「感謝を込めて」(2)

翌日、慎司くんと一緒に卓さんの家までやってくると、私や美鶴ちゃんが来ることを聞かされて
いなかった卓さんが、少し驚いた表情を浮かべた。けれどすぐに、いつもの優しい笑顔になる。
 「今日は賑やかで良いですね。さぁ、どうぞ、お入りください。他のみなさんも、もう揃っていますよ」
 「おじゃましまーす」
私たちは口々にそう挨拶すると、卓さんの先導に従って居間へと入っていく。
 「おぉ、慎司。遅かった……って、おい!! 何で珠紀たちが居るんだよ。美鶴はともかく、
 珠紀が居たら意味ねーだろ!!」
 「うわっ、真弘先輩。首、首、締まってますって。苦しいですっ」
私と美鶴ちゃんの顔を見た途端、真弘先輩が慌てて慎司くんを廊下へと引き摺り出す。
 「な、何なんですか、いったい」
ゴホゴホと咳き込みながら、慎司くんが苦情を口にしても、真弘先輩はまるで取り合ってくれない。
 「せっかく編み物で何か作って、珠紀に日頃の感謝を伝えようとしてんのに、
 アイツがこの場に居たら意味ねーだろーが」
 「えっ、今日ってそういう会なんですか?」
 「当然だろ、鈍い奴だな。何のために大蛇さんの家にしたと思ってるんだ。
 珠紀が居ない方が良いからに決まってんだろ」
襖の向こう側でヒソヒソと言葉を交わし合う二人の背中に、追い掛けてきた私は声を掛けた。
 「二人していったい何を話してるんですか? それに、私が居たら意味がないって……。
 やっぱり女の子にモテるって話、本気で言ってたんですね?」
真弘先輩の言葉に引っ掛かって、つい拗ねた様な口調になってしまった。
美鶴ちゃんは良くて、私はダメだなんて、あんまりです。そんなに私が邪魔なんですか?
 「それ、どうして知って……。慎司、オマエか!! 余計な事ばっか言いやがって!!」
 「うわぁ、ごめんなさーい!! つい口が滑ったんです」
 「うるせー!!」
私の気持ちになどまるで気付いていない様子で、また逃げる慎司くんを追い掛けて居間の中へと
走り込んで行く。
 「二人共静かに!! 騒ぐようなら、今日は帰ってもらいますよ」
 「ごめんなさいっ」
居間の中をバタバタと駆け回る二人を、卓さんが制する。さすが鶴の一声。
ぴょんっと背筋を伸ばすと、テーブルの前に並んで正座する。
 「みなさん揃ったようですし、そろそろ始めましょうか。犬戒くん、今日はよろしくお願いしますね」
 「はい、こちらこそよろしくお願いします」
こうして編み物教室が始まった。
みんなが慎司くんの言うことを聞いて黙々と編み始めてから暫くして、私は卓さんに声を掛ける。
 「卓さん、台所を少しお借りできますか?」
 「台所ですか? それは構いませんけど。男一人の家ですからね。あまり綺麗ではありませんよ」
編み物の講師を慎司くんと美鶴ちゃんに任せて、私は卓さんと一緒に台所へと移動した。
卓さんの言葉とは違い、台所はとても綺麗に整頓されていて、使い勝手も良さそうにしてある。
 「編み物が一段落した時に食べられるように、お汁粉を作ろうと思うんです」
そう言って持ってきた材料をテーブルに並べる。手頃な食器がないと困るので、お椀も持参してきた。
 「あぁ、そういうことでしたら、気兼ねなく使ってください。それにしても良いものですね。
 女の子が台所に立っているのは。母が亡くなってからは、ずっと私しか使う者がいなかったので。
 どうですか、珠紀さん。時々ここで何か作っていただくというのは。もちろん、そのままこの家に
 嫁いでくるというのでも、私は大歓迎ですけどね」
 「えっ?」
今、卓さん、何て言ったの? 嫁ぐ……って、お嫁に来るってこと……だよね?
それに気付いた私は、身体中の熱が一気に上がった。顔が真っ赤になっているのが判る。
その時、火照った顔を冷ますように、風が吹き抜けていった。テーブルに並べられていた材料が、
勢い良く宙に舞う。私と卓さんの間に、風の幕が出来上がった。
 「おや、何処か窓が開いているのかな。すきま風が入ってきているようですね」
 「えっ、この風は……」
真弘先輩の。そう言おうと顔を上げると、静かにというように、唇に指を当てている卓さんが居た。
 「判っていますよ。これは鴉取くんのヤキモチだってことくらい」
 「ヤキモチ……ですか?」
 「ええ。私が貴女に言い寄っているのが気に入らないんですよ。だからほら、私が貴女に近付くと
 風が強くなる。だから安心してください。彼に浮気心は微塵もありません」
卓さんが近付こうとすると、風の勢いが増す。テーブルの上に置かれたお椀が、ふわりと浮かぶ。
これ、真弘先輩のヤキモチのせい? なら、女の子にモテたくて編み物をしたいって話は、
本当にただの冗談だったのかな。
 「それを私に判らせる為に、真弘先輩を挑発してたんですか?」
 「ええ、そうです。ただ、口にした言葉は、半分以上本心だったんですけどね」
 「えっ、あの……」
それってどういう意味? 口にした言葉って、どの部分だろう?
私がドキドキしていると、卓さんはまた優しく微笑んで、台所を後にしようとする。
 「鴉取くんをこれ以上怒らせると、犬戒くんだけでは抑えきれないでしょうからね。
 私も編み物教室に戻ります。台所、好きに使ってください」
 「ありがとうございます」
そう言葉を残していく卓さんを、私は頭を下げて見送った。
 
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