「ご褒美」(3)

携帯電話を握りしめたまま、月子は学校へと向かって走っていた。
そろそろ観測会を始める時刻になっていたけれど、屋上庭園には行かず、
真っ直ぐ保健室へと向かっている。
今から数分前。
観測会へ行く支度を整えていると、テーブルの上に置いてある携帯電話が鳴り出した。
ディスプレイには錫也の名前が表示されている。
 『錫也、どうしたの?
 観測会に持っていく夜食のリクエストだったら、私、おにぎりが良いな』
 『月子、ごめん。夜食はまた今度にしてくれるかな。
 今日の観測会、行けそうにない。……哉太が倒れた』
月子の明るい言葉が場違いなくらい、錫也の声は沈んでいる。
冗談を言っている訳ではないことは、長年の付き合いですぐに理解できた。
 『えっ? だって、もうずっと元気だったじゃない。きちんと病気とだって向き合うって……。
 ねぇ、哉太、何処に居るの? 私、様子を見に行ってくる』
 『うん、保健室。さっきまで、生徒会室に居たんだ。そこで倒れて、そのまま保健室へ運んだ』
先刻までの錫也との会話が、まだ耳から離れない。
哉太が倒れてしまったこと。自分の目で確かめるまでは、信じられない気持ちで一杯だった。
大きな持病を抱える哉太は、幼い頃から入退院を繰り返していた。
完治の兆しが見えない不安から、高校へ入ってからは病気に対して後ろ向きになり、
投げやりな態度を取ることもあったけれど、羊が転校してきたのをキッカケに、
また治療に励むようになっていた。
最近では体調も良くなっていて、快方に向かっているものだとばかり思っていた。
 「哉太!! 大丈夫なの?」
保健室のドアを勢い良く開けると、月子は叫ぶように声を掛ける。
 「なんだよ、錫也。月子に話しちまったのか?」
 「話さない訳にはいかないだろう。観測会のことがあるんだから」
青い顔で横になっている哉太が不満そうに言うのを、錫也が宥めるように説明する。
 「そうだ、観測会!! 悪い、月子。時間、随分経ってるよな。
 俺のことは良いから、お前、さっさと屋上庭園に行けって」
 「観測会なんて、今日じゃなくたって良いよ。
 そんなことより、身体は大丈夫なの?」
心配そうに覗き込む月子を見ると、哉太は居た堪れなさそうに、布団を被って顔を隠した。
 「俺は平気!! ちょっとはしゃぎすぎただけ。
 悪いけど、俺、少し寝るからさ。二人とも、観測会に行ってくれよ」
 「哉太!!」
心配されるのを嫌う哉太は、こうした不機嫌な態度を取ることで、いつも人を寄せ付けなくする。
特に月子に対しては、その態度が著しい。
哉太の持て余している感情も、そうした哉太の態度に心を痛めている月子の気持ちも、
両方を理解できる分だけ、錫也はどうすることもできない自分を情けなく思っていた。
 「月子。哉太、寝るって言うしさ。俺達は、もう行こう。
 哉太が言うとおり、時間、随分経ってるよね。木ノ瀬くん、誘ったんじゃないの?」
 「あっ」
哉太が気になって傍を離れようとしない月子に、錫也は梓の名前を口にする。
その事に漸く思い当たったと言うように、月子は短く声を上げた。
慌てて携帯電話で時間を確認すると、ディスプレイには『8時20分』と表示されていた。
梓からの着信を示す表示も残っている。
慌てていたせいで、梓からの電話に気付かなかった。
そのことにショックを受けている月子の肩を押して、錫也が保健室の外へ連れだそうとする。
 「木ノ瀬くんに電話してみなよ。待ってるかも知れない」
泣きそうな顔の月子を励ましていると、布団から顔を出した哉太が、錫也に声を掛けた。
 「錫也、ごめん。後、頼む」
 「任せといて。ちゃんと見届けてくる」
そう言葉を残して、錫也は保健室の扉を閉じた。
 
BACK  ◆  NEXT