「ご褒美」(5)

保健室を出た月子は、錫也に促されながら、梓に電話を掛けることにした。
呼び出し音が途切れ、受話器の向こう側からは賑やかな場所にいるらしい雑音が聞こえてくる。
 「もしもし、梓くん?」
 『うわっ』
声を掛けた月子に、流れてきた声はその一言だけで、すぐに電話は切られてしまった。
 「えっ、嘘。もしもし、梓くん? 梓くんってば!!」
 「月子、どうかした?」
必死に呼びかけている月子の背中に、錫也が心配そうに声を掛ける。
 「電話、切られちゃった。……やっぱり、梓くん、怒ってるのかな。
 約束破って、観測会に行かなかったから」
 「そんなの、まだ判らないだろう。もしかしたら、木ノ瀬くんにも何かあったのかも知れないし。
 とりあえず、屋上庭園へ行ってみよう」
ショックを隠しきれない月子の肩を叩いて、錫也は待ち合わせ場所になっている
屋上庭園へ向かうことを提案する。
少しばかりの希望を持って、屋上庭園に足を踏み入れてみたけれど、そこに梓の姿はない。
 「ほら、月子。一応、課題だけは進めておこう。
 木ノ瀬くん自身が遅れてるだけなら、その内来るかも知れないしさ。
 哉太の分の課題も、やっておきたいだろう」
 「う、うん。そうだね」
ガックリと肩を落としている月子を元気付けようと、錫也があれこれと話しかける。
その気持ちに応えるように、月子も課題に集中することにした。
慌てて家を出てきたせいで、図書館で借りた資料を部屋に忘れてしまった。
そのことに気付くと、図書館に行く前に梓に逢ったことを、連鎖的に思い出していく。
約束した時、梓はとても嬉しそうに笑っていた。
月子も、久し振りにゆっくり逢えることを、とても楽しみにしていた。
昼間見た梓の姿を思い出し、そしてきっと怒っているだろう梓を思って、
月子は空を見上げながら泣きそうになり、慌てて涙を拭う。
 「月子、そんなに心配することはないと思うよ。
 だいたい、少し遅れたくらいで帰っちゃうような子じゃないだろうし、
 そもそも、そんなことでお前を嫌いになんて……」
 「ええ、そうですね。こんなことくらいで、僕が夜久先輩を嫌うなんてこと、
 絶対にあり得ません」
慰めの言葉を掛ける錫也の言葉を引き継ぐように、梓の声が聞こえてくる。
何処か不機嫌そうな顔で、梓は錫也を見下ろしていた。
 「まさか、東月先輩が裏で糸を引いていたなんて、思いもしませんでしたよ。
 でも、考えてみればそうか。翼を引っ張り出して僕を足止めするだけじゃなく、
 食堂のおばさん達まで巻き込めるのは、東月先輩しかいませんもんね」
 「それは買いかぶりってもんだよ。天羽くんは強かだからね。
 お陰でこちらも一人、負傷者が出た」
 「えっ? 二人とも、何の話をしてるの?」
挑戦的な言い方をする梓に、錫也が事も無げに受けて立つ。
何も知らない月子だけが、二人の顔を見比べながら、首を傾げている。
 「月子は気にしなくても良いんだよ。
 周囲のやっかみを軽くあしらう、という木ノ瀬くんの言葉。
 それが真実かどうか、少しばかり試させてもらっただけだから」
 「あぁ、あれ、聞いていたんですか。まさか東月先輩も、やっかむ側の人だったとはね。
 それで、僕は合格したんですか?」
不合格なんてあり得ない。そんな自信に満ちた顔で、錫也を見返している。
そんな後輩に、やれやれと肩を竦めると、錫也はあくまでも先輩としての余裕を見せていた。
 「そうだね。ちょっと時間は掛かったみたいだけど、良いんじゃないかな。
 ということで、木ノ瀬くんには頑張ったご褒美をあげよう」
錫也の言い方に、梓は少し不満そう表情をする。
 「随分と上からものを言うんですね。
 もし、東月先輩が言っているのが、夜久先輩のことだったら、それ、ご褒美になりませんよ。
 だって、夜久先輩は最初から僕のですから。
 でも、そうですね。東月先輩や七海先輩が、僕を認めてくれる、って言うなら。
 うん、確かに、それはご褒美になり得なくもない、かな」
 「まぁ、木ノ瀬くんがそう思うなら、それがご褒美でも良いよ。
 ……月子のことは、君に任せよう」
そう告げる錫也は、先程までの余裕が薄れ、少し淋しそうな顔をしていた。
それに気付いた梓も、挑戦的な態度を改めて、素直に頷くことにする。
 「ありがとうございます。夜久先輩は、確かに僕の彼女ですけど、
 東月先輩達との幼馴染という関係は、変わりませんよ。悔しいですけどね。
 だから僕もみなさんとの間を邪魔しませんから、そちらも程々にしてください。
 特に、今日みたいなやり方は、今後一切なしです。
 僕だって、夜久先輩に悲しい顔をさせるのは、本位じゃありません」
 「判ってるよ。こっちも少し予想外なことが起こったからね。
 まさか、こんな展開になって、月子を不安にさせるなんて思ってなかったんだ」
ごめんな。そう言って、月子の頭に手を置くと、後ろで梓の咳払いが聞こえてくる。
 「じゃあ、残りの観測会は、二人でどうぞ」
苦笑を残して、錫也は屋上庭園を後にした。
 
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