく、オスプレイ問題の根底に安保条約があることは、ここで改めて指摘するまでもない。
 9月9日の沖縄県民大会では、「オスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去」が決議された。13日、大会実行委員代表が森本防衛相・玄葉外相に決議文を直接手渡し、席上那覇市長が「もし沖縄で事故が起きれば、県民の意思は米軍基地の全面閉鎖に向かう」と発言した(NHK「ニュース7」)。沖縄県民の要求が「オスプレイ配備」の反対にとどまらず、「基地の全面閉鎖」に踏み込んできたことは、とりもなおさず安保条約そのものを問うところまで来たということだろう。
 今、メディアには、今日の時代と状況を踏まえた安保条約の検証が求められているのではないか?
 ところが、2週間余りのモニター期間中、モニター対象ニュース番組97本のうちオスプレイを報じたのは43本、だが安保条約そのものに言及したものはなかった。「安保条約」の用語が使われたのも、わずか一度、それも森本防衛大臣インタビューの記者質問で「日米安保に賛成の首長さんも含めてすべての首長さんがオスプレイに反対していて辺野古移設が一層困難になったのではないか?」と問うたに過ぎなかった(9/21 NTV「news every」)。
 ニュース解説に当たっても周到に「安保条約」の用語使用あるいは直接の言及を避けているように思えてならない。一例をあげれば「日米関係、貿易や経済はかなり日本も言いたいことを言うが、どうしても安全保障はアメリカのペースになる。ただこれ単にオスプレイの安全の問題じゃなくて、沖縄に基地が集中していること、普天間という住宅密集地にあるということも問題」(9/17テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーター)。
 テレビ報道に「安保タブー」はないか?
 メディアが「安保条約」をタブー視している限り、問題の本質がつかめないばかりか、人々のオスプレイ配備や基地の存在をめぐる議論の選択肢を狭め、根本的解決の道筋が見えてこないのではないか。

「抑止力神話」を疑わなくてよいか?
 
オスプレイ初飛行の時、森本防衛大臣は「アメリカの抑止力、日本の安全にとって非常に重要な飛行機」「アメリカが抑止力を格段に上げることは日本の安全にとっても非常に重要。そこを理解して」と、繰り返し「米軍の抑止力」を強調した(9/21 NTV「news every」)。聞き手は、沖縄で日米合意が反古にされた歴史を突き付けて鋭く迫ったが、「米軍の抑止力」そのものを問うところまでは踏み込まなかった。
 同じくオスプレイ初飛行をめぐり田中秀征福山大学客員教授が「防衛大臣は安全保障上の抑止力という必要性を強調した。しかし、必要性と安全性の議論をごっちゃにしてはいけない」と発言。コメンテーターの「抑止力」を自明の前提とした見解に、キャスターも、疑問を挟まず当然のことのように素通りした。(9/21テレビ朝日「報道ステーション」)
 しかし、「主権に関する対立では特定の立場は取らない」というパネッタ米国防長官の尖閣問題に関する発言(9月17日外相・防衛相会談後)と現実の推移を重ね合わせれば、オスプレイ配備や米軍の存在が、「抑止力」となるのかは疑わしい。メディアはそこを検証しなくていいのか?
 軍事力が紛争の「抑止力」や解決手段であるよりは、問題を泥沼化する要因になることは、イラクやアフガンの状況を持ち出すまでもなく実証済みのはずだ。
 メディアは、「米軍の抑止力」を疑い、検証する姿勢を失って、当然のことのように神話視してはいないか? あたかも原発報道における「安全神話」のように。

 オスプレイ報道は、普天間配備後、本格運用をめぐって今後も続く。「安保タブー」や「抑止力神話」を疑う視聴者に、メディアは、今後どのような報道で応えるのだろう?
 私たちは今後のテレビ報道を厳しく見守りたい。

2012年11月号より


どっこい生きる 311と映画

                            今井潤(放送を語る会会員)

 東日本大震災と福島原発事故を描いた映画は今年10月までに10本が一般公開された。それらの作品と監督は「無常素描」(大宮浩一)「311」(森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治)「フクシマ2011被爆に晒された人々の記録」(稲塚秀孝)「立ち入り禁止地区双葉、されど故郷」(佐藤武夫)「傍」(伊勢真一)「相馬看花」(松林要樹)「フクシマからの風」(加藤鉄)「石巻市立湊小学校避難所」(藤川佳三)「3・11を生きて、石巻・門脇小・人びと・ことば」(青地憲司)「希望の国」(園子温)この内「希望の国」のみドラマで、近未来の日本で起きる原発事故に抵抗する人々を描いている。

(1)特筆すべき作品
傍・かたわら」は宮城県亘理町に住むミュージシャン夫婦が大震災発生後、石巻にコミュニティFM局を立ち上げ、行方不明者の氏名・住所・年齢をただアナウンサーが読みあげる放送を続け、大きな反響を読んだことを題材にしている。今年3月NHK「こころの時代」で作家の柳田邦男氏はこれこそ災害の真実に迫るものと評価した。
「3・11を生きて」は石巻市門脇小の生徒・先生・父兄が3月11日の24時間の体験を語った記録である。この大災害を生きた人々の言葉が数珠のように繋がっている。 
 一見平凡に見える構成だが、これほど緻密に人々の心情と行動を追跡したものはなく、人間の生きる力を表現する点では他の作品にない特徴を持つ。

(2)テレビとの違いを意識した作品
「無常素描」は福島の僧侶玄侑氏の言動を中心に、被災の有様を2週間撮影したドキュメンタリー。終始、人名や地名の文字スーパーがない、ノーコメントの作品で、明らかにテレビ番組が説明過多であるとの批判的立場から制作されている。しかし、この大震災を短期日の「素描」で表現できるものではないことは明らかで、原発事故にふれていないことも理解できない。
 「311」は大震災発生から2週間後、森達也、綿井健陽ら4人が線量計で放射能を計りながら「東京の20倍だ」と笑いながら、福島原発を目指すシーンから始まる。最小限の人名・地名の文字スーパーはあるが、ノーコメントでテレビを意識した作り方である。
 立ち入り禁止で福島原発をあきらめ、岩手県陸前高田に入るが、大津波の被災を見て、4人から笑いが消えるのが妙にリアリティーがある。宮城県石巻市の大川小学校で遺体を撮影するのを遺族から棒を投げられ、抗議されるが、そのシーンをあえて出す。テレビとの違いを強調する演出だが、被害者のプライバシーを侵害することは誰にも許されないわけで、こういう手法はいかがなものかと思う。
 「フクシマからの風」は福島県飯舘村と川内村でモリアオガエルの卵を見守る85歳の老人、山菜を育てる84歳の老人、自給自足の農業を続けている62歳の男性の生活に密着した作品。この男性は「我々は原発に依存してきたのだから、被害者でなく、加害者だ」と自分を問い直している。この作品も文字スーパーは少なく、意味不明なところがある方言もそのまま出している。テレビでは共通語の文字スーパーを入れるのが通例である。加藤鉄監督は青森県六ケ所村の核燃料施設に一人反対した老人の映画を作った人で、人間の生き様を描く点では卓越した力量を示している。

(3)初めてドラマ化された原発事故
「冷たい熱帯魚」に続く「ヒミズ」のオープニングとエンディングシーンに東日本大震災のガレキの延々としたドリーショットを使い日本の現状を象徴して見せた園子温監督は近未来に起きる原発事故で放射能災害と行政による退避命令に人々がどう立ち向かうかというドラマ「希望の国」を発表した。長島県という架空の農村で、自宅から退避せず認知症の妻とともに抵抗する酪農家、その息子の妻は妊娠したので、放射能におびえ、完全防護服で過ごす、近所の若い恋人たちはただひたすら被災地を歩き続ける。認知症の妻が牛やヤギの歩く道を徘徊し、小雪の舞う中を浴衣姿で盆踊りを踊ってあるくシーンは強い印象を観る者に与える。
 まだ福島第1原発事故の衝撃が強く残っている中でのこのドラマはどれだけ真実に迫れるかが課題と思われた。園監督は「ニュースやドキュメンタリーが記録するのは情報です。僕が記録したかったのは被災地の情緒や情感でした。それを描きたかったんです」と語るが、認知症の妻の姿や育てて来た牛を処するシーンは日本人の情感に強く訴える力を持っている


         2012年10月号より




        「厳重注意」を受けるべきは誰か

~NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える~

戸崎 賢二(放送を語る会会員)

 大震災後のテレビ報道の中で、NHK「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズは、原発事故による放射能汚染の実態と、被害を受けた人びとの悲劇を、地を這うような調査取材で伝え続け、わが国原発事故報道の高い峰を形成してきた。シリーズ第一回にあたる昨年5月15日の番組は、文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞している。
 ところが、今年4月、NHKで、この優れた番組群を主導したETV特集班のプロデューサーとディレクターが、口頭での「厳重注意」、もう1人のディレクターが「注意」を受けていたことが明らかになった。
 問題とされたのは、取材班が番組の制作記録として刊行した単行本「ホットスポット」(講談社)の内容である。
 この「厳重注意」については、NHKの公式サイトで見当たらず、当事者も沈黙しているので、詳細はよくわからない。局内で伝えられているところを総合すると、「厳重注意」の理由は、前記の書籍の中で、執筆者が、NHKが禁じていた30キロ圏内の取材を行った事実を公表したこと、原発報道についてNHKの他部局を批判したこと、などだったとされる。
 書籍「ホットスポット」によれば、震災4日後の3月15日、取材班は放射線衛生学の研究者である木村真三博士とともに福島へ向かい、翌16日から、原発から30キロ圏内で、移動しながら放射線量を測定した。各地でチェルノブイリに匹敵する高い線量を記録する中で、研究者のネットワークで、原発事故による汚染地図をつくるドキュメンタリーの企画の着想が生まれた。
 この企画は、ETV特集新年度第1回の4月3日の放送分として提案されたが、ネットワークに参加する研究者に反原発の立場の研究者がいることなどを理由に、制作局幹部によって却下される。
 このころすでに、政府の屋内退避区域の設定を理由に、NHKは30キロ圏内の取材を禁じていた。3月下旬、再度現地に入ったクルーが、幹部からの命令で現地から撤退する直前、浪江町赤宇木(あこうぎ)で、高線量を知らず取り残されている住民を発見した。住民はのちに取材クルーと木村博士の説得でこの地域を脱出することになる。
 「注意処分」の理由とされたのは、このように30キロ圏内で取材した事実を書籍で公表したことだった。しかし、その記述があることによって、当時の原発事故報道の問題点が鮮明に浮かび上がることとなった。
 赤宇木のある地域の放射線量の高さは、文科省は把握していたが、地名を公表しなかった。枝野官房長官はこの報告を受けた後の記者会見で、「直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」と説明し、テレビ報道はこの会見を垂れ流した。
 取材班は「ホットスポット」の中で、「当時の報道は大本営発表に終始し、取材によって得られた「事実」がなかった」と指摘、30キロ圏内の取材規制も、「納得できるものではない、そこにはまだ人間が暮らしているのだ」と書いている。ジャーナリストとしてまっとうな感覚である。
 赤宇木の状況は4月3日のETV特集で紹介され大きな反響を呼んだが、3月に測定した汚染の広がりの公表は、5月15日の「汚染地図」第1回の放送まで待たなければならなかった。もし、幹部が遅くとも4月3日に「汚染地図」の放送を許していたら、番組は大きな警告となって、高線量の中で被曝する住民が少しは減らせたかもしれない。
 こうしてみると、「厳重注意」を受けるべきは、本来誰なのかを問い直さざるをえない。それは被災地に入り込んで取材し、住民を救った取材班というよりは、むしろ政府発表を垂れ流した報道や、早期に放射能被害を伝えることを制約した幹部のほうではないか。

 番組を牽引した七沢潔氏は、本書の「あとがき」の中で、「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように「原子村」に配慮した報道スタイルにこだわる局幹部」と、NHK内部に向けて厳しい批判を加え、「取材規制を遵守するあまり違反者に対して容赦ないバッシングをする他部局のディレクターや記者たち」の存在を告発している。
 現役のNHK職員のこの異例の記述には、組織の論理よりも民衆を襲った悲劇の側に立つことを優先し、自局の原発報道を問い直す不退転の決意が読み取れる。
 このあたりの記述が「厳重注意」の理由とされたのだった。しかし、ここに表明された個々の制作者の精神の自由を「厳重注意」によって抑圧するようでは、企業としてのNHKの「自主自律」は実体を持たない空疎なものとなる。 「ホットスポット」は一方で、NHKは決して一枚岩の存在ではなく、良心的な番組でもNHK内においてはさまざまな圧力の中にあり、視聴者の支持がなければ潰されかねないことをも示唆した。今回の「厳重注意」の動きは、視聴者にそのような重大なメッセージを伝えている。

2012年7月号より


311大震災の地で考える「生死」

―第46回放送フォーラム「番組制作者と語る」報告―

                           深堀 雄一(放送を語る会会員)

 Fさん。「放送を語る会」が企画したフォーラムに初めて参加した感想は如何でしたか。ロケ取材の合間を縫って参加して頂いたのは嬉しかったです。最近の忙しい放送制作の現場では、あなたも以前から言っていた様に、一つの番組をめぐって制作者同士が話し合う機会は、めっきり少なくなりました。いわんや、視聴者とともに、番組を視て語るなど…。私達「放送を語る会」の役割の一つは、そうした場を作ることにあると思っています。
 ところでFさん。私達は東日本大震災から1年後の3月に開催した今回のフォーラムの題材を何にするか、随分と議論しました。数多く放送されている震災関連番組のうち、私達が注目したのは、NHK・Eテレで毎週日曜日の朝五時から放送している「こころの時代」『私にとっての3・11いのちのつながりの中で』(11年12月11日放送)でした。一人の出演者が60分、命・心・人生について語る番組が、震災後の復興へ何を提起しているのか。番組にかかわったディレクター、インタビュアー、プロデューサーの3人をゲストに招き、番組ビデオを視た後、話し合う、これが今回の企画でした。番組の主人公は岡部健さん。宮城県名取市で24時間態勢の在宅緩和医療=人生を最後まで自宅で過ごしたいと願う終末期のガン患者に寄り添い、2千人以上を看取ってきた医師です。自身も重度のガンを患い、命と死について考えていた矢先の大震災。突然の津波に仲間の看護師を奪われ、さらに地域での多くの「死」に直面した岡部さんの、略半年にわたる思いと行動の軌跡から製作スタッフが学んだ事は、私達が大震災以後の状況を、死生観や心のレベルからも捉える事ができる、という視点でした。 さてFさん。今回、番組で取り上げられ、会場でも関心を集めた話題がありました。岡部医師のスタッフである看護師の一人が、津波に攫われて亡くなったエピソードです。彼女は訪問看護先で、体の弱った老夫婦を必死の思いで二階へ抱えあげた後、力尽きて流され行方不明に。遺体が見つかったのはかなりの日がたってからでした。津波大震災では、人を助ける立場の人が命を落とした多くの例がありました。ディレクターのOさんの取材話―ある講演会で岡部医師は、この看護師にふれて、「人は自分中心に生きているのではなく、他人の為に命を捨てる本能の様な気持ちがある」、と語り、一方、番組撮影で現地に立った時には「彼女にはとにかく逃げてほしかった」としか言わなかった、と。岡部医師一人の中にある二つの気持ち。そして、人には他人の為に生き、死ぬことがあるという事実。ディレクターのOさんは、この気持ちを自然な形で伝えたいと思った、と語りました。Oさんは取材中撮影スタッフと、この看護師を自分達は美化したり英雄視していないか、絶えず話し合っていたと言いました。会の参加者の感想文に、「若いディレクターの瑞々しい体験の清々しさに好感。大袈裟な題材でなくても深い会を持てたのは良かった」とありました。私は私で、敬愛する詩人の作品の一節を思ったのでした。『あらゆる仕事/すべてのいい仕事の核に
は/震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・』(茨木のり子「汲む―Y・Yに」
 Fさん、参加者の一人、助産婦さんの発言に「人の死が家から病院に移るのと家でお産をしなくなるのとは、略同じ時期、人の生き死にが身辺から無くなって久しい」がありました。岡部医師は、死の看取りは、心臓の停止を確認することとは違う、自分は死をプロセスとして見る、といいます。そして震災津波では、プロセス抜きの数多くの一瞬の死がありました。医療の手が届かない所でのこれらの死を受け止めることが出来るのは宗教ではないか、というのが岡部さんの考えです。現に被災地では、僧侶と牧師と神官がともに被災者を支える組織を立ち上げ、岡部さんもそこに参加しています。生きる側を支える医療と、死へ向かう道標を示す宗教。日常あまり考えていなかった、生と死への向き合い方について、私は改めて考える時間を持ったことでした。
 Fさん、最後に、是非お伝えしたいと思った事があります。一つは、番組のインタビュアーだったYさんの言葉、「聞き手として為すべきことは、何を聞くかを深く考えることと、聞いて考えたことを忘れないこと」二つは、番組「こころの時代」を担当しているディレクターで、今回は仕事で参加できなかったAさんから届いた手紙の結び、「“静かに、深く、そして広く”の言葉を胸に刻んで励みます」Fさん、次回の「放送を語る会」の催しにも是非御参加を。お元気で!
      

*5月9日現在、東日本大震災の死者は1万5858人、行方不明者は3021人となっている。(警察庁発表)

         
                        2012年6月号より



「小さな覚悟~私にとっての3・11」   
                                      
石井 長世(放送を語る会会員)

 3・11からすでに1年。発生当時、新聞とテレビに溢れていた関連報道は、1年の節目の今、型どおりの心情的な伝え方はしても、原発災害の加害責任を厳しく追及する姿勢は殆ど感じられない。
 大惨事の再来につながる大地震の恐怖と、将来の“緩慢な死”につながりかねない放射能の危険性は、地下のマグマのように何時現実になるかも知れないのに。
 時が経つにつれ人々の意識から過酷な災厄の記憶は薄れがちになり、筆者自身の緊張感も緩み始めている。
 
日本社会の戦後の歩みの中で作り出された原発の存在について、どのように考え、どのように行動すべきか。また、原発事故の責任は誰が負うべきなのか、筆者自身さまざまな集会に参加したり、多くの報道に接したりしても、明確な答えは出せずにいる。
 哲学者・高橋哲哉さんは、近著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)の中で、二つの地域に過酷な犠牲を強いるシステムに誰が責任を負うのかを問うた。
 特に原発事故について、国の原子力政策に直接関ってきた政府・電力会社・学者・メディアなど、原子力ムラの責任を厳しく告発するのと併せて、原発の危険性を積極的に理解し、効果的な抗議を組織できなかった市民の側の責任も指摘している。
 ただ、高橋さんの論旨は「一億総懺悔論」ではなく、主たる責任の所在を峻別することと、犠牲を生み出すシステムそのものの根絶という点にあるのは言うまでもない。
 これらの事に関連して最近印象が深かった2本のテレビ番組がある。1本目は1月22日に放送されたNHK・Eテレ「日本人は何を考えてきたのか」の第3回で取り上げた田中正造の足跡についてである。
 122年前、銅山から流出した鉱毒が渡良瀬川下流に甚大な被害を出した足尾鉱毒事件は、古川鉱業と明治政府に身をもって抵抗した田中正造と地域の農民の闘いとして歴史に刻まれているが、鉱毒を理由に村人が強制的に田畑を追われ離村した悲惨な結末は、放射能被害で同じような苦悩を強いられている福島県の住民の現状と重なる。
 もう1本は2月26日に放送されたETV特集『花を奉る 石牟礼道子の世界』である。
 豊饒の海がチッソ水俣工場の垂れ流す廃液で恐ろしい毒の海と化し、魚介を食べた多くの人々の命と身体の自由を奪った。「‥あの貝が毒じゃった。娘を殺しました。おとろしか病気でござすばい‥」。パーキンソン病に苦しみながらも、遺族の言葉を花に奉る思いで一字一字文章に綴っていく石牟礼さん。
 足尾鉱毒、チッソ水俣病、原発事故の放射能汚染の背景には共通点がある。時の権力がこれら企業の後ろ盾として一貫してかばい続けてきたこと。さらに、チッソには当時の化学工業会、原発には原子力ムラと、企業の無謬性と安全神話をばら撒いた学者の姿がある。
 3・11から1年目の時期に、企業の犯罪的実態と、それに抗って人間としての行き方を貫いた人々の精神の深みを、改めて世に問うた制作者たちの視座に敬服する。
 余談になるが、筆者には熊本県の宇土で過ごした少年時代の経験を巡る苦い思い出がある。ここの化学工場も、チッソとほぼ同じ工程で廃液を流していたが、私たち腕白坊主仲間は夏になると工場からの冷却水を流す別の排水路でよく泳いだ。化学物質のすっぱい臭いはしたが水が温かいと喜んでいた姿は、まるで原発の温排水に集まる魚だ。
 後になって、この工場の廃液が原因で“水俣病”と似た被害者が出て問題になった事を人伝に聞いたが、かつて父親も勤務した企業が起こした公害問題に、かくも無関心だったことに今でも胸が痛む。
 半世紀以上たっても満足な患者救済さえできない水俣病、今後何時まで続くか見通しのつかない放射能被害。
 これらの問題にどう立ち向かうべきなのか。
 番組の中での石牟礼道子さんの言葉、「自分の目で点検し、できることがあれば黙って実行しなければならない」。
 この言葉の重みを大切にしながら、できる努力はしてみる、それが筆者の小
さな覚悟である。

                                2012年4月号より


戦時下の放送と「東京ローズ」の運命

                              増田 康雄(放送を語る会会員)

 今月、3月22日は放送記念日である。87年前の1925年のこの日に、わが国でラジオ放送が開始された。今年もNHKは放送の歴史を振り返る盛大な式典を行うはずである。
 この長い放送史は、実は一様なものではない、開始から二〇年は政府の統制下にあって、戦争遂行に協力した歴史である。そのことをあらためて実感させられたテレビ番組を視る機会があった。
 1月3日放送のBS朝日のドキュメンタリー「戦場の花、東京ローズ~謎の謀略放送女性アナウンサーの正体」である(これは再放送で、本放送は11115日) この番組では、太平洋戦争のさなか、陸軍参謀部が企画した謀略放送「ゼロ・アワー」とこの番組で活躍した6人の女性英語アナウンサーを取り上げていた。「ゼロ・アワー」は南太平洋前線の米軍兵士向けに放送した番組である。
 この女性アナウンサーを、米軍兵士たちは「東京ローズ」というニックネームで呼んだことはよく知られている。番組の主役は、戦後「東京ローズ」だと名乗り出たアイバ・戸栗郁子で、彼女の数奇な人生を伝える構成だった。番組を視聴して、いくつかの事実に興味を惹かれた。その第一はアイバ・戸栗が終戦後のアメリカの裁判で「反逆罪」の刑を受けた事実であった。アイバ・戸栗は1916年年74日ロサンゼルス生まれの日系二世で、国籍はアメリカである。1938年UCLAを卒業し, 1941年7月、25歳のときに親類を見舞いに来日したが、12月8日に真珠湾攻撃が始まり帰国ができなくなった。その後、同盟通信で海外放送のモニターをしたが、1943年8月、NHK海外局米州部業務班のタイピストのパートで働いた。11月に捕虜で番組を指導していたオーストラリアのカズンズ少佐の推薦で女性英語アナウンサーとして「ゼロ・アワー」に登場する。これが彼女の運命を変えてしまった。終戦後、彼女は米国の裁判所で証拠不十分のまま「反逆罪」に問われる。起訴したのはトルーマン政権のクラーク司法長官である。当時トルーマン大統領は再選期にあり、「東京ローズ」を非難する世論の支持を得るために、アイバ・戸栗の裁判を政治的に利用したと番組は強調している。アイバ・戸栗は「ゼロ・アワー」で反逆
罪にあたる内容を放送してはいないと裁判で証言したが、アメリカで2人目の「反逆罪」で起訴され実刑を受けている。
 私はこの事実に強い印象をもった。彼女は当時国籍を変えるよう日本側から強要されたが拒否し、アメリカ国籍を貫いたためにアメリカの裁判では反逆罪を問われたと思われる。プロパガンダ放送に協力した連合軍捕虜は他に誰も起訴されていない。1949年106日、裁判所は彼女に懲役10年、罰金一万ドルを課し、彼女はアメリカ国籍を奪われた。1955年、模範囚として懲役62か月で釈放される。1977年1月、アイバ・戸栗60歳のとき、当時のフォード大統領から特赦され、国籍を回復する。2006年1月、アイバ・戸栗89歳のときアメリカ退役軍人会が「愛国的市民」として表彰、その8か月後90歳で死去した。
 「東京ローズ」については、ドウス昌代や上坂冬子の著書があり、それらの資料でみると、謀略放送「ゼロ・アワー」は1943年3月から45年8月まで続いている。この番組は、アメリカ人捕慮の手紙を紹介したり、魅了する声や口調で「今頃あなたの奥さんや恋人たちは他の男とよろしくやっている」などといったトークと、アメリカの音楽を内容としたデイスクジョッキーだった。マッカーサー司令官も、その回想記によれば1943年、コレヒドールで聴いていたという。
 番組内容で興味を惹かれた第二は、「東京ローズ」6人のうち誰が兵士たちに人気があったのかということである。当時ラジオ東京の局員だった水庭進(86歳)の証言や残された録音の分析から、それはアイバ・戸栗ではなくカナダ育ちのジュ―ン須山芳枝だとわかった。彼女は戦後の1949年、米兵の運転する自動車事故で29歳で亡くなっている。
 「東京ローズ」と呼ばれた女性たちの悲劇を知るにつけ、放送が再び戦争に利用されてはならない、と強く思う。アイバ・戸栗も太平洋戦争の犠牲者の一人であった。

                        
                                2012年3月号より



NHKは“中立”を求められているのか?

                                        
                                       
小滝 一志(放送を語る会会員)

 視聴者「NHKは公共放送だから公平、中立でなければならない。反対意見も、第3の意見も常に中立、平等に提供してもらいたい」
 NHK経営委員1「公平、公正、中立というのは最も公共放送に大事なことで、常にきちっと配慮して放送を行うよう執行部には常に言っている」
 NHK経営委員2「公平、公正、中立な番組をNHKは提供し、その情報をもとに国民一人一人に判断していただく」
 NHK理事「公共放送として公平、公正、中立、正確は、絶対守っていかなければいけないこと」
 これは、2011年11月8日のNHK経営委員会に提出された「視聴者のみなさまと語る会(鹿児島)」の報告書の一節で会場での質疑が記録されている。視聴者の発言はこの際置くとして、経営委員・理事がNHKの放送理念として「中立」に言及していることに私は強い違和感を抱き、「放送に“中立”は求められているのか」NHKに質問した。「“中立”の意味でございますが、放送法に掲げられている『放送の不偏不党』『政治的に公平であること』の趣旨を述べたもので、特段、それらの考え方を越える意味を込めたものではございません」との短い回答が年末にNHKから届いた。

放送法は「中立」を求めているか
 
広辞苑には、「中立」は「いずれにもかたよらずに中正の立場をとること。いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと」とある。NHKが「中立」を表明することは、例えば福島原発事故報道で、事故を起こした東電にも敵対せず、被災住民にも味方しないということにならないだろうか? 視聴者がNHKに求めているのは、被害者である被災住民の立場に立ち、事故の原因や責任はどこにあるのか事実を求めて真相究明に当たることであり、「中立」の立場で東電・被災住民双方の意見をバランスよく伝えることではないはずだ。
 社会科学辞典(新日本出版社)では、「国際法上の中立は戦時の中立と永世中立に区別される」「戦争と平和の、あるいは帝国主義と社会主義の中間にたつという『等距離中立』」などの解説があり、「中立」が政治的立場をあらわす用語であることが判る。「中立」はメディアの制作・編集姿勢を示す用語として果たして適切だろうか。
 放送法ではどうか。第一条に「放送の不偏不党、真実及び自律を保障」、第三条の番組編集準則には「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立する問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とあるが、どこにも「中立」の用語はない。NHKが自ら決めている「国内番組基準」「新放送ガイドライン」でも「中立」の用語は見当たらない。
「中立」には、対立する双方に距離を置く、それも等距離を置くというニュアンスが含まれている。福島原発事故報道に際して「多くの角度から論点を明らかにし」、「事実をまげない」で真相に迫ろうとすれば、「政治的公平」であろうとするかぎり、メディアが東電と被災住民の間で「中立」ではありえないことは明らかだ。

 
NHKの回答では「“中立”は『放送の不偏不党』『政治的に公平であること』の趣旨を述べたもの」とあるが、「中立」は「不偏不党」「政治的公平」と同義語ではなく、メディアの報道姿勢を表す用語としては不適切で不用意に使用すべきではないように思われる。

強調すべきは「中立」ではなく「自立・自律」
 昨年9月の6万人を越える人々が集まった脱原発集会、あるいは10月に経産省を取り囲んだ「原発いらない福島の女たち」のデモなどを積極的に伝えないメディアに対し、「示威行動を取り上げることは“偏向”であるという浅薄な『公平中立主義』」(神保太郎 雑誌「世界」1月号)という批判もある。少数意見や反対意見を黙殺する口実に「中立」が使われることを私は危惧する。NHKが「放送の自主・自律」を改めて強調した「新放送ガイドライン」作成のきっかけは、政治介入を招いたETV慰安婦番組改変事件だったことは記憶に新しい。今、NHKが報道姿勢として大切にすべき理念は「中立」ではない。むしろ、権力におもねらず少数意見や弱い立場の声に耳を傾ける「自立・自律」ではないか。

                                2012年2月号より


リビア革命を伝えたジャーナリストたち

                                     
                                      
尾崎(写真家 放送を語る会会員)

 



前線での取材中、カダフィ派の砲撃を受け重傷を負ったフランスのTVカメラマン。リビア内戦では多くのジャーナリストが命を落とした。(筆者撮影)

 「アラブの春」で幕を明けた昨年、激動の中東諸国に向かった。中でもカダフィによる長期独裁が続くリビアでの市民蜂起は画期的で、現地に長く滞在することになった。海外からの取材者は、反政府派の拠点となった東部の都市・ベンガジを目指した。現地のボランティアが立ち上げたメディアセンターでは、プレスカードの発行やインターネット回線の提供を行っていた。そこで私は多くのメディア関係者と出会った。 後に帰らぬ人となったテレビ朝日の野村能久記者は、メディアセンターの廊下で私にこう話してくれた。「前線の状況も知りたいが、社の方針で危険な地帯での取材は控えることになっています」。野村氏の説明は、大手メディアに所属する日本人記者に共通するものだった。皆、安全管理を最優先する本社の指示に縛られていた。
 海外のメディアでは積極的な報道が目立った。アルジャジーラTVは、カダフィ派勢力に銃撃されカメラマンが死亡するという痛ましい事件があったものの、悲劇を乗り越え取材を続けた。シルトでの激戦や和平交渉人への独占インタビューを伝えるアルジャジーラの映像を、リビア市民は食い入るように見つめた。 
 英国BBC放送は、砲弾飛び交う最前線に取り残された取材班の顛末を、そのままルポとして配信した。また、カダフィ軍に拘束され監禁されていたBBCの記者は、解放後、自社のカメラに向かって一部始終を証言した。いずれも、反政府派市民に容赦ない攻撃と圧力を加え続けるカダフィ軍の実態を伝えることに成功していた。「前線に近づけばカダフィ派に拉致されるかもしれない。そんなリスクは犯せない」と語っていたNHKの取材班とは対照的だった。
 一方、フリーランサーの活躍は目覚ましかった。フォトジャーナリストの高橋邦典氏は革命勃発直後に現地に入り、砂漠の前線を欧米のジャーナリストとともに走り回っていた。日本の雑誌の多くは、高橋氏の写真でもってリビア情勢を伝えることとなった。また、パリ在住の写真家・岡原功祐氏のルポルタージュは、各国に配信され紙面を飾った。
 私が行動をともにしたフリーランサーの中に、リード・リンゼイとジハン・ハーフィズというアメリカ人の夫婦がいた。二人はカイロを拠点とする駆け出しのビデオジャーナリストだ。活動資金が潤沢でない二人は、ベンガジと前線を行き来する市民の車に同乗しながら彼らの声に耳を傾けた。3月10日には、ボランティアグループの若者とともに、最前線の都市・ラスラヌーフへ向かった。その日、カダフィ軍は戦況を好転させるため、陸海空軍を総動員。容赦ない爆撃は私たちにも襲いかかった。身を伏せながら撮影を続けた二人はラスラヌーフ陥落の瞬間を記録した。
 彼らの3 週間に渡る取材は、ドキュメンタリー番組〝Benghazi Rising〟として世界に発信された。日本では邦題『ベンガジの蜂起』として7月、NHK BS1で放送された。番組は、フリーランサーの活動を表彰するローリー・ペック賞にも最終ノミネートされている。
 8月、現地で再会した私たちは、革命の先頭に立ってきた若者たちとともに首都トリポリの解放を祝った。いま、ジハンはニュースリポーターとして活躍中。リードはアラビア語を学びながら次作の企画を進めている。「またカイロで会おうよ」。リードから届いたメールは、中東に根を張って「アラブの春」の行く末を見届けようとする意気込みであふれていた。


                                2012年1月号より


 二重苦の南相馬市はいま ~被災地駆けあし印象記~
                              
                                    
                                   
石井 長世(放送を語る会会員)

 
 9月19日の東京・明治公園「さよなら原発5万人集会」は、“想定外”の人々の熱気で埋め尽くされた。
 このような脱原発の運動の盛り上がりの一方で、原発災害を巡るメディアの報道は、日を追うごとに扱いが小さく、持続した検証の姿勢を失っている気がする。
 原発災害は過去のことで、電力需要に応える原発は必要だと主張する論調も、一部でまかり通る。
 そうした中、9月9日の鉢呂元経産相「死のまち」発言が明るみに出て、一斉にバッシングが起きた。担当大臣として舌足らずの無神経な発言ではあったが、「死のまち」は架空のことなのか、またこうした現象を引き起こした元凶は誰なのか、問われずじまいだった。さらに、翌月12日には福島県知事が県産米の安全宣言をしたが、福島の農業は本当に大丈夫なのか、突っ込んだ報道は見当たらなかった。 こうした疑問と被災地の“いま”を自分の目で確かめたいと思い、筆者は10月半ば南相馬市を訪ねた。
 以下の報告は、駆け足で現地を見て歩いた印象記に過ぎないことをお許し頂きたい。

 福島市から南相馬市役所まではバスで2時間20分。
 途中の田は稲刈りが終わり各所に稲叢が積まれているが、南相馬に入った途端田んぼは草だらけの状態だ。
 米の安全宣言では、南相馬市など11市町村が対象から除外されていたが、こうした事実さえきちんと伝えないメディアが多かった。実際はこれらの地域は原発事故による警戒区域などに指定され、稲の作付けは“制限”つまり禁止されているのだ。
 市街地周辺の田んぼは荒涼として静まり返っている。
 市内には凡そ6800haの農地があり、そのうちの7割が稲作、残りが換金作物を作っているが、風評被害で全く出荷出ず、折角の作物も放置されたままだ。
 多くの農家が域外に避難したり、兼業の仕事も失ったりして収入の道を絶たれ、経済的にも精神的にも追い詰められている。来年の稲作の見通しも不透明だ。
 取材中に通りかかった農家の女性は「農業を続ける自信がありません。今は賠償額のことだけで頭が一杯です」と話してくれた。
 大津波の爪跡を見るため、市の中心部から東6キロ余りの海岸に向かう。第1原発の煙突が遠望できる下渋佐などの地区の惨状は、テレビで全国に伝わった。
 破壊された防波堤の内側の凡そ140戸の住宅は跡形もなく、見渡す限りの荒地に変わっており、瓦礫の後片付けが終わった所では住民たちの生活の痕跡を見つけることさえ難しい。子どもの頃住んでいた集落の様子を見に来た福島市の女性は、変わり果てた故郷の姿に言葉もなく立ちすくんでいた。  南相馬市が10月にまとめた被害の概要では、死者・行方不明者663人、住宅の全半壊5657戸、市外への避難者は凡そ2万5000人に上る。
 中でも原発から20キロ圏内にある小高地区は、1万2800人の全住民が避難し、文字通り人っ子一人いない“死のまち”になっているという。9月末に緊急時避難準備区域の指定が解除された原町区も、4割の住民が避難したまま。目抜き通りの人影もまばらだ。
 さらに気になるのは放射能の危険性だ。
7月下旬から9月初めにかけて市が実施した放射線量のメッシュ調査では、警戒区域の小高区以外の地区でも、低いところで毎時0.3、高いところでは4μCvの線量が記録されている。人口の多い市の中心部でも平均0.6前後の高い値を示しており、今後子どもや若者など住民の健康への影響が懸念される。
 市全体が今でも大震災被害と放射能という二重苦にあえいでいるのだ。災害は未だ終わってはいない。
 この窮状を打開しようと、市では建築家の中村勉氏や作家の玄侑宗久氏らの協力を得て南相馬市復興有識者会議を立ち上げた。犠牲者の鎮魂や自然景観の回復などを通して、南相馬市の再生を目指すという。
 こうした復興への足取りが一日も早く具体化することを切に願いながら、現地を後にした。

                             2011年12月号より


  フクシマ報道  ローカルやラジオにも光る番組
                             今井潤(放送を語る会代表)
(1)心に伝わる番組を作りたい  ローカル番組制作者の言葉
 NHKは木曜日の午後3時過ぎに「ろーかる直送便」、土曜日の午前11時過ぎに「目撃・日本列島」というローカルで一度放送した番組を全国に再放送している。
 8月24日にたまたま見た「いつか帰れる日のために」は福島局が制作したものだが、番組の最後に出るスタッフ名に知った名前があったので、すぐ番組の評価を手紙に書いて出した。すぐにメールで若いディレクターと原発事故の町の実態を取材し、番組を作っていると返事があった。
 その番組は山菜を育てている80歳を超える老夫婦とブロッコリーを栽培する農家の話であった。汚染されたとはいえ、諦めきれない老夫婦は最後の最後まで山菜の成長ぶりを気にかけるのだが、ひょうひょうとした夫とそれにあきらめ顔で付き添う老婆の表情が何とも魅力的であった。ブロッコリー栽培はハウスなので汚染を防げると思ったが、隙間から侵入し、汚染されてしまい、結局全部抜き取り、廃棄しなければならない悲しみを味わう。
 農をする人の忍耐強さと同時に生き物を扱う優しさを感じる番組であった。
 9月8日の同番組「鎮魂・侍たちの夏~福島・相馬野馬追~」は1000年の歴史を持つ野馬追の継承にかける男たちの話である。人だけでなく100頭の馬も死んだこの地方では、馬も家族の一員で、野馬追は晴れ舞台なのだ。原発事故で妻を失い、馬も流しながら、伝統の祭りを守ろうとした男たちの心情が伝わる番組だった。
 10月1日放送の「目撃・日本列島」「子供たちを守りたい~放射線と闘う福島~」は教師と住民が協力して除染作業をする姿をとらえていた。住民は調査をし、汚染地図を作り、学校に持ち込み、実践的な対応を考えていく。しかし、それでも夏休みに100人が転校し、とどまっていて後で後悔しないかと涙ぐむ母親の姿が心に残った。
 放送の度に、良かった点と映像編集の改善点やナレーター選択のことなどをメールした。
 10月1日の放送については「もっと心に伝わる番組を作ろうと、毎回はげまされています。ご意見は担当ディレクターに渡していて、今回のナレーターを安田成美さんにしたのは母親の感じを出すためでした」と返事があった。
 彼は今40代初めの福島局CP(チーフ・プロデューサー、番組の責任者でディレクターの指導に当たる役職)として、原発に限らず、農業、水産業などの実態をドキュメントする番組を制作している。若いディレクターの先頭に立ち、勇気を持って、被災地の声をテレビ画面に描き出してほしいと思う。


(2) 健闘するラジオの原発報道

 9月5日NHKラジオは夕方5時からのニュース番組で「原発事故6か月、収束の課題・何を要求するか」のシリーズを放送した。初日は舘野淳氏(元中央大教授)と鈴木正昭氏(東大教授)の話で進められたが、舘野氏は「私は原子力村から排除された人間だが、産官学の癒着体制を解体して、地震多発地帯にある原発はやめるしかない」と発言、鈴木氏は「軽水炉ももっと安全なものにする研究をすべきだ」と反論し、議論になった。
 このように視聴者に問題の対立点を明らかにし、考えるヒントを与えることがメディアにとって大事だと思う。
 9月6日の2回目は「放射線の除染」を取り上げたが、除染のボランティアをする地元の住民は除染の仕事が重労働なので、やめていくボランティアが多いと悩みを話した。こういう実態こそ日々のニュースに必要だと思う。

 NHKラジオは3月28日の正午のニュースで立命館大教授の安斎育郎氏に原発事故で何をすべきかを聞き、「あらゆる英知と人材を結集して対処すべきだ」と発言させた。彼は東大の教官時代に日本の核政策を批判したことで知られる学者である。
 3月29日には朝のニュースの中で評論家の内橋克人氏は「原発の安全神話はどうして作られたか」を語り、29年前島根原発の公開ヒアリングに触れ、学者・メディア・教育・パブリシティを動員して、安全神話が作られたと指摘した。
 ラジオはより生活に密着したものだけに、多くの情報と共に、知る権利にこたえる内容の放送が求められると思う。

                                                

                               2011年11月号より


 
3K職場のテレビスタジオ ~ドラマ番組の制作現場~
                          野中良輔(放送を語る会会員)
 NHKの連続テレビ小説「おひさま」は、9月で放送を終え、大阪制作の「カーネーション」が10月から始まる。
「テレビ小説」はNHKの看板番組「大河ドラマ」に先だつこと2年、1961年4月、獅子文六原作の「娘と私」から始まり、放送開始以来今年で50年、放送を終えた「おひさま」で84作を数える。
 2,3の例外を除き女性を主人公としたストーリーで、ギャラクシー賞(放送批評懇談会)エランドール賞(日本映画テレビプロデューサー協会)などの受賞作も多い。放送時間が朝の8時台にもかかわらず常に高視聴率を保っていて、第31作の「おしん」(83年放送)は平均視聴率が52%台と、驚異的な数字を残している。
 最近の視聴率はやや低迷しているとはいえ、50年の長きにわたり、優れたドラマを生み出している番組関係者の努力は賞賛される。

 だが、こうした表舞台とは対照的に、制作現場の厳しい実態はあまり知られていない。
 私は、18年前に照明スタッフとして「テレビ小説」の制作に携わったことがあった。ドラマ番組の収録は、他の番組に比べて圧倒的に労働量が多い。通常、ドラマ番組の技術関係スタッフ(撮影、照明、音声など30人程度)は、2チームに編成されていて、スタジオでの収録は隔週ごとに3日間連続で担当する。
 収録日は8時~10時に始まり、終了はほとんど24時を越え、ときには午前3時になったこともある。深夜24時を過ぎる場合はタクシーでの帰宅になるが、大半のスタッフは帰宅せずに局舎に宿泊していた。家に帰ると十分な睡眠が取れないことが理由だ。
 スタジオ内の作業環境もかなり悪い。スタジオ全面に建て込まれたセットには、根元に土が着いた樹木も多く、フロワーに土砂が撒かれる場合もあり、セットの転換時にはかなりの土埃が舞い上がる。照明スタッフは脚立に乗っての作業も多く、転倒、落下の危険が常にあり、ドラマ制作のスタジオ現場は典型的な3K職場だ。 もちろん労働組合も問題にして、度々改善を申し入れてはいたが進展はほとんど無く、実質的に過密労働を規制するものは、月間の時間外労働、深夜勤務の時間数などで、いつも規制値の許容範囲ギリギリの勤務実態だった。

 あれから20年近く経た今、現状はどうであろうか?
 今期放送されたテレビ小説「おひさま」を担当していた技術スタッフの話によると、週4日連続の収録が基本で、1日の労働時間は少ない日で10~12時間程度、多い日は15~17時間前後とのことだった。
 話を聞いた限りではドラマ制作現場の状況は以前と比較して改善どころか、むしろ悪くなっているように思える。18年前には無かった4日収録が恒常的に行われているようだ。週3日間でも最終日の終盤には疲労困憊状態になり、注意力も著しく低下した。4日間では、安全面や健康への影響が非常に懸念される。

 2012年度から受信料10%還元を義務づけられたNHKでは、効率化の名の下で制作費の削減が至上命題になっている。多額なコストを要するドラマ番組は、なおさらだ。制作費用の削減は、番組制作の外注化と共に、収録期間の圧縮をもたらしている。
 NHKで放送されているドラマの半数以上は、関連会社や外部プロダクションによって制作されている。
 NHK本体の労働者は不十分とはいえ、それなりの労働条件で働くことが出来るがコスト節減目的の外注化のもとでは、条件がより厳しいことは容易に想像出来る。
 それを裏づけるように、「BS時代劇」の沖縄ロケでは、夜明けの5時に宿舎を出発し帰着したのが翌日の朝4時という、にわかには信じがたい話を最近聞いた。 番組の質を維持し、制作、労働条件を根本的に改善するには厳しい仕事を安易に外部に押し付けるのではなく、十分な制作費の保障、ゆとりのある制作期間の確保、スタッフの増員などが不可欠だ。


                                2011年10月号より

                                        
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