「はじまりの予感」(4)

予想外にがっかりしている自分に気付いた祐一は、居た堪れなくなって、
すぐにでもこの場を立ち去ろうと決めた。
 「取りたい本があるんじゃないのか?俺が取るから、言ってくれ」
早めに用事を済ませてしまおうと、最初に声を掛けた言葉を、もう一度繰り返す。
 「あぁ、それは良いよ。ほら、こういう時の為に、これがあるんだもんね」
そう言って、棚の端に置かれていた脚立を引っ張ってくる。慣れた足取りで、その上に登った。
 「まったくさぁ、新学期早々、行き成りレポート提出なんだもん。そんなのって、ナシだよねぇ」
脚立に乗っても上段の棚に手が届かないのか、背伸びをしながら懸命に手を伸ばしている。
片手に何冊もの本を抱えているので、バランスを取るのが難しそうだ。
 「それなら、そっちの本を俺が持とう」
 「んー、じゃあ、お願いしちゃおっかな。重たいけど、よろしく」
持っていた本を祐一に託すと、今度は何とかお目当ての本を抜き出すことができた。
大事そうに本を抱えると、軽いステップで脚立から降りてくる。
 「レポート提出なんて、もうあるのか?まだ、本格的な講義も始まっていないのに」
入学して間もないせいか、祐一が受けた講義の殆どが、まだカリキュラムの導入部を説明しただけに
過ぎないものばかりだった。
今日の午後に至っては、ガイダンスとは名ばかりの余興染みたツアーが敢行されている。
他の学部ではレポート提出を要求する程の真面目な講義があったのかと、
受験時においての自分の選択を後悔しそうになった。
 「どうやら、勘違いをしているようだね、狐邑くん。それでは、私が良いことを教えてあげよう」
溜め息混じりで呟く祐一に、少女はまるで勝ち誇ったような満面の笑顔を浮かべると、
芝居がかった口調でそう言った。そして、祐一の顔の前で人差し指を振って見せる。
 「何を隠そう、私はこう見えて、二年生だったりするのだよ」
 「!!」
えへん、と胸を張って嬉しそうに笑う少女の言葉に、祐一は驚きで言葉を失った。
この小さな少女が大学生だと言われた時も、納得し辛いものがあったのに、
更に自分よりも年上だと言うのか!!とても信じられない。そんな思いが、祐一の心を支配する。
 「ダメだよぉ。表面にばっかり囚われてると、何にも見えなくなっちゃうんだから。
 ちゃんと向き合わないと、相手の本質だって見抜けないんだよ」
彼女の言葉に、祐一の胸がチクリと痛む。自分の過去を言い当てられたような気がした。

 「・・・やはり、似ているな」
 「ん?誰の話?」
呟きが聞こえたのか、脚立を元の位置に戻していた少女は、小首を傾げて聞き返す。
祐一は、頭に浮かんだ人物のことを、どう伝えようかと逡巡するが、
他に言いようがないことに思い当たり、そのままを口にすることにした。
 「背が低いことがコンプレックスの、前を向いて走ることしか知らない、俺の友人の話だ」
後輩たちに身長を揶揄れてはいつも暴れ回っている、そんな元気な友人の顔を思い出す。
 『ちゃんと向き合わないと、相手の本質は見抜けない』
自分の運命をも覆してしまうような友人なら、今の自分の不甲斐なさを見て、きっと同じことを言うだろう。
 「もしかして、そのご友人とやらに、私が似てるって言いたいのかな?
 んー、でもそれ、違うと思うよ。そもそも私、この身長、嫌いじゃないもん」
郷里にいる友人の不敵な笑顔に気持ちを向けていた祐一は、少女の声に我に返る。
 「不便に感じたことはないのか?」
 「えっ、どうして?高さが必要なら、さっきみたいに台を使えば良いだけだもん。
 きっと私には、この背が合ってる高さなんだと思うな。
 ここから見える景色だって、捨てたもんじゃないんだから」
祐一の肩にも満たない少女は、自分の背の高さを測るように手を頭上に翳す。
 「それに、私は台に登れば高いところも見えるけど、狐邑くんのような背の高い人は、
 下を見るのは不便なんじゃない?しゃがんで歩くの、辛そうだよ」
 「確かに、あまり下は見ないな」
しゃがんで歩くつもりもないが・・・。
そう続けようとしたとき、講義終了を知らせるチャイムの音が響き渡る。
静かな図書館の中で、その音が妙に大きく聞こえた。
 「ヤバッ。この本、友達に頼まれてた分だったんだ。ごめん、時間がないの。
 私、もう行くね。手伝ってくれて、ありがと」
祐一に預かってもらっていた本を受け取ると、少女はカウンターの方へと急ごうとする。
それから、何かを思い出したように振り向いた。
 「狐邑くん、まだここに居る?だったら、閲覧室に逃げてた方が良いかも。
 例のツアー、そろそろここへ来る頃なんだよね。
 学生課にバレると、一年間すべての行事に強制参加させられるんだって噂だよ」
検討を祈る。そう言って笑うと、今度こそ手を振って去っていく。
 「せっかくだ。忠告に従おう」
少女の背中を見送りながら、祐一も書庫エリアから閲覧室へ移動しようと歩き出す。
その時、先ほど少女が使っていた脚立の傍に、小さな人形が落ちているのに気が付いた。
 「彼女が落としたのか?」
拾いあげてみると、それは鎖の切れたキーホルダーだった。
キーホルダーには、九つの尾を持った白い狐の形をした飾りが付けられていた。
 
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