「はじまりの予感」(3)

大学生活がスタートして半月ほどが経過した頃、一年生を対象にした学内ツアーが敢行された。
構内にある施設の中で、学生が立ち入れる場所を隈なく巡るのが、このツアーの主旨になっている。
午後の講義は全てそれに充てられるため、殆どの学生が不参加を表明していた。
 「狐邑、お前、例のツアー、参加する?じゃなきゃ、俺らとカラオケ行かない?」
 「いや。この後は、図書館へ行くつもりだ」
 「うっわ、休講なのに図書館。つっまんねーなー」
 「ツアーの順路に図書館も入ってたぜ。せいぜいバレないよう、気を付けろよ」
 「そうそう。学生課に目を付けられると、後が怖いぞー」
 「あぁ、そうだな。ありがとう。また誘ってくれ」
同じ講義を受けていた学生達から声を掛けられた祐一は、誘いを断って図書館へと移動する。
祐一が通っていた紅陵学院の図書室は、いつも閑散としていて、滅多に人が出入りすることがなかった。
さすがに大学の図書館では、人がいないということはない。
蔵書の数も格段に差があり、書庫があるエリアの他に、閲覧室までもが別に設けられている。
祐一は閲覧室へは行かず、たいていの時間を書庫エリアで過ごしていた。

この日も、目当ての本を探しながら、本棚の間を歩いていた。
いくつかの本棚を経由して、ある一角に足を踏み入れた時、あの少女を見付けた。
既にたくさんの本を抱えている少女が、何かを探すように上の棚を見上げている。
 「余程、悩んでいる所に縁があるらしいな」
祐一は、軽く息を吐き出すと、少女に声を掛けてみることにした。
 「欲しい本があるのなら、俺が取ってやろうか?」
 「あっ、狐邑くん。奇遇だね。貴方も、何か探し物?」
話をしたのはこれで二度目だと言うのに、少女はまるで物怖じせずに、屈託のない笑顔を向ける。
祐一には、それがとても不思議に感じられた。
 「共通の知人はいないと思ったが、俺の名前を何処で?同じ講義を取っているのなら、すまないが」
 「嫌だなぁ。狐邑くんの名前なら、みんな知ってるよ。有名だもん」
 「有名?」
入学してまだ半月。特に目立った事をした覚えはない。
少女の答えに、祐一は眉を顰めて、言葉の意味を聞き返す。
 「そっか、自分では気付いてないんだ。狐邑くん、そういうの疎そうだもんね。
 今年の新入生の中じゃ、ダントツの人気者だって、大評判なんだよ。
 アートサークルに入ってる友達も、座ってるだけで絵になる、って言ってたもん。
 モデル探してたから、狐邑くん、やってみる?」
 「いや、そういうのに、興味はない」
 「あはは、それそれ。その台詞も有名。サークルの勧誘、全部それで断ったんだってね」
祐一の答えに、さして気分を害したふうでもなく、少女は明るく笑った。
その反面、祐一の心には得体の知れない闇が降りていく。
『人気者』。その言葉に、強く反発する気持ちが湧き上がる。
季封村の学校に通っていた頃から、自分がそう言われていたことを、祐一は知っていた。
行事があるごとに、女子生徒からお菓子や手紙を貰うことも多かった。
ただ、それらのどれもが偽りであることも、充分に理解している。
対象となる存在が自分自身でなくても、何も変わりはしない。
女子生徒にとって、憧れる対象が存在するというだけで、同じ日常が過ぎていく。
この少女もまた、あの女子生徒達と同じ視線を、自分に向けているのか。
それを知った瞬間、祐一の心を闇が覆った。
 
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