「悩みごと」(3)

参道に続く階段を、一気に駆け下りる。
目を瞑っているわけでもないのに、目の前が真っ暗になった感じだ。
見えているのに、まるで何も見えていない状態。
もしかしたら俺は、泣いていたのかも知れない。
 「きゃぁ」
そんな状態で走っていたせいか、階段を下り切ったところで、誰かとぶつかりそうになる。
 「鴉取さん!!どうなされたのですか?そんなに慌てて・・・」
 「美鶴か。わりぃ。怪我、なかったか?」
寸でのところでぶつかるのは回避できたが、念のために、俺は美鶴にそう尋ねた。
 「えぇ、私は。袋の中身も大丈夫のようです。
 それよりも、どうなされたのです?まさか、珠紀様に何かあったのでは」
買い物袋の中身を確認しながら、美鶴が心配そうな顔をする。
美鶴のやつ、よっぽど珠紀のこと、気に入ってるんだな。
 「そんなんじゃねーよ。この間頼まれた、珠紀の悩み事。その理由が判っただけだ」
美鶴の落胆振りが想像できるだけに、口にするのは躊躇われたが、仕方ない。
さっき、珠紀は俺に話そうとしていた。ってことは、気持ちはもう、固まったんだろう。
それなら、美鶴の耳に届くのも、すぐだ。
 「珠紀様の!!いったい、何だったのですか?私に、何かして差し上げられることが」
 「俺たちには、何にもねーよ。黙って、見送ってやることくらいしか、な」
 「どういう・・・意味ですか?」
俺の言葉に、美鶴の目がスッと細められる。
言葉の意味を理解しようとするように・・・。
簡単な言葉で誤魔化しても仕方ないと諦めた俺は、きちんと伝えることにする。
 「あいつの望みは、実家へ帰ることだ」
 「この間、お帰りになったばかりじゃ・・・。あちらに、何か忘れ物でも?」
同窓会へ出席するため、珠紀は一時的にこの村を離れていた。
きっかけは、たったそれだけのこと。でも、そう思っちまったら、もう止められない。
忘れ物をしたとすれば、それは珠紀の心、気持ちってやつなのかもな。
 「そうじゃねーんだよ、だから!!あいつは、この村を出て、実家で暮らす。
 もう、戻って来ないつもりだ」
 「う・・・嘘です。そんなこと・・・」
俺の言葉にショックを受けた美鶴は、持っていた買い物袋を落としたことにすら、気付かない。
美鶴の信じたくないって気持ちは、よく判る。俺だってこんなこと、本当は認めたくなんかない。
だけど、さっき見た光景が、嘘偽りのない珠紀の気持ちそのものだと、俺にそう教えていた。
 「嘘じゃねー。あいつは毎晩、卒業アルバムを眺めながら、昔の思い出に浸ってる。
 友達からの手紙を読んで、あっちでの生活を羨ましく思ってるんだよ。
 元々、あいつは向こうの人間だ。こっちに繋ぎとめておく理由なんて、一つもねーんだよ!!」
俺じゃダメなのか?俺が傍にいるだけじゃ、あいつをここに繋ぎとめることもできないのか?
自分の不甲斐なさに、イライラする。感情を押さえきれずに、俺は美鶴に怒鳴っていた。
判ってる。これはただの八つ当たりだ。
そんな俺の悲痛な叫びに、美鶴は抵抗する。首を大きく振って、俺の言葉を拒絶した。
 「嫌です!!私は、珠紀様に一生お仕えする、って決めたんです。
 私の傍を離れるなんて、そんなこと、絶対に許しません」
 「仕方ねーだろ!!あいつが決めたことなんだ。俺たちに、止める権利なんてない!!」
これは、美鶴に向けての言葉なんかじゃない。俺自身に向けての言葉だ。
口にすることで、自分の心を封印するための・・・。
 「嫌です!!私が、必ず止めてみせます!!」
それでも納得できない美鶴は、散らばった食材を拾い集めた買い物袋を、
俺から引っ手繰るように奪い取ると、そのまま階段を駆け上って行った。
 
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