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春風のピアノ                        作:せい

「うーむ。」

 まっさらな五線譜をにらみつけたまま、ウォーター・ブルーはうなりました。始めの四小節からちっとも、曲のイメージがわいてこないのです。

「うぅむ。」

そのときでした。突然、エグルー中に、ミルクのような濃い霧がたちこめました。

「あっ、えっ、一体、どうなってるんだ!」

ウォーター・ブルーはおどろきのあまり、ペンを取り落とし、椅子から転げ落ちてしまいました。ところが、ウォーター・ブルーがしりもちをついた床は、エグルーの硬い氷の床ではなく、やわらかな草や、こけのようなのでした。あわてて机・・・であるはずのものを、なでてみましたが、それは、なめらかな肌の、一本の木でした。どうやらエグルーは、森になってしまったようです。

 霧が晴れてくると、だんだん様子がわかってきました。そこは、森の広場でした。広場にはたくさんの動物達がいて、誰かを待っているのでしょう、ザワザワしていました。

 霧はすっかり晴れました。ウォーター・ブルーは広場のしげみにかくれ、これから何が始まるのだろうかと、息をひそめていました。

 水仙の花を、マイクのように持ったサルが、動物達の前に立ちました。サルは皆を見回し、ピョコンとお辞儀をすると、口を開きました。

「え〜、ただ今より〜、春の演奏会を、開会します。ゲストは、第二のショパンと言われ、国際的に有名な・・・」

(ふーん、演奏会か、悪くないな)

ウォーター・ブルーは、ごろんと横になりました。けれど・・・

「・・・音楽家、ウォーター・ブルーさんです!」

サルが言いました。ウォーター・ブルーは思わずはね起き、叫んでいました。

「えっ、えっ、ぼく!?」

パチパチパチ。動物達のあたたかな拍手。木の上からはリス達が、ホタルの光で、照らしてくれます。

「はい、どうぞこちらへ。」

ウォーター・ブルーは、ガクガクとふるえる足で、広場の真ん中へ進み出ました。そこにはいつの間にか、木のピアノが用意されていました。

     

「それでは、一曲目、子猫のワルツです!」

パチパチパチパチ。ウォーター・ブルーは覚悟を決めてピアノに向かうと、鍵盤を一つ、そっとたたきました。

ポロン。

木の葉がカサカサッとささやきあうような、弾んだ音。ウォーター・ブルーは自分でもびっくりするほど引き込まれ、最後の最後の音まで、夢中になってひき終えました。こんなに気持ちよくピアノをひいたのは、初めてのことでした。

 動物達のアンコールにこたえ、ウォーター・ブルーは、二曲目、三曲目、とひいていきました。その度に彼は、自分と音がとけあって、一つになるような心地よさを感じました。

 ウォーター・ブルーは、自分の曲をすべてひき終え、立ち上がったとき、言いました。

「いやぁ、これはすばらしいピアノです。これほどまでに自然で、生き生きした音は、聞いたことがありません。」

「そうですか、あなたがすばらしいんですよ。」サルは大して興味なさそうに言うと、続いて大声を張り上げました。

「え〜、では、最後に、ゲストによる即興演奏です。どうぞ。」

ウォーター・ブルーは、頭を棒で、ガーンとなぐられたような気がしました。フラフラとピアノの前に座り、鍵盤に手を置きましたが、何一つ、メロディーはうかんできません。

(もう、どうにでもなるがいい!)

ウォーター・ブルーはやけくそになって、行き詰っていた、あの四小節をひきました。すると・・・後から後から、新しいメロディーがうかんできます。それは、風のささやきのようでしたし、森のざわめきのようでもありました。そしてまた、川の歌声のようにも、聞こえました。

 パチパチパチ!ワァァーッ!そっと鍵盤から手をはずした彼を、拍手と歓声が包みました。

「すばらしい!あなたは天才だ!・・・と、いうわけで、ゲストに記念品を授与します。これからも、音楽活動、がんばってください。」

 サルが言うと、二匹のビーバーがやって来て、ウォーター・ブルーに、カワセミの羽ペンと、あまい香りのする、クロイチゴのインクが入ったビンとを、手渡しました。

「あ、ど、どうも。」

すると、ビーバー達は、あのピアノのそばにしゃがみこみ、しばらくカリカリやっていましたが、突然立ち上がると、言ったのです。

「さあ、これも、持っていってくださいな!」

 

 ふと気がつくと、ウォーター・ブルーはぼんやり、机の前に座っていました。けれどもその手には、羽ペンとインクびんがにぎられていましたし・・・それに何より、エグルーの真ん中には、小さな、木のピアノが置いてあるのでした。